逆流性食道炎や難聴によって思うように家事ができず、悩んで深夜に自分を責めるミロチさん。 そんなときにパパが「ちょっと向こうで話そうか」と声をかけてきて…… パパの提案は… 寝室からリビングへ移動して、「ミロチさんが何を思っているのか教えて」というパパ。 いろんな負の感情をパパに教えるか悩んだミロチさんは、「最近体調が悪いから……」と笑って誤魔化そうとします。 パパはそんなミロチさんに気付いて「そうじゃないでしょ」と問題に切り込みます。 パパの言葉に納得し、ミロチさんは体のことや家事・育児の不安やイラ立ちをグチとともにすべて吐き出しました。 それに対して出たパパの答えは、「全部辞めよう!」 「掃除や洗濯はしなくていい、ごはんはコンビニや総菜を買おう」と突拍子もない提案をするパパ。 「そんなことをしたら我が家のエンゲル係数がぶっ壊れる!」と焦るミロチさんに対し、ミロチさんがぶっ壊れるより全然良いよミロチさんは俺たちの大事な赤ちゃんを宜しくお願いします とパパの頼もしい言葉で肩の荷が下り、気がラクになったミロチさんでした。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年12月02日10月30日、コスタリカ・リモンでフリオ・オテロ・フェルナンデスくん(8)が川で遊んでいたところを巨大なワニに襲われ命を落とした。悲劇から約1カ月が経った今月26日、フリオくんを襲ったワニが捕獲され、腹の中から頭髪と骨片が見つかったとNew York Postなどが報じている。事故当日、フリオくんは両親と4人の兄弟、数人の親戚と共に、自宅近くの川へ釣りに出かけていたという。午後2時頃、膝のあたりまで川に入っていたフリオくんに巨大なワニが襲いかかった。ワニは小さな体を揺さぶって首をもぎ取り、胴体をくわえて水の中に消えていった。恐怖におののいた家族は、為すすべなくフリオくんが惨殺されるところを見ていることしかできなかったという。「妻にとって最も耐えがたかったのは、ワニが我が子の遺体と共に泳ぎ去って行くのを見たことです。1時間以上経ってからワニは水面に上がって来ましたが、その時もまだ息子の体をくわえていました」と、つらい記憶を振り返る父親のドン・フリオ・オテロさんのコメントをNew York Postは伝えている。通報により駆けつけた警察は「発砲する権限がない」とワニを見逃し、オテロさんは「当局から見放された気分だった」とも語ったという。The Sunによると、匿名の猟師がこのワニを仕留め、地元住民が腹を切り裂くと、胃の中から頭髪と骨片が2つ発見されたという。フリオくんの母親は、「あのワニが死んでほっとしました。このような苦痛を味わう家族がいなくなるように、あんな動物は全部殺してほしいです。家のいたるところからフリオの思い出が蘇ってきて、もうここで暮らすことはできません」と心情を吐露していると前出のThe Sunは報じている。家族は4年前にニカラグアからコスタリカへと引っ越してきたが、ワニの脅威から子どもたちを守るために、故郷へ戻ることを決めたそうだ。
2022年11月30日パパの声だけ雑音で聞き取れないミロチさん。翌日耳鼻科へ行ってみると、検査結果は低音障害型感音難聴。寝不足やストレスなどが原因で起こりやすく、ミロチさんは左耳が低音(男性の声)を聞き取りにくくなってしまっている状態なんだそう。先生から服薬を勧められ、「妊娠中だからできるだけ薬を飲みたくなくて……」と相談するも、「(薬を)飲まないと、それ以上悪くなることはあっても、良くなることはないし、薬を飲んだからといって完治するとも限らない」と治らない可能性もあると告げられてしまいます。 頭の中がグチャグチャに… 逆流性食道炎や治るかわからない難聴のことを考えると、暗い感情がどんどん渦を巻いていきます……。 家事ができなくなってしわ寄せがきているパパ、かまってあげられないつむさんのことを思い、自分のせいだと深夜に一人自分を責めるミロチさん。 そんなときにパパから「ちょっと向こうで話そうか」と声をかけられて……? 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年11月30日妊娠8カ月になっても体重増加が止まらず、おさまっていた食べづわりがぶり返し、さらには逆流性食道炎の症状が出てきたミロチさん。それでも初期のつわりよりはマシと思い、家事や仕事を頑張ってこなしていたのですが……?人間関係のトラブルに巻き込まれたミロチさんは、「消えることができたらどんなにラクか」と悩み、職場で突然泣き出してしまいました。保育園のお迎えをパパに任せ、仕事を早退し、家で休んでいました。 そこへ長女のつむさんとパパが帰宅。つむさんのおしゃべりは聞き取れるものの、パパの声がなぜか聞き取れなくて……!? どうしたら治るの…? パパの声だけ「ボボボボ……」と雑音で聞き取れないミロチさん。翌日耳鼻科へ行ってみることに。 検査の結果は、低音障害型感音難聴。寝不足やストレスで起こりやすい病気で、ミロチさんの場合は左耳が低音(男性の声)を聞き取りにくくなってしまっている状態なんだそう。 先生からは服薬での治療をすすめられ、ミロチさんは「薬を飲まずに治すことはできませんか? 妊娠中なのでできるだけ薬を飲みたくなくて……」と相談。 ところが、「(薬を)飲まないと、それ以上悪くなることはあっても、良くなることはない」「薬を飲んだからといって、完治するとも限りません。治らない可能性もあります」と告げられたミロチさん。 え!? 治らないの!? と驚きを隠せないミロチさん……。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年11月29日上のお子さんが1歳になり、2人目妊娠のタイミングを考えるようになったママさん。夫婦で今後の家事・育児の役割分担ついて話し合い、2人目妊娠に至るまでの体験談を紹介しています。 上の子が1歳になり、2人目を考えるように結婚して夫婦で子どもについて話し合ったときに「できれば子どもは2人欲しいね」とお互い話していました。そんなことから、上の子が1歳になったころには2人目を意識するようになりました。 しかし正直なところ、ちょうど上の子が1歳になったと同時に保育園へ預け始め、仕事復帰も果たしたばかり……。家事・育児と仕事の両立がとても大変ななか、今2人目を妊娠して私はやっていけるのだろうかと、不安がよぎることが多々ありました。 2人目のタイミングは2歳差を計画!2人目のタイミングは少し迷いましたが、1人目の出産がすでに高齢出産だった私。自分の年齢を考えても、2人目妊娠のタイミングを先にするほど余裕はないと思っていました。私自身、4人きょうだいで育ち、大人になってきょうだいの心強さを感じています。だから自分の子どもには将来、親がいなくなっても支え合えるきょうだいを作ってあげたい。 そこで、2歳差を意識して計画を立てました。そのためには夫の協力は必須。家事・育児の分担について、洗濯・お風呂掃除は夫、料理・部屋掃除は私、と話し合いました。 2人目妊娠は計画通りにはいかないものちょうど2歳差になるように計画したものの、理想通りにはいかず……。私は1人目も不妊治療をおこなって妊娠しているので、不妊治療を再開することに。1人目はなんとかタイミング法で妊娠できましたが、私の年齢も上がっているせいか半年経っても妊娠せず……。 先生からステップアップを提案され、体外受精へ踏み切りました。家事・育児、仕事を両立しながらの不妊治療はかなりつらかったですが、最近やっと妊娠を確認することができました! 無事生まれるまで安心はできませんが、ギリギリ計画していた2歳差で生まれてくる予定です。私は子育ても仕事も頑張りたいと思っているタイプなので、夫が家事や育児に協力的でないと2人目は考えられませんでした。