誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(箱根8里/20代後半/女性)雨宮さんこんにちは。いつも楽しく拝見しています。私のつまらない愚痴を聞いてください。私は自分のことを可愛いと思っています。良い家庭で育ったため性格も問題なく良い方だと思っています。ですが、スタイルが悪く、小太りなのがコンプレックスです。コンプレックスですが、何故かずっとモテる気がすると思い込んでいます。実際はモテません。そして、可愛い自分の容姿を馬鹿にされるのが苦痛でたまりません。子供のころから、自分のことを不細工と思ったことはありません。私は私の容姿がとてもタイプです。もう少し痩せたら可愛いのにと日々思っています。子供のころは田舎育ちで、学校や地域自体が小さかったためか、容姿に対しての評価は悪くなかった気がします。ノリも良い方で、少し目立ちたがり屋でしたので、元気でニコニコしていて、いつも冗談を言ってふざけているというようなキャラクターだったと思います。明るくて良い奴って感じです。大学入学のとき上京し、東京はなんて可愛い子が多い街なんだと思いました。オシャレでみんな細くてきれいで、キラキラした子が周りにたくさんいました。美術大学だったため、オシャレでも個性的な子が多く、私もそれなりに自由に、自分の好きな格好や言動が出来ました。大学3年の後半くらいから、グラフィックデザイナーを目指して就職活動をはじめたとき、私は自分の力量に自身がなく、第一志望のグラフィックの業界で評価されるのが怖くて、何を血迷ったのか服飾系の面接を受けていました。もちろん勉強もしてない分野ですし、望んではいない場所でしたので書類や面接でたくさん落ちました。ある販売員募集の面接に行ったとき、担当の偉いオッサンに容姿と服装をボコボコになじられました。そんなに太っていてよくもまあ……的なことや、そんなダサいの付けてちゃダメでしょwww(鞄につけてたクマのキーホルダー)とか言われたりしました。自信があったわけではありませんが、自分の姿は周りにそんなに酷く映っていたのかと、恥ずかしくて泣きながら家に帰りました。友人たちに愚痴ると、嫌な面接官に当たってしまっただけだから気にしなくていい、とみんな言ってくれましたが、ショックでショックでショックで、すぐに就活の方向は変えました。それからでしょうか、見た目に関わることを指摘されるのにとても敏感になってしまいました。敏感というか、実際に容姿をディスられる機会が増えた気がします。「すごい柄の服着てるねwww」。センス無いって言ってるよね。別にすごくないです。「いつまでも食べてるねwww」。遠回しにデブって言ってますよね。じゃがりこを1つゆっくり食べていただけじゃん。「禁酒?そんなことより食生活見直せば?最近ショック療法って痩せ方があって~」。金欠だから禁酒しようと思っただけなのに……。「処女でしょ?」。嘘でしょ……そんなこと面と向かって普通オッサンに言われます?「外国の女子みたい」。くっそー悪口のつもりじゃないだろうし、実際そんな体格だからわかるけど黙れよ。いちいち気にします。いつもへらへらしているし、普段からテンションも高いです。明るくて元気です。でも打たれ弱いです。可愛い、明るい、元気、いつも笑顔だ、変わった服の趣味は「かっこいい」とでも言っておけばいいのに、どうしてみんな私に妙な指摘の仕方をしてくるんでしょう。ちくしょう、絶対に星のめぐりが悪い。たいがいのことは笑って許せるのに、容姿のことになるとすぐショックを受けてしまいます。本当に可愛いくてセンスの良い子は、そんなこと言われても気にしない(というかそもそも言われない)んだろうなと思うと、劣等感で悲しく、腹立たしくなります。そんな小さいこと気にもならない可愛い子が羨ましい。彼氏はいたことがありません。合コンなどに時々行って、行けば連絡先を交換してデートをしたこともありますし、男友達が出来たりもします。ホテルに誘われたりも何度かあります。男性から見て全くナシではないんだろうとは思うのですが、それでも彼氏が出来ないのでますます劣等感が加速します。デブで不細工で服がダサいのがいけないのかと思ってしまいます。年を重ねてだいぶ慣れてはきましたが、仕事や環境を変えても、容姿ディスをする人はいるもので、あ~まだそんなこと言われなきゃいけないのか~と思ってしまいます。言いやすい顔をしているのが悪いのか~と、また落ち込みます。自分の醜さを認めないといけないのかもしれませんが、わたしはまあちょっとデブだけど可愛いくてセンスも普通にあって性格も良く仕事もできると思っているのでどうすることも出来ません。「そんなことどうでもいい、愛してる」って言ってくれる彼氏がほしいです。いい女なのになあ。ばーかばーか。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、周りの目は気にせず、マシュマロ入れたココアでも一緒に飲みましょうか。最近はねぇ、ほんと周りの目が厳しくて、スターバックスで甘いやつ頼むときとか、周囲に「こいつ意識低い」って思われてるんじゃないかとかいちいち考えちゃうことあるんですけど、今日は、飲みましょう!カロリーの高い飲み物を!いやー、読んでいて「外国の女の子みたい」という、微妙にほめてるんだかけなしてるんだかわからないディスのリアリティに笑ってしまいました。言った側の「悪口とはわからない程度にあてこすってやろう」というせこい目論見が完全にバレてる感じが爽快で、あまりの潔くなさに笑ってしまうんですよね。太っていることが、人間の魅力や、女としての魅力にそこまで大きく影響するかというと、正直そんなことはないと思います。けど、箱根8里さんはバカにされている。なぜでしょうか。スクールカーストという言葉がありますが、学校を出ても、容姿や能力、モテるかモテないかなどの基準による「ランク付け」のようなものは、絶えず行われています。所属するコミュニティにより、ランク付けの基準は違いますが、「やせている方が位が高い」という基準が採用されているコミュニティは、日本の中ではとても多いです。いや、世界の中でもですかね。人が人である限り、なんらかの基準で測られるのは仕方のないことかもしれません。「自分は自分のままでいい」「自分は別に普通だし、自分で自分のことを気に入っている」状態であっても、勝手に外部からのランク付けを押し付けられるのは不快なものです。いや、押し付けられるだけならまだいいのですが、やっかいなのは、そのランク付けを受け入れず、ランクにふさわしい言動をしない人間に対して「身の程をわきまえろよ」的な圧力をかけられることです。箱根8里さんが言われていることは、すべてこの「身の程知ってるの?わきまえろよ」に類する言葉だと思います。「ランクが下位」の人間に対して、人はこういう言い方はしません。箱根8里さんが「ランク付けされることを拒否している」人間だから、周囲の人たちはこういうことを言うのだと思います。ランク付けされるのを拒否する人がいると、そのランク内で生活している人たちは、自分たちの努力が無効になるかのような不安を感じたり、なぜこいつだけ同じ方向に努力しないんだ?自分たちと同じように焦ったり不安になったりしないんだ?と、理不尽な苛立ちを感じたりします。私も、とある雑誌でお化粧についての取材を受けたとき、「雨宮さんってファンデーション何使ってるんですか?」と訊かれ、使っているものの商品名を答えたところ「え?一種類しか持ってないんですか!?それで肌の質感とか変えたいときはどうしてるんですか?」と驚かれ、用意されていたファンデーションを試して「これがよさそうですね」とか言ってたら、「さっきから薄づきなのばっかり選んでますよね?薄づきなほうが男にモテるとかまだ思ってるんですか?」と言われたり、「血色悪いからこの下地でもつけとけばいいんじゃないですか?(笑)」と言われたりして、「え、そんなに私、ダメなんだ!」とショックを受けて、思わず通りがかったお稲荷さんにお賽銭入れてなんか拝んでしまったことがありました。きつねでもいい、何かにすがりたかったんですよね……。箱根8里さんの服飾系の面接の話を聞いて、思い出したのはそのときのことです。その分野について知識もなければ、技術もセンスもないんだから何か言われるのはしょうがない。そんな場に出ていった自分が悪い。でも、ファンデーションを一種類しか持ってない自分のことは、別におかしいとも恥ずかしいとも思ってなかったんです。でも、「ああ、この場では私、こんなことをみんなに言われるほどイケてないんですね」と、劣等感の芽を無理やり植えつけられたような気持ちになりました。その後、別の場で、美容ライターの友達が、大好きなコスメについて「こっちの下地はツヤが出るんだけど、そのツヤが光りすぎず上品でいい感じなんです。こっちのファンデーションはちょっとマットで、モードっぽいかっこいい肌に仕上がるから、そういう服に合わせたら素敵だと思うんです」と語ってるのを聞いていたら、「ああ、そういうの楽しいなー。いくつか持って使い分けるって、やってみたいな。つけてみたいな」って素直に楽しい気持ちになったのですが、そのリハビリがなければ、化粧品に対して後ろ向きな気持ちをだいぶ引きずっていたと思います。箱根8里さんに必要なのは、自分の醜さを認めることなんかではもちろんなくて、無理やり植えつけられそうになる劣等感の芽をすべてきれいにむしりとり、箱根8里さんご自身もおわかりの通り、箱根8里さんを「最高だ」と、もうどこの世界のランク付けも関係ないくらい愛してくれる、友人や恋人や家族に囲まれることです。落ち込んでしまうのは仕方がないですが、本来こんなのは言われることじゃないし、落ち込む必要なんてないんだ、ということは忘れないでください。人の容姿のことを面と向かってそんなふうに言うなんて、言う側の品性がもう、どうしようもないじゃないですか。心の中でこういったユーモアあふれる返しをしてあげてるだけでも尊敬に値します。私だったら、周囲の友達に十回ずつ愚痴ったあとで、寝言でも罵倒すると思います。心が折れそうになったら、この戦いは、たった一人のあなただけの戦いではなく、この世を少しでも自由な、呼吸のしやすい場所に変えてゆくための戦いなのだということを思い出してください。少なくとも、じゃがりこぐらい自由に食べられる世の中になってくれないと、「雪の宿」が好物の私は生きていけません。天性の自信を持っている、というのは、それだけで素晴らしい才能なんです。多くの人が「自信」という、どうやったら手に入れられるかわからないものを手に入れるために、もがき、あがき、よくわからない方向に突っ走ったりしています。私もその一人です。与えられた才能を、大事にしてください。人は、自分に与えられた才能を活かすことでしか、本当には生きられないと、私は最近思っています。才能ってそんな特別なものじゃなくて、本人にとっては普通の、当たり前のもので、でもそれを折ろうとする外圧に負けたら、消えてなくなることもあるんです。外圧に負けないで、自分にしか生きられない、いい女の人生を手に入れてください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『恋する女性に絶対読んでほしい 男が手放さない女になる方法』 出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2016年01月20日グルーヴガレージは、穴を開けずにトートバッグをデコレーションできる缶バッジポケット付きオリジナルトートバッグ「【缶バッジポケットート!】おそ松さん」を発売する。価格は3,500円(税別)。最近、イベント会場などでよく見かける好きなキャラクターの缶バッジでデコレーションされたトートバッグ。コレクションした缶バッジを傷つけないために、トートバッグにビニールバッグを重ねたりと各人が工夫をしているケースが多く見受けられる。そんな需要を受けて、トートバッグに予めビニールカバーをつけたものなど、トートバッグ・デコレーションのための商品もちらほらと見かけるようになってきている。今回グルーヴガレージよりリリースされる。【缶バッジポケットート!】は、片側に直径6cmまでの缶バッジが収納できる透明塩ビシート製のポケットが12個付いたオリジナルデザイン。缶バッジポケットはフラップ式になっており、中に入れた缶バッジが落ちたりしない設計となっている。このポケットに好きな缶バッジを入れるだけで簡単にトートバッグをデコレーション可能。しかもトートバッグには厚手の生地を使用されているので、缶バッジをフルに付けても重さで型崩れすることがないのもうれしい。内側には裏地も貼られており、長く使用できるしっかりとした作りになっている。こちらの商品は本日1月13日(水)より、ネット通販サイトおよびアニメショップなどで予約が開始され、発送は2016年3月下旬の予定となっている。なお、この【缶バッジポケットート!】はすでに他タイトルでの展開も決定しているという。さらに、今回【缶バッジポケットート!】の発売記念品として、初回ロット分のみ、消防認定品同等規格の高輝度発光シートを使用した特製「松」蓄光缶バッジが付属。数十分、光を当てておけば発光が6~8時間も持続するという高スペックなものとなっているので、こちらもチェックしておきたい。(C)赤塚不二夫/おそ松さん製作委員会
2016年01月13日舘鼻則孝の作品は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館をはじめ、数々の美術館に永久収蔵されている。自然が描く光景が、時空を越えてなおそこにあるように、舘鼻の作品には凛とした佇まいがあり、どこまでも本質的な美を追求しているように思える。舘鼻の美意識はどのように構築されたのか。そして今年30歳を迎えた舘鼻が考える「人間が生きる目的」とは?ー東京藝術大学在学中は、日本美術を学ばれた舘鼻さんですが、なぜ、日本美術を選んだのでしょうか?高校生の頃、ファッションデザイナーになりたいと思い、ヨーロッパに留学してファッションを学ぼうと考えました。でもその時に、洋服はヨーロッパのものだなと感じたんです。というのも、ヨーロッパの学生達にとってファッションを学ぶことは、自国の文化を学んでいることになるんですよね。でも、僕にとっては異国の文化を学ぶことになる。そのような環境では、自分が彼らに勝てる訳がないと思い、自分にしか出来ない事は何かを徹底的に考えました。その時に、日本にも和装というファッションがあるじゃないか、と気がついたんです。そこで、和装文化や伝統技法を深く学べる東京藝術大学で、友禅などの伝統工芸や日本美術を学ぶことを選びました。ー自然が残る鎌倉・源氏山のふもとで育ったと伺いました。ご自身が育った環境は、クリエイションにどのように影響していますか?自然に近い環境で育ったことに影響を受けていると思います。ファッションは独学で、大学でも美術の勉強をしていたので、自然界の動物や植物から多くを学びました。芸術の世界では、自然界の中に綺麗な形があって、その本質を捉えることができるかが問われます。表面的な美しさではなく、物事の本質を捉えるということが重要です。つまり、客観的に物事を判断する能力が問われる。自然の中で暮らすということは、自然の中から“本質的な美”を自分で見つけていく力が養われるということ。自然に囲まれた環境で育ったことで、感覚的に物の善し悪しを推し量ることを教わりましたね。ー西洋美術と東洋美術では、空間の捉え方や自然との距離感がだいぶ異なりますね。洋服のパターンの立体感と、和装の持つ平面性にも相反するものがあるように感じますか?すごく簡単に言うとですが、西洋美術は空間的な物事の把握の仕方。一方、東洋美術は様式的に物事を捉えます。その違いは、環境に由来する点が大きいと考えています。例えば、ヨーロッパは空気が乾いていて、光が綺麗。だから、物に光があたった時に、しっかりとそのシルエットが見えます。でも、日本は湿気が多く、光が乱反射してしまうので、シルエットがじんわりしていますよね。東洋では、光と影のコントラストが強く見えることはないので、それが結果的に平面的に物事を捉えるということにつながり、様式化された美を創造したと言ってもおかしくないと思います。ーレディー・ガガが履いたことで一躍有名になったシューズも立体的なプロダクトですよね。東京藝大では、友禅など日本文化を学んでいた舘鼻さんが、そこから立体的な作品に飛躍していく時に、何があったのでしょうか?確かに藝大で勉強したのは、日本の古典的な様式ですが、それは要素として必要だっただけで、クリエイションにおいて、日本の古典的な表現をしたかった訳ではありませんでした。現代の日本人は和装ではなく洋装で暮らしていますし、自分は新しいことをしたかったので、作品を言葉にするならば現代的でなくてはいけなかった。作品になった時に、現代の日本の暮らしにあったカタチである必要があったわけです。ー古典的な技法を使いながらも、現代の美意識や暮らしにあった形を追求した作品だということですか?