送別会や歓迎会などで写真を撮る機会も増えるこの季節。撮影した写真に光の線が入っていたことはありませんか?この記事では、写真に光の線が入る時のスピリチュアルな意味を紹介します。■写真に光の線が入るスピリチュアルな意味写真に入った光の線は、その色によって暗示するメッセージが異なります。◇(1)写真に赤い光の線が入った場合は「トラブルの前兆」写真に入った光の線が赤い場合は、あなたの周りでトラブルが起きることを警告しています。特に、写真を見て胸騒ぎがした場合は要注意。思わぬトラブルに巻き込まれる可能性があります。ただし、事前に用心しておくことで回避できるトラブルもあるため、写真に赤い光が入った時は、いつも以上に慎重な行動を心掛けましょう。◇(2)写真に緑の光の線が入った場合は「ご先祖様が見守っている」写真に緑の光の線が入った場合は、ご先祖様があなたを見守っているというサイン。「いつもそばにいるよ」という温かいメッセージが込められているので安心してください。写真に緑の光が写った時は、ご先祖様に感謝に気持ちを伝えましょう。◇(3)写真に虹色の光の線が入った場合は「幸運が訪れるサイン」写真に入った光の線が虹色の場合は、まもなく幸運が訪れるサインです。スピリチュアル的に、虹は幸運の象徴と考えられています。虹色の光が写真に写った時は、近々訪れる幸運を逃さないよう、しっかりと心の準備をしておきましょう。■写真に光の線が入るのは高次元からのメッセージ写真に入る光の線は、ご先祖様や守護霊が「いつも見守っているよ」という温かいサインであることが多いでしょう。以下の記事では、その他のスピリチュアルメッセージも紹介しています。あわせてチェックしてみてくださいね。≫写真に光の線が入るスピリチュアルな意味6つ。色や特徴別のメッセージ(マイナビウーマン編集部)※画像はイメージです
2024年03月01日アート集団チームラボは、石川県金沢市の金沢城公園で、夜の光のアート展「チームラボ 金沢城 光の祭」を、2023年9月30日から11月26日まで開催します。Photo by FASHION HEADLINE金沢城そのものがアート空間となり、金沢城のシンボル「五十間長屋」の石垣と花々で形作られた動物たちが歩く《金沢城の石垣に住まう花と共に生きる動物たち》や、風や雨、人々のふるまいによって永遠に変化する光の空間《自立しつつも呼応する生命と呼応する木々》ほか、複数の作品を展示します。本展は、第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭「いしかわ百万石文化祭2023」の一環として開催されます。Photo by FASHION HEADLINEチームラボは「Digitized City」(デジタイズド・シティ)というアートプロジェクトを行っています。非物質的であるデジタルテクノロジーによって、建造物や場を物理的に変えることなく、場をそのままアート空間に変えるというプロジェクトです。長い時間をもつ金沢城が作品空間となり、その作品空間は、自然の中で吹く風や雨、その場所にいる人々のふるまいの影響を受けながらインタラクティブに変容し、人々を自然とともに作品の一部、そして、長い時間の一部にしていきます。それにより、作品と人々と自然、自分と他者、現在と過去が境界なく連続していきます。Photo by FASHION HEADLINE《古えの石垣の円相》Photo by FASHION HEADLINE1590年代に創建された東ノ丸北面石垣に「円相」を書き続けます。光で描かれる書の黒は、光がないことを意味し、数百年の長い時間による風化が生んだ石垣がつくる影と区別がつきません。《戌井櫓石垣》Photo by FASHION HEADLINE自分の歩く速度やペースによって音楽体験が変わっていきます。《我々の中にある巨大火花》チームラボ《我々の中にある巨大火花》© チームラボ無数の光線の集合による球体。細い光の線は、中心から放射状に無数に広がり、球体を形作ります。光源は動きませんが、無数の線はうごめき続け、火花が散ったような見え方をします《Walk, Walk, Walk - 金沢城 / Walk, Walk, Walk - Kanazawa Castle》Photo by FASHION HEADLINE金沢城の石垣を、匿名で多様な肖像群が歩き続けます。作品の登場人物は、いろいろな出来事に対峙しながら、終わりなく歩き続けます。見る人もまた、次々に歩いて来る作品世界の登場人物と対峙します。作品は、あらかじめ記録された映像を再生しているわけではなく、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続け、複製されることなく、永遠に変化し続けます。今この瞬間の絵は二度と見ることはできません。《自立しつつも呼応する生命と呼応する木々》Photo by FASHION HEADLINE光の卵形体は人に押されたり、風に吹かれたりして倒れると、立ち上がりながら光の色を変え、色特有の音色を響かせます。《金沢城の石垣に住まう花と共に生きる動物たち》Photo by FASHION HEADLINE動物たちは、五十間長屋の石垣と、誕生と死滅を繰り返す花々によって形作られ、季節ごとの花々が移ろいながら咲き、花々が散りすぎると、その動物は死んで消えていく様が流れます。《お絵かき武将》Photo by FASHION HEADLINE前田利家など、金沢にゆかりのある歴史上の武将らが登場する《お絵かき武将》も展示。来場者が紙に武将の絵を描くと、その武将たちが目の前の巨大な草原で動き出し、武将に触ると、その人物の名言が吹き出しで現れます。また、「お絵かきファクトリー」では、自分の描いた武将を缶バッジにして、持ち帰ることもできます。#チームラボ金沢城光の祭#百文祭開催概要第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭 -いしかわ百万石文化祭2023-「チームラボ 金沢城 光の祭」kanazawacastle.teamlab.art会期:2023年9月30日(土) - 11月26日(日)会場:金沢城公園(石川県金沢市丸の内1−1)開催時間:18:00 - 21:30 (最終入場20:45)チケット料金(日付指定券):【月~木】一般1,600円、中高生800円、小学生500円、障がい者割引800円【金土日祝】一般1,800円、中高生900円、小学生600円、障がい者割引900円※未就学児童無料※障がい者手帳をお持ちのご本人と介護者1名まで、障がい者割引でチケットを購入いただけます(なお、第1種身体障がい者、第1種知的障がい者、第1級精神障がい者の介護者は1名まで無料で同伴入場いただけます)チケット販売:公式チケットサイト:イープラス:北國新聞読者サービスセンター石川県立音楽堂チケットボックス当日券:会場チケット売場、金沢駅観光案内所、金沢中央観光案内所主催:文化庁、厚生労働省、石川県、いしかわ百万石文化祭2023実行委員会特別協力:北國新聞社お問い合わせ:チームラボ
2023年10月10日相模原市初のバラエティ番組とのコラボ! 番組MC内海光司と佐藤アツヒロが光GENJI世代の 本村賢太郎相模原市長と意気投合!© BS松竹東急/キャストカンパニー・撮影:徳永徹BS松竹東急(260ch/全国無料放送)にて毎週水曜よる10:30から放送中の「こんなところでキャンパーズ!」。BS松竹東急が開局した2022年3月から放送中の本番組は、内海光司と佐藤アツヒロの2人では初のレギュラー番組。今までに爬虫類動物園、海上釣り堀、電車車両(ポッポの丘)、野球場、サーキット場など様々な”こんなところで”キャンプをしてきました。そしてなんと今回、番組内にて、神奈川県相模原市と約2ヶ月に渡ってコラボレーションすることが決定!相模原市にとってもBS松竹東急のバラエティ番組とコラボすることは初となります。今回は人口が72万人の都市と自然のベストミックスな市と呼び声高い相模原市から“キャンプを通じて市の魅力を伝えてほしい”という番組初の依頼に応え、相模原市役所へと来た2人。そこで待っていたのはなんと本村賢太郎市長!お忙しい中2人に今回の依頼を直接お話しいただきました!放送に先駆けて3人の同世代ならではの面白いやり取りと、仕事だけではなくプライベートにも及んだ特別応接室内のトークを解禁します!本編内容いつも通りロケのOP撮影後に訪れたのは相模原市役所。その特別応接室で2人を待っている人がいるという。ドアを開けるとそこには本村賢太郎市長(53)の姿が! 緊張する内海と佐藤に市長が今回の経緯を説明。本村市長:「おふたりにはですね、相模原市の魅力をキャンプをしながらお伝えいただきたいと思っております。おふたりにとって相模原市はどんなイメージをお持ちですか?」内海:「先ほど伺った(相模原北公園の)あじさいとか、ゆずとか。あと僕は釣りが好きなので相模湖にたまに来ます。バス釣りに」本村:「趣味一緒ですね!私も週末行く予定です。野尻湖の方に」趣味が一緒と盛り上がる2人。本村:「我々相模原市は人口72万人いる「都市と自然がベストミックスしたまち」で、県内で唯一のリニア中央新幹線の駅が橋本にできることになっておりまして、神奈川県920万人の約6割が相模原の水を利用されているという5つの湖を持った水源都市でもあります。そんな相模原の魅力を今回のキャンプを通じておふたりに発信していただきたいと思っております。」緊張も解けリラックスしてきた3人には共通点が…。内海:「市長お若いですよね、失礼ですがおいくつですか?」本村:「実は私、光GENJIさん世代で、高校生の頃拝見させていただいていました」佐藤:「え!?そうなんですか?お若いですよね(53歳と聞いて)ウッチー(内海)と俺の間だ、ちょうど。」本村:「今日はローラースケート履いてこられるんじゃないかと思っていました(笑)」内海:「特別応接室ではまずいかなと」本村:「私も世代なので、ローラースケート履いてお出迎えしようかなと(笑)」同世代と聞いて一気に距離の縮まる3人佐藤:「子供の時のイメージで言うと市長さんってすごい大人の人のイメージだったけど、当たり前だけど同世代でそれびっくりしています」本村:「私も一応相模原市で1番若い市長としてやってきておりまして、48歳のときに初当選しまして」内海:「年齢も近いし、同級生に会うような感覚ですよね。アツヒロなんか急にフレンドリーになっちゃって。今回お招きいただいて(市長と)年齢も近いし、相模原市のPRといえば我々、となれるのではないかと。今回に限らず今後とも、(佐藤に)ね!」佐藤:「同じ学校で俺が中1だったら市長が高2、ウッチーが大学生って不思議な感覚だよね。なんかすごく親しく感じて、楽しくなってきた!」本村:「そうですよね、地元も藤沢で近いですしね」ここから市政への勧誘の話へ佐藤:「市長になられて何年ですか?」本村:「5年目になります。市民の皆さんと毎日対話しているので、いいことも悪いことも、改革していかなきゃならないこともありますので、毎日勉強です。」佐藤:「そうですよね。いいなぁ、そういう姿勢。市長さんとこうやってお話する機会がないので、すごく楽しいです。」内海:「市長さんとこうやって直接お話できる環境が良いですよね。市民の声がダイレクトに届く環境が素晴らしいですね。」本村:「内海さんや佐藤さんは市長になってみたい、なんて思ったりしませんか?」内海:「急に来ましたね!」佐藤:「市長かぁ・・・」まんざらでもない感じ。内海:「アツヒロが市長になったら変な改革しちゃいますよ!敬語禁止とか、ジャケット禁止とか」本村:「明るく親しみのある市長になりますよ。地域から日本を一緒に改革していきましょうよ。色々なことを実現できるので、選挙に出ませんか、一緒に」佐藤:「・・・」内海:「(佐藤を見て)ちょっと、この人その気になっているよ!」佐藤:「いや、市長にならなくても、街をよくするとか、日本をよくするとか、人の為になるってことは今の僕らの仕事と一緒だなって。なんか通じるところあるっていうか」内海:「やばい。勝手にシンパシー感じちゃっているよ」本村:「そうですね。やはり市民の笑顔は力になりますからね。じゃあ新市長、決定ですね」佐藤:「いやいやさすがに(笑)それでも市民の為にサポートしていきます!」本村:「そうですね。もう友達ですから、これを機会に相模原市を応援していただかなくてはなりませんから。ぜひ今度はローラースケートで(笑)」公務の間を縫って繰り広げられた楽しいやり取り、そして相模原市の“こんなところ”がどこになったかは水曜よる10:30から放送中「こんなところでキャンパーズ!」SEASON8(8月30日(水)から放送予定)でぜひご覧ください!★相模原市データ・人口:約72万5千人(令和5年4月1日時点)※全市町村18番目、県内3番目・面積:328.91㎢※県内2番目・主な観光行事等:相模の大凧まつり、小原宿本陣祭・主な特産品等:津久井在来大豆、柚子、佐野川茶、さがみ長寿いも・平成22年4月 政令指定都市へ移行。・ベッドタウンとして発展してきた都市部と自然豊かな山間部を有する「都市と自然がベストミックスしたまち」。JR中央線や京王線、小田急線など鉄道6路線が乗り入れ、中央道、圏央道のICもあり、都心から約1時間でアクセス可能。・今後、リニア中央新幹線の神奈川県駅(仮称)が橋本駅周辺に設置される予定となっており、さらなる大都市へと発展する可能性を秘めている。番組概要【番組名】『こんなところでキャンパーズ!』【放送局/放送日時】BS松竹東急(BS260ch/無料放送)毎週水曜よる10時30分放送中【メインMC】内海光司、佐藤アツヒロ【プロデューサー】斎藤寛之(BS松竹東急)、石野浩史、岩崎ゆかり【制作】BS松竹東急、キャストカンパニー【ホームページ】 【公式Twitter(現・X)】@BS260_campers 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月16日メガネフレーム、サングラスの企画販売を行う株式会社トライ・アングル(所在地:福井県福井市、代表取締役:藤本 重行)は、大変人気の偏光調光レンズを採用した2眼タイプのスポーツサングラスの最新モデル「208M」を応援購入サイト「Makuake」にて2023年7月27日から先行販売を開始します。キービジュアル 208M応援購入サイトMakuake(7月27日午前11時以降確認できます)URL: ■開発背景近年スポーツサングラスとして人気の高い偏光調光サングラス。当社ではかけ心地も、見え方も、さらに格好良さもご満足のいくサングラス開発を目指してまいりました。当社独自の4,000名を超える日本人の頭部データに基づき、より多くの皆様にジャストフィットする目にやさしいスポーツサングラスを発表いたします。