出産予定日の計算方法や、初産は予定より早まるのか、遅れるのか、産休はいつから取るのかなど出産予定日に関わることをお伝えします。 (1/7)
私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあり……。久しぶりの実家での生活産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 産院は実家から近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとって快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と小言が…無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながらボサボサ頭のまま長男のお世話をしていた私。ごはんを作ってくれる母、少しの間でも長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中は家にいることが多く……。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回は行っていました。増えた理由を話しても母は納得がいかないようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで大激怒に発展私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら、「いつまで電話してるの! お金がかかる!」とものすごい剣幕で激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使い過ぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 自宅へ帰る日に“あること”を実行そして長男の生後1カ健診が終わった日、自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を母に渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。 お金をもらえると思っていなかった母は、これまでの自分の言動を申し訳なく思ったのか「ごめんね」と一言。そしてどこか納得したような表情を浮かべていました。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めが必要だということ、お金を渡す旨も伝えておいたほうがいいということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 イラスト/森田家著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。復職に向けて資格取得を目指している。
2024年06月27日大きくなったおなかと共に期待と愛情いっぱいで過ごし迎えた出産予定日当日でした。おしるしが始まってからというもの、初産だったので痛みがどのくらいになると生まれるのか未知だったため、我慢に我慢をして病院へ向かったのです。 なにそれ!?診察をすると、なんともう子宮口が5cm開いており、そのまま入院。そして病院到着から2時間半後には出産という猛スピード安産でした。時間的には速いお産だったものの、その分お股のダメージは大きく、痛みに耐えながら、義母へ報告の電話をすることになりました。そこでひと言、義母からは「軽いお産で本当によかったわね!」と言われました。速いお産と言われるならともかく、軽いと言われたことにイラッとしてしまい、つい「スピード出産だったからこそ傷は大きいと、助産師さんにも頑張ったこと褒めてもらいましたー」と言い返してしまいました。 「命懸けで産んだのに……!」と心底憤りの心でいっぱいになった報告電話となってしまいました。このイライラは後日自分の母親にだけこっそりと愚痴って心のモヤモヤを解消しましたが、ふとしたときのひと言であっても言葉の重みを痛いほど知った出来事となりました。 産後で、ホルモンバランスの影響もあり、小さなことかもしれませんがとてもイラッとしてしまったことを今でも鮮明に覚えています。命を産むこと……それは速かれ遅かれとても大きなことで、また命懸けであることを忘れないでほしいと思いました。 作画/miyuka 著者:西村早紀育児に奮闘する新米専業主婦。パクパクと食べてくれる離乳食を日々試行錯誤しながら作るのが楽しみの1つ。
2024年06月26日第1子の出産のときの話です。 予定日を10日過ぎても生まれる気配がないので、誘発分娩になりました。 義母が産まれるときに行くと言っていたので、誘発分娩でいつ産まれるかわからないこと、産まれてから欲しいことを何度も伝えていました。お義母さん、本当にやめてー!!誘発分娩のため前日から入院する事が決まっていたため、最後の夜は夫婦2人で過ごす最後の時間という事でゆっくりしようと話していました。 そんな入院前日の午後、義母から「今向かっています」と連絡がありました。あれほど何度も言ったのになぜ来るのか。 当然、我が家に泊まるとのことで、夫婦2人最後の夜はいとも簡単に奪われました。 入院当日も1人で寝れる最後の朝。ゆっくり寝ようと決めていたのに、朝4時からガチャガチャ音を出して家の中をうるさくする義母。もちろん寝ていられず、家で過ごす最後の朝も壊され、精神的に最悪なまま病院へ。 誘発分娩中、陣痛で苦しむ中陣痛室にまで入ってきて助産師も「たまにああいう人いるのよね…」とドン引きしてました。実母より図々しく、本当に嫌でした。 ◇◇◇ 夫婦2人の時間を壊され、出産当日の早朝からうるさくて眠れず。しまいには陣痛室まで押しかけ…。義母には嫌なことなどははっきり言わなくて伝わらないと思い伝えるも、何故か「遠慮しないで」と解釈されその後も難しい付き合いを続けてます。夫を通して伝えてもらうも「そんな事思ってないでしょ?」と言われたり、最悪の場合は「嫁に言わされてるんだろう」と全く伝わらない日々です。 作画/さくら著者:山城早苗30代、3歳と5歳の子どもを育てるパート主婦。趣味はコツコツ貯めるポイ活。
2024年06月24日第3子妊娠中、経過は順調でいよいよ出産予定日まで1週間といったタイミングで、夫が「休みの日に会社のバイク仲間とツーリングに行きたい」と言い始めました。それ本気!?予定を聞いたらなんと出産予定日の3日前。さすがにそのタイミングはいつ陣痛が来てもおかしくないし、生まれているかもしれないから絶対にやめてほしいと伝えました。しかし夫は「生まれたら次いつツーリングに行けるかわからないからこの機会しかない」と言い張り、4歳、3歳の上の子ふたりを私に任せてツーリングに行ってしまいました。そして恐れていたことが……。お昼過ぎにおしるしがあり、その後間を開けずに陣痛と思しき腹痛が始まりました。アプリで間隔を測ると10分を切っており、今すぐ産婦人科へ行かなければならないレベル。夫に「陣痛が来た」と連絡したところ、「じゃあこれから帰る! 1時間半くらい!」との返事で絶望。上の子2人を抱えて「お願いだからこれ以上痛くならないで……」と祈りながら、長い長い1時間を待ちました。そして夫がようやく帰宅→即産院へ! 自力で動けるうちに無事に産院に到着し、そのまま無事出産できました。◇◇◇ 上ふたりが安産だったこともあり夫は「3人目だし大丈夫だろう」くらいの感覚でいたようです。いくらなんでもありえないエピソードとして、懲らしめの念も込めて夫の親族や上司、同僚に言いふらしています。 作画/犬野ぽよ彦著者:須加ちあき30代、保育園児3児を育てる限界フルタイムワーママ。夫は同じ会社の職場/職種違い。
