『カイジ ファイナルゲーム』で福士蒼汰が見せる、キンキンに冷えた輝き
のゲームでは、熱のある演説がじつに見事であっという間に味方を増やしてしまう。
彼らと戦うカイジ自体が生命力の塊で、逆境に落ちると石炭をくべまくるようにせっせと命を燃やし、脳みそも肉体も駆使して生き残ろうとする。カイジたちに比べて、福士蒼汰演じる高倉は終始淡々としている。カイジと対峙してぐわっと感情が上がるときもあるにはあるが、そのときの怒りもどこか空虚だ。だからこそ、カイジたちに立ちふさがる不条理になる。そのちょっとした歪みが極めて現代的に見える。『ファブル』のフードもそう。
それは狂気であり、もうひとつの福士蒼汰の魅力・冷たさである。
福士蒼汰の存在が藤原竜也や吉田鋼太郎の劇的な熱さをクールダウンする。
『カイジ ファイナルゲーム』は藤原と吉田が、日本人のアイデンティティをもって世界を相手に演じてきたシェイクスピア演劇で鍛え上げた技を、本来チケット代を1万円くらい出して、しかもなかなか取れず涙を飲むことすらある技を、まるで秘仏の御開帳のように、1,900円で多くの人に見せるという大判振る舞いである。だからこそあまりに熱く激しくお腹いっぱいになるところに、福士蒼汰のどこか飄々とした冷たさがバランスをとるのである。