学校行事で困る!本人が一番つらそうにしているな…と感じるのは、学校行事で未知の場所に行くことです。家族旅行ではなんの困りごともないのですが、学校行事は不安でいっぱいになってしまうのです。遠足・社会見学・修学旅行など、小学校にはたくさんの行事があり、新しい場所に行くことをワクワクして楽しみにしているお子さんも多いと思いますが、ゆいにとっては大きなストレスになっていて、楽しむどころではなさそうです。当日がせまってくるとどんどん元気がなくなり「怖い、嫌だ」と言うようになっていくのです。つらそうなゆいを見ていて「こんなにつらいなら行事を休ませるのもアリかな」と思ったこともありました。けれど、ゆいには不安はあるけれど、行事に参加して友達と楽しみたいという気持ちもあるのです。なので、なるべく不安を取り除いて参加させる方針にしています。小学3年生の遠足のとき、ゆいが不安がって登校するのを嫌がったことがありました。(そのときの私は、ゆいの障害や特性についてまだ知らなかったため、わがままを言っているのだと思い込み、無理やり登校させてしまいました。今思い返してみると、かわいそうなことをしてしまったな…と思います。)しかし、この出来事があったことで、徐々にゆいの不安な気持ちに向き合うようになりました。今では、少しでも安心して学校行事に参加できるように、ネットを使った「下見」をするようになったのです。Upload By 吉田いらこお役立ちのアプリまずは施設のWebサイトを確認します。施設の画像やフロアガイドで全体像を把握できるようゆいに見せています。そのほかSNSなどにいろんな方が投稿されている施設の画像も、ユーザー目線で分かりやすくとてもありがたいです。とくに詳細画像でなくても、ゆい本人にとっては見るだけで安心材料になっています。また、徒歩圏内の施設だと地図アプリで行き方を確認したり、実際に行ってみたりもします。Upload By 吉田いらこ遊園地の楽しみ方ゆいと小さいころに遊園地に行ったことを思い返すと、屋内のアトラクションを怖がる傾向にありました。当時は「入口が暗いから怖いのかな?まだ幼いし、そりゃ怖いよね」と思っていたのですが、暗いことが怖いのではなく、中で一体何が行われるのか分からないことが怖かったのかもしれません。屋外のアトラクションなどは、これから先の流れが一目瞭然なので安心して乗ることができていました。また、テーマパークによっては、ゆいのように不安が強い人たちをサポートする冊子が準備されている場合があります。この冊子には全てのアトラクションの写真と、大きな音が鳴る・フラッシュがたかれるなど効果の説明が載っています。いわゆるネタバレになってしまうのですが、ゆいのように、何が行われるか分からないことで不安を強く感じてしまう子どもでも、アトラクションが楽しめるよい配慮だなとうれしく思っています。Upload By 吉田いらことにかく予習をたくさんしておく下見は手間も時間もかかりますが、このように工夫すれば初めての場所にだって行けるんだということが分かるのは、本人にとって良いことだと思います。できた!という体験を何度も重ねていき、いつか一人でも気楽に外出できるようになる日が来たらいいなと思っています。執筆/吉田いらこ(監修:初川先生より)遠足や社会科見学等を不安に感じるゆいちゃんが安心して行事に臨めるための工夫のシェアをありがとうございます。何が起きるか分からないところへ出向くのは不安になるのは多かれ少なかれみなさんありますが、「楽しむ」レベルを超えて不安になってしまうと、せっかくの機会がもったいない面がありますし、何より、ゆいちゃんは完全に拒否をしているわけではなく、楽しみたい気持ちもあるわけで(それに気づいているゆいちゃん本人もいらこさんも素敵です)、だとしたら、少しでも安心した気持ちで臨めるように、と工夫するのはとても大事なことですね。今はさまざま情報が出ているので、ネットで調べたり、SNSで調べたり、写真を見たり、地図を見たり、または予習として事前に行ってみたりして、安心して臨めるようにする。ネタバレではあるのですが、大事なのはそこで初めて知って驚くことではなくて、安心して参加して「楽しかった」と思えること。不安要素がいっぱいあるならそれを減らして、ゆいちゃんの場合は、「友達と一緒に楽しく過ごしたい」に注力できるようにする。素敵な手立てだと思います。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年03月07日高校生までは感じづらかった「見通し不安」、大学生になり感じた「自由」の恐怖高校生までは特に見通し不安を強く感じた記憶はありません。学校や塾にいる間は学校や塾の時間割に従っていればよく、生きている世界も狭くて役割も限られていたため、家では親の管理に受動的に従っていればよかったからです。そんな私も大学に入り、自分でスケジュールを決める必要が出てきて、生きる世界もぐっと広がりました。ここで私は面食らうことになります。最初の壁は履修登録でした。大学の履修登録では、自分が何をどれくらい学ぶのか、何曜日の何時に何コマの授業をとるのかが完全に自由です。その代わり、留年したり成績が悪くなったりしても自己責任。学生課でシラバスを受け取ったときに、辞書ほどもあるようなその分厚さにめまいがしたのを覚えています。私の通っていた大学では、学生課が出している正規のシラバス(私が面食らった分厚いもの)と、学生たちの間で出回っている裏情報的なシラバス(この授業は履修するだけで単位がとれるとか、「代返」が可能とかが載っている)がありました。そのほか、学生課から配られる、履修登録のしかたについてのさまざまな資料。こうした大量の情報の中から自分に必要な情報を取捨選択し、自分だけの時間割に落とし込んでいくのは至難の業でした。普通の学生なら、学生課に質問に行ったり、あちこちに電話をかけたり、すでにうまいこと獲得していた友達・先輩からいろいろ聞いたりして効率のよいやりかたにたどりつくのでしょうが、コミュニケーション障害がある私にはそれがうまくできませんでした。もともとのコミュニケーション障害に加え、社交不安症のような症状も出ていた私。ちょっとした問い合わせの電話1本かけるのにも小一時間緊張して迷って、声と手を震わせ心臓をバクバクさせながらなんとかやるという感じでした。このため、資料を見ているとちょっと分かりにくくて本当は誰かに聞いたほうがいいんだけど… というようなことを、聞くのが怖いものだから誰にも聞かずにそのまま済ますという回避行動に出ることもありました。社会人になってからも感じた、スケジュール管理への不安30代になって結婚を機に実家を出、トラウマ治療を受けるなどするうち、社交不安症のような症状はほとんどなくなりました。調子を崩していたのが、だんだん在宅で働けるようにもなります。しかし、こうして元気になって働けるようになってからも、スケジュール管理には難しさを感じることがありました。在宅のフリーランスのため、働く時間は完全に自由で、仕事が入ってくる時間もランダム。そして、家事担当として、やるべき家事もあります。こんな中で自分なりのリズムを見つけるのには非常に苦労しました。昔から出先で体調を崩したりすることが多いため、夫が休みの日に当日になって急に「どこそこに行こう」などと言うのにも困りました。最低3日前ぐらいには言ってもらえないと、自分なりに体力の配分したり、行き先や行く手段がどんな環境・条件なのかを下調べして備えておいたりすることができないからです。しだいに、自分は「いつどこでどのように何をするのか」の見通しを立てられる程度まで情報を得て整理しておけば、見通しに関する不安が軽減するのだ、と理解していきました。このため、新しい仕事をするときにはまずどの作業にどれくらいの時間と手間とストレスがかかるのかを把握するように努めています。夫との外出に関する連絡については、なるべく早めに言ってもらって、突発的な予定変更がないように頼んでいます。ネット社会がくれた救いいまの社会がネット社会であることには、デメリットもありますが、24時間どんなときでも手軽に多くの情報を集められることには大きなメリットを感じています。以前だったら電話をかけたり図書館や役所に行ったりして調べなければならなかったことが、手元のPCで手軽に調べられる。これは、私が自分の今後について見通しを立てるときに大いに役立っています。数日後に行く美術館についても、いま通っている資格学校のカリキュラムについても、いまとろうとしている資格の数十年後の見通しについても、いくらでも調べられるのですから。ネット社会がくれる大量の情報をうまく取捨選択しながら、自分のスケジュール管理に活かしていこうと思っています。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)最近はスマホで予定の管理をする人が増えています。対面が苦手なASDの人にはネット社会は確かに救いです。しかし、言葉のキャッチボールができないので誤解や間違いが生じる危険性も潜んでいます。仕事の種類にもよりますが、一般の企業だと急に仕事が入ったりして予定が変わることが多々あるので、決められた仕事を確実にこなせば時間通りに帰れる公務員などが比較的向いていることが多いです。あるいは、気兼ねなく自宅でできる自営業などもいいでしょう。自宅から通っている人は親御さんがいろいろとやってくれることが多く、大学や就職などで一人住まいになってから初めて不注意や不安症状が強く表れて困り、外来を受診するケースが増えています。ADHDは3種類のお薬で、社交不安症はSSRIというお薬で調整することが可能です。困ったら早めに神経発達症の診断のできる精神科へ相談することが肝心です。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年03月07日ひきこもりとは?ひきこもりとは、長い期間社会活動に参加せず、自宅などに閉じこもり続ける状態像を示す言葉です。厚生労働省より公表されている「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」では、原則的には6ヶ月以上にわたっておおむね家庭にとどまり続けている場合としてひきこもりの定義がなされています。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンひきこもりに至った理由や要因は人によってさまざまですが、上記のガイドラインによる定義では、統合失調症などの精神疾患によって家にこもっている状態とは区別されています。ただし実際には確定診断がなされる前の統合失調症などの精神疾患や発達障害がある人が含まれている可能性もあると考えられています。ひきこもりによって社会参加の回避が長期化すると、社会生活への復帰のハードルも高くなってしまいます。ご両親だけでなくご本人も大きな不安を抱えている場合もあります。しかし、社会の偏見や無理解、近所の目や、家族内の意見相違があることも少なくないといわれています。そのため支援を受けられずに家庭内で解決しようとするあまり、状況がさらに長期化し解決が難しくなる場合があるのです。平成25(2013)年の15~34歳(若年層)を対象にした調査によると、日本には推計でほとんど家からでないひきこもり状態にある人が約23.6万人、自分の用事のときだけ外出する準ひきこもり状態の人が約46.0万人、合わせて約69.6万人もの人が広義のひきこもり状態にあるそうです。平成30(2018)年には満40歳から満64歳(中高年層)を対象にした調査が行われ、ひきこもりの推計数は61.3万人であることが分かりました。若年層と中高年層を合わせると約115万人がひきこもりの状況であると推測されます。この事態を受け、厚生労働省をはじめ、行政もひきこもりへの支援を推進しています。Upload By マンガで分かる発達障害のキホン参考:『ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン』|厚生労働省参考:平成26年版子ども・若者白書(全体版)|内閣府Upload By マンガで分かる発達障害のキホンひきこもりの原因単純に本人の性格や甘え、子育てのせいと結びつけられがちですが、ひきこもりのきっかけや要因はさまざまです。『平成26年版子ども・若者白書(全体版)』による調査では、病気や仕事・学業でのつまずきがきっかけとして多いことが分かります。Upload By マンガで分かる発達障害のキホン子どもは成長するに従い、自立とスキルを求められるようになります。他者と折り合いをつけ、円滑にコミュニケーションをとることや、勉強や将来に向けての進学・就職に成功することなど。それらのさまざまなプレッシャーのなかで、外=社会での居場所を失い外に出られなくなった場合、家の中にひきこもらざるを得なくなってしまうことがあるのです。つまり、誰でもひきこもりになる可能性はあるということです。きっかけとして多いのは、いじめや人間関係がうまくいかないこと、成績の低下や受験・就職活動の失敗などの経験が挙げられますが、きっかけがよく分からない場合も少なくありません。一つの原因だけでなく、複数の要因が複雑に関係しているケースもみられます。不登校が長期化してひきこもりになることもあります。最近は、背景に発達障害が関係していることもあるという報告もあります。参考:令和元年版子供・若者白書(概要版) > 特集2長期化するひきこもりの実態|内閣府ASD(自閉スペクトラム症)を背景とする場合、他者の意図や会話を理解したり、状況をくみ取ることが苦手なために、違和感や被害感など抱きやすく、社会参加や他者と関わることに対する不安や恐怖を感じてしまうことがあります。また生活習慣を変えることや、予期せぬ事態に直面することへの抵抗感が強いことも関連して、ひきこもりが長期化する場合があることが分かっています。家族としては、どうしても「なぜひきこもりになったのか」が気になり、突き止めたくなるでしょう。ですが、「どうしてひきこもりになったのか」「何のせいでひきこもっているのか」と原因探しをすることは、ひきこもり状態の解決にはあまり意味がないかもしれません。ひきこもりの解決のためには「なった要因」よりも「ひきこもり状態からどうたら抜け出せるのか」を考え、支援する必要があるといわれています。ひきこもりと精神疾患の関係は?定義上ではひきこもりは精神疾患が原因ではありません。ですが、ひきこもり状態の中には、精神疾患と何らかの関連がある場合も考えられます。この場合、いくらひきこもりを脱しようと頑張っても、根本にある精神疾患の治療や支援をしないと、解決できないことがあります。そこで、ひきこもり状態の裏になんらかの精神疾患や障害が隠れていないかどうか注意することが非常に重要です。精神疾患とひきこもり状態の関係にはいくつかのパターンが考えられます。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンひきこもりの人の中には、精神疾患の症状のために家から出られないのに、そのことに気づかず、見過ごされている状態の人も少なからずいるのではないかと考えられています。つまり、『精神疾患からひきこもり状態をひき起こしているが未診断』という状態です。不安障害や統合失調症、双極性障害、うつ病などの症状とひきこもりとの関連が指摘されています。精神疾患の診断がある場合、それ自体の治療が必要な場合もあります。これらの症状がある場合は早めに精神科の受診を検討しましょう。なかでも統合失調症は鑑別が難しい精神疾患です。統合失調症の陰性症状は、エネルギーが下がった状態で起こる症状です。主な症状としては、うつ状態になることと、感情の起伏が少なくなることの2つがあります。陰性症状が進むにつれてほかの人とのコミュニケーションが難しくなり、ひきこもり状態になることがあります。この状態を単なるひきこもりと誤解されてしまうことがあります。統合失調症の主な症状としては、幻覚や妄想、幻聴なども挙げられます。これらの様子が見られる際には、精神科の受診をおすすめします。ただし、引きこもり状態でも妄想などがあらわれる場合もありますので、統合失調症かどうかは医師による慎重な判断が必要です。参考:知ることからはじめようみんなのメンタルヘルス|厚生労働強迫性障害とは、強い「不安」や「こだわり」によって日常に支障が出る病気です。自分でもささいなことだと分かっていても何度も確認を繰り返し、日常生活に支障が出てきてしまいます。例えば「戸締まりを何度も確認してしまう」「不潔に思い、手を何回も過剰に洗ってしまう」などです。世界保健機関(World Health Organization:WHO)の報告では、生活上の機能障害をひきおこす10大疾患の一つにあげられています。もともとの強迫性障害が原因で外出などが困難になり、ひきこもりにつながる場合もあります。例えば「自分は酷いことを周りの人にしてしまうかもしれない」などの強い思い込み(強迫観念)により外出が困難になる場合などです。また、ひきこもり状態から強迫性障害が生じる場合があります。強迫性障害には薬物療法と認知行動療法などの併用が回復には有効だといわれています。参考:強迫性障害|みんなのメンタルヘルス(厚生労働省)参考:「ひきこもり」対応ガイドライン(最終版)の作成・通知について|厚生労働省精神疾患の症状から、人間関係のトラブルや強いストレスをひき起こし、二次的な障害としてひきこもり状態になる場合もあります。近年、発達障害とひきこもりの因果関係が指摘されることが多くあります。発達障害のある人が特性を理解されないまま不適切な環境にいることで、環境との不適応を起こし、二次障害としてひきこもり状態になる場合が少なくないのです。ASD(自閉スペクトラム症)のある人はコミュニケーションの困難のため思春期以降、複雑化する学校生活や人間関係などがうまくいかず、ひきこもり状態になる場合があります。また感覚過敏がある場合も多いため、学校生活でのさまざまな音やにおい、刺激などへの対応に困難を感じ、次第に登校しにくくなることがひきこもり状態につながることもあります。ADHD(注意欠如・多動症)のある人も、不注意や衝動性といった特性が社会適応を困難にしたり、叱責を受けてしまうことで自己肯定感が低くなってしまうことが、引きこもりにつながることがあるといわれています。また、LD(学習障害/限局性学習症)のある人は、学習でのつまずきによって学校に行きたくないと感じてしまったり、自己肯定感の低下を引き起こすことでひきこもりにつながる場合があります。発達障害の根本的な治療法は現代の医学では確立していませんが、周りの理解や環境調整、スキルトレーニングなどによって困りごとが軽減するといわれています。それらの適切な対応をすることで、二次障害としてのひきこもり状態になることを予防したり、ひきこもり状態から早期に抜け出せるようにすることができるかもしれません。