2024年06月11日2人目の妊娠・出産でハッピーな産休ライフを過ごせるかと思いきや、想定外のことが起こりお金の心配がつきまとうことに。友人にまで、「お金のことで大変なんだね」と心配させるほど、話題はお金のことばかりになってしまい……。楽しみな産休ライフのはずが…1人目の出産・育休から復帰し、公務員として働きながら2人目を妊娠。1人目の子育てと仕事に追われる日々で体に負担がかかっているのか、体調を崩して休日は動かずに安静にして過ごすことが多かった私。早く産休に入りたいと心から願い、やっとその日が訪れました。 やっと入れた産休ライフでは、楽しみにしていたひとり時間に万歳三唱。大好きな海外ドラマを観まくれる、私だけの時間に浸っていました。2カ月だけの期間限定とはいえ、こんな時間はもう訪れてはくれないと、1人目を出産して痛感していました。 そんな中、妊婦健診に行くと「出産は大きな病院にしましょう」と先生から言われたのです。どうやら羊水の量が少ないとのことでした。 しかし、転院先で初めての健診をしたわずか数日後に陣痛があり、破水してしまったのです。出産予定日の1カ月も前のことでした。 病院を替えた途端に!病院に着いて診てもらうと、やはりもう出産になるということで陣痛室へ。 そんなときでも私は、あと1カ月ある産休ライフがなくなったことの悲しさと、もらえる給与が1カ月分なくなるのではないか(※)、ちょうどボーナス支給月に産休から育休に切り替わってしまうのでボーナスが支給されなくなるのではないかという心配で頭がいっぱいに。(※)公務員の場合、産休(産前・産後休暇)は有給休暇扱いとなり、給与が満額支給されます。 陣痛に襲われながらもお金の心配が頭をよぎりすぎて、職場の友人に電話をして、私のボーナスはどうなるのかわからないかと聞いたり嘆いたりしていました。そして、そんな状況の中ではありましたが、無事に出産したのでした。 結果的に給与1カ月分はなくなりましたが、ボーナスは支給されました。今考えると、生まれてきてくれたうれしさと同時に、そのときはお金のことで相当シビアになっていたように思います。退院した際に友人から「出産祝いを贈るよ」と話がありましたが、「(お祝い返ししなきゃいけないから)お祝いはいいよ」と言ってしまうほどで、友人にもびっくりされました。今でも思い返すと必ず出てくる笑い話です。 イラスト/ななぎ著者:米田のの監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月11日第1子の妊娠を職場で報告した私。出産予定日を伝えると、予期せぬショックな反応が返ってきたのです……。 ショックな言葉職場に妊娠を報告し、聞かれた出産予定日を4月1日だと答えた私。すると、「3月生まれだと、クラスの中で小さくてかわいそう」「4月1日までは上の学年に入ってしまうから、4月2日以降に出産できるといいね」と言われてしまったのです……。職場に限らず、出産予定日を伝えるとたいていこのような反応が返ってきます。 私は特に男性から言われるのが苦痛でたまりませんでした。妊娠週数が進むにつれて、このおなかの大きさで過ごすつらさや、出産に対する不安も知らないくせに……と思いながらも、その場は笑顔で「そうですね~」と取り繕うしかありませんでした。 そんな私も3月生まれ。実母に「私も3月生まれで小さかったりして大変だった?」と尋ねました。すると、母は「特に苦労はしなかったわよ!」と笑い飛ばしてくれたのです。私をここまで育てた母が言うのだから間違いはないだろうと、私もやっとほっとすることができました。 仲の良い義姉にも相談したところ、「生まれてくるタイミングを決めるのは赤ちゃん自身だからね」と励ましてくれました。母や義姉の言葉で、赤ちゃんを迎える心構えができた私。今は、周囲の言葉はなるべく気にしないようにして、生まれてくる赤ちゃんを楽しみに迎えようと思っています。 イラスト/きりぷち著者:かとうぬくこ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月18日息子を出産したときのこと。初めての出産にドキドキしながら夫と子どもの誕生を楽しみに待っていました。生まれる気配は感じませんでしたが、出産予定日まであと5日となった日の未明に突然破水! すぐに産婦人科へ向かいました。陣痛室へ通されたものの、まだ子宮口は開いておらず、ベッドに横たわりながら夫とたわいのない話をしていたのですが…… 出産予定日前に破水して産婦人科へ! 夜中に破水していたので私と夫は急いで病院へ。子宮口1cmだったので、陣痛室で待機することに。少しすると隣の陣痛室にも妊婦さんが到着。数分後に「死ぬ~! 何とかしろ~!」と大声が聞こえ、私と夫はびっくり。「頑張って!」と励ます男性の声と「頑張ってる! 見てわからないの?」と激怒する妊婦さんに私は「こんな壮絶なお産が待っているのか……」と不安になりました。 妊婦さんの怒鳴り声から13時間、私にも陣痛が訪れてようやく分娩台へ移動することに。分娩台は陣痛室の隣にあるため、先ほどの妊婦さんの声がよく聞こえてきます。隣の部屋から聞こえてくる妊婦さんの声から壮絶なお産がイメージされました。「まだ隣の妊婦さんの声が聞こえてくる。怖いよ……。早く産んじゃいたい!」と思っていたためか、分娩台に移動してまもなく息子が誕生。助産師さんからは「落ち着いていて、初産だと思えない」と言われました。夫はわが子の動画を撮りながらとてもうれしそう。しかしその動画にも、妊婦さんの叫び声が入っていました。 結局14時間も隣の妊婦さんの叫び声を聞いていたのですが、今振り返るとあの妊婦さんの声があったからこそ、逆に私は落ち着いて出産できたのかもしれません。夫が撮った出産の動画を見返すたびに「こんなことがあったな~」と特別な思い出になっています。 作画/CHIHIRO 著者:望月陽
2024年05月14日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日同時期に妊娠し、出産予定日が2カ月違いの友人がいました。出産したら、お互いに出産祝いを贈り合おうということになったのですが…。同時期に妊娠した友人と、出産祝いを贈り合うことに第1子を妊娠していたときのお話です。なんと、同時期に友人も妊娠! 友人の出産予定日は、私の出産予定日の2カ月ほど前でした。そこで、お互いに出産祝いを贈り合おうね!と、約束をしたのです。 そうこうするうちに、友人が無事に出産。私は、出産祝いに何をあげるか散々悩みましたが、姉からのアドバイスを参考に、必ず使うものであり、見た目のインパクトとかわいさを兼ね備えた「おむつケーキ」をプレゼントしました。 それから2カ月後、私も出産。後日、「おむつケーキ」を贈った友人から、お祝いをいただきました。「何だろう?」と開けてみると、なんと頂いたお祝いは「現金」だったのです。しかも、私が贈ったプレゼントの2倍の額でした…。 プレゼントを見た途端、私が思ったのは「産後で忙しくて、プレゼントを選ぶ時間がなかったんだろうな」ということと「正直現金の方がありがたいよな…」ということ。そして、このお祝いの差に焦りを感じ、「もしかしたらおむつケーキは迷惑だったのでは…」と友人への申し訳なさでいっぱいになりました。 さらに私は、産後の疲れもあってか、友人は「お祝いは現金が欲しかったよー」と遠回しに伝えるために現金をくれたのでは…?など、かなり後ろ向きな考えになってしまって…。というのも、これまで、贈り物をするときは相手の顔を思い浮かべて、相手の好きな物を自分なりに分析しながら、どれにしようか選んでいたので、現金を贈るという発想がまったくなかったのです…。 ともかく、これでは「不公平すぎて申し訳ない!」と思い、その友人には内祝いでかなり高額な物を贈ることに。すると、「こんなに高価なもの貰っていいの!?」と友人に驚かれてしまい、今度は「高価すぎて逆にモヤモヤさせてしまったか…」と、最後までスッキリしないお祝い交換となったのでした。 作画/加藤みちか著者:春田ちえり