夫婦で納得いくまで話し合い、夫が家事育児の分担をすすんでしてくれたからこそ2人目を生み育てようと決心できたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月29日妊娠6カ月の健診で「おなかの赤ちゃんが、2週間ほど先のサイズまで成長している」と医師から告げられたミロチさん。妊娠7カ月ごろ、食事制限をして体重管理に力を入れるものの、体重は増える一方で焦ってしまいます。 そんなミロチさんを見た看護師さんから「頑張っていることはわかっているから、あまり自分を追い詰めないで……」とやさしい言葉をかけられ、ホッとするのでした。 妊娠8カ月ごろになると… ※ミロチさんは10年ほど前から会社の健康診断で軽い逆流性食道炎と診断されています。逆流性食道炎は、妊娠中に胎児が胃を圧迫すること以外に、ホルモンの影響でも起こります。 妊娠8カ月になっても、やはり体重は増加するばかり。おさまっていた食べづわりがぶり返し、さらには会社の健康診断のたびに診断されていた逆流性食道炎の症状も出てきて、 「胃が喉のすぐ下のあるのでは?」と錯覚するほどの圧迫感! 空腹なのに食べると胃がふくれて気持ち悪くなり、完全に横になってしまうと胃が焼けるように痛む逆流性食道炎の症状が出てしまうため、上半身を起こした状態でしか寝られない日々。さらに嘔吐と胸焼けの繰り返しで食道と喉が荒れてしまい、何をしていても苦しい状態が続いていました。 それでも初期のつわりよりはマシということで、家事や仕事を頑張ってこなすミロチさんなのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年11月27日おおやたまこさんは、結婚2年目で長男・のりまきくんを妊娠し、リラックスした状態で痛みを和らげてお産に臨むことを目的とするソフロロジー分娩を推奨している産院で出産しました。のりまきくんを出産後、おおやたまこさんは家事・育児の仕方を夫・たま夫さんに何度も教えましたが、してほしいことが伝わらず、さらに、たま夫さんの嫌なところばかり目に付くようになりました。そしておおやたまこさんは、たま夫さんに対して口調が強くなっていき……。別に夫を非難したいわけじゃないのに…家事を言った通りにしてくれないことや、なんでも「大丈夫だよ」と言う夫に苛立っていた私。 すると、「やること全部に文句を言われて、もう耐えられない」 「俺、子育て向かないよ」 「こんなに仲が悪くなるなら、2人目はいらない」 と夫から言われてしまい……。 夫の愚痴を言いたいわけではないのですが、描いてたら当時のことを思い出したので、私が夫に対して、グッと堪えたことを少しだけ吐き出しました。 このときの私は「夫婦のため」というより、「自分のため」に物事を考えていたように思います。のりまきくんが寝た後に皿洗いを始めた、たま夫さん。そんなたま夫さんを見て、おおやたまこさんは「いまやったら、のりまきが起きるじゃん」と苛立ちました。きっと、たま夫さんも「のりまきくんを育てる」という志は、おおやたまこさんと同じものを持っていると思うのですが、お互いの優先順位や感覚が違っているため、すれ違いが起きてしまっているのではないでしょうか。 みなさんも旦那さんと子育てする中で、おおやたまこさんとたま夫さんのように夫婦間のすれ違いを経験したことはありますか? このほか、おおや たまこさんはさまざまなマンガをInstagramで更新しています。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター おおや たまこのりまき(2020年4月生まれ)とおにぎり(2022年5月生まれ)の2歳差兄弟の育児に奮闘中。InstagramとTwitterでずぼら主婦と家族の日常をマンガでつづっている。普段は仕事でデザインやイラストを描いたりもしている。
2022年11月26日『自閉症児のいる家族の、特別ではない日常のエッセイ』と題し、日常の出来事をInstagramに投稿している、beth(3beth_gm)さん。長男のハルくんは自閉症を抱えており、bethさんは外出中、周囲に迷惑をかけないかと不安にかられることが多いといいます。ハルくんが通学のために使うバス停でも、bethさんはハラハラする出来事がありました。週に3回ほど、バス停で会う女性とは会話をするような仲ではなく、ハルくんのルーティンが迷惑をかけているのではないかと、bethさんは心の中でその女性に謝罪していました。しばらく経った頃、ハルくんのルーティンが崩される出来事が起きます。ハルくんが女性に対してとった行動は…女性を凝視するハルくんを制止し、代わりに謝罪したbethさんですが、その場はなんとも気まずい雰囲気になってしまったといいます。すると次の日…。女性の行動に、bethさんが驚いた理由女性は、昨日の一件を受けてか、ハルくんが座る場所を空けておいてくれていたのでした。その気遣いに感謝の言葉を述べたbethさんは、女性の返答にさらに嬉しくなったといいます。ハルのルーティンを理解してもらえたこと、受け入れていただけたこと、とても嬉しかった出来事でした。自閉症であるハルくんが、周囲から特別な目で見られたり、誤解されたりすることもあるという、bethさん。しかし、この女性は、ハルくんを『自閉症児』としてではなく、『ハルくん』として見て、また、受け入れてくれたのでした。その女性の思いに「温かな気持ちになった」「素敵です」「読んでいて涙が」と、bethさんが投稿したエピソードは、多くの人を幸せな気持ちにさせています。また、ハルくんと一緒にいると、bethさんは、多くの人の縁に恵まれるのだそう。この出来事をきっかけに、他愛もない話をする仲になったという女性との出会いもまた、ハルくんがつないでくれた縁なのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年11月26日2人目妊活をスタートしてから一発ストライクしたミロチさん。つわりがキツくて里帰りをしました。ひどかったつわりもピークを超え、ラクになってきたミロチさん。 つわり中に悩んで言えなかった車の買い替えをパパに提案したところ、あっさりOK! 買い替える車も決まり、実家からわが家に戻ってきたのですが……。 まさか、「ドロボー!?」 久しぶりに戻ったわが家は、「ドロボーが入った?!」と疑ってしまうほどの荒れっぷり。 犯人であるパパの自白に対して、「お前何度目やねん。ええ加減にせぇや」と思わずブチ切れてしまうミロチさん。 一方おなかの赤ちゃんはというと、順調に育って迎えた妊娠14週の妊婦健診で…… 「立派なチ○チ○がついてるよ」と、男の子であることが判明! 性別がわかったことで、ふんわり描いていた想像が現実を帯びたそうです。 そんな矢先、出産についての話が……! 立会いは?! 面会できる?コロナ禍の出産、気になることがたくさんありますね! 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年11月22日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年11月22日なんとなく2歳差で2人目が欲しいと思っていた私たち夫婦。しかし、実際に子どもを育ててみるとワンオペでの育児は想像以上に大変で、職場復帰をしたこともあり、仕事も忙しくてなかなか2人目を授かりたいという気持ちになれませんでした。そんな私たちが2人目を授かるまでの道のりをご紹介します。2歳差を希望していた私たち夫婦子どもは2歳差がいいなと思っていた私たち夫婦。しかし、2歳差ということは、娘が1歳前半には妊活を開始しなければいけません。しかし実際に子育てしてみると、1歳の娘はとても手がかかり、ワンオペ育児の私は毎日ヘトヘト。 