夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
3人の子どもがいるわが家。 末っ子は、生後6カ月になります。 私は、末っ子が産まれる前、育児に関して心配だったことがあります。 それは夜泣き。 ■長男は特に夜泣きがひどく、大変だった 実は、上2人(長女と長男)は、夜泣きをよくする子でした。 長女は、新生児のころの夜泣きがひどく、私はよく、座ったまま抱っこして寝ていました。 長男は、特に夜泣きがひどく、新生児期も乳児期も幼児期もよく泣く子で、昼も夜も関係なし。 抱っこしなければ泣き続ける子でした。 乳児期までは、昼間は常に長男を抱っこ紐に入れ、あやし…。 夜は、お腹がいっぱいでも泣くので、抱っこして寝るまでウロウロし続け、寝た! と思って降ろした瞬間、泣いてしまう状態。 ミルクでもない、オムツでもない…。 泣き続ける状況に、ぶっ倒れる直前まで抱っこで部屋を歩き回っていました。 長男のときのことが強く印象に残っていた私は、次男の夜泣きを、当時より5歳年を取った状態で、耐えられる自信がありませんでした。 その心配を周りに話すと「3人目はラクってよく聞くよ~」と言われましたが、私は夜泣きがひどくない子が産まれてくるとは、思えませんでした。 きっと夜泣きでボロボロになって、身体が持たない状態になる…そう確信していたので、出産前、旦那に「夜泣きの対応を、私ひとりに任せない」と約束させたほどでした。 ■かまえていた分、拍子抜けした次男の育児 そして産まれた次男。 今日からとんでもない日々が始まると覚悟を決めていたのですが…。 次男は、お腹が空いたときと、オムツが濡れたとき以外、ほとんど泣きませんでした。 そして、とにかく長く寝る。 あまりに長く寝るので、心配で呼吸を確認しに行くこともよくあります。 私が横にいなくても、横で上の子が騒いでも、テレビの音が大きくても、泣きません。 全体的にも、上2人に比べて、とても育てやすく、こんなにも心に余裕を持って育てられると思いませんでした。 ほかにも、長女は哺乳瓶を拒否し、母乳だけで必死に育て、長男は、卒乳がなかなかできず、最終的には一晩中泣かれて、必死に乗り切りましたが…。 次男は母乳は嫌がりミルクばかり求めるので、2カ月であっさり卒乳。 なんだか、かまえていた分、拍子抜けしてしまいました。 長女、長男のとき、あまりにひどい夜泣きに、私の対応が間違っていたのではないかと、自分の子育てを疑ったこともありました。 しかし、同じように接している次男の落ち着きっぷりに、育て方は関係ない、夜泣きは持って生まれた性格のようなものだと思えました。 全体的にラクな次男のおかげで、夜もぐっすり眠れているのですが…。 やはり長女・長男のときに比べて確実に年を取っている私の身体。 疲れは溜まりやすいようで、優雅とはほど遠い生活を送っています(笑)。
2022年05月05日3月で、生後5カ月になったわが家の次男坊。 ということで、あの時期がやってきました…。 離乳食~! 離乳食の時期が近づくにつれ、身内から「3人目だから余裕でしょ?」と言われましたが…。 そんなことない! 1人目の経験も、2人目で得た知識も、まったく残っていない! 言うなれば、初体験に近いぐらい、何も頭にありませんでした。 ■ブランクが5年あり、離乳食の作り方を一切覚えていなかった 何から始めるかぐらいは覚えていましたが、10倍がゆの作り方などは、一切覚えていませんでした。 当時の日記を読みながら思い出そうとしましたが…。 1人目から10年の時がたち、当時の常識は時代遅れになっているかもしれない…。 ということで、書店で離乳食の本を購入することにしました。 初めてでもわかる! 初めてのママさんに! という離乳食ガイドの本を持って、3人の子どもを連れ、レジへ。 店員さんに「あ、こいつ…上の子二人のとき、離乳食ちゃんとやってないな…」などと思われていないだろうか? と、ビクビクしながら購入しました。 それから、離乳食開始の時期まで、本を読みこみ予習…。 そして、迎えた離乳食の開始日。 第1子のときと、同じぐらいの緊張で挑みました。 1日目、2日目…と少しずつ量を増やし、初めて与えた食材を含めてしっかり、カレンダーに記録。 お皿をつかまれ、ぶちまけられたときの慌てっぷりは、自分でも経験者とは思えないほどでした。 ■唯一、頭に残っていたことがあった! しかし、離乳食について、唯一、頭に残っていたことがありました。 それは、「食べなくても焦らない」ということでした。 実は第1子である長女は、離乳食の進みが悪く、作ったものをほとんど食べてくれない子でした。 作ったものを泣く泣く捨てたり、食べてくれない長女を怒鳴ったこともありました。 逆に、第2子である長男は、びっくりするくらいよく食べる子で、足りないと泣かれることがよくありました。 第3子である次男…今のところ食べる日と食べない日が極端で、泣いて受け付けない日もあるのですが、私はあまり焦っていません。 「そうか、そうか、今日は嫌なのね」と腹を立てずにお皿を片づけられるのは、『個人差がある』『離乳食を食べなくても、ちゃんと成長する』ということを上2人の離乳食の経験で、覚えていたからでしょう。 何をどれくらいあげたらいいかや、おかゆの作り方など、離乳食の基本知識は、覚えていませんでしたが、心持ちは覚えていた…。 ちょっぴり自分でもうれしくなりました。 次男のペースでゆっくり離乳食を進めていきたいと思います。
2022年04月07日現在、5歳の長男。 オムツも早く取れ、言葉でのコミュニケーションを取れるようになったのも早く、ほとんど手がかからない子だったのですが、唯一、哺乳瓶がなかなかやめられませんでした。 長男は、生後9ヶ月まで、母乳とミルク混合で育ちましたが、私の母乳の出がよくなかったこともあって、ほぼミルクといっても過言ではないぐらい、ミルク大好きっ子でした。 長男が1歳になってすぐ、(離乳食もよく食べる子だったので)牛乳に切り替えることにしました。 しかし、コップやマグで出すと、嫌がってまったく飲んでくれず…。 仕方なく私は、哺乳瓶で牛乳をあげることにしました。 ■なかなか哺乳瓶がやめられない長男に困り…!? そのせいか…1歳から、「牛乳を温めて、哺乳瓶に入れ、朝と寝る前に飲む」ということが長男の中で、習慣化してしまい、哺乳瓶で牛乳を飲まないと寝なくなってしまいました。 結局、「哺乳瓶で牛乳」は、2歳すぎても続き、 さすがにまずいと思った私は、長男にストローで飲むことを提案しましたが…。 提案は却下されました。 困り果てた私は、保育園の保護者面談で、哺乳瓶のことを先生に相談しました。 先生は、何か思いついたようで、「やってみます!」と言いました。 それから、しばらく経った保育園のお迎えのときのこと…。 ■長男から突然の哺乳瓶をやめる宣言が! 突然の哺乳瓶やめる宣言! あとから聞いた話なのですが、先生が園内散歩と言って、さりげなく0歳児クラスに行き、赤ちゃんたちがミルクを飲んでいる様子を長男に見せたそうです。 そのとき、特に言葉はかけなかったそうなのですが、長男はじっと哺乳瓶でミルクを飲む赤ちゃんたちを見つめていたそうです。 もしかしたら、そのとき何かに気づいたのかもしれません。 その日から長男は、スパッと哺乳瓶をやめました。 3歳の誕生日目前のことでした。 それもこれも、保育園の先生のおかげ。 そんな、たくさんお世話になった保育園を、長男は今月卒園します。 普段からお世話になりっぱなしだった、保育園の先生方には感謝してもしきれません。 卒園は寂しいですが、わが家は数ヶ月後に、次男が保育園生活をスタートさせる予定。 次男も可能であれば、長男がたくさんお世話になった保育園に通いたいと思っています。 長男のいろんな成長を見守り、手助けしてくれた先生に、今度は次男を見てもらえたら、とてもうれしいです。