2024年04月25日都会での子育てを前提に、産後の楽しいことばかりを考えて過ごしていた妊婦時代。出産予定日まで残り2カ月を切ったある日、突然夫から1本の電話が。話を聞くと、衝撃的な内容に私は思わず絶句してしまったのです。 地方転勤なんて聞いていないよ!私は出産するまで都市にしか住んだことがなく、妊娠中も都市での子育てを前提に近くの支援センターを見学したり、先輩ママとの交流を深めたりしていました。夫は転勤族でしたが当面は転勤の予定もなく、仮に転勤があったとしても主要都市だと言う夫の言葉を信じて疑いませんでした。 しかし出産予定日まで残り2カ月となったとき、夫から1本の電話が。「ごめん。転勤になった! しかも地方だった」という夫の言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になりました。 夫の転勤予定の地は夫の会社内でも「陸の孤島」と噂されていて、都会からのアクセスが非常に悪く、車がないと身動きの取れないような場所。ペーパードライバーの私にとって、交通手段を断たれたようなものでした。 想像していた以上に孤独な地方での子育て幸いにも里帰り出産することが決まっていたので、里帰り先での生活は不自由なく過ごすことができました。地方に行くことが恐怖にしか思えず、ずっと実家にとどまっていたいとさえ思うことも……。子どもが生後3カ月になり、私たち親子も夫の待つ地方に向かう時が来ました。 地方での生活は想像していた以上に孤独で、車社会であったことから町を散歩していても人が歩いている姿はほとんどありませんでした。私は長年のペーパードライバーなので、泣き続ける子どもを乗せて運転の練習をする勇気もなく、孤独な生活に耐える毎日。誰もいない道をベビーカーに子どもを乗せて散歩していると、寂しさから不意に涙が流れることもありました。 運命を変えた! 同じ境遇のママとの出会い子どもが生後5カ月のころ、私は孤独な毎日を変えたいと思い、支援センターやママの集まりなどを必死で探しましたが、どこも遠くて車で通うことが前提の場所ばかり。唯一、近所の公民館で「0歳児親子向けのリトミック教室」が新規開催されることを知り、即座に参加希望の連絡をしました。 ドキドキしながら教室に参加すると、そこにいたのは私と同じ転勤族のママたち。境遇が似ていることもあり、すぐにみんなと打ち解け、たくさんのママ友ができました。毎週リトミック教室に通う時間がとても楽しみで、レッスンを受けているときは孤独を忘れることができました。 地方育児もなかなか楽しいママと育児の悩みを共感しあったり、気分転換に一緒にランチをしたりできるまでになり、孤独だった育児が楽しい毎日へと変わっていきました。そして、今まで知らなかった地方のグルメやおすすめスポットを、ママ友たちと一緒に開拓するようになりました。 地方育児の良いところは、なんといっても自然がいっぱいでのんびりと子育てができるところ。毎日泥んこで元気に遊んで、家の玄関にカブトムシが止まっていたことも! もっと地方育児を楽しみたいという思いから、勇気を出して運転の練習もして行動範囲が広がり、ますます地方育児が楽しくなりました。 地方で育児を始めた当初は、地方の悪い面ばかりに目が行き、地方育児をまったく楽しめませんでした。当時、孤独な生活から私たち親子を救ってくれたママ友たちには感謝してもしきれないほどです。自然たっぷりの地方環境でママ友たちと協力し合いながら子育てできたことは、自分にも子どもにとっても良い経験となりました。 イラストレーター/ちひろ著者:斉藤菜々子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月13日近くのクリニックで無痛分娩を予定していた私。出産予定日の1週間前に夫が新型コロナウイルスに感染してしまい、クリニックから遠い県外の実家に避難することもできず、隔離生活をすることに。その後、夫の隔離解除の日の夜中に破水し、病院に行ったところ、私も新型コロナ陽性になっていました。 どうしよう…破水の2日前に鼻詰まりで病院に行ったときは、新型コロナとインフルエンザの検査をしてもらい、陰性でほっとしていましたが「新型コロナ陽性だとクリニックでは出産できず、大学病院に転院」と言われ、クリニックで探してもらい、大学病院に行くことに。 しかし、そこでは無痛分娩ができないため、緊急帝王切開をすることになりました。予想外の出来事に心が追いつかなかったのですが、赤ちゃんの安全を第1に考え、緊急帝王切開をしました。ただ私が新型コロナウイルス感染症だったので、赤ちゃんの生まれた声しか聞けず、顔も見れずに10日。毎日泣いて過ごしました。隔離中、やさしい看護師さんや、助産師さんが赤ちゃんの様子を教えてくれたり、私のスマホに写真や動画を撮ってきてくださったり、会えない分、寄り添ってくれました。10日後赤ちゃんに会えたとき、涙が止まらなかったです。大学病院の方に感謝の気持ちでいっぱいです。(女性/40代/会社員) 作画/加藤みちか 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月29日出産予定日を迎え、徐々に痛みがついてきた陣痛。長男と次男のときは、陣痛の前に激しい下痢があったので、3人目も同じだろうと思っていました。しかし、いつになっても便意らしい兆候が現れず、そのまま病院へ行くことに……。案の定、お産中に初めてしてしまった私の体験談をお伝えします。 私とは無縁! 出産時の便意友人たちが出産トークをするとき、よく耳にしたのが「出産時に排便してしまった」という体験。しかし、当時の私は「自分とは無縁な話」だと感じていました。実際長男と次男を出産するとき、陣痛の前に激しい腹痛と下痢があったので、おそらく私の腸の中は空っぽの状態。友人たちの話は「そんなこともあるんだ」と、あまり理解できずにいました。 長男と次男を産むときは、助産師さんから「便意があったらそのままいきんでね」とも言われていたので、便意というものは私にとって「赤ちゃんを産みたい」という感覚に置き換わっていたのです。 いざ迎えた3人目の出産!そして、3人目の出産予定日を迎え、順調に陣痛を耐えている最中、ふと不安がよぎりました。「前と同じような腹痛と下痢がない……」。前日から便秘気味だったにもかかわらず、当日になったら自然に便意があるだろうと安心しきっていた私でしたが、今回ばかりはいつもと違ったようで、便秘気味のまま病院へ。 そして「このまま便意がなかったらどうなるのだろう」という私の心配をよそに、分娩台へ登ることになってしまったのです。 便意にパニック! 初めて出産中に前日から便秘だったため、お産になかなか集中できない私。いきみたいという感覚なのか、本当の便意なのかの区別もつかず、さらに襲いかかる痛みでパニック状態になっていました。とにかく、いきむことに必死になったころ、おしりに違和感が。ついに、私も初めて出産中に排便してしまったのです。しかし、助産師さんたちは「大丈夫よ! 気にしないで頑張ろう!」と、すぐに処理してくれ、お産に集中できるよう促してくれました。 幸運なことに、夫が分娩室に入る前のことだったので一安心。その後はお産に専念できたこともあり、数回いきんで3人目の赤ちゃんが無事に誕生しました。 1人目と2人目の出産時の状況が似ていたため、3人目も油断しきっていました。今になって思うと、出産に向けてヨーグルトを食べたり、便秘にならない努力したりしておけばよかったなと反省しています。しかし、私が思っていたよりも助産師さんたちが冷静だったので、あまり恥ずかしいという気持ちにならず、安心して出産ができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:堀江ゆうき/女性・自営業。