くらし情報『『君たちはどう生きるか』作品評 理屈を超越した「漫画映画」への回帰』

『君たちはどう生きるか』作品評 理屈を超越した「漫画映画」への回帰

たとえば、真ん中に建っている建築物は、塔だと思っていると塔じゃない。どう考えても、建築工法からいって、そんな木造漆喰仕立ての3階建ての上でも平気な塔なんか建てられるわけないんです。さらに、そこに筒抜けで地下までトンネルの穴が開いているわけで、どう考えてもあやしいんです(中略)時計塔にしても、時計塔と呼ばれるほど立派なものなんて、昔はなかったですね」

(宮崎駿インタビュー「途切れることのない通俗文化の大きな流れ」「熱風 2015年7月号」)

かつて「時計塔」は時間を支配する権力の象徴であり、物語の舞台としても神秘的な魅力を放っていた。しかし、日本には欧州のような高層の塔はなく、時計の意義も異なる。展示の出口は時計塔が破壊される絵であった。

本作の舞台が「時計」のない「塔」であったのは、こうした展示の成果と考える。

「笑い」の復活と引き継がれる志

最後に「漫画映画」の大切な要素である「笑い」について記す。

本作で繰り返されるアオサギ男の奮闘シーンでは、劇場内に笑い声が聞かれた。
台詞や設定で笑わせるのではなく、ドタバタしたアクションの滑稽さに於いて、アオサギ男は「漫画映画的」だ。

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