2022年03月03日私が小さいころ、父方の祖母の家に行くと、いつも祖母がお小遣いをくれました。 中学生、高校生になると、(今、思えば薄情なことですが…)祖母からもらえるお小遣い目当てで、両親が祖母の家に行くと聞けばついていっていました。 ■祖母から当たり前のようにお小遣いをもらっていたけど…!? しかし、大学一年生になった19歳のときに、祖母の家に行き、当たり前のようにお小遣いをもらって、ふと思いました。 「いったい、いつまで祖母からお金をもらっても、いいのだろう…」 当時、私はアルバイトをしていて、お小遣いをもらわなくても十分な収入がありました。 まだ学生であるうちはもらっていいのか…それとも成人(20歳)になったら、もらわない方がいいのか…。 考えた末、20歳になる来年は、もらうのをやめようと決めました。 翌年、祖母の家に行くと…「はい」と祖母からお小遣いを渡されました。 私は 「もう20歳だから、もらえないよ~」 と言いましたが、祖母は私の手にお金を握らせました。 私が申し訳なさそうにしていると母から、 「おばあちゃんは、あげることが楽しみだから、もらってあげた方がよろこぶよ」と言われました。 結局、私は次の年もその次の年も祖母からお小遣いをもらい、大学を卒業して社会人になりました。 「さすがに社会人になってまで、お金は受け取れない! 今年からは、祖母がお小遣いをくれても断ろう!」…そう思っていました。 しかしその年・・・祖母は「はい、これ。コーヒー代にしなさい」と5千円札を私にくれました。 結局、祖母の申し出を断わることができず、私はお金を受け取りました。 ■祖母に可能な限りお返しはしていたが、少し後悔が残っていた その後、祖母は私が社会人2年目のときに亡くなりましたが、亡くなるまで私に「コーヒー代」という名目のお小遣いをくれ続けました。 私は社会人になり、自分で稼いでいるのだから、何か祖母にしてあげられることはないかと考え、敬老の日にお花を送ったり、旅行に行ったときは、少しですが祖母にお土産を送ったりしてはいましたが…。 あれでよかったのかと少し後悔が残っていました。 しかし、お葬式のとき、親戚から 「おばあちゃんは、サクラちゃんからいろんなものを送ってもらったって本当にうれしそうにしていたよ」 と聞き、よろこんでもらえていたなら良かったと思えました。 あれから時がたち、今は自分の子どもたちが、自分の母からお小遣いをもらっている光景をながめる立場になりました。 もらう子どもたち以上に、笑顔でお金を渡している母や義母を見て、 そうか…おばあちゃんもこんな顔していたのか…と、祖母のことを思い出しています。
2022年02月03日うちの旦那は、私が言うのもなんですが、とてもいい旦那だと思います。 私にも子どもたちにもやさしく、家事育児にも協力的。 博識で、なんでも知っているため、とても頼りになります。 そんな旦那ですが、私がどうしても許せないことがあります。 それは、「ごみをすぐ捨てない」こと。 旦那は、ちょっと汚れを拭いたティッシュや、食べ終わったお菓子の袋、みかんの皮、替えたあとの使用済みオムツ…とにかく、ごみであるものを机や床に置きっぱなしにします。 ■旦那にごみを置きっぱなしにする理由を聞いたら…!? 私は、どちらかというと神経質な方。 ごみがそのままになっている状態がどうしても気になってしまい…。 いつも私が、その放置されたごみを捨てています。 なぜ旦那はごみを置きっぱなしにするのか尋ねたところ…。 自分は悪くなく、私が勝手にやっているという言い分…。 「そうか…そのままにしていたらいつか捨ててくれるのか…」 それならば、私が捨てずにそのままにしてみようとしたのですが…。 時間がたってもなかなか捨てられないごみ。 ■最近では子どもたちも同じような行動をするようになり… 結局、私が我慢できず動いてしまい、捨ててしまいました。 最近では子どもたちも同じような行動をするようになり、見てみぬふりができない私が、捨てるという状況です。 近くにごみ箱を置いて、すぐに捨てられるようにしてみたのですが、それでも、そのままになっているごみ。 私の「ごみはすぐ捨てるもの」という考えと、旦那+子どもたちの「最終的に捨てたらいい」という考えは、いつまでたっても平行線。 結果、私は自分のこだわり? 自己満足? のために、今日もみんなのごみを見つけた瞬間、捨てています。 旦那と子どもたちからしたら、私のこの神経質な行動こそ、「やめてほしい」と思っていることかもしれません(笑)。
2022年01月06日3ヵ月ぶりの更新でございます。 実は少しお休みしている間、わが家…家族が増えました! 5年ぶりの出産でしたが、なんとか無事に次男を産むことができました。 今回、赤ちゃんがかなり大きいということで、妊娠中の食事にとても苦労しました。 ■まったく甘い物を口にできない妊婦生活がつらかった 健診に行くたび、「甘い物、食べないでね」と言われ、食事について、毎回注意を受けていました。 結果、まったく甘い物を口にできない妊婦生活。 テレビでグルメ番組をみれば、よだれを垂らしていました。 産めば食べられる! もう少し…もう少しだ! と我慢しながら、やっと出産。 退院後、旦那が、家族だけでささやかな退院祝いをしてくれるというので、 私は妊娠中から我慢していたメニューをリクエスト。 やっと食べられる! 好きなだけ! 体重を気にせず! 嬉しくて、テンションの上がった私は、食事にかぶりつきました。 長く我慢していたのもあって、至福のひと時。 大満足の食事でした。 ■ところが、幸せな時間から苦しみの時間へ一変 しかし、その夜…私は腹痛で目を覚ましました。 皆が寝静まっている夜中、おなかを抱え、トイレへダッシュ! 激しい下痢に襲われました。 結局、その夜は、何度もトイレを往復。 幸せな時間から、苦しみの時間に変わりました。 どうやら、久しぶりの生魚、生クリームの大量投入で、おなかがびっくりしたようでした。 ご褒美とはいえ、暴食は体に良くないですね(笑)。 バランスのいい食事は、やっぱり大事。 それでも、しばらくは太ることを気にしなくて済む~たくさん食べよう! と、調子に乗った結果…。 産後に減った体重が、少しずつ盛り返してきました。 やはり、量はしっかり調整した方が良さそうです。