結局、古典的な日本と現代の日本がコラボレーションしているのが、僕の作品だと思っています。要するに、古典的な日本はそのままに、西洋文化が入ってきた文明開化以降の日本で育った文化と融合させる。言い換えれば、西洋と東洋のコラボレーションとも言えると思います。自分が海外で評価される理由は、作品の中に西洋と東洋が要素として共存しているからです。ー今日の撮影で用意して頂いた下駄とシューズもまさに西洋と東洋の対比、そして融合が表現されているということでしょうか?この(花魁が履くような高下駄を連想させる)下駄の作品は二次曲面だけで構成されています。一方、この(踵が地面につかない構築的な)ヒールレスシューズには二次曲面がなく、三次曲面しかありません。三次曲面で構築されたシューズは、下駄とは作品を作るにあたってイメージした時代が違います。下駄の作品が日本古来の文化が息づく江戸時代までであるならば、ヒールの作品は、西洋文化が入ってきて立体的な美しさが追求されてきた時代のものというイメージです。この二つの作品には、ギリシャ彫刻のように立体的な美を捉えたものと、日本的な様式化された平面的な美の違いが込められています。だから、この二つは両方作らないと作品として成立しないんです。ー今後やっていきたい活動はありますか?大学生の頃は「自分が一番になりたい」という気持ちもありました。でも、今はチームで動くことが好きで、みんなで共有していくことを大切にしています。僕はまだ若いかもしれないけど、技術や知恵、そして文化を伝承していく仕組み=プラットフォームを作っていきたいと思っています。ケーススタディをわかりやすいパッケージにして残していくことの方が、すごく大事なことだと思っています。伊勢神宮の式年遷宮も、まさに技術と文化の継承の仕組みですよね。ーデジタルテクノロジーが発展し、デジタル化が進むからこそ、チームの必要性を感じる時代だということでしょうか?カリスマ性を持ってブランドを導いていくデザイナーになる選択肢もあったかもしれない。でも、それは自分が死んだ後、終わってしまう気がして、僕のブランドでは、チームであることをアピールすることにしています。技術が高いとか、作品がかっこいいとかは当たり前で、そこのレベルはクリア上で仕事しているつもりです。だから、そういったことはもうどうでもよくて、もっとこれからどういう働き方をして、後世に繋げていくかということの方が大事な気がします。ー(舘鼻さんの)後世に繋げていくことが大事という思いは、なぜ強くなったのでしょうか?僕の靴を初めて履いてくれたのはレディー・ガガさんでしたが、はじめて靴を買ってくれたのは美術館でした。だから、キャリアのかなり早い段階で、自分の作品が美術館に収蔵されて後世まで残ることが決まっていた。自分が物を生み出すことに責任が生じるからこそ、どういう動き方をして、何を生みだすべきかを深く考えるようになりました。それまでのエゴイスティックな作品と決別し、技術や発想を共有すること、継いでいくことが大切だという思いが大きくなりましたね。美術館は人類の文化を保管する場所。戦争や武力抗争時でも、美術館や博物館は攻撃してはいけないと決まっている(※1)ように、人類共通の目的として、作り上げてきたものを共有するということは大切なことなんです。人間が生きる目的は共有することですから。※1武力紛争の際の文化財保護条約前編、テックとアルチザンが織りなす美は日本の職人技なしでは生まれない--アーティスト舘鼻則孝1/2に戻る。【舘鼻則孝プロフィール】85年、東京に生まれ、鎌倉で育つ。15歳より独学で洋服や靴の制作を開始。06年、東京藝術大学に入学し染織を専攻。10年、卒業と同時に自身のメゾン「NORITAKA TATEHANA」を設立しコレクションを発表。15秋冬のイリス・ヴァン・ペルヘンでは3Dプリンタを使ったシューズを担当。14年12月から15年1月にかけて、渋谷ヒカリエで初の個展「舘鼻則孝展」を行った。レディー・ガガやダフネ・ギネスが作品を愛用するなど、ファッション界からもアート界からも注目を集めている。
2015年12月17日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(タイガーバーム/42歳/女性)雨宮さん、こんにちは。いつもこの連載を楽しみにしています。私の愚痴を書きます。私は42歳、未婚です。今年に入ってから、恐るべきスピードで老化が進んでいっています。胸が垂れるとそれにつられて顔も垂れるようで、そうするともう止めようもなく、一気に老けていきました……。今まではノーメイクでも、男性の視線がこちらに向かってくるのを感じていましたが、今はもう全く感じません。私はその事実を受け止めるのがどうしてもつらいのです。40代後半、50代になっても男性に見られることなんてありえないのだから、来るべき時が来たのだ……と自分に言い聞かせても、どうしても足掻きたい気持ちがなくなりません。あまりに急な自分の外見の変化も、今まで当然のように感じてきた(42歳で言うのもあれですけど)若さが失われていくことも、少しばかり誇りに思っていた、男性からの視線がなくなったことも、これからはおばさんとして生きなくてはいけないのだ(未婚で彼もいないのに……)ということも、受け入れたほうが楽だし、いつかは受け入れなければならないことだとわかっていても、受け入れられないのです。私は30代後半になった頃から、年齢と容姿のバランスが取れたのか、わりと容姿を褒められることが増えました。それまで、女性としてあまり自信がない状態だったのが、そのおかげで少し自信を持てるようになったのですが……。「お前、いいトシでなに言ってんだ」とわかってはいるのですが。同年代の友人にもさすがにこんなことは話をできず、ということで「穴の底」に吐き出してみました。とりあえずこうやって書けただけでも、ちょっと楽になったかもしれません。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、加湿器フルでかけて!コールドプレスジュース持ってきて!蛍光灯全部外して白熱灯にしてちょっと光量落として!真上から照らす系はダメ!あと地下鉄のガラスに映る自分を見たら死ぬから絶対見ちゃダメ!呪われますよ!まず、どうして「おばさん」になること、「いいトシ」であることを受け入れなくてはならないのでしょうか。答えはひとつですよね。「みっともない人になりたくない」。いつまでも若作りしてるとか、美人のつもりで気取ってるとか、若い子に張り合って見苦しいとか、そういうことを言われたくないし、痛いおばさんになりたくない。ただでさえ自信をなくしているのに、さらに人からなんか言われてダメージを負いたくないですよね。「いつかは男性に振り向かれなくなる」。私はそのことを、かなり前から恐れていたように思います。10代、20代前半の頃はそもそも振り向かれることがなかったので、「このまま誰にも振り向かれないまま死んでいくのでは」という恐怖があり、少しは振り向かれるようになってからは「30歳を過ぎたらこんなこともなくなるのでは?」などと考えては、「今のうちに謳歌しておかないと、あとで『あのときもっとチヤホヤされておけばよかった』と後悔するんじゃないか」と思ったりしていました。相手のことが好きとか嫌いとかの問題では、まったくなかったです。ただ、自分がまだ恋愛やセックスの市場で通用するのかを怯えながら確かめ、自分を査定に出していただけでした。自信がつくと、自分なりに装うことやメイクが楽しくなる部分もあったのに、「もしかしてこういうの、男受け悪いんじゃない?」とときどき怯えた気持ちになっては、化粧品のカウンターに駆け込み「顔色が良く見えて無難なピンクベージュのグロスください!」と叫び出す始末でした。これ、今年の話ですね……。ただ、加齢ということと、モテということは、近いけれどそれなりに違うことでもあります。佐野洋子さんのエッセイに、老人ばかりの集まりなのに一人だけめちゃくちゃモテている女がいる、という話が出てきます。彼女は真っ赤なワンピースとか着ていて、彼女が集まりにやって来ると、男たちが「俺が送る」「いや俺が送る」とささやかな争いを繰り広げるのだそうです。あと、私は仕事柄、熟女と呼ばれるAVの女優さんに取材することも多いですが、「なんで私とたいして年齢変わらないのに、こんなに色気があるわけ?」と神様の胸ぐらをつかんでゆさぶりたくなるときがあります。すごいかわいいとか、美人だとか、胸が大きいとか、それらの要素もプロのAV女優さんですからもちろんあるんですけど、そこじゃないんですよね。雰囲気なんです。話してるとき、インタビュー中なのに「ああ、もう訊かなきゃいけないことを訊くのやめて、ただこの人とのんびりした時間を過ごしたい……」って思っちゃうことがあるんです。そんな例を挙げられても難易度高けーわ、と思われるかもしれませんが、異性に関しては、特に諦める必要はないと思います。自分の若さが失われていくこと、何もしなくてもピチピチしてた肌が変わっていくこと、気付ば1年に1キロずつ体重が増量していくことなどは、確かにテンションが下がることです。でも、落ち込むのは、純粋にその部分だけでいいと思うんですよね。「女を捨てる」「女として終わってる」。私の嫌いな言葉です。女に生まれて、女であるがゆえの嫌な目にも遭いました。でも、女に生まれたからには、死ぬまで女なんです。途中で終わったり、捨てたりできるものではないんです。もちろんここでタイガーバームさんがおっしゃる「女」が、「性的に、もしくは恋愛の対象として見られる女」という意味であることはわかっていますし、人に評価されないと自信が持てない気持ちもよくわかります。ですが、誰からも何も言われないうちからこんなに落ち込まなくてもいいと思うし、誰かから何か言われたとしても、そんなものに落ち込んでいたら、そういう些細なことの積み重ねで、びっくりするくらい自分の人生って、台無しにされてしまいますよ。こういうときに「フランスでは~」などと言っちゃう行為は「フランス逃げ」とか言われますけど、私は北欧ミステリをお勧めします。「ミレニアム」を筆頭に、マルティン・ベックの「笑う警官」(70年代の作品なのに、シリーズ全体で結婚観、育児観、恋愛観がまったく日本と違っていて驚かされます)、「特捜部Q」、「湿地」、「犯罪心理捜査官セバスチャン」……。さまざまな名作がありますが、年齢のいった男女が当たり前に恋愛もセックスもしているし、そうした中で女である苦しみに苛まれる女も出てきます。北欧ではそうでも、日本ではそうじゃない。そうかもしれません。でも、人は生きていくために、自分を支えてくれる価値観を探し、見つけるべきだと私は思います。何かを盲信するのではなく、自分の中で練り上げて、作り上げていくべきなのだと。そのために、なんでもいいから違う価値観に触れてみてください。私は39歳で、来年40歳です。タイガーバームさんと、そんなに変わらない年齢です。ごちゃごちゃ言われることも多いし、こういう仕事をしていると、外見だけでなく内面までめたくそに言われたりします。私は、そういうことで自分の人生を台無しにされたくないし、タイガーバームさんにも、自分の人生を他人からの評価で台無しにしてほしくないのです。さぁ、マドンナでも聴いて、元気を出してくださいね。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ女子をこじらせて (幻冬舎文庫)出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年12月17日9日、都内にある旧細川伯爵邸和敬塾でアーティスト舘鼻則孝による1日限りの展覧会「舘鼻則孝:面目と続行」が開催された。会場では新作であり、舘鼻が着想から3年の時を経て創作した座禅を組む黄金色の骸骨『Trace of Continuing History』(2015)をはじめ、新作、未発表作を含む約30作品が来場者を迎えた。今回、初披露となる強烈な存在感を備えた座禅する骸骨は、舘鼻自身の骨格をCTスキャンするところからはじまり、そのデータを3Dでモデリング。さらに、3Dプリントした樹脂の型を原型に、真鍮で鋳造したもの。舘鼻は「この作品は、2011年の東日本大震災で感じた死への恐怖を拭い去るための装置ともいえる。自分の死の姿を見いだすための想像は、翻って生む行為に近かった」と作品を前に語った。東京藝術大学に在籍中、花魁文化を学んでいた舘鼻。これまで彼が手掛けた作品には、花魁の高下駄を想起させるヒールレスシューズ、2メートル以上ある彫刻作品になった花魁のかんざしなどがある。同展覧会で初披露された『Theory of the Elements,(2015)』には、電子タバコ「プルーム」が納められている。同アイテムを目にした舘鼻は「これは、現代における花魁の煙管(きせる)のようだ」と感じたという。高下駄、かんざしに続き、「花魁のアイコニックなアイテムの最後のピースを埋めるような作業だった」と語る本作品では、現代の技術に触発されて古から伝わる技術を新たな視座から構築する。舘鼻が本展覧会で披露した作品は、どれも時空間を越えていくような生命力を備えているようだ。過去から現代、そして未来へと時が流れているとしたとしても、彼の作品の前にすると、そのどれもが一時に束ねられたような不思議な感覚になる。「見えるもの以上に大切なものは何かを問い、目に見えないものを信じる力を表現した」という舘鼻の言葉を反芻し、深く納得した展覧会であった。
2015年12月14日「お顔で全部分かるのです。」池袋の母こと渚 犂帆(なぎさりほ)が、顔占いで性格・相性・運命をお教えします。■鼻を見れば将来性が分かる?お顔の中心にある鼻は、とても目立ちやすくて、その人を特徴づけやすい部位ですね。鼻は「面中の王」といわれ、社会でどのように活躍できるかわかる場所です。それでは、鼻の特徴でわかる性格を見ていきましょう。【大きくて立派な鼻】活力の証。成功しやすい相となります。【小さな鼻】弱気で、甘えん坊なところがあることを意味しています。【高い鼻】自尊心の高さを表し、お金儲けの勘にも優れています。【低い鼻】素直でのんきな性質の持ち主となります。また、上向きで鼻の穴がよく見えるタイプは、おおらかで人付き合いに対してとても前向きでしょう。ただし、鼻の穴が大きいほどお金の出入りが派手になりがちのようなので要注意です。逆に鼻が下を向いていて、穴も小さいタイプは節約家でしょう。性格も慎重で、なかなか本心を見せてくれないかもしれません。このように、鼻を見ることで、社会性やお金の使い方もわかるのです。■鼻の部位でみる金運とは?もっとよく鼻を見てみましょう。鼻とその周辺には気質と金運が表れます。まず鼻先の部分。これは「順頭」といって、丸い形の人は守りに強く、尖っている人ほど攻めが得意ということ。「金甲」というのは、いわゆる小鼻の部分で、金庫や土蔵を意味しています。肉付きがよくて締まっているほど吉相です。鼻から唇に伸びている溝は「人中」と呼ばれる部分。長くてくっきりとしていて、傷やホクロがないほど、周りから信頼されやすいでしょう。その両脇の「食禄」は、給与や賃金を見るところ。健康的な色で肉付きがよいほど良相となります。小鼻から口の両脇に伸びているのが「法令」です。ここは自立心や職業を表しています。はっきり八の字だと、金運が強く、重職につく可能性が高まるといわれています。いかがでしょうか?好きな男性の将来性が気になる!という方は、相手の鼻まわりをよくチェックしてみましょう。法令線は年頃の女性が気にしがちな部分ですが、はっきりしているほど金運が強い証拠だと思えば、そんなに悪くはないかもしれませんね。監修者紹介渚 犂帆(なぎさりほ)池袋という大きな街で鑑定実績40年を誇り、同時に「池袋の母」としても名を馳せる。長い経験に裏付けされたその鑑定法は幅広く、四柱推命、周易、断易、タロット(ジプシー、イーチン)、吉方位、家相、手相、九星にまで及ぶ。また、「人の運命は一法だけで観るものではなく、全体観が必要」が信条で、多方面から見る「渚流の推命鑑定法」に定評がある。モバイルサイト池袋の母