商品イメージ■商品特徴(1)淡グレー色(40%)から濃グレー色(17%)に自動で変化(2)偏光度99%以上、紫外線は99.9%以上カット(3)驚くほどみやすい偏光レンズに調光機能がドッキング(4)4,000名を超える日本人の頭部データに基づく設計でかけやすい(5)顔を包み込むようにやさしくフィット(6)重量25g、重さを感じにくい設計(7)日本人がかけて格好の良いデザインあらゆるシーンに最適な偏光調光スポーツサングラス。シーンイメージ紫外線カット率99.9%以上、偏光度99%の高性能偏光レンズで大切な目を守ります。レンズ説明レンズ説明2フレームは当社独自の4,000名を超える日本人の頭部データを基にかけやすさを追求しました。アジアンフィット規格■商品カラー明細全5色ご用意しました商品ラインアップ■リターンについて【超早割】〔208M〕各色10個限定 販売予定価格10,400円(送料・税込)のところ30%OFFの7,000円にてお届けします。【早割】〔208M〕各色15個限定 販売予定価格10,400円(送料・税込)のところ25%OFFの7,800円にてお届けします。【Makuake割】〔208M〕各色20個限定 販売予定価格10,400円(送料・税込)のところ20%OFFの8,320円にてお届けします。【特別割】〔208M〕各色35個限定 販売予定価格10,400円(送料・税込)のところ15%OFFの8,840円にてお届けします。■プロジェクト内容プロジェクト名: 【偏光機能+調光機能】目にやさしく見やすさを追求したスポーツサングラス新登場期間 : 2023年7月27日~2023年9月10日URL : <商品概要>商品名 :偏光調光スポーツサングラス品番 :208M仕様 :<レンズ>・素材…プラスチック(偏光調光レンズ)・可視光線透過率…淡グレー色40%~濃グレー色17%・紫外線透過率…0.1%以下<フレーム>・素材…プラスチック(TR-90)横幅:155mm 高さ:45mm 奥行:170mmフレーム内々の距離:140mm(合口部)重さ:25g※フレーム調整により、多少の誤差が生じる場合があります。カラー展開:(1)ブラック/ガンメタ (2)ブラック/ライムグリーン(3)レッド/ブラック (4)ブルー/ブラック (5)ブラック/レッド原産国 :中国セット内容:専用ケース、レンズクロス販売場所 :本商品はMakuakeでの先行予約販売となります。■会社概要商号 : 株式会社トライ・アングル代表者 : 代表取締役 藤本 重行所在地 : 福井県福井市文京6-10-23設立 : 1984年9月10日事業内容: メガネフレーム・サングラス・既製老眼鏡の企画販売資本金 : 2,000万円URL : 【本件に対するお客様からのお問い合わせ先】株式会社トライ・アングル Makuake業務部TEL : 0776-97-5223MAIL: customer@try-angle.net 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月25日「今夏に東京と大阪で、東西のジャニーズジュニア約200人が出演するドームライブ『ALL Johnny’s Jr. 2023 わっしょいCAMP! in Dome』が開催される予定です。ジュニアが総出演するライブは4年ぶりとなります。井ノ原さんは今回のドームライブを“成長の機会にしてほしい”と考えているといいます」(音楽関係者)同ライブについてジャニーズアイランド社長の井ノ原快彦(47)はスポーツ紙の取材に、「今よりも楽しいほうへ。走り続ける彼らを見届けてやってください!」と話していた。井ノ原がジュニアたちに期待を寄せるのにはある理由が――。「現在、ジャニーズ事務所では退所者が相次いでいます。5月に元King&Princeの平野紫耀さん(26)と神宮寺勇太さん(25)が退所し、6月7日には、Kis-My-Ft2の北山宏光さん(37)が8月末で退所することが発表されました。さらに9月末には岸優太さん(27)の退所が予定されおり、“新星”の育成が急務なのです」(芸能関係者)そんななか、背中を見せるため立ち上がったのが、ジャニーズ事務所の現役タレント最年長者・東山紀之(56)だ。「東山さんは6月に入ってファンクラブを発足しました。さらに今冬には約21年ぶりとなるディナーショーを計画しているという話もあります。近年は俳優やキャスターとして活躍していましたが、ファンと直接、交流できる機会を復活させようと考えているそうです」(前出・芸能関係者)さらに井ノ原をはじめとした45歳を超えるベテランたちも奮起する――。「6月末に放送が予定されている『テレ東音楽祭』(テレビ東京系)では、光GENJIの“復活”を計画しているそうです。内海光司さん(55)と佐藤アツヒロさん(49)のユニットU&Sのパフォーマンスの際に、20th Centuryの井ノ原さん、坂本昌行さん(51)、長野博さん(50)がバックダンサーとして踊るのだとか。3人はV6のデビュー前に平家派というグループで活動していたときに、光GENJIのバックダンサーを務めていました」(制作会社スタッフ)“シン光GENJI”復活が光り輝く新アイドル誕生の起爆剤となるか!?
2023年06月14日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、衝撃を受けた映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「ジブリ作品は昔から大好きで、何度もテレビで見ていました。とくに初めて映画館で見た『もののけ姫』(’97年)は衝撃的。これをきっかけに映画館に行くようになり、エンタメの世界への興味をさらに強くしたんです」こう語るのは、タレントの安めぐみさん(41)。芸能界へのあこがれは、幼いころから抱いていたという。「すごくテレビっ子で、歌番組が始まると、内気な性格にもかかわらずコタツの上にのって、踊ったり歌ったりしていました。“いつかはテレビに出てみたいな”と、ずっと思っていました」歌番組、ドラマ、お笑い番組、なんでも好きだった。「小学生のころ、クラスでは光GENJIやSMAPが人気で女子の話題になっていましたが、私の興味は男性アイドルよりもお笑い番組。志村けんさんの『だいじょうぶだぁ』(’87~’93年・フジテレビ系)や『風雲!たけし城』(’86~’89年・TBS系)は欠かさず見ていたし、『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年・フジテレビ系)の、人気アイドルが全身タイツ姿で登場する“モジモジくん”のコーナーも大好き。『浅草橋ヤング洋品店』(’92~’96年・テレビ東京系)で、周富徳さんたち料理人が繰り広げる中華料理対決にもすごく興味がありました」最初に親に買ってもらったCDは、今はなき細長いパッケージが特徴のシングルCDだった。「『ADブギ』(’91年・TBS系)の主題歌だった楠瀬誠志郎さんの『ほっとけないよ』(’91年)か、観月ありささんのデビュー曲『伝説の少女』(’91年)のどちらかだと思います。そのまま保存するのか、折り曲げて保存するのかで迷っていました(笑)。観月さんのことを知ったのもテレビの歌番組。とにかく脚が長くて、顔もすごく小さい。“なんてキレイな人なんだ”と、雑誌のグラビアページを切り抜いたりしていました。ずいぶん後になって、観月さんとお仕事をご一緒したり、お食事をする機会があって、奇妙な感覚に。昔からのファンですと伝えると、『アリガトウ!』ってサバサバした感じで返してくれるのも、観月さんらしいです」当時、ティラミスに続いて人気となったナタデココの存在も、テレビで知った。「CMの“ナタデ・コ~コ”というフレーズは、今でも耳に残っています。わが家の冷蔵庫にはナタデココが常備されていたほど、あの硬さと軟らかさの中間にあるような絶妙な食感のとりこに。最近、タピオカ屋さんに行ったのですが、長時間並んだのに、あまりの懐かしさから、タピオカではなくてナタデココをトッピングしてしまいました」■自然の雄大さへの畏れを感じた「もののけ姫」小・中学生時代は、友達同士で映画館に行くことができず、映画はテレビで見るものだった。「最初に見たジブリ作品は『天空の城ラピュタ』(’86年)。子どもにもわかりやすい冒険活劇。主人公のシータとパズーが、トーストの上にのせた目玉焼きをシュルッと食べるシーンがあるのですが、それがなんともおいしそうで。母にねだって同じものを作ってもらいました。ジブリ作品は、料理の描き方がすごく上手で、見ているとおなかがすいてくるほど」それからは、テレビで放映されるジブリ作品を見逃さなかった。「『となりのトトロ』(’88年)は、ネコバスなどのファンタジーなところも魅力ですが、サツキとメイの姉妹愛がジーンときます。『魔女の宅急便』(’89年)の、キキとトンボが二人乗りした自転車が、倒れるようにコーナーを回ったりして疾走するシーンは、本当に風が吹いてくるような迫力」ジブリ作品特有の臨場感を味わうため、初めて映画館に足を運んだのは、高校1年生のときに公開された『もののけ姫』だった。「電車に乗って立川(東京都)の映画館に行ったと思います。高校生にとって、友達と一緒に映画館に行くなんてかなりのイベント。すごくワクワクしていたことを覚えています」期待どおりの映像と、壮大なスケールで描かれる物語の世界に入り込んでしまった。「人間と自然や動物との関わり方がテーマになっている作品。動物がしゃべるシーンも多くありましたが、なかでも人間に恨みを持つモロの君役の美輪明宏さんの声には、凄みと迫力がありました。それに、タタリ神に呪いをかけられたアシタカのあざが大きくなって、ウネウネと蛇のように体に巻きつくシーンがあったり……。人間の力では到底太刀打ちできない自然の雄大さに、畏れのようなものを感じました」映画を見終わった後は、当時、はやっていたプリクラを友達と撮って、2時間ばかりカラオケボックスで歌って帰った。「それからは映画を見に行く機会が増え、アニメ映画だけでなく『タイタニック』(’97年)のような洋画も映画館で見るように。小さいときからテレビっ子で芸能界に興味を持っていた私は、映画を通じてさらにエンタメの世界に引きつけられ、エキストラ事務所に登録してみようと思ったんです」芸能活動はドラマの通行人役から始まり、事務所のすすめでグラビアにも挑戦した。「初めて“安めぐみ”としてテレビに出たのは、東北のローカル番組のアシスタント。その番組でMCを務めていたのが、今の夫(東貴博さん)なんですよ」その10年後に別番組で再会して交際に発展し、’11年に結婚。「今は小学校2年生の娘と、ジブリ映画を見ています。でも、内容的に難しい『もののけ姫』を見るのは、もうちょっとお姉さんになってからになるんでしょうね」【PROFILE】安めぐみ’81年、東京都生まれ。’99年に「第10回YJ全国女子高生制服コレクション」で準グランプリを受賞後、タレント・ナレーターなど幅広く活躍。’11年、タレントの東貴博と結婚、’15年に長女を出産。現在『土曜はナニする!?』(フジテレビ系)に準レギュラーとして出演中
2023年02月19日展覧会「ちひろ 光の彩(いろどり)」が、ちひろ美術館・東京にて2023年3月18日(土)から6月18日(日)まで開催される。水彩で表現する彩り豊かな光と子ども水彩の柔らかな筆致で子どものいる情景や物語を数多く描いた絵本画家・いわさきちひろ。ちひろは、水彩技法を探求する中で、あえて詳細な描きこみや説明的な描写を省略し、子どもや物語を照らし出す光を用いて心情や情景を表現するようになった。展覧会「ちひろ 光の彩」では、まぶしい陽の光、こもれび、ろうそくの灯や月明りなど、光の表現に着目した作品を展示すると共に、水彩技法の変遷も併せて紹介する。『青い鳥』や『にじのみずうみ』など“物語の中の光”ちひろが描いた絵本の中でも、光が印象的に描かれた2冊の絵本に着目。チルチルとミチルの兄妹が、光の精に導かれて青い鳥を探す『青い鳥』や、稲光や湖にきらめく朝の光、輝く虹など、自然を彩る光が印象的に描かれた昔話『にじのみずうみ』をピックアップする。1960年頃から晩年にかけて描いた“月の光”から見る表現の変遷また、1960年代から晩年にかけて、ちひろは月の光を多く描いた。そんな月の光の表現の変遷を辿るほか、にじみや余白として表現した光から、子どもたちの未来や希望を重ね合わせているように感じられる作品を展示する。【詳細】展覧会「ちひろ 光の彩(いろどり)」会期:2023年3月18日(土)~6月18日(日)時間:10:00~17:00(入場は閉館の30分前まで)※3月は16:00閉館。会場:ちひろ美術館・東京 展示室3・4住所:東京都練馬区下石神井4-7-2休館日:月曜日(祝休日開館、翌平日休館)※ゴールデンウィーク(4月29日(土)~5月7日(日)は無休。出展作品数:約40点料金:大人 1,000円 / 高校生以下無料※団体(有料入館者10名以上)、65歳以上、学生は800円。※障害者手帳提示者、付き添い者1名まで無料。※年間パスポート3,000円。※会期は予告なく変更になる場合あり。■松本猛ギャラリートーク日時:5月14日(日) 14:00~14:30講師:松本猛(ちひろ美術館常任顧問)参加費:無料(入館料別)定員:15名申込:当日受付■ギャラリートーク日時:第1・第3土曜日 14:00~14:30参加費:無料(入館料別)定員:15名申込:当日受付【問い合わせ先】TEL:03-3995-0612