2021年12月02日子育て家庭にとって、子どもの感染症は、警戒すべきことのひとつなのではないでしょうか? わが家の子どもたちも、毎シーズン、いろんな流行の菌を学校や保育園からもらってきます。 その中で、姉弟共通で圧倒的に多いのが、胃腸炎。 ■息子が胃腸炎になったときに頼りになるのが「旦那」 娘の場合、小学生になったぐらいから、枕元にビニール袋や洗面器を置いておけば、布団を汚すさず、自分で対応してくれるため、特に手はかかりません。 しかし、大変なのが息子。 寝たまま吐いて、自分のおう吐物におぼれかけたこともありますし、直前に気がついて洗面器を構えても、それを弾き飛ばして、布団に吐いてしまいます。 ここで心強い存在なのが旦那。 私の「吐いた!」の一言で飛び起き、すぐに雑巾を取りに行き…。 吐ききって、汚れた息子を抱え、お風呂へ直行。 ■以前はまったく使いものにならなかったパパが経験を積んで…!? 声をかけながら、体と服を洗ってくれます。 私はその間に、布団をきれいに直し、息子の寝床を確保できます。 息子をきれいにして、お風呂から出た後は、汚れたシーツをお風呂場で洗い、洗濯機を回してから、静かに眠りについてくれます。 この対応のおかげか、息子はよく寝る前に…。 吐いたときの話をします。 旦那のお風呂での声かけや、洗い方が息子にとっては、 安心できる心地良いものになっているのだなーと感じました。 今はこんなに頼りになる旦那ですが…。 実は娘が小さいときは、娘のおう吐を見ただけで、自分も気分が悪くなり、吐いていたので、まったく使いものになりませんでした。 当時はイライラしましたが、経験を積んだことで、別人のように頼りになるパパへと成長したのでした。
2021年09月02日暑い夏がやってきましたね。 私の住む沖縄県は、7月入ってすぐ梅雨が明け、そこからは連日暑い日が続いています。 そんな暑い沖縄ですが、今からやってくるのが…台風。 特に、夏場の7、8、9月は台風シーズンで、頻繁に台風がきます。 今回は、沖縄県に移住して7年目になる私が、沖縄に来てから、沖縄県出身者の旦那から学んだ、台風シーズンの常識をご紹介したいと思います。 本土出身の私は、台風が近づけば、慌てる状態でしたが…。 沖縄県民は、とにかく台風に対して、対応が早く、冷静。 台風の進路がこちらに向かっていても、慌てることはありません。 ■台風が来ることが確定したら、準備を始める 台風が来ることが確定したら、まず、ガソリンを満タンにするため、ガソリンスタンドへ行きます。 台風が去っても、停電が長く続くこともあるため、いざというときは、車で電気関係を補うためです。 そして、食料品の買い出し。 火を使わなくてもすぐ食べられるパンや、お湯さえあればいいカップラーメンが、スーパーからすぐ消えます(笑)。 ガスや電気が使えなくなった時のため、小型のガスコンロは常備してあるので、ガスボンベの残りを確認し、足りなければ買います。 それから、レンタルビデオ屋へ。 外に出られず、引きこもることになるため、暇つぶしにDVDを借ります。 風が強くなり始めると、家の周りの(風で)飛びそうなものを片づけます。 沖縄の家は、もともと台風に耐えられることを前提でつくられているため、壊れることはめったにありませんが、ごみ箱や鉢植えなどが飛んでしまったら危ないので、室内にいれます。 そして、停電に備えて、スマホの充電をフルにします。 ■もっともめんどうくさいのは、台風通過後の後片づけ 台風が来た朝は、テレビをチェック。 基本的に学校は、暴風域に入ったら休校。連絡網など回ってくることはありません。 あとは、ただひたすら家にこもる! そして、必ず起きるのが停電。 停電になったら、すべてを諦め…寝ます(笑)。 意外と知られていないですがの、 もっともめんどくさいのが、台風通過後の後片づけ。 葉っぱが家の外壁や窓に張りつくので、台風通過後は、水で洗い流し、家の周りの掃き掃除をするまでがセット。 1週間おきなど、頻繁に台風が来るときは、家の周りの片づけにイライラします(笑)。 台風のくる頻度は毎年違い、頻繁に来る年と、ほとんど来ない年があります(デイゴの花がよく咲く年は、台風が頻繁にくるという言い伝えなんかもあったりします)。 今年はどうかな…? なるべくこない方がいいけれど、きた時は、慣れて軽率な行動などとったりせず、警戒しながら対応したいと思っています。
2021年08月05日うちの旦那の顎には、傷痕があります。 ■小学生の頃、よくいたずらして遊んでいた旦那の古傷 全体的に毛が濃い、沖縄県民の旦那。 傷があったところだけ、ひげが生えず、目立ちます。 実は、この傷痕には、旦那のある思い出があります。 さかのぼること約30年前…。 小学生だった旦那は、ごく一般的な男の子。 特にやんちゃではなかったものの、よくいたずらをして遊んでいたそうです。 ある日、旦那はクラスの女子をからかっていました。 すると、その女子が怒って追いかけてきたそうです。 この時期の男子というのは、そんなことが楽しくて仕方なかったりします。 旦那も、女子に追いかけられている状況が楽しくて、ウキウキしながら逃げていたのですが…。 滑って転び、顎を強打。 顎はパックリと割れ、大量に出血してしまったそうです。 周りはパニックになり、先生登場。 ■追いかけてきた女子に謝ることができなかった旦那は現在…!? 旦那は病院に運ばれることになりましたが、傷の手当てをされながら、追いかけてきた女子に目を向けると、先生に怒られていたそうです。 旦那は顎を痛がりながらも「俺が悪いのに…怒られて…申し訳ない」と思ったとのこと。 しかし、その言葉を口にすることはできず、そのまま病院に運ばれて行きました。 結局、学校に戻った後も旦那は、その子に謝ることはできなかったそうです。 今も思い出すようで、 子どもたちの前でこの思い出を話すたびに、「走り回ったら、危ないよね~けがするよね~」と言い、「自分が悪いと思った時は、ちゃんと言おうね」と子どもたちに伝えています。 ちなみに、先生に怒られてしまった女子とは、その後、気まずくなることはなく、大人になってからも、同級生の集まりで何度か飲んだそうです。
2021年07月01日感染症拡大の影響もあり、すっかり外出が制限される世の中になりましたね。 家ばっかり嫌だ~! 外に遊びに行きたい~! と、ストレスを感じる方も多いでしょう。 しかし、わが家はというと…特に変わりません(笑) 実は今、住んでいるところは、田舎。 周りにレジャー施設がまったくありません。 ■自粛生活にすっかり慣れてしまったわが家 周りで、できる遊びと言えば、海で泳ぐか…虫取り…散歩ぐらい。 買い物に行こうと思っても、どこかの施設で遊びたいと思っても、すべてが遠出になります。 もともと、遠出がそこまで好きではない私は、外出がおっくうで、家で過ごしたいインドア派。 そのため「○○! に行きたいな~」と思うことは、ほとんどありませんでした。 自粛生活が始まった当初は、突然決まった休校や、感染の恐怖にストレスを感じたこともありましたが、もう長く続いていることもあって、 おうちばかりの生活にも、お昼ごはんを作ることにも、すっかり慣れてしまいました。 そして、わが家の子どもたちも、おうちが大好。 特に息子はおうちが大好きで、少し買い物に連れて行っても、30分ほどで、「早くおうちに帰りたい」と言うほどです。 ■家族でこの時期を楽しみながら、のんびり過ごしている 娘は、外出も好きなようですが、イベントが何もなくても、まったく気にならず、ひたすら自分の好きなことを、一人で楽しめるタイプです。 また、旦那は日曜も仕事のことが多く、ほとんど家にいません。 仕事が休みで家にいたとしても、多趣味なため、家でやりたいことがたくさんあるようで… 外出できない日々のことは、ほとんど気にならないようでした。 外に遊びに行きたい! というストレスがないわが家は、この時期を結構、のんびり過ごしています。 家で過ごす時間が増えたことで、 思った以上に家族の会話が増え、楽しく過ごせています。 きっと数年後には、こんな時期もあったなーと思えるようになるでしょう。 今しかできないこと、今だから楽しめることを見つけて、おうちを楽しみましょう!