また、ひきこもりの状態にある人の中にも、その背景に発達障害が隠れていることに気がついていない人も一定数いると考えられます。発達障害がある場合、さまざまな社会的支援が受けられる場合もあります。幼少期の生育歴などに発達障害に該当する様子がなかったかなど、一度専門機関に相談してみるとよいでしょう。参考:ひきこもりと発達障害|星野仁彦長期間にわたるひきこもり状態や孤立から、しばしば二次障害的に精神疾患の症状が出現することもあります。ひきこもり状態にある人のなかには、引きこもりをやめたいのにやめられなかったり、家族とぶつかったり、近所の人の目を気にしたりなど、「ひきこもっていること」そのものに対して強いストレスを感じている場合があります。これらが心身に影響を及ぼし、対人恐怖症状や強迫症状、被害念慮(妄想)、うつ状態などがあらわることがあり、しばしばそれらがひきこもりから抜け出すことをより困難にすることがあります。しかし、家庭の中だけで解決することは難しいことが多いため、早期に専門機関に相談することが重要です。参考:第1章ひきこもりの心理状態への理解と対応 斎藤環(爽風会佐々木病院診療部長)|内閣府イラスト/taekoコラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月25日子どもの寝つきが悪い…これって睡眠障害?睡眠にまつわるギモン自閉スペクトラム症やADHDなどの発達障害がある場合、睡眠障害を併存していることがあります。睡眠の問題の背景には、何かしらの障害が関係していることがありますが、睡眠の相談を医療機関ですることを知らず、長年悩みを抱えてしまう方もいるという現状があります。発達ナビQ&Aコーナーでも、子どもの睡眠に関する心配や、睡眠障害へのギモンが数多く寄せられています。「赤ちゃんのときから寝つきが悪く、朝起きられません。来年には中学生になりますが、どのようにサポートしたらいいでしょうか」「5歳すぎてもまとまって寝ないのは、発達障害が関係しているのでしょうか」「みなさんは眠れていますか?眠れないときはどうしたらいいのでしょうか」「日中に寝てばかりの息子がいます。服薬をしていますが効果がありません」これらは、発達ナビのQ&Aコーナーに実際に書き込まれた、睡眠にまつわる悩みです。このコラムでは、睡眠のなぜ?から、発達障害と睡眠障害の関わり、服薬についてなど、体験談や、専門家の先生のアドバイスを交えてご紹介します。睡眠障害とは、眠りに何らかの問題がある状態のことをいいます。子どもの睡眠障害にはいくつか種類があります。・不眠症…寝つきが悪い、眠りが浅く途中で何度も目が覚めてしまう、朝早く起きてしまう、眠りの質が悪いなど、睡眠が十分でない状態・過眠症…夜ちゃんと寝ているはずなのに、日中あらがえないほど眠い状態・概日リズム睡眠障害…昼夜のリズムと体内時計がうまく合わず、調節できなくなって睡眠リズムがくずれてしまい、社会生活に支障をきたす状態・いびき・睡眠時無呼吸症候群(SAS)…子どもの場合、いびき、無呼吸の主な原因は、鼻づまりやアデノイド・口蓋扁桃(こうがいへんとう)といったのどや鼻の奥のリンパ組織の肥大で、物理的に気道が狭まること。また、肥満で気道が狭くなることも・むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群)…脚などの下肢がむずむずするなど動かしたい強い衝動がある状態・睡眠関連律動性運動異常症…乳幼児期から4歳くらいまでの時期で発症する睡眠障害。頭を左右に振ったり、前後に強く動かすなどする。9ヶ月の子どもでは59%に見られるほど、乳児期には非常に多い症状だが、5歳前後には5%以下に・睡眠時随伴症…睡眠中に生じるねぼけ、夜尿、歯ぎしり、悪夢などの身体的現象の総称子どもは、新生児期には昼夜を問わず短い睡眠・覚醒を繰り返しますが、乳児期から夜間睡眠が中心になり、3歳から6歳になるころには昼寝をとらなくなるなど睡眠リズムが徐々に確立していきます。赤ちゃんの眠りはまだ眠りが浅く、夜泣きをすることも多くあります。幼児期(3歳から6 歳ごろ)までに浅い眠りと深い眠りのサイクルが大人と同様のリズムに移行していきます。そのため、幼児期になっても睡眠に何らかの問題がある場合、改善の必要があるといえます。発達障害と睡眠障害の関連は?睡眠障害は、発達障害の併存症として認められることが多いといわれています。睡眠障害が発達障害を引き起こすという意味ではありませんが、発達障害の特性により、睡眠になんらかの問題が出てしまうことが主な原因です。乳幼児期の睡眠は脳の発育にも関わるため、睡眠障害が長引くこと自体が睡眠不足や生活リズムが乱れて悪循環を生み、子どもの心身の発育に影響している可能性も否定できません。自閉スペクトラム症がある子どもは音や光などに対する感覚が過敏なため、覚醒しやすいといわれています。また、睡眠に関係するメラトニン生成や、セロトニンからメラトニンにいたる代謝経路の障害が関係しているのではないかと考えられています。そのため、自閉スペクトラム症のある子どもの睡眠の問題には、なかなか寝つけない、入眠することができない、 夜中に起きて騒いでしまう、ちょっとしたことで起きてしまうなどが多くあります。ADHDの特徴には不注意・多動性・衝動性があります。ある調査ではADHDのある子どもの入床への抵抗、入眠の困難、中途覚醒、起床の困難、日中の過剰な眠気がある子どもが多い傾向があるという結果があります。また、ADHDのある人の脳には脳内の神経伝達物質であるセロトニンに偏りが生じているともいわれています。そのため、セロトニンを原料としてつくられるメラトニンという体内時計をコントロールするホルモンにも偏りがでてしまうため、不眠や概日リズム睡眠障害に陥りやすいのではないかと考えられています。参考:子どもの睡眠亀井雄一、岩垂喜貴 |保健医療科学2012 Vol.61 No.1 p.11-17Q:来月から6年生になる男の子の母です。ADHDの子は寝ない子・寝付きが悪い子が多いと言われていますが例にもれずうちも小さい頃から寝付きが非常に悪く、そして寝ると朝本当に起きられません少し前までおやすみをした後隠れてタブレットで動画見てたりしていたので没収しました・・・携帯は夜間ロックをかけています。普段は自分の携帯のアラームをかけさせていますが、全く起きず叩いても起きず、ベッドから引きずり降ろしてようやく起きます体も大きくなってきたので正直この起こし方が最近本当に大変です・・・。(中略)同じようなお子さんお持ちの親御さん、どのような対策とられてますか?病院にかかってみた方がいいのかな?と思ったこともありますこちらの質問には以下のような回答が寄せられました。A:息子もADHDとASDです。赤ちゃん時代は、眠りが浅い子でした。幼少期も夜驚や寝言が多かったです。それほど深刻には考えていなかったのですが、高学年になっても寝相がかなり悪く、主治医に相談し、メラトベルと言う睡眠ホルモンの薬を試してみました。(中略)朝起きられない問題は、コロナ禍で生活リズムが不規則になった頃からです。やはり、就寝前の電子機器の使用で就寝時間は徐々に遅くなり、22時半頃になることもあります。朝は休日でも8時起床にしていますが、息子もなかなか起きられません。自分の力で起床することが、自立の一歩だと思っているので、スマホのアラームやAlexaなど工夫して平日は一人で起きるようにしています。寝坊した場合は、就寝時間を早めるように促しています。熟睡できている事が前提だと思うので、1度主治医に相談してみては?違う切り口からの回答なんですが、職場で専門機関監修の睡眠改善セミナーを受けた中で使えそうなテクニックをいくつか。・睡眠環境を整える→寝室に光源を極力置かない。ダウンライトなどを活用。就寝中は家電のランプも塞ぐ(専用シールとかあります)→窓の隙間も塞ぐ。暗幕の活用→温度湿度の管理、寝具、パジャマの見直し(大人もついでにやってみては)・寝る前のスマホテレビ、照明→理想は1時間前にやめる。→リビングが調光できるならば、夕食前あたりから外に合わせて光量も落とす。・朝起きた時の楽しみを作る→朝飲む飲み物を少しリッチにする、朝ごはんへの投資、早起きして好きな映画を見るなど。(弟はゲーム時間確保のために早起きしてました)環境改善は一緒に寝てるのであれば親御さんの睡眠にも作用するのでおすすめです。年齢的にもう別々でしょうか?個人的には「朝起きる目的」があるパターンが学童期は一番効いたなと思います。私自身も見たいアニメがある、夏のラジオ体操でコンプリートして記念品もらいたい、という俗物的な目標があった方が起きてました。参考になれば幸いです。このように発達ナビQ&Aコーナーでは、疑問を投稿すると、ほかのユーザーの方が実体験をもとに回答してくれます。聞いてみたい質問があれば、ぜひ投稿してみてください!【小児科医に聞く】睡眠の大切さ、子どもの睡眠問題、何科を受診すればいい?、発達障害と睡眠障害の関わり、服薬のギモン、睡眠障害がある子どもへの対応などここまで発達ナビのQ&Aコーナーに寄せられたギモンを中心にご紹介しました。ここからは、小児科医の藤井明子先生に子どもの睡眠の重要性、受診のタイミング、睡眠障害がある子どもへの対応、服薬のギモンについてお答えいただきます。A:睡眠には「脳を休める」ノンレム睡眠と、「体を休める」レム睡眠があります。ノンレム睡眠時には、大脳を休めるだけでなく、成長ホルモンが分泌され、脳内の神経ネットワーク形成や細胞の修復、骨・筋肉形成が行われます。また、免疫機能・代謝機能が増強され、疲労の回復に役立っています。レム睡眠時には、脳は活発に活動し夢を見ることが多いですが、全身の筋肉は緩んで、体は休んでいます。睡眠の時間が短い、質が悪いなどで、睡眠の役割が十分に果たされないと、子どもの心身の成長や発達に影響が及ぶとされています。Upload By 発達障害のキホンA:かかりつけの小児科でまずは相談してみましょう。小児科医は、病気のことだけでなく、お子さんの生活全般、生活習慣についてのお困りごとにも対応することが可能です。すでに寝る前の工夫をとられていることもあるかと思いますが、お子さんが寝ないと、保護者も眠れず、親子共に疲弊していることもあります。少しでも工夫できることがないか、一緒に小児科医と考えていけると良いと思います。Upload By 発達障害のキホンA:いろいろ対策をしても寝つきが悪いようなら、受診して相談してみても良いでしょう。1〜2歳のお子さんの寝つきの悪さなら時間と共に改善する可能性もありますが、5歳であると睡眠覚醒リズムが確立される年齢なので、睡眠障害があるのかもしれません。ASDの特性もあるような気がするとのことなので、併せて相談されると良いでしょう。Upload By 発達障害のキホンA:受診すると、必ず薬が処方されるというわけではありません。まずは、睡眠リズムを作るための生活習慣の見直しをおこなっていきます。例えば、布団に入る1時間前のテレビ・インターネットなどは控える。休日・平日関わらず一定の時間に起きる、入眠までにすることの手順を同じ手順で同じ時刻に行うなどです。生活習慣の見直しをおこなっても改善しない場合に、薬の内服も検討します。発達障害に伴う入眠困難なお子さんへは、メラトニン受容体作動性入眠改善薬(一般名:メラトベル)を使用することがあります。メラトニンは、体内時計に働きかけ、睡眠と覚醒を切り替えて、眠りを促す作用があります。Upload By 発達障害のキホンA:易刺激性の薬とは、ASDに対するかんしゃくや、それに伴う暴言・暴力に対する薬のことだと思います。睡眠障害があるお子さんで、易刺激性に対する薬を使用することはあります。薬を使うことで、気持ちが安定し、入眠しやすくなることがあります。副作用として、眠気・だるさ、食欲増進を認めることがあります。主治医の先生と相談しながら、適切な効果のある量を調整していく必要があります。薬は、副作用と効果のバランスを見て、効果がある場合には続けていくと良いでしょう。長期に飲み続けて、依存性のでる薬ではないので、効果がある場合には続けて、適切な睡眠習慣をつくることができると良いと思います。Upload By 発達障害のキホンA:生活リズムの乱れは、抑うつやイライラといった気分の悪さと関連していることが指摘されています。睡眠リズムを取り戻すためには、朝に起きて光を浴びることから始めましょう。ベットを日当たり良い場所に移動し、毎日同じ朝の同じ時間にカーテンを開けて日光が入るようにして、刺激を多くしましょう。朝ごはんを食べることも、リズムをつくる上で大切です。食事が食べられなくても、少量のお湯などを経口摂取することから始めても良いです。午前中の生活を正してから、入眠前の工夫をしていきましょう。テレビや携帯電話、パソコンの使用は、入眠前1〜2時間は控えていきましょう。Upload By 発達障害のキホンA:ナルコレプシーは過眠症の一つで、オレキシン神経系の機能障害が原因です。日中の居眠りだけでナルコレプシーと診断できず、睡眠日誌をつけ、終夜睡眠ポリグラフィ、反復入眠潜時検査を受ける必要があると思います。ナルコレプシーを積極的に疑う場合には、睡眠外来を受診することをお勧めします。しかし、睡眠外来に受診すべきがどうか迷われる場合には、かかりつけの小児科に相談してみましょう。Upload By 発達障害のキホンA:起立性調節障害は、自律神経機能不全により、立ちくらみ、朝起き不良、だるさ、動悸、頭痛を認める病気です。朝起き不良だけでなく、だるさのために午前中の活動がしにくい状態になることもあり、そのため入眠困難になり、睡眠リズムの乱れにつながることもあります。起立性調節障害の治療と加えて、入眠をサポートする薬を使うこともあります。Upload By 発達障害のキホン発達障害のある子どもの睡眠にまつわるエピソード発達ナビライターの方々の睡眠にまつわるエピソードをご紹介します。子どもの成長に欠かせない「睡眠」。睡眠に関する悩みが解消しないときは抱え込まず、医療機関へ子どもの心身の成長や発達に大切だといわれる「睡眠」。しかし、いろいろと工夫してもなかなか子どもが思うように寝てくれず悩みを抱えている方も多いかもしれません。発達障害がある場合、睡眠障害を併存していることも多く、睡眠の問題は、単純に生活習慣の乱れではなく、何かしらの原因が背景にある可能性もあります。また、わが子が寝ないと、保護者も眠れず、親子共に疲弊してしまうこともあります。小児科医では、病気のことだけでなく、子どもの生活全般、生活習慣について相談することも可能ですので、心配なことがあれば、かかりつけ医に相談してみましょう。発達ナビ「Q&Aコーナー」にあなたのギモンをぜひ投稿してください今回は発達ナビQ&Aコーナーに寄せられた睡眠にまつわるギモンと小児科医の藤井先生からのアドバイスをご紹介しました。発達ナビのQ&Aコーナーに気になることを質問するとユーザーの方が経験をもとに答えてくれます。話題の質問に専門家からアドバイスともらえることも!ぜひチェックしてみてください。コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年02月21日本人への障害告知以前コラムでも書きましたが、娘は中学2年生のときに主治医から障害の本人告知を受けています。告知は・娘自身が「自分の障害について知りたい」と思った・本人に“居場所”があり、精神的に落ち着いている・告知後、支援者(学校関係者)のフォロー体制ができていることを医師が確認したうえで行われました。そのおかげで娘は障害告知をポジティブに受けとめることができました。障害告知から6年後に、再告知その後、娘は高等特別支援学校を卒業し、特例子会社(※)に就職しました。そして20才になったある日、娘は再び私に「自分の診断名を知りたい」と言いました。私は娘に、中2のときに告知を受けているのになぜまた聞きたいのか尋ねました。娘は「診断名は知ってるけど、自分の障害の詳しい種類と程度を知りたい」と言いました。SNS上でも発達障害に関する情報や当事者として発信する人も多くなってきていましたし、娘もそういったものを見て何かしら思うところがあったのかもしれないと、このとき私は思いました。(※)特例子会社は、「障害のある方の雇用の促進、そして安定を図るために設立された会社」のことです。【参考】厚生労働省特例子会社制度の概要Upload By 荒木まち子娘は社会人になってからは一人で通院をしていました。何か親が医師に伝えたいことがあるときは、手紙を書き娘から医師に渡してもらっていました。私は医師に『娘が自分の障害名や障害の程度を知りたがっている』旨の手紙を書きました。医師は中学生のときから娘を診ているので娘のことはよく分かっています。二度目の告知は通常診療とは別枠で予約を取り、親同伴で行われることになりました。一度目の告知のときは前回の告知のときは、娘と親がそれぞれ感じている“本人の長所と短所”を事前に書き出しました。・真面目で一生懸命。我慢強い・常識を学び、言われたことは直したいと考え努力している・ルーチンに強く、さぼらない・興味や関心が深く狭い。技術や知識は多い・自分から気持ちを伝えることは、落ち着いてるとできる・会話は苦手で、相手の言葉に不安になることがある・新しいことや状況の変化・変更に対して臨機応変に対応することが苦手これらのことを一緒に振り返りながら医師が娘の『特性』を文字に起こして障害の説明をしました。本人の理解力に合った言葉選びと文字を書きながらの説明は、視覚優位の娘にはとても有効な方法です。医師からは『これからどのようにして周りの人たちに助けを求めていくのが良いか』のアドバイスもありました。2度目の障害告知では二度目の障害の説明でも、事前に本人と親で『娘の長所と短所と思われることの書き出し』をしました。その内容は6年前とほとんど違いはありませんでしたが、新たに“自分のことばで相談を持ち掛けるのは、ハードルが高い。相談してくれる人が向いてくれたら話せる。自分から働きかけることが苦手”が加わりました。娘は自らに主治医に「自閉症」「発達障害」「アスペルガー症候群」「ADHD」の違いや「自分は何に当てはまるのか」「障害の重さはどの程度なのか」などを質問しました。娘の質問に対し、主治医は図を書きながら娘に分かるように説明をしました。そして診断名は大事な個人情報だということも娘に伝えました。娘をとりまく環境の変化私は当初、再度自分の障害についての説明を望んだ娘の心境がよく分かりませんでした。でも娘と医師のやり取りを見ているうちに、娘が“学生”から“社会人”になったことが大きく影響しているのだと感じました。『学生』でなくなると、選択の自由度が増し、煩わしいもの、嫌なことを避けることもできます。学生時代は限られていた交友関係や活動範囲を広げることが可能です。一方で、自ら行動を起こさなければ人間関係は希薄になりがちです。周りの人は本人の意思を尊重します。そして自身の行動には責任が伴なってきます。そんな中で娘が自分の障害を再確認したいと思うのは自然なことだったのかもしれません。これからも親は子どもが何歳になっても親ということには変わりありません。そして子どもに障害があると、子どもを守りたいという気持ちはことさら大きくなります。でも自分の障害を理解しようとしている娘の姿を見て、私は彼女を一人の大人としてもっと尊重し、対等なスタンスで接していくべきなのだろうと感じました。これからも人生の節目やターニングポイントを迎えるたびに、娘は自身の障害についていろいろと考えることでしょう。そしてそのとき、私もまた新たな気付きを得るのだと思います。いつになるか分かりませんが、そのときまで体も心も頭も(笑)元気でいたいものです。執筆/荒木まち子(監修:鈴木先生より)そもそも自閉スペクトラム症を「障害」ととらえずに「特性」ととらえればいいのです。特性を知ることで今後の人生や生き方に役立てればいいと思います。重要なのは会社や周りの人たちがその特性を理解してくれるかどうかです。理解してくれることによって優しく丁寧に具体的に肯定文で話してくれれば、娘さんにとって生きやすい社会になります。最近はSNSなどでさまざまな情報が飛び交っております。重要なのは信頼のできる主治医と向き合って自分独自の特性を正確に知り、どういう対策を取ったらいいか知っておくことです。そしてそれを理解してくれる仲間を増やすことです。
