あの“冷戦時代の音楽密輸人”が日本へ。当時の超貴重映像とDJを体感せよ!(50名限定)Berlin Atonal×HEAPS
国境警備隊・秘密警察を出し抜いた「マーク・リーダーの偉業」を簡単に振りかえる
東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった
ラディカルな音楽が禁止されていた東に“パンク”を運んだ男、マーク・リーダー(Mark Reeder)にしか発せられない言葉だ。冷戦時代、ドイツが東西にわかれていたころの話である。一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と建設された3メートルの「ベルリンの壁」が自由な西と制限のある東を分断。ソ連でビートルズが禁止されていたように、東では西の先進的な音楽は禁じられていた暗黒の時代だ。20歳のときに「クラウト・ロック*1」と「デイヴィッド・ボウイのベルリン移住」に刺激され、故郷イギリス・マンチェスターから鉄道に乗り、ヒッチハイクし、“普通が普通でない”ベルリンへとたどり着いたマーク。真昼間からパブでトランスジェンダーに出会ったり、取っ手が欠けたスープボウルに注がれたコーヒーをすすったり、到着して数日後には東ベルリンで不味いキャベツ料理を食したり、驚きと興奮でベルリンを体感していた。同時に、音楽人としても本領発揮。マンチェスターのレコードレーベル特派員として西ベルリンのラジオに故郷のバンドを売り込み、西ベルリンのナイトシーンにも頻繁に出入り。