2015年12月01日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(ぽぽ/20代後半/女性)こんにちは。いつも楽しみに読んでいます。私の愚痴は兄のことです。私、母、兄(父は他界)の家族で私は結婚し家を出ていますが、実家の近くに住んでいるので交流は多いほうです。兄は先天的な精神的障害があり、衣食住に関してのことはひとりでだいたいできますが、社会性に問題があるので完全にひとりで自活するのはほぼ無理です。公的な補助もなくはないのですが、いつまであるのか望み薄という中途半端な状態です。兄自身の感情の起伏もやや激しく、怒ったり悲しんだりしたときは誰かがなだめないといけません。父と母は離婚こそしませんでしたがあまり仲は良くなく、父は最後まで兄を受け入れることができなかったので(「何故普通にできないんだ?」と、病気だと言っても理解できないようでした)、私は、フルタイムで働きながら頑張っている母を支えなければと、母の愚痴を聞いたり、兄の世話を焼いたりしてきました。けれど、一度家を出て兄と離れ、自由にできる生活を知ってしまってからは、とたんに兄のことが煩わしくなるようになりました。そしてそれを相談してくる母親も重く感じるようになってきました。最近同居でも、という話が出て、余計にそれが強くなっています。そもそも、物心ついたときからずっと、最終的に兄の面倒は私が見るのかと思ってきたところがあります。家計も決して楽ではない中、父親は最初から最後まで「俺があいつを殺して俺も死ぬ」としか言わず、母は「きっとどうにかなる」と曖昧なことばかり言い、苦労もわかりますが私にはそれが死ぬほど不安で苦痛でした。その不安と苦痛が、うっすらとずっと続いていました。そのせいか、「自分以外の人はみんなうまくいっていて幸せなんだ」と思ってしまい、「私はそれに比べて……」と落ち込むことばかりです。みんな幸せなんでしょう、と決めつけるのは見下すのと同じくらい失礼なことだとわかっていても直りません。そして友人にこんな悩みを言ったところで「大変だと思う」「それに比べて私の悩みなんてね」みたいな言い方をされ、その子たちのことは大好きで悪気もないとわかってはいても、自分のほうがマシだと思われている、と感じてしまい苦しいです。「私にはわからない」と言われることもあります。誰かに聞いてほしいと思ってもそう言われるのかと思うと口に出せなくなり、口に出しても余計に孤独で死にそうになります。友人たちが順調に自分の家庭を築いているのを見ていると、不幸になればいいのにと思うこともあります。家族で助け合わないと、など言われると何も知らない癖に何を言うんだとはらわたが煮えくりかえりそうになります。誰にもわかってもらえないのが苦しいです。けれどそうしてアレルギーのように人を嫌う自分も嫌です。自分の性格がいけないのか、兄のせいにしているのか、何が原因でどうしたらいいのか自分ではもうわかりません。幸い、夫は兄のことは全く気にしませんが、その分「誰でも大変なことはあるんだから、そんなに自分だけが可哀想だなんて思うのはおかしい」というスタンスで、心からの共感や慰めは得られません。それでよかったと思うこともありますが、落ち込んでいるときはすごく苦しくもあります。誰かに思い切り褒めてほしい、慰めてほしいと思う気持ちが波のようにやってきます。自分より大変な人はたくさんいるとわかってはいても、周りはみんな幸せそうです。少なくとも、友人であれ恋人であれその親であれ、自分で関係を持つことも続けることも、別れを選ぶこともできるというだけで幸せじゃないかと思います。兄が早くいなくなればいいのにとずっと心の奥底で思っている自分からは、周りが全て眩しくて仕方ないです。それも自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれませんが、もう抜け出し方がわからなくなってしまいました。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)この穴の底にいると、自分で経験してきたことをはるかに超えるお話を聞く機会が多く、自分に話し相手になる資格はあるんだろうかと問わずにはいられない毎日ですが、まぁそういうことは置いといて、チャイでも煮出しましょうかね。はちみつを入れた甘いやつ。「やさしい味」という言い回しがありますが、「味付けがぼんやりしてる」という悪口の言い換えでない限り、私は個人的に「やさしさ」とは「糖分」だと思っています。糖分でしかほぐれない気持ちがあるような気がして……。まぁ、いろんな匂いのする飲み物で、この世にはいろんな香りや味があるんだということをつかの間思い出してください。まず、ぽぽさんのお友達のお気持ちもわかります。人は、自分の想像力をはるかに超えた話を聞いたとき、「すごいねー」とか「えらいねー」とか、びっくりするほど凡庸な言葉しか出てこなくなります。言葉を失う、という状態です。考えなしにそういう言葉を言う人もいるかもしれませんが、安易に同情したり、深い事情を突っ込んで訊くのも失礼かな、という思いやりの結果、なんだか核心に触れないぼんやりした受け答えになってしまうことも多いのだろうなと思います。そして、ぽぽさんが抱えている問題は、おそらくそのようにして「核心に触れないまま遠ざけられる」話題の、最たるものだと思います。人は、社会的な人間としての自分の顔を持っていますから、社会的な人間として、倫理にもとることを軽々しく言わないものです。ぽぽさんのお兄様は、社会が手助けすべき人間であり、生きるべき人である。みんなそのことはわかっています。けれど、個人としてはおそらく「ぽぽさんは大変だ」ということのほうが、ずっと大きく、目の前に感想として出てきてしまう。そこを突っ込んで話すのは、自分の倫理観を明らかにしなければならないということでもありますし、考えたことのなかった領域にまで踏み込むことでもあります。ぽぽさんにとっては、ずっと考えずにはいられなかった、逃れられなかったことですが、他の人にとっては「そこまで考えたことはなかった」ことでしょう。ぽぽさんの苦しみの半分は、ここだと思います。実際にお兄様をどうするか、自分が面倒を見なくてはならないのか、という現実の苦しみは、実は半分で、その苦しさを誰にも理解してもらえない、気持ちの上で、寄り添って話を聞いてくれる人がいない、ということがあとの半分なのではないでしょうか。ぽぽさんの文章のその部分には、とても多くの行数が割かれています。ぽぽさんご自身も、お母様に対しては「それを相談してくる母親も重く感じるようになってきました」と書かれています。おそらく、ぽぽさんの中で、お友達がぽぽさんの話をなんとなく遠ざける理由は明らかなのでしょう。自分が母親の話を遠ざけるのと同じで、「重いし、関係ない立場で暮らせるならばそうしたい」という気持ちがあるのだ、とわかっているから、苛立つし、見下されているように感じたり、みんなは幸せそうでいいな、と思ったりするのではないでしょうか。そうすべきではない、という話をしても、ぽぽさんのお気持ちはどうにもならないでしょう。正直な話をします。私は父が今年病気になりました。長引いた場合、治療費が高額になる病気です。最初に考えたことは「治療代をどうするか」「いつ見舞いに行くか」「自宅治療になった場合、自分はどこまでやるべきか」ということでした。飛行機の距離とはいえ、最初に見舞いに行くまで長かったです。もっと早く行こうと思えば行けたはずでした。行かなかったんです。いろいろ、感情的ないざこざがあったこともありますし、シビアな状況だということを正確に把握していなかったということもありますが、言い訳ですよね。自分の心の中から「病気が心配だからすぐ帰省する」という選択肢が浮かんでこなかったんです。肉親だから、家族だから、愛があれば、そんなことの前に現実があり、家族というひとつの密室のような世界の中での、吐き出せない感情やわだかまりや、愛も憎しみも混じり合ってもとの材料が何だったのかすらわからなくなるようなものがあります。私に起きた出来事は、ただそれだけのことでしたけれど、それでも、誰にも責められなくても誰かに責められているような気がしましたし、父の顔を見たときは罪悪感でいっぱいになりました。父に私を責める気持ちはないとわかっていても、そうなのです。自分の中の社会的な顔、「これが正しいと思っている倫理観」に自分自身が従えない場合、引き裂かれるような思いをするのですね。ぽぽさんには、「そんなの当たり前でしょう」ということかもしれませんが、私は恥ずかしながらこの年齢で初めて強く感じました。心から、よくやってこられましたね、と言いたいです。はっきり口にする人は少ないですが、「人に迷惑をかけずに生きていくのが、普通の大人」みたいな考えがここ最近どんどん強まってきていて、本当に些細な、迷惑とも呼べない、ただの「理解」を求める人をも拒んでいる、という場面を目にすることが増えました。妊婦に席を譲るのが嫌だとか、電車で子供が泣くのが許せないとか、そう言う人たちは「自分だって疲れている」「自分のほうが大変なのに」と思っているのでしょう。実際のところ、どれだけ疲労していて、どれだけ具合が悪くて、どれだけ余裕がなくて、どれだけ大変なのかなんて、わからないし、比較のしようもないものです。本当は「頼むから今だけ、今は自分にとって非常時なのだから思いやりをもって接してほしい」と思う人に対して、周囲が手助けをできる社会であればいいのですが、今は「自分が一番大変」と感じている人が多い社会です。私がそう思う指標は、自分自身の感情です。私程度でも、「自分が一番大変」な気がして、周囲に思いやりを持てないことがあります。今って、「自分が一番大変」と、「自分は誰かよりはまだ楽だから大丈夫」の間でしか生きられない時代なのではないか、と、ときどき思います。それくらい、そういう話が多いです。例えば、フリーランスの悲惨な話はTwitterの華ですが、それは「こんな不安定な生活よりはましだ」と多くの人が思えるからではないかと思いますし、周りと自分を比べるのは下品だ、と理解していても、一度も比べずに生きていける人なんてほとんどいないでしょう。そんな中で、ぽぽさんがどのように感じて日々生活しておられるか、ということを考えると、苦しくなります。自分も、誰かと自分を比較しては、自分をかわいそうがったり、自分のほうがましだと安心したり、そのときどきで都合良く立場を変え、解釈を変えている以上、その加害者になっていると思うからです。ぽぽさん、比べる自分を許してください。打算的で身勝手な自分を許してください。社会的な倫理にも、自分の中の倫理にも背くことでも、自分の感情は今そこにあるものとして認めてください。自分が一番つらくて、かわいそうなのだと思ってしまう、その気持ちを認めてください。もっとつらい人がいるのにそう思う資格がないとか、家族に申し訳ないとか、そういうことを全部抜きにして、ただ自分が思うことをそのまま感じてください。ぽぽさんが何を感じ、何を思おうと、お兄様はお兄様の生命の限り、お兄様の人生を生きます。ぽぽさんの感情は、誰の感情とも関係なく、自分のものです。自分のものでしかないから、人は孤独です。けど、誰も、ぽぽさんの感情を、ないことにはできません。ぽぽさん自身にも、です。毎日続いてゆくこと、いつ状況が変わるかわからないことに対し、どういう気持ちでいたらいいのかを考えるのは、難しいです。でも、自分はどう思っているのか、自分の気持ちを否定せずに見てください。社会的なぽぽさんの顔を取り払った、個人としてのぽぽさんの顔を、自分で見てみてください。それがそこにあるものだ、ということを、誰も認めてくれないのなら、自分が認めて、褒めて慰めてやるしかありません。そして何かをしてください。馬鹿みたいだと思われるかもしれませんが、部屋に閉じこもって泣いてもいいし、自宅でそうするのがはばかられるならカラオケに一人で行って叫んだっていいです。「そんなことをしても、何も変わらない」と思うことを、ひとつずつやってみてください。誰もが、役に立つことをしたいし、効果のあることをしたがります。けれど、心のためにすることというのは、「これをすればこうなる」というのが、よくわからなかったりします。なんの役にも立たなそうなこと、無駄なことが、気持ちを変えてくれることがあります。自分の心に対しても、人の心に対しても、できることは「行動」しかないのです。それをする元気すらないときは、私にもよくありますが、もし少しでも身体を動かす気力があったら、何か、思いついたこと、これまで自分とは関係ないと思ってきたこと、無駄だと思ってきたようなことを、やってみてください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ女子をこじらせて (幻冬舎文庫)出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年11月25日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(兼業A子/30代後半/女性)私は共働きの兼業主婦で、子どもは3歳です。私と夫(同い年)の年収は同じくらいで、家計は家のローン、頭金にいたるまでかっきり半分ですが、家事の95%は私です。掃除はカンペキですし、ごはんも作ります。アラフォーですが、ルックスもそんなには劣化していません(太りましたが。美容体重→標準体重に)。が、夫に愛されていなく、感謝もされません。むしろ亭主関白っぽく、いつもいばっています。束縛もまったくせず、平日に夫が飲みに行くのも全然許可しています。また、セックスレスで、たまに私から誘ってする感じです。そもそも、夫からの熱烈アプローチで付き合い、結婚したのに……。セックスレスなので子宝にも恵まれず、あっというまに30代後半になり、不妊治療して子どもを授かりました。不妊治療や出産のお金もすべて自分で出しました。国産車1台くらいは買える金額です。現在は、仕事、不妊治療(2人目希望)、家事&育児を担っています。不妊治療は、ハードなドーピングをしていて(自分でお尻に注射等)、さらに頻回、病院に行かなければなりません。けれど、夫の理解はまったくありませんので、治療の話はほとんどしません。会社の愚痴も言うな、と言われているので会社の話はしませんし、家事&育児については「言うのが疲れる」から自分でやっています。もしかして、浮気しているのでは?と思われるかもしれませんが、携帯等をチェックしても夫は浮気していたりはしません。世の中には、専業主婦で太っていてルックスも劣化していて、家事もそんなにがんばっていなくて家が散らかったりしていても、愛されている人がたくさんいます。実際、何人も見ました。「うちの嫁さん、怖くてさ~お小遣い3万だよ~。ごはんも作ってくれなくて~、平日飲みに行くのも禁止だよ~、休みの日は育児してるよ~、嫁さんの自由時間あげなきゃ~」とか、私から言わせたら、ヒドイ扱いを受けている旦那さんのほうが奥さん(特に美人でもない)を大切にしている気がします。給料も丸々預けていたりします。なぜなんでしょう?私はどんな努力をすればいいんでしょうか?最近、もうがんばれない自分の限界を感じています。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)すっごい丁寧に紅茶いれましょうね。ポットもカップも温めて、茶葉もきっちりはかったやつ。妊活中だとカフェインって良くないのかな?まぁでも、香りだけでも。なんの味もしないようなとき、お茶っていうのは湯気と香りが偉大な価値なんです。飲めなくても、湯気と香りでちょっと心をゆるめてくださいね。この愚痴は、こちらのコーナーが悩み相談だったら、お答えできるのは「離婚」「浮気」「話し合い」という、どれを選んでも血で血を洗うような答えしかありません。「浮気」っていうのはぜんぜん望んでらっしゃらないでしょうけど、旦那さんが兼業A子さんの心を支える役割をしてくれない以上、よそに求めるしかないのでは……という理由で入れています。けど、兼業A子さんはおそらくそのどれも望んでらっしゃらないでしょう。後半で登場する「愚痴を言いつつ献身的な旦那さんも世の中にはいるし、自分のように努力をしてなくても愛される奥さんはいる」というエピソードから察するに、「なぜ自分は正しいことをしていて、その上、自分が折れてなんとかなるところは全部折れて夫に尽くしているのに、愛されている実感が得られないのか」というのが、お悩みの本質であると思います。今の世の中では、正論というのはとにかく大事にされます。Twitterなんか見てると、正論大喜利みたいな状態ですよね。私は四年ほど前にネットウォッチしかしていないような時期がありましたが、2ちゃんねるの家庭板のまとめスレなんかを見ていると、そこが「無責任に人の悪口ばかり書く2ちゃんねる」という印象とはまったく違っていて、「正論を言っている側の人間が報われるべきだ」という、勧善懲悪の物語にあふれていて驚きました。最初は私もそういう話を読んでスッキリしていました。正しいのに報われない人がちゃんと報われる物語。でも、そういうものが人気を得るということ、そういう「正しい話」が、そうした場でなされているということは、もしかしたらそれは「現実ではそうじゃない」ことの裏返しなのではないか、とふと思ったのを覚えています。「正しさ」や「公平さ」は尊重されるべきものだと思います。けれど、愛情というのはそもそも、とても不公平で理不尽なものです。相手にはなんの非もないのに、求愛されても応えられないことなんてザラにあります。自分が尽くしても尽くしても愛されないこともです。兼業A子さんの詳細なご説明から伝わってくるのは「自分には非はない。精一杯やってる。なのに、なぜ!?」という悲鳴のようなお気持ちです。