2021年06月03日みなさんの家庭には、「わが家のルール」や「決まりごと」はありますか? 家庭によって、生活習慣も違うので、決まりごとはそれぞれだと思います。 わが家は…というか、私が絶対に譲れない「決まりごと」があります。 それは、『ご飯の前に、お風呂に入る』ということ。 ■家族に「帰宅したらすぐお風呂」を推進した結果…!? 今は家から帰ったら手洗い、うがいなど感染対策を徹底しなければならないこともあり「帰宅したらすぐにお風呂」という家庭が増えたかもしれません。 しかし、わが家はこのご時世になる前から、ずっと私が一人で 「帰宅したらすぐお風呂」を推進していました。 私は昔から、ご飯を食べた後(満腹状態)で、お風呂に入る…というのが苦手でした。 多少、ご飯の時間が遅くなったとしても、ご飯を食べるときは、パジャマで! というのが理想だったんです。 結婚後も、子どもが生まれた後も、そのスタイルは変わりませんでした。 子どもたちは学校から帰宅後、すぐお風呂に入ってもらい、自分もその後すぐお風呂に入り、ご飯の支度は後回しです。 しかし、旦那は帰宅してすぐにお風呂に入りたくないタイプで「ご飯先がいい」と座り込んだら、動きませんでした。 ■今では旦那も帰宅後にお風呂へ直行するようになった しかし、このご時世…仕事中、外出中に、どこでウイルスをもらってきているかわかりません。 旦那にも帰宅したら、汚れを洗い流してから、食卓についてもらいたいたかったので、帰宅後すぐに嫌がる旦那をお風呂へ誘導する…ということを何度も続けた結果… 今では、何も言わなくても、旦那は帰宅後そのままお風呂に直行するようになりました。 子どもたちも、帰宅後、すぐに 「どちらが先にお風呂に入るか」 をいう話をするほど“帰宅してお風呂”の流れが定着しました。 個人的には、お風呂に先に入っておけば、ご飯後にダラダラできるのでオススメです(笑)
2021年05月06日4月といえば・・・入学式。 入学式といえば、いつも思い出すことがあります。 それは、中学の入学式当日の話。 私は、中学生になることが小学生のころからとても楽しみでした。 ■中学の入学式当日にウキウキしていたら、いたずら好きな男子に…!? 当時、私の住んでいた地区では、二つの小学校が、一つの中学に集まるため、人間関係も新しくなります。 入学式当日も、新しい友だちができることが楽しみで、ウキウキしていました。 式が終わった後、新しい教室に入り、先生が来るまでの時間、同じ小学校出身の子たちと、ベランダで話していると、同じ小学校出身の男子に、ベランダのカギを閉められてしまいました。 その男子は、いたずら好きで、私はこの子がとても嫌いでした。 人の嫌がることをして、ニヤニヤする姿を見ていると、私の中で怒りがこみ上げ、私は唯一、開いていた窓から教室の中へ入り、その男子に、やめるようにいいました。 すると、その男子は、「うるせぇ!」といい、つかみかかってきました。 その瞬間、私の正義感のようなものに火がつきました。 中学一年生だと、身長は女子より男子の方が小さく、その男子も私より小さかったため、私は「勝てる!」と思いました。(若気の至りです…) ■入学早々“ブラックリスト入り”と言われてしまうことに! 私もつかみかかり、最後はお互いの髪を引っ張り合う格闘になりました。 結局、チャイムが鳴り、先生が入ってきたところで、止められました。 先生から、入学早々ブラックリスト入りと言われてしまい、ふと周りを見ると、ドン引きしているクラスメイト。 私は、「やってしまった…」と、とても後悔しました。 新しい友だち関係を築こうにも、第一印象は最悪です。 その上、先生にも目をつけられる始末。 最悪な中学生活のスタートとなりました。 その後、女友だちはたくさんできましたが、男子からはしばらくの間、 「男とマジ喧嘩しておそろしい女」 と、ウワサされました。 もしかしたら、当時の同級生は、この出来事を覚えていないかもしれませんが、私にとっては、忘れられない入学式。 今では、笑い話ですけどね(笑)
2021年04月01日現在、小学4年生の娘は、一年前(小学3年生のころ)まで、辞書を引くのが大の苦手でした。 宿題の漢字プリントや、日記…小学生が漢字を調べるために、辞書を使うことは、思ったより多い。 ■辞書を引くのがめんどくさくて、嫌いだった娘 娘は、わからない漢字を調べるのがめんどうで、よく私に聞きに来ていました。 正直…教えるのは、簡単です。 しかし、聞いただけでは、なかなか覚えられないのが漢字。 自分で辞書を引いた方が、確実に覚えられる。 自分で辞書を引くように言うと、娘は、ブツブツ言いながら部屋に戻って行き、だるそうに、辞書をぺらぺらとめくり始めます。 そして 「ない! 載ってない!」 と、怒りだします。 そんな娘を見ていて、自分が小学生の時のことを思い出しました。 私も小学生のころ、辞書を引くのが嫌いでした。 同じように母親に聞きに行き、「自分で調べなさい」と言われ、イライラした記憶があります。 ■娘が辞書を引くのが上手になったキッカケとは!? 辞書を引くのも、うまくなかったので、なんども目的のひらがなを通り過ぎて、「この漢字は、載ってないんだよ! ほら!」と自信満々に親に言いに行き、「絶対にあるから、見つかるまで探しなさい」返り討ちにあっていました(笑) 今目の前で見ている娘は、まさにあのときの私…。 そう思うと、手助けしたいという衝動にかられます。 しかーし! それでは、娘のためにならない! 私は、娘の気持ちは、理解していることを話し、 それから… 辞書を引くのがめんどうだと思うのは、今だけ。 練習すればするほど、めんどうじゃなくなると、話しました。 それを聞いた娘は、早く辞書を引くのが、めんどうじゃなくなりたいと、やる気を出してくれました。 小学4年生になった現在、 娘は辞書を引くのがとても上手です。 もう漢字を聞きに来ることは、ありません。 辞書を引くことに、抵抗もなくなり、わからない漢字があると、ささっと辞書を引くようになりました。 めんどうだったり、きつかったりする先には、楽があることを、親として教えてあげることも大切だな~と感じました。