2男の母。現在第3子を妊娠中。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。作画:まっふ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月20日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日なっぱさんは夫のべじ太さんとの間に子どもを授かります。妊娠9カ月のころ、新居が完成するまでの間はべじ太さんの実家に住むことになりました。臨月になり足のむくみがひどく、改善を目指し懸命に努力をするなっぱさん。しかし、改善しないまま出産予定日を迎えたのでした。まるで力士のような歩き方になってしまうほどの足のむくみがある中、期待と不安を抱えて妊婦健診へ向かったなっぱさんですが……!? 落ち着け自分! 出産予定日当日の妊婦健診では、赤ちゃんの様子は順調だったものの、子宮口がまだ1cmしか開いていません。ですが、それを聞いたなっぱさんは、このままトントン拍子でお産に向かうだろうと前向きでした。 翌日も受診するなっぱさん。しかし、子宮口は変わらず1cmしか開いておらず……。いつ陣痛が来るのか不安でならないなっぱさんは、必死に雑巾がけをして陣痛を促そうとします。その翌日、むくみがひどく血圧も高めだったので即入院に。 動揺しながらも入院したなっぱさんは、陣痛促進剤を服用し2時間後……。ついに、副作用の嘔吐とともに陣痛がやってきたのです。 出産予定日を過ぎても陣痛が来ないと、精神的に不安になってしまいますよね。不安な中、パワフルで前向きななっぱさんの姿勢には、心を打たれます。 むくみや血圧も心配なところですが、ここにきてやっと出産のための入院できたことは、なっぱさんや夫、義両親にとっても安心材料となったのではないでしょうか。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月09日初めての出産のときのこと。出産予定日を過ぎても出てくる気配のない長男。医師がエコーでおなかを診たところ……。 予定日を過ぎても生まれず…長男を出産したときのこと。出産予定日から数日経っても生まれてくる気配がありません。そんな矢先、おなかの中で逆子に……。 帝王切開の可能性を考えておこうと先生からお話がありました。その後も出てくる気配はなく、逆子は戻らず。帝王切開をする日を決めました。手術前日、手続きを済ませて入院。病室で長男にいろいろ話しかけ、当日を迎えました。 手術前、少し怖い気持ちもありましたが、覚悟はできていました。お昼になり、「頑張ろうね」とおなかの長男に話しかけて手術室へ。先生が「よーし頑張ろう、最後に超音波ね」と言い、私のおなかをエコーで診察。すると先生は少し黙り、そして「切りません!」と断言しました。なんと息子が頭位に戻ろうと動いていたそうです。 その数時間後、通常分娩で元気な赤ちゃんを出産しました。本当にびっくりしてしまい、妊娠・出産は神秘だなと心から思いました。 ◇ ◇ ◇ 逆子の帝王切開では、手術前に赤ちゃんが動いて頭を下にすることが時々あるようです。生まれるまでは不安や緊張を感じるママが多いと思いますが、赤ちゃんの産声が聞こえると安心しますよね。赤ちゃんのご誕生、おめでとうございます! 監修/助産師 松田玲子作画/しおん著者:匿名希望ママ
2024年02月23日妊娠10カ月、出産予定日まで1週間になったときのことです。夕方に出血があり、病院で診察してもらうことに。診察の結果、まだ子宮口が硬くてお産までは時間がかかるとのことでした。しかし、夜も遅くなってしまったため、1泊して明日の朝に帰るよう言われた私。言われたとおり、1泊することになったのですが――!? 衝撃の結末6人部屋に泊まることになりましたが、その日は誰もおらず私ひとり。明け方になり腹痛で目覚め、下痢かと思ってトイレへ行きましたが、何も出ません。ベッドに戻ってしばらく寝ていると、また腹痛が……。再びトイレへ行ったあと、助産師さんに会ったので状況を伝えると、子宮口の確認をさせてくださいと言われました。すると「これはお産かもしれません!」と助産師さん。言われるがまま分娩台へ上がりました。 すると……。 たった2回! いきんだだけで生まれてしまったのです。 初産なのに下痢と勘違いした時間を含めて2時間。まさかのスピード出産に産院の方も私も誰もが驚きました。 分娩台に移って20分ほどで出産。お産は本当に何があるかわからないと思いました。そして、助産師さんの判断と、1泊していくように言ってくれた医師に心から感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:たけだ みこ/30代女性・主婦。2児のママ。趣味はドラマと映画鑑賞。イラスト:はたこ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年01月29日現在3歳になった3人目の出産間近のある日。出産予定日が過ぎていたこともあり、自然に陣痛が来るのを待つか、産院へ行き陣痛促進剤で陣痛を誘発するか、私が選択できることになりました。産院へ行こうかどうしようかとなかなか決断できない私に、しびれを切らした義母から衝撃的な言葉を言われたのです。 出産は私のタイミング3人目妊娠中のとき、上の子どもたちもいるので思うように行動できないかもと思い、義母にお願いして出産予定日数日前から家に来てもらっていました。 出産予定日2日後の妊婦健診で、産院の先生から「子宮口が4cm開いていて胎胞も出てきている感じだから、今日〜明日中に生まれそう。一度自宅へ帰ってごはん、お風呂を済ませて気持ちの整理がついたら病院へおいで。出産予定日を超えているし陣痛促進剤しましょう」 と言われました。帰宅途中に夫へ電話し、産院の先生から言われたことを説明しました。夫は会社からすぐに帰宅し、私も産院から帰宅しました。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、産院へ行くのをちゅうちょしていました。 義母が放った衝撃的な言葉なかなか産院へ行かない私を見て、義母も我慢できなくなったのか、夕方の4時ごろ「さっさと行ったらいいのに。今から行ったらちょうどよい時間や」と言いました。1人目・2人目のときは、陣痛が来て約2時間で出産していました。そんな過去から義母は、今から産院へ行って陣痛促進剤で陣痛を誘発すれば、3時間ぐらいで出産して、夫は7時ぐらいに帰宅してくるだろうと思ったようです。 その言葉を聞いたとき、申し訳ない、気持ちの整理がつかない自分に情けないと思ったのと同時に、同じ出産経験があって出産の大変さや痛さなどをわかってくれていたと思っていたため、とても悲しくなりました。 味方だった夫予想もしなかった義母からの言葉に私は返す言葉がなくて、目から涙が溢れ出てきました。その様子に気付いた夫は義母に、「それは言ったらあかんこと。火の中に自分から入っていくようなものなんやから、気持ちの整理がなかなかつかないのは仕方ないこと。自分のタイミングがあるんだから、整理つくまで黙って待ってあげてくれ!」 と言ってくれたのです。 それを聞いた私は気持ちがとてもラクになり、味方がいてくれてよかったとホッとしました。 義母への反抗その後、気持ちの整理がつかないまま夜に。夜中の1時ごろにウトウトしていると、ドンッ!!とおなかに違和感を覚え、トイレへ行くと出血が! 急いで産院へ連絡して行くことになったのですが、寝ていたはずの義母が産院へ一緒に行くつもりで、化粧をしてリビングにいました。 義母に言われた言葉がずっと頭から離れず、このときばかりは顔も見たくなかったため、夫から義母に家で寝ている上の子どもたちと一緒にいてくれるように伝えてもらいました。