■自分だけのビート、と思いたい
最後にもうひとつ、大好きな本の話をする。
絲山秋子さんの『ダーティ・ワーク』という小説の中に、『worried about you』という短編がある。ギタリストをしている熊井という女性が主人公で、彼女はある日、嫌々受けた健康診断で心疾患の疑いがあると告げられる。死につながるような病気だったら、と不安を抱えながら再検査を受けた彼女は、医師に「これは異常っていうほどの異常じゃないですねえ」と言われ、心電図を見せられる。そして、
“「これはね」
医師は嬉しそうに言った。
「異常じゃなくて、あなたの心臓に固有なリズムのようなものですよ」
「固有なリズム……」
「くだいて言うと、癖みたいなもの。あなたの心臓の癖なんです」”
――『ダーティ・ワーク』絲山秋子,集英社 より引用
そう告げられ、熊井はつい笑ってしまうのだ。物語は、“それは、悪い結果ではなかった。
彼女は誰も知らない自分だけのビートを手に入れた。”というフレーズで終わる。
原稿を書くために久しぶりにこの小説を読み返して、“自分だけのビート”という言葉に思わず私までうれしくなり、笑ってしまった。自分の身体のままならなさをこんなふうに捉えられたら、どれほどいいだろう、と思った。