2021年03月04日4歳の息子は、0歳児クラスから保育園に通っています。 娘の時は、幼稚園(3歳)スタートだったので、保育園というものが始めてだった私。 こんなに小さいのに預けても大丈夫だろうか…と、心配ばかりしていました。 しかし、保育園初日、心配していた私をよそに、息子…まったく泣かず! ■わが子にバイバイで泣かれることに少し憧れていた私 そのままスタートした保育園生活。 ところが、息子が2歳児クラスに進級したころ、朝のバイバイで、突然泣くようになりました。 実は私、わが子にバイバイで泣かれるのは、初めての経験。 娘の時も、泣いたことがなかったため、 ちょっと憧れがありました。 最初は… (泣くわが子には申し訳ないが)求められている感じがたまらなく愛おしく、口では「困ったなー」と言いつつ、嬉しく思っていました。 しかし、泣くことが連日続くと… 別れるときの罪悪感の方が強くなっていきました。 そのうち、毎朝「息子が泣いてしまったらどうしよう」と思うようになり、保育園に向かう気持ちが重くなっていきました。 息子に泣かないでほしいと考えた私は、朝、保育園に入る前に、園の周りや駐車場を、息子と一緒に20分ほど歩くことにしました。 息子と二人で、いろんなことを話し、息子が満足したなと思ったタイミングで保育園の中に入るようにしました。 ■息子と園の周りを歩くことが習慣となった結果…!? すると、自然と泣かないようになっていき、 自分から「バイバイ」と言ってくれるようになりました。 それから、朝のバイバイで、泣くことはなくなりましたが、園に入る前に、息子と園の周りを歩く習慣は、 虫取りという形 で続きました。 保育園の周りで、虫を取りながら、いろんな話をするこの時間は、息子にとってより、私にとって大切な時間になりました。 今は冬で、虫がおらず、虫取りはお休み中ですが、暖かくなったら再開しようと思っています。 朝はどうしてもバタバタとしてしまいがちですが、息子と二人と過ごした時間は、大切な思い出になります。 今しっかり満喫しておいて、子どもたちが独り立ちして、私のことなんて見向きもしなくなったときは、思い出しだしながら、お酒でも飲もうと思っています(笑)
2021年02月04日新年、あけましておめでとうございます。 2020年は、大変な年でしたね。 当たり前のことが、当たり前にできない… なんでもない日常がどれだけありがたかったか、思い知らされた一年でした。 子どもたちの学校・保育園が、休校・休園になり、外出も控えるようになったこともあって、子どもたちとたくさんの時間を過ごした一年でした。 そんな一年間は、なんだかんだいっぱいいっぱいで、気がついたら過ぎていたという感じ。 ■昨日のことも、よく覚えていない私 今、思い出そうとしても、どう過ごしていたか、細かく思い出せません。 子どもたちと何をしたか、何を感じたかなど、もっとちゃんと覚えていたかったけど、そもそも、一日がバタバタ過ぎて、昨日のことも、よく覚えていない私。 こういうときはいつも 「日記をつけてたらな~…」 と思います。 実は、第一子(娘)が生まれたとき、私は育児日記をつけていました。 当時は、吐き出す場所がなく、独り言のようにつけていた日記でしたが、後から読み返すと… ■続けることが苦手な私だけど、2021年の目標は…!? 「あぁ…こんなことで悩んでいたんだ。こんなふうに考えていたんだ」と、意外と面白く、小説のように読みふけってしまいます。 そのとき、思いました。 「今の子どもたちとの日々を記しておいて、5年後、10年後の自分に、楽しみをあげたい!」 と。 しかし…恥ずかしながら、こういうのが続かない私。 娘のときの、育児日記も3か月ほどしか続きませんでした。 毎日、長い文章を書こうと思うと、きっと続かない…。 日記用のノートではなく、スケジュール帳のような枠が狭いものに、その日の良かったこと、嬉しかったこと、子どもたちの様子など、簡単に短く書こうと思っています。 まずは、いい感じの手帳を探さなければ! 続くように、頑張りたいと思います。
2021年01月07日わが家には、9歳(小学四年生)の娘と、4歳の息子がいます。 娘は、自他ともに認める強烈なパパっ子です。 パパのことが、大大大好き! 座るのは、いつもパパの隣。 お迎えもパパがいい。買い物もパパがいい。看病もパパがいい。 普段の私の育児が報われないぐらい、娘のことは、すべてパパがおいしいところを、もっていってしまいます。 今より小さいころは、 よく「パパと結婚する~」と言っていました。 ■よろこぶ旦那をながめ、冷めたことを言っていたが… 私は、その言葉を言われて、デレデレしながらよろこぶ旦那をながめ、「いや、親子だし、結婚できないよ。」と、冷めたことを言っていました。 しかし、時がたち、息子が4歳になったつい最近… 「言われたい!」と待っていたわけではありませんが、正直、思った以上にうれしい! 顔は、急激にゆるみ、きりっとした表情が不可能になるほどでした。 「え~どうしよう…ママはパパと結婚してるんだ~」 なんて言いながらも、うれしすぎて、笑いが止まりません(笑) 振り向くと、ニヤニヤ顔でこっちを見ている旦那…。 ■旦那の気持ちがやっと理解できたのだが…!? なるほど、旦那も娘に言われて、こんな気持ちだったのかと、やっと理解することができました。 その時、偶然横を通りかかった娘。 小さいころ「パパと結婚する」と言ってくれていた娘に、旦那が話しかけると… 予想していたより、冷静な返しをされた旦那。 高笑いした私でしたが… おそらくあれは数年後の私の姿。 息子が、「ママと結婚する」と言ってくれる期間を、思う存分楽しみたいと思います(笑)
2020年12月03日現在、小学4年生の娘。 もともと、普通より少し細い体型だったのですが、3年生の後半から、徐々に体重が増え始め… ■学校での体重測定でも、標準より肥満ゾーン寄りに 最近、少しぽっちゃりしてきました。 今まで食事もほとんど食べなくて心配だったのですが、最近は本当によく食べる…。 学校の体重測定でも、標準より肥満ゾーン寄り…。 本人も、自分の体重や体型を気にするようになりました。 娘は、あまり甘い物が好きではなく、量もたくさんは食べません。 しかし、運動が大の苦手。 以前に比べたら、一食の量も増えたのに、家の中で遊ぶことが多く、学校以外で、外で遊ぶことはありませんでした。 マイペースなので、動きものんびり…。 気になった私は、いつも娘を診てもらっている小児科の先生に、診察のついでに聞いてみることにしました。 診察を終え、娘が先に診察室から出たところで、小声で先生に娘の体型について聞いてみると… 肥満ではないと言ってくれて、一安心。 その後、娘が最近自分の体重を気にしていることを伝えると… ■娘のことを気にかけてくれた先生に感謝 慌てる先生(笑) おそらく、先生がそれを言っていたら、娘はますます気にしていたでしょう。 先生が、気にかけてくれたことをうれしく思いました。 とりあえず今は様子を見て、食事の量を減らすような過度なダイエットはしないこと。 そして、運動量を増やすこと…を、教えてもらいました。 娘にもこのことを伝え、「とにかくたくさん動いて遊んで!」と話しました。 私も、なるべく娘を動かそうと、家事に余裕ができたときは、室内で子どもたちを追いかけまわすようにしています。 (一軒家、田舎で隣の家と離れていることに感謝 笑) 私にとっても、いい運動になっています。