2023年01月17日私はあがり症な上に過去の経験がトラウマとなり、人前で話すことがとても苦手です。人前に立つと必要以上に緊張して声が震えてしまいます。そんな私ですが次期PTA役員を務めることが決定してしまいました。そうなると嫌でも大勢の人の前で話さなければいけません。「何とかこのあがり症を改善したい! 」と勇気を出して心療内科を訪れてみた私についてお話しします。★関連記事:不安障害でどん底だった6年間。苦しみながらも克服できた理由は…【体験談】小学校時代のことがトラウマとなり…私があがり症になったきっかけは小学3年生のときにあった歌のテストです。私が歌う番になったら、クラスの男子数人から「あいつ、また変な声で歌うぞ」とからかわれたことが原因でした。それまで私は先生から「歌がじょうずだね」と褒められていたので、歌うことに対しては自信がありました。しかし自分の歌う直前に思いもよらないことを言われてしまったので、大きなショックを受けてその場で泣いてしまいました。その後何とか歌い切ったものの、声は泣き声のままでうまく歌えなかったことがトラウマとなり、人前で何かをする自信がすっかりなくなってしまいました。その結果、国語の授業の音読さえも声が震えるように……。この経験により、私はすっかりあがり症になってしまいました。あがり症を克服したと思ったもののそんな私は社会人になり、接客業に就きました。会社では「接客業は人前で話すことに慣れなければいけない」という方針だったため、毎日1人ずつ、全員がスピーチをする時間がありました。そのため「毎日いちいち緊張してはいられない」と感じ、そこから徐々に人前で話すことが苦痛ではなくなりました。社会人の間は、ある特定の場面で緊張して声が震えることが時々ありましたが、そこまでひどくなくやり過ごせてきました。しかし結婚・出産後は人前に出る機会がなくなり、気が付けばあがり症が復活。いつの間にかあがり症に戻ってしまっていた私は、次の春からPTA役員を務めることになってしまいました。もし委員長になってしまったら、地区の保護者の前で話さないといけないのはもちろん、PTA会議では学校の先生や保護者の前で発表をしなければなりません。「このままではいけない! 何とかあがり症を克服したい!」と思い、勇気を出して心療内科へ行ってみることにしました。心療内科を受診してみて心療内科と聞くと、あがり症の悩みくらいで行ってはいけないところなのかな? と思っていましたが、足を運んでみたら悩みは違えど、私くらいの年齢の女性が多くいたことに驚きました。「心療内科は余程心のダメージがない限り、行ってはいけないところ」というイメージだったのが「心療内科は気軽に相談してもいいところ」という印象に変化し、受診してみてよかったと思いました。そして診察では、あがり症になったきっかけやこれまでの経験、何に一番困っているかなどを丁寧に聞いてもらった上で「社会不安障害」という診断名が付きました。これからはSSRIという抗うつ薬を飲んで、少しずつ様子を見ていくことになりました。私は「薬を始めるとやめられなくなってしまうのではないか」ということが心配でした。医師によれば薬を服用しながら成功体験を重ねていくことで、減薬して最終的には薬に頼らなくてもいい状態を目指すことができるそうです。その点も私が安心して治療を始められた一つでした。まとめあがり症に長年苦しんできた私が、PTA役員という避けられない現実に直面し、症状改善のため初めて心療内科へ行ってみました。敷居が高いような気がしていた心療内科でしたが「特別なところではないんだ」と感じてホッとしています。私がPTAの大役を実際に務めるまではまだ少し先なので、薬の効果は今のところよくわかりません。しかしあがり症さえ克服できれば、PTAの仕事自体は楽しくできるかなと思っています。これから病院に通いながら、あがり症が少しずつ改善できたらうれしいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/中川 あかし出産後、訪問ヘルパーとして働いていたが、子どもの病気のため退職。趣味はお菓子作りとパン作り。
2023年01月09日臨月に行ったノンストレステストでひっかかった娘には重度の知的障害や身体障害があります。言葉はほとんど話すことはできません。発達の遅れは感じていたものの、2歳直前で障害があると診断されるまでは、そんなに重い障害があるとは思ってもいませんでした。妊娠中は、後期になるまではとても順調でした。ですが、臨月になり、ノンストレステストを行ったところ、いつまでたっても胎児が起きないのです。通常は、おなかの中の赤ちゃんは20分おきくらいで起きたり寝たりしているそうなのですが、ずっと寝ている状態とのこと。ほかの妊婦さんが30分ほどでテストを終えていくのに、私だけ3時間たっても終わりませんでした。産院の先生はなんども超音波で胎児の様子を見ては「脳もあるし、身体に異常は見当たらない。なんでだろう」と頭をひねらせていました。大学病院に紹介状を書くか迷っていた様子でしたが、予定より2週間ほど早く陣痛が来て、紹介する間もなくかかりつけの産院で出産することになりました。出生後すぐチアノーゼに出産時も、上の子の時とは違いました。生まれてすぐ一声泣いたものの、そのあとはぐったり…胸に抱かせてもらった娘の顔色がだんだん悪くなるのを見て、私は「先生、この子おかしいです!」と叫びました。スタッフが慌てて血中酸素濃度をチェックすると、とても低い数値。あわてて酸素ボックスの中に入れられました。ですが翌日になると落ち着いたので、予定通り3日ほどで退院となりました。Upload By ユーザー体験談泣かない、手がかからない、乳児時代その後は特に問題はないように見えた娘ですが、上の子と比較して違ったのは「泣かない」ということでした。上の子がとにかく泣いてずっと抱っこをしていて大変だったのに、娘は寝かせておいたらずっと寝ているし、泣いてアピールすることもほとんどありませんでした。出産祝いに来てくれたママ友に、「こんなに手がかからないなんて、なんか変じゃない?」と言って「楽なのに心配するなんて、心配しすぎだよ」と言われたのを覚えています。今思えば、自己主張するほど脳も発達してなければ、泣くために必要な身体の力も未熟だったのだろうと思います。Upload By ユーザー体験談4ヶ月を過ぎたころから発達の遅れが目立ち始めた首すわりまでは順調だったのですが、そこから先はつまづきました。寝返りしない、ハイハイしない、座れない、伝い歩きしない…7ヶ月健診で要観察、9ヶ月健診のときにもお座りが安定しない娘をみて、産院の先生に子ども病院を紹介されました。上の子のときを思い返せば、9ヶ月ではしっかり座り、座ったまま体をひねったり、両手でおもちゃで遊んだりしていたし、ずりばいやつかまり立ちもしていました。人見知りも始まっていました。娘は人見知りをすることもありませんでした。原因不明の発達遅延といわれて子ども病院にはかかったものの、原因不明の発達遅延と言われただけ。発達センターを紹介され、1歳になるころから、PT(理学療法)を受けることになりました。センターの先生は、おそらく一目見て娘の障害に気づいていたのでしょう。その後、同じ自治体に娘と同じ障害がある子が複数いると分かりましたし、そうした子どもたちはみんな、就学前はこのセンターに通っていたからです。ですが、立場もあるからでしょう、障害名について口にすることはなく、「ウォーカーをつくって歩行練習をしたほうがいいと思います。障害者手帳をつくれば、公費でつくれるので手帳をつくりませんか?」と提案されました。おそらく、歩行に困難がある障害だから、はやめにウォーカーをつくってリハビリを始めたほうがいいと考えてくださったのだろうと思います。1歳半健診で感じた周りの子どもとの違い1歳半健診にもいったものの、ハイハイもせず、模倣もせず、もちろん積み木もつめず。「おかあさんが髪をとかしていたら、それをまねしますか?」といわれ、1歳半の子どもってそんなことできるんだっけ、と思ったのを覚えています。そうした模倣をするようになったのは、娘の場合は小学校に入ってからでした。健診で、すでに発達センターに通っていることを伝えると、それならと特に要観察の指示もありませんでした。てんかん発作が診断のきっかけに結局、障害が分かったのは、1歳半を過ぎたころにてんかん発作を起こしたことがきっかけでした。地域の中堅病院にしばらく入院し、その後主治医になったのが、ある大学病院から月に何回か来ている脳神経の専門の先生で、その先生は脳波をみて娘の障害に気づき、大学病院への転院手続きをしてくださったのです。大学病院での遺伝子検査の結果、先天性の希少疾患があることが分かりました。Upload By ユーザー体験談3歳児健診はパス、大学病院での配慮がうれしくて3歳児健診には、娘を連れては行きませんでした。障害も分かっていたし、すでに毎月大学病院で見ていただいていたからです。役所に電話したら、「大学病院で毎月見ていただいているなら大丈夫ですよ」と言われました。定期通院のときに、看護師さんに「3歳児健診は行くのやめたんです」と伝えると、いつも計測している身長体重に加えて、詳しく計測をしてくれ、母子手帳に記載してくれたのがとてもうれしかったです。Upload By ユーザー体験談障害告知はつらかったけれど生後1ヶ月くらいから感じていた「何か気になる」というカンは、結局当たっていました。わが家の場合、てんかん発作で入院した病院に、娘の障害に詳しい先生がきていたことから、早めに障害を見つけてもらうことができました。障害が分かったときはその重度さに落ち込みもしましたが、今は早く見つけてくださった先生に感謝しています。あれから10年以上経ちましたが、私たち家族は娘を中心に幸せに暮らしています。イラスト/にれエピソード参考/あき(監修:鈴木先生より)1歳までは運動面での発達が主なので、遅れのあるお子さんはとりあえず「運動発達遅滞」という病名で定期的にフォローしながら病因検索をしていきます。この時点で一般の小児科医から神経専門の小児科医のいる病院へ紹介されるのが普通です。娘さんは運動発達を遅らせることで親にイエローカードを出していたのです。それをいち早く察知するために乳幼児健診(基本コラム「0歳児健診」参照)があります。早めに診断するメリットとしてさまざまな合併症に対する検査・診断・治療が早くできることが挙げられます。1%程度の病気の面は主治医が診るので家族のみなさんは残り99%の健康的な娘さんのできるところを見て伸ばしてあげてください。
2023年01月07日自分で症状の説明をするのが難しい病院に行ったときにいつもちょっと困るのは、自分自身で症状の説明ができないということです。ゆいは他人と会話をするのが苦手です。質問に対して首を縦に振るか横に振るかということはできるのですが、「いつからどこが痛い」など症状を説明するのは難しいです。そのせいで気分を害されるお医者さんもいらっしゃいます。まだゆいに障害があるとは思っていなかったころ、ゆいに風邪の症状が出てある内科にかかったのですが、そちらのお医者さんは保護者の私が症状を説明するよりも、ゆい本人からの説明を求めました。ゆいは話すことができなかったので「本人がしゃべらないなら何も分からないよ」と怒られてしまいました。『体調が悪いときは自分の言葉で症状を説明すること』これはスクールカウンセラーの先生にも今後の課題だと言われています。誰かが付き添って症状の説明ができればいいのですが、今後大きくなれば一人で行動することも増えますし、何か対策していかないといけないなと考えています。Upload By 吉田いらこ何の対策もせず矯正歯科に連れて行ったら・・・ゆいに歯列矯正を受けさせるため初めて矯正歯科に連れて行ったのが小学2年生のころでした。もちろん本人がやりたいといったわけではなく、親の私の意向で歯列矯正を始めようと思ったのですが…。それまでのゆいは虫歯もなく、たまに定期健診を受ける程度で、いわゆる口の中にいろいろなものを入れるという経験をしていませんでした。でも歯列矯正を始めるには歯の型取りなどいろいろな工程を経ないといけません。ゆいの特性としては不安がいっぱいの施術になるのですが、このころの私はゆいの障害に気づいておらず、特に何の対策もせず矯正歯科に連れて行ってしまいました。Upload By 吉田いらこ歯科医の先生から一通りの説明を受け、「はい、じゃあこれを噛んでね(かみ合わせのチェック)」「ちょっと熱いけど頑張ってね(型取り)」とどんどん処置が進んでいったのですが、途中でストレスの限界がきて泣き出してしまいました。何度かなだめようとしたのですが、結局ゆいが口を開けるのを拒否したので型取りができず、矯正はあきらめて帰宅することとなりました。よく分からないものをどんどん口の中に入れられる怖さは、大人の私が感じるよりも、もっと強かったと思います。前もって施術動画を見せるなど、対策をしていればよかったと反省しています。2度目の歯列矯正…チャレンジの結果は?再度矯正歯科に行けるようになったのは1年後です。一度経験をしていたせいか、成長したからなのか、今度は無事に矯正器具を取り付けることができました。Upload By 吉田いらこ新しい環境やものごとを怖いと思ったり見通しが立たないと不安を感じるということは、生きづらい一面もありますが、命の危険を避けるために備わった大切な力でもあると思っています。うまくサポートを受けながら、社会の中でうまくやっていけるよう、これからも工夫をしていきたいと思います。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)慣れなのか、ご本人の成長なのか、ともあれ無事に処置が済んで何よりでした。事前に動画等で予習をしておくことも重要ですし、もし医師や歯科医師の協力が得られるのであれば、少しずつ手順を踏んで慣れていってもらうという方法も良いかもしれませんね。
2022年12月02日息子が幼稚園に通うためには加配の先生が必須だと思ったが…Upload By べっこうあめアマミ私は、息子の幼稚園入園を見据えて、1歳のころからいくつかのプレ幼稚園に通っていました。しかし、息子は年少での入園を控えた年の秋になっても発達の遅れが大きく、プレや見学に行ったいくつもの私立幼稚園から、入園に難色を示されてしまいました。私としても、息子が幼稚園で何の支援もなくやっていけるかと言われたら難しく感じていたので、加配の先生をつけてくれる幼稚園を探しました。しかし、当時住んでいた地域では「加配の先生」という言葉に前向きな返答をくれる幼稚園に、一つも出会えなかったのです。ある幼稚園からは、「加配の先生をつけたり特別な配慮をしたりすることは一切できないが、それでも入園したいのなら受け入れる」という趣旨のことを言われました。しかし、私は息子の発達段階を考えると、それでは幼稚園に行く意味がないように思えてきたのです。息子に対して一切特別な配慮をされない園生活を、想像してみました。おそらく息子は、大勢の子どもの中で先生の目が届かず、何もせずにぼーっと日々を過ごすだけになってしまうでしょう。人知れず困り感を抱えながら、何も学べずに過ごす日々が、息子にとって意味があるのか分からなくなりました。ですから私は、息子を幼稚園に通わせるなら、加配の先生をつけてもらえることが必須だと思いました。それが難しいのなら、しばらく幼稚園ではなく療育に通い、息子の発達が周りの子どもたちに追いついてから幼稚園に入園する方向も検討し始めたのです。息子の居場所はどこにある?幼稚園も難しく、療育にも通えない?Upload By べっこうあめアマミ当時、私と息子は月に1回程度、地域の発達支援センターの親子療育に通っていました。本当はもっと高頻度で通いたかったのですが、高頻度のクラスは定員いっぱいで入れません。そのため、いつ空きが出るかは分かりませんが、1年以上前から待機中としてエントリーしていたのです。高頻度のクラスは、幼稚園のように親子分離で通えるクラスもあると聞いていたので、次年度は幼稚園ではなくそちらに通えることを願い、連絡を待つことにしました。そんな中、待ち望んだ電話がきました。発達支援センターからの、「週3日通う療育のクラスに次年度から入れます」という連絡でした。しかし、息子が入れると言われたのは、親子通園のクラスだったのです。その発達支援センターには、「療育にきょうだいを連れてきてはいけない」というルールがありました。当時、下の子を妊娠していた私にとって事実上それは、「通えない」話でした。結局、息子はどうにか別の、民間の小規模な療育に、親子分離で通える目途がつきました。しかし、こんなにも私たち家族に選択肢は与えられないものなのかと、障害がある子どもを育てる上での社会的な障壁に愕然とし、悶々とした日々が続きました。幼稚園について発達支援センターに相談…「引っ越そう」と心が決まるUpload By べっこうあめアマミ「息子が安心して通えるような幼稚園は、本当にどこにもないのか?」幼稚園にも発達支援センターにも通えず、地域に居場所がないように感じた私は、夫と共に発達支援センターに相談に行きました。正直なところ、療育クラスに通える条件や年齢などの事前説明に行き違いがあったことを含め、私は発達支援センターの対応に不安を感じていました。しかし、当時住んでいた地域では、保健センターや児童相談所など、どこに聞いても「子どもの発達のことは発達支援センターに」と言われました。だから、何か良いアドバイスをもらえるのではないかと、一縷の望みをかけて行ったのです。