さらに娘がちょうど1歳のときに職場復帰をしたので、仕事も忙しく、とても2人目を授かろうという気持ちにはなれませんでした。 育児と仕事に追われる日々…育児と仕事に追われる毎日はとにかく時間がなく、あっという間に過ぎていきました。私は2人目の子どもが欲しいけれど、この忙しい状況を妊娠しながら乗り切ることはできないなと思いました。そして、私は仕事、育児、2人目妊活、この3つに優先順位をつけることにしました。優先順位の1番は育児です。私は娘をしっかり育てたいと思いました。優先順位の2番目は2人目を授かること。年齢的にも30歳を過ぎていた私は、早めに2人目が欲しいと考えました。 夫も2人目が欲しかったようで、「妊活開始のタイミングは私に任せるよ」とのこと。そして、仕事は優先順位が3番目となりました。10年勤めていた会社を退職する決断がずっとできずにいた私ですが、優先順位をはっきりさせたことで、ついに転職する決心ができました。これから妊娠することを考えて、在宅でできる仕事を探すことに決めたのです。 転職後、2人目の妊活をスタート転職してから半年後、仕事の要領もつかめてきたので妊活を開始しました。妊活を開始してすぐに2人目を授かることができて、結果わが家は3歳差となりました。 第1子の娘は若干の赤ちゃん返りはあるものの、下の弟にやさしくて、お姉ちゃんらしくなりました。2人目を授かってよかったですし、転職したことにも後悔はありません。 育児、仕事、妊活、すべてをこなすのは私には無理だと考えて、優先順位をつけることにしました。仕事を変えたことで無理なく育児をしながら妊婦生活を送れたので、思い切って10年勤めた会社を辞めた決断は間違っていなかったなと思いました。2人目を授かって本当によかったです。 監修/助産師REIKO著者:本田 ひな2児の母。管理栄養士として保育園に10年勤務した経験と、投資歴13年の経験を生かし、栄養やお金について執筆中。
2022年11月19日私が2人目を妊娠したとき、長女はすでに6歳でした。初産であれば高齢出産にあたる年齢に差しかかっていたうえに妊娠・出産のブランクがあることから、妊娠中や産後の生活には大きな不安を感じていました。ところが実際には精神面でも体力面でも驚くほどラクに過ごすことができたのです。 経験豊富なママたちが身近に勢ぞろい大きな助けをくれたのは長女のお友だちのママたち、いわゆる「ママ友」でした。長女の周りはたまたま末っ子が多く、ママ歴10年以上のベテランぞろい。私が妊娠を報告すると歓声をあげ、「早く抱っこしたい!」とはしゃいでくれました。 またそれぞれに妊娠・出産の壮絶エピソードを話してくれ、「いろいろあるかもしれないけれど、大丈夫」と私を力づけ、不安を吹き飛ばしてくれたのです。それ以外にも長女の習い事の送迎をしてくれたり、遊びに連れ出してくれたりして、「うちの子が喜ぶから」とあくまでさりげなくしてくれるサポートに救われました。 おもちゃや服がどんどん集まってくる前回の出産からブランクがあるため、また途中に引っ越しもあったため長女が赤ちゃんのときに使っていた物はほとんど処分していました。「すべて買い直しか……」と思っていたら、実際は大違い。直接の友人でなくても「弟妹がいるお友だちのママが引き取り手を探している」とあちこちからお下がりが集まってきたのです。 おもちゃや服も上の子とは性別が違うので、どういったものが良いか見当もつかなかった私に「これは使いやすいよ」「子どもがすごく喜んだよ」という口コミ付きのお下がりはとてもありがたかったです。 小さなママの心強い成長ひとりっ子期間の長かった長女は、少し甘えん坊になり多少の赤ちゃん返りはあったものの、産後はしっかり戦力になってくれました。小さなママとして赤ちゃんのお風呂上がりに合わせてタオルとおむつをセットしておいてくれたり、赤ちゃんが泣き止まないときは変顔をしたり歌ったりして全力であやしてくれたりもしました。 おかげで第1子である長女の乳児期に感じた、「赤ちゃんと2人っきりの閉塞感」を感じることは一切ありませんでした。 7年のブランクがある妊娠・出産に対して、「今さら自分にできるだろうか」という不安が大きくあった私を力強く支えてくれたのは、身近にいる経験豊富なママ友たちと成長した長女でした。「きょうだいは何歳差がベストか」という問いに答えはありませんが、わが家にとっては7歳の差がちょうどよかったように今は感じています。 監修/助産師REIKO著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年11月19日2人のお子さんを持つママが、ママ友との関係で悲しい思いをした体験談です。これまで仲の良かったママ友に2人目の妊娠報告をしたあと、なぜか疎遠になってしまったそうです。1人目が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。私と年齢が近く、1人目の子ども同士も同い年でよく遊んでいたママ友がいたのですが……。妊娠前からの友だちで付き合いも長かったはずなのに、2人目の妊娠を報告してからというもの、なんとなく連絡が途絶え疎遠になってしまいました。今回はそのママ友との関係についての体験談をお話しします。 気軽に何でも話せるママ友お互いに妊娠する前から友だちだった彼女と私は、他の友だちには言いづらいことも話せるような仲の良い関係でした。毎日のように連絡を取ったり、電話で何時間も話すこともしょっちゅう。 しかも1人目の妊娠時期もほぼ同時期だったため、子どもたちが動き出すようになるといろいろなところに一緒に遊びに行っていました。そのため2人目をいつにする? 最近、夫婦関係どう? なんて話もよくしていたのですが……。 2人目の妊娠を報告私の1人目の子どもが1歳3カ月になったころ、2人目の妊娠が判明。しばらくしてからそのママ友に会う機会があったので、まだ早い段階でしたが報告をしました。ママ友はすごく喜んでくれて、同い年の2人目の子ができたらいいなあ、次は性別どっちかなあというような話もして会話が盛り上がった……と私は思っていました。 お互いに2人目ができたらにぎやかになるし、楽しいことばっかりだなあと私自身は妄想が膨らむばかりだったのです。 なんだかそっけない…?妊娠報告をしてからも今までと変わりなく連絡を取っていたものの……しばらくすると返信が何日も空いたり、忙しいからあんまり連絡が取れないというようなことを言われるようになりました。それでもごくたまに会うことはあったのですが、妊娠や出産、赤ちゃんの話題はそれとなく話をそらされている気がして、気まずい……。 そのまま私も連絡をすることがなくなり、一応2人目の出産報告をして返信がきましたが、それから一度も連絡をしていません。 2人目が生まれてもうすぐ1年になりますが、そのママ友とは連絡しないままです。私も2人目の妊娠がうれしくて、当時はもしかしたら相手の気持ちに気づいていなかったり、無意識に傷つけてしまったのかもしれません。時々寂しい気持ちにはなりますが、今は少し距離があったほうがお互いのためかもしれない……と思うようにしています。 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。
