クレイジーケンバンド・横山剣「いつも最後のアルバムと思いながら作ってますよ」
1年がすごく短いですね。
――2019年にこのananwebの「音楽通信」で取材させていただいた際、小学生のときから独学でピアノで作曲されているというお話をされていました。
自己流でコードをつけて弾いていたんです。CとかAとか正しいコード名はわからないけれど、たとえばAマイナーは「悲しみ」、Eは「悲しみの入り口」、Fメジャーセブンは「サンセット」といったように音のイメージで名前をつけていて。曲を聴くとどの音かも感覚的にわかっていましたし、自分なりに曲を覚えたり、作ったりしていました。
――すごいですね。もともとご両親も音楽にお詳しい環境だったのですか?
父親はビクターレコードと取引する会社をやっていたので、家にいっぱい見本盤があって、そのなかに自分にもグッとくる曲がありましたね。父親自身は趣味で、ブラジル音楽やジャズ、ソウルミュージックをよく聴いていました。
ただ、両親が8歳のときに離婚して母方に引き取られて。その後も父のマンションには遊びに行っていたので、そこで最新の音楽を聴いて、父親からダイアナ・ロスも教えてもらいました。
――小さいお子さんが聴く童謡や歌謡曲よりは、大人が聴くような洋楽もすでに聴いていたのですね。