2023年02月09日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「芸能界を目指して16歳で上京した当時、リアルタイムで見ていたドラマが『東京ラブストーリー』(’91年・フジテレビ系)。“すれ違い” “切ない”という共通点から、『冬のソナタ』(’02年)などの韓流ドラマにハマるきっかけにもなった、私の“ドラマ史”の原点です」こう語るのは、タレントの穴井夕子さん(48)。大分県・湯布院の隣町で生まれ育ち、幼いころから芸能界への憧れを抱いていた。「テレビは『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)を欠かさず見ていて、松田聖子さんやテレサ・テンさんの曲、演歌などをマネして歌っていました。父が建設業を営んでいて、年末に自宅で忘年会をするのですが、私がカラオケで歌うと『うまい、うまい』とみんながほめてくれるんです。それがうれしくて、将来は歌手として活躍したいという気持ちがありました」ジャニーズも好きで、『仮面舞踏会』(’85年)から少年隊のファンになり、光GENJIへ。「とくにバンジー(山本淳一)のファン。小6か中1の夏休み、お祭りの屋台で“光GENJI全員の電話番号”が1万円で売っていました。何人かでも電話がつながって、ファンレターを送ることができれば満足だと思ってドキドキしながら電話をしたんですが、もちろん、すべて『この電話番号は現在使われておりません』(笑)。でも、私が芸能界のお仕事を始めてから、山本さんとテレビ局でお会いしたとき、たまたま夫(プロゴルファーの横田真一氏)と幼馴染みだったということもあって、山本さんのほうから電話番号を渡していただけたんです!『あのときの1万円が返ってきた』という気持ちです(笑)」中学生になったころから、オーディション情報誌『月刊デ☆ビュー』(オリコン・エンタテインメント)を購読。「どんなオーディションでも全身と顔の写真が必要なので、のりピーの追っかけをしていた姉の友達に撮影してもらって。それがすごく上手に撮れていたから、予選は通過することが多かったです」若手アイドルの登竜門ともいわれる「全日本国民的美少女コンテスト」では最終審査の10人に残り、「ロッテ CMアイドルはキミだ!」では2位の成績を収めた。「でも、グランプリとか賞を取るまでには至らなくて……。そんななか『デ☆ビュー』の編集長がレコード会社を紹介してくれて、レッスン生になることができました。高校入学を機に上京、姉とワンルームマンションで暮らすことに」東京に出てくればスターになれると意気揚々と新生活をスタートさせたものの、すぐにホームシックになってしまった。「今振り返ると、16歳は早かったのかもしれません。引っ越してきた初日から寂しくて、帰りたくて。実家に連絡するときも、家の電話だと泣いちゃって電話代がかさむから、近所の公衆電話からかけて、つらいことは話せませんでした」■将来の不安を忘れられた『東京ラブストーリー』上京して最初の夏、原宿を歩いていると、アイドルグループ・東京パフォーマンスドールのステージがあった。「お客さんは5人もいなかったのですが、篠原涼子ちゃんの存在感は抜群! ステージも素晴らしいと思いすっかり魅了されてしまいました。公演後にスタッフに呼び止められ、私も加入できることになったのですが……」当時の東京パフォーマンスドールはまだまだ売れないアイドルで、学校とレッスン場を往復する毎日。“このままずっと芸能界で活躍できないかも”という不安がつきまとっていた。「そんな不安を忘れられたのが、毎週楽しみだった『東京ラブストーリー』を見ているとき。なんとなく恋愛のことがわかるようになってきた年齢だったこともあって、すごく感情移入できました」物語は、赤名リカ(鈴木保奈美)と永尾完治(織田裕二)がひかれ合うも、すれ違いや思い違い、恋のライバルによる妨害によって、くっつきそうで離れてしまう展開が続いた。「だいたいドラマの中盤くらいから“これは今週も一波乱あって、2人の距離は縮まらないな”ってわかりながらも見入ってしまい、最後に“チャカチャーン”というイントロで始まる『ラブ・ストーリーは突然に』(’91年)が流れる。今でもあの曲を聴くたびに、切なさを思い出します。特に印象に残っているのが、映画館の前でリカがカンチを待っているのに、カンチに思いを寄せるさとみ(有森也実)が『行かないで』と引き止めて、結局、リカは夜まで一人で待ちぼうけになるシーン」煮え切らないカンチに腹を立てた人も多いはずだが、穴井さんの怒りの矛先はライバルの存在。「さとみちゃんがひどすぎです!リカが待っているのだから、カンチを行かせてあげてよって思うんですよ(笑)。まるで自分が失恋したかのように、胸が苦しくなるんです」今、穴井さんは大学生の息子や16歳の娘たちを見て、恋愛観の変化を感じているという。「LINEがあるから、カンチとリカのようなすれ違いの経験がなく、約束の時間に来ない恋人を夜中まで待ち続ける感覚は、理解できないのかもしれません。リカはカンチと別れて海外に行ってしまいますが、今ならFacebookで、遠く離れても何をしているのかがわかってしまう。『東京ラブストーリー』では、現代では味わえない恋愛の切なさが描かれていました」その後、穴井さんの仕事が徐々に増え始めるとドラマを見る時間も限られた。「だから、江口洋介さんのイメージも、女のコにモテる医大生の三上くんのまま。たまたま息子が江口さんのお子さんと同級生ということもあって、それを森高(千里)さんに話すと『そうなの~?』って笑われてしまいました」同作品は再放送があるたびに全話制覇していたため「今まで10回くらいは見ています」という。「リカとカンチが結婚して、子どもを7人くらい授かって、おじいちゃん、おばあちゃんになる……。本当はそんなハッピーエンドの続編が見たいんです」【PROFILE】穴井夕子’74年、大分県生まれ。’90年に篠原涼子も参加していた東京パフォーマンスドールのメンバーとしてデビュー。アイドル活動のかたわら多くのバラエティ番組でも活躍する。’00年にプロゴルファーの横田真一氏と結婚、現在は夫婦円満や子育てについての講演活動も行っている
2022年12月11日12月1日に会見を開き、東京都北区の区長選への出馬した元光GENJIの大沢樹生(53)。今年は男闘呼組が29年ぶりに復活したこともあり、デビュー35周年をむかえた光GENJIの復活も注目されている。そんななか本誌は、同じく光GENJIのメンバーだった赤坂晃(49)の近況をキャッチした。現在、赤坂は宮古島に移住し、焼き肉店を共同経営しているが、この11月に映画撮影に臨んだというのだ。彼の映画出演は95年公開の『極道の妻たち 赫い絆』以来、27年ぶりのこと。「11月20日から1週間ほど、大橋孝史監督が宮古島を舞台にした映画『ばんたが島』の撮影を行ったのです。大橋監督によれば、『環境問題や宮古方言を残していくことなど、いろんなテーマを盛り込んだヒューマンドラマ』とのことです。その作品に赤坂さんがゲスト出演したのです」(芸能プロダクション関係者)『ばんたが島』の主演は1千人のオーディションから選出された7歳の山田暖絆さんだが、MAXのNANA(46)やスリムクラブの真栄田賢(46)など、多くの沖縄県出身の有名人たちも出演している。それにしてもなぜ、東京都出身の赤坂まで出演することになったのか。「赤坂さんの宮古島での友人が、映画のプロデューサ―を務めているのです。大橋監督は当初から『できるだけ市民に参加してほしい』と、撮影現場にいる人々もエキストラとして出演させていく方針を表明していました。赤坂さんにも『宮古島を盛り上げるためにも、よかったら出演してください』というオファーがあり、快諾したそうです。BARのオーナー役を演じたとか。それどころか出演者やスタッフたちのために食事場所の手配など、裏方も買って出たと聞いています」(前出・芸能プロダクション関係者)映画は23年12月以降に全国公開を予定しているという。
2022年12月09日アイドルデュオ・KinKi Kidsが、2023年1月18日に46thシングル「The Story of Us」(初回盤A・B:1,650円、通常盤:1,210円)を発売することが6日、わかった。堂本光一と堂本剛が作曲を手掛けた同曲は、「#キンキ 25円で CM出演」キャンペーンのイメージソング。「高純度 romance」「Amazing Love」に続く、25周年記念第3弾シングルとなっており、「今この時代を共に闘い、共に新しいStoryを描いて行こう」というメッセージが込められた楽曲だ。また、25周年を記念し、初回盤Aは少年隊の「グッバイ・カウント・ダウン」、初回盤Bは光GENJIの「…。」をリアレンジバージョンで収録。そして、通常盤には新曲「Endless Promise」、「妙なMotion」の2曲が収められる。さらに、特典映像として初回盤Aには、大自然の中で全編撮影された「The Story of Us Music Video & Making」、初回盤Bには「The Story of Us」を作詩・作曲するKinKi Kidsにカメラが完全密着した「Documentary of Us ~The Story of Us が生まれる瞬間~」を収録する。
2022年12月06日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎日聴いていた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「かなりのアナログ人間で、スマホやパソコンで音楽をダウンロードする方法とかよくわからないんです(笑)。音楽配信サービスは便利そうだし、アプリが薦めてくれる曲も新しい発見があって楽しそうですが、自分でしっかり選んだ1枚を聴くという方法が身についてしまって……。だから、いまだに車の中ではCDで音楽を聴いています。研ナオコさんのベスト盤、松田聖子さんの名盤などを、そのときの気分で入れ替えているのですが、常にセットしているのが大黒摩季さんの曲。これがあれば、渋滞も怖くありません」こう語るのは、タレントの中山エミリさん(44)。小学生当時をこう振り返る。「小学校低学年のときは聖子ちゃん、明菜ちゃんが好きで、フワフワ、キラキラした衣装を見るのが好きでした。当時は歌番組も多くて、内容も斬新。『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)では、大きな円形のセットで、マッチが360度回転するバイクに乗りながら歌っていた演出に衝撃を受けました。新幹線の途中下車駅で歌って、また慌てて新幹線に乗り込むという場面など、歌だけでなくショー的な要素も楽しみの一つでした」小学校高学年になったころ大人気だったのが光GENJI。「光GENJIの影響でローラースケートが欲しいと親におねだりしたのですが、買ってもらえたのは、靴とローラーが一体型になったおしゃれなものではなく、ローラー部分を普通の靴の底にバンドで装着するタイプ。不安定ですぐに外れそうになるのですが、シャーシャーと音を鳴らしながら滑って遊んでいました。テレビをつければアイドルがとにかくたくさんいた時代。小・中学生時代はWinkファンも多かったですね」音楽を聴くのは好きだったが、年代的にレコードを買ったことはないという。「雑誌の付録についていた『宇宙刑事ギャバン』(’82~’83年・テレビ朝日系)のソノシートが、唯一の“レコード”。小6のときに初めて地元のディスカウントストア『ダイクマ』で買ったCDは、来日して話題になっていたマドンナの『ヴォーグ』(’90年)だったと思います。“洋楽を買っている自分”がカッコいいという気持ちもありました」中学に入ると、そのマドンナやマイケル・ジャクソンなど、相次ぐスターの来日コンサートを生で見るチャンスに恵まれた。「親戚がプラチナチケットを入手できたので『うん、じゃあ見に行く』という軽い感じ(笑)。今ならぜいたくなことだとわかりますが、当時はそのありがたみがわかっていませんでした。英語ができないから、マドンナが何を言っているのかもわからないし、歌詞の意味もまだ理解できない年齢。でも、やっぱり感動するし、ライブに魅せられました」■大黒摩季はウイットに富んだ視点や爽快感が魅力芸能プロダクションにスカウトされたのは、’93年、中学3年生のとき。修学旅行を控え、友人と髪をカットしに行ったときのできごとだった。「渋谷・宇田川町の交番前で芸能事務所の人に声をかけられて。アイドルのフリフリとした衣装に憧れはありましたが、歌やお芝居を勉強して芸能人になりたいなんていう強い思いはまったくありませんでした。それでも熱心に誘ってくれたんです。“失敗したら大学を目指せばいい”。まだ中学生だったからいくらでも軌道修正できると思って、飛び込みました」そんな人生の転機に知ったのが、大黒摩季だった。「初めて聴いた曲は、アニメ『SLAM DUNK』(’93~’96年・テレビ朝日系)のエンディング『あなただけ見つめてる』(’93年)。それから少し大人になって自分でCDが買えるようになると、リリースに合わせて新譜をチェックしたり、遡って過去の作品を買い求めたり。歌詞の意味がわかるようになり、ますます惹かれていきました。『夏が来る』(’94年)は、白馬に乗った王子様がいつか自分を迎えに来るなんて妄想していても、結局選ばれるのは、すぐに『え~、わかんな~い』とか言いそうな何もできないお嬢様という内容で、深く共感しました。ウイットに富んだ視点や、爽快感も魅力。誰かに依存するよりも、自分一人で強く生きる女性がイメージされる歌詞と力強い歌声が重なって、私の中では大黒摩季=カッコいい女性です。『ら・ら・ら』(’95年)も好きで、コロナ禍では自粛していたカラオケに行きたくなります」大黒摩季と同じくらい聴き込んでいたのは、槇原敬之だ。「やっぱり『どんなときも。』(’91年)からかな。言葉のチョイスが絶妙で、『冬がはじまるよ』(’91年)を聴くと、自然に雪の舞う冬の景色が浮かび上がるなど、神奈川生まれの私が知らなかった体験をした気分。それに何といっても、マッキーさんの声は独特で、とにかく癒されます」一方、『ヤングマガジン』の表紙グラビアから芸能の仕事を始めた中山さんは、『おれはO型・牡羊座』(’94年・日本テレビ系)でドラマデビュー。バラエティ番組の仕事も増えていった。「どこの仕事現場に行っても新しいことの連続で、目の前の仕事を一つ一つ、なんとか乗り越える毎日でした」中山さんの新人時代は、’80年代から始まったバブル経済がすでに弾けていたものの、テレビ業界はまだまだ元気で、“とにかく前に進もう”という勢いがあった。「まわりの勢いについていくことで必死。疲れたときは、まずはマッキーさんの曲に癒され、それから大黒摩季さんの曲でお尻をたたいてもらっていました。毎日必死だった’90年代に聴いていた曲を、今ではBGMとして特別じゃない雰囲気で聴いたりしています。こうした曲たちは、私のDNAにしっかり刻まれていて、おばさんになった今でも、元気づけてくれたり、テンションを上げてくれたりするんです」【PROFILE】中山エミリ’78年、神奈川県生まれ。’94年のドラマデビュー後、’96年には歌手としてもデビュー。バラエティ番組でも活躍し、’00年代には『速報!歌の大辞テン!!』など、多くの人気番組の司会も務めた。’10年にプロライフセーバーの飯沼誠司と結婚、’15年に長女を出産した