2022年11月18日子育て中の親たちは、子供にたくさんの愛情を注ぎたいと考えているでしょう。2児の母親である、ぱの(@U60B5)さんは、毎日2歳の娘さんに「お父さんとお母さんの大切な大切な宝物、大好きだよ」と伝えているのだとか。0歳の息子さんがなかなか泣き止まず、娘さんへのケアが後回しになってしまった時のこと。娘さんの健気な行動に、思わず泣いてしまったといいます。母親が泣いた理由に、7万『いいね』ぱのさんが、息子さんをあやしている間、1人でいた娘さん。毎日伝えられている「娘ちゃんは、お父さんとお母さんの大切な大切な宝物」という言葉を唱えながら、頑張って耐えていたのだそうです。きっと娘さんは、自分自身をなぐさめるために、ぱのさんからもらった言葉を唱えていたのでしょう。ぱのさんは、娘さんのなんともいじらしい姿に、心を打たれたのでした。娘の自己肯定感を育てるために毎日「娘ちゃんはお父さんとお母さんの大切な大切な宝物、大好きだよ」ってそれぞれが伝えているんだけど、先日息子に手を焼いて娘のケアを長時間後回しにしていたときに娘が1人で「娘ちゃんはお父さんとお母さんの大切な大切な宝物…」って唱えながら耐えていて泣いた— ぱの2y+2m (@U60B5) November 14, 2022 毎日、言葉と行動で娘さんに愛情を伝えている、ぱのさん。その愛情をしっかりと受け取っていた娘さんは、いつもいわれていた言葉をお守りのように感じていたのかもしれませんね。投稿には、さまざまなコメントが寄せられています。・不安になった心に、いつもの言葉がお守りになってくれたんですね。・娘さん、お母さんが来るまで、愛の貯金を引き出して頑張ってたんだね。・めちゃくちゃ素敵な声かけ。・私の母も毎日のように「大切」と伝えてくれたので、自己肯定感は高めで生きています。・親からの言葉って大事だなぁと、成人してから思うようになりました。愛情のこもった言葉は長く心に残り、その人の強い味方でいてくれることでしょう。大事な人には、耳にタコができるくらい「大切だ」と伝えたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2022年11月17日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日わが家には、小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。もともとは子どもは2人欲しい、と思っていたのですが、子育てしていくうちに子どもたちのかわいさからいつしか、子どもは3人いてもいいなあと思うようになりました。けれど、結果的にわが家は子どもは2人、ということになったのです……。そのいきさつをお話しします。ずっと、子どもは2人が良いと思っていた私は3人きょうだいの末っ子です。実家は家族5人で住むには少し手狭だったので、19歳で引っ越しをするまでずっと、母と同じ部屋で寝ていました。自分の部屋がないことがずっと不満でした。 自分の周りにはたまたま2人きょうだいの子が多かったこと、また母はいつも忙しそうに「3人は大変」と言っていた記憶があったので、自分は将来は子どもは2人が良いな……と漠然と思っていました。一方、夫はお姉さんと2人姉弟。子どもは2人ぐらいがちょうど良い、と思っていたようです。 3人目が欲しいと思ったきっかけ私が住んでいる地域は比較的専業主婦のお母さんが多いこともあり、お子さんが多い家庭も多いようです。娘が通った幼稚園にも、お子さんが3人、4人いるお母さんたちが多く、みなさんパワフルなので、はじめは驚きました。 けれど、そんなお母さんたちがせわしないながらも幼稚園の委員をこなしていたり、お子さんたちそれぞれに習い事をさせていたり、毎日充実して楽しそうにキラキラと輝いて見えたのです。そんなお母さんたちのなかにいるうちに、憧れに似た気持ちを抱き、いつしか自分も3人目が欲しい、と思うようになりました。 2人目を不妊治療で授かったわが家3人目が欲しいと思うようになった理由はもう1つあります。わが家は2人目不妊で、息子は不妊治療の末授かりました。息子がおなかにいたとき、息子は双子でした。ですがバニシングツインで1人消えてしまったのです。 そのことがわかったときは本当にショックで悲しかったですが、それと同時に、お空に帰ってしまったその子をいつか絶対呼び戻したい! と強く思ったのです。 3人目が欲しいな、と言った私に夫は夫は仕事が多忙なので、息子が生まれる前から私はワンオペ育児でした。1人のときはなんとかなっていたのですが、子どもが2人になると余裕がなく、明らかに家の中は荒れ気味でした。でも、今はそれで仕方ない、と思っていたのです。そんな中、3人目を考えているということを夫に軽く伝えてみました。すると夫は目を丸くして、「3人目〜?」と驚いたような反応で、その反応にしばらく悩みましたが、やっぱり欲しい! と思った私は、今度は真剣に「3人目が欲しい」ということを伝えたのです。 すると夫はこう言いました。「どの口が言ってんの?」と。普段キツいことを言う夫ではないので、余計この言葉はグサッと刺さりました。それと同時に、それなら少し助けてくれてもいいのに……私たちの子どもなのに⋯⋯と悲しくなり、夫のことが他人に見えてしまいました。そしてそれ以上、3人目の話はできなくなってしまったのです。 幼稚園に入園したやんちゃな息子が、お友だちの弟や妹にやさしくしてあげているのを見たり、3人目を妊娠した友人の話を聞いたりすると、今でも3人目が欲しかったな、と思うことがあります。けれど、子どもを2人授かれたことも当たり前のことではありません。そのことに感謝をして、今目の前にいるかわいい2人の子どもたちに、しっかり目を向けていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月05日月間500~600本以上配信されるマンガ記事のなかから、今年ママたちに最も読まれたマンガ作品を発表する「べビカレマンガ大賞」。マンガのテーマ別にTOP5を発表します。今回は「妊娠・出産マンガ」から、受賞作品1位から5位を発表します!妊娠、出産はすべて奇跡ーー。ママたちの妊娠、出産にまつわる体験談マンガ。巨大児や早産児の妊娠、出産エピソードや、病気を乗り越えたお話など、さまざまな体験談がランクイン!全話無料でイッキ読みできますので、ぜひチェックしてみてくださいね! 妊娠・出産マンガ TOP51位2人目は巨大児でした作者:ミロチ ■あらすじ巨大児だった第二子の妊娠〜出産の体験談マンガ。妊娠中ストレスで難聴を経験。妊娠中に「おなかの子は巨大児」だと医師に言われて、急きょ出産間近で大きな病院に転院することに……!? 2位930グラムのいのち作者:鳥野とりこ ■あらすじ息子のねこ太くんの出産・保活・発達障害に関する体験談をマンガ化! 27wで930グラムのねこ太くんを出産したときのエピソードです。 3位コロナ禍出産、母子共に命が危なかった話作者:わこ ■あらすじコロナ禍で出産したわこさんは、ご自身と赤ちゃん両方の命の危機を出産で体験しました。ご自身の体験をマンガで紹介します。 4位いくらの初産!3750g出産レポ作者:いくら ■あらすじ夫婦共働きで、3人の子どもをほぼワンオペしていた数年前。家事育児に無関心な夫を更生させるには、育児以上の苦労が待ち受けていた! こっさんさんの過去の実体験エピソードをマンガ化! 5位妊活レベル1 まっふの冒険記作者:まっふ ■あらすじ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中のまっふさんの体験談。お子さんを授かったときの妊娠中のエピソードを紹介しています。 「妊娠・出産マンガ」部門1位は、ミロチさんの「2人目は巨大児でした」が受賞しました。第二子を妊娠したあとのつわり、ストレスによる難聴、コロナ禍での立ち会い出産制限、巨大児のさまざまな影響など妊娠中のママにはぜひ読んでいただきたい作品です。 11月10日(木)には総合1位の「べビカレマンガ大賞」を発表します! ベビーカレンダーでは「妊娠・出産マンガ」のほか、「夫婦関係マンガ」や「ママ友トラブルマンガ」、「育児マンガ」など毎日たくさんのマンガを配信中! ぜひ読んでお気に入りのマンガを探してみてくださいね♪