すると、対応した発達支援センターの方は、「公立幼稚園なら加配の先生がつくと思いますよ」というアドバイスをくれました。しかし、「では、公立幼稚園はどこにあるんですか?」と私が聞くと、その方は答えました。「この地域に公立幼稚園はありません」それが、初めて私の頭に「引っ越し」の文字がよぎったときかもしれません。当時住んでいた自治体には、公立幼稚園が一つもなかったのです。息子が入れる幼稚園がないことも、わが家が望むような形の療育を受けられないことも、地域としてはどうしようもないことなのだと思います。しかし、子どもの発達に悩む親の頼みの綱とも言える発達支援センターで、この地域で実現可能な選択肢が示されなかったことに、私は衝撃を受け、大きく落胆しました。それから私と夫は話し合い、息子が暮らしやすい環境を整えるため、思い切って家族で引っ越すことを決意しました。地域のせいであきらめたくない!「通える範囲」で選ぶのではなく、理想の環境は自分で掴むUpload By べっこうあめアマミ引っ越しを決めた私は、息子を育てる上で理想的な環境を求め、綿密なリサーチを始めました。当初、幼稚園は「家から通える範囲」で探していましたが、引っ越しを前提に考えると、今度は候補が多すぎて絞り切れません。そこで、引っ越しを決める理由となった現実を踏まえ、「公立幼稚園があること」「発達支援センターの対応が親切であること」を基準に引っ越し先の自治体を絞っていきました。息子の発達の遅れに配慮してくれる幼稚園なら、必ずしも公立ではなくてもよかったのですが、ホームページを見ただけでは、加配の先生をつけてくれるかどうか分かりません。1園ずつ電話で問い合わせていくしか確認する術がありませんでした。しかし、全ての私立幼稚園に確認することなど到底できません。いくつか電話した中では手ごたえがなく、これ以上はどうしようもないと思った私は、私立幼稚園は選択肢から外すことにしました。公立幼稚園であれば数は絞られますし、同じ自治体の公立幼稚園なら運営方針はだいたい同じです。そして実際に問い合わせてみると、公立幼稚園からは障害や発達の遅れを理由に難色を示されることはなく、加配の話も具体的に出てきました。連日、さまざまな地域の公立幼稚園や発達支援センターへの電話を繰り返し、引っ越し先を検討するのは大変な作業でした。しかし、これまでのような暗闇を当てもなく模索するような気持ちとは違い、自分で息子の居場所を探して選んでいくという気持ちは前向きで、希望に満ち溢れていました。運命の出会いからの引っ越し!潮目が変わった私の障害児育児Upload By べっこうあめアマミある日、家族で外出した先で、夫がふと「この辺りは引っ越し先の候補として考えている地域の一つだね」と話し出しました。そして、「今、気になって調べていたら、公立幼稚園からも歩ける範囲にちょうど良さそうな物件が出ているのを見つけた」と言うのです。それは本当に偶然でした。すぐにその物件を担当している不動産会社に連絡をとり、そのままその日のうちに見学に行くことになりました。そして、見学に行くと大満足な物件。なんと私たちは、そのままそこで契約したのです。良い縁はトントン拍子に進むもので、その後、入園を希望した公立幼稚園への入園手続きも順調に進み、息子には専属の加配の先生がつきました。その地域の発達支援センターも、私たち家族のためにとても親身になってくれました。引っ越し前から何度もやりとりに応じてくれて、幼稚園と並行して通える療育の候補をいくつも提案してくれたのです。発達支援センターは、私にとって心のよりどころになりました。思い切って引っ越してから、幼稚園や発達支援センターの先生方、そこで出会ったたくさんの方たちに支えられ、私の生活は一変しました。息子には自閉スペクトラム症と知的障害という診断がつきましたが、地域に確かな居場所を見つけ、安心して息子を育てられると思えたことで、私はかなり前向きになれたのです。障害や発達の遅れがある子どもをめぐる支援の環境は、非常に地域差が大きいものだと思います。しかし、このような経験をした私は今も、障害がある子どもとその家族が、どの地域で暮らしていても等しく十分な支援が得られるようになることを、願ってやみません。執筆/べっこうあめアマミ(監修:藤井先生より)息子さんの過ごしやすい環境を探すために、何ヶ所も相談し、転居された行動力に頭が下がります。現在、残念ながら支援の地域差があることは、私自身も感じております。私も、全てのお子さんが必要な支援をどこでも受けられて、健やかに過ごせる事を願っております。
2022年11月24日もしコウが「学校に行きたくない」と言い出したらどうする?Upload By 丸山さとこ息子のコウは小学4年生で診断を受けましたが、3歳児健診の時点で神経発達症(発達障害)の可能性は指摘されていました。そのころはASDの可能性が高いと言われており、実際に保育園での様子などを見ていると、社会性の低さを感じることはしばしばありました。小学校に入学してから人間関係などのトラブルが起こりそうな予感もあったため、小学校入学前には「もしコウが『学校に行きたくない』と言い出したらどうする?」と不登校についての話し合いを夫としていました。「学校に行きたくない」とコウが言うときは、まずは理由を聞いて対応するように努めています。ですが、「難しい状況が長く続くなどして見通しが持てないようであれば、コウの心身の状態を見つつ不登校を選ぶ可能性はあるだろう」と、夫と私は考えました。学校に通うことで得られるものは、大雑把に分けて二つあると思います。一つは学習の機会。もう一つは他者と関わり社会性を育む機会です。小学校の時間割や教科書を見ると、小学生は本当に忙しいなと感じます。これだけの密度を家庭で再現したら、バトルに次ぐバトルで生傷が絶えない毎日になりそうなのでそこはあきらめるとして、近いものを用意することはできるかと考え、いくつか案を用意しました。学校に行かないことを選んだとしたら?まず、学習は通信教育(タブレット学習アプリ)と簡単なドリルを利用すると、親子共々負担が少なく続けやすいのではないかと考えました。通信教育であれば全教科通塾するより費用が抑えられます。授業動画は停止したり繰り返し視聴したりすることが可能なため、コウもマイペースに理解を進められそうです。Upload By 丸山さとこ候補としていたいくつかのタブレット学習アプリでは、回答の答え合わせが自動で行なわれるのもよい点だなと思いました。私もコウも負担が減りますし、答え合わせのミスもなくなります。また、コウは視線を往復させて物を見たりノートに字を書いたりすることが苦手なのですが、その点でもタブレット学習は助けになると感じました。苦手なことをさせようとすると毎日バトルが絶えなくなるだろうことは予想がついたので、学習に関してはとにかく『コウも私も無理なく、できる範囲で』をモットーに進めていこうと思いました。もしコウと私に余力があれば、通信教育と合わせて1教科だけ個別指導の塾に行くのもよいかと思い、数か所で体験授業を利用してみました。自習室がある塾の場合は、手の空いている先生がいらっしゃれば質問もできるため、自宅学習で分からなかったことも聞けるのがよいなと思いました。比較的手段が数多く用意されている学習機会に比べると、『同世代の子どもの中でコミュニケーションなど社会性を学ぶ機会』は用意するのが難しいなと感じました。集団の中にいたとしても、集団塾のような環境では横の繋がりが生まれにくいかもしれません。かといって、テーブルゲームなどを通じてコミュニケーションを学ぶ場のようなものは通える範囲にありませんでした。そのため、コウが好きなことの中で比較的ほかの子どもとの関わりも生まれそうな、プログラミング教室や英語教室を候補としました。Upload By 丸山さとこまた、『登下校での徒歩移動や体育の授業がなくなることで運動不足になるのではないか』と思ったことから、当時通っていたスイミングスクールも継続して通うとよいのではないかという話になりました。もし「同級生に会うから嫌だ」ということであれば、やや遠方のスイミングスクールに週1で通おう…と決めました。定期的に通える習い事の場を用意することで、私とコウが離れる時間を持つことも大事だろうなと思っていたのもあります。Upload By 丸山さとこまた、社会科見学や家庭科などの主要5教科以外の学習や体験については、レジャー施設やイベント会場へ行くほか、家事の手伝いをするなど日常生活を通じて補うことにしました。優先したいことは何だろう?私は小学生のころ、いじめやからかいなどのトラブルにより学校へ行くのがつらいときがありました。両親はそんな私を見て「しばらく学校お休みする?」と言ってくれましたが、「学校は行くものだから」と言って通い続けました。当時の私は登校することの苦しさと同時に、学校を休むことへの不安も抱えていました。「もし休んだとしてその間の学習はどうする?休んでいる間に問題が解決する手立てもないのに休んで、事態は良い方に変わるのかな…」という不安や疑問を解消できないまま不登校を選ぶことは、そのときの私にはできませんでした。Upload By 丸山さとこそのため、コウが学校生活でつらそうなときには『しばらく学校お休みしてみる?』の提案ができるよう、「安心して学校を休むための対処」について大まかに案を出しておきたいなと考えています。それらの案が、親子共に安心材料になればいいなと思います。コウは小学校中学年のころに行き渋りが続いたことがありました。朝からあまりにも暗い顔をしてぐったりしている日は、「熱はありませんが疲れが溜まっているようなので、今日は休養させたいと思います」と学校に電話してお休みすることもありました。そうしてたまに休んだりしつつもゆるっと登校を続けたコウは、現在中学生になりました。今のところ「中学は楽しい!」と言い毎日元気に通っていますが、いつ調子を崩すか分からないなと思っています。場合によっては『元気だけど学校は合わないので行きたくない』というケースもあるかもしれません。Upload By 丸山さとこ学習アプリ・習い事・体験施設・家事など、『不登校を選んだとき』を想定して候補にあげた活動は学校に通いながら行えるものがほとんどです。そのため、学校に通っていた今までの間にもいくつか生活に取り入れています。今後コウが不登校を選んだ際は、学校に通わない日常を「今の生活の延長上にあるもの」として移行していけるといいなと思います。そして、もしその選択が「学校に通えないほどコウが疲れた結果」なのだとしたら、まずはゆっくり休むことを優先できたらいいのかな?と思っています。執筆/丸山さとこ(監修:鈴木先生より)不登校のお子さんのほとんどは音に対する不安があります。特に自閉スペクトラム症で音過敏のあるお子さんは教室がうるさいとそこにいるだけで苦痛なのです。学校の先生と相談してイヤーマフや耳栓など音に対する工夫をするといいときもあります。さらに喘息・アトピー性皮膚炎のようなアレルギーや、朝起き不良・立ち眩み・車酔いなどの症状がある起立性調節障害を併存している場合は不登校になる率が高くなります。これらは投薬によってコントロールできるのでかかりつけ医に相談して早めに対処することをおすすめします。自閉スペクトラム症に対して先生や生徒が無理解だと学校へ行く楽しみがなくなるばかりか、いじめのターゲットにもなりうるので、校長先生や教育委員会とも連携して早めの対策が必要です。不登校の初期はなるべく行かせるようにしますが、慢性的になった場合は無理やり行かせずオンラインや習い事でサポートし、できるだけ学習をおろそかにしない工夫が必要となります。高校へ入学できて最終的に自立・就職できればいいわけですから…。
2022年09月21日私がスクールカウンセリングを受けるようになったきっかけスクールカウンセリングを受けるきっかけになったのは、担任の先生に勧められたからでした。ゆいが小5のときに特別支援学級に移るにあたって学校の先生方と打ち合わせをする中で、何かの助けになるかもと紹介されたのです。それから月に一度、外部から来られるスクールカウンセラーの先生とお話しすることになりました。長女に障害があると分かった小5の時期は夫が単身赴任中だったので、すべてのやり取りを私独りでやりました。正直なことを言うと「私が頑張らないと」と変に気を張っていたため、反動で疲れてしまうこともありました。そんなとき、カウンセラーの先生に長女の発達の話以外にもちょっと愚痴を吐いたりして、私の癒しにもなってくれていました。Upload By 吉田いらこあるとき、スクールカウンセラーの先生に娘の将来の不安を語ったら…あるとき、スクールカウンセラーの先生に将来の不安を語ったことがありました。小学校卒業後は地元の公立中学へ進学し、そこの特別支援学級にお世話になることは決めていましたが、そのあとの進路について悩んでいました。もちろん本人の意向が第一なのですが、長女の場合は進路選びにも大人のサポートが必要だと思ったのです。でもありがたいことに、住んでいる地域には障害のある子どもが通うことのできる学校の種類がとても多く、かえって迷う結果になっていました。特別支援学校、単位制の学校、通信制の学校、定時制の学校、その他独自のコースを持つ私立高校も入れると選択肢はあまりにも膨大です。学校選びはどうしたらいいのだろうと混乱していました。さらにその先の就職も不安でいっぱいでした。障害があると分かるまでは子育てのゴールを「子どもの自立」と定めていましたが、わが子は将来食べていけるのか?独り暮らしできるほどのお金を安定して稼ぐことができるのか?(これは障害の有無は関係なく難しい問題かもしれませんが…)考えない日はありませんでした。Upload By 吉田いらこそんな漠然とした不安を先生にまくしたてた私。それを聞いた先生には笑われてしまいました。そして先生はこう仰ったのです。「そんなに将来が不安ですか?将来も大切ですが、その前に中学校生活をどう考えているのですか?」私は一瞬固まってしまいました。先生は続けてこう仰いました。「中学校は小学校とは全然違いますよ。勉強は今までとは比べ物にならないくらい難しくなります。それに人間関係も同じです。女の子は特に人間関係が複雑になっていきますよ。障害のあるなしに関わらず、悩みを抱えて学校に通わない選択を選ぶことは大いに考えられます。小学校でも行き渋りが見られましたし、中学に入って不登校を選んだ場合、その後の進路は大きく変わっていきます。高校進学や就職のことを心配するより、今は中学校に3年間ゆいちゃんが楽しく通えるかどうかを気にかけたほうがいいと思いますよ」先生の話を聞いて私は放心状態になってしまいました。正直なところ、私は義務教育後の進路の心配しかしていなかったのです。そこまではクリアできると何の疑問もなく考えていたことに初めて気づきました。中学時代での過ごし方次第で、進学も就職もしないという可能性もあったのに。心配事は何年も先のことではなく、目の前にありました。なんだか現実をちゃんと把握することができていなかったのだなと反省してカウンセリングを終了しました。Upload By 吉田いらこショックを受けた私が気づいたことはその後、勤務先で中学生のお子さんがいる方たちと話す機会がありました。その中で不登校の話題が上がり、現在は不登校になっても無理に学校に行かせることはしない家庭が多いということを教えていただきました。以前にも書きましたが、私は登校を渋る長女を私自身の都合のために無理やり学校に行かせたことがあります。これは良くなかったのだと反省しました。Upload By 吉田いらこ先生の言葉にはショックを受けたけれど、自分の頭の中が古い価値観で止まっていることが分かって一つ道が明るくなった気がしました。これからどうなるか分かりません。不安でいっぱいです。けれど、本人の気持ちに寄り添うことは忘れずに子どもの思春期を迎えたいと思っています。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)このスクールカウンセラーの方はかなりきつい言い方をされたと思いますが、全てのカウンセラーがそうではありません。おそらく、地域の中学校でのスクールカウンセリングもされていてその現状もご存じの上での話だったのかもしれません。とは言え、指摘されている点は子どもさんの現状に照らして今どうすれば良いかに焦点をあてられています。中学校の特別支援学級は小学校と異なり各教科ごとに先生が変わります。また、学校によっては複数の小学校から一緒になることも多く、人間関係も大きく変化します。場面緘黙があるお子さんの場合は特に周囲の人たちの理解と環境ごとの配慮が必要になると思います。多くの先生方の共通理解が得られるように小学校と中学校そして必要があれば支援機関の専門家・保護者を含めた支援会議を入念に準備しておくと良いと思います。