そうして私と夫だけで産院へ向かい、午前4時ごろに無事出産しました。 今になって思えば、義母の言動は私の体調を心配してのことだったのかなとも感じますが、出産のときは不安と恐怖で気持ちもデリケートになっていました。そんなとき、出産を自分のことのようにと考えて行動してくれた夫がいて、とても心強かったです。周りのママたちや将来、自分の娘や息子のお嫁さんが妊娠、出産したときには自分の経験をいかして接したいなと思いました。 作画/山口がたこ著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2024年01月23日ネットの情報や先輩ママから、妊娠中は腰が痛くなると聞いていたため、「双子ならなおさら仕方のないこと」と腰痛が悪化しても妊婦健診で先生に相談することなく耐え続けていました。しかしあまりの激痛に耐えきれなくなり、出産予定日を目前に控えた日の真夜中、病院へ。そこでわかった腰痛の原因をご紹介します。 妊娠3カ月には目立っていたおなか双子を妊娠して妊娠3カ月ごろにはおなかが大きくなり、妊娠前にはいていたズボンのチャックが閉まらなくなりました。それからはどんどんおなかが大きくなり、腰痛と付き合う日々。 仕事をしていても、運転していても、常に腰が気になります。妊婦健診の際に腰が痛いことを先生に伝えてみましたが、「もともと1人用のおなかに2人入っているので、腰への負担も仕方のないこと。できるだけ寝転がって過ごしなさい」とのことでした。 腰痛で眠れない日々妊娠5カ月に退職し、妊娠7カ月ごろからは必要最低限の行動以外は自宅のベッドにいる日々を過ごしました。それでも腰痛はひどくなる一方です。寝る向きを変えてみたり、腰をさすってみたり、押してみたり……。 少しでもラクになる体勢を探しながらゴロゴロ。夜中も痛みで起きてしまうため、ゆっくり眠ることもできない毎日。ただ、“腰痛は仕方のないこと”という認識から、妊婦健診でも先生に腰痛がひどくなっていることを相談しませんでした。 腰痛の原因が判明出産予定日を1週間後に控えたある日、とうとう腰痛が限界にきました。どうやっても治まらない激痛に涙がこぼれ、真夜中に通っていた産婦人科へ行くことに。そこで腰にエコーでみてもらい、腎臓に水が溜まっていることが判明! 双子の成長により尿の通り道が圧迫され、水腎症になっていました。水腎症を発症していては個人病院の産婦人科では産めないということで、そのまま市民病院へ転院し、緊急入院。2日後に、もともと予定していた帝王切開で出産しました。 出産したことで、尿の通り道への圧迫がなくなり、水腎症は回復しました。腰痛は赤ちゃんの重みが原因だと思い込み、先生に相談しなかった結果が緊急入院です。不安や心配ごとがあれば思い込みで過ごすのではなく、なんでも先生に相談しておけばよかったと、今回の体験から学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:桜田はな/女性・ライター。双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。作画:うちここ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年01月21日私たち夫婦が結婚する前に、病気で亡くなった夫のおばあちゃん。おばあちゃんが亡くなった3年後、私は長男を妊娠しました。出産予定日まであと3週間になったある夜、夢から覚めるとまさかの破水! その日、私が見ていた夢の内容とは……? 「何かのお告げ?」出産前の不思議な体験 義理の両親は共働きだったため、「俺はばあちゃんに育てられた」と言うほど、おばあちゃん子な夫。初めて会ったときから、夫のおばあちゃんは私にもやさしくしてくれました。「ばあちゃん前より大きくなったんじゃないの」「また、そんなこと言ってからかうんだから」と夫と冗談を言い合うようなお茶目でかわいらしいおばあちゃんでした。私もおばあちゃんの人柄が大好きだったのですが、あるときおばあちゃんは病を患い、闘病の末に亡くなりました。 その3年後、夫と結婚し長男を授かります。出産予定日まであと3週間と迫ったある日のこと。日中に妊婦健診があり順調と告げられた私は、いつものように就寝。すると、夢の中に夫のおばあちゃんが現れたのです。いつもニコニコしていたおばあちゃんでしたが、夢の中では真剣な面持ちで私に何かを伝えようとしていました。 夢から覚めた直後、私は盛大に破水! 「今日の妊婦健診で順調って言われたし、まだ3週間もあるのに!?」と予想外の出来事に気持ちが追い付かないまま、夫の運転で急いで病院へ。翌日、無事に長男が生まれました。 今になって思い返すと、出産予定日よりだいぶ早い出産を、おばあちゃんが教えにきてくれたのだと思います。そんな長男も今では10歳に。長男には「あなたが生まれるとき、パパのおばあちゃんがもうすぐ生まれるって教えてくれたんだよ」と話しました。今では、夫の実家に行くと「おおじいじ、おおばあば、遊びに来たよー!」と自然にお仏壇に手を合わせるまで成長。おばあちゃんの仏壇を前にするたびに思い出される、不思議なエピソードです。 作画/mosu著者:あさかわりこ
2024年01月12日2人目の子を出産したときの話です。私はこれが最後の出産になるからと、バス・トイレ付きの個室がある産院を選びました。逆子が直らず予定帝王切開だったため、入院は1週間。赤ちゃんとの優雅な産院生活を送るつもりだったのですが……。2度目でも産後は大変…産後は赤ちゃんのケアに追われる毎日でした。帝王切開の痛みは徐々に軽くなるものの、ベッドから起き上がるのもひと苦労。 ほとんど人と会わない個室ということもあり、空き時間はシャワーもせずにただ横になっていました。 シャワーなしで1週間経過体を動かせるようになってからも、全然眠ってくれない赤ちゃんを夜通し抱っこする日が続き、常に寝不足状態。赤ちゃんが眠った隙を見て、私もばたっとベッドに倒れていました。 そんなふうに過ごしているうちに、結局1回もシャワーを浴びずに退院日を迎えたのです。バス・トイレ付きの部屋だったにもかかわらず! しかし、このことは誰に知られるわけでもありません。「もう帰るんだし、いっか」とのんきに構えていました。 退院前の内診で大慌て!退院当日は診察がありました。診察といっても切開した傷口を診られるだけかと思っていたら、大誤算。子宮の収縮度合いを確認する内診もあったのです。 「子宮もですか!?」。私はとっさに声が出ました。入院中1回もシャワーをせず、悪露まみれでひどい悪臭を放つアソコをお披露目しなくてはいけません。 慌てる私に看護師さんは心配そうな顔。私は平静を装って内診台に座り、もしかしたら運良く担当医師の鼻が詰まっているかもしれないという、少ない可能性を信じました。そして内診は問題なく終わり、医師と看護師さんに笑顔で見送られながら、私はそそくさと部屋に戻ったのです。 産後は体を動かすのが難しく、赤ちゃんのお世話をしながら隙を見て仮眠をとる生活。シャワーを浴びる気力が湧かないまま退院日を迎え、退院前検査で冷や汗をかいてしまいました。助産師さんいわく、産後に不衛生な状態が続くと創部や子宮内で感染の恐れがあるとのこと。助産師さんに相談すれば清拭などをしてくださるようです。今になってみれば、シャワーを浴びるのがしんどいということを助産師さんに伝えたらよかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:原 かすみ
