他に類をみない“フリーランスの映画配給者”。「ワクワクしながら働くこと」を追求し続ける男の野心
葉山に引っ越してから、フリーランスになって一番最初に得た音楽の仕事は、パンクバンドのツアーマネージャーでした。東京・名古屋・大阪のライブツアーを一緒にバンドとまわる仕事です。英語も喋れるし、レコード会社で宣伝部の仕事もしてたのでメディアの対応もできました。そこからだんだんツアーマネージャーだけじゃなくていろいろ仕事をもらえるようになりました。旅に出て世界の空気を吸えば自由になれると思って会社をやめたら、帰国して不安定なフリーランスに意外と不自由を感じ、不安に陥ったり、迷ったり、自分がやっていることがこれでいいのかどうかってことを常に考えるようになりました
その音楽系フリーランスの期間を経て、仕事の発注元だった海外アーティストに特化したレーベルに入社する。そこで海外アーティストのライセンス業を学び、レコード制作や宣伝の仕事をしながら、映画の仕事と出会った有田氏。そのレーベルが映画配給を始めたのだ。数年後、残念ながらその会社は倒産し、次は何をしようかと考えているとき、レーベル時代に知り合ったフリーランスの映画宣伝マンに映画宣伝の仕事に誘われる。
そこから有田氏の“売れない映画宣伝マン”としての時期がスタートする。