2022年08月20日37歳のときに不安障害を発症した私。当時、私は栄養士の仕事をしていたのですが、人が少ない職場で自分が休むと迷惑がかかるという思いから休みも取らずに朝早くから夜遅くまで働き詰めでした。そんな中で発症しました。その後、約1年半の通院生活を経て、自己判断で通院をやめたものの、なかなか完全には治らず不安定な状態はずっと続き……。43歳で回復したと感じられるようになるまでは人生のどん底で、これから自分がどうなるのかが本当に不安でした。私が不安障害を発症してから克服するまでに何をしたのかを紹介します。★関連記事:「まさか私が不安障害になるなんて…」絶望のどん底から回復までの道のり【体験談】不安障害の発症当初にしたこと不安障害を発症してから1年半ほどは心療内科に通いつつ、自分でできることは何かを考えて行動していました。していたことは以下の3つのことです。1.ちゅうちょせずに薬に頼った不安障害と診断された当初は、精神安定剤などの薬に頼ることは不安でした。ですが私の場合、発症すると急に動悸が激しくなったり夜眠れなくなったりして、体調が悪くなって精神状態にも影響を及ぼしていたので、薬に頼ることも大切ではないかと思うように。ちゅうちょせずに薬を飲むようになったおかげで、安定した精神状態を保てる時間が増えました。2.不安を感じる環境から逃げた不安障害を発症してから、職場にいると急に動悸がしたり手が震えたり、不安が増したりするようになりました。休職という手もあったのかもしれませんが、私の場合はこの仕事を続けること自体が不安だったため、辞めました。3.いつも楽しくなるように心がけた日常生活では、バラエティーやコメディなど楽しい気持ちになれるテレビを見ました。テレビを見ている間は不安が和らぐのです。また、楽しい音楽を聴いて踊ること、美術館や公園など心が豊かになる場所に行くことも気分を上げるのに効果的でした。友人と会って、不安に思っていることやたわいのない話をするのもよかったです。半面、事件や事故などの悲しい話題などはより不安感が増してしまうので避けました。ラクになるために性格を改めることに上記を続けた結果、心療内科に通い始めて1年半ほどで徐々に薬が減り、頓服薬のみの処方に変わりました。そこで私は、今後は薬がなくなるが何かあったときに行けば良いやと思い、自分から通院を中止。そう思えるくらい回復したと感じていたのですが、やはりまだ不安定な状態は続いていました。結局は自分の性格を変えなければ不安定な状態が続くと考え、自分の性格を改めることにしました。ネットで検索したところ、不安障害になりやすい人は以下に該当するようでした。・感受性が強く繊細で心配性。小さいことにクヨクヨしやすい。・完璧主義で理想が高い。頑固で負けず嫌い弱気な性格と強気な要素を併せ持った人が発症しやすいようでした。私は、まさに自分のことだと感じました。性格を変えるために実践したこと私が自分の性格を改めるためにしたことは以下の3つです。1.終わったことをクヨクヨしない例えば仕事でミスをしても、あのときこうすればよかったなどとクヨクヨ考えると、後悔する気持ちをずっと引きずることになります。終わったことはさっさと忘れて、次にどうすれば良いのかを考えるようにしました。2.完璧主義をやめる理想が高すぎる私は、自分の知識や技術の蓄積のために毎日何かをしないと不安になっていました。頑張らなくてもいいんだよと自分に言い聞かせて休むようにし、その分自分が楽しくなることに時間を使いました。3.負けず嫌いを捨てる人との競争をやめ、過去の自分と競争することにしました。以前の私には他の人のほうがうまくできると、それを追い抜こうとして頑張る傾向がありましたが、それをやめ、過去の自分よりも今の自分がどれだけできるようになったかを基準にするように。そうすることで負けず嫌いがなくなり、心に余裕ができました。不安障害の原因を自己分析した結果不安障害にはいくつか種類があり、医師の診断では、私はその中のパニック障害でした。電車やバスなど乗り物に乗っているとき、歯科医院や美容室にいるときなど、自分の意思だけではその場から離れにくい場所にいることで急に激しい不安に襲われ、発作を起こすことが一般的な症状のようです。ですが私の場合、乗り物内では発作は起こらず、日常生活で急に不安になるという状態でした。そこで原因を分析すると、私は自分自身で心の中に逃げられない箱を作っていたことがわかりました。例えば不安障害が治らなかったらどうしようという不安がある場合、不安障害が治らないという箱を心に作って中に入り、自ら逃げられない状態を作っていたのです。そこから出る方法を考えた結果、結局は「人生どうにでもなる精神」を持つことが大切だと気が付きました。将来起こるかわからないことを心配しても仕方ない。それよりも今を楽しむ気持ちを持とう。これに気が付いたとき、心がずっとラクになりました。だから今の私のモットーは「今を楽しく生きる」です。将来起こることは将来に任せ、今を大切に生きることこそ幸せに生きるコツだとわかりました。まとめ私はこの「今を楽しく生きる」という考え方に至るまでに6年間もかかりました。一歩進んで三歩下がったり止まったりする毎日で、はい上がってくるというよりは、月日がたつに連れて心がだんだんと浮いてくる状態でした。ただ、たくさんのことに触れ続けて考えた結果、この考え方になり救われました。どん底を経験し、不安障害になってしまうほど仕事を頑張ったことを後悔していましたが、そこから物事を見る目が変わり、回復したあとは病気になる前の私よりもより深く物事を見ることができるようになりました。「今を楽しく生きる」というモットーで、これからも楽しく生活をしようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/サトウユカ著者/葉月(44歳)自分のしたいことを追求しすぎて、結婚もせずアラフィフ直前に。楽しく自分らしく生きるために日々模索中。栄養士・調理師の資格持ち。趣味は料理とパン作り、食べ歩き。
2022年08月06日「不安障害」という病気は、ネットで調べると、恐怖心や身体的な不快感が強まり心臓がドキドキしたり不安になったりする心の病気で、体にも悪影響を及ぼすそうです。有病率は人口の5~6%といわれていてそんなに珍しくない身近な病気だそうですが、その不安障害をまさか自分が患うとは思っていませんでした。今回は、不安障害になって苦しんだ経験と、回復までの道のりをお話ししたいと思います。★関連記事:強気だった夫のメンタルが崩れ不安障害に…妻の私ができることは【体験談】不安障害になったきっかけ33歳で短大の栄養学科に入学、35歳で栄養士を派遣する会社に正社員として就職しました。勤務先はデイサービス併設のクリニックで、60代パート女性2人と私の3人で厨房を回していました。入社して1年ほどたったころ、パートさんの1人が家庭の事情で突然辞めてしまい、急にもう1人のパートさんと私の2人体制に。本社からたまにヘルプの人が来ていたものの回数には限度があり、必然的に休みが激減。パートさんに優先して休んでもらい、私自身は月1、2回休める程度でした。その後新しい人も入らず、朝から晩まで1人で勤務することも多々あり、疲れが極限に達して精神的にも追い詰められていきました。あるとき心臓がドキドキしてずっと不安な気持ちが続き、おかしいと思った私はすぐに心療内科を受診しました。診断は「不安障害」でした。初めはまだ症状が軽く、すぐに良くなりました。体が心配だったので会社に1カ月後に辞めると申し出ると、「会社の規約で辞めるには3カ月必要」と言われ、やむなく勤務を継続。ですが2週間後に不安症状が再発し、以前よりもひどくなり夜も眠れず、仕事に行けなくなり、そのまま辞めざるを得なくなりました。不安障害に悩まされた日々に始めたこと真面目に頑張った結果、自分が病気になるなんて。このときは絶望しました。実家でしばらく休むという選択肢もありましたが、このまま家にこもるとたぶん私はうつ病になる。外に出て人と関わったほうが自分の中に閉じこもらなくて良い。そんな気がしたので別の仕事に就き働き始めました。病院で処方された精神安定剤を飲みながら、新しい職場で派遣社員として働き始めました。栄養士を続けると症状が悪化すると感じたため、その道は断腸の思いで諦め、前に経験のあった職種に就きました。このときは何をしても心が何も感じない状態になっていて、「これはうつ病になる一歩手前ではないか」と気付き、これ以上気持ちを落としたくないという一心で、自分で対策を考えました。例えばひとり言で自分を盛り上げました。テレビを見たら「わー!! 今のおもしろかった!!」としゃべったり、笑い転げてみたり。買い物に行くときも「今日は買い出しに行こう!! あのお店は広くてたくさんのものがあるから楽しいんだよね!」と言葉に出してみたり……。いつも楽しくいることを3カ月ほど続けました。そうすると心がだんだんと上向きになっていき、「楽しい」と感じられるようなりました。無理をせず楽しく生きることが大切それからはこの「いつも楽しくいる方法」を実践していき、1年ほどで毎日飲んでいた薬をやめられ、40歳を超えたころには精神安定剤の頓服薬も必要なくなりました。ちょうどそのころに同じ職種の正社員としての職が見つかり円満退社。再就職をしました。正社員となり順風満帆かと思いましたが、入社した会社がパワハラ体質でここでも苦労しました。私が入社後に、今までいた社員や新入社員がどんどん辞めていき、その中にはうつ病になって辞める人もいて、人の入れ替わりが激しい職場でした。ただ40歳で正社員になれたので辞めるという決断ができず、3年ほど働きました。働いているときに決めたことは、「これ以上無理だな」と思ったらすぐに辞めるということです。栄養士時代に不安障害になった経験から、「すべてを1人で受け止めず、助けを求める」ということを学んだので、適宜上司に相談しながら仕事をしました。お休みの日は楽しく過ごし、仕事は真面目にするけど1人で頑張り過ぎない。考え方次第で楽しく過ごせる。そう考え実行することで再発せず、その会社の社員の中では比較的長く在籍しましたが、最終的にパワハラに耐えられず退職しました。まとめその後職業訓練に通い、今はHP制作会社で働いています。紆余曲折あった30代後半から40代前半。不安障害を発症し絶望のどん底に落ちてから、ゆっくりですが病気を克服することができました。完治する病気ではないため、再発することも考えられます。ですが、再発させないために重要なことを自分の経験から学びました。最初は薬に頼りましたが、心のコントロールで症状が出ないように抑えることができるようになりました。どん底のときは治るかどうかも不安でしたが、今では不安障害のおかげで強くなれたし、人にやさしくもなれてよかったと思います。この経験を生かして、これからも恐れずに新しいことにチャレンジしていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/おみき著者/葉月(44歳)自分のしたいことを追求しすぎて、結婚もせずアラフィフ直前に。楽しく自分らしく生きるために日々模索中。栄養士・調理師の資格持ち。趣味は料理とパン作り、食べ歩き。
2022年07月13日「グレーを白にしたかった」診断はADHD、LDも大生さんは小さなころから多動や言葉の遅れがみられたが、和枝さんは大生さんの発達の遅れに気付くまでに時間を要した。離婚後、家計を支えようと、看護師の資格を取得するべくパートの仕事の傍ら看護学校にも通っていたため、育児が二の次になってしまったからだ。大生さんは頻繁に忘れ物をし、夏休みの宿題はろくに手がつけられず、外食に行けばじっとしていられず、ときに癇癪を起こしていた。小学校中学年のある日、和枝さんが連絡帳を開くと、中は真っ白だった。授業のノートも見ると、板書のメモは一行だけで終わっており、作文の文字はマス目に収まっていなかった。「どうしてできないのかが分からない」「僕なんてダメなんだ」と、家の柱に頭を打ち付けたり、自分に包丁を向けるなど、自傷行為もするようになっていった。「私もイライラしていたんです。今からでもフツウになれるんじゃないかと思って、とにかくやりなさいって、型にはめようとしていました。グレーを白にしたかったんです。でも、母親として切ないというか、大丈夫かな、ウチの子は楽しいのかなとか。毎日毎日泣いて帰ってくる大生を見て、そんなに嫌な思いして学校に行くならほかの子と一緒じゃなくてもいいかなって思ったんです」(和枝さん)Upload By 桑山 知之ほかの保護者からの指摘を受けて調べたところ、発達障害の特性が当てはまった。発達検査では全検査IQは“普通の中”。スクールカウンセラーのすすめで受診した病院で、ADHDと診断を受けた。学習障害もあった。さらに、医師から「お母さんも“抑肝散”を飲んでみてはどうか」とも提案されたという。抑肝散(ヨクカンサン)とは、精神疾患や神経疾患の補助薬として処方される漢方薬だ。「え、私?って。看護師なのでそれがどういう薬なのかわかるから、驚きました。それと同時に、子どものしんどさの導火線は私が握っているんだなっていうか。この子だけをどうにかしようと思うんじゃなくて、私もこの子のつらさに拍車をかけちゃいけないんだなと思いました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之「死んでやる!」どん底で見つけた一筋の光大生さんは地元の公立中学で通常学級に進学したが、遅刻や早退がほとんど。教師の理解は乏しく、よく説教を受けた。クラスでは仲間外れにされ、「遅刻してきたのによく堂々と入ってこれるな」「勉強面で遅れてて終わってんな」などと言われることもあった。登校時間になると嗚咽が止まらなかったりと、休みがちになっていった。大生さんの自傷行為を防ぐため、和枝さんは家中の刃物を隠した。「死んでやる!と言って大生が自分の首を絞めていたこともありました。私も家に帰るのがつらいっていうか…。一緒に死んでもいいのかなって思ったりもしました」(和枝さん)Upload By 桑山 知之中学2年に進学したある日の夜、和枝さんは『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ系)でキャリアチェンジ犬のことを知る。キャリアチェンジ犬とは、身体面や性格面など何かしらの理由により介助犬に向かないと判断された犬のこと。かつて犬を飼っている知人の家に行った際、大生さんが柔らかい表情をしていたのを思い出した。「手は尽くした。これしかない」と、日本介助犬協会に問い合わせた。※介助犬…肢体不自由者の日常生活のお手伝いをする犬のこと。盲導犬、聴導犬とともに身体障害者補助犬の1つとして定められている。人懐っこい“魔法使い”がやってきたUpload By 桑山 知之10ヶ月が経ったある日、1頭のキャリアチェンジ犬とマッチングした。名前はオズ。介助犬を目指して訓練していたものの、好奇心が旺盛でほかの犬が好きな性格のため、介助犬には不向きと判断された犬だった。お試し期間として2週間、自宅で一緒に過ごすことになった。和枝さんが「オズにわかりやすいように笑顔で、感情を込めて『よしよし』ってなでるといいよ」と伝えると、大生さんは少しずつ一言添えてなでるようになった。人懐っこくいつも顔をペロペロなめるオズに、思わず大生さんにも笑顔が戻ったのだった。「大生は最初は興味なさそうだったんですけど、だんだん感情を込めてオズに接するようになったんです。大生も笑うんだ…って思ったぐらいでした」(和枝さん)Upload By 桑山 知之さらに、3個下の弟と適切な距離感がつかめずケンカが絶えなかった大生さんだが、オズを介してコミュニケーションが取れるようになった。かつて喫茶店に行くのが趣味だった和枝さんに「俺たち大丈夫だから、喫茶店に行ってきていいよ」と大生さんが言ってくれたり、最近では料理もするという。「(オズを)迎え入れてよかったです。人と違う接し方ができて楽だし、オズと散歩に行ったときに近所の人から空気感が変わったね、って声をかけてもらったり、話したりするようになりました。オズは家族です」(大生さん)Upload By 桑山 知之「最初、見学会でご家族を見たときは空気が張り詰めている感じがありました。でも、犬にはすごいパワーがあって、もたらす効果も大きいんです。その中でもオズはフレンドリーで、マイペースで、明るくて動じない性格だから尾崎さん家族に合うのかなって。オズが来たことがきっかけで変わって、本当に良かったです」(日本介助犬協会・柴原永佳さん)オズが来て半年。これまで集中力が続かず、不登校だった大生さんは自ら勉強に励み、「高校に行きたい」と言うようになった。大生さんは現在、専修学校2年生。専門課程までの5ヶ年一貫教育を経て、就職できるよう力をつけていく。「自分で働いて、自分が暮らせる分ぐらいは稼げるようになってほしい」と和枝さんは願っている。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)家族関係の中に動物が介在することで、共通の話題やプラスのコミュニケーションが生まれてきます。また、家族同士の関係性や価値観も変わってくるのだと思います。今回のケースでは、オズ自身の性格もさることながら、キャリアチェンジをして頑張っているオズという存在自体が、「チェンジしたい」と願う家族それぞれが自分と重ね合わせることで大きな力になったのではないかと感じました。
2022年06月28日SSRIはどんな薬?適応となる症状は?SSRIとはSelective Serotonin Reuptake Inhibitor(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の頭文字をとったもので、こだわり行動、うつ、不安障害、場面緘黙、潔癖症などの症状緩和に使われる薬剤です。発達障害のある子どもには、「自分が一番にならないと気が済まない」「方法や手順などに自分の中での確固としたルールがあり、状況に合わせて柔軟に変更することができない」「一つのことに集中しすぎて周囲が見えなくなる」と、いった特性が見られることがあります。これが「こだわり行動」といわれるものです。不安障害は、突然理由もなく激しい不安に襲われ、心臓がドキドキしたり、めまいがしてふらふらしたり、呼吸が苦しくなってしまうといった症状で、パニック障害とも呼ばれます。場面緘黙とは、家族などとは問題なくおしゃべりできるのに、幼稚園や学校など特定の場所になると話せなくなってしまう症状です。ただ、一口に「こだわり行動」と言っても、その程度はさまざまです。環境を整えたり、周囲が発達障害の特性を理解して接することで、生活に支障がない程度に改善できることも多いでしょう。その一方で、こだわり行動や突発的な不安からイライラが募り、自分や他者への暴力的な衝動に駆られたり、外に出られなくなったり、といった問題がある場合には、薬の力を借りて症状を緩和させることも選択肢の一つです。SSRI(フルボキサミン)の投薬の適応となる症状には、ほかにも強迫性障害、潔癖症などが挙げられます。強迫性障害は、「十分に洗ったのに、くり返し手を洗い続ける」「持ち物がなくなっていないか、何度も確認してしまう」「服が少しでも汚れると、全部着替えないと気が済まない」といった行動となってあらわれます。また潔癖症があると、人が使ったものがどうしても触れなかったり、手指が汚れるのが嫌で手づかみで食べることができない、といった困りごとがでてきます。SSRI(フルボキサミン)の効果・効能は?SSRIには、脳内の神経間でセロトニンという神経伝達物質の再取り込みを阻害する効果があります。セロトニンには心のバランスを整えてくれる働きがあることから、「幸せホルモン」の異名でも知られています。セロトニンが不足すると、気分が落ち込んだり、不安を感じたりしやすくなると言われています。SSRIは、セロトニンの再取り込みをしにくくすることで、脳内のセロトニンの量を安定させ、気持ちを穏やかにする働きをします。SSRIにはいくつかの種類がありますが、本記事ではこだわり行動、うつ、不安障害、強迫性障害などに使われる「フルボキサミン」について見ていきましょう。SSRI(フルボキサミン)は、日本では「ルボックス」「デプロメール」の商品名で販売されている錠剤です。また、「トーワ」の商品名で、ジェネリック薬も出ています。いずれも8歳以上の小児の強迫性障害にも使用が認められています。SSRI(フルボキサミン)の用法・用量は?SSRI(フルボキサミン)の錠剤には、25mgのもの、50mgのもの、75mgのものの3種があります。8歳以上の子どもがSSRI(フルボキサミン)を服用する場合は、1日1回、就寝前に25mgの錠剤1錠からスタートします。1週間以上継続したのちに、朝に25mg1錠、就寝前に25mg1錠、合計50mgに増やします。薬の量は、年齢や症状に応じて医師が判断し、1日合計150mgを超えない範囲で増減します。ただ、増量する場合は、1週間以上の間隔を開け、1回ごとの増量は25mgまでに留めるように推奨されています。医師は、必要最小限の服用で効果が出るよう、慎重に経過を観察しながら処方量を調節します。自己判断で勝手に薬の量や回数を増やしたり、減らしたりしないことが大事です。副作用の心配はない?子どもへのSSRI(フルボキサミン)の投与で最も懸念される副作用は、自殺念慮、自殺企図があらわれる可能性です。24歳以下の患者に投与した場合に、リスクが増加することが報告されています。子どもがSSRI(フルボキサミン)を使う場合、保護者は自殺念慮や自殺企図があらわれる可能性についてきちんと知っておくことが重要です。そして、担当医と緊密に連絡を取り合いながら、経過を見守ることが大切です。自殺念慮、自殺企図のほかに、下記のような副作用があらわれることもあります。・眠気・吐き気・悪心・口の渇き・便秘・めまい・ふらつきまた、投薬を急に中止したり、急激に減らしたりすると、頭痛や吐き気、めまい、不安感、不眠、集中力の低下などがあらわれることも報告されています。服用を止めるときにも、徐々に減量していくなど、医師の指導に基づいて慎重に行いましょう。親子で抱え込まずに、医師に相談をASDなどの発達障害による特性は、個人差も大きいものです。また、成長するにつれて、特性が変化していくことも大いにあります。ただ、強いこだわりや不安、過度の潔癖症などによって、日常生活に困難を抱えている場合は、薬によって症状を緩和していくことも検討したい選択肢の1つです。困りごとを抱えたままでは、強いストレスにさらされ続けることになったり、失敗や挫折が続くことで自己肯定感が低下たりすることが考えられます。そうした状態が長く続くことで、身体的不調、うつ症状、不登校やひきこもり、暴力といった二次的な問題に発展してしまうこともあります。笑顔で過ごせる時間を増やしていくためにも、家庭のなかだけで抱え込まずに、医師や専門家に相談することが大切です。 そして、投薬をする場合は、副作用のリスクなどもしっかり理解したうえで、医師と手を取り合いながら適切な服用をしていくことが重要です。参考:日本薬局方 フルボキサミンマレイン酸塩錠|ニプロ株式会社医療用医薬品 フルボキサミンマレイン酸塩|KEGG データベース