2022年10月23日プロジェクションマッピング&没入型レーザーイルミネーションを楽しめる光の祭典「トウキョウライツ 2022(TOKYO LIGHTS 2022)」が、2022年9月17日(土)から9月19日(月・祝)まで、明治神宮外苑 聖徳記念絵画館、及び明治神宮外苑総合球技場軟式球場にて開催される。プロジェクションマッピング&光のアートを楽しむ“光の祭典”2021年に続き開催される「トウキョウライツ」は、プロジェクションマッピングや光のアートなど、“光”を使った先進的なエンターテインメントを楽しめるイベント。世界各国のプロジェクションマッピングを歴史的建造物に投影目玉となる世界最大級のプロジェクションマッピング国際大会では、世界各国から集まるハイレベルなプロジェクションマッピング作品を一挙に紹介する。歴史的な建造物である「聖徳記念絵画館」に、19組による多彩なプロジェクションマッピングと、スペシャルゲストの作家2組による作品を投影。華やかで個性豊かな光の表現を、一度に楽しむことができる。“光の旅”気分を味わえる「光の祭典エリア」この他、まるで光の世界を旅するような気分を味わえる「光の祭典エリア」も用意。「光の祭典エリア」では、光や音楽を用いたデジタルサウンドアートと、リアルパフォーマンスを組み合わせた没入型のエンターテイメント空間が登場。「CIRCLE OF LIFE」をコンセプトに、陸海空の3つの世界を巡る光の旅を演出する。ネオンカラーに包まれ、デジタルサウンドアートと呼応してゆらぎ、きらめく光のアーチを抜けると、海の生き物を光で表現したレーザートンネルへ。特殊レーザーのファイバービームと映像演出を掛け合わせた“光の海”を楽しめる。また、自然を表現した“光の森”や、無限に広がる“光の空”も展開。光のオブジェやファイバービームに包まれた幻想的な“光の空”では、フードやドリンクを楽しみながら、プロジェクションマッピング国際大会のパブリックビューイングを観覧できるスペースも設置される。尚、「トウキョウライツ 2022-プロジェクションマッピング国際大会」のオフィシャルアンバサダーには歌舞伎俳優の尾上松也が就任。また、イベント最終日のプロジェクションマッピング国際大会・授賞式には、古坂大魔王がメインMCとして登壇する。【詳細】トウキョウライツ 2022(TOKYO LIGHTS 2022)-プロジェクションマッピング国際大会会場:明治神宮外苑 聖徳記念絵画館(東京都新宿区霞ヶ丘町1-1)、明治神宮外苑 総合球技場軟式球場開催日時:2022年9月17日(土)~9月19日(月・祝) 18:00 開場/21:00 閉場・9月17日~18日/国際大会(2回公演) 第1部 18:30~19:20 第2部 20:00~20:50・9月19日/国際大会(1回公演)・授賞式 19:00~20:50※光の祭典エリアは、全日程 18:00~20:50※入場の際は、チケット受付サイトにて事前にチケット(無料)予約が必要。公式サイト:■チケット詳細・国際大会観覧エリア+光の祭典エリア(1,800枚/回)・光の祭典エリア(5,000枚/日)※いずれも無料のQR コード付きオンラインチケット。入場時にスマートフォン等での提示が必要。チケット受付期間:・二次申込(先着) 9月2日(金) 17:00~※申込上限に達し次第、受付終了。【問い合わせ先】TOKYO LIGHTS 2022 事務局TEL:050-3612-6056
2022年09月08日《デビュー35周年を迎えましたたくさんの方からのお祝い感謝しています》光GENJIがデビュー35周年を迎えた8月19日、諸星和己(52)は赤坂晃(49)とともに記念イベントを開催。ブログでこのようにコメントした。「諸星さんと赤坂さんのイベントにはASKAさん(64)も見に来ていたそうですよ。『パラダイス銀河』や『ガラスの十代』などのヒット曲を手がけたASKAさんは、光GENJIにとっては恩人のような存在なのです」(音楽関係者)27年前、ローラースケートを脱ぎ、惜しまれながら解散した光GENJI。最近、ファンの間ではある期待が高まっている。「7月に光GENJIと同世代の男闘呼組が29年ぶりに再始動を果たしました。男闘呼組は岡本健一さん(53)以外がジャニーズ事務所を退所しており、再集結は不可能と思われていたので驚きでした」(テレビ局関係者)男闘呼組の復活について諸星は、7月29日にゲスト出演した『5時に夢中!』(TOKYO MX)で「涙が出てきましたよ」と言及。さらには自身の再結成について「もちろんやりたいですよ」ともコメントした。「光GENJIも内海光司さん(54)と佐藤アツヒロさん(49)以外はジャニーズを辞めていますが、男闘呼組の再集結を受け、ファンからは“次は光GENJIも!”との声が続々と上がっています」(前出・テレビ局関係者)実は5年前、30周年を機に再結成構想が持ち上がっていたという。キーパーソンとなっていたのがASKAだった。「30周年の記念に1年限定でライブツアーをやろうという計画だったそうです。ASKAさんはメンバーから新しく曲を作ってほしいと依頼を受けたと、ブログで明かしています」(前出・音楽関係者)結局は頓挫したものの、その際に作られた6曲が今でも未発表のままだという。ASKAはその幻の楽曲について、ブログでこう明かしている。《「大人になった『光GENJI』と、ファンたち」に、向けた曲でした》(’19年7月12日)ファンの期待は光GENJIも感じているはずだが……。「35周年の当日は山本淳一さん(50)もイベントを開催していましたし、佐藤寛之さん(51)はコロナ感染で延期になりましたが、9月に記念ライブを予定しています。内海さんとアツヒロさんは2人で10月からツアーをやるそうです。ですが、現実的には光GENJIの再結成はかなり難しいようです。諸星さんは『再結成できない原因は僕にある』と話していました」(音楽関係者)ASKAもファン同様、再結成を切望しているようだ。《区切りの年に拘る必要もないかな。今年がダメなら36周年をやればいい》(8月19日のブログ)“ガラスの50代”を見られる日は来るだろうかーー。
2022年09月01日紫外線など光によってエイジングを引き起こす「光老化」。名前は聞いたことはあっても、年齢を重ねて起こる自然老化と何が違うのか、症状に違いがあるのかなどよくわからない方も多くいます。光老化は、自然老化とは異なり、予防法も違うので、まずは実態を知ることが大切です。本記事では、光老化の概要、自然老化との違い、症状、予防法について詳しく解説します。光老化について出典:byBirth光老化とは、紫外線などの光が肌に到達して老化することを指します。ここでは「光老化の症状」と「通常の老化との違い」について解説します。光老化の症状地上に降り注ぐ紫外線は、UV-AとUV-Bに分けられ、それぞれ肌への影響が異なります。UV-AとUV-Bそれぞれの光が肌に引き起こす症状は次の通りです。UV-AUV-Aは、皮膚の奥の真皮や皮下組織まで届き、波長が長いのが特徴です。真皮にUV-Aが到達すると、コラーゲン、エラスチン、繊維芽細胞を破壊するため、肌の弾力が失われて、たるみや深いシワなどエイジングサインが表れるようになります。真皮の回復は約5年かかるといわれており、一度ダメージを受けてしまうと改善まで時間がかかってしまいます。できる限りUV-Aのダメージを受けないよう、日ごろから予防をしておくことが非常に大切です。UV-BUV-Bは、UV-Aよりも波長が短く、肌の表面の表皮に届きます。UV-Bが肌に到達すると、日焼けしてやけどのようにヒリヒリと痛みを感じます。日焼けをするとうるおいを失い肌が乾燥するので、バリア機能が低下し外的刺激に弱くなり、ターンオーバーが乱れてくすみが気になることも。また、表皮の基底層にあるメラノサイトを刺激してメラニンを放出させるため、シミ・そばかすの原因にもなります。上記では、肌に起こる光老化の症状について解説しました。一方、光老化はからだにもよくない影響を与えます。代表的な症状は、次の通りです。目の病気ドライアイ、白内障、加齢黄斑変性など。免疫力低下皮膚のDNAが傷ついてうまく機能しなくなって免疫力が低下します。皮膚がん紫外線が肌に蓄積するとがん抑制遺伝子に影響を与えて、光線角化症を起こし、やがてがん化します。自然老化と光老化の違い出典:byBirth自然老化と光老化では、少し症状が異なります。それぞれ肌に表れる症状は次の通りです。自然老化シワが細かい乾燥しやすい皮膚が薄くなるたるみが起こる光老化細かいシワと深く長いシワの両方ができるシミができる黄みがかった肌色になるひどく乾燥する皮膚が厚く、ごわつくハリがないたるみが起こるシワ、たるみなどのエイジングサインは、自然老化でも光老化でも表れます。しかし、自然老化による影響は2割程度で、8割が光老化といわれています。さらに、光老化はエイジングサインだけでなく、ひどい乾燥や皮膚のごわつきなども引き起こし、肌の調子を大きく崩すのが特徴的です。また、皮膚がんについても日光が当たる部位に発症するといわれています。からだの健康や健やかな肌を守るには、光老化を徹底して予防することが非常に重要です。光老化の予防法出典:byBirth光老化は、肌への悪影響が大きく怖いものですが、一方で光老化さえ予防すれば老化や皮膚がんを8割防ぐことができるともいえます。ここでは、光老化の予防法を3つ紹介します。紫外線対策を十分に行う出典:byBirth光老化を防ぐには、日ごろから紫外線に当たらないよう意識することが大切です。具体的な予防法は、次の通りです。日焼け止めクリームを塗る紫外線の強い時間帯(午前11時~13時)の外出を避ける外出時は、長袖、ストール、帽子、日傘、手袋などを着用して露出を少なくするサングラスをかけるなかでも、日焼け止めクリームを塗ることは大切です。朝のスキンケア時に毎日塗ることを、習慣化させましょう。日焼け止めクリームには、PAとSPFと表示されています。PAは「Protection Grade of UVA」の略で、UVAの防御効果を示しており、PAの後に続く「+」の数で強さが決まります。「+」から「++++」の4段階あります。一方、SPFは「Sun Protection Factor」の略で、UVBの防御効果を示しており、SPFの後に続く数字の大きさで強さが決まります。数値は1~50まであり、それ以上は「50+」と表記されています。5月はUV-Aの量がピークを迎えるためPA++++と表記のあるものを、8月はUV-Bの量がピークを迎えるためSPF50+と表記されているものを選ぶとよいでしょう。このように日焼け止めクリームは、季節、生活習慣、過ごし方によって適切なものを選ぶことが大切です。保湿ケアをする保湿ケアは、肌にうるおいを与えてバリア機能を高め、紫外線による光老化を予防することにつながります。とくに年齢を重ねると、肌の水分量と油分量が減るため乾燥しやすく、日に焼けやすくなるため保湿ケアを徹底しましょう。具体的には、化粧水、乳液、クリームの順に重ねていき、うるおい成分が蒸発しないよう保湿します。乾燥をひどく感じる際は、セラミド、ヒアルロン酸など高保湿成分入りの美容液を使ってもよいでしょう。毎日の保湿ケアで肌の調子を整え、紫外線に負けない肌作りをすることが大切です。光老化を予防する食事をとる光老化は、食事によって体の内面から予防することもできます。基本的には、栄養バランスのよい食事を心掛け、丈夫な肌づくりを目指しましょう。とくに、肌の細胞をつくる元となるたんぱく質は積極的に摂取することをおすすめします。また、ビタミン類も肌を美しく保つのに有効です。例えば、ビタミンCは抗酸化作用があり、紫外線を浴びると体内で発生する活性酸素を抑制し、メラニンの生成を抑える働きがあります。また、ビタミンAも、肌の新陳代謝を促し、紫外線によってダメージを受けた肌の回復を早めてくれる効果が期待できます。まとめ出典:byBirth光老化では、シミ・シワ・たるみなど肌にエイジングサインが表れます。また、ドライアイ・白内障・加齢黄斑変性などの目の病気、免疫力低下、皮膚がんなどからだにも悪い影響が起こります。シワ・たるみの原因の2割が自然老化で、8割が光老化です。さらに光老化は、乾燥や皮膚のごわつきなども引き起こし、肌の調子を大きく崩すのが特徴的です。また、皮膚がんの発生率も高いのが特徴です。光老化の予防法は「紫外線対策を十分に行う」「保湿ケアをする」「光老化を予防する食事をとる」ことの3つです。光老化の恐ろしさを理解し、予防を徹底して、年齢を重ねても若々しい肌を保てるようにしましょう。
2022年03月21日おやつやご飯が大好きなペットたち。おいしそうに食べている姿はかわいいですよね。柴犬のもち吉くんの飼い主(@mochikichiiii)さんは、愛犬の動画をTwitterに投稿しました。飼い主さんは動画に、このようなコメントを添えています。「もらえる物をもらったら、光の速さで去る柴犬」その動画を、早速ご覧ください!もらえるもんもらったら光の速さで去る柴犬 #柴犬 #白柴 #犬のいる暮らし #犬好きさんと繋がりたい #白柴もち吉くん pic.twitter.com/dBEc6DuI8K — 白柴もち吉 (@mochikichiiii) March 11, 2022 おやつをもらえるまでは大人しく座っている、もち吉くん。おやつをもらった瞬間、ものすごい勢いでその場を立ち去りました!まるで「もう大丈夫です!」といっているかのようで、笑ってしまいますね。もち吉くんの姿に、「予想以上に速い」と驚いた人は多いようです。・想像以上の速さで立ち去る…!笑ってしまいました。・「もう用はない!」といわんばかりの立ち去り方!・最後、瞬間移動したのかと思っちゃった。飼い主さんいわく、もち吉くんはいつも逃げ足が速いものの、この日は特に素早く立ち去ったとのことです。「もう少し落ち着いて、おやつを味わってもいいんじゃない?」と思ってしまいますね![文・構成/grape編集部]