2020年11月05日子どもが風邪をひくと、親御さんはいろいろと大変ですよね。 昼夜問わずの看病…そして、いつもより機嫌が悪い子どもをあやすのは、親も体力を奪われてしまいます。 そんな看病の中でも、 「薬を飲ませることが一番大変」 という方も多いのではないでしょうか? わが家の娘も、小さいころはとても苦労しました。 アイスや飲み物に混ぜても、うまくいくときと、いかないときがあり、 ■娘は薬への拒絶反応が激しかった 薬のつぶや、味を敏感に察知していた娘は、結局、吐いてしまうことがほとんどでした。 口にさえ、入れてくれないことが多かったので、いつも旦那と協力し、押さえつけて、無理やり飲ませていました。 それでも、口から吹き出すように吐いていたので、薬をもらうたびに、私の気は重くなっていました。 そんなことを繰り返しているうち、娘は5歳になりました。 このころから説得がきくようになり、時間をかけて 「なぜ薬を飲まないといけないか」 という話をして、最終的には自分で決断し、飲んでもらっていました。 錠剤を飲める年齢(体重)になってからは、飲む薬をすべて錠剤に変えてもらったので、とても楽になりました。 ■息子が初めて薬をもらったとき再び憂うつに 娘が5歳のとき、息子が産まれ、風邪を引いて初めて薬をもらったとき… 私は再び気が重くなっていました。 娘はようやく飲めるようになったのに…またあの苦労をしなければならないのか… 憂うつになった私でしたが… 息子はミルクに混ぜれば何でも飲んでしまう子で、1歳過ぎてからは、口に直接流し込んでも、ケロッとしていました。 シロップ的な薬に関しては、おかわりを要求するほど! 覚悟をしていた分、拍子抜けしてしまいました。 わが家では、喜んで自分から口を開け、粉薬を飲む息子…と、 それを見て、えづく娘…という面白い光景が見られます(笑) 同じおなかから生まれ、同じように育ててきた子でも、まったく違う二人です。
2020年10月01日娘と息子を連れて小児科を受診したときのこと。 先生に診てもらい、会計を待っていると、突然、息子の機嫌が悪くなり始めました。 気をまぎらわせようとしましたが、何をやっても効果がありません。 そのまま薬局に行き、外で順番を待っていたのですが…どんどん悪くなる息子の機嫌。 ■すばやくこの場を立ち去ろうとしていたところ…!? もう本人も、何が原因で泣いていたのかも、わからなくなっていました。 順番になるまで、とにかく無心でいよう… そして、会計を終えたら、すばやくこの場を立ち去ろう! と思っていると、 「あら? きーさん?」 声をかけられ、振り向くと、そこにいたのは息子の保育園の先生でした。 息子は先生を見るなり、慌てて抱っこしていた私の腕をすり抜け、下に降りました。 そして涙をぬぐい、何事もなかったかのように、先生に笑顔を見せました。 え~!? あ、あ、あんなに何してもダメだったのに~!? 「あれ? 今、泣いてなかった?」と先生が聞くと、 「ないてない! ないてない!!」とごまかす息子。 ■3歳男児のプライドを垣間見た私と娘 「え~さっきまで泣いたよ!」と言う娘の言葉を、大きな声を出し、さえぎる息子。 先生とバイバイした後も、再び泣き出すこともなく、何事もなかったように、歩き始めました。 私が、なぜ急に泣き止んだのか、聞いてみると、 「だって、はずかしいもん」と息子。 これが男のプライドというやつでしょうか…。 保育園の先生には、カッコ悪い姿は見せられない…? その後も、あまりに手が付けられないときに、保育園の先生を意識させると、周りをキョロキョロと確認する息子なのでした(笑) 家よりも長い時間を過ごす、保育園の先生は、息子にとってはとても大きい存在のようです。 いつも優しく、厳しく接してくれる先生に改めて感謝したいと思いました。
2020年09月03日ある日曜日。 時間が空いていた私は、前々からやろうと思って、後回しにしていた、自分の洋服の整理することにしました。 子どもができてからは、基本的に楽な服ばかり着ている私。 いつも同じようなTシャツばかり着ています。 つい同じ服を着てしまうため、いつか着るだろうとしまい込んだ服がダンボールにたくさんありました。 私は、重い腰を上げ、 服の片付けを決行することにしました。 段ボールを整理しているうち、出てきたのは20代のときに着ていた服…。 ■試しに着てみたところ、子どもたちから絶賛された いまじゃとても恥ずかしくて着られません。 「こんなのよく着てたな…」 とごみ袋に入れようとしたのですが… ふと、まだ入るのかが気になりました。 着てみたところ… 意外と入る! しかし、恥ずかしい…。 やはり処分しようと思ったところで、やってきた子どもたち。 恥ずかしくなり、脱ごうとしたのですが… 娘と息子は、私の服を見て、「ママかわいい!」「ママ似合ってる!」と、絶賛。 ■外出時にその服を着て鏡の前に立ってみた 子どもたちにおだてられ、すっかり気分が上がった私は、 その服を捨てるのをやめ、引き出しに戻しました。 後日、外出の時に、その服にチャレンジしてみようと着た後、鏡の前に立ってみると… あれ…? あの時と違う…? 若作り感が半端ない!! おばさん感が、すごい! 子どもたちにほめられたことで、私はかなり自分を美化していたようでした(笑) 結局、その服を着る勇気はなく、せっかく子どもたちにほめてもらった服ですが、その後処分。 これからは、自分の年齢と顔面を考慮に入れて、服を選ぼうと心に決めました。
2020年08月06日これは私が、まだ結婚する前、新卒で就職した会社で働いていて時のお話です。 当時、私は事務で新入社員として働いていました。 その日、少し朝早く出社した私は、前日残していた仕事をしていました。 ■スケジュールを確認しようと立ち上がった瞬間に…!? そこに一本の電話が鳴り、私は電話に出ました。 「○○課長はいますか?」と言われ、私は課長の今日のスケジュールを確認しようと、予定が書かれたホワイトボードを見に行こうと、立ち上がりました。 その瞬間、 腰に激痛!! 「いったぁぁぁ! はっ! でもいま、お客さん保留中! とりあえず返事しなきゃ!」私は気合いで、よろよろとホワイトボードに向かいました。 予定を見て、近くにあった電話からお客さんに返事をし、電話を切った瞬間、そこから動けなくなりました。 異変を感じた事務所にいた人たちに、「え? どうした?」と声をかけられましたが、私は一歩も動くことができず、結局、男性社員に両脇を抱えられ、先輩の車で病院へ行くことに。 診察結果は、ぎっくり腰。 ■職場で「捉えられた宇宙人みたいだった」といじられた 痛み止めの注射の処置をされ、会社に戻りました。 その日は一日痛くて、コピーをとりにいくにもへっぴり腰で、よろよろ歩き。 私が立ち上がるたびに、「大丈夫?」と声をかけられ、ところどころから聞こえる笑い声。 その後、結婚で会社をやめるまでの間、私は病院に運ばれたときのことを 「捉えられた宇宙人みたいだった」 といじられることになりました(笑) いまとなっては笑い話です。 新入社員の皆さん、初めてのことばかりで緊張し、失敗もあるでしょう。 私の強烈な失敗を聞いて、少しでも気持ちが軽くなるといいなーと思います。 ちなみに、勤務年数二年ちょっとだった、私の会社での失敗は、これだけではなく山ほどあります。 その話はまた別に機会に…。