2022年11月02日息子のアオちゃんとしーちゃんの日常を描く、つぐみ屋さんの育児マンガをご紹介します。1人目のアオちゃんを妊娠しているときは、ベビーカーはA型がいいかな、B型がいいかな、などと情報に踊らされていました。しかし2人目しーちゃんのときは……。妊娠中の過ごし方が1人目のときとこんなに違うとは、と驚いています。1人目と2人目で違ったのは……。 こんなに違うとは…… 1人目を妊娠していたときと違って、2人目の妊娠は、経験があるだけでなくアオちゃんがいるという点で大きく違いました。 おなかの上でジャンプする子どもからおなかを守ったり、アオちゃんを抱えて登園したりと、1人目のときと同じようには過ごせない、というのが現実なのでした。 ◇◇◇ 1人目の妊娠のときは、グッズ選びも慎重になりがちですが、2人目のときは経験があるから気持ちにも余裕が持てますよね。けれど、子どもがすでにいるからこそ大変な面も多々あるようです。SNSにはママたちから「わかりすぎる」「上の子からおなか守るのに必死だった」と共感の嵐だったようですね。著者:マンガ家・イラストレーター つぐみ屋
2022年10月29日2人目を里帰り出産して1カ月が過ぎたころ、当時3歳だった上の子も連れて飛行機で自宅へ戻ることになりました。その日はコロナ禍前の大型連休中で空港は大混雑。何をするにも行列に並ばなければなりません。子ども2人を連れての行動にまだ慣れていなかったため、もっとこうすればよかったと後悔したことがたくさんありました。どのようなことに苦労したのか、わが家の体験談を紹介します。※コロナ禍前の体験談です 大混雑の空港へ里帰り出産から戻るとき、上の子は3歳になったばかりでまだイヤイヤ期でした。私ひとりでは大変だろうと夫も来てくれて、当日は一家4人で空港へ。上の子が1歳のとき一緒に飛行機に乗った経験をふまえ、持ち物や授乳時間などできる限りの準備はしていたつもりでした。 ただ、その日はコロナ禍前の大型連休中で、空港は想像以上に大混雑。駐車場やトイレには列ができていて、搭乗前に荷物を預けるための行列は、先が見えないほどでした。そこで荷物は夫に任せて、子どもたちと搭乗口付近で待つことにしました。 幼い2人を連れて待つことの大変さやがて上の子は歩き疲れてぐずりだし、なんとか席を見つけておやつを食べさせていると、今度は下の子が泣き出しました。授乳室を探したくても上の子が動こうとせず、しかたなく授乳ケープを使って授乳を開始。 授乳中も上の子はぐずり続け、私の体を揺らしたり、急に走り出し、それをなだめたり追いかけたりするため授乳を中断すると、下の子が泣き叫び……。どうしようもできない状況に、私はほぼパニック状態でした。 やっとの思いで飛行機へ夫と合流するまでの時間は1時間ほどだったと思いますが、私には2~3時間に感じられました。やっとの思いで飛行機に乗り込み、上の子はCAさんにもらったおもちゃで遊び、私はゆっくり下の子に授乳。ようやく落ち着くことができました。 自宅に戻ってから、もっとおもちゃを持っていけばよかった、夫と別行動をとらなければよかった、空港まで実家の母に来てもらえばよかった、などたくさん後悔しました。 それからは、授乳室の場所を事前に調べておく、困ったときは誰かに助けを求めるなど、経験を生かした行動ができるようになりました。何より、私がもっとあせらず落ち着いて行動できていれば、子どもたちも自分もつらい思いをせずに済んだのではないかと思います。頼れるところは頼って、慣れないうちは無理をしないことが大事だと感じた出来事でした。 監修/助産師REIKO著者:斉藤 ひかり6歳女児、3歳男児の母。転勤族。結婚前に音楽業界で働いていた経験を生かし、主に音楽・エンタメ・子育て関連の記事を執筆中。
2022年10月18日待ちに待った2人目妊娠! 赤ちゃんの存在を2歳の長女にも少しずつ伝えていきました。長女はしっかりした性格で、赤ちゃんが生まれてくるのも楽しみにしていたので安心して出産へ。ところが産後、私が長女の寂しさに気付けず、長女が激変してしまった体験談をご紹介します。 待望の2人目を妊娠! 長女の反応は?長女が1歳9カ月のころ、2人目の妊娠がわかりました。「できれば2人目は2歳差がいいなぁ」と、長女が1歳3カ月を過ぎたころから不妊治療を進めていたので妊娠がわかったときはうれしかったです。 長女には少しずつ赤ちゃんの存在が理解できるよう、一緒に大きくなってきたおなかを触りながら言葉で伝えるように。すると、「ベイビーちゃん待ってるよ」とおなかに話しかけるようになり、その姿が微笑ましく親としてもうれしくなりました。 2人目出産までの長女との大切な時間里帰り出産のため、実家へ帰り長女と過ごす日々。赤ちゃんがいると理解していても長女はおなかに飛び乗ってくるので、つい怒ってしまうことが増えました。抱っこも我慢してもらい、寂しい思いをさせたかもしれません。 それでも長女と2人っきりの時間は産後しばらくは難しいと思い、できる限り楽しく過ごせるよう心がけました。2歳半を過ぎた長女はおしゃべりがどんどん上達し、トイトレなども進んでいたので「産後もきっと大丈夫」と、安心して出産へ。ところが……。 長女の赤ちゃん返り! 産後1カ月がつらいコロナ禍での出産のため入院中は長女に会えず、退院後やっと会えたときの長女は複雑な表情でした。赤ちゃんは「かわいいね」と言うものの「ベイビーちゃんは?」とおなかをさわる長女。環境が急激に変わり、赤ちゃんにママを取られたという意識が芽生えてしまったのかもしれません。 そして、赤ちゃん返りとイヤイヤ期がいきなり始まりました。着替えもごはんを食べるのも何もかもがイヤと泣き叫ぶように……。赤ちゃんを早く寝かせて長女の相手をしようとしても、寝た赤ちゃんの横でいきなり大声を出すことも。 産後1カ月は心身ともに余裕がなく、長女には寂しい思いをさせてしまいました。平日はワンオペ育児で大変でしたが、休日は長女と2人きりの時間を作り、赤ちゃんの接し方を教えていく中で赤ちゃん返りは少しずつ落ち着いていきました。半年を過ぎたころからは長女も赤ちゃんとの生活に慣れ、今では一緒にお世話してくれる頼もしいお姉ちゃんです。 監修/助産師 REIKOイラストレーター/さくら 著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年10月13日わが家の子どもたちは上の子が6歳、下の子が2歳の4歳差です。上の子が3歳になる年から、2人目をつくるかどうするか考え始めました。しかし、当時イヤイヤ期全盛だった上の子のお世話は想像以上に大変で、ワンオペ育児だったこともあり、上の子のお世話をしながらもう1人出産し、育てられるか不安でした。上の子の幼稚園入園を期に意を決し妊活を始め、妊娠、出産し、2人の子育てを始めてみて、今思うことをお伝えします。 今までの子育ての過程をもう一度2人目の妊活を始める前、イヤイヤ期の娘に翻弄(ほんろう)される日々の中で、きょうだいがいたらどんな生活になるのだろう、この子の性格も変わってくるのだろうかといろいろと想像を膨らませていました。一方で子育ての3年間を振り返ると本当に大変だったという印象が強く、これまでの過程をもう1回するのか……と思うと腰が重かったです。 当時3歳の娘はいつでも「遊んで遊んで」と言っている子で、日に日にきょうだいがいればお互いに良い遊び相手になってくれるのでは、という思いが強くなりました。そして娘の幼稚園入園で少し手が離れるのをきっかけに、本気で妊活を始めました。 意を決して2人目出産、娘にも変化がそして、娘が年少の冬に2人目である息子が生まれました。娘は4歳になる年までひとりっ子の状態だったので、はじめは自分がお姉ちゃんになることに戸惑い、赤ちゃん返りも長い期間ありました。しかし、弟に育児用ミルクをあげたり、おむつを替えたりとお世話を手伝ってくれました。 