2022年03月13日パナソニック株式会社は、自宅でムダ毛・美肌ケアができる「光美容器 光エステ<ボディ&フェイス用> ES-WP98」の新発売にあたり、20~30代の女性100名を対象とした『ウチナカ美容』に関する意識調査および新商品のモニター調査を実施した。コロナ禍でプライベートの『ウチナカ化』が進行!新型コロナウイルスの影響で、これまで外でやっていたことを家でおこなう『ウチナカ化』の動きが目立っている現在。今回の調査でも、「コロナ禍において『ウチナカ化』の動きが進んでいると思いますか?」と質問したところ、実に78%が「とてもそう思う」、22%が「ややそう思う」と答えた。さらに、「コロナ禍において、実際に『ウチナカ化』にあたる行動をした」という人も97%に。具体的には、「ジム通いをやめて、自宅でトレーニングをするようになった」(27歳)、「韓国語のレッスンをオンラインで受講するようになった」(26歳)、「女子会をお店に行かずにリモートでおこなうことが増えた」(22歳)などの回答がみられ、プライベートのさまざまなところで『ウチナカ化』が進んでいると言えそうだ。ムダ毛ケアにおいても、サロンと同様の技術の『ウチナカ化』を望む女性が9割超に!「ムダ毛」のケアについても、『ウチナカ化』の意向を持つ女性が多いようで、「ムダ毛ケアについて、サロンと同様の技術を『ウチナカ化』できれば良いと思う」という人が98%にのぼった。それでは、女性たちは、現在どのように自宅でのムダ毛ケアをおこなっているのだろうか。「普段、自宅でのムダ毛ケアはどのような方法でおこなっていますか?」と聞いたところ、「カミソリ」(62%)が最も多く、「電気シェーバー」(28%)、「光美容器」(4%)などを大きく上回った。一方で、最多回答の「カミソリ」については、「処理してもすぐに生えてくる」(89%)、「肌が傷つく、肌が痛い」(63%)、「仕上がりがキレイにならない」(55%)、「肌が荒れることがある」(52%)などの声も多く、現状の自宅での『ウチナカムダ毛ケア』にはたくさんの課題があると言えそうだ。カミソリや毛抜きでのケアは、刺激が強く肌トラブルにつながることも…美容皮膚科医の原かや先生によると、カミソリ等の刃があるツールでのケアは、処理のたびに皮膚表面に与える刺激が他の処理の方法よりも大きく、バリア機能が低下しがちになることで、肌が敏感になるそう。また、湿疹などの皮膚トラブルや、繰り返す刺激による色素沈着が生じることもあるという。毛抜きでの処理で最も多いトラブルは埋没毛。引き抜くときに皮膚が傷つくことで、毛穴がふさがり埋没毛が生じ、繰り返す刺激により、カミソリと同様のトラブルの可能性があるそうだ。ムダ毛ケアの『ウチナカ化』を実現! パナソニック「光美容器 光エステ ES-WP98」自宅での『ウチナカムダ毛ケア』に課題を感じている方にぴったりなのが、パナソニックが2022年3月に新発売した「光美容器 光エステ<ボディ&フェイス用> ES-WP98」。肌刺激カットフィルターをはじめとした、皮膚科専門医監修の肌にやさしい技術を搭載。ハイパワーなのに低刺激のため、初めての方にもおすすめだ。さらに、VIOゾーンがすべてお手入れできるほか、顔、ヒゲ、ワキ、胸、お腹、腕、手(指・手の甲)、脚など全身に使用可能。ご自身のペースでおうちにいながら全身をケアすることができる。モニター調査の結果、「光美容器 光エステES-WP98(以下、「光エステ」)」を使用した満足度は100%(モニター100人中、100人全員が「満足」と回答)という結果に。また、「自宅で使える『ウチナカ美容アイテム』としての満足度」、「ムダ毛ケアに関する満足度」についても、100人全員が「満足」と答えるほどの高評価となった。そろそろ素肌の露出が増える季節。自己流での『ウチナカムダ毛ケア』が上手くいかないと感じている人はぜひ試してみてほしい。【参考】※「光美容器 光エステ<ボディ&フェイス用> ES-WP98」サイト
2022年03月10日思い通りにいかないことがあると、頭を抱えたくなるもの。それは人間だけでなく、猫も同じようです。猫のみかんくんと暮らす、飼い主(31677653217aj)さんは、1本の動画をTikTokに投稿。動画には、光を追って遊んでいる、みかんくんの姿が映っているのですが…。@31677653217aj #ミヌエット #猫 #頭抱える#おすすめ #cat ♬ やめろや - すりっぱ「あれ!?捕まえたはずなのにな~?」捕らえたはずなのに動き続ける光を見て、みかんくんは頭を抱えています。人間のような動作に吹き出す人が続出。動画には、このようなコメントが相次ぎました。・思った以上に頭を抱えていた。・かわいくて、一瞬でにやけました。・捕れなくて「はにゃ?」ってなっていますね!・ちょっと悩むんだけど、本能に逆らえずにまた追うところがツボ。不思議に思いつつも楽しく遊ぶ、みかんくんなのでした![文・構成/grape編集部]
2021年12月24日ノンアセトン除光液で爪に優しくオフ出典:byBirth除光液はネイルポリッシュを楽しむためには欠かせない存在です。しかし、一般的に除光液には「アセトン」という成分が含まれています。アセトンが含まれていることによって、素早くマニキュアをオフすることができます。落ちが良いのでスピーディーにすっきりとオフが可能ですが、爪の油分を必要以上に落としてしまうので、乾燥に繋がってしまいやすくなります。そのため、除光液によって指元がガサガサになってしまったり、爪が白くなってしまうことがあります。健やかな爪をキープし、ネイルポリッシュを楽しみ続けるためにも、アセトンフリーの除光液で爪に優しくオフしましょう。アセトンフリーの除光液4選をチェック!爪への負担が少なく、優しくネイルポリッシュをオフできるアセトンフリーの除光液をご紹介します。sundaysソイポリッシュリムーバー120mL3,960円(税込) この投稿をInstagramで見る サンデイズ公式サイト(@sundays_japan)がシェアした投稿 sundaysから発売されている「ソイポリッシュリムーバー」は、マニキュアに含まれがちな10種類の化学物質をカットした、アセトンフリーの爪に優しいリムーバーです。大豆由来成分で作られており、ビタミンA、C、E とグレープフルーツ精油が爪に栄養と潤いを与えてくれます。爪を健やかに保ち、グレープフルーツの香りに癒されながら、爪に優しくネイルポリッシュをオフできるアイテムです。マニキュアを落とす際にありがちなギシギシ感がないため、使い心地にも定評があります。コットンに適量を含ませ、爪を包み込むようにしてオフします。爪にも環境にも優しい成分配合となっているので、アセトン入りの除光液と比較するとオフにはやや時間がかかりますが、週末にゆっくり爪を労わりながらオフしたい時におすすめです。爪の乾燥が気になっている人や、オフするだけではなく爪に栄養補給もしたい人に適しています。Kure BAZAARリムーバーH “ア・ラ・ローズ”250mL5,500円(税込) この投稿をInstagramで見る キュアバザー ジャパン(@kurebazaar_japan)がシェアした投稿 Kure BAZAARから発売されている「リムーバーH “ア・ラ・ローズ”」は、100%ナチュラル由来成分のアセトンフリーのリムーバーです。ローズシードオイルとローズウォーターが爪とキューティクルを保湿しながら、ネイルポリッシュを除去します。リムーバー特有のツンとした匂いがないので、ローズの柔らかな香りにリラックスしながらオフができます。爪にうるおいを与えながら穏やかな使い心地でオフできる、爪に優しいリムーバーです。nailmaticNM リムーバーオンザゴー30ml2,200円(税込) この投稿をInstagramで見る nailmatic japan(@nailmaticjapan_woman)がシェアした投稿 nailmaticから発売されている「NM リムーバーオンザゴー」は、アセトンフリーで植物由来成分配合のクリームタイプのリムーバーです。ダイズ油やダマスクバラ花油といった植物オイルが、爪にうるおいを与えて保湿ケアを行いながら、爪に優しくネイルポリッシュをオフします。除光液特有のツンとした刺激臭が無く、ミルキーローズの柔らかな香りにリフレッシュしながらネイルオフできます。ほんのりとした香りなので、場所を気にせずオフすることが可能です。30mlサイズで持ち運びに便利なチューブタイプとなっているので、ポーチやカバンにも入れやすいといった特徴があります。爪を保湿しながら、簡単にクリームでネイルオフしたい人に適しています。無印商品除光液100ml490円(税込)出典:byBirth無印商品から発売されている除光液は、天然オレンジ油配合のリムーバーです。爪に負担が少ないアセトンフリーでありながら、ワンコインで購入できるプチプラ価格です。除光液にありがちなツンとした匂いがなく、オレンジの爽やかな香りに癒されながらネイルオフが可能です。アセトンフリーでも、軽い力でするんと落ちます。特にワンカラーのネイルポリッシュはよりスピーディーに落ちやすく、ラメがたっぷりと入ったネイルでも、きちんとコットンで数秒置けばスルンと簡単に落ちます。しっかりと簡単に落とせてキツイ香りも無く低価格で、コストパフォーマンスが高い除光液となっています。アセトンフリーの除光液で健やかな爪をキープアセトンを含む除光液は、スピーディーに落ちるといったメリットがありますが、使用を繰り返すと乾燥や爪の荒れの原因となってしまいます。頻繁にネイルポリッシュを使用する際には、アセトンフリーの除光液を一本所持しておくと便利です。アセトンフリーの除光液で健やかな爪をキープしましょう。
2021年12月11日エンタテインメントの高みを求めてアメリカに渡った「初代ジャニーズ」4名の奮闘と成長を描き、A.B.C-Zが演出・主演する舞台『ジャニーズ伝説』が2021年12月7日(火)、開幕した。13年の初演から再演を重ねてきた本作だが、今回初めて帝国劇場にて上演される。今回、A.B.C-Zは主演に加えて初めて演出も担当。少年野球のメンバーが歌う『At The Washington Heights』をラップでアレンジしたり、渡米後に出会うバリー・デヴォーゾンの登場シーンに新曲を盛り込んだりと、演出をブラッシュアップ。また、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のためアクロバットを中止していたが、今回は大車輪を使った大技「5STAR」を復活させた。佐藤アツヒロが特別出演して光GENJIの曲を披露するなどしたほか、7 MEN 侍・Jr.SP・少年忍者といったフレッシュな面々も登場。ジャニーズの歴代グループ名が盛り込まれた『We’reジャニーズ』も2021年版としてアップデートされ、最新デビューグループ「なにわ男子」までが歌詞に盛り込まれているなど、ジャニーズファンにはたまらない公演に仕上がっている。初日を前にした7日、ゲネプロ(総通し舞台稽古)後に記者会見が行われ、A.B.C-Zの橋本良亮、戸塚祥太、河合郁人、五関晃一、塚田僚一、7 MEN 侍の中村嶺亜、菅田琳寧、本髙克樹、佐々木大光、今野大輝、矢花黎、そして特別出演の佐藤アツヒロが登壇した。初日会見より、(前列左から)五関晃一、戸塚祥太、橋本良亮、河合郁人、塚田僚一、佐藤アツヒロ /(後列左から)今野大輝、佐々木大光、菅田琳寧、中村嶺亜、本高克樹、矢花黎――まずは初日を迎えての意気込みをお願いします。五関:めちゃくちゃ意気込んでおります!とにかく、全力を出し尽くしたいなという気持ちですね。帝国劇場で『ジャニーズ伝説』をやらせていただけるので、全力で頑張りたいと思います。戸塚:ジャニー(喜多川)さんの作品は、非現実的なものだったり、ファンタジーな世界観だったりする中で、この『ジャニーズ伝説』は超リアルな方向に振り切った作品。違う味を楽しんでいただけたらと思います。橋本:帝国劇場に立つのは何年かぶりですが、劇場に入っても「懐かしい」という意識はなくて、やってやろうという気持ちになりました。あと、楽屋は五関くんと一緒なんですけど、(堂本)光一くんとかタッキー(※滝沢秀明)が使っていた座長部屋をゲットしました!五関:だから今回は俺と良亮が座長だよね(笑)河合:ゲネプロを無事に終えて思ったことが、「ジャニーズっていいな」と感じました。今回、ショータイムの曲は全て僕が選ばせていただいたんですけど、ちょっとマニアックすぎたかなと心配です。ファンの方、劇場に来てくださったお客様にどう感じていただけるか楽しみです。――(河合はジャニーズのモノマネが得意だが)今回モノマネは......?河合:してない、してない。なるべくモノマネできないように、がっつり踊っています(笑)塚田:バラエティとアイドル業分けてね!(笑)。今はA.B.C-Zですが、(Jr.時代の)A.B.Cの時にも『SHOCK』や滝沢くんの舞台、『DREAM BOYS』などを経験させてもらって、帝国劇場はたくさん思い出の詰まった場所です。そこで座長としてやらせてもらえることに感謝の気持ちです。そして、僕たちも先輩の背中を追ってここまで来たので、後輩たちにも「この舞台に立ててよかったな」と思ってもらえるように、チーム一丸となって頑張りたいと思います。佐藤:ジャニーズの歴史の始まりを知る舞台に、自分が出演できることが嬉しいです。稽古の段階から見てきて、点と点が繋がって、また進んでいくんだなという歴史と未来を感じる時間でしたね。千秋楽まで自分ができることを精一杯やっていきたいと思います。――光GENJIの曲を披露しました。佐藤:楽曲に関してはA.B.C-Zさんに決めてもらったんですが、『ガラスの十代』の間奏とサビは当時の振りで踊りたいと言って、採用していただきました(笑)。気持ちよかったです。矢花黎:僕は家族とチケットを買って『ジャニーズ伝説』を3回観にきたことがあるんです。ジャニーズの舞台の中で一番観たことのある作品に、ついに自分も立てるのがすごく嬉しくて、初日が開くのを楽しみにしていたので、千秋楽まで頑張りたいと思っています!――今回もご家族はご覧になられるのですか?矢花:そうですね。壮大な授業参観みたいな感じです(笑)。本髙:改めてたくさんの先輩たちのおかげで我々「7 MEN 侍」というグループがいるんだと実感しましたし、グループ名が改めて好きになりました。ただ、グループ名に数字・ローマ字・漢字が入っていてスマホ入力が大変めんどくさいんですけど、その時間すら愛おしいと思っていただけるようなグループになれたらなと思います。中村:僕らは今回、お客さんの視点でジャニーズの軌跡を体験する、すごく大事な役を任せていただいています。特にラストで戸塚くん演じるジャニーさんと7 MEN 侍がお話するシーンが僕は大好きで。今、CDデビューやその先の輝く夢を追いかけている僕らの背中を、天国で見守ってくれるジャニーさんが押してくれているような気持ちになります。すべての大切なシーンを心を込めて演じていけたらと思います。菅田:私はジャニーズ好きとして、『ジャニーズ伝説』でジャニーズの歴史を振り返られるのがとても楽しくて。7 MEN 侍のバンドもバーンと見せることができて、私はアクロバットも見せることができて。河合:すごい、一人称が「わたくし」(笑)。戸塚:琳寧、こういうとこではちゃんと「私」っていうんだね(笑)。菅田:俺らバンドやってるということとか、いろんなものを見せられるので、全力で頑張りたいと思います!佐々木:僕はジャニーさんとこの作品を見学したことがあるんです。その後もジャニーさんが『ジャニーズ伝説』の資料を「見たほうがいいよ」と渡してくれるくらい愛していた作品。その舞台に僕も立っていることを、ジャニーさんが喜んでくれていたら嬉しいなと思います。千秋楽まで怪我しないで頑張りたいと思います。今野:『ジャニーズ伝説』は、芝居やショータイム、本当にたくさんのものが詰まった舞台になっていますので、精一杯頑張りたいと思います!――ジャニーさんが見ていたら、どんな言葉をかけてくれると思いますか?橋本:以前「僕はyouたちのファンだよ」と言ってくださって。その言葉があるだけで自信につながりますし、安心してステージに立てます。河合:それ以上の言葉を思ってくれているなら、「最高だよ」も嬉しいですけど、「進化したね」とか「パワーアップしたね」と言ってもらいたいですね。橋本:一生のお守りです、あの言葉は。公演は12月21日(火)まで。取材・文・撮影:五月女菜穂