2020年07月09日4月から4年生になった娘。 そんな娘の成長を感じたお話です。 つい先日のこと…。 娘に呼ばれたので、ちょっとふざけてみようと、 ポーズを決めながら登場してみました。 ■娘からなかなか厳しめの一言を放たれた こんな時、ちょっと前まで、一緒にポーズをとってくれたり、「なに? なに?」と興味津々な様子を見せてくれていた娘でしたが… 私を見た瞬間、 「え? 何それ…何の意味があるの?」となかなか厳しめの一言。 そして、表情は変わらず、冷静…。 でも、母は負けない! 「こういうポーズすると、なんか楽しくない?」と聞くと… 冷静に返されてしまいました。 急に恥ずかしくなり、立ち尽くしていると、 今度は心配されてしまう始末。 あぁ…ノリが良かった娘は成長して、状況を冷静に受け止める、お姉さんになってしまったんだ… 成長がうれしい反面、さみしさがこみ上げました。 ■まだ受け入れてくれる“場所”があると気づいた しかし、これも仕方のないこと…いつまでも私の望むノリで、いてくれるわけではないんだ… そう思い、おとなしくこの場を去ろうと、振り返ると… そこにはわくわくした顔で、私を見つめる息子の姿が。 息子の望む通り、娘に全く笑ってもらえなかったポーズを、やってみると… うれしそうに悲鳴をあげ、ケラケラ笑う息子。 よかった…まだ受け入れてくれる場所はある! これからは、しばらく息子にノってもらい、心のさみしさを埋めてもらおうと思いました(笑)
2020年07月02日子どもたちが休校中だったときのお話です。 外出を控えて、ただ家にいるだけじゃ、なんだかもったいない! そう思った私は、長い間放置しているクローゼットの掃除をすることにしました。 段ボールの中身をチェックしていると、結婚したときに実家から持ってきた、学生時代のアルバムを発見! ■アルバムから憧れていた男子の写真が出てきた! 懐かしさで見ていると、小学4年生になる娘が来て、一緒に見始めました。 「これママ!? えー! いまと全然違う!」などと話しながら、ページをめくっていると… 出てきた一枚の写真。 高校のときにひそかに憧れていた、男子の写真でした。 娘に「これ、なんでママがいない写真なの?」と突っ込まれます…。 それもそのはず。 当時、その男子の共通の友だちから、 恥ずかしながらこっそりもらった一枚でした。 ■娘から質問攻めにされてアタフタ 「これ誰?」と聞かれたので、「ママが高校生のときにね、かっこいいなーって思ってた人」と話すと、「へぇ~これパパ?」と娘。 「パパとは19歳のときに出会ったんだよ? これ、17歳ぐらいのときの写真だよ~!」と話すと、そこからは質問攻め。 私が、「知らない」「忘れた」とだけ答えると、 「ママ、ちゃんと覚えてないの? ダメだよ。かわいそうだよ。」と言う娘。 娘の興味は止まらず、どんどん質問が続くので、あわててアルバムを段ボールに戻し、ガムテープでとめて封印しました。 こういうものは、どうするべきなのでしょうね…。 捨てるべき? 持っていても相手も気持ち悪いだろうし… (そもそも私も、もっていたことをすっかり忘れていたレベル) かといって、人から譲ってもらったものをビリっと破って、ごみ箱に捨てていいものなのか…? 当時はどうしてもほしくて、もらった一枚でしたが、いまとなってはどうしていいかわからない一枚になりました(笑)
2020年06月25日3歳の息子は、虫が大好きです。 散歩中は、いろんな虫を見つけては止まるので、なかなか進みません。 ■ばあばがてんとう虫を捕まえて持ってきてくれた ある日、虫好きの息子のために、てんとう虫を捕まえて、紙コップに入れて持ってきてくれた、ばあば(私の母)。 持ってきてくれたとき、息子はお昼寝中だったので、 そのまま玄関に置き、息子が起きてくるまで放置することにしました。 その後、起きた息子とおやつを食べたり、遊んだりしているうち、すっかりてんとう虫のことを忘れてしまった私。 やっと思い出し、あわてて見に行くと、てんとう虫は、穴のあいたサランラップに、とまった状態でした。 息子にてんとう虫の存在を教えると、大喜び。 そして息子が、サランラップ越しに、てんとう虫を触ると… てんとう虫が、 紙コップの底に落ちてしまったのです。 ■息子にとってかなりショックな出来事だった様子 息子はてんとう虫が死んでしまったと思い込み、自分がつっついたせいだと放心状態。 てんとう虫はまだ生きていたので、息子に必死で声をかけ、てんとう虫を逃がすために、一緒に庭に出ました。 近くの葉っぱにとまらせると、 てんとう虫は、飛んでいきました。 「よかったね~! おうちに帰ったよ!」と声をかけたのですが、元気がない息子。 その夜も「今日、てんとう虫さん…かわいそうだった…」とブツブツつぶやいていました。 息子にとって、自分が触った途端、てんとう虫が落ちてしまったことは、 かなりショックな出来事だったようでした。 それから、虫取りに行っても、取ってちょっとながめたら、元気なうちにすぐ逃がすことにしています。
2020年06月18日前回 の続きです。 左腕を痛がる息子を、救急病院に連れてきた私たち。 患者さんが少なかったこともあって、比較的順番は早く回ってきました。 診察室に待っていたのは、整形外科の先生。 私は、息子の状況を説明しました。 すると先生は… 「ハイタッチしよう!」 と息子に手を伸ばしました。 息子は右手でハイタッチをしました。 「こっちの手でも、できる?」と先生が聞きましたが、息子は「いやだ」といって左手をだらんと下げたまま、動かしませんでした。 先生は、息子の身体に触れずにじーっと左腕を見つめ、 と、私に息子の体をおさえるように言いました。 そして息子の左腕を曲げ、右左右左と動かすと… 『ポキッ』と音が! 「はい! いま、音なったから大丈夫!」と言われ、待合で待機するように言われました。 10分ほど待合で待っていると、先生がやってきて、もう一度「ハイタッチしよう!」と言いました。 息子は、痛がることなく、左手をあげ、ハイタッチをしました。 ■息子の腕は肘内障になっていた 息子の腕は、肘内障になっていたそうです。 肘内障とは、肘の人体と肘の外側の骨が外れかかることによって起こるそうです。 無事、腕は元通りになり、家に帰りました。 帰宅後、速攻でソファーにダイブする息子。 これまでも何度も流血するケガをしている息子。 男の子の武勇伝は、親の制御を無視して更新されていくのか… 私たちもこうやって、いつの間にか慣れていくのか…と思いました。 おうちで遊ぶ時間が増えたいま、家庭内でのケガが増えないよう、できる限りは気をつけたいと思いました。
2020年06月11日3歳7か月の息子は、動くことが大好きで、とてもやんちゃです。 しかし、最近はなかなか思うように外出できず、大好きな公園もなかなか行けません。 そのうずうずした気持ちを、家の中発散するため、跳んだり跳ねたりするので、いつも一人だけ汗だくです。 ■突然、ソファーで泣き出した息子 先日のこと。 いつものように、一人で暴れまわる息子。 姿が一瞬、見えなくなり、次の瞬間、ソファーで泣き出しました。 私と娘は同じ空間にいたのですが、その瞬間が見えなかったので、どうしたのかわかりません。 息子の説明から、 “ソファーへ飛び込んだ” と推測しました。 最初は「大丈夫よ~! 痛かったね~!」とあやしていたのですが、めずらしくなかなか泣き止まない息子。 「どこが痛いの?」と聞くと左腕を指さしました。 確認しようと触ってみると、 触っただけで「痛い! 痛い!」とさらに号泣。 暴れすぎて転んだりすることは、いつものことなのですが、ここまで痛がったり、泣き止まないのは初めてのことでした。 ■息子は泣き続け、救急病院に行くことにした 時間は夕方の5時半。 近くの病院2か所に電話をしてみましたが、受付は5時で終わっていて 「診ることができない」 と言われました。 そうこうしているうちに旦那が帰宅。 最初は「大丈夫よ」と言っていた旦那ですが、あまりに息子が泣き続けている姿を見て… 救急病院に行ったほうがいいと判断。 私は、あわてて支度をし、夫の運転で病院に向かいました。 旦那と娘には車で待機してもらい、私は息子を抱えて病院に入りました。 救急病院は着いたころには、息子の涙は止まっていましたが、 左腕はだらんと下がっていて、動かすことを嫌がっていました。 順番を待つ間、私の心配はどんどんふくらんでいきました。 続く…。