個人的には、奥さんが不妊治療をして二人の間の子供を作るのに、興味も示さない旦那さんというのは、いったいどういうものなのかよくわからないのですが、旦那さんにとって、この家庭生活は、楽しいのかな?というのも疑問に思えるのです。旦那さんにとっては、もしかして「自分は積極的に欲しいわけじゃない子供を、そんなに無理して作る必要があるの?」という感じなのでしょうか。兼業A子さんが見ている現実は「自分のように努力してなくても愛されてる奥さんがいる」であるけれど、同じように、旦那さんが見ている現実は「生活費入れるだけで他のことはなんでもやってくれて、旦那を立ててくれる奥さんもいる」というのが「普通」だと思っている可能性もあると思います。どっちが正しいか、という問題ではないですし、正しいから、これだけしているのだから、評価してくれ、自分を愛してくれ、という理屈は、残念ながら通らないのです。いや、評価だけなら私がします。間違いなく兼業A子さんはがんばっています。一人の人間が毎日、これだけできるなんてすごいことです。でも、疲れ切っている兼業A子さんが求めているものは、自分の正しさが証明されることなのでしょうか?私には、それよりも、愛情や理解を得て心が満たされることを求めているのではないか、と思えます。そして、兼業A子さんがここまでしていても、旦那さんもまた、心が満たされるような生活を送っているとは思えないのです。楽だとは思うけれど、心が通い合っていないような夫婦生活が、居心地いいんですかね……?皮肉ではなく、もしかしたらそういうのが居心地いいのかもしれません。人を人とも思わなければ、気を遣う必要なんてないですから。旦那さんにとっては、「幸せな結婚生活」なんでしょうか。生活を続けていく限り、旦那さんがなんらかのきっかけで考えを変える可能性や、兼業A子さんに心から感謝する可能性もありますが、その日を待つ間に兼業A子さんの心が壊れてしまうのが、私は心配です。また、待っていても必ず変わるとも思えないですし、「待つ」というのは結局、「他人に期待する」という賭けになってしまいます。「あなたに好かれたくてここまでがんばってきた。でも、もう無理かもしれない」と正直に言ってほしいと思いますが、そんなに心を無防備にした状態でもし、亭主関白なきつい発言をされたらと思うと、それも心配で、積極的に勧めることができません。「うちの嫁さん、怖くてさ~お小遣い3万だよ~。ごはんも作ってくれなくて~、平日飲みに行くのも禁止だよ~、休みの日は育児してるよ~、嫁さんの自由時間あげなきゃ~」というのは、愚痴の体裁ですが、のろけだと私は思います。奥さんのほうが育児をやっているという自覚があるから「自由時間あげなきゃ」という言葉が出てくるのでしょう。自分も自由時間をもらっている、とも思っているのでしょう。感謝があるから思いやりが持てるわけで、うまくいっている夫婦の話です。まず、誰よりも正しい奥さんであろうとするのをやめるのはどうでしょうか。今していることのうち、もうできないと思うことがあれば、休んだりやめたり手を抜いたりしてもいいと思います。積み上げたものを手放すようで気が進まないでしょうけど、しんどいときには有効です。自分が弱ったときにだけ、見えてくる世界があります。ずっと正しく、強い人には見えてこない世界です。それを少し、見てみてください。正直、夫婦関係については、私はうまく言うことができません。長い年月を経て、憎み合っているとばかり思っていた夫婦が案外そうでなかったり、愚痴ばかり言っていた夫婦がすごく強く結びついていたりする例も多いので、判断がとても難しいんです。年月を一緒に過ごしていく、ということには、何か愛情とかを超えた大事なものがあるのかもしれない、と感じていますが、自分では経験したことがないので、なんとも言いようがないのです。けれど、今感じていることはきっと、大事な経験になるはずです。「正しくないのに愛されている」ということを不思議に思ってらっしゃるのなら、今こそ「正しさ」や「努力」について考える機会なのだと思います。それを評価してくれる友人や家族に助けてもらうべきなのかもしれませんし、その努力が自己満足なのかどうかを考えるべきなのかもしれません。「弱さ」や「正しくなさ」についても、考えるときなのかもしれません。「弱さ」や「正しくなさ」を受け入れて、共有できる関係も、いいものではないでしょうか。ひとつの可能性として、そうしたことを少しだけ考えてみてください。「正しいから必ずしも愛されるわけではない」は、「正しくなくても、弱くても、愛される資格はある」と同義です。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ女子をこじらせて (幻冬舎文庫)出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年10月22日テレビの背面をじっくり見たことがありますか? 実は、テレビの背面には壁に掛けて使うためのネジ穴があります。このネジ穴はVESA規格という統一規格。ここでは、このネジ穴を利用してテレビの背面に収納場所を設ける方法をお伝えします。○テレビの背面には統一規格VESAのネジ穴がある昨今出回っている薄型テレビですが、モニターの背面を見ますと、多くの製品にネジ穴が4カ所あいていることがわかります。これはVESA (ベサ) 規格という、映像機器の様々な統一規格の1つで、モニターやテレビを壁にかけたりするためのネジをつけるネジ穴です。ネジ穴の間隔も、400x300、300x300、200x300、200x200 (いずれも単位はミリメートル) などとなっています。また、ネジ穴もたいていがM4やM6というネジ (ボルト) が使用できます。○テレビ裏のVESA規格のネジ穴を使った製品も多数壁掛け用金物やモニターアームはもちろんですが、このネジ穴を活用するための様々な製品 (ハードディスクや小型PC、配線をうまく隠すためのボックスなど) が登場しています。しかし、いずれも数千~数万円と値が張るのも事実です。○ネジはホームセンターで、収納場所の作成は100均グッズで!ネジはホームセンターで容易に入手できるM4やM6という安価なネジを使用しています。手持ちのテレビの型番を元にメーカーのWebサイトで調べれば、VESA規格のうちの、どのネジを使えばいいのかがわかります。また、背面に作る収納用のグッズとしては、メッシュ状になっているカゴや加工が容易なプラスチック製のコンテナが利用できます。今回はどちらも100円ショップで購入しました。○取り付けは簡単! ネジで留めるだけメッシュ状のカゴは、ネジを軽く留めたあとに、ひっかけて、固定するだけ。ネジ穴は1つだけ使ったので、この場合はドライバー1つで取り付け完了です。プラスチック製のコンテナは、4つのネジ穴のうち、上2つを使います。ここでは、ネジ穴の間隔が30cmとなっていましたので、コンテナは横幅33cmほどのものを用意し、30cmの間隔でドリルを使って穴をあけました。取り付け方法は、コンテナにあけた穴にM6のネジを通して、テレビ裏のネジ穴に固定するだけです。もともとテレビの自重を支えて壁にかけるだけの強度があるので、多少重たいものでも大丈夫なようです。リモコンや使用頻度の高いケーブルなどの収納にピッタリでした。ここではネジ穴1つ、または2つを利用する方法を紹介しましたが、VESA規格のネジ穴は4カ所用意されていることが多いので、さらに工夫する余地はあると思います。ケーブル収納に! テレビの壁掛け用ネジ穴を利用し裏側に収納場所を作る方法執筆:Ulasam手工芸、民族音楽を愛するギャラリー&ショップ店主。「モットーは創意工夫」ということで、日夜、DIYやハンドメイドの情報収集と実践に明け暮れる日々。実は調理師の資格も持ち、料理の腕前もかなりのもの。本稿の内容を実行したことによる損害や障害などのトラブルについて、執筆者および編集部は責任を負うことができません。記載内容を行う場合は、その有効性、安全性など十分に考慮いただくようお願い致します。記載内容は記事掲載日時点の法令や情報に基づいたものです。また紹介されている商品やサービスは、すでに提供が終了していることもあるほか、入手先など記事に掲載されている情報のみとなり、お問い合わせに応じることができません。記載内容を参考にしていただき、ご自身の暮らしにお役立ていただけますと幸いです。
2015年09月20日朝晩涼しい日々も増えてきましたが、日中の日差しはまだまだ夏ですね。暑い日に食べたいフルーツと言えば冷え冷えのスイカで。ところでご存知ですか?スイカって熱中症予防から美肌効果など美容健康にものすごい効果があるフルーツなのです。イメージは夏のフルーツですが、スーパーなどではカットフルーツとして一年中食べられます。是非、スイカ効果を確かめてください。■1.熱中症対策スイカは90%水分です。スイカにはその水分だけでなく、「糖分」や「カリウム」、「カルシウム」などミネラル成分、「ビタミンB」、「ビタミンC」などのビタミン類が豊富にも含まれているので、熱中症対策には最適な食べ物なのです。そこに塩を少々かけて食べると、スポーツドリンクと同じような効果がでるそうです。水分は熱中症の予防に重要といわれていますが、暑い日は水を飲むよりスイカを食べる方が、水分やミネラル分も同時に取ることができ効率的なのです。■2.冷え、ムクミに効くスイカには「シトルリン」というアミノ酸の一種の成分が含まれています。実はこの成分が血管を拡張し、体内の血流を改善するとともに、体内の活性酸素も分解する効果があるのです。これにより、手足のムクミや冷えを改善することができます。「シトルリン」には血流の改善効果があることから「薄毛」や「動脈硬化」の予防も期待できるようです。■3.美容効果スイカには新陳代謝を促し肌の健康を保つ「ビタミンA(B-カロテン)」や、老化の元である活性酸素を除去する「リコピン」が豊富に含まれています。よく「リコピン」と言えばトマトを想像する方も多いと思いますが、実はスイカにはトマトの約1.4倍もリコピンが含まれているそうです。さらには、シミやシワの予防に効果のある「ビタミンC」も豊富に含まれているので、スイカは美容に欠かせないフルーツなのです。■4.ダイエット効果スイカは糖分が多いので太ると思われる方は多いと思うのですが、実はダイエットに最適なのです。水分が90%のスイカのカロリーは、わずか「37kcal/100g」しかないのです。これはゴボウ100gと変わらないカロリー。しかもほとんどが水分なので満腹感も得られるため、ダイエットにはもってこいなのです。更に「食物繊維」も豊富に含まれているので、排泄を促す作用があることから便秘気味の方にもお勧めの、まさに万能フルーツです。■おわりにどうですか、みなさんスイカパワー見直しましたか?1日200g程度食べるのがお薦め量だそうです。しかも朝スイカがお薦めです。睡眠中に失われたブドウ糖と水分を一緒に補う事ができ、朝から頭がシャキッとします。是非、朝の食卓にスイカを加えてください。(下山一/ライター)
2015年09月15日布製や木製のおもちゃは、ぬくもりがあっていいですよね。特に布製のものは、丸洗いもできて衛生的でもあります。 子どもが小さい時、男の子でも女の子でも必ず遊ぶのがボール。ボール遊びは、基本的に外でするものですが、まだ外で遊べない赤ちゃんや、室内でボール遊びがしたい時に重宝するのが、布製のボール。布製ならば、当たっても痛くないですよね。しかし、サッカーボールや野球ボール型の布製のボールは、手作りするには型紙が必要になります。でも、持ってない。そんな時は、穴あきボールなら簡単に作れます。今回ご紹介する穴あきボールは型紙が不要で、並縫いができれば作れますし、穴が開いているので、握る力の弱い赤ちゃんでも握ることができます。用途や子どもの成長に合わせてサイズを変え、小さいものから大きなものまで、幅広く作ってみるのもいいですね。型紙不要! 新生児から小学生まで遊べる布製穴あきボールの作り方<材料>正方形の布 12枚(今回は4.5cm四方)手芸綿 適量針 1本糸 適量<作り方>布を中表に合わせ、1辺(返し口)を残して並縫いします。返し口から表に返して、綿を詰めます。返し口を縫って閉じます。四角いクッションができればOKです。同じ要領で残りの布も縫って、全部で6個、クッションを作ります。クッションの角を縫い合わせていきます。この時、クッションとクッションのすき間が三角形になるように合わせます。6個を全部つなぐと、ボール状になり、完成です。 今回は、4.5cm四方の布を使って、小さいボールを作りましたが、10cmや12cmなど、布のサイズを変えると、大きめのボールも作れます。育児で忙しい方も、1日1ピースずつ作っていけば、1週間で仕上げることができます。これくらいであれば、苦にならないのではないでしょうか。縫い合わせた角に鈴をつけると、音が鳴って、もっと楽しくなります(この場合、鈴が当たると多少痛いので、遊び方に注意しましょう)。また、中央の空洞には、ガチャガチャのカプセルにカラフルな子ども用の大きなビーズを入れ、しっかりとテープで止めたものを入れておくと、音や色を楽しみながら遊ぶことができます。(Aya)
2015年09月05日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(えん/10代/女性)私には友人がいません。過去にいたことはあるのですがいろいろあって疎遠になりました。現在浪人中なのですが、予備校には行っておらず、アルバイトもしていないので会話する他人は家族しかいません。これまではそのことを特に気にしたことはなかったのですが、今になって趣味のことを話し合える友人が欲しいと思いました。私はジャニーズが好きで、ついこの間コンサートに行きました。周囲に、楽しそうに好きなアイドルのことを話す人がたくさんいて羨ましくなったのです。どうすればいいのかと考えて、ツイッターを始めてみました。始める前は、面白い人がたくさんいるし、この人たちと話せたらいいなあなんて思っていました。しかし、そんな簡単にいくはずもなく、私が話すことはつまらないことばかりで、面白いと思う人のようにはいきません。フォローし返されることもなく、どうして興味を持たれるような面白い話ができないのかと自己嫌悪に陥りました。話をしたいのなら自分から話しかければいいと思うのですが、知らない人間に突然話しかけられたらどう感じるだろうかと考えて怖くなります。ツイッターを見てみると楽しそうに友人と話している人がたくさんいて、どうして私にはできないのか、何が足りないのか、という劣等感が溢れて気持ち悪くなってきます。ぐるぐるして、よくわからなくなってきて、私は本当に話をしたいのだろうかという疑問が浮かんできます。こんなくだらないことに頭を悩ませてまで好きなことの話を他人としたいのだろうか、と。結局、好きを共有したいというよりただの承認欲求な気がしてきて、そんな自分に嫌気がさします。友人がいない自分がとても駄目な人間に思えて苦しいです。もうやめようと思うけれど、もう少し続けたら何かあるかもと期待してしまいやめられません。そうしてまたいろいろ考えてしまいます。アルバイトやなんなりで外に出たほうがいいのではと思いつつも、経験のないことをするのは怖くてできません。言い訳ばかりしてほとんど動いていない自分にも、浪人中なのにこんなことに頭を悩ませている自分にも飽き飽きします。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、若い子は麦茶でいいよね!飲み飽きてる?でも普通のジュースとかも飲み飽きてるでしょ?カルピスをコーラで割るとおいしいって知ってるかな?趣味悪いけどドリンクバーでときどきやっちゃうんですよね……。はい、カルピスコーラ、どうぞ。まず、これだけは最初に言っておきたい。えんさんが今、足を踏み入れたばかりのジャニーズファン、要するにジャニオタの沼って、面白さのレベルがハンパなく高い場所なんですよ。面白さのレベルも高けりゃ熱量とかテンションも高い。専門用語もバンバン出てくる。受験勉強に必要なぐらいの知識量をガツガツと自主的にインプットし続けている、いわばオタクのエリートのような存在、それがジャニオタです。身近にチラホラいるのでお見かけしますが、労力とか手間暇とかお金とかいったいどうなってんだ!?というレベルの人たちがバンバンいます。私はジャニーズに詳しくないので、内輪でしか通じないネタや世間一般で有名でない人の話はよくわからないですが、それでも、面白レベルの高い世界であることはビンビンに伝わってきます。正直、浪人もしてない大の大人が全力を注ぎ込んで追いかけ、学んでいるつもりもなくひたすら愛ゆえに情報を得て、上司の目を欺くソフトまでインストールしては仕事をする間も惜しんでSNSにいそしんでいる世界に、まだ10代で勉強もしなければならず、お金も時間も制約が大きいえんさんが飛び込んでゆくのは、オリンピックのトラックに間違って陸上部員が出てきちゃったぐらいの力の差があることなのです。