2021年12月08日11月1日をもって解散することを発表している人気アイドルグループ・V6が15日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演した。グループとして同番組に出演するのはこれが最後となった。この日の放送には、11月12日にCDデビューを控える後輩グループ・なにわ男子も出演。デビュー曲の『初心LOVE』をテレビ初披露した。マイナビニュースによると、なにわ男子のリーダー・大橋和也(24)はV6に向けてこのようにメッセージを送った。「V6さんがジャニーズで作ってきた道でたくさんの人が喜んだり、幸せになったりしてきたと思います。僕らもそういう道をたどっていけたらなと思います。V6さん、本当におつかれさまでした!」V6の井ノ原快彦(45)も「僕らの後はなにわ男子に任せてますので」「頑張ってね」とエール。なにわ男子は「はい!」「頑張ります!」と力強く答えた。V6の解散直後にデビューする新星・なにわ男子。世代交代を感じさせたが、実はかつてV6も、今回のなにわ男子のように先輩グループからバトンを受け取ってデビューした。遡ること26年前の9月4日。六本木のディスコ・ヴェルファーレでデビュー記者発表を行ったV6。このとき、長野博(49)は「光GENJIのように一世を風靡し新しい時代を作っていきたい」と所信表明していた。というのもこの前日、9月3日にはV6の先輩グループ・光GENJIが名古屋市総合体育館・レインボーホール(現:日本ガイシホール)にてコンサートを行い、惜しまれながら解散したのだ。デビューが内定していたV6は、8月に光GENJIのこの解散前最後のコンサートツアーを全員で見学していたとか。今回のV6となにわ男子の共演で、1995年の光GENJIの解散・V6のデビューを思い出したファンも多かったようだ。《V6が解散してなにわがデビューするんだねぇ。でもそんなV6も光GENJIが解散してからのデビューだもんな…そうやってこれからも事務所が続いていくんだよね…》《光GENJIからV6へV6からなにわ男子へあーエモいなんて言葉では足らない》《ブイさんはコンサートで幕を閉じた光GENJIの姿を見てたんだもんなぁとなんか浸る》昭和ジャニーズの最後を飾った光GENJIと入れ替わるようにデビューし、平成を彩ったV6。なにわ男子へと令和を託し、間も無く有終の美を迎える――。
2021年10月16日パコ ラバンヌ(Paco Rabanne)の2021年秋冬コレクションが発表された。艶やかなる“光”の饗宴光が散乱し、煌めきがほとばしる饗宴──“喜び”の探求を試みようとした今季のパコ ラバンヌは、艶やかなファブリックが織りなす優美なシルエットを基調に、きらびやかな装飾をふんだんに散りばめる。艶やかな素材感ときらびやかな装飾ぬらりと光沢を放つドレスは、身体に張り付くようにしなやかであり、ほどよくボリュームを持たせたスリーブが艶やかなドレープをかたち作る。多彩なジェムを織り交ぜたメタリックな装飾も、袖や裾などにあしらわれ、テキスタイルにのせたスネーク柄と交わりつつラグジュアリーな気分を高めている。眩いばかりに煌めきを放つ装飾は単にドレスなどを飾るのみならず、それ自体アクセサリーである以上に、いわばウェアすらを構築している。パールやストーンをふんだんに散りばめ、多彩な形と流麗な曲線を描くメタルパーツを執拗なまでに組み合わせたトップス風の装飾は、ほとんど退廃的なまでな高貴さを漂わせる。身体のラインを艶やかに引き立てる身体のシルエットは力強く肯定されているようだ。艶やかなシルエットを描くドレスはもちろんのこと、ベルベットのカーディガンは、タイトなサイズ感で仕上げられた。フロントに緻密に並んだボタンはいぶし銀のように鈍い光沢を放つとともに、控えめなギャザーを寄せ、その表情はエレガントだ。首元や袖先から覗くブラウスのフリルも、クラシカルなムードを引き立てている。重厚なコートにはフェイクファーをあしらって波打つようなフリルや刺繍をあしらったブラウスやワンピースにも見るように、テイストは甘く優雅で、クラシカル。他方で、ツイードやチェック柄のミディコートは、ボックスシルエットで重厚な雰囲気を漂わせつつも、大胆なフェイクファーでラグジュアリーなアクセントと色彩を加えた。
2021年03月15日「舞台を始めた当初は、この先仕事がどうつながっていくのかわからなかったけど、一つ一つその役を頑張っていました。だから、役を上手に演じられたかどうかの評価がもらえるのは次の仕事が決まったときだと思っていて、それは初舞台を踏んでからずっとそう。“この役がきたってことは、あの舞台が評価されたのかな”って、ようやく安堵できるんです」そう舞台人生を振り返ったのは、光GENJIのメンバーとしてデビューし、現在は俳優として舞台を中心に活躍している佐藤アツヒロ(47)。今年第一弾となる舞台は、音楽劇『プラネタリウムのふたご』(2月6〜7日、東京芸術劇場プレイハウスにてプレビュー公演を開催。〈大阪〉2月13〜14日、梅田芸術劇場メインホールにて公演。〈東京〉2月19〜23日、日本青年館ホールにて公演)。佐藤が演じるのは、星の見えない村にあるプラネタリウムの語り部だ。舞台の稽古を“学校”にたとえ、新作に臨むときの心境を語る。「毎日決まった場所に行き、時間も規則的。新学期のクラス替えのときにドキドキしたように、稽古初日は“今回のクラスはこれか!”ってワクワクするんです(笑)」また、稽古前に役を作り込まないことを心がけているという。「セリフは覚えますが、“決めていかない”ようにしています。演出家に違うものを求められたとき、作ってきたものが崩せなくて苦労することもあるし、何より自分で作ったものを自分で壊せる人じゃないとダメなんですよ。それを教えてくれたのはジャニーさんです。ほかにもたくさんありますけど」ジャニーズに話題がおよぶと、いっそう言葉に熱がこもる。「ジャニーズって、歌手、俳優、バラエティタレント、という決まった肩書がないんです。みんなが自分に合うジャンルで頑張って、一人一人が唯一無二の存在になれる。それって強みだと思います。たとえば僕自身、“舞台人”だとかこだわっていないからこそ、昨年末のクリスマスイベントで内海(光司)くんとまたローラースケートを披露したし。何者でもないからできるんです」「女性自身」2021年2月2日号 掲載
2021年01月25日「僕自身、自分が20年も舞台を続けてきたなんて信じられない。人の舞台を見ていると、“そんなにセリフを覚えられてすごい!”って思うんですけど、自分もそれができているんだと思うと、いまだに不思議ですね(笑)」そう語るのは、光GENJIのメンバーとしてデビューし、現在は俳優として舞台を中心に活躍している佐藤アツヒロ(47)。舞台人生を振り返った。「舞台を始めた当初は、この先仕事がどうつながっていくのかわからなかったけど、一つ一つその役を頑張っていました。だから、役を上手に演じられたかどうかの評価がもらえるのは次の仕事が決まったときだと思っていて、それは初舞台を踏んでからずっとそう。“この役がきたってことは、あの舞台が評価されたのかな”って、ようやく安堵できるんです」今年第一弾となる舞台は、音楽劇『プラネタリウムのふたご』(2月6〜7日、東京芸術劇場プレイハウスにてプレビュー公演を開催。〈大阪〉2月13〜14日、梅田芸術劇場メインホールにて公演。〈東京〉2月19〜23日、日本青年館ホールにて公演)。佐藤が演じるのは、星の見えない村にあるプラネタリウムの語り部だ。「乙女座のA型だからか、素直に“星座が好き!”って恥ずかしがらずに言えちゃう(笑)。自然が好きで、空を見るのが好きで、プラネタリウムにも何度か行ったことがあって、そこは役に近いと思っています」「女性自身」2021年2月2日号 掲載
2021年01月25日【音楽通信】第50回目に登場するのは、日本語で鳴らすエモーショナルなサウンドが世代を超えて支持されているロックバンド、ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)!取材、文・かわむらあみり【音楽通信】vol.50アジカンはひとつの人格みたいなもの写真左から、山田貴洋(B、Vo)、喜多建介(G、Vo)、後藤正文(Vo、G)、伊地知潔(Dr)。1996年、大学時代に後藤正文さん、喜多建介さん、山田貴洋さん、伊地知潔さんにより、通称“アジカン”ことASIAN KUNG-FU GENERATIONを結成。2003年には、インディーズ時代に発表したミニアルバム『崩壊アンプリファー』のリイシューでメジャーデビューしました。同年から、ライブハウスの新宿LOFTでフェス「NANO-MUGEN FES.」を立ち上げ、2004年からは海外アーティストも加わり、日本武道館、横浜アリーナと会場の規模を拡大し、その他たくさんのステージでも多くのロックファンを魅了し続けています。そんなアジカンが、2020年10月7日、両A面シングル「ダイアローグ / 触れたい 確かめたい」をリリースするということで、バンドを代表してボーカル&ギターの後藤正文さんにお話をうかがいました。ーー後藤さんの音楽的なルーツから知りたいのですが、初めて買ったCDから教えていただけますか。中学1年生ぐらいのときに、THE BLUE HEARTSのCDを初めて買いました。それまではテレビや親の影響から音楽を聴くことのほうが多かったんです。でもそれ以前、小学生の頃だと、少年隊や光GENJIが好きでしたね。ーーそれは意外ですね。少年隊と光GENJIは、子ども心に、「曲がいい!」と思っていたんです。ーーすでに小学生の頃から、曲の良さを聴き分けることを無意識のうちにしていたんですね。だと思います。調べたら、光GENJIはCHAGE and ASKAさんだったり、少年隊は筒美京平さんだったり、名だたる作家の方が曲を担当していて。当時は小学生ながら、何か他とは違って聴こえたんですよね。ーーでは実際に、ご自身で曲を作ろうと思われたきっかけはなんだったんでしょうか。中学生の頃にUNICORNに憧れて、(ボーカル&ギターの)奥田民生さんがすごく好きで、民生さんの影響でギターを買って弾いてみたんですが、難しかったんです。UNICORNは、非常に複雑な音楽なんですよね。だから、指が痛くてギターをすぐやめて、そのあとだいぶ時間が進んで高校を卒業したあとに、イギリスの音楽に憧れるようになって。(イギリスのロックバンドの)オアシスに憧れてギターを再び買いに行って、そこからですね、自分で曲を作ろう、音楽をやろうと思ったのは。ーー人の作った音楽よりも、やはり自分の曲のほうが気持ちが入るものですか。そうですね。最初の頃、オアシスのコピーを自分で部屋でやってみたんですが、どうやっても彼らみたいにカッコよくできないんですよ。本人が歌うのがいちばんかっこいいなと思って。バンドを組むんだったら、自分で曲を作りたいなって、楽器を買ったときに思いました。コピーしても、本人たちを超えられないから。いまは人が作った曲でも、気持ちを込めることができますが、若い頃は「自分が作ったものこそが、感情移入できるものだ」と信じていました。アジカンのフロントマン、後藤正文(Vo、G)。Gotch名義でソロ活動も。ーー1996年にASIAN KUNG-FU GENERATIONを結成されて、2021年には結成25周年を迎えます。結成時から現在まで、アジカンはどのように変化されましたか。振り返るとあっという間でしたが、さまざまな時期を経て、いまがあるという感じがします。若い頃はエゴが強い時期もありましたが、アーティストとしてやりたいことがあるなかで、大人になってくると協調性が生まれてくるというか(笑)。とくに僕はフロントマンで、いろいろとワガママを通すことも多かった。そのあたりは、歳を取りながら、上手にメンバーが傷つかないやり方を覚えてきましたね。ーーそんななかで、後藤さん主催のインディーズレーベル「only in dreams」を立ち上げ、今年3月には後藤さんがGotch名義で活動されているシングル「Nothing But Love」も発表されましたね。バンドとソロとでは、ご自身のなかでどのようなスタンスの違いがありますか。バンドは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONという、ひとつの人格みたいなものがあると思っていて。バンドの回路というか、仕組みに曲を通すと、どうしてもASIAN KUNG-FU GENERATIONの音になってしまうんです。25年もやっているので、強烈な個性というのがあって、どうやったってバンドの音になる。そこでできること、できないこと。やってしまうと増幅されることと、スポイルされることとの両方があります。なので、そのバランスを考えると、僕もいい大人なのでこれだけ生きていると、また別の新しい仲間にも巡り会うこともあって。世の中にはいろいろと魅力的なミュージシャンがいるので、そういう人たちとも音楽を作っていきたいという気持ちも出てくるんです。だから、僕のなかでは「ソロはバンドと器の違うもの」として、分かれているんですよね。ーーたとえばファンの方からすると、バンドとソロとでは反応が違いますか。聴かれ方としては、ゼロがふたつぐらい違いますね。アジカンが100万回聴かれるとしたら、僕のソロは1万回ぐらいしか聴かれないぐらい差があります。端的に、海外まで音楽が届いているのかという背景もあると思うんですけれども。ファンの人としては、僕のソロが売れると、僕が「アジカンを辞めるんじゃないかな」という思いがあるのかもと言う人もいて、素直に応援できない気持ちもわからなくはないですよね。ソロが原因でバンドをやめはしないですが、僕の好きなバンドのフロントマンがソロに熱中すると、「バンドもやってくれよ」って思う気持ちはわかるんです。(イギリスのロックバンドの)レディオヘッドのフロントマンのトム・ヨークしかり。(アメリカのロックバンドの)ウィーザーのリヴァース・クオモしかり。そういうのは昔からあるので、あまり気にはしていないです。憧れの地、ロンドンでレコーディングした新曲ーー10月7日に、両A面シングル「ダイアローグ / 触れたい 確かめたい」をリリースされますが、ロンドンでレコーディングされたのですね。ロンドンの中心部にあるスタジオを借りることができました。ちょうどヨーロッパツアーを行なっていて、ロンドン公演とパリ公演の間の2日間で、レコーディングしたんです。それまで、アメリカではニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスでレコーディングしたことはあったんですが、ロンドンではなかなかスタジオに入る機会がなくて。