2020年06月04日子どもができてから、自分が子どものときのことをよく思い出します。 中でも、よく思い出すようになったのは、自分の反抗期のこと。 私の反抗期がもっともひどかったと自覚しているのは中2のころ。 ■親から言われるすべての言葉にイライラして怒鳴っていた 親から言われる、すべての言葉にイライラし、「ごはんできたよ」と声をかけられるだけで「うるさい!」と怒鳴っていました。 親と行動するのが恥ずかしく、外食に行くというときは、一人留守番するのが当たり前でした。 当時、私の家はとても狭く、親の声が聞こえない、目が届かない場所がありませんでした。 一人部屋なんてもちろんなく、4歳年上の兄と共同で、4〜5畳の部屋を使っていました。 ドアはふすまで、家族スペースがすぐそばにあるため、声は丸聞こえ。 家の中には、完全に一人になれるスペースがなく、息苦しくて仕方がありませんでした。 塾が終わった後、家にすぐ帰りたくなくて、いろいろ寄り道をし、 22時過ぎに帰宅して、心配した親が探しに来て、怒鳴られたこともありました。 ■一人になれる場所がなかったのが嫌だった いま思えば、何をそんなにイライラしていたのか、何に反抗していたのかは、思い出せませんが、 イライラしたときに、一人になれる場所がなかったのが、嫌だったことは、よく覚えています。 自分で振り返ってみても、激しい方だったと思う私の反抗期。 わが子にいつかくると思うと、(自分のことは棚に上げ…)恐ろしくて仕方がありません。 娘や息子がどういった反抗期になるのかも、何を嫌と感じるのかはわからないのに、その恐怖からとりあえず、それぞれ一人になれるスペースは、準備した私。 一人部屋があればすべて解決! …ってわけにはいきませんが、自分が嫌だったことは覚えておいて、その時に活かせるといいなー思います。
2020年05月28日外出自粛の日々で、おうち時間が増えましたね。 わが家の子どもたちも、小学校、保育園のお休みが続いています。 子どもたちがそろって毎日家にいると、何かしら騒がしいです。 旦那が土日仕事ということが多いわが家は、私が一人で子どもたちを見なければいけないことがほとんどです。 そうなると、「ママ! きて!」「ママ! みて!」と二人から呼ばれ、なかなか自分の時間を持つこともできません。 ■子どもたちから頼られる日々を大切にしたいと思うものの…!? しかし、ママ! ママ! と来てくれるのもずっと続くわけではありません。 9歳と3歳… あっという間に、寄ってきてくれなくなった …なんて日が来るかもしれません。 そう思うと、呼ばれるのも愛おしく、この自粛の日々も、子どもたちと一緒にいられる時間として、大切にしたいなーと思い、なるべく子どもの声に耳を傾けたくなります。 しかし、そんな考えもぶっ飛ぶぐらい、 私がイライラしてしまう、子どもたちが言う、あるフレーズがあります。 それは… 「〇〇がなーい! 探して!」という言葉。 娘は、ノートや定規などの文房具が見つからないと騒ぎ… 息子は、おもちゃのパーツがなくなったと騒ぎます。 ■このやり取りが何度も続くと、イライラが爆発してしまう しかも、だいたい私が探すと、すぐ見つかることばかり。 絶対あるはずとわかっているので、 『自分で探して』 と言うようにしているのですが、二人ともたいして探しもせず、すぐあきらめて私のところにやってきます。 このやり取りが何度も続くので、ついイライラして怒鳴ってしまうこともあります。 なんでもかんでもママが場所を知ってると思うなよ~! 自分で何とかしなさーい! と放置してみるのですが、結局見つけきれず、悲しそうに私のところにやってくる子どもたち。 その目にやられ、 結局、「あぁ~もう!」と、また探す(笑) 同じフレーズにイライラしているママさんが、他にもいると信じて、今日も私は、この要求に対応しています。
2020年05月21日3歳の息子は、まだまだ私の寝かしつけがないと、眠れません。 しかし、息子はベッドに入ると、おしゃべりが止まらず、なかなか寝てくれません。 ■あの手この手を使って寝かしつけている 片づけも残っているので、早く寝かしつけて、一刻も早くベッドから抜け出したい私。 毎日、あの手この手で寝かしつけます。 胸をトントンたたいてみても… 一緒にリズムを刻んでくる…。 頭をよしよししてみても… 手を止めてはいけないので、エンドレス…。 寝たふりをしてみても… 私が振り向くまで言葉巧みに、声をかけ続ける…。 なにをしても、とにかく寝ない息子。 「寝ないと明日起きられなくなるよ~」と真剣に話をしても、返事だけで全く響いていない…。 ■寝ない息子にイライラした私はついに…! 寝ない息子にイライラしてしまった私は、 強く声を荒げました。 すると、息子は… そんなかわいいこと言われたら~… と返してしまう甘い私…。 息子の寝かしつけで、 思いのままに操られている母なのでした。 ちなみに息子、どんなに頑張っても、寝ないときは寝ない…寝るときは、気がついたら寝ています。 これも子育てあるあるでしょうか(笑) 毎日の寝かしつけに頭を抱えつつも、いつまでも一緒に寝てくれるわけではない。 いつかは、望んでも一緒に寝てくれない日が来るんだ 、と自分に言い聞かせながら、毎日の寝かしつけを乗り越えています。
2020年05月14日わが家は、9歳になる娘のお下がりもあって、おままごとの道具が、結構そろっています。 そのおかげか、3歳の息子は、おままごとで遊ぶことも多いです。 一人で黙々と料理したり…姉を誘ってみたり…人形を並べてみたり…テーブルにいる私たちにご飯を運んでくれたりします。 ある日、部屋を片づけていると… ■お店屋さんごっこを始めた息子 息子から、おままごとの誘いが。 「いらっしゃいませ~」と言っているので、どうやらお店屋さんごっこ。 息子がお店の人、私はお客さんのよう。 近くに座り、「じゃぁね~」と何にしようか考えていると… 何やら始まった細かい準備と説明。 説明を聞き終えた私は、指示通りに動いたあと、注文をすることにしました。 しかし、届けられたのは野菜。 あれ? と思いましたが、前菜かなと思い、食べるふり… 今度は「お魚お願いします!」というと、 ■もしやベジタリアレストラン!? またまたやってきたのは野菜…。 ここは…ベジタリアンレストラン? 「デザートもありますよ~」と息子にすすめられたので、「じゃぁ~ケーキをください!」と注文すると… そしてやってきたのは、そう… 野菜! 息子のレストランは、 希望の注文が全く通らない店でした(笑) 野菜不足になりがちな私のことを思ってのことでしょうか…? そんな息子…野菜嫌い。 全く説得力のない言葉でした(笑)
2020年05月07日