やってる競技は同じでも、こう、レベルの差というか、走ってる姿が速すぎて見えないというか……。その差をえんさんは純粋に「面白さの差」「コミュニケーション能力の差」だと捉えて落ち込んでおられるようですが、ジャニオタの世界なんてレベルが高すぎて、もう多少の徳の積み方では歯が立たないですよ!それ普通ですからね!私なんて自分の主戦場である宝塚の世界ですら、全然ついていく自信、ないですもん……。濃度の高いファン同士の会話ってスピードがすごいんですよ。ラリーが速いし会話の基礎体力も熱量も知識量も全然違うんです。そこに飛び込んでいって、面白さで注目を浴びることができるのは、神を愛し、その神に愛された者だけなのでは……?と思います。常人ならば、会話の内容を追いかけて理解するだけで精一杯です。浪人されているえんさんに、あまりSNSのことを言うのもどうかと思いますが(SNSは時間泥棒ですからね)、せっかくツイッターを始められたのでしたら、ジャニーズ系の発言の多いアカウントを幅広くフォローしてみてはいかがでしょう。中心となっているように見える人、フォロワーが多い人は、十分ジャニーズに詳しく、面白い発言のできる人かもしれません。でも、中にはシンプルに情報を発信する人、自分の意見は最小限にとどめ、主にリツイートなどで情報を発信している人もたくさんいるはずです。「面白い」といっても、その面白さにはさまざまな種類がありますし、発言内容が面白いものでなくても的確な情報を伝えてくれる人もいれば、逆に変な噂を真に受けてしまう人もいるでしょう。たいしたことを書いているわけではないけど、なんとなく感じの良い人や、逆に読んでいて嫌な気持ちになるようなことを書く人もいると思います。世の中は「面白い人」ばかりではできていませんし、熱量の高い人ばかりでもできていません。面白い人同士の目にも止まらぬ勢いのやりとりは見ていて楽しいですが、ついていけないこともしばしばです。そして、「ついていけない」と感じる人は、自分のほかにも必ずいます。えんさんが「この面白さ、ついていけない」「仲間には入れないのかもしれない」と感じたなら、同じように感じている人が必ずいます。そして、「そんなに面白いこと言えない」人は、もっとたくさんいます。というか、それが世界の主流です。えんさんのご家族は、毎日なんか面白いこと言ってますか?そうでもないですよね(ものすごく面白いご家族だったらすみません)。でも、親しい関係だと、しょうもないことでよく笑うこともあります。えんさんがコンサートで目撃された、「楽しそうに好きなアイドルのことを話す人」と、それを受け止めている周りの人たちは、そういう関係なのでしょう。逆なんです。「面白い」から友達ができるのではなくて、友達になったからつまらないことでも面白く共有できるんです。そしたら、どっちも「特別に面白いわけではない人間」同士でも、お互いにとっては「面白い人」「話して楽しい人」になります。「面白い」人のツイッターやブログについて「あの人、本当に面白い!」と言い合う友達、という関係だってあります。いや、そんなことよりも中心人物になって、「面白い」という万人からの承認を得たいんだ、という気持ちもわかります。まぁ、ライターというのはだいたい、そういう欲求をもった人が選びがちな職業ですし、私はまさにそういう人間ですからね……。そういう野心のような承認欲求や、自分でも理由のわからない欲望に突き動かされて、ときには泣くほど苦しんだり、欲しいものが得られないから、自分はダメな人間なのだと思い込んだり、そういうこともありますよね。承認欲求と友情というのは、本来別の話のはずなのですが、密接なつながりがあります。友達なのに、その友達に認められたくて必死になってしまったり、自分よりもその友達のほうがみんなに人気があれば、嫉妬したり。それ以前に「友達ができない」という悩みを乗り越えるのが難しくて、誰にも認められていないように感じたり。でも、これは、どこかの時点で経験しておいたほうがいいことのように私には思えます。あの不器用な、自分で自分が何者なのかわかっていないままぐしゃぐしゃにもがいた期間がなければ、今頃どうなっていたか。そのぐしゃぐしゃの期間の自分の無様さを思い出すのも怖いですが、あの期間がないまま今まで来てしまった自分を想像するのはもっと怖いです。嫉妬や、誰にも相手にされないのではないかという不安、友達がいない悲しさや寂しさは、それを嫌というほど経験しないと、自分がいったいどういう関係を求めているのか、どういう欲望を持っているのか、どうなれば満足できるのか、いい関係を築けるのか、見えてこないものです。見えてこない時期も、失敗が続く時期も苦しいものですが、自分がどんな欲望に突き動かされているのか気づけないほうがよっぽど怖いです。はっきり「承認欲求なのだ」「いや、友情が欲しいだけなのだ」と言えなくてもいい。でも、「何か得体の知れない欲望が自分を振り回している」ということだけ把握できていれば、格闘の末に自分が何を望んでいるのかは見えてくるはずです。そして、不思議と、等身大の自分というものが見えてくると、人付き合いはぐっと楽になります。私のような年齢になっても、友達付き合いで悩むこともあれば、新しい友達ができることもあります。無理せずに付き合える友達ができるようになるんですよね。昔からこんなだったわけではなく、学生時代はクラス替えのたびに春休みいっぱい毎晩号泣してましたから、思えば遠くへ来たものです。自分も上手な付き合い方を少しは覚えてくるし、同じくらい年齢や経験を重ねた人たちも、上手な付き合い方を知っているので、楽になるんです。失敗した落ち込みから立ち直るのも上手になります。SNS上でのことで少しだけアドバイスすると、いきなり話しかけても「誰?」状態になるので、面白いと思った発言をふぁぼっていくことから始めましょう。フォロワーが大量にいる人や、発言はするけどいちいち反応はチェックしないという人以外だったら、「この人、自分の発言を面白いと思ってくれてるんだな」と気づくと思います。その上で共有できそうな話題があれば、できるだけ丁寧かつ簡潔に話しかけるといいのではないでしょうか。返答をしなければならない疑問形は、知らない人とやりとりをしたくない人にとっては負担になるので、例えばドラマの話題なら「初めまして!◯◯さんの話題なので思わず話しかけてしまいました。こういう役らしいですね。私も◯◯さん好きなのですごく楽しみです!」程度の軽さがいいのではないかと思われます。基本的に、SNSで知らない人から話しかけられても、それは道端で知らない人から話しかけられるようなもの。無視されても「自分が悪い」んじゃなくて、「知らない人とは話したくない」人のほうが多数であると心に刻んでください。SNSに時間を割かないようにしている人も大勢いますから、そういう人にとって、会話は負担なのです。でも、SNSで自分が好きなものについて発信していると、思わぬところでつながりができたり、普段の生活では知り合わないであろう友達と知り合えることもあります。あまり考えすぎず、人間関係の練習、友達を作る教習所に行くような感覚で、ツイッターを使ってみてください。友達や、承認欲求の問題は、長い時間をかけて向き合っていかなくてはならないことが多いです。これらのことを考えるとき、自分につらくあたることが「向き合う」ことだと勘違いしがちですが、本当に大事なのは、長い長いその期間を耐えるために「楽しく息抜きをすること」です。そのことをどうか、忘れないでくださいね。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年08月21日ママ友や子どもたちを誘って海水浴に行く時は、みんなでスイカ割りを楽しんでみてはいかがでしょう? 浜辺でのスイカ割りは、意外に盛り上がるもの。そこで今回は、大勢でスイカ割りを楽しむ方法、スイカ割りをする時にあると便利なものなどをまとめてみました!スイカ割りをする時に必要なアイテムスイカ割りをするなら、次に挙げるものを用意しておきましょう。スイカスイカを割るための棒ブルーシート(大きめのもの)目隠しに使うタオルや布水(汚れを落とすため)基本的には上記のものを準備しておけば、スイカ割りを楽しめます。ブルーシートの上にラップをかけておくと、スイカをより衛生的に食べることができますよ。楽しむだけでなく、子どもたちが安心して食べられるような環境を整えることも大切です。棒の種類にも配慮してみて大勢でスイカ割りをするのなら、棒の種類にも配慮が必要です。みんながそれぞれ数回スイカ割りに挑戦できるように、あまり堅くない棒を用意しておきましょう。金属製のバットのような、固いものでスイカ割りをするとすぐに割れてしまい、一度も参加できない子が出てくるかもしれません。それを防ぐためにも、細めで柔らかめの棒を用意しておくのがおすすめです。棒の種類によってスイカの割れ方も違ってきます。子どもが持ちやすい太さ、長さのものを選ぶとよいですね。スイカ割りは立派なスポーツスイカ割りには公式ルールがあることをご存知ですか? スイカ割りはれっきとしたスポーツなのです!簡単に公式スイカ割りのルールについて紹介しましょう。スイカと割る人との距離は5m以上7m以内棒は直径5cm以内、長さは1m20cm以内とする目隠し用の布は手ぬぐいかタオル使用するスイカは日本国産のものに限るスイカを割る人1人と、それをサポートする複数の人で構成される。サポーターは「右だ」「もうちょっと左」など指示を出すことができるスイカを割る前に目隠しをした状態でその場で右回りに5回と2/3回転するこのほかにもさまざまな公式ルールが決められています。せっかくですので、この機会にスイカ割りの公式ルールをチェックしてみてはいかがでしょうか?夏休みのステキな思い出作りにも最適! 子どもたちもきっと盛り上がって、楽しんでくれるはずです。最後に、スイカ割りをした後は、周りに飛び散っているかどうか、きちんとチェックしてください。そして、「来た時よりも美しくして帰る」をモットーに、きちんと片付けてから帰りましょうね。(ライター:RUREI)
2015年08月09日那須どうぶつ王国(栃木県那須郡那須町)は8月7日~9日、「鼻の日イベント 動物の鼻かけまずる?」を開催している。○動物の鼻の不思議を、絵を描いて学習できる8月7日は「鼻」の日。同イベントは、子供たちの「動物のお鼻ってどうなっているの? 何のためにこんな形なの?」などの疑問に対して、動物の鼻を実際に見て、絵を描いて学習できるものとなる。参加者特典として、専用テキストやその日しかもらえないシールも付いており、自由研究の題材としてもぴったりなものとなっているという。開催期間は、8月7日~9日。1日2回開催で、午前中は「動物の鼻の不思議についてのお話し」、午後は「答え合わせなどのお話し」を実施。時間は、午前が9時~/10時~(各回30分程度)、午後は15時~/16時~(各回30分程度)。9時もしくは10時の講話の後、自由に園内を回りながら、動物の鼻を観察。15時もしくは16時の講話では、答え合わせと、テキスト専用のシールのプレゼントを行う。集合場所は、同園 那須五峰の湯 2階休憩室。定員は各回20名程度(定員になり次第受付を終了)。参加方法は、メールでの事前予約制。参加費は無料(別途入国料は必要)。対象は、動物の体の仕組みに興味のある小学生以上の子供とその保護者。
2015年08月07日お家でキレイにメイクしても、外に出た瞬間に熱気で顔全体がドロドロに。なかでも「鼻のテカり」は他の部分よりも気にしちゃいますよね。化粧を直す暇もないまま、仕事をしているうちに鼻がテカっていた!なんてことも日常茶飯事では?いつでも涼しげな印象をもってもらうためにも鼻のテカりを抑えるテクニックを学んでおかないと♪そこで今回は『時間が経つとテカテカに…鼻のテカりを抑える方法2つ』をご紹介いたします。■「テカり」の原因は?鼻のテカりは「皮脂」の過剰分泌によって起きているといわれています。しかし、皮脂を取り除こうと洗顔の回数を増やしたりすると、さらにテカりが目立ってしまいます。皮脂は本来、肌にとっては必要な成分。皮膚の水分を蒸発するのを防いだり、雑菌の侵入をブロックし増殖を抑える働きもあります。テカりをどうにかしようと、ファンデーションを重ね塗りする人がいますが、これでは、皮脂の分泌を促しているだけであって正しい対処法とはいえません。■ティッシュで拭きとる鼻のテカりをあぶらとり紙でとる人もいますが、必要な油分までとったり、場合によっては肌を傷つけることもあるので、あまりオススメはできません。あぶらとり紙の代わりにティッシュで軽くおさえて、鼻のテカりを取り除いていきましょう。拭きとるときも「ゴシゴシ」ではなく優しくそっとおさえるようにティッシュオフしましょうね♪■洗顔方法を見直す普段、Tゾーンをゴシゴシと洗いすぎていませんか?自分ではちゃんとしているつもりでも、意外とお肌を傷つける洗顔の仕方をしているものなんです。お肌の健康を保つためには、優しく洗うことが大切。洗顔フォームを少量手のひらにのせ、よく泡立ててから、優しく洗っていきましょう。洗顔後の保湿ケアも肌質に合わせた方法を取り入れてくださいね。いかがでしたか?鼻のテカりが気になると、どうしても手っ取り早く済ませようとして、ファンデーションを何回も重ね塗りしてしまいますよね。しかし、これではさらに状態を悪くしているだけ。これからは、メイクで隠すのではなく、ティッシュなどで軽くおさえて取り除いてあげましょう。
2015年08月01日7月27日はスイカの日です。スイカの表面にある縞 (しま) 模様を綱にたとえ、27日を2 (つ) 7 (な) と語呂合わせで読むことから今日に定められたそうです。○スイカの購入量1位は新潟市スイカは夏の暑い時期に食べるものです。そのため、比較的温暖な気候の地域で消費量が多いと思っている人も少なくないのではないでしょうか。実際にスイカの年間購入量1位となっているのは新潟県新潟市です。冬は豪雪地帯としても有名な新潟県ですが、総務省統計局が行った1世帯あたりのスイカ年間購入量の調査 (平成24~26年平均、都道府県庁所在市及び政令指定都市を対象) では、1位の新潟市が7,653g、2位の名古屋市が6,330g。1位と2位で大きく差が開いています。○新潟はスイカの名産地新潟県内は国内有数のスイカの生産地でもあります。新潟県内では「新潟すいか」「八色スイカ」などが栽培されていますし、県内の南魚沼市ではスイカ食べ放題のイベント「八色スイカまつり」(8月10日まで) など、スイカの名産地ならではの催しも行われています。ちなみに7月27日はスイカの日のほかに、以下のような記念日にもなってます。・政治を考える日本稿の内容を実行したことによる損害や障害などのトラブルについて、執筆者および編集部は責任を負うことができません。記載内容を行う場合は、その有効性、安全性など十分に考慮いただくようお願い致します。記載内容は記事掲載日時点の法令や情報に基づいたものです。また紹介されている商品やサービスは、すでに提供が終了していることもあるほか、入手先など記事に掲載されている情報のみとなり、お問い合わせに応じることができません。記載内容を参考にしていただき、ご自身の暮らしにお役立ていただけますと幸いです。
2015年07月27日甘くてみずみずしいスイカは夏のデザートにうってつけですが、実は美容に欠かせない食べ物だといわれています。理由はスイカに秘められた4つの美容成分!ひとつ目は、高い抗酸化作用で知られるリコピン。老化の原因となる活性酸素から守ってくれることで知られていますよね。リコピンといえばトマトのイメージがありますが、実はスイカに含まれているリコピンはトマト以上だといわれています。2つ目はシトルリン。これは血管の若返りや血流改善を期待できるスーパーアミノ酸のこと。血行を促すため、むくみの解消に効果的といわれています。またコラーゲンの生成を促す効果もあり、肌の保湿や紫外線から肌を守ってくれるともいわれています。シトルリンは果実よりも皮に多く含まれているので、お漬物などにして食べるのがおすすめです。3つ目はβカロテン。βカロテンは摂取すると体内でビタミンAになり、肌荒れやシミやシワなどに効果を発揮します。にんじんやほうれん草に多いイメージですが、実はスイカにも含まれているのです。そして4つ目がビタミンCです。すでに知られている通り、ビタミンCは美白やコラーゲンの生成に力を発揮する、美肌に欠かせない成分ですよね。このように美肌にうれしい成分がぎゅっと詰まったスイカ。今年はスイカパワーで夏の強い日差しからお肌を守ってあげましょう。
