2014年11月21日 12:55
女の節目~人生の選択 (6) vol.6「初めての、犯罪」【11歳】
痴漢と同じくスケベ心に翻弄される男どもを笑いながら、「騙される大人が悪い」と思った。待ち合わせをすっぽかされるなんて、よくあることでしょ? 見ず知らずの「女子高生」と約束して、いきなりデートしてエッチなことできると思ってるほうが、頭おかしいんじゃないですか?
○マリア様がみてる
街中の電話ボックスに小学生が長時間たむろしていると目立つので、校舎の玄関ホールにある公衆電話を使うことが多かった。ホールの奥には聖母子像が鎮座していて、その眼差しに見つめられながら「性」を売り物に「罪」に手を染めるのは痛快だった。おい、神様、裁けるもんなら裁いてみろよ。そんなふうにも思った。
母校では、善悪の判断基準はつねに神の子イエズス・キリストとともにある。教師たちは校則にもとづき生徒を指導したが、道徳の授業を受け持つ修道女たちは、服装の乱れから不正行為まで、「神様は、あなたがたの犯した過ちを悲しんでおられます」とだけ教え諭した。これがどうにもモヤモヤする。
人と人の間で定められたルールを破れば「罪」に「罰」が与えられる、という理屈はわかる。しかし「神様が悲しむ」と言われたって、ちっとも心に響かない。
ちょうど同じ頃、保健体育の授業で性教育が始まった。