2023年12月21日2人目の子を出産したときの話です。私はこれが最後の出産になるからと、バス・トイレ付きの個室がある産院を選びました。逆子が直らず予定帝王切開だったため、入院は1週間。赤ちゃんとの優雅な産院生活を送るつもりだったのですが……。2度目でも産後は大変…産後は赤ちゃんのケアに追われる毎日でした。帝王切開の痛みは徐々に軽くなるものの、ベッドから起き上がるのもひと苦労。 ほとんど人と会わない個室ということもあり、空き時間はシャワーもせずにただ横になっていました。 シャワーなしで1週間経過体を動かせるようになってからも、全然眠ってくれない赤ちゃんを夜通し抱っこする日が続き、常に寝不足状態。赤ちゃんが眠った隙を見て、私もばたっとベッドに倒れていました。 そんなふうに過ごしているうちに、結局1回もシャワーを浴びずに退院日を迎えたのです。バス・トイレ付きの部屋だったにもかかわらず! しかし、このことは誰に知られるわけでもありません。「もう帰るんだし、いっか」とのんきに構えていました。 退院前の内診で大慌て!退院当日は診察がありました。診察といっても切開した傷口を診られるだけかと思っていたら、大誤算。子宮の収縮度合いを確認する内診もあったのです。 「子宮もですか!?」。私はとっさに声が出ました。入院中1回もシャワーをせず、悪露まみれでひどい悪臭を放つアソコをお披露目しなくてはいけません。 慌てる私に看護師さんは心配そうな顔。私は平静を装って内診台に座り、もしかしたら運良く担当医師の鼻が詰まっているかもしれないという、少ない可能性を信じました。そして内診は問題なく終わり、医師と看護師さんに笑顔で見送られながら、私はそそくさと部屋に戻ったのです。 産後は体を動かすのが難しく、赤ちゃんのお世話をしながら隙を見て仮眠をとる生活。シャワーを浴びる気力が湧かないまま退院日を迎え、退院前検査で冷や汗をかいてしまいました。助産師さんいわく、産後に不衛生な状態が続くと創部や子宮内で感染の恐れがあるとのこと。助産師さんに相談すれば清拭などをしてくださるようです。今になってみれば、シャワーを浴びるのがしんどいということを助産師さんに伝えたらよかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:原 かすみ/30代女性・主婦。2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト:森田家 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年12月21日耳の聞こえないパパ・ととちゃんと、ママ・ゆうこさんが、家族の日常を公開しているYouTubeチャンネル「みゆみゆチャンネル」から、陣痛タクシー乗車中の衝撃事件をご紹介します。ゆうこさんは、耳が聞こえないパパ・ととちゃん、23歳の長女、大学1年生の次女、小学生の三女の5人家族です。 ととちゃんとゆうこさんはステップファミリーで、長女と次女はゆうこさんの連れ子、三女のかいちゃんは2人の実子です。長女はすでに結婚していて、現在1児のママ。ゆうこさんは、長女7歳、次女3歳のときに離婚。長女14歳、次女10歳のときに再婚しました。 今から1年前の12月、長女みゆかさん(当時22歳)が第一子出産のため実家に里帰り中。出産予定日を超えたある夜、事件が起こります……。 出産予定日から3日後…2022年12月14日23時半。この日は、予定日から3日超過。 ゆうこさんが寝ていると「破水した」と起こされました。 破水の量は多くないようです。予定日が過ぎて、「もうこのままずっと生まれないかもしれない」となげいていたみゆかさんは、大喜び! ととちゃんはお風呂に入っていたので、手話で病院へ行くことを伝えます。 笑みがこぼれるみゆかさん。ニコニコでととちゃんに「行ってきます」と伝え、ゆうこさんと陣痛タクシーに乗り込むのですが……。 病院へ向かう途中、事故に……!場面が変わると、みゆかさんのつらそうな声から動画が再開します。 ゆうこさんが、タクシーの中でみゆかさんの出産の意気込みを動画に収めようとカメラを持っていたところ、信号無視した車がタクシーに突っ込んできたのです! タクシーから出ると、偶然通りかかった医師がみゆかさんを診てくれたました。 幸いけが人は出ませんでしたが、みゆかさんは震えていました。 「念の為、救急車で病院まで向かった方が良い」という医師の助言で、救急車を呼ぶことに。そのままゆうこさんとみゆかさんは、救急車に乗って病院へ向かいました。 無事に出産&退院!幸い母子ともにけがはなく、そのまま、みゆかさんは無事に出産しました。 陣痛タクシーでの交通事故について、母ゆうこさんはこう語ります。 「事故に遭う前は、今の幸せも、当たり前のように毎日続くものだと疑うこともありませんでした。「じゃあ行ってくるね」と簡単に交わす家族の言葉が最後の挨拶だったかもしれない……。事故を振り返るたび、日頃から愛情を言葉にする大切さを身にしみて感じています。最近では、幼い孫が、長女である母親の姿を追って大泣きする姿を見て、自然と笑みがこぼれてしまいます。この幸せな瞬間も奇跡なのかもしれない……と、事故当時のことを時々思いだします。今日という毎日を大事に生きていきたいです。」 陣痛タクシー乗車中の避けようのない事故。ゆうこさんとみゆかさん親子にけががなく、無事に赤ちゃんが生まれて本当に何よりです。「明日が来ることが当たり前ではない」……家を出る時のささいな喧嘩や会話が最後になっていたかもしれない……。そう思うと、毎日家族を送り出すときや、自分が出かけるときの言葉や何気ない日常をより大切にしたいな、と考えさせられる動画でした。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年12月14日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子を持つ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送れたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院して、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親につくってもらっていたごはんを自分でつくる練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張るれました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けられ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったと思います。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れています。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:河村アリス/20代女性・主婦。7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。作画:ムチコ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年12月07日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年12月07日私は30歳の主婦。結婚2年目に入り、間もなく私たち夫婦のもとへ待望の赤ちゃんがやってくる予定です。やさしい夫も、わが子に会えるのを楽しみにしていたのですが……。このところ頻繁に我が家にやってくる幼馴染が私の悩みのタネ。彼女がなかなかのクセモノで、突然やってきて当たり前のように夕飯を一緒に食べたり、私の存在はないもののように、夫と昔話に花を咲かせたりするのです。厄介な幼馴染夫と幼馴染が出会ったのは、3歳のころ。保育園で出会ってすぐに、夫は幼馴染に恋心を抱いたそう。