2022年06月26日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「モビリティ社会」です。移動手段が変わる。社会の課題解決が期待される新分野。インターネットの発達により、車や公共交通などの移動手段のあり方が変わりつつあります。モビリティ(mobility)とは、もとは移動性、流動性という意味で、交通手段や移動手段をめぐるモノ・コト全般を指します。国土交通省は、Mobility as a Service(MaaS)(マース)という、住民や旅行者の個々のニーズに合わせて、複数の公共交通やカーシェアリング、自転車のシェアサービスなど新しい移動手段を最適に組み合わせて検索、予約、決済できるサービスの普及を推進。国は、AIやIoTを使い、モビリティを中心とした新しい技術変革のある街づくりを積極的に進めていこうとしています。その「モビリティ社会」の実現に大きく関与するのが自律型の自動運転の技術。自動運転は6段階にレベル分けされており、周囲の車との間隔や道路の混雑状況などをセンサーにより判断し、運転手がハンドルから手を離しても走れるのがレベル3。世界初、この技術を搭載した車を発売したのはHondaでした。日本は少子高齢化、都市部の人口集中が進み、過疎地では鉄道やバスの維持が難しくなっています。孤立した地域の暮らしを支えるのが自動運転。この技術が進めばコストを圧縮し、人々の移動だけでなく、モノを運ぶサービスも付与できますし、CO2の削減にもなります。TOYOTAは、自動車を中心にした実験都市の開発プロジェクトをスタート。自動運転車が街の交通を担うほか、燃料電池車が蓄電装置となり、地域に電力を供給することも計画中。モビリティ社会は製造業やサービス業、エネルギー産業など様々な業種にかかわりますし、高齢化や過疎化、技術立国など社会の課題解決も期待されます。自動車メーカーはモビリティカンパニーに移行していますが、IT企業のほうが得意な分野。HondaはSONYと提携に向けて協議を始めました。EVはガソリン車に比べ部品が少ないので、切り替えれば多くの部品工場が潰れます。日本の自動車産業を世界に押し上げ、経済を支えてきたのも町工場です。その重みを認識しつつ、各社緩やかな産業転換を図っています。堀 潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bit News」代表。「GARDEN」CEO。Z世代と語る、報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX平日7:00~)が放送中。※『anan』2022年6月22日号より。写真・小笠原真紀イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2022年06月17日幼いころのゆいの様子を思い返してUpload By 吉田いらこ幼いころのゆいは素直で大人しく、いわゆる育てやすい子でした。就学前までは子育てで特に大きな苦労を感じたことはありません。ただ、ゆいは勉強の苦手な子ではありました。年中のころから幼児向けのコースもある学習塾に通わせていたのですが、小学校1年生のころに本人がどうしても辞めたいというので退会させたことがあります。続けていけなくなったのは、ちょうどそのころから塾の勉強の内容が幼児向けの簡単なものからお勉強系に切り替わったからだと思います。この塾のシステムは、できない問題があればずっと同じところを繰り返し、理解し、解けるまで次に進むことはできません。ゆいは算数のある一ヶ所でつまずき、ずっとその問題を繰り返し解くことがつらかったようです。このときは辞めさせることをとても悩みました。勉強を嫌がるのは甘えではないのか、それを許していいのか…と。結局、ゆいがとてもつらそうにしているのがかわいそうになって辞めさせてしまいました。それに、まだ低学年だし勉強は無理にさせなくてもいいやとも思っていたのです。今思えば、このころに軽度知的障害の予兆に気づいていればできたこともあっただろうなと感じます。小学校三年生、テストの点数はいつも低く…Upload By 吉田いらこ小学3年生あたりから「この子は勉強が本当に苦手だなあ」と感じることが増えました。小学校で実施される小テストやカラープリントの点数がとても低かったのです。ゆいはいつも点数の低いテストを申し訳なさそうに私に見せてくるので、私は「次頑張ったらいいよ」「ほら、ここは○が多いじゃない」と数少ない、できていたところに目を向けてほめるようにしていました。内心では「この内容だったら、ほかの子は高得点を取っているのでは…?」と思いましたが、成績が悪いことをわが子に注意するのはかなり抵抗がありました。さらに勉強を嫌いになってしまうかもしれないと思い怖かったのです。きっといつか、勉強の大切さがわかったときには自主的に始めるだろう…と楽観視していました。かといって、ゆいに勉強に興味を持たせられるような効果のある声かけもしていなかったので申し訳なく思っています。小学校4年生のある日のことUpload By 吉田いらこそして何も解決しないまま小学四年生になったある日、担任の先生から呼び出しがありました。教室に入ると担任の先生と支援担当の先生がいて、ゆいの学校での状況を教えてくれました。ゆいは勉強についていくのがとても難しそうだということ。必死で板書を書き写そうとしているが間に合わず、授業を理解する以前の状態だということ。そして最後に、一度専門機関で発達の検査をしてみてはと言われました。そのときは「ああ、とうとうか…」と感じました。なんとなくそのままにしてきたことをはっきり指摘されたような気がしました。現在のゆいは…その後小学校5年生で新版K式発達検査を受けた結果、療育手帳(B2)が申請できると伝えられました。つまり、軽度知的障害があるということです。ゆいの場合は、学年が上がって勉強につまずき始めたことがきっかけで障害があることが発覚しました。ただ、こうやって第三者に指摘されない限り、家族だけではなんとなくそのままにしていただろうと考えています。学校の先生方に指摘された当時はショックを受けましたが、そのおかげでいろいろな対応を進めることができたので今では感謝しています。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)「子どもに知的障害があるかもしれない」という発想は、普通に子育てをしていてはなかなか浮かんでこないものです。ただ一方で、気づかずに一般的な勉強方法を繰り返していては、本人にとってつらいだけのこともあります。特性に気づいて最適な方法に出会えると、少しずつ前に進めて良いですね。
2022年06月03日うちの娘は発達障害グレーゾーン。言葉の発達から運動面まで平均で1年以上の遅れがあり、就学前の発達評価では“軽度知的障害”とも言われるほどでした。■発達グレーゾーンの娘の入学は不安だらけ保育園でも一緒に遊ぶのは、発達具合が同程度の下のクラスの子どもたち。慣れない場面ではパニックを起こしやすく、運動会や発表会は毎年、一生懸命、練習を重ねた娘が取り乱して大泣きする姿を見るしかできないのがお決まりのことでした。そんな娘は就学前健診でもパニックを起こして泣き出し、ほかのみんながひとりで健診を受ける中で、うちの娘だけは母親である私同伴。「あの子、なんだろう?」「どうしたんだろう?」というクラスメイトになる子どもたちの視線は、母親である私でも痛いくらいでした。そんなわけなので…。娘の入学はとってもとっても心配なものでした。中でも心配だったのが、“友だちつきあい”。今まで年下の子たちとばかり遊んでいた娘が、同じ年のクラスメイトの中で、やっていけるのか…。周りの子たちから、孤立したりしないだろうか…。特に娘が入学したその年は、新型コロナウイルスで学校生活が大きく変化した年でした。そんな中で娘が楽しく学校に通えているかどうかは、入学から1年たっても、私の心配の種になっていました。 ■息子とともに、お姉ちゃんを迎えにいくことに!そんなある日…。その日は息子の幼稚園の都合で、息子の帰りと娘の下校時間が珍しく重なった日でした。「一緒に帰る子がいるから来なくていいよ」なんて言われて、しばらくお迎えもしていないし…。たまにはいいかと、私は息子を連れて、小学校の正門まで娘をお迎えにいくことにしました。息子は大好きなお姉ちゃんに会えると、覚えたばかりの言葉でお姉ちゃんを呼び続けます。そして、しばらく待っていると…。きたーーーー!!し、しかも…。集団で…!?娘は私たちの姿に気付くと、恥ずかしそうに笑って友だちの陰に隠れます。え…。え…!?一緒に帰る友だちって、ひとりくらいだと思っていたのに…!?勇気を出して挨拶すると、そのお友だちたちは笑顔で私たちを迎えてくれました。そして娘は、「えー…じゃあ、帰るね」そう言って、私たちのもとへ歩みを進めると…。「えーー!! やだーー!!」「一緒に帰る!!」そんな娘に抱きついて引き留めるお友だち。学校とわが家は目と鼻の先。どうやら、娘たちはちょっと遠回りしておしゃべりしながら帰るのが定番らしく、お友だちは娘をそちらに誘っています。えっ…。え…。ママ…もしかして邪魔だったーーー…!?ショックでした。でも、それは決して悲しいショックではありませんでした。むしろ、うれしかった。娘に、こんなお友だちができていたんだ…。 ■不安だらけの入学でも、娘はステキなお友だちに出会えた普通級のグレーゾーン児として先生が配慮してくださって、この子たちも、もしかしたら娘のフォローをしてくれている子たちなのかもしれない。でも、それでも、帰り際にこうして引き留めてくれるんだ。もっと一緒に話したいって、そばにいてくれるんだ…。私は、胸にこみ上げるものを抑えることができませんでした。泣くのは、我慢しました。ギリギリでした。そして、少しだけお友だちと会話を交わした後、この場は譲ることにして、息子とともに、一足先に帰路につくことにしました。確かに、親がいると話しづらいこと、あるよな…!なんて、ほほえましく思いながら…。不安だらけの娘の入学でしたが、こうして娘のお友だち付き合いを目の当たりにすることができて、私の心配性も、少しだけ軽くなったような気がします。まだまだ不安なことはたくさんありますし、学年が上がるにつれて逆に難しくなることもあるかもしれない。でも、娘もたくさん頑張って、学校を楽しんでいるんだ。そう実感することが、ものすごーくできた、出来事でした。ちなみに息子は、小さくなっていくお姉ちゃんの背中に向かい、壊れたおもちゃのように、ずっと名前を呼び続けていましたとさ…。
2022年05月27日立命館・社会起業家支援プラットフォーム(RIMIX)の参加学生が事業を展開する株式会社FoodFul(フードフル)は、離乳食の悩み・不安を無料で解決するオンライン離乳食サポートサービス「childish(チルディッシュ)」のサービス提供を、2022年5月20日(金)から開始いたします。本件のポイント■立命館・社会起業家支援プラットフォーム(RIMIX)の参加学生による起業■専門家が育児初心者の新米パパ・ママに寄り添い、24時間オンライン無料サポート■離乳食と楽しみながら向き合い、大切な人を思いやる機会にchildishは、乳児を持つ親などに、「わが子への適切な離乳食がわからない」「悩みを面と向かって打ち明けられない」「子育ての相談相手がいない」などといった離乳食への悩みや不安を、専門家がアドバイスするサービスです。利用者は公式LINEを使って、管理栄養士や保育士、先輩ママパパに、いつでも、気軽に、無料で相談することができます。利用方法は「①専用サイトへアクセス②専門家を選択③チャット開始」の簡単3ステップです。離乳食に関するさまざまな悩みを専門家が親身に寄り添い、サポートいたします。離乳食サポート | childish(チルディッシュ) : 柳陽菜 株式会社FoodFul代表取締役社長のコメントこの度、多くの方々にご支援いただき、childishのリリースが決定しました。親になれたからこそ経験することができる貴重な食体験“離乳食”をワクワクと楽しみながら向き合うことができるような手助けとして、このサービスを1人でも多くのママさんパパさんにご利用いただければと思います。そしてchildishを通じて、少しでも子供の食に対する興味関心を高め、“食”を通じて大切な人を思いやることができるような人が1人でも増えることを願っています。株式会社FoodFulの概要【商 号】 株式会社FoodFul(フードフル)【設 立】 2022年3月14日【資 本 金】 70万円【代表取締役】 柳陽菜(立命館大学食マネジメント学部在籍)【従業員数】 2名(2022年4月現在)【事業内容】 食育事業(食に関するアプリケーションシステムの設計、開発および配給)【企業理念】 「暮らしの“食”に無限大のワクワクを」HOME | My Site 1 : 立命館・社会起業家支援プラットフォーム(RIMIX)についてSDGs(持続可能な開発目標)に代表される人類共通の課題に対する学生・生徒・児童の問題意識、そこから生まれるチャレンジ精神を起点に、挑戦から起業までをシームレスに支援し、初等・中等教育段階から社会課題を積極的に解決する人材(社会起業家:Impact-Maker)の養成を目指すもの。次代を担う学生・生徒・児童らのユニークなアイデアを発掘し、育て、後押しすることで、社会に新たな価値を創造する。学校法人立命館 RIMIX 公式サイト : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年05月20日障害のある職人たちが手がけるボーダーレスなウォレット「UNROOF×SHIPS made in Japan」シリーズ第2弾、発売中Upload By 発達ナビニュースジョッゴ株式会社が運営する革製品ブランド「UNROOF(アンルーフ)」では、発達障害や精神障害のある革職人たちが活躍しています。障害のある方たちの新たな働き方のスタイルや、妥協のないものづくりが注目され、人気ブランドと共同開発した製品も続々と誕生しています。現在、発売中の革小物シリーズ「UNROOF× SHIPS made in Japan」は、セレクトショップ「SHIPS」とのコラボレーション第2弾。「UNROOF」が大切にするのは、性別問わず使えるデザイン、そして左利きの人でも使えるようなデザイン。「SHIPS」 が大切にしているのは、シーンを問わず、また性別も問わないジェンダーレスに使えるデザインと素材。この2つがコラボレーションしたことによって、あらゆる面でボーダレスなウォレットが誕生しました。製作は全て東京都東村山市にある「UNROOF」の工場で、革職人が一つひとつ手づくりしています。素材、生産工程の全てが「Made in Japan」のコラボレーション商品です。「SHIPS」の一部店舗、オンラインショップにて販売中です。〈「UNROOF X SHIPS made in Japan」取り扱い店舗 〉SHIPS 銀座店SHIPS 新宿店SHIPS 有楽町店SHIPS 大宮店SHIPS グランフロント大阪店SHIPS 広島店*一部変更の可能性があります※クリックすると発達ナビのサイトからSHIPSオンラインショップに遷移します。障害福祉×デザイン×地域の協働。JR東⽇本⼭⼿線沿線で、オリジナル電⾞カードが配布中Upload By 発達ナビニュース「障害の壁を越え、持ち味を生かし『好きなことを仕事にする喜び』『他者と協働する楽しさ』を誰もが目指せる世の中をつくる」をミッションに、2020年に創業したデザインチーム「想造楽工(そうぞうがっこう)」。全国各地の福祉施設と企業や自治体とコラボレーションを手がけています。今回、東京都池袋にある障害者⽀援施設「社会福祉法⼈フロンティア いけぶくろ茜の⾥」、JR東⽇本とのコラボレーションが実現。オリジナル電⾞カードが4月より配布開始されています。非売品のオリジナル電車カードの表⾯にはユニークな電⾞や⾞掌などのイラストが、裏⾯にはJR東⽇本池袋 運輸区からのメッセージが掲載されています。 デザインは2種類。池袋運輸区の⼭⼿線運転⼠、⾞掌からお子さま限定で受け取ることができます。「想造楽工」のさまざまなコラボレーションはInstagram、ホームページでご覧ください。「想造楽工」nstagram※クリックすると発達ナビのサイトから想造楽工のホームページに遷移します。「ちがいをちからに変える街」渋谷からうまれたシブヤフォントUpload By 発達ナビニュース「シブヤフォント」を知っていますか?渋谷区内の障害者支援事業所に所属する方々が描いた文字や絵を、渋谷区にある専門学校桑沢デザイン研究所の学生が「フォント」や「パターン」としてデザインしたものです。