ロンドンは、僕らの世代にとっては、憧れの地。とくに90年代のイギリスのロックはとてもかっこよかったので、そういうものに憧れたからこそいまがある。この歳になって、やっとスタジオに入ることができました。ロンドンでレコーディングするために、今回のシングルの曲は日本で作って、ある程度整理してから行ったんです。ーー日本で録るのとロンドンで録るのとでは、やはり気分は違いましたか。はい、これはanan読者には全然引っかからない話なんですが(笑)、電圧が高いという良さがあって。電圧なんか知るかよという話だと思うんですが、電気のエネルギー、電圧がロンドンはすごく大きいんです(笑)。240ボルトぐらいあって、日本は100ボルトなので、ロンドンだと機械もいきいきと動くというわけですね(笑)。ーーなるほどです(笑)。あとは歴史的な街でもありますから、スタジオで働く人だったり、スタジオの文化だったり、名残だったり、いまも続いているんですが伝統が染みついている。僕たちも作業すると、その伝統に触れられるというか。すてきな機材だったり、働き方だったり含め、他のメンバーも、自分たちの好きな音楽が生まれた街ということでテンションも上がるでしょうし、音がいいということで喜ぶメンバーも。街並みもすてきですからね、見たこともない、住んだこともない場所で、気分が違いますよね。ーー「触れたい 確かめたい」は、羊文学の塩塚モエカさんがゲストボーカルで参加しています。後藤さんと塩塚さんが掛け合う歌声が絶妙ですが、もともとゲストボーカルを呼ぶ前提で曲作りをされていたのですか。作っている段階から、デュエットになったらいいなというイメージはありました。ゲストボーカルは、いろいろなバンドの音を聴きながら考えていて。雰囲気的にも、イメージ的にも、羊文学もかっこいいバンドなので合うんじゃないかなと、彼女を選びました。ーー実際、デュエットされていかがでしたか。歌は上手でしたね、何テイクも歌わなくて大丈夫というか。若い人たちは、僕らの世代よりも、やっぱり上手ですね。ーー配信では、両A面の2曲のみとなり、CDでは3曲目「ネクスト」が収録されています。後藤さんが作詞を、ベースの山田さんが作曲をご担当し、リモート環境下で制作されたそうですね。コロナの自粛期間中に、初めてリモートで作ったんです。他のメンバーは3人で練習していたみたいですが、その場でアレンジして、コロナ禍で会えなくなってそれぞれが家で自分のパートを録音して、僕のもとに送ってもらいました。僕は自分のプライベートスタジオを持っているので、そこでミックス、最後まで作業ができるので、仕上げます。ーー今後リモートで制作することは増えていくんでしょうか。どうなんでしょうかねえ。でも基本的に、ヒップホップのミュージシャンやダンスミュージックの場合、自宅に近い作業スペースで完結するようにできているんですよね。ロックバンドだけ、どうしてもドラムを家で録ると大変なことになるので、スタジオで録るというだけの話なんです(笑)。ただ、ドラムって、それをよく録るためだけにわざわざロンドンに行くんですよ。なので、そこは文化として、僕らが守りたい気持ちがあります。ASIAN KUNG-FU GENERATIONとしては、リモートが向いているバンドだとはあんまり思わないから。ーーコロナ禍というと、恒例のライブツアーシリーズ「酔杯」が、約5年ぶりに今年5月から「酔杯2 ~The Song of Apple~」として開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、10月からの開催に延期になりましたね。今年は、ツアーもフェスもなかなか厳しい。みんな中止や延期になったり、大変です。配信ライブもいいのですが、観客の前で演奏する喜びのほうが強いですね。いちばんはやっぱり、コロナの問題が解決して、徐々にコンサートの現場が元どおりになっていくことを願うしかないです。ーー今回も中村佑介さんのイラストで描かれたジャケットのアートワークもすてきです。完全生産限定盤には、ジャケットのイラストTシャツが付いていますね。コロナの影響で、今年はリリースする作品自体も減っていますし、レコードショップは人が来ない状況が続いているなかで、何か売るものがないと困ると思うんですよね。みんなこれまではツアーをすることと、音源を売ることが連動していた時代なので、ツアーが延期になると僕らも4月からのリリースを見送ってこの10月になっていて、同じようなことをいろいろな現場でやっていると思うんです。だから、最初は配信だけにしようかと思っていたんですが、でもレコードショップやCDショップに売る物があるというのは、いまのこういう状況だと意味があると思ったんです。どうせ音源を出すなら、僕らはいろいろなことを考えて、今回のようなかたちでリリースしました。すてきな音楽を作れるような人間になりたいーーコロナ禍の現在、後藤さんはおうちでどのようにお過ごしですか。外食もできなくなって、買い物ぐらいしか行けなくなりました。家では、自粛期間はとくに自炊にハマりましたね。よく釜飯を焚いていました。うちのドラムで料理研究家の(伊地知)潔のように上手にとはいかないですが、外食ばっかりだとどうしようもないので、自炊していましたね。ーーでは音楽活動以外での、ご趣味は。音楽以外、ほとんど無趣味なんですが、読書はしますね。好きな作家はたくさんいますが、古川日出男さんは全作持っていますし、町田康さんも好きです。でもコロナのなかで、柴崎友香さんの新刊『百年と一日』(筑摩書房)は技術的な面で飛び抜けてすごいなと、驚いてしまいましたね。ものすごい小説でした。あとは、せっかく休みがいっぱいできたから映画を観に行きたかったんですが、映画館もやっていなくて。常日頃、映画館に行けないんですよ、2時間ほど拘束されるというのが難しいから。音楽を聴きながら映画を観れないし、音楽を作りながら映画を観れないじゃないですか。僕らの仕事って、拘束されると、耳も目もふさがってしまう仕事ですし、夜中も考えごとをすることもあって。だから映画館に行くなら、そのとき調べていちばんいいと思える映画を観るという感じですね。ーーでは最後に、今後の抱負を教えてください。独立した、かっこいい大人になっていきたいですね。たとえば、YMOのお三方は集まってもすごいですが、それぞれに素晴らしいじゃないですか。そういうお手本があるので、アジカンとしても頑張りたいですし、アジカンを離れてもひとりのミュージシャンとして、すてきな音楽を作れるような人間になりたいと思っています。取材後記ASIAN KUNG-FU GENERATIONのフロントマンとして、ソロアーティストとして、インディーズレーベルの主宰者としてなど、多彩な顔を持つ後藤正文さん。デビュー当時からアジカンのライブを拝見していますが、後藤さんが放つ世界観はこれからも多くのロックファンを惹きつけていくはずです。そんな後藤さんをはじめとする、アジカンのみなさんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。ASIAN KUNG-FU GENERATION PROFILE1996年、大学時代にバンド結成。後藤正文(Vo、G)、喜多建介(G、Vo)、山田貴洋(B、Vo)、伊地知潔(Dr)による4人組ロックバンド。2003年、インディーズ時代に発表したミニアルバム『崩壊アンプリファー』のリイシューでメジャーデビュー。同年、新宿LOFTより「NANO-MUGEN FES.」を立ち上げ、2004年からは海外アーティストも加わり、日本武道館、横浜アリーナと会場の規模を拡大。2016年、バンド結成20周年イヤーを迎え、自信最大のヒット作「ソルファ」の再レコーディング盤をリリースするなど話題を集めた。2018年、ベストアルバム第2弾となる『BEST HIT AKG 2(2012-2018)』および、Official Bootlegと位置づけた裏ベストといえる2枚のアルバム『HONE』盤と『IMO』盤をリリースし、6月からは全22公演の全国ツアーを開催。12月、オリジナルアルバム『ホームタウン』をリリース。2020年8月、『NANA-IRO ELECTRIC TOUR 2019』を発売。10月7日、両A面シングル「ダイアローグ / 触れたい 確かめたい」をリリースする。InformationNew Release「ダイアローグ / 触れたい 確かめたい」(収録曲)01. ダイアローグ02. 触れたい 確かめたい03. ネクスト2020年10月7日発売*配信は2曲目まで収録。3曲目はCDのみ収録。(通常盤)KSCL-3264(CD)¥1,200(税別)(完全生産限定盤A)KSCL-3260 〜 KSCL-3261(CD+Tシャツ)¥3,500(税別)(完全生産限定盤B)KSCL-3262 〜 KSCL-3263(CD+Tシャツ)¥3,500(税別)
2020年10月07日青森・弘前公園を舞台にした光のアートイベント「弘前城×ネイキッド 光の桜紅葉」が、2020年9月18日(金)から11月8日(日)までの指定曜日に開催される。弘前公園を舞台にしたネイキッドによる光の紅葉アートイベント毎年、春の「さくらまつり」、秋の「菊と紅葉まつり」、冬の「雪燈籠まつり」と、日本文化の魅力を伝える様々なイベントの舞台となっている弘前公園にて野外アートイベントが企画。テーマは、江戸時代に津軽藩(現在の青森県)で誕生した金魚の品種「津軽錦」が誘う紅葉体験。「さくらまつり」を思わせる桜や、ねぷたをモチーフにした演出を実施する国指定重要文化材「弘前城」の天守や石垣へのプロジェクションマッピング、桜守たちが入念に手入れした紅葉する桜と紅葉へのライトアップ、音やアロマが香るシャボン、レーザーライトを使った演出など、紅葉を思わせるカラフルな光と金魚のモチーフを所々に散りばめた幻想的な演出の数々を園内各所で楽しめる。金魚型の「ディスタンス提灯」を持ってアートに参加「弘前城×ネイキッド 光の桜紅葉」の肝となるのが提灯「ディスタンス提灯」。金魚をモチーフに「津軽藩ねぷた村」のねぷた職人と共同制作したもので、参加者は、地面が金魚の模様で照らされるこの提灯を持ちながら園内を回遊。金魚が発する光の輪で参加者自身も光の演出の一部として加わるという、ユニークな試みとなっている。開催概要「弘前城 × ネイキッド 光の桜紅葉」開催日:・2020年9月18日(金)~9月22日(火)・9月23日(水)~10月31日(土)の金・土・日・11月1日(日)~11月8日(日)開催時間:・9月18日(金)~9月22日(火) 18:00〜21:00・9月23日(水)~10月31日(土)の金・土・日 日没〜21:00・11月1日(日) ~11月8日(日)日没〜21:00場所:弘前公園入場料:無料【問い合わせ先】弘前城秋の大祭典実行委員会(弘前市観光課)TEL:0172-35-1128 ※平⽇ 10:00〜17:00まで
2020年09月19日1976年に芸能界入りして以来、第一線で輝き続ける俳優・歌手の川崎麻世(崎はたつさき)。レコードデビューの記念日となる7月1日には、自身のブログで新たにプラチナムプロダクションに所属することを発表し、世間を驚かせた。昭和の時代にアイドルとして活躍しながら、平成ではさらなるステップアップを求めミュージカル界に進出、たしかなキャリアを築いてきた川崎が、令和で心機一転、新たなスタートとなる。今回は川崎にインタビューし、これまでのキャリアの振り返りと、現在の心境について話を聞いた。○■新たな転機を迎え、芸能界の変化も感じる――今回、どういった理由でこのような転機をむかえることになったんですか?数年前に、縁があって社長から「何か一緒にお仕事をできれば」と言ってもらったことが、ずっと頭にあったんです。そこからちょくちょくご飯を食べたり、事務所に遊びに行ったりしているうちに、情熱が湧き上がってきて、今回新たな転機となりました。「これからだな」という気持ちです。――今年で芸能生活は44年になりますが、デビュー当時の芸能界というのはどんな世界でしたか?やっぱり40年以上経つと変わりますね。13歳のときに大阪でものまねの番組に出ていたところをジャニー(喜多川)さんにスカウトされて、夏休み中に東京に行くことになったんです。そしたら、よくあるということで『カックラキン大放送!!』に出るようになって、『怪人二十面相』『レッツゴーヤング』「不二家のハートチョコレートのCM」とどんどんレギュラーや仕事が決まっていって。その後にレコードデビューしたんです。――『カックラキン大放送!!』はアイドルの方が出るバラエティとして元祖みたいなところがありますけど、現場はどうでしたか?堺正章さん、研ナオコさん、野口五郎さんなどがレギュラーでした。当時は、カンペがなかったんですよ。収録は中野サンプラザとか全国の市民会館でやるんですけど、お客さんの前でやるため、台詞ががっちり決まってたので、毎回、覚える量がハンパない。収録だけど、ほぼ生のような感じでした。――歌を出されて、この世界でやってくんだという気持ちはその頃固まっていったのでしょうか?中学生の頃は歯科医になりたかったんです。だから歌手になるなんて夢は持っていなかったんですが、1年たって歌手デビューしたら、「もう頑張るしかない」という気持ちになりました。――そんな中で大変だったことは?忙しくて常に眠くて、気づいたらあっという間に時間が過ぎていたという感じでしたね。僕がデビューした年は、狩人が「あずさ2号」、清水健太郎が「失恋レストラン」、高田みづえが「硝子坂」でデビューしていたので、僕は新人賞にはひっかかるんですけど、もう勝てないんですよ。だから、新人賞のグランプリのドラムロールがなってるときも「どうせグランプリはとれないんだろうな」なんて思ってました(笑)。その当時は、世の中が変わっていってる真っ最中で、どんどんニューミュージックの人が出てきてたんです。サザンオールスターズ、世良公則&ツイスト、Char、松山千春、原田真二、長渕剛……ファンが「キャー」っていう対象がそういう人たちに移っていくので、我々アイドルは「あれ?」って。もちろん、僕らにもずっとついてきてくれてるファンもいたし、『レッツゴーヤング』とかもあるので、出る場所はあったんですけど、そこに来て「たのきんブーム」が来て……。――トシちゃん(田原俊彦)、マッチ(近藤真彦)、よっちゃん(野村義男)が1980年代のはじめに組んでいたトリオですね。同じ事務所でバックで踊ってた後輩が、『3年B組金八先生』に出たことで、一夜にしてスターになって。それで僕は「アイドルにしがみついちゃいけない」と思って、ミュージカルの世界に入ろうと決意するんです。――どういう行動を起こしたんですか?20歳のときに、劇団四季『キャッツ』の初演があったんです。それで、2期目のオーディションを受けたら受かって出ることになって。