2015年07月17日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。親しくしている友人の「インターネットの人」としてのSNSへの投稿を見ることをやめられません。それはいわゆる「裏アカウント」というよりは、むしろ彼女にとっては「表」のようです。彼女は、リアルの友人とのやりとりは別のアカウントを使用しており、私とのやりとりもそっちでしています。見つけなければよかったのに、ほんとうに偶然、インターネットの中でのもう1人の彼女を見つけ、毎日こっそりチェックしてしまいます。「インターネットの人」としての彼女は、親兄弟や友人に見つかるのが恥ずかしいような言葉遣いをしているのでもなければ、なにか際どい趣味について書いているのでもありません。日常の出来事や彼女が思っていることを投稿しています。それは私の知っている彼女の人柄が表れた短文で、普段の会話などで感じる聡明さや、センスのよさが際立っています。ただ、内容自体は彼女や周囲の人間の言動に事細かに触れているので、知り合いには見せたくないのだと思います。私も見つけたくなかったです。私が彼女に送った言葉や、共有した本や音楽について、そして私自身の内面についての指摘などが、私の見知らぬところで詩的な断片として誰かに消費されていることに、言いようのない気持ち悪さを感じます。決して悪口ではないんです。私のことを大事な友人だと思ってくれていることが、私の目に触れないように書かれた文章であっても伝わってくることがあります。でも私が、彼女にだからこそ話してきた私の女としてのこじれや恋愛の近況が、一種の詩のような、フィクションのようなきれいな短文となって、ときには私が彼女に送ったLINEの文章がまるっきりそのままで、インターネットの海に流されていること。場合によっては彼女の(私に向かっては言ってこなかった)あけすけな感想が付いていること。それらに見知らぬ人が星をつけていくこと。こうしたこと全部に「まいったなあ」と苦笑いしています。私は傷ついているのかもしれません。自分の気持ちがもうなんだかよくわかりません。このアカウントを見つけてからも、彼女のことは嫌いではないですし、顔を合わせると嬉しいし一緒にごはんも食べに行きます。これからもいろいろな話をしたいです。でもしないほうがいいのかなとも最近は思います。私のこと以外にも、共通の友人知人に対して彼女がどんな風に思っているのか、私と話しているときよりも(かなりざっくばらんな話をしているのですが)更にひとまわり本音に近い形で発露された文章を目にしてしまうと、なんだかよくわからないダメージがあります。なんだか不思議だなと思うのは、私が彼女と全くの赤の他人で、インターネットの中でのアイコンと短文が彼女について知っているすべてだったなら、きっとすごく面白かっただろうなと思うことです。知らない人の知らない日常はもうフィクションですよね。そうやって味わうのだったら最高に魅力的な文章だっただろうし、実際に私もそうやって見知らぬ人のブログやツイッターを楽しんでいます。エッセイを読むときも同じです。彼女は自分や周囲の人間の個人名は一切出していませんし、住んでいる地域もおおよそしかわからないようにしてあります。でも、私のように読む人が読めばわかってしまうような投稿ですし、読んだ人の気持ちについて想像してみることはできるはずです。そうした可能性を彼女がどこまで考えているのかはわかりません。見つからないだろうと思っているなら少し呆れてしまうし、見つかってもいい(傷つかないだろう、または、傷つけてもいい)と思っているなら正直怖いです。でも、堅苦しい言い方ですが彼女の表現の自由にケチはつけられないし、私が見なかったことにすればいいだけなんですよね。それも難しいから困ってしまいます。2015年、近未来だなあ、と思う毎日です。(みどり/20代前半/女性)(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)はい、とりあえずそのスマホを伏せていただきましょうか。ほんのちょっとの間ですから、我慢してくださいね。スマホに塩水こぼしたらヤバいとよく聞きますので、ソルティードッグとか出しちゃいますよ。これでスマホを表に向ける勇気、なくなりましたよね。まず、私が懺悔しなくてはならないのですが、みどりさんのお話、すごく面白いと思ってしまいました。人は誰でも、接する相手によってある程度人格を使い分けています。友人に見せる顔、恋人に見せる顔、家族に見せる顔、仕事で見せる顔……それが全部同じだという人は珍しいでしょう。「この相手になら、ここまで踏み込んでもいい」とか、「ここまで自分をそのまま出してもいい」とか、逆に「自分の意見は隠しておかなければ」とか、そうした判断を私たちはほぼ無意識的に行っています。例えば、私は昔から「つきあっている人の友達に紹介される」という儀式が非常に苦手で、ほとんどやったことがありません(彼氏がいた時期が少ない、ということも関係していますが……)。これは「どういう人格でいればいいのかわからない」ことが大きな理由です。どういう「彼女」でいることを要求されているのかがわからないのです。そこで「いつもの、個人としての自分」でいることができないし、人前ですから「彼氏といるときの自分」でいることもできない。自分が接する相手が二種類、同時に存在することで、場も二重になってしまうのです。結局、それに慣れることができないまま、今まで来てしまいました。みどりさんのお友達にとって、インターネットはそうした「使い分けている人格」を統合して、誰のことも気にせず、はっきりものを言える場所になっているのでしょう。私は、みどりさんのお友達とほぼ同じ状況を体験したことがあります。それはFacebookです。私は最初、Facebookを「知り合いは承認しない」「友達限定公開」という、かなり珍しい自分内ルールで始めました。というのも、以前一度だけmixiに登録したとき、友人の友人とか、断るのもアレだけど知らない人だし興味ないし……という人から友達申請が来るたびに悩むのが面倒だった、という経験があったからです。また、例えば気の進まない飲み会を「忙しいから」と断ったのをすっかり忘れてひまそうな近況を書いてしまったりすると、気まずいことこの上ありません。名前を出さず、「こういうタイプの人が苦手」と書いただけで「あれってもしかして私のこと?不愉快にしたならごめん」と言われることもあり(もちろん違います)、こちらは「そんなあてこすりを書くような人間だと思われているのか」と余計なダメージを被ったりしたこともあります。メールなどで直接やりとりをしている友人、ちょくちょく会う相手とは、SNSでつながることにメリットよりデメリットのほうを強く感じます。その結果、知り合いがほとんどいないFacebookで、私はなんのしがらみもなく言いたいことを毎日、「そのペースで書けるんだったら、一ヶ月で一冊ぐらい本出せるんじゃないの?」ぐらいの勢いで書きまくりました。だんだん、ライターとしての私個人よりも、その書いている内容に興味を持ってくれる人も増え、私のpostはさらに加速。もう「いいね!」を押してもらうためなら何でもするぐらいの勢いです。多分、みどりさんのお友達は今、この段階にいるのではないでしょうか。その後、私のFacebook熱はどうなったかというと、Facebookを通じて知り合う人なども増え、また本を出版したりと本業での文章を読まれる機会も増え、「普段の自分の人格」「ライターとしての自分の人格」「Facebook上の人格」を使い分けることが難しくなり、今は落ち着いています。という言い方をすると、なんだか高尚な感じがしますが、ものすごく簡単に言うと「実像を知られているから、盛れなくなった」ということです。「本業=Facebook」の人ではいられなくなった、というか……。また、結局知り合いがそこそこ増えてしまったり、知り合いでなくとも憧れていた人、ネット上で好きだった人などが友達の中に加わって増えていくと、全方位に対してリテラシーのあることを書くのが難しくなります。100人以上の人に対し、その人の思想や趣味嗜好、政治信条などを思いやることは不可能に等しいからです。聖徳太子は一度に八人だか十人だかの話を同時に聞いたと風の噂で聞きましたが、一度に大勢の人に向かって当たり障りのない話をするのすら、そこそこ難しいです。そこで全員に向けて話をするなら、聞く人たちが「知らない相手」だと仮定して話をするほうがずっと楽です。おそらく、お友達は「見つからないだろう」と高をくくっている部分もあるのでしょうが、それ以上に「知人相手ではなく、知らない相手に対して話すことの気楽さ」の中毒になっているのだと思います。そして、見つかったとしても、実際に会っている関係のほうがネット上での交流よりもずっと重いのだから、修復可能だという思いがあるのではないでしょうか。ネット上に書いていることのほうが本音に見えるケースはままあります。きついことを書いているほうが本音に見える場合も多いです。けれど、必ずしもそうだとは言えないのが人の不思議なところです。例えば、短いスパンでは腹を立てていても、長いスパンではむかついた相手と縁を切りたいとまでは思っていない、ということはよくありますよね。意見が合わないことがいくつかあっても、関係を続けたいと思っていることもあります。一見、瞬間的に爆発した怒りや、合わないと感じた瞬間のほうが「本音」に見えますが、「合わないところがあっても、友達でいたい」のほうが、本音だったりすることもあるわけです。みどりさんのお友達の場合、おそらく「読まれる快感」が今は非常に強いでしょうから、無意識のうちに読者を意識して、事実よりも過激に書いている部分もあると思います。「文章として面白いかどうか」「注目を浴びる文章かどうか」のほうを優先させてしまっている状態でしょうね。本音もなくはないかもしれませんが、100%本音だと受け取るのも違うと思います。それを見てしまったみどりさんの気まずさも相当でしょうが、まぁ、見られていることをお友達が知ったら……。私だったら瞬時にログを全消ししますね。それでも恥ずかしさに耐えられず、フローリングをかきむしりながら「穴があったら入りたい!」と思うことでしょう。私も、職業としても、個人としても、みどりさんのお友達と似たようなことをしています。エッセイに友達の発言を書いたり、SNSにも……。なので、このことに対して、お友達を非難できる立場ではありません。リテラシーの面から見ても、みどりさんのお友達はちょっと問題があると感じますが、それなら私にも問題があることになります。ずっと重く、大きな問題があります。なので、そこについてはなんとも言い難いものがあります。が、現実的にみどりさんの気まずさと「読む人が読めばバレバレの場所にプライバシーを晒される危機感」を解消しつつ、友人関係は続けたいという思いを解決する策を考えるとすると、お友達がご覧になっているSNS上に、このサイトへのリンクを貼るのがいちばん簡単で効果的なのではないかと思います。あてつけなのでは?と思われないように必ず「自分も知らないうちにやっちゃってることがあるかも。気をつけなくちゃ」ぐらいのコメントを添えてくださいね。それでログ全消しが行われなかったら、その後の彼女のネット活動とみどりさんのお気持ちの推移をまたぜひ報告してください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年07月17日赤城乳業は6月30日、「ガリガリ君スイカ」(税別60円)を期間限定で発売する。同商品は、2010年~2014年夏の販売期間に計2億3,000万本を売り上げた「ガリガリ君梨」に代わる夏の新定番として登場する。スイカ味のアイスキャンディーの中に、シャリシャリとした舌ざわりのスイカ味のかき氷を入れた。中に入れたかき氷の配合を調整したことで、本物のスイカのような食感に仕上がったとのこと。販売期間は9月までを予定している。
2015年06月26日手作りのイタリアンジェラートショップ「マリオジェラテリア」を運営するフェディーは7月1日より、マリオジェラテリア4店舗で、期間限定ジェラート「スイカ」と「ココナッツマンゴー」を販売する。○塩ジェラートの先駆けショップが贈る、"塩をかけて楽しむ"新作同店では塩をジェラートに取り入れ、次々に新作の展開を行っているという。今回、ジェラート本番の季節に販売する夏の新作塩フレーバーとして開発したのは、ユーザー自身が塩をかけ楽しむ「スイカ」ジェラート。「マリオジェラテリア」の特徴である口溶けの良さを生かしながら、果汁をふんだんに使ったスイカのみずみずしさあふれるフレーバーになっているという。そのままでももちろんのこと、塩をかけることで甘みが増し、味の違いを楽しめるとのこと。塩には、スイカジェラートに合う味わいや食感の異なる3種の塩を同店の塩ソムリエがセレクトした。「イタリア バイオサル」は、塩分の濃いシチリアの海水を蒸発させ手作業で採塩した、ヨード、カリウム、マグネシウムを多く含む塩。はっきりとした辛みと、カリウムの特徴である酸味がほのかに感じられ、甘さとフルーティー感が増すサラサラした細かい粒子の塩だという。沖縄海水100%使用の「沖縄 ちゃたんの塩」は、塩辛さだけでなく甘さのあるソフトな味が特徴。カルシウムが豊富でうまみのある塩がスイカ果汁に溶けると、甘みとうまみも倍増する。粒は細かく、しっとりとしている。「イギリス マルドンシーソルト」は、英国王御用達、世界の有名シェフが指名するという塩。海水を煮詰めて、ピラミッド型の結晶としたフレーク状となる。3種の中では一番まろやかな味わいで、サクサクの食感が絶妙とのこと。また「スイカ」と一緒に、ココナッツジェラートにマンゴー果肉ソースをトッピングした「ココナッツマンゴー」ジェラートも限定で発売する。ココナッツオイルが流行している昨今だが、ココナッツはジェラートにしてもおいしさが際立つ素材となる。相性が抜群なミルクに合わせ、クリーミーに仕上げた。ジェラートながら甘い香りもしっかり楽しめ、甘い完熟マンゴー果肉たっぷりのソースとも溶け合っているという。販売期間は、7月1日~8月25日。価格は、「ジェラートSサイズ(2種類・カップorコーン)」が390円(税込)。「ジェラートMサイズ(3種類・カップorコーン)」は670円(税込)。「ジェラートLサイズ(4種類・カップのみ)」は1,130円(税込)。イートイン、テークアウト可能となる。
2015年06月25日誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか?雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。(サミー/30代後半/女性)私は「ずっと独身でいい」と周りに言い続けていたこじらせ女子の一人でした。あえてそんな主張を人にしなければならないくらい、実は周囲の目が気になって仕方なかったんだと思います。そんな中、30代後半になって、10年以上ぶりに運良く人生で二人目の彼氏ができました。内心舞いあがっていただろう非モテ女の私は、その勢いで、交際1年程で妊娠が発覚して出来婚(本当は私もわざとの不注意の結果です)しました。年齢的にも恋愛、妊娠ともに次は無いという頭の隅の計算と、なによりこの私に子供まで出来たことに感動し、「彼の子ならば」と結婚を考え、幸せな未来があると信じました。そして二人だけの結婚生活はほとんど無いまま無事子供が生まれ、その直後のてんやわんやの頃は楽しかったです。普通の幸せのようなものが手に入ったんだと勘違いしていました。しかし、どんどん寒々とした現実が姿を現しました。最初から感じてはいたものの、自分の家族含め夫の両親、親戚側からの私に対する白い目。元々の知り合いだとか長く交際してきた訳でもなく、付き合ってすぐ30代後半という年齢で出来婚、というのは印象が良くないのは当然ですが、私の地位はまるで無いかのような扱いです。また、仲良くなれたと思っていた年下ママ友に陰で馬鹿にされていた事も知りました。でもここまでなら仕方がないと思えた気がします。問題は肝心のパートナーである夫。最初は子供という存在に慣れないのだと思っていましたが、違いました。自分の子供にびっくりするほど興味が無い。そして私にも甘い愛情どころか関心も無くなったようです。せめて、昔ながらの男性感覚で育児不参加なのだと思いたかったのですが、私や子供がひどい高熱を出しても、ただ面倒くさそうで、体の心配すらしないのです。譲歩して「~だけはして欲しい」といったようにお願いしても、一時変わるだけで意識の変化はほぼ無く、暖簾に腕押し。まるで、彼にとって私は出来の悪い家政婦であるかのような反応をされました。そんな中、夫がこっそりやっていたSNSを見てしまったのが決定打でした。そこには、子供ができた事への義務的な責任感と年齢的に年貢の納め時、と「諦めて」結婚したというような内容の言葉があり、ショックで茫然としながらも全てを納得しました。本気で愛しているわけでも無い女の子供に、深い愛情が無いのは当然だったんだと。一方で、私にとってはお腹を痛めて産んだ子供は宝物です。私が夫の分も愛せばいいんだと、その愛しさは揺るぎないです。