これまで400種類以上のデータが作成されています。眺めるだけでわくわくするようなデザインの数々のフォントは「渋谷区公認のパブリックデータ」として公開されています。「シブヤフォント」は渋谷区役所の新庁舎や、LINE CUBE SHIBUYA(旧:渋谷公会堂)などの公共施設の案内、渋谷区職員の名刺にも使用されています。さまざまあるフォント・パターンは、これまで企業の広告や商品などに起用されており、もしかしたら既にどこかで目にしているかもしれません。企業とのライセンス契約による売上の一部は、渋谷区内の障害者支援事業所の工賃に還元。ワンコインからできる個人利用は、新しいソーシャルアクションとしても注目されています。ギャラリーでは、シブヤフォントをもっとよく知ることができます。ぜひ足を運んでみてください。〈「シブヤフォント」ギャラリー〉【所在地】:東京都渋谷区桜丘町23-21渋谷区文化総合センター大和田8F一般社団法人シブヤフォント【開所日】:平日10:00~17:00※クリックすると発達ナビのサイトからシブヤフォントのホームページに遷移します。車いすユーザーが「何本も電車を見送らずに、電車に乗れる駅間連絡の仕組みづくり」への署名、1万5千人を突破Upload By 発達ナビニュース余裕をもって駅のホームに到着したにもかかわらず、目の前の電車に乗れなかった経験はあるでしょうか。車いすユーザーは、発車の10分前、場合によっては20分前にホームにいても目の前の電車を見送らざるを得ないというケースが日常的にある、という現状があります。スムーズに乗車できる鉄道がある一方で、全国には「降車駅に連絡がつくまで、スロープを使う車いす利用者を電車に乗せられない」という原則ルールがある鉄道もあります。その場合、電車に乗っている時間が長い時間であったとしても、乗車する前に降車駅に連絡がつかない限り、目の前の電車に乗ることはできません。現在、この仕組みを変えてほしいという署名活動が行われています。全国での「駅間連絡の仕組みづくり」実現のための活動は、多くの賛同と署名を得ています。障害の有無にかかわらず、また全国のどこにいても全ての人が乗りたい電車に乗れる社会に近づくため、ご関心あれば、ぜひ以下より署名サイトをご覧ください。※クリックすると発達ナビのサイトからChange.orgに遷移します。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2022年05月17日4月は、多くの人にとって『始まり』の時期。学校に入学したり、職場での勤務が始まったりと、新しい環境での暮らしが開始します。何ごとも、新たな1歩を踏み出すのは勇気が要るもの。楽しみな気持ちもあれば、不安や緊張もあるはずです。特に社会人1年生は「会社になじめなかったらどうしよう」「大きな失敗をしてしまったら…」と、ネガティブになってしまう人は珍しくありません。新社会人になるのがつらすぎて作った『アイテム』「来月から新社会人になるのが、つらい…」と、憂うつな気分だったという、なるみ(@nal_333)さん。そこで、なるみさんは自身を奮い立たせるために、あるアイテムを制作することにしました。誰もが笑顔になり、社会への第1歩を踏み出す勇気が出てきそうなアイテムが、こちらです!来月から新社会人なのどうしても辛いからちょっとでもワクワクしたくて急いで作った pic.twitter.com/4Ico43jc10 — なるみ (@nal_333) March 29, 2022 特撮ヒーローの変身グッズ…ではなく、社会人への変身グッズ!なんと、これを装備すれば誰でも『戦士(サラリーマン)』になることができるのです!パッケージを見ると対象年齢は15歳以上となっており、小さくこういった注意書きも。※入社試験は個別に受けていただく必要があります。※入社前のイメージとは異なる場合もあります。…ちょっぴり社会の闇を感じますが、戦士としてこれらの試練を乗り越える必要があるのでしょう。斬新なアイディアによって作られた『変身グッズ』は拡散され、「発想が最高で爆笑した!」「めっちゃ欲しい」といった声が上がっています。中には、晴れて戦士になったものの、「入社先が悪の組織(ブラック会社)だった…」というケースもあるはず。その場合は、闇にのまれてしまう前に、退職届という武器を使って撤退するのも一手です…![文・構成/grape編集部]
2022年03月30日小3でついたアダ名は「忘れ物の女王」Upload By 桑山 知之筆者と広野さんとの出会いは2019年に遡る。ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材のため、連絡を取ったのがきっかけだった。底抜けに明るい性格について触れると、広野さんは「このくらいじゃないと生きていけない」と笑い飛ばした。その言葉の重みに、筆者の胸が苦しくなったのを今でも覚えている。Upload By 桑山 知之広野さんは幼少期から、目の前にあるもの以外はすぐに忘れてしまう子どもだった。小学校に入ってからは管理しなければいけないものが増え、何かをこなすことは「全く無理だった」。宿題を出され、その場ではやる気でいても、家に帰れば宿題を出されたことすら忘れている。翌日提出を求められて初めて思い出す。小学校2年生の通知表に「忘れ物が多い」とはっきり書かれ、3年になると周囲からは「忘れ物の女王」とアダ名をつけられた。「どうしてみんなができるのか分からないんですよ。頑張らなきゃいけないんだけど、どう頑張ったらいいのか分からない。困るんですよね、『ちゃんとやって』って言われると。ちゃんとやっているつもりなので。一人だけ違うことしてたりするんですけど、それを問題だとも思っていない。だから怒られますよね」(広野さん)Upload By 桑山 知之学校のあちこちには、広野さんの持ち物が散らばっていたという。5年生ぐらいのころには、遠足で河原に行った際、飯盒炊飯でカレーをみんなでつくって食べるとき、広野さんは肉を持ってくる係だったが、肉を忘れてしまい、広野さんの班だけベジタブルカレーになってしまったこともあった。成績や勉強よりも「生きていくこと自体が難しかった」といい、時間に遅れないようにするなど社会生活に食らいつくのに必死だった。片づけできず夫から罵倒…「私はいても意味ない」地元の中学を経て静岡県内の高校を卒業後、青山学院大学に進学。当初は国語の教員になろうと思っていたが、LD(学習障害)の傾向があるのか、時折、字が正確に書けないことがあった。ずっと続けて文字を書いていると、例えば「春」の横棒が四本になってしまうことがあるらしい。「これでは黒板の字が不正確になってしまう」と思い、教師の夢を諦めた。落ち込んでいたところ、ゼミの教授の紹介で、都内の大学病院の教授の秘書になった。しかし、当時は自身がADHDとは知らず、自分のスケジュールの管理も難しく、何より察して動くことが全くできず、とんちんかんなことばかりしてしまい、周囲から「使えない」と言われ、思い悩むことも多かったという。Upload By 桑山 知之「若いときは、できなくても頑張らなきゃいけないとか、頑張ったらできるかもしれないとか、そういう気持ちが強かったんです。でも半年でおかしくなっちゃって。電車に乗っていられなくなったり、起きたら午後だったり、色々できなくなっていきました。生きていてもしょうがないと、思いつめていました……」(広野さん)生きることもできず、死ぬこともできず、「しんどい」毎日を過ごしていたが、23歳で当時交際していた男性と“デキ婚”。実家の両親からサポートを受けながら家事や育児に勤しんでいたが、やはり片づけがどうにも苦手だった。家の中は物で溢れかえり、食卓には書類などが大量に積まれ、食事を摂ることもままならなかった。そして29歳のころ、鬱病と診断された。Upload By 桑山 知之「旦那からは『こんな家に帰ってくる俺の気持ちになってみろ』とか『お前、一日家にいて何してるんだ』とか言われて。そのときは診断も受けていなかったので、『私はいても意味ないな』ってどんどん落ち込んでいきましたね。頑張って専業主婦をしていたときが一番つらかったです」(広野さん)そんな中、2000年に刊行された『片づけられない女たち』(WAVE出版/サリ・ソルデン著)を読み、驚いた。自分によく似た人がこんなにいる。そして、対処方法がある。そこから、発達障害というものがあることを知り、同じ悩みを抱える人とともに当事者グループをつくって理解を深めた。「最初は自分がとにかく喋りたいからつくった」と笑うが、家庭の悩みなどを打ち明けられる居場所ができたのだった。「言い訳だ」夫から度重なる暴力、そして離婚30歳を過ぎてからADHDと診断を受けた広野さん。発達障害のことを夫に打ち明け、「家事を一緒にやってほしい」「手伝ってほしい」と伝えたが、「そんなのは言い訳だ」と理解してもらえなかった。むしろ、診断を打ち明けたことをきっかけに、夫との関係は余計に悪化。物を投げられ、時には暴力を受け、外に出られないぐらいひどいあざが顔面にできることもあった。「自分が(夫の)ストレスの捌け口になっていたんだと思います。私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)Upload By 桑山 知之夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。Upload By 桑山 知之「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」とも指摘している。できないことは恥ずかしいことじゃないUpload By 桑山 知之広野さんはなぜこれほどまでに明るく前向きなのか。どうやら心理学の勉強をした上で、「訓練をした」という。「世の中落ち込むことばかりでうまくいくことよりも失敗することの方が多いんです。でも、いちいちそれを真に受けて反省して頑張ろうと思っても、また失敗しちゃうんです。そんな人生を普通のメンタルでやっていけない。いちいち落ち込んでいたら生きていけないだろうってことで、それを転換して、できる方に目を向けるように、自分を変えていきました。とにかく、自分が快適に生きていける状態がどこか?が大事であって、みんなと同じようにできるかは関係ないんです」(広野さん)できないことを「否定しない」。それは2人の娘の子育てでも実践していた。娘には、自身の障害のこともオープンに話した上で、スーパーの惣菜を買うなど家事をなるべく減らし、対話の時間を増やした。時には、娘が母である広野さんのサポートにも回った。現在、長女(25)はIT企業でデザイナーの仕事に就き、次女(23)は海外の大学に進学し、心理学を学んでいる。Upload By 桑山 知之「個を重視する世の中になりましたよね。個の時代というか。発達障害のある人たちが受け入れられるような方向に行っている気がします。でも、例えば子どもに発達障害があると診断されて、周囲に分かってもらわなきゃとか、説明しなきゃとかやっちゃうと、子どもの自尊心が下がるんですよ。あ、人と違っちゃいけないんだ、って。でも開き直って、文句ある人は近寄ってこないで!ぐらいでいいんです。分かってくれる人とやっていけばいい。大人が変わらないと子どもが変わりませんから。発達障害のあるなしに関わらず、娘たちにはやりたいことを自由にさせてあげたいと思ってきましたし、すべての子どもたちにそういう環境があることを願っています。発達障害のある子どもが生まれるということは、楽しいんだって思ってほしいです」(広野さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生から)広野さんのお話のように、発達障害がある人に対する支援や制度、仕組みは少しずつ充実してきています。しかしながら、現在そうした支援や制度を利用しようとすると、その多くは発達障害があるという診断や障害者手帳などが必要です。これを第一段階とすれば、その次の段階は発達障害の診断がなくても、その支援を必要とする人が必要な時にいつでも受けられるような支援や制度が広がっていくことではないかと思います。このような「障害という診断を必要としない社会」から最終的に「障害のない社会」につながっていくのだと思うのです。
2022年03月28日家庭は「落ち着けない場所」アルコール依存の父とDV母Upload By 桑山 知之manaさんは、公務員の父親と保険などの営業を行う母親のもとで、2人姉妹の長女として育った。父親はアルコール依存症、母親は包丁を突きつけたり首を絞めてきたりと、たびたびmanaさんに暴力をふるっていたという。喘息などアレルギーにも悩まされた。家庭は「落ち着けない場所だった」と振り返る。「母親に崖に連れていかれたこともありました。家出もよくしていたんですよ、母親は。ただ、そういったことも最近まですっかり忘れていたんです。母親の影響もあって、私のメンタルがやられていたのかなって思い至るようになりました」(manaさん)Upload By 桑山 知之授業中も、椅子に座っていられない不快感や衝動があり、とても苦痛だった。中学1年から不登校気味になり、15歳で小児科の「思春期外来」を受診した。診断は「心身症」。25年以上前の当時は発達障害の認知が今ほど進んでいなかったこともあり、ストレスによるものだと医師から言われた。普通科高校に進んだが、中学3年のころに無理して登校していた影響などから、過食のため胃腸の調子が悪くなり、夏休みの宿題に着手できなかったことがきっかけとなって退学し、通信制高校を転々とした。「自分は人と違う」と自覚した。その後、福祉の専門学校に進み、発達障害について学ぶ機会があった。教科書を読み進めれば読み進めるほど、自分にあてはまることが多かった。家でその話をすると、「知らんほうがいいこともある」と父親に諭された。物をよく失くすなど、どうやら父親も発達障害の特性が見られたらしい。manaさんが26歳のころ、父親はアルコールの飲みすぎなどが原因で、食道ガンにより亡くなった。母親に相続の放棄をさせられたため、遺産を受け取ることはできなかったという。28歳で診断生きづらさと向き合ってUpload By 桑山 知之専門学校を卒業後、高齢者施設に半年ほど勤めたが、父親が倒れてからは仕事を辞め、看病をしていた。父親の死後、就いたのはコンビニ店員のアルバイト。マルチタスクを処理する能力が求められるため、ADHDがある人は苦労すると言われる職種だが、manaさんにはこれが合っていたという。のべ13年間働き、トレーナーも経験した。「バイトで来る人にもいろいろな方がいて。店の様子を把握しながら、その日の進行管理を考えつつ、レジ打ちしつつ、発注書を書いたり、レンジをチンする40秒の間にほかのことをやったり。なぜだかわからないんですけど、自分の傾向がたまたますごく合っていたんですよね」(manaさん)Upload By 桑山 知之専門学校の実習先で知り合った男性と、28歳のころに結婚。その後、ADHDかつ双極性障害だと診断を受けた。また、言語性IQと動作性IQに明らかな違いが見受けられた。不注意で忘れ物が多く、家が散らかってしまうこと、聴覚過敏のことも、特性だと思えば肩の力を抜いて生活できるようになった。現在、8歳の長男と4歳の次男、夫と4人で暮らしている。スマホは紛失補償のある保険に入り、夫や妹がGPSを見られるようにしているほか、予定を詰めないために小さな手帳を使っている。財布がわりの透明なケースは、著名な料理家がジップロックを使っているのをテレビで見て参考にした。Upload By 桑山 知之「家は極力モノを少なくしています。荷物もいっぱい持つとなんだか訳がわかんなくなって落としちゃうので、そもそも減らすっていうか、カバンを小さくしました。学生時代は登山用のリュックサックで登校していたんですよ(笑)」(manaさん)福祉×アートで世の中をより良く学生時代、家庭の方針でテレビはNHKしか見ていなかった。好きだったのはドキュメンタリー。「いろいろな人が世の中にはいっぱいいる」と興味が湧いた。マイノリティと言われる人々の生きざまに、自然と惹かれていた。そんな中、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』をテレビで見て、「生きることを認められている」気持ちになった。育児がひと段落し、昨年夏には障害者支援施設で働いた。しかし猛暑の中頑張りすぎてしまったためか、パニック発作が出た。“日本一暑い町”多治見市は、感覚過敏のmanaさんにとってなかなか酷である。来年度からは、多治見市が委託する「母子保健推進委員」として活動する予定。無理をしすぎないよう調整しながら、障害のイメージを「ポジティブに変えたい」と話す。Upload By 桑山 知之「自分にも見えない障害があって、周りにもそういう人がたくさんいるわけで。もっといろいろなことを知って、パッと見ではわからない困りごとがある人と、行政やサービスを結ぶ活動をしていきたいです」(manaさん)気軽に話せる相手がいなかった幼少期。誰かに助けてもらうという選択肢すらなく、今も当時の記憶は断片的なまま。子どもを社会全体で育てていく、そのチームの一人になりたい。それが当面の目標だ。中でもアートが大好きだというmanaさん。子どものころには、鼻血を出すまで集中して絵を描いていた。引きこもっていたころも、アートに支えられた。「アートには力がある」。福祉とアートをつなげる仕事ができたらと、一歩を踏み出していく。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)専門学校で福祉を学んだり、実際にその分野で働いたり、子育てを経験する中で、ご自身の特性や診断に向き合ってきたということは、同じような特性や診断のある人や支援に対して非常に役立つだろうと思います。障害者支援の仕事は、一方では利用者の方々の得意なことにスポットをあてていく仕事だと思います。そういった視点はmanaさんにあっているのではないかと思います。ただ、福祉や支援サービスの現場は過酷な面もあり、合理的配慮が得られにくい場合もあります。ご自身の特性を踏まえて、働く時間や内容をアレンジするなどして、ご自身が無理しすぎない環境を整えることも大切です。職場の中で理解や配慮が得られるようにしつつ、当事者であり支援者であるということを活かし、またご自身の得意な分野でmanaさんらしい仕事を続けていっていただけるよう応援しております。