でも当時はアイドルからミュージカルに行く人は僕の周りにはいなかったので、「アイドルを諦めて逃げた」と思われたりして。でも、自分としては次のステップだと思っていました。○■アイドルからブロードウェイへ――今なら、そういう道に進む人もいますし、当然それがステップだと思われますけど、当時はそうじゃなかったんですね。舞台に出ると、自ずとテレビの露出も少なくなるし、余計にそう思われてしまうという。でも、自分の中では、『キャッツ』に出たことは、ものすごい達成感だったんですよ。もう初めての達成感というくらいの。つらいレッスンを毎日受けて、舞台に立って、拍手を受けて。だから、破天荒だけど「次はブロードウェイだな」と思って。ブロードウェイに勉強に行ってオーディションを受けて、ロンドンにも行きました。そしてアンドリュー・ロイド・ウェバーの作曲したイギリスのミュージカル『スターライトエクスプレス』でワールドツアーに出ることになるんです。――ワールドツアーはどこを回られたんですか?日本は東京と大阪、オーストラリアはシドニー、アデレード、メルボルン、ブリスベン、どこも満員でした。達成感がありましたね。――BOYS AND MENなどが所属する事務所(フォーチュンエンターテイメント)の社長である谷口誠治さんも、『スターライトエクスプレス』に参加していたと仰ってますが、一緒のときに出演されてたんですか?彼はアクション専門でやっていて、ツアーで回っている間は毎日一緒でしたよ。今も仲がいいんですけど、昔はみんなでピザを分け合って食べてたのに、今は高級なもんも食べていて、「あのときとはぜんぜん違うな」と言ってたところです(笑)。――そうやって海外に勉強にいったり、オーディションを受けたりということは、周囲は協力的だったんですか?背中を押してくれましたね。勉強している間は、なんの収益にもならないけれど、ちゃんと給料ももらえたし、ロンドンに行ってる間も、メリー(喜多川)さんが段ボールにカップ麺とか梅干しとかといった日本食を入れて送ってくれて。当時はカップ焼きそばの空いた容器をお弁当箱にして、鍋で炊いたご飯をそこに入れて、醤油をかけて食べたりしていました。――川崎さんが『スターライトエクスプレス』に出たことで、光GENJIも『STAR LIGHT』でローラースケートを履いてデビューするわけですね。僕が『スターライトエクスプレス』のオーディションに受かって、日本では主催をフジテレビがすることになったので、イメージキャラクターということで彼らがデビューしたんです。今でも、光GENJIだった大沢樹生とも仲がいいけど、「麻世さんがいなかったら僕たちデビューしてませんでした」と言ってくれますね。――13歳でジャニーさんに認められてデビューすることになって、その後、いろんな形で背中を押してくれたメリーさんもいて、お二人は川崎さんにとってどんな存在でしたか?メリーさんがお母さんで、ジャニーさんがお父さんという感じです。今までにたくさんデビューしたメンバーがいても、こんなに面倒みてもらったのは自分くらいじゃないかって。というのも、郷ひろみさんも移籍して、僕がデビューした翌年にフォーリーブスも解散し、社員も10人くらい。そこで一緒にやってきたというのがあったので。――今も交流は。ずっとなかったんですけど、マッチのバースデーパーティーとかには行っていて。そこで、マッチにメリーさん、ジャニーさんに会わせてほしいと、お願いをしていました。実際に会えたのはジャニーさんが亡くなって、東京ドームでのお別れ会のときでした。部屋に通されて、そこで30年ぶりでメリーさんに会ったときは、昔に戻ったように、僕をハグしてくれて「愛してるよ」とほっぺにキスしてくれて。30年ジャニーさん、メリーさんには謝罪できず、心のつかえがずっとありましたが、心が晴れ、リラックスした気持ちになりました。――40年以上芸能界にいらっしゃるわけですが、人前に出る仕事ということで、「かっこいい存在である」ということを意識していらっしゃいますか?誰でもそうですけど、見た目でイメージが決まったり判断されますよね。僕の場合、チャラく見られることも多いので、そのイメージを役で生かすときもあるし、ギャップを楽しむときもあります。でも、実際にチャラいと、ほんとにチャラい人になっちゃうから、礼儀正しくしようと思っているし、そういうところはメリーさんの教育もあってちゃんとしています。それと、常に「かっこよく」ありたいと思っています。芸能界は良い意味でのナルシストじゃないといけないと思ってるんですね。それは先輩から学んだところです。かつて歌番組でご一緒した沢田研二さんは、台本を見て歌うときのカット割りが全部頭に入っていて、カメラに向かって指を差す振り付けのときも、最初はカメラを見ないようにして、「ここだ」って瞬間にぱっとカメラを見て指を差すから、見ている方もドキっとするんですよね。風を受けながら歌うときも、風の角度をちゃんと意識していて、そういう姿を見て学びました。ほかにも、郷ひろみさんの存在のアピールの仕方や、西城秀樹さんの情熱やコミュニケーションの取り方などからも学びました。秀樹さんは、本当にいろんな人に「元気?」とか声をかけてくれる人で、そう言ってもらえると「がんばろう」と思えました。――ご自身も研究されましたか?そうですね。デビューしたばかりの頃は、メリーさんにいろいろ教えてもらいました。例えば、『夜のヒットスタジオ』は、スタジオ収録だから、カメラと自分の立ってるところが、同じ高さなんです。でも、『レッツゴーヤング』のNHKホールでは、僕らはステージの上だけど、カメラは別のところにある。そうすると、手を広げる振りなんかも、手が見えなくなってしまうから、「手をかぶせぎみにすると、長く見えるんだよ」とか、そういうことを教えてもらって研究しました。僕は手足が長いので、ステージに立ってても浮いてるように見えるからということで、メリーさんにはプレスリーのビデオを見せてもらったこともありました。プレスリーのどしっとした感じを参考にして、「麻世は足の親指に力を入れなさい。そうすればもっとどしっとして、その中で腰の感じがセクシーに見えるんだよ」と。ジャニーさんも、当時、ビデオデッキで僕が出た番組を見せてくれることがあったんですけど、そういうときにまだ子供だからお菓子食べながら見てしまって、画面から目をそらしてたりすると、「ちゃんと自分の姿を見なさい」って怒られたりしましたね(笑)。○■令和のアイドルのプロデュースも!?――そして、今年はデビューのその日に、事務所を移籍されたわけですが、心機一転で、今後はどんな風に活動していきたいと考えられていますか?テレビを見てる人にとって、僕はマスコミタレントみたいに思われるかもしれないけど、それはやっぱり嫌なんですよ。だから、今の時代を生き抜くプラチナムという事務所に入って、今の世代の人にも認識してもらえればいいな、と。40年以上芸能界でやってきて、特に舞台の世界で経験を積んできた自負がありますし。さらに言うと、その中でも、僕の中にはいろんなしきたりや決まりが身についていると思うんです。萬屋錦之介さんや坂東玉三郎さんに何かと面倒みてもらったりもしてきてるんですが、玉三郎さんは現役ですけど、錦之助さんのようなスターのことを伝えられる人ってなかなかいないので、良き昭和の灯を消さないように、後輩につないでいけたらと思いますね。同時にこれまで培ってきた経験を活かして、令和の時代のアイドルの育成やプロデュースをしたいと思う気持ちなんかもあります。――そういうお気持ちもあるんですね。具体的に今後の川崎さんのお仕事の予定もありますか?8月はコロナで延期になっていた明治座の音楽劇『モンテ・クリスト伯』に出演しました。そのあとは、ドラマとして放送されていた『サウナーマン ~汗か涙かわからない~』の舞台にゲストとして出演したり、明治座の『西遊記』という、芸道45周年細川たかし特別公演、35周年ダチョウ倶楽部一座旗揚げ公演の舞台に出たりします。その合間にも映画やイベントにも出たりと、新しい仕事もどんどんしていきたいと思っています。■川崎麻世 プロフィール1963年3月1日生まれ、大阪府枚方市出身。1976年、バラエティー番組『カックラキン大放送』レギュラー出演を経て、1977年1月TVドラマ『怪人二十面相』主役の小林少年役で俳優デビュー。 同年7月『ラブ・ショック』(CBSソニー)で歌手デビュー。第10回新宿音楽祭、第7回東京音楽祭 国内大会など各音楽祭で新人賞受賞。 以後、TVドラマやバラエティー番組などで活躍。1984年、劇団四季『CATS』出演を皮切り に数多くのミュージカルに出演。1987〜1988年『スターライトエクスプレス』日本、 オーストラリア公演に初の日本人キャストとして参加。以降、『レ・ミゼラブル』 『マイフェアレディ』『ブラッドブラザース』『泣いたらあかん』『親鸞 わが心のアジャ セ』『クリスマスキャロル』『細雪』などあらゆるジャンルの舞台で活躍を続ける。
2020年09月02日2020年8月25日、タレントの山口もえさんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)に感染していることが分かりました。その後、山口さんの夫である、お笑いコンビ『爆笑問題』の田中裕二さんも、同月26日にPCR検査を受けた結果、感染が発覚。田中さんの相方である、太田光さんの感染も心配されていましたが、検査を受けたところ陰性と判定されたそうです。太田光の、療養中のアナウンサーを気遣う言葉に称賛の声『爆笑問題』の2人と、山本里菜アナウンサーが司会を務める、情報番組『サンデー・ジャポン』(TBS系)。田中さんの感染が発覚する3日前の同月23日、同番組は通常通り生放送で番組を収録していました。その日、田中さんから近い立ち位置で収録に臨んでいた山本アナウンサー。田中さんの感染発覚後、念のため、山本アナウンサーもPCR検査を受けたところ、感染が発覚したのです。同月30日の放送では、治療のため欠席となった2人に代わり、良原安美アナウンサーと、お笑いコンビ『ずん』の飯尾和樹さん、そして太田さんの3人が司会を務めました。太田光、山本アナウンサーと田中裕二にエール太田さんは番組冒頭で、田中さんは3人の子供を含め、家族全員同じ病室で治療を受けていることを報告。また、感染が発覚した山本アナウンサーや、山口もえさんに対し、エールを送りました。もえちゃんや山本さんは非常に責任感が強いから、自分が病気になって、自分が一番つらいはずなんですけど。特に山本さんなんて今1人でいるんで、非常に心細い思いをしていると思います。「いろんな番組に穴を開けてしまった」とかね、そういうことも考えると思うんですけど。今はとりあえずですね、そういうことを考えるのは、まったくの間違いで。自分の身体がとにかく一番なので、自分を一番大切にしてほしいと。ゆっくり休んで、元気になって帰ってきてほしいってのは、サンジャポスタッフも出演者もみんなが思っていることなので。山本さん気にしないで。山本さん、今見ているかな。サンデー・ジャポンーより引用その後、代役として出演している良原アナウンサーについて「山本さんと仲がいいという設定で出演してくれている」と冗談をいいつつも、「安心して良原さんに任せてほしい」としました。また、相方の田中さんに対しては…。『秘密のケンミンSHOW』も私が代役をやりましたが、非常に評判が良かった。「これからは太田さんにしちゃおうかな」なんていわれましたんで、どうぞ安心して休んでください!サンデー・ジャポンーより引用田中さんが司会を務める、バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW』(日本テレビ系)の代役を務め、番組内での田中さんのポジションを乗っ取る勢いのメッセージを送り、出演者の笑いを誘っていました。また、同番組に田中さんから文面でメッセージが届き、良原アナウンサーが読み上げました。今日は新型コロナ陽性のためサンジャポの出演が出来なくなり、出演者、スタッフの皆さんにはご心配とご迷惑をおかけしています。僕の状況はというと、最初は喉の痛みと咳、それが今は治まり、現在は微熱とちょっと頭痛はしますが、概ね元気です。ただお医者さんいわく発症から1週間から10日ぐらいたって悪化するケースもあるということなので、引き続き油断せず経過を診たいと思います。そして太田にも代わりに別番組の司会をやってもらったりと助けてもらってます。とてもありがたいと思うのですが、だいたいそういう時は番組がめちゃくちゃになり批難される事が多いので心配です。今日は病室でサンジャポを観ますが 太田とデーブさんがどんな感じかを気にしてみようと思います。それではまたサンジャポで。みなさんもお気をつけ下さい。サンデー・ジャポンーより引用良原アナウンサーがメッセージを読みあげた瞬間、代役を務める飯尾さんが「俺の名前がない!」とひと言。「おかしいでしょ!」と不満をこぼし、スタジオは笑いに包まれました。【ネットの声】・太田さんの、山本アナウンサーを気遣い言葉に感動したな。こういう言葉をいってくれると安心して休めるよね。・家族で病室に入れている田中さん家族に対して、1人で休んでいる山本アナウンサーへの気遣いが素晴らしい。あまり考えすぎず、しっかり休んでほしいですね。・休んでいるはずの田中さんが、太田さんの言動にハラハラしているのが伝わってきて笑った。いいコンビだ。山本さんも田中さんも、太田さんの激励により元気をもらったことでしょう。感染してしまった人に対して「気にせずにゆっくりと休んで」と声をかけられる姿勢は見習いたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月30日元光GENJIで歌手・俳優の諸星和己が、50歳の誕生日を迎えた12日、オフィシャルブログを開設した。「NOWADAYS OPEN」と題した初投稿で、「覚えてるだろう昭和、平成の日々何もかも嫌という程忘れない 覚えてるだろう2983日の日々何もかも嫌という程覚えている」とつづり始め、「さぁ始めよう新たに始まる記憶作り!アメブロ開催です!!」とブログをスタート。続けて、「まずは頭を整えてHawaiiの復活をも願い 私生活の足元の出来事を紹介します」と伝え、「HOPE LOVE KA-KUN」と諸星の愛称“かーくん”で締めくくった。この投稿にファンからは、「この日を待ってたよ~」「お誕生日おめでとうございます!」「元気なメッセージありがとうございます!」「これから楽しみ」「新ブログ、おめでとうございます」「これからいろんなかーくんに会えるの楽しみにしています」「素敵な1年になります様に」「待ってましたぁ~」「これからの人生ちょ~たのしんで欲しい」「これからの人生いっぱい楽しい思い出作って下さい」など、ブログ開設を喜ぶ声や誕生日を祝福するコメントが寄せられている。
2020