そして弟が2歳になり、ある程度意思疎通もできるようになってきた現在、同じ恰好で一緒にテレビを見たり、仲良く遊んだりして楽しく過ごしています。以前はお友だちや大人やによく一緒に遊んでとせがみ、常に遊び相手を探していた娘も、弟がいるだけで楽しいという感じで、家にいる時間が増えました。 2人いたほうがむしろラク!?2人目を産む前に心配していた「こんな大変な子育てというものをもう1回するのか」という思いは、実際にその生活が始まるとあまり感じませんでした。むしろ1人目よりもラクに感じ、より楽しくなりました。子ども2人を育てていると日々忙しく、考える時間がなかったというのもありますが、1人目でしたことのおさらいなので慣れもあり、良い意味で手抜きができたというのが大きな理由だと思います。 また、2人のことを考えなければいけないので、1人目だけのときのように神経質になってはいられず、育児に対して肩の力が抜けたということもあり、精神的にラクになっていたのだと思います。 じゃれ合う2人を見ていると本当に癒されます。喧嘩をするのもしょっちゅうで、仲裁に入るたびにやれやれとは思いますが、きょうだい喧嘩ができるのも相手がいてこそのこと。喧嘩ができることも踏まえ、本当に弟を産んでよかったと思います。2人目をつくるかどうするか迷っていた過去の自分に、今なら、絶対に産まない手はないと言えます。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師 REIKOイラストレーター/大福著者:澤崎 凪1男1女の母。パーソナルカラーコーディネーターの資格を持ち、色彩関係、ファッション関係のほか、自身の体験をもとにした子育て関係のジャンルを中心にライターとして活動中。
2022年10月12日私には2人の子どもがいます。結婚したころから子どもは2人で年の差は3歳がいいと思い、夫とも話していました。ところが、1人目の子どもが1歳半のころ、義実家へ遊びに行くと、急に義母が2人目について話し始めて……。 私たちの家族計画私の子どもたちは3歳差の2人姉弟です。私は結婚したころから子どもは3歳差で産みたいと考えていました。大きくなると入学や卒業が重なり大変というデメリットはありますが、自分の体力面や周りから聞いた話等を踏まえ、メリットが多いと感じていたからです。 それを夫に話すと、「産むのはママだし、子どもと一緒にいる時間が長いのもママだろうから、年の差はまかせるよ」と承諾。私たちのその考えは、1人目が生まれてからも変わりませんでした。 義母と話していると…1人目の子どもが1歳半のころ、家族で夫の実家へ遊びに行ったときのことです。リビングで義母と2人で話をしていると、義母が突然「そろそろ2人目の報告が聞けるのかな?」と言い出しました。 義母はいつもとてもやさしく、私たち夫婦に干渉するようなことはそれまでまったくなかったので、私はびっくり。それは早く2人目を産んでほしいってことなのかな……と思いながら、私は何と言って返せばいいのかわからず……。「どうですかねー」と笑いながら言葉を濁しました。 義母の言葉にモヤモヤ義母から「まだなの? 早く産んだほうがいいよ」と言葉で直接言われてはいないものの、そのような雰囲気というか、圧力のようなものを感じ、私は複雑な気持ちになりました。自宅に帰り2人目について聞かれたことを夫に話すと、義母はきょうだいの年の差は2歳差がベストだと思っていたようで、私たちがどう考えているのか聞きたかったのではないか、とのこと。 どうやら私がネガティブにとらえ、勝手に圧力を感じていただけで、義母は特に深く考えずに言っていたようです。その後は義母から同じことを言われることはなく、3歳差で2人目が生まれたときもとても喜んでお祝いしてくれました。 子どもを何人産みたいか、複数だとしたらきょうだいの年の差は何歳がいいのかということは、夫婦によってさまざまだと思います。義母は考えを押し付けようとしたわけではありませんが、私自身はモヤモヤしてしまったので、軽い気持ちで人に「そろそろ2人目?」などと聞くのはあまり良くないのかも、と考えるきっかけになりました。 イラストレーター/まっふ 著者:斉藤 ひかり
2022年10月07日2人目の妊活中、マタニティ用品や育児グッズは1人目のときの物をまた使えばいいので、妊娠・出産に向けて特に何か準備が必要だとは考えていませんでした。しかし、実際に2人目を授かってみると、予想しなかった問題が生じたのです。つわりがつらい!1人目のときはつわりがほとんどなかったのですが、2人目を妊娠すると、つわりがつらく、ひどい船酔いのような状態が何週間も続きました。 そのころ、上の子はまだ幼稚園入園前。1日中遊びの相手をするのが大変で、一時保育を利用してみたいと考えました。ところが、それまでに一時保育の利用経験がなく、預けられる施設を探すところからのスタートになってしまいました。 一時保育の予約がとれない!?近所で見つけた施設は、事前に利用登録が必要でした。なんとか登録手続きを済ませたものの、いざ利用の予約を入れようとすると「すみません、その日は一時保育の枠はいっぱいです」と、思いがけない回答が……。 つわりの具合を見ながら、どうしてもつらいときだけ預けようと思っていたのですが、予約は早めに入れておかないとすぐいっぱいになってしまうようです。結局、思ったようには利用することができませんでした。 早めの情報収集と利用登録を!当時住んでいた地域は子どもが多く、保育園や幼稚園の入園は激戦状態。一時保育も例外ではなく、「使いたいときに使うためには、複数の施設に利用登録しておいたほうがいいよ」と、あとになってママ友から教わりました。 妊娠前は特に一時保育の必要性は感じていなかったのですが、何かあったときのためにもっと早くから情報収集をして利用登録を済ませておけばよかったです。 1人目のときは妊娠経過が順調だった人も、2人目以降も同様とは限りません。実家が遠方など頼れる人が近くにいない場合は、不測の事態に備え一時保育等を利用できるよう準備しておくことをおすすめします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:奥田美紀2児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月03日10歳と2歳のお子さんがいる2児のママ・ひなこさん。36歳のシングルマザーです。(2022年9月時点)結婚当初から夫のうつに悩み、結婚10年目に離婚。Instagramではご自身の離婚体験談や、シングルマザー向けの役立ち情報をシェアしています。長年うつ病を患い、休職や転職を繰り返すものの子ども2人の育児どころか、ひなこさんが働いているにも関わらず家事もしない無職の夫。そんな夫と離婚するまでのエピソードを教えてもらいました。結婚1年目で夫が病気に結婚して1年ほどで、夫がうつ病を患い、休職や転職を繰り返すようになりました。最初は病院に付き添ったり、病気が良くなるようにかなり気を遣って生活していましたが、結婚10年目でついに離婚することになりました。うつ病の夫自身もつらいかもしれませんが、私も精神的、経済的に限界を迎えてしまったからです。 「良い旦那さん」と言われていた夫の様子に変化が結婚当初、私はろくに料理も作れず、元夫に教えてもらったり、下手な料理を文句も言わずに食べてくれたり。おもしろくて、やさしくて、「良い旦那さん」でした。子どもが生まれると、おむつ替えやミルクなど積極的に育児をしてくれて、初めての育児を一緒に乗り越えられました。私の友達にも気さくに話すので「話しやすくて良い旦那さんだね!」と褒められることも。そんな彼と一緒にいてすごく楽しかったです。 でもあるころから、仕事が休みの日に長時間寝るようになりました。