2022年02月02日小学2年生だった次男がいじめにあう発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなっていくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの、猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。Upload By 桑山 知之「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きがわかるようになったという。息子が苦手なことは自分も苦手――自身も発達障害の診断をUpload By 桑山 知之次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが、息子の担当医によれば「間違いない」という。こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を忘れたらいつも学校まで届けた。「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやってあげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)Upload By 桑山 知之思い返してみれば、猫ママさん自身も子どものころ、空気が読めなかった。周囲の様子をきちんと理解できていなかった。相手の表情や、何を喋っているか、あらゆる情報が今でもほとんど思い出せない。でも母親や教師からはよく怒られた。当時を知る高校の同級生からは「あのころはマシンガントークがすごくつらかった」とも言われた。どうやら、しょっちゅう友達の間に割って入って自分の話をまくしたてていたらしい。発達障害一家だからこそわかること「ゆっくりだけど、みんな学んでいる。」これはドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の中に差し込まれたコピーだ。猫ママさん一家も、決して例外ではない。Upload By 桑山 知之社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いんじゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)Upload By 桑山 知之苦しんで育ってきた自分だからこそ、息子3人が一体どういったことに苦しんでいるのかがわかる。そのサポートをしながら、親がレールを敷くのではなく、本人の意思を尊重してきた。そのうえで、子育てにおいて大切なのは、「何ができるか」ではなく、「愛される人間であること」だという。「いちいち他人を敵に回すようでは、困ったときに助けてあげようと思ってもらうことはできません。逆に、できることが少なくて手がかかっても、いわゆる憎めない人には、ピンチのときに誰かが必ず助けてくれると思うんです。特性ゆえにわからないならなおのこと努力が要るのではないでしょうか。そのためには、障害を受容し、許容することが大前提になるのだと思います。まず親が一番最初に、わが子をしっかりと受け止め、許容すること。できないことを受け止め、その中で一緒に歩いていくこと。そしていつか必ず『手を離す』覚悟を持って」(猫ママさん)長男は25歳になり工場用機械を作る会社に就職。次男は21歳で名古屋のアパレルショップで働いている。三男は全日制の高校に通う1年生だ。猫ママさんは10年前から、発達障害や家族のことを知ってもらおうとブログなどを通じて発信を続けている。特性と躁鬱の症状で仕事は途切れがちだったが、現在はクローズ(※障害があることを申告せずに一般雇用で就労すること)でサポート側として2年半継続して勤務している。ゆっくりだけど、みんな学んでいる。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文/桑山知之取材協力/若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・三木先生より)「誠意をもって生きること」「愛される人間であること」はすごく大事ですね。どういった苦手さを持っているかももちろん人生に大きく影響するのですが、その困難に直面したときに誰かに助けてもらえたり許してもらえるようなキャラクターだったり振る舞いができたりすることは、実は何よりも強い武器なのかもしれません。
2021年12月22日発達ナビPLUSがもっと使いやすく、もっと見やすくリニューアル!Upload By 発達ナビ編集部発達ナビのプレミアムサービス「発達ナビPLUS」では、スマホ1つで発達支援の専門家とつながり、ご家庭のお悩みを解決までサポートするオンラインサービスです。「発達ナビPLUS」は、約1年半のあいだサービスをお届けする中で、たくさんいただいたユーザーのみなさまのお声をもとに、2021年12月にリニューアルしました!今回は、サービスの内容やリニューアルしたポイント、またユーザーさまからのうれしいお声も紹介していきます。満足度98%!専門家による個別アドバイスが届く。Upload By 発達ナビ編集部発達凸凹子育ての「こんなときはどうすればいいの?」に幅広くお答えします。 支援経験豊富な専門家が、保護者さまのお困り内容を整理し、お子さまの発達状況や環境情報などの分析と、分析に基づく個別最適な手立てをアドバイスします。Upload By 発達ナビ編集部■ 相談カテゴリが追加!今までも、子育てに関連するお悩みはどんなことでも受け付けていましたが、特に多くのご相談がくるカテゴリについては、新しくカテゴリとして、導入しました!■ 過去の相談と回答が一覧で見やすく!過去のご相談の流れを一覧ですぐに見返しやすくなりました。また、一覧にある過去の相談から「継続相談」を開始しやすくなりました!「相談がびっくりするぐらい丁寧で、ありがたいです。下の子が小さくなかなか相談機関に行けないので、オンラインがすごく助かります。また自分のいい時間にゆっくり相談したい内容を書いたり読んだりできるのがいいです。ありがたい支援システムをつくっていただきありがとうございます。(ASD, ADHD・小学生の保護者さま)」「学校で起こったお友達とのトラブルや、困り事を相談しています。具体的な事例を入力するだけで、専門家の先生が整理してくださり、トラブルや困り事の根本の部分をあげて、さらに具体的な対処法や練習法を教えてくださいます。(ASD, ADHD・小学生の保護者さま)」「一般的には、医師や心理士の予約には時間もかかりまた話したいこともあまり話せなかったりしますが、発達ナビPLUSだったら、文章にして相談できるのでいいです。面と向かって話さないで相談できる場所は、リアルな相談場所に行くまでの支えになります。(ASD,知的障害・未就学児の保護者さま)」その場でチャット質問もできる!ライブ配信Upload By 発達ナビ編集部ここでしか聞けない、幅広く、細かいテーマ設定で、医師・心理士など専門家が疑問を解消するライブ配信では、事前の質問に加え、その場でチャット質問も受け付け、専門家が答えていきます!リアルタイム参加できなくても、録画動画での視聴も可能です。「ライブ配信の録画は、悩んでいることの最新のものがながれることが多いので本をみるより分かりやすくいいです。(ASD, 知的障害・未就学児の保護者さま)」「主にライブ配信や録画動画を利用させていただいていますが、配信内容がカテゴリ別になっていて、子どもの状況や特性に合った内容を自分で選んで視聴できるので、知りたい情報がすぐに見つかり、とても役立っています。内容も充実していて、心理士や作業療法士など、専門の知識を持った方が講師をして下さるので、とても勉強になります。(ADHD・小学生の保護者さま)」「子供の対応の仕方で迷った時に、その時に必要な過去の配信を検索して観て、専門家の意見を学んでいます。通級指導教室、療育にも通っていますが、それぞれの先生の意見を聞いて、発達ナビPLUSの配信動画、を観て自分の意見をまとめてから対応するようにしています。(ADHD・小学生の保護者さま)」解説動画、教材・支援ツールなどがカテゴリ別に見つかる!Upload By 発達ナビ編集部さまざまなお悩み別に、5分~15分でわかる解説動画や、7,000点以上の教材・プログラム、よみもの(記事)にアクセスできます。 今の悩みに合ったコンテンツを手軽に探せます。過去に開催したライブ配信もお悩み別に探せます。Upload By 発達ナビ編集部■ おすすめ機能・お気に入り機能が追加!お子さまの年齢情報をもとにした、おすすめ機能がつき、よりご自身にあった情報が見つけやすくなりました。さらに、「あとで見たい!」と思ったコンテンツを保存♡できる、お気に入り機能も追加!■ カテゴリ検索で、今ほしいコンテンツがすぐに見つかる!画面右上の虫眼鏡マークから、お困りカテゴリを選択し、今困っていることに答えるコンテンツにすぐにアクセスできます。大きいカテゴリが12種類、小さいカテゴリが56種類あるので、あなたの今の悩みがきっと見つかります。「支援にあった教材がダウンロードし放題なので、きょうだいそれぞれ、その子に合わせて使用させていただいています。(ASD, ADHD, LD・小学生の保護者さま)」「支援教材もよくチェックしています。どんな力が身につくか、スモールステップで示されており、また、画像付きなのでとてもわかりやすいです。(LD・小学生の保護者さま)」「解説動画では、実践を含めてわかりやすく説いてくれるので親にとってはとても有難いです。(ASD, ADHD, 知的障害・小学生/高校生の保護者さま)」ライフステージマップで先の見通しまで安心にUpload By 発達ナビ編集部未就学から学齢期、思春期、成人と、ライフステージが変わるごとに、必要な情報や困りの内容も変わります。今後を見据えた情報を一目で把握できるようになりました。マップから直接、解説動画やよみものなどのコンテンツにアクセスすることもできます!入会特典で3万円分の相談がついてくる!発達ナビPLUSは、リニューアルを通して、発達が気になるご家庭の子育てに、より確かな安心を届けてまいります。入会特典として、発達ナビPLUSの相談チケット実質3万円分がついてきます!くわしくは、サイトをご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部
2021年12月16日子どもの”発達障害がある可能性”に気づいた、私の母のケースUpload By 丸山さとこ私には発達障害のある小6の息子がいます。また私自身、大人になってから(息子が生まれる前)自分に発達障害があることが分かりました。息子のコウは、幼少期から「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの発達障害あるあるの行動がよく見られましたが、私は3歳児健診まで息子に発達障害があることに気がつきませんでした。一方で私の母は、私の幼少期に「娘には発達障害があるかもしれない」と感じていたそうです。今回は、私自身の幼少期と母が感じていたことについて書きたいと思います。私と発達障害の関係の始まりは、私が幼児だったころにさかのぼります。今よりもずっと発達障害に関する情報が少なかった昭和50年代でしたが、私の母は「娘は何かしら発達に障害を抱えているのではないか」と感じていたそうです。幼いころの私について、母は「言葉の発達は早いものの言葉づかいが子どもらしくなかったり、力は強いのに歩く姿が不器用でよく転んだりしていたのが気になっていた」と言います。その母は、『さとこが少しでも歩きやすいように』と”少しでも軽い靴を探す”などの工夫をしていたそうです。Upload By 丸山さとこ幼いころの私に対して、コミュニケーションの遅れは特に感じたことがなかったそうです。しかし「とにかく子どもらしくないような違和感があった」「甘えない・後追いをしない・大喜びをしない・おままごとをしない、などの行動に引っかかりを感じていた」と母は振り返って言います。幼いころのコウのように「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの、分かりやすい発達障害がある傾向は見られなくとも、母は私の”日常の中のささいな姿”に対して違和感を覚えることが増えていったそうです。Upload By 丸山さとこ健診で総合病院に行った際など、母は何度か娘の発達に関する違和感について医師に相談してみたそうです。しかし「知的にも順調に発達しているし動作にも問題は見られない」と言われ、”不安症な母親への軽い子育てアドバイス”をもらってその場は終わったそうです。私はその後、成人してから発達障害(ASD・ADHD)の診断を受け、現在ではADHD治療薬を服用しています。今になって振り返れば、幼い私に対して母が抱いていた違和感は正しかったわけです。Upload By 丸山さとこ保育園に入園してからの私は、”指示の通らなさ”や”こだわりと見られる行動”によって集団の中でも目立っていたそうです。現在の基準であれば「発達障害がある可能性」を指摘されたかもしれません。ですが、母が違和感を抱き始めたのは私が未就園児のころであり、集団の中での違和感が目立つよりも、もっと早い段階の話だったのです。『なぜ違和感に気づくことができたのだろうか?』と先日改めて母に聞いたところ、意外な…けれど、とても腑に落ちる答えが返ってきました。”自分の子ども”以外の子どもと接することで、分かることもある!?現在60代の母が若かったころは今より子どもの数が多く、近所や親戚の子どもを預かったり見かけたりすることもかなり多かったそうです。公園や広場や園で見かける姿とも少し違う、子どもたちの”家庭での素の姿”を目にする機会も多かったため、経験から漠然と『個性はいろいろあるけれど、子どもには大抵こういうところがある』という”一般的な子ども像”を持つに至っていたのだと思う…と母は言いました。Upload By 丸山さとこ「だから、さとこを育てていて『子どもなら多かれ少なかれするはずの行動をとらない』ことが引っかかったんだと思う」「発達障害の知識はなかったけれど、とにかく子どもらしくなくて妙だな~…と感じていたよ」…と続く母の話を意外に思いつつ、同時に「あ~、でも、ちょっと分かるかも! そういえばそういうことあったな!!」と思い、私はヒザを打ちました。コウが小学生になったころ、未就園児だった親戚の子を預かったことがあります。そのときに「これが定型発達とされる子どもか~!」と発達の違いに驚いた経験があったからです。私も、大人になってからコウ以外の子どもに関わった経験がなかったわけではありません。親戚の子どものお守りをしたことや、友人の子どもと遊んだ経験はありましたし、コウが産まれてからは公園でほかの子どもの様子を見ることもありました。けれども、当時の私はコウとほかの子どもを比べたり周りを見たりする発想が(今以上に)乏しかった気がします。私自身に発達障害があるから…ということも理由かもしれませんが、単純に、初めての子育てで周りを見たり比べたりする余裕がなかったからなのかもしれません。Upload By 丸山さとこそんな私であっても、3歳児健診のおかげでコウが発達障害である可能性に気づくことができたので、「今の時代でよかったな~」と思います。周囲と比べて焦らなくてもよいと考えてはいますが、その時々のコウの発達状況における"必要な手立て"が見つけられるように「『周りの様子』と『コウの現在位置』を見ることは大切なんだな~!」と思う私でした。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)幼児期は女の子の場合、男の子よりコミュニケーションの発達が早い傾向があるため、発達障害の特性は目立たないケースが多く、今のお医者さんでも女の子の発達障害を早期に診断するのは難しいものです。お母さんがこの当時、さとこさんの発達の偏りに気づいていたということは、周りの人と比較するだけでなく、さとこさん自身を本当によく観察されていたのだと思います。同じ母という立場で、自分の母親と子育ての話をする中で、これからもプラスのヒントが見つかるといいですね。3世代のよい親子関係性が築けているのがすてきだと思いました。
2021年12月09日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日交際中に、なぜか不安になる方は少なくないでしょう。漠然とした不安は原因が分からなくて、さらに不安になりますよね。そこで今回は、交際中に抱きやすい不安の原因を4つご紹介します。自分に自信がない自分に自信があれば、「彼は私に夢中だから心配ない」と思えますよね。しかし自分に自信がない場合、「もっと魅力的な女性が現れて彼を取られるかもしれない」という考えに陥りがちです。起こるかどうか分からないことを想像して、勝手に不安になってしまうでしょう。そんなときは、自分に自信を付けるために努力することをおすすめします。たとえば外見に自信がなければ、美容やファッションなどに力を入れて見た目から変えましょう。彼の交友関係を知らない彼が普段どんな人と交流しているのか知らなければ、不安に感じるでしょう。「女友達がいて自分よりも仲良くなるかもしれない」と思ってしまうと、その不安はどんどん大きくなります。そこで、安心するために普段から彼の交友関係について尋ねることをおすすめします。たとえば彼が遊びに行った日の写真を見せてもらえば、メンバーが分かるでしょう。ただし、あまりしつこく聞きすぎると彼を嫌な気持ちにさせるかもしれないので、頻度や聞き方には注意しましょう。連絡の頻度が合わない自分と彼の連絡頻度が合わなければ、不安になる可能性があります。自分は毎日連絡を取りたいのに、彼が2日に1回しか連絡してくれなければ、「なんでもっと連絡してくれないの?」と感じますよね。やましいことがあるのではないかと疑う人もいるでしょう。しかし、連絡頻度は人それぞれです。無理強いすると連絡してくれなくなる恐れがあるので、揉めないように気をつける必要があります。どうしても不安な場合は、冷静に話し合うのがおすすめです。2人の将来が見えない2人の将来が見えなければ、「このまま付き合っていてもいいのかな」といった、漠然とした不安を持ちやすくなります。特に、交際期間が長くなるほど将来のことを考える機会が多くなりますよね。2人の将来像がいまいち見えてこない場合は、彼としっかり話し合うことが大切です。結婚する気持ちはあるのか、あるとしたらいつなのかといったことを尋ねて、2人の未来を一緒に考えましょう。不安の原因はしっかりと取り除こう交際中に感じる不安には、必ずといっていいほど原因があります。その原因を解消しなければ、ずっと不安を抱えたまま交際することになるでしょう。自分に原因があるならば努力して、彼に原因があるならばきちんと話し合うことが大切です。彼とずっと幸せに交際できるように、不安は早めに解消することをおすすめします。
2021年09月13日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日