サニーデイ・サービス 曽我部恵一「かけがえのないファンの人たちに歌うことが一番大事」
ーーサニーデイ・サービスの作詞作曲をほぼ手がけ、ご自身のソロ活動でもご活躍中の曽我部さんですが、そもそも幼いときの音楽環境はどのようなものでしたか?
テレビで『ザ・ベストテン』(1978~1989年、TBS系列)といった歌番組を観ているふつうの子どもでした。でも、母親が家でサントラのレコードをよく聴いていて。当時流行していたポール・モーリア(「恋はみずいろ」「オリーブの首飾り」などで知られるフランスの音楽家)らイージーリスニングのレコードを一緒に聴いていたぐらいですね。能動的に音楽を聴くようになったのは、中学生から。洋楽を聴きはじめて「セックス・ピストルズ」などのパンクを聴くようになりました。
――その後、ご出身の香川県から、大学進学を機に上京されましたね。
そうです。1992年には、大学生だった僕を中心に、サニーデイ・サービスを結成しました。
現在もメンバーの田中もいて、インディーズでCDも出しています。
――1994年になると、ミニアルバム『星空のドライブep』でメジャーデビューされましたが、当時の心境は覚えていますか?
僕らはデビューしてもまったく売れなかったから、何の話題にもならず、悶々としていたことを覚えています(苦笑)。