「私は育児でずっと寝不足なのに……」と、ずっと眠っている元夫に不満がありましたが、仕事が大変なら仕方がないと思うようにしていました。 しかし、体調が悪くなってきて、会社を休むようになり、病院を受診すると「うつ」と診断されました。夫と一緒に休職のお願いをしに会社へ行きましたが、休職を拒まれ辞職を促されてしまいました。元夫は会社と争う気力もなく、あっさり自主退職。働けなくなったらすぐに辞めさせられるなんて、悲しくて悔しかったです。 無職になった夫、仕事どころか育児も家事もしてくれず……そこから1年以上無職のままでした。元夫は体調が悪いときは別人のように変わってしまいます。弱気で、何もやる気がなく、放っておいてくれという雰囲気。 最初はすごく心配していましたが、仕事だけでなく家事も育児もしてくれない。その期間が長くなるにつれて、私も精神的にしんどくなりました。 夫が休職や転職を繰り返すので、「体調が悪い」と言われるたびに動悸がしたり、また仕事ができなくなってお金が入ってこなくなるのではという不安に駆られ、毎日ビクビクして暮らしていました。 当時、私も働いていましたが、パート勤務で収入も多くありません。子どもがいるなかで、経済面で不安がつきまとうのは精神的につらかったです。 この間までは大好きな「良い旦那さん」だったのに病気のせいで、おもしろくて、やさしかった彼はいなくなってしまいました。まるで別人のようになってしまった彼。毎日気を遣って私自身も疲弊してしまい、離婚という決断をしました。 離婚して初めて「一緒にいるしんどさ」に気がついた今考えてみると、「離婚」という決断をするまで10年、遅すぎたなと思っています。元夫は仕事だけでなく、結婚生活自体にストレスがあって病気になってしまったんじゃないかなと思っていますが、離婚した今でも社会復帰はできていないそうです。 離婚したあとの私はというと、解放された喜びでいっぱいです。私は自分が思っていた以上に、元夫と一緒にいることがしんどかったんだな、と離婚して初めて気づきました。 先日、夫に連絡をすると「もうあなたたちの知っている私は死にました」と返信がありました。もう俺はいないと思って関わらないでくれ、という意味なのでしょう。私はもう関わらなくてもいい。でもせめて、離婚したあとも、子どもたちのことは愛してほしかった。養育費を払おうとせず、子どもたちと連絡を取ることも関わることもしようとしない元夫に、がっかりしています。そんな夫の分まで、子どもたちをたくさんかわいがって笑顔で生活していけたらと思っています。 著者:ひなこ2児のシングルマザー。Instagram(@sweet_10_rikon)では、自身の離婚体験談やシングルマザーのための情報を発信しています。
2022年09月30日■前回のあらすじ突然店長が辞めて、新人さんが2人入ることに。1人目は元自衛官だが、鬱になり辞めた過去があるそうで…この過酷な職場で大丈夫なのか、不安が募るのでした。2人目の新人さんは奥様風猫と一緒当時疲れ切っていた自分の気持ちをそのまま書いているので、不快に思われる描写もあるかもしれません…。2人目の新人さんは上品な奥様風の方でした。過酷なこの職場でやっていけるのか少し不安です…。そして、またしても家に帰るとおかしなことがあったのです。次回に続く 「汚部屋で起きた不思議な出来事」(全25話)は22時更新!
2022年09月19日私は、現在8歳の長男、5歳の長女、2歳の次女のパパです。上の子2人と違って、2歳になる次女は、出産の日がきてもまだ名前が決まっていませんでした。3人目にして初めて名づけで焦った私たち夫婦の体験談をご紹介します。名前が決まっていない!性別がわかってから早々に検討を始め、余裕をもって名前が決まった長男。長男ほど早くはありませんでしたが、生まれる1カ月ほど前には決まっていた長女。ところが、3人目である次女は、出産予定日が間近に迫っても名前が決まっていない状態に。 当時6歳、3歳と手のかかる2人の育児で、夫婦共々毎日が精一杯。さらに、きょうだい3人の名前に何かしらの共通点をもたせたかったこともあり、名づけが難航していたのです。そうこうしているうちに、とうとう妻の陣痛が……。 「名前は何?」の質問で焦る!3人目ということもあり、ずいぶんとスムーズに生まれてくれた次女。ほっとした気持ちとは裏腹に、私の心の中には強い焦りが生まれてきました。「名前……」。しかし、子どもが生まれると、上の子たちの育児と病院との行き来、そして仕事と、今まで以上に時間がありません。 妻とゆっくり話をする余裕もなく、生まれたわが子を名前で呼べない日だけがただ増えていきました。内心焦る私に、実家の両親や、私の職場の上司・同僚から次々と「名前は決まったの?」という質問がきます。私は、「今じっくり考えていて……」と笑顔ではぐらかすものの、焦りはピークに。 妻からの1通のLINEで決定!そんなとき、仕事中に妻から1通のLINEが届きました。そこには、「〇〇ってどう!? 上の2人と共通点もあるし、画数もばっちりだった!」という次女の名前の提案が。 私は「ここで保留しては絶対にまずい!」という直感が働き、すぐに快諾する返信をしました。その夜、初めて次女を名前で呼んだときは、安心した気持ちと何だか申し訳なかった気持ちとが入り交じり、ちょっぴり複雑でした。 次女に付けた名前は、今でも心から満足しています。いつか大きくなった次女から「どんなこと考えて私の名前を決めたの?」と名づけの由来を聞かれたら、自信をもって私たち夫婦がこめた想いを伝えます。けれど、「すぐに名前を呼んであげられなくてごめんね」という気持ちだけは、これからも心の中にしまっておこうと思っています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:佐藤 楓1男2女の父。元小学校教員。現在はライターとして、自身の経験をもとに教育・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在は妻がフルタイムで働き、“主夫”業も兼ねる。
2022年09月19日私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。 下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」で、「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気づく心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対症療法だと気づいたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの? 」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気づいたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた『ママ達が非常事態!?』という番組。放送の中で、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらせず、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだな、と自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月17日洗練されたセンスと仲睦まじい二人の雰囲気が、とても素敵なソヨンさん、ユウさん夫婦。シンプルだけど、目を引く…二人の絶妙なリンクファッションのコツを直撃。ソヨン&ユウが着る、ユニセックススタイルソヨンさんは、シャツ『JOSEPH』、パンツ『H&M』、パンプス『MM6』、ネックレス『ZARA』。