2016年11月24日 20:45
発達障害の私が、「障害者」として生きることを決意するまで
「上手く行っていないことを障害のせいにするのは、自分の苦手なことから逃げることだ」
と考え、主治医の提案を受け入れられませんでした。
また、家族に相談すると、「私に障害があるわけがない」と全員の見解が一致しました。
こうした周囲の声もあり、私は主治医の診断を受け入れず「健常者」として生きることを選びました。
そして、働いているうちに「自分が発達障害である」ことはすっかり忘れたのでした。
解雇、そして再就職活動
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10573004175
自分が発達障害であることを忘れて仕事に励んだ日々の中では、成果を出せたときもありました。
しかし、それよりも多くの失敗が続きました。会社は努力している私を見て、様子をみてくれていましたが、4年近く経っても問題である「仕事上のコミュニケーション」はうまくできないままでした。
そしてついに、私の解雇が決定しました。
解雇を宣告された時は、とても悲しかったのを覚えています。
しかし、私はこれ以上頑張って挽回出来る見込みを自分でも感じられませんでした。また、解雇に無理やり抵抗して、会社にしがみ付いているだけの人生も嫌だと思い、解雇を受け入れました。
再就職に向けた活動は難航しました。
ハローワークで求人票などをチェックしましたが、「コミュニケーションに関する能力不足」が理由で解雇された私を雇ってくれる所なんてあるのかと途方に暮れ、全くと言っていいほど再就職活動は進みませんでした。
私は次第に家にこもるようになりました。「このままだと精神を病む事になるだろうな」とぼんやり考えていました。
人生に、絶望していました。
迫りくる自分の無気力に対する不安。一か八か、わずかな希望に賭ける
Upload By 穹峰蒼志
引きこもり気味の日々を過ごしていたあるとき、私は1つの新聞記事を目にしました。
それは、不登校で引きこもりだった少女が地球一周の船旅に出て前向きになるという内容でした。
この記事を読んだ私は、家族の声が届かず、インターネットもつながらないような海の上で自分の人生を考えたいという思いと、私も長い旅を経て何かが変わるかもしれないという希望を持ちました。
その船旅に出ることは私にとってやはり大博打でした。