何度も告白したようですが、その想いは叶わなかったと聞きます。 それも昔の話だと夫は笑いますが、幼馴染はそうではないようで、自分のことを好きだった男が他の女と結婚したのがよほど気に入らないのか、マウントを取られているような気がしてなりません。幼馴染だからといって、長電話したり、終電を逃した彼女を迎えに行ったり、相談があるからと深夜の呼び出しに応じたりする夫が、私には理解できません。このまま夫婦生活を続けられるのか本気で悩む中、いよいよ出産予定日が近づき、私は里帰り出産のため実家に帰りました。 出産予定日に夫がいた場所は…陣痛が来ていよいよ出産というそのとき、何度電話をかけても夫は電話に出ません。駆けつけてくれた義母が会社に連絡をしたところ「出産予定日で休みをとっている」といいます。 なんだか嫌な予感がする私……。やっと電話に出た夫は、幼馴染と温泉旅行に行っていると言います。 どうやら幼馴染に「出産に男がいても意味がないし、生まれたらしばらく行けなくなるから、今のうちに羽を伸ばしておくと良い」と言われたようで、悪びれる様子も見せず「マジ温泉サイコー! 出産頑張ってね!」と信じられない発言をします。私は、電話を切り、そのままスマホの電源を落としました。 夫に制裁を数時間後ーー。陣痛との格闘を終え、私はついに娘との対面を果たしました。穏やかな入院生活ののち、家に帰ったところでスマホの電源を入れると、タイミングよく夫から電話がかかってきました。 「今から会いに行くね。幼馴染も会いたいって!」……こんなときまで幼馴染が登場するなんて、もう怒りを通り越して呆れてしまいます。 そんな能天気な夫を見かねた母は、スマホを手に取り「娘と子どもはもう居ないよ……」と静かに告げました。 結婚してまもないころ、夫は「離婚届はいつでも出せるように用意しておくと良い」という幼馴染の意味のわからないアドバイスに従い、離婚届を書いていました。私はそれを活用し、出生届とともに提出したのです。幼馴染の入れ知恵が役に立つなんて、なんだか皮肉ですが……。 幼馴染との付き合い方離婚のきっかけとなった夫と幼馴染の温泉旅行ですが、状況的に不倫旅行といわれても文句は言えません。夫は何もなかったと言い張りますが、そんなことは関係なく慰謝料を請求することにしました。もちろん、夫が娘の父親でもあることに変わりはないので、養育費も払ってもらいます。 幼馴染は夫にとって大切な人だったかもしれませんが、そもそも出産を控えた妻を置いて旅行に行こうと誘うような人は、夫婦にとって良い人物とはいえませんよね。いくら幼馴染といっても異性。節度を持った付き合いをする必要がありますね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月05日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポ。お話は出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日から始まります。安産のためには歩くのがいいなど言われますが、コツママも里帰りしてからほぼ毎日歩いて準備は万全! 出産予定日から2日後、おなかが少し痛くなってきたかなと思い……。出産予定日を1日過ぎた40週1日、コツママは10万歩を目指してウォーキングをし始めました。その翌日は家族でカラオケへ。夕方になって少しおなかが痛いなと感じ、待ちに待った陣痛がきたと喜びます。夜になると、痛くて眠ることができず……。病院へ電話をすると、一度来てくださいとのこと。もうすぐ会える!と心を躍らせ、病院へと向かい……。 病院へ行くも痛みで眠れず… ※妊娠中に診療を受ける際は、妊娠している旨を医師に必ず伝えましょう 午前1時30分、病院に到着。内診をしたところ、子宮口の開きは1cm。とりあえず入院をして様子を見ることになりました。入院中、隣の部屋から「あ〜いったぁ〜い」とうめき声が聞こえ、少し怖くなります。 リラックスして家族とLINEをしていると再び痛みが……。しかし、「子宮口の開きは1cmなので、いまのうちに少し寝ておいたほうがいいよ」と助産師さんに言われます。痛みを我慢しつつ寝ようとしたとき、前歯のセラミックがとれました。 結局眠れず……。朝になると痛みのレベルが下がり、おなかの張りの間隔も開いてきました。内診しましたが、大きな変化がなかったのか、一旦退院することに。せっかくならと歯医者を予約して自宅で眠ろうとするも寝られず、一睡もしないまま歯医者さんへ(※妊娠中に診療を受ける際は、妊娠している旨を医師に必ず伝えましょう)。 仮の前歯をつけてもらい、自宅へ戻ると痛みの度合いがアップ。夜になるとさらに痛みが増し……、心細くなったコツママは夫のTくんに連絡。夫のほうは明日には生まれるかな、と思いながらコツママの元へ向かうのでした。 初産は子宮口の開きがゆっくりなことが多いので、眠れるときに眠って体力を温存しておいたほうがいいと言われますよね。ですが、陣痛の痛みと出産への不安がある中、眠れなかったという人も多いのではないでしょうか。夫のTくんがコツママの元に向かいますが、顔を見ることで安心してゆっくり眠れるといいですね。 監修/助産師 松田玲子次の話を読む → 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月22日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポ。お話は出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日から始まります。安産のためには歩くのがいいなど言われますが、コツママも里帰りしてからほぼ毎日歩いて準備は万全! 出産予定日から2日後、おなかが少し痛くなってきたかなと思い……。保育士として働いてきたコツママ。現在、第1子を妊娠中で40週1日を迎えました。出産予定日を1日過ぎ、そろそろ産みたい!とウォーキングに精を出します。10万歩を目指して歩いた翌日、なんだかおなかが痛くなり……。 今か今かと待ち遠しく… 出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日、コツママは10万歩を目指してウォーキングをし始めました。というのも、出産予定日の健診で赤ちゃんがまだあまり降りてないと言われたから。私の骨盤は広いからきっと安産だ! あとは陣痛さえくればスッと生まれてきてくれるはず!とポジティブに考えます。 ウォーキングの翌日は家族でカラオケへ。夕方になって少しおなかが痛いなと感じ、コツママは待ちに待った陣痛が来たと喜びます。おなかの張りの間隔が10分になり、明日の朝には生まれるかな?と笑顔に。その後も赤ちゃんが降りてくるよう家の中を歩きます。このタイミングでおなかの張りの間隔を計りますが、バラバラ。しかし、痛くて眠ることができず……。 病院へ電話をすると、一度来てくださいと言われました。「いざ出陣!」と赤ちゃんとの対面を楽しみにテンションが上がります。 お産は十人十色と言われますが、初産のときはおなかが痛くなってくるともう生まれるのかなと思いますよね。痛みで眠れず、病院へ行くことになったコツママ。すぐに出産となるのでしょうか……。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月21日第一子を妊娠し、臨月で出産予定日が近づいてきたときのこと。初めての出産で不安もあり、夫に遠出は控えてほしいと伝えていました。そんなある日、残業で遅くなるという連絡が。仕事だと思っていましたが、帰宅した夫が持っていたものを見て驚き&腹が立ちました!! 残業かと思いきや…あるものを手に帰宅夫の趣味は釣り。普段からよく夜釣りに行っており、妊娠中も変わらず、釣りに出かけていました。