ユウさんのライダースジャケットとトップスは共に『MISTERGENTLEMAN』、パンツ『Dickies』、スニーカー『CONVERSE』。「モノトーンで合わせました」(ユウさん)夫婦コーデを始めてから着こなしの幅が広がった。インスタグラムに投稿される夫婦コーデが話題のソヨン&ユウさん。開始からわずか1年ほどで、フォロワー数は15.2万人を突破。ベーシックなアイテムをおしゃれに見せるテクニックに支持が集まっている。「シンプルでモダンなテイストが好きで、そこにその時のトレンドカラーを加えたり、気分でバランスを変えるようなスタイルが基本。それは旦那さんも同じです」(ソヨンさん)「服の好みが似ているので、インスタを始める前から自然とテイストが合っていたんですよね」(ユウさん)ワードローブの中には、二人でシェアしているアイテムも多い。「基本的に僕の服は、ボトムスと靴以外、ほとんどシェアしています。そもそも今はソヨンが着られるものでないと、買い物のGOサインが出ません(笑)」(ユウさん)「別々で買い物に行ったとしても、必ず買う前に写真を見せ合ったりして意見を聞きます。お互いのセンスを信じているので、相談なしで買うことはないですね」(ソヨンさん)こんな服に関するやりとりが、二人の大事なコミュニケーション。「コーデの意見が合わなくて、喧嘩をすることもあるんです。でも笑って写真を撮らないといけないから、1日以上、喧嘩を長引かせることもなくなりました(笑)」(ソヨンさん)そして、夫婦コーデを始めてから、スタイリングの幅も広がったという。「今まではモノトーンアイテムしか着てなかったんですけど、写真が全部白黒になるのはしんどいし、もっとバリエーションが必要だなと思って、色物も着るようになったんです。コーデの幅が広がったことで、もっと服が好きになった気がします」(ユウさん)“Share”Q&AQ1. コーディネートをリンクさせるポイントは?「テイストと色を合わせること。色は同じでなくても、トーンを揃えたり、相手の着こなしに似合う色であればOK」(ソヨンさん)。「ソヨンが主体なので、彼女を引き立てる思いやりです(笑)」(ユウさん)Q2. いいなと思う、相手のおしゃれポイントは?「ハイブランドじゃなくても、高見えさせる素材選びのセンス。デザイナーとしての経験や知識がその審美眼に繋がるのかなと」(ユウさん)。「シンプルなものもおしゃれに見せるバランスの良さ」(ソヨンさん)Q3. 今後どんな服をシェアしてみたいですか?「前からステンカラーのコートを探しているんですけど、いいものがなくて。この秋こそはシェアできるサイズ感の素敵な一着を見つけたいです」(ユウさん)。「トレンドの色物を取り入れたいです」(ソヨンさん)“Share”Itemライダースジャケット1枚目写真でユウさんが着用していたもの。ソヨンさんが着ると、程よいオーバーシルエットに。高価な服も二人で着るならコスパ良し。“Share”Itemスニーカー色違いの『VANS』のオールドスクール。好きなものが似ているから、意識して揃えなくても、たまたまかぶることが多々あるそう。ソヨン&ユウ韓国出身のデザイナー、ソヨンさんとブランドディレクター、ユウさんの日韓夫婦。二人の新ブランド『toh.』(toh10.com)のHPが9月下旬オープン。インスタグラムは@_toh_※『anan』2022年9月21日号より。写真・川村恵理取材、文・菅野綾子(by anan編集部)
2022年09月17日シングルマザーとして2人のお子さんを育てているアラフォーママ・ひなこさん。結婚当初から夫のうつに悩み、結婚10年目に離婚。Instagramではご自身の離婚体験談や、シングルマザー向けの役立ち情報をシェアしています。今回は、ひなこさんが結婚10年目に、夫へ離婚を告げたときのエピソードを教えていただきました。 私が離婚を決意したきっかけ夫は長年うつ病を患っていて、今まで何度も休職や転職を繰り返していました。生活するお金が足りず、夫の実家と私の実家からお金を助けてもらっていました。しかし、あまりに何度も休職するので、夫の実家は「これ以上お金は出せない」と言ってきたのです。 義母は「夫婦のことなんだから、あんたがやりくりしなさい。お金がないなら、あんたの実家に頭下げて頼みなさい。貯金がないなんてどういうことなの? あなたが使いすぎなんじゃないの?」と言ってきました。 「あなたの息子さん、マイホームを購入したあとに給料は下がって、私も働いているのに育児も家事も一切しないんですよ……」 そう言い返したいのをぐっとこらえましたが、このとき何かがプツンと切れました。ずっと離婚したいと思ってはいたけれど、家事も育児も仕事もしない夫、お金もない……「夫はもういらないな」と気づき、離婚を決意しました。 夫に「離婚したい」と告げたある日、お昼すぎから子どもたちを実家に預けて、自宅で2人きりだけになる時間を作り、私はこう切り出しました。 私「話したいことがあるんやけど。離婚したい」夫「ほう。今から就職するのに、このタイミングなの?」私「もう遅いかな。貯金もないし……。今日から子どもたち連れて実家に帰るね」夫「子どもの親権はもらうからな。おかあが裁判してでも渡さんと思うわ」私「いや、私も親権渡さんよ」 家事も育児もしない、お金も稼がない人が何を言っているの……!?「おかあ」って、義母は関係なくない!? 夫の言葉に苛立ちながら、これ以上冷静に話せそうになかったので、詳しい話し合いは後日、ということで荷物をまとめて実家へ帰りました。今思えば、自宅で2人きりだと感情的になって話し合えなくなるので、人目のある外で伝えればよかったな、と思います。 離婚直前、夫が信じられないことを言い出した……!別居したあと、夫とカフェで何回か話し合いをしました。そこで夫が意味のわからないことを言い出します。 「親権取るのは難しそうだから諦めるわ。もし子どもたちに"父親の何かしら"を残してあげたいなら、育てるのはそっちで、親権だけこっちにしてもいいし」 はぁ~!? 身勝手な主張に正直呆れました。そして、夫は「貯金ないのは、どういうこと?」と、まるで私のせいと言わんばかりに責めてきました。これまでマイホームや車を買って、家計がカツカツになり相談したときも「そっちがやりくりしてや!」と相談に乗るどころか、何も聞かず、何も変えてくれなかったのに……。休職するたび、貯金を使わざるを得なかったのに……! 結局、離婚の意思を伝えたあとも私が悪いと言われ、円満離婚とはいきませんでした。離婚は相手のせいだけではなく、もちろん自分のせいでもある部分もあるけれど、お互い好きになって結婚したのに、嫌いになって離婚するのはなんだか悲しいですね。 10年の結婚生活で2人のかわいい子どもに恵まれましたが、結婚生活の半分くらいは「つらい」気持ちで生きてきました。私には夫を支えてあげる力はなかった……。しかし、離婚した今は、子どもたちと毎日笑顔で過ごせていて、とっても幸せです! 著者:ひなこ2児のシングルマザー。Instagram(@sweet_10_rikon)では、自身の離婚体験談やシングルマザーのための情報を発信しています。
2022年09月14日■前回のあらすじ両親に電話すると、娘の身を案じていた母の気持ちが伝わってきました。親になった今だからこそ、痛いほどその気持ちがわかります。最後の内診命がけで出産した日を思い出して出産とは長い時間をかけて、たくさんの人の協力、自らの命もかけてようやく1つの小さな命が産まれるんですよね。私自身この漫画を描きながら改めて命の重さを考えることができました。最後まで読んでいただきありがとうございました。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年09月13日