ただ、そんな私を試すかのように、子供は乳児の頃から他の子の何倍も手が掛かる子で個性が強いです。知り合いやネットで繋がる人達のお子さんとは明らかに程度が異なり、異常な癇癪、絶叫、不眠、体の弱さ、多動性、まるで融通が効かないこだわり。これはこの子の個性だから包んであげなければと思ってやっていますが、全て一人で対応していたので、夜泣きが続いた数ヶ月はノイローゼ気味になり、手を上げてしまいそうな程でした。こんなに頑張っているのに、父親や義両親、私より早く3人の子供を育てている妹からは、「子供に甘過ぎる」、「言いなりになるから我儘な自己中の子になっている」、「しつけがなってない」、「家庭が作れていないから発達障害みたいな子供になるんだ」とダメ出し。ダメ出しはするのに世話をしてくれる事はなく、こんなに大変なのに、子供の為にも2人目を作れと催促。保育所の先生からも厄介者扱いされているのを感じます。悔しく悲しく、私の自尊心はボロボロになっていきました。そうして40歳手前でなお自意識過剰で見栄っぱりな私は、承認欲求が高まり、パートで仕事をするように。公に認めてくれる場所を求めざるを得なかったんだと思います。仕事をしている自分が好き!の本性は「存在を認められたい、褒められたい」。その結果、仕事中は満たされるものの、身内からは新たに非難されるように。「子供に十分なしつけもできていないのに預けるなんて」、「節約で生活できるはずなのに独身感覚の無駄使いが治らない」、「人の親になった自覚が足りない」……。「子供は生き甲斐」「私が守る」「将来が楽しみ」。ほんの社交辞令で可愛いと言われた事、ちょっとした成長、細かい事まで子供の良さをアピールするようにSNSに書き連ねます。身内に可愛がられない分も褒めてもらいたくて、自分好みの服を着せて写真をupして……。しかし結局、拭えはしないのです。何故自分だけ?夫も親もいるのに傍に味方がいないの?私は、この子は、身内に愛されないの?よそとは比べない、と強がっていても、体調によって絶望しそうになります。周りには妻としてごく普通に大事に思われている奥さんや、父親と遊び、愛情をもって叱ってもらえる子供がたくさんいます。楽しそうなお出掛けの様子、お祖父ちゃんお祖母ちゃんにあれこれ買ってもらって季節の行事をする様子……。本当は、和やかで普通に愛情のある子連れ家族が心底妬ましいです。また結婚して子供がいても、こんな状態のためか、今なおモテておしゃれな生活をして彼氏に愛されている独身女性も、本まで出されて人気者になられ、こじらせだったことが分からないぐらいきれいな雨宮さんも当然羨ましいです。他のお母さん方なら軽い愚痴で済むであろう、自由時間が無い事や外で子供が邪険に扱われた出来事も、社会が敵のように思え、悲劇の主人公ぶって非難する気持ちが止まりません。心に余裕なんてないからです。親になっても大人になれません。非モテの私が舞い上がってスピード出来婚なんかしたのが間違い。こんな男を夫に選んでしまったのも、自分に見る目が無かったから。そもそも親に十分に愛されて育ち、自分に自信があったら、もっと冷静に相手を見られたはずだ。と、こんなみじめな事は認めたくなくて、今まで言葉にできませんでした。見栄っぱりの私は近い知り合いであるほど、「子供がこんなに可愛くて幸せ、パート仕事もできてやりがいがあって嬉しい」といった話しかできません。こんな、いても意味の無い夫なら別れよう、という決断もこの先きっとできません。父親の無い子供にしたら可哀想、それ以上に私だけで幸せにする自信が無い、というだけではなく、愛されていないと知った今も、「結婚している、夫がいる」という地位を手離したくないんだと思います。つくづく情けなく馬鹿みたいですが、どうせ離婚しても他の男性に愛される事もないだろうと思うと「一見まともに見られる既婚女性」にしがみつくしかない気がしてしまうのです。堂々と生きていく自信が無いのです。愛しい子供はいるのに、虚しさ、みじめさは消えず、赤ん坊のように癇癪を起こし泣きたくなります。(※投稿内容を一部、読みやすいように編集させていただきました。)ずいぶんお疲れの様子ですね。人の目を気にしていたら絶対頼めないような、花火が刺さったカクテルでも出しましょうか。はい、やけどしないように気をつけて……。サミーさんの文章には、大きな矛盾がいくつかあります。「独身生活を満喫している人たち(私、雨宮を含む)が羨ましい」と言いながら、「結婚している、夫がいるという地位を手放したくない」とうところなどはその典型です。おそらく、「独身生活を満喫している人が羨ましく思える」というのは、サミーさんの本心でしょう。でも、外部からそういう人たちがどう見られているか、自分自身がどう見られているかを考えると、「結婚している、夫がいる」という地位のほうが、「高く」見られることを知っているから手放せない、ということなのではないでしょうか。「一見まともに見られる既婚女性」という言葉は、それを象徴していますよね。独身女性を羨む気持ちがありながら、独身女性がどんなにまともに見られないか、サミーさんはよく知っているはずです。サミーさんの苦しみを分解していくと、「社会的にどういう視線を向けられるか」というところにたどり着くものと、「今、自分自身がつらいと感じていること」の二つに分けられると思います。例えば、サミーさんを責めてくるご両親や妹さんの論拠は「社会的な視線」でしかありません。たまたま自分は複数の子供に恵まれ、サミーさんのお子さんのように手がかからなかったから、「一般論」に寄って立って、その立場からサミーさんを攻撃する。「子供にも自分にも興味のない夫」や、「身内に子供が愛されていない」「仕事で自己実現をして、楽しい部分もあるけれど、虚しさやみじめさは消えない」というのは、サミーさん自身の実感によるものでしょう。面白いのは、サミーさんがご自分のことをネガティブに書かれているのとは逆に、非常にポジティブに行動を起こされていることです。非モテでも愛が欲しいと思えば、彼氏を作って結婚をして出産をし、大変な育児をしながらも「承認されたい」と思えば働きに出ていらっしゃる。どれも、自分を肯定するための行動ですし、まっすぐな努力をされてきたのだなと感じます。人目を気にせず生きろ、と言うのは簡単ですが、私には言えません。人と関わる限り、人の視線はついてきます。人の視線でがんじがらめになっては「こんなに苦しい思いをするくらいなら、人の視線なんかもう気にするものか」と誓うことを繰り返して、私は生きています。サミーさんのように、誰かと自分を比べ、誰かのほうが自分より上だとか、下だとか、結婚してるとかしてないとか、子供がいるとかいないとか、愛されているとかいないとかで「自分とは立場の違う人間」だと思うことは、誰にでもよくあることでしょう。でも、誰かより自分が上だと感じたことで「幸せ」だと思えたことはありますか?「立場が同じ人間」だからといって、わかりあえたことはありますか?はっきり言いますが、サミーさんのご両親、妹さん、みなさん家族でも、まったくサミーさんのことを理解されてないですよね。育児も仕事もして偉いね、ってどうして誰も言わないのか、不思議でなりません。ご両親も妹さんも、自分の生き方とは違うサミーさんの生き方を許容できないのだとしか思えません。「同じ母親」でありながら、わかってくれてない。旦那さんも、味方になるどころか、どんなにサミーさんが苦労されているか、知りもしないわけですよね。身近にいる人にこれだけ冷たい視線を向けられて、自分のことを肯定できる人がいたら、精神が強靭すぎてちょっとおかしいくらいですよ。その一方で、サミーさんはすごく恵まれているとも言えます。フルタイムで仕事をしなくてもやっていけるわけですし、不妊でもなく子宝に恵まれています。サミーさんの状況を「羨ましい」と言う人も当然いるでしょう。「既婚女性という立場でいなければ、堂々と生きていく自信がない」。あの……ケンカを売られているわけではないですよね?「雨宮さんは本も出されているし人気者だからいいじゃないですか」って言うんですか?結婚もできていないのに、堂々と生きていると?誰からも叩かれず、非難されず、憐れまれず、つらい思いもせずに生きているように見えますか?「仕事はできてるかもしれないけど、独身でこの年齢で、子供も産めるかわからないかわいそうな人」「ご両親に孫の顔も見せないなんて親不孝」と、言われたことがないと思いますか?そして、そういう比較の果てに、何がありますか?人は、上下とか立場の違いとかで分断されやすいものです。でもその分断は、仕方なく起きるものであるべきで、こちらから起こすものではないと私は思っています。サミーさんがこのコーナーに愚痴を送ってくれたのは、なぜでしょうね。私のように、結婚していなければ子供もいない人間には「わからない」と思っていたら、送ってくれなかったでしょう。サミーさん自身は、分断を望んでない。自分が幸せになるための行動もできる。すごくポジティブでいい人じゃないですか。自信の持てなさを解決するのは難しいですが、せめて自分が「幸せになるために行動してきた」ことに自信を持つことはできませんか。そして、自信を失わせるだけで何も手伝ってくれないご両親や妹さんと、少し距離を置くことはできないのでしょうか。私には、サミーさんはもともと、向上心もあり、自分の自信のなさを克服するために行動する力も、努力する力も、勇気も全部持っているのに、周りの人がサミーさんの自信のなさにつけこんで、見下しているようにしか見えないのです。「自信がない」ということ自体は責められるようなことではありませんが、自信のなさは、びっくりするほど嫌な人を呼び寄せるものなんですよね。つけこんで見下してやろうとする人、いいように使ってやろうとする人……。そして、自信のない人は「そんな人と関わった自分の見る目のなさが悪いんだ」と思う。違いますよ、人の自信を奪うようなことを言う人が悪いんですよ。生まれつき自信がなくてみじめだったんじゃなくて、自信を持とうとしているサミーさんの心を折る人たちが身近にいたんですよ。人の目を気にするな、とは言えなくても、自信を折るようなことを言ってくる人は、たいてい、サミーさんよりも上の立場にいたい人です。マウンティングというやつです。これまで努力してきたこと、がんばってきたこと、今も精一杯やっていること、そのことを、誰も認めてくれなくても自分では認めて、馬鹿にしてくるような人とは距離を置いてください。例えば、お子さんと二人の時間で、誰に見られていなくても幸せだと感じる瞬間もありますよね。そういうことを大事にしてください。惨めさから自分を救ってくれるのは、誰かの上に立つことでも、誰かより優位な立場にいることでもありません。自分の尊厳を自分で守ることでしか、救われることはないんです。自分を惨めにさせるような人とは手を切って、尊重してくれる人、対等に扱ってくれる人と接してみてください。自分を非難してくる人に、認められようとしないでください。それは無駄なことです。私は、仕事からして普通の基準から外れていますし、みんなに「幸せそうな人だ」と思ってもらうことを、諦めざるを得ないところがありました。「周囲から認められる幸せの形」を自分が得ることは難しかった。それを持たなかったから、失うことを恐れずにできたこともあったと思います。世の中には、望んでも持てないものもありますし、望んでなくても持たされているものもあります。サミーさんは、何を「持ちたい」のか、そのことをもう一度考えて、それを邪魔する人の声には、耳を貸さないでください。人の思う幸せの形から多少外れても、幸せだと感じる瞬間があれば、それが惨めさから自分を救ってくれます。サミーさんは、駄目な人でもなければ、何か大きな間違いをしたわけでもありません。そのことだけは知っておいてください。みなさまの愚痴を、雨宮まみが「穴の底」にてお待ちしております。長文大歓迎!恋愛相手の愚痴も、職場環境にまつわる愚痴も、誰にも言えない愚痴も、「スポーツジムのおじさんの汗がキモイ…」みたいなしょうもない愚痴も、なんでもござれ。大なり小なり吐き出して気を楽にしませんか?「どうしたらいいでしょう?」のような相談は受け付けておりません。ごめんなさい。愚痴投稿はこちらから雨宮まみ(あまみやまみ)ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。女性性とうまくつきあえなかった頃を描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』出版後、「こじらせ女子」がブームとなる。他の著書に対談集『だって、女子だもん!!』(ポット出版)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『タカラヅカ・ハンドブック』(新潮社)など。「キレイになりたい!」と言えないあなたに。『女の子よ銃を取れ』他人の視線にビクビクしたくない、自分らしく堂々としていたい、かわいい、キレイと言われてみたい……そう思っていてもどうすればいいのかわからないし、「キレイ」への道が怖くてたまらない。キラキラした「キレイになりたい」本を手に取ることすら怖いと感じるくらい、「キレイ」が重荷になっている人のための、自意識や他人の視線、自分の視線を解きほぐす本です。雨宮さんより一言:何をしても、何を買ってもうまくいかない、変われないしパッとしない……。そんな悩みは、本当は多くの人が持っています。それ以前に何をすれば、何を買えばいいのかもわからない人だってたくさんいます。この間まではわかっていたのに、急にわからなくなってしまった人も。そんなときに、自分を取り戻し、新しい自分を作り上げるヒントや、気持ちの持ち方の軸のようなものがあればいいなと思って書きました。落ち込んだときのおともにしていただけると嬉しいです。試し読みはコチラ
2015年06月18日開いた毛穴に汚れがつまり、黒いブツブツ状態になってしまうイチゴ鼻。鼻は顔の中心部分にあるので、かなり目立つパーツです。その鼻が汚れていると、どんな美人でも残念な印象になってしまいます。特に汗をかきやすいこれからのシーズンは汚れがつまりやすく、イチゴ鼻が悪化してしまう可能性があるので要注意!夏のイチゴ鼻の原因イチゴ鼻の大きな原因になるのが「角栓のつまり」です。角栓とは、過剰に分泌された皮脂や古い角質のこと。この角栓をきちんと取り除かないと毛穴につまり、次第に酸化して黒く変色してしまいます。特に皮脂の分泌が多い鼻周りは、角栓のつまり&酸化が発生しやすいのです。これがイチゴ鼻の原因です。また、きちんと洗い流さなかったメイク残りもイチゴ鼻の原因になります。皮脂の分泌量が多い人や、毎日きちんとメイクを落としていないという人は、イチゴ鼻になりやすいので気をつけましょう!「鼻パック」は実は危険!?イチゴ鼻に悩む、多くの女性が頼るのが「鼻パック」。でもなかなか広告のように「ごっそり角栓がとれた!」ということはありませんよね。しかも鼻パックには、それなりにデメリットもあります。はがすときに毛穴汚れだけでなく、潤いを保ってくれる皮脂や角質まで取り除いてしまうのです。肌表面の角質には、肌の水分の蒸発を防いだり、外部刺激から肌を守ってくれる役割があります。その角質を必要以上に取り除いてしまえば、肌は乾燥しやすくなり、外からのダメージを受けやすくなってしまいます。その結果、肌荒れや炎症、乾燥やかゆみなど様々な肌トラブルが発生してしまうのです。意外な裏技!鼻パックの前にオロナインを使ってみて!この鼻パックのデメリットを払拭する、意外な裏技があるのをご存知ですか?実は「オロナイン軟膏」を使うこと!オロナイン軟膏には「自己乳化型ステアリン酸グリセリル」という、天然由来の合成界面活性剤が配合されています。界面活性剤には、水と油をなじませたり、成分の浸透を促す働きがあるのです。その作用によって毛穴につまった汚れが浮きあがり、角栓も取れやすくなるというわけです。殺菌作用・抗菌作用があるオロナイン軟膏は、傷口やニキビにも使えるほど安全なアイテム。しかも気軽に手に入り、価格もリーズナブルなのでうれしいことづくしですね!オロナインパックの手順1.洗顔後、鼻にオロナインをたっぷり厚めに塗る。2.10~20分程度放置する。3.一度オロナインをしっかり洗い流す。4.鼻パックをいつもと同じように使用する。※鼻パックはゆっくりはがします。※週に1回、もしくは10日に1回くらいのペースで行いましょう!パック後のケアが大切!鼻パックで角栓をオフした後は、毛穴ケアを忘れずに行いましょう。パック後は毛穴が開いたままの状態。このままにしておくと、再び毛穴に汚れが入ったり、炎症をおこしてしまう危険性もあります。鼻パックをした後は、冷水や化粧水を使って毛穴を引き締めましょう。化粧水は「収れん化粧水」がオススメ!毛穴を引き締め、皮脂の分泌を抑えてくれるので、これからの暑い季節にも活躍してくれそう。鼻の黒ずみが気になって、肌に自信が持てない……。そんな人は、この夏こそイチゴ鼻を解消しましょう。鼻の印象が変わるだけで、一気に美人度がアップしますよ!
2015年06月17日○私の地元の"最強"絶景吉見百穴(埼玉県比企郡)(c)Flickr/puffyjet○"最強"絶景ってこんなところ丘陵や台地の斜面を掘削して作られた吉見百穴は、古墳時代の末期に造られ、大正12年(1923)には国の史跡に指定されている。現在確認できる横穴の数は219基で、一部の穴には緑色に発光する「ヒカリゴケ」が自生している。戦時中には、地下軍需工場として活用されていたという歴史もある。アクセスは、JR高崎線 鴻巣駅から東武バス東松山駅行きで約25分。○推薦者はかく語る「異国感たっぷりで圧倒される。ただ、元軍需工場ということもあり、重さを感じずにはいられない」(34歳男性/機械・精密機器/技術職)
2015年06月14日横浜みなとみらいにある「象の鼻テラス」では、6月28日(日)14時半~20時半に、全国を旅する移動映画館「キノ・イグルー」とともに「映画のある一日」をプロデュース。この日限りの映画イベントを開催する。「ZOU-NO-HANA CINEMA vol.1」と題して開催される今回のイベント。テーマは旅だ。集合場所は、ぷかり桟橋。京浜フェリーボートが企画する特別遊覧ツアー。船に乗ってピア象の鼻まで移動。ピア象の鼻に着くと、「旅のしおり」が手渡され、思い思いの日曜の午後を楽しめる。象の鼻テラスでは「ぞうさんマルシェ」、開放的なパークで本が読める「海辺の図書館」がオープンされているので覗いてみてもいい。そのほか、心地いい音楽をとどける「PICNIC LIVE!」も開催中だ。日も暮れた19時半に、いよいよ開場し映画が始まる。作品は、「kino」(監督 佐藤雅彦)だ。参加料は、乗船料700円(京浜フェリーボート特別遊覧)、イベント参加料2,300円(上映料/飲み物・お菓子付き)。定員は、100名。象の鼻テラスの公式ホームページ上で絶賛参加者募集中。船に揺られ、着いた公園でピクニック。旅するように過ごした1日の終わりに映画を楽しむ。絵に描いたような休日を過ごせば、心がほっこり満たされそうだ。ありそうでなかった、こんなユニークな映画イベント。ぜひチェックしてみて。(text:Miwa Ogata)
2015年06月09日毎日よく眠れない……、息苦しくて目が覚めることがある……、こんなことはありませんか?睡眠の質が悪いのにはいくつかの原因があります。大きな要因としては、鼻の不具合にあるといわれています。睡眠と鼻の健康にはどんな関係があるのでしょうか。鼻と睡眠の関係性とは?鼻がつまると睡眠が悪化するのかアレルギー性鼻炎や花粉症など鼻づまりで悩む人は多いです。実は、これは日本だけの問題ではなく世界規模で急速に増加、深刻化しているといいます。現在では先進国の20~40%の人がアレルギー性鼻炎の症状があるそうです。そんな鼻づまりに悩んでいる人の多くが睡眠にトラブルを感じていると答えています。慢性鼻炎の人の70%、花粉症の人の50%が睡眠障害を感じているのです。鼻がつまっているのであれば、口で呼吸をしていれば問題ないと思われがちですが、口呼吸にすると「免疫力が下がる」「いびきをかくようになる」などのデメリットがあります。鼻が起因する睡眠障害とはどんなものかそして鼻をすっきりさせる方法とは?鼻がつまり、口呼吸ばかりになると、どうしてもいびきが悪化し、ついには睡眠時無呼吸症候群にまで至ることもあります。また、息苦しさから悪夢を見るようになり、中途覚醒や熟眠障害に陥る人もいるようです。すなわち、睡眠の質が悪化する根底に鼻づまりがあるケースが少なくないのです。睡眠の質が悪化すると、朝なかなか起床することができない人も出てきます。仕事中も集中力や注意力の低下が見られ、イライラすることも多くなるでしょう。一言で睡眠不足といっても、ただ日中眠気を感じるという弊害だけにとどまりません。仕事にも大きな影響を及ぼしがちです。良質な睡眠を確保していくことは心身を健康に保つためにかなり重要なことだといえるでしょう。鼻づまりを改善する方法とは?そんな、睡眠を阻害する危険性の高い鼻づまり。いったいどのように対処していくと改善されるのでしょうか。まずは、原因の特定をお勧めします。自身の鼻づまりの原因は、アレルギー性鼻炎なのか?花粉症なのか?もしくは、慢性的な鼻炎なのか?これらの特定は耳鼻咽喉科で行うことができます。重度の鼻づまりの場合は、睡眠時の死亡リスクなども高めますからレーザーで手術をするようなこともあります。これは日帰りないし、1泊でできる比較的簡単な手術とされています。投薬にも手術にも抵抗感があるという方は、鼻うがいや鼻呼吸をサポートするアイテムを使用してみてはいかがでしょうか。鼻呼吸だと自律神経のバランスが保たれやすくなるといわれています。きちんとしたメンテナンスをして呼吸できるようにし、快眠を手に入れてください。Photo by Alessandro Valli
2015年05月17日美人の条件に入ってくる「筋が通った高い鼻」。目と同じくらい整形パーツで人気の箇所でもある鼻ですが、メイクで鼻を高く見せる方法って知っていますか?ノーズシャドウやハイライトで鼻筋を通して見せる一般的な方法、そこに一手間プラスするだけで立体的に鼻が高く見えて筋が通るから不思議!横から見ても正面から見ても自然なので、「がっつりメイクしています!」という雰囲気にはなりません。ナチュラルに盛れる鼻整形メイクで「ハーフ?」なんて言われちゃうかも!?■整形級に鼻筋を通し高く見せる!方法とは……このメイクテクニックはベースメイクに秘密があります。下地を塗り終えたベースに、ファンデーションを塗ります。ただし、リキッドファンデーションならこのタイミングで塗るのですが、パウダリーファンデーションを使っている人はテクニックを使った後にファンデーションを塗って下さい。テクニックとは、あなたの肌トーンよりも1トーン明るいファンデーションを鼻筋ラインと眉間に直線で塗ること。パール感の入っているファンデーションだとより、鼻筋が通って見えやすいです。この一手間を仕込んでおくことによって、後で自然な鼻メイクが出来上がるのです!【リキッドファンデーションの場合】下地→ファンデーション→テクニック【パウダリーファンデーションの場合】下地→テクニック→ファンデーション①を終えたら、リキッドファンデーションの人はフィニッシングパウダーをはたきます。そして、鼻筋ラインに沿ってノーズシャドウをのせていきます。左右両方行うのですが、つけすぎに注意しながら少量ずつのせて調整していきましょう。最後の仕上げで眉間から鼻先トップまでハイライトを入れたら完成です!ポイントはステップの①~③いずれも、眉間から鼻先まできちんと色を入れていくこと。写真に撮った顔が、彫り深の立体ハーフ顔になること間違いなしの鼻整形メイク。あなたも今日から試してみてくださいね!
2015年04月13日静岡県の体感型動物園「iZoo(イズー)」はこのほど、公式Facebookにて、「ケヅメリクガメ」の産卵の様子を公開した。○ケヅメリクガメが、穴も掘らずに産卵「ケヅメリクガメ(Geochelone sulcata)」は、砂漠の周辺やサバンナに生息する爬虫綱カメ目リクガメ科リクガメ属に分類されるカメ。後肢と尾の間に蹴爪状の突起があり、和名や英名「(spurred=拍車のある、蹴爪のある)」の由来になっている。尾の先端は小型鱗で覆われている。今回は穴も掘らずに産卵してしまい、途中で産卵が止まった。飼育スタッフが産卵場に連れて行ったところ、軟らかい土を掘り始め、さらに産卵を行う様子だったという。同園の所在地は、静岡県賀茂郡河津町浜406-2。
2015年04月12日王子ネピアは現在、「第2回 nepia 鼻セレブ 動物総選挙」を開催している。○動物たちの"選挙ポスター"にも注目同社のティシュ「鼻セレブ」の通常パッケージには、スーパーミニウサギやタテゴトアザラシ、ミニブタといった動物たちがデザインされている。同イベントは、これまでにパッケージに採用された動物、今後採用される可能性のある動物21種類の中から、投票により人気 No.1の動物を決定するというもの。動物総選挙の特設サイトでは、可愛らしいキャッチフレーズやコメントが付いた各動物の"選挙ポスター"を公示している。投票は特設サイトで3月15日まで受け付け中。投票した人の中から抽選で3名に「大人の鼻セレブティシュ」1年分、50名に「nepia 大人の鼻セレブティシュ2コパック」をプレゼントする。
2015年02月10日皮脂が多くて崩れやすい鼻・・・直そうとすればするほどかえって毛穴がや崩れが目立ったり、厚塗りになったりしてしまうことってありますよね? 解決策は、ここでチェック!!みんなのQ&Aメイク前メイク後メイクのコツ・ポイント浮き出た油分は落として綺麗にする断面がフラットなメイクブラシを用意するブラシに少量、パウダーをとるブラシをくるくるさせて肌に馴染ませていくこのメイク動画のノーカット版と使用コスメ詳細を見る
2014年12月11日東京都・渋谷の8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Galleryでは、レディー・ガガの専属シューメイカーとして知られる舘鼻則孝の個展を開催する。開催期間は12月17日~2015年1月12日まで、開場時間は11:00~20:00。入場無料。同展は、舘鼻則孝のアーティストとしてのさまざまな側面をみせるべく、いくつかの美術館に収蔵され、彼のアイコンとも言えるヒールレスシューズのほか、かんざしをモチーフとしたオブジェなど、十数点を展示する。今回の個展に際して舘鼻は、「『ヒールレスシューズ』と称される私の大学卒業制作は、海外のファッション業界で注目されたところから始まりました。しかし、それは花魁の履く高下駄から着想を得たものなんです。日本の伝統的な染色技法である友禅染を学んだ大学時代には、古典に倣って着物や下駄の制作をしました。日本的な様式化された平面的な芸術と、西洋的な身体研究に基づく空間的な芸術は、相対する価値観のように感じられますが、それらが共存しているのが現代の日本でもあります。戦後の日本、西洋文化が流入してきた現代だからこそ共有できる価値観が、日本の文化価値を再構築する可能性を秘めているのではないでしょうか」と語っている。なお、舘鼻則孝は1985年生まれのアーティスト。2006年に東京藝術大学美術学部工芸科に入学、染織を専攻。2010年、大学卒業時に制作した底の厚い靴(ヒールレスシューズ)がレディー・ガガのスタイリストの目に留まり、専属シューメイカーとなったことで脚光を浴びる。近年は、「Future Beauty」(2012年、東京都現代美術館ほか)、「イメージメーカー展」(2014年、21_21 DESIGN SIGHT)などの展覧会に参加するなど、積極的にアートの領域に踏み込みながら、作品の発表を行なっている。
2014年12月01日