臨月で出産予定日が近づいてきたころ、初めての出産で不安もあるため、遠出は控えてほしいと夫に伝えていました。そして、夫も釣りを我慢してくれていました。 出産予定日の1週間前から夫の仕事が忙しくなり、帰ってきてからも仕事をする毎日。ある日、「残業で遅くなるからご飯いらない」と連絡がきました。数時間後ーー、40〜50㎝のカレイを抱えた夫が、「見て!」と満面の笑みで玄関に立っていました。いろいろと「は!?」という状況で、いまでも思い出すと腹が立ちます(笑)。 夫には、釣りを制限してほしかった理由、ウソをつかれて傷ついたことなどを伝えました。1人目ということで私の不安も大きすぎたかもしれません。いま3人目がおなかにいますが、出産間近に夫が釣りへ行っても何も思わないかもしれません……。母は強し! ◇ ◇ ◇ 息抜きで釣りに出かけたのかもしれませんが、妻の容態が急変することもあるので残業とウソをついたのはよくなかったですね。初めての出産は不安も大きく、とくに夜は心細くなることも……。家に人がいると安心ですよね。とはいえ、お互い息抜きは大切!ルールを決めて、趣味を楽しみたいですね。 作画/シュー子著者:きんぎょ りん 2018年生まれの女児、2020年生まれ男児を育てる看護師ママ。
2023年10月17日第2子を出産したときのお話です。出産予定日の11日前。朝起きるとおしるしがあり、おなかの張りと痛みがあったので急きょ病院へ。母と上の子と一緒に車で病院へ向かったのですが、そのとき何気なく言った上の子の発言に衝撃を受けた体験談です。出産予定日の11日前におしるしが!妊娠38週3日のときのことです。前の日の夜中に上の子(当時3歳)が嘔吐をしてしまい、朝には落ち着きましたが、私はまったく寝ていない状態で朝を迎えました。そして、朝トイレへ行くと「おしるし」が! 第2子を妊娠してから、まったく抱っこしていなかった上の子を抱っこしたからかも……と焦りました。 おしるしは上の子のときにはなく、「ついに!」と思ったものの、「もうそろそろという目安なだけで、おしるしがあってから出産まで1週間かかる場合もある」という情報をネットで見ていたので、仕事へ行く夫に軽い気持ちで「妊婦姿見納めかも〜」と伝えていました。 妊婦健診のあとにおなかの張りを感じ始めて……その日はちょうど妊婦健診があり、母に送迎してもらう予定だったので、保育園をお休みにした上の子を小児科へ連れて行き、そのまま妊婦健診へ。 11時の時点で子宮口は1cm。2人目なので、「痛みがあったら早く来てね」と言われ、帰宅しました。帰る車の中、なんとなくおなかが張って定期的な痛みはあるなぁと、陣痛アプリを使ってみると、すでに3~4分! いやいや、まだわからない……そう思いつつも不安だったので、念のため母にはしばらく自宅で一緒に待機してもらい、様子を見ていました。 しかし痛みは引かず、15時30分に病院へ電話。すると、「入院セットを持って来てください」と言われたので、急いで病院へ出発しました。 上の子の予言が的中!?病院へ向かう車の中で、上の子に「何時に生まれるかねぇ?」と何気なく質問したところ、「ろくじ!」と言われました。ちなみに当時、上の子はまだ時間のことは理解できていません。私は、「18時ならあと2時間か〜。それくらいなら耐えられるわ。頑張ってくるねー!」と言って別れました。 助産師さんにそのやりとりを伝えると、「子どもの言うことは意外と当たるよ」と言われましたが、「もしこれが朝の6時だったら結構キツイなぁ」と思っていました。そして、陣痛室に入ったのが17時30分。すると助産師さんが、経産婦だから早め早めにと言って、子宮口が7~8cmになったところで早々に分娩室へ。 分娩室に入ってからいつまで経ってもいきんでいいと言ってもらえず、いきみ逃しをしているはずが……何とそのままスルッと誕生! そのとき17時52分。まさかの上の子の予言が的中してビックリでした! 出産後、本人に「生まれる時間当たったよー!」と伝えたのですが、言った本人は無反応(笑)。 産後、複数の助産師さんから「小さい子どもの言うことは当たるから!」と言われました。あんまり信じてはいなかった、上の子が言った下の子の誕生した時間。出産直後に時間を聞いて、とても不思議な気持ちになったのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ミルク/女性・会社員。3歳、0歳の2児の母。ただいま育休中。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年10月14日私には3歳の長男と1歳になる次男がいます。ちょうど1年前、次男の出産予定日の20日前におしるしが来ました。おしるしが来てもまだ生まれないだろうと、その日私は長男と2人で普段通りお散歩へ行ったり家で遊んだりして過ごしていました。しかし、だんだんおなかが痛いような気が⋯⋯。出産予定日よりかなり早かったので、まさかその日に生まれるとは思っていなかったのです。おしるしからすぐに生まれないと思い込む長男を出産したときは、おしるしから24時間以上して陣痛が来ました。私は次男のときも同じように、おしるしが来てもすぐには生まれないだろう、たまにある腹痛は前駆陣痛だろう、と思い込んでいたのです。 しかしズーンとした生理痛のような痛みが続き、もしかして陣痛かもしれないと気づきました。そして19時ごろ夫が帰宅。すぐに夫におしるしがあったことと、陣痛かもしれないということを伝えました。夫が帰ってきた途端、気が緩んだのか痛みがジワジワと強くなってきたのです。 コロナ禍で面会時間が少ないからこそ……そのまま痛みは続きましたが、間隔が20分程度空いていたのでまだ大丈夫だろうと思って我慢をしていました。長男を寝かしつけたあと、私も早めに布団に入りました。しかし、だんだん20分、10分と痛みの間隔が狭くなって……。コロナ禍で面会時間が30分に限定されるため、私はせめて、長男が朝起きるまでは自宅で耐えたいなと思っていたのです。 次男を出産するときには、長男を私の実家に預けるつもりでした。もし長男を寝たまま実家に連れて行ってしまえば、長男とまともに話す時間がないまま産婦人科へ入院になります。それは私にとっても長男にとっても寂しいなと思ったのです。 もう限界! 長男を実家に預け、産婦人科へ夜中3時、3時10分、20分……とあのときの時間が経つのは永遠に感じました。長男が「おはよう!」と起きてくる7時ごろまでは耐えなければ……と、私はかなり痛かったですがひとりで耐えていました。しかし、もう限界。痛みの間隔も10分以下と狭くなってきたので、夫を起こし病院へ電話することに。そうすると「すぐに来てください」とのことでした。 仕方なく寝ている長男を車へ乗せ、実家に連絡をし、そのまま長男を預けることになりました。そのときの陣痛の痛みはかなり強いもので、車の揺れさえつらかったです。無事に産婦人科へ着き、そのまま分娩室へ。診察してビックリ、子宮口が全開大だったのです! 助産師さんから「3人目はもう少し早く来ててくださいね〜」と言われてしまいました。 そのままありがたいことに15分程度で破水、合計30分程度で次男は元気に生まれてきてくれました。しかし、陣痛を我慢するのはほどほどにしておかないと、本当に危なかったようです。コロナ禍で面会時間が短いからと長男との時間を惜しんでしまった結果です。今のところ3人目は未定ですが、もし授かることがあったら次は早めに受診したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:森下ミメカ3歳男児と1歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。
2023年09月25日PUKUTY(プクティ)只今育児奮闘中!
子育ては毎日がたからもの☆
両手に男児