ゴールデンボンバー・鬼龍院翔「僕らは時が経つほど面白くなるバンド」
それからは、軽音楽部でバンドをやりたいから、軽音学部のある高校に行ったんですよ。ギターとして軽音楽部に入って、バンドを組んで、JUDY AND MARYなどのカバーをしていました。それなりに楽しかったです。
――高校を卒業してから、吉本興業のお笑い芸人の養成所NSC東京に行かれたと以前お話をうかがいましたが、音楽の道へ行こうと思ったのはいつ頃だったのでしょうか。
19歳ぐらいのときです。NSCに1年間通って、芸人になろうと思っていたけど絶対に無理だと確信したときに、「どうしよう」と。そうなると、バンドもやりたかったから、「音楽やるか」と思って始めました。だから、これで行くぞ!という覚悟もなかったので、絶対そんな決心で売れないよ、というところがスタートです。
――それがもう20年というアニバーサリーイヤーを迎えました。そうですね。音楽を始めたのはネガティブな原動力でしたが、その頃の僕は、将来の夢なんてポジティブに考えられるような状況ではなくて、本気で死んでもいいと思っていました。そんななかに、バンドがあった。だから、死ぬことはいつもできるし、それなら1回、本当に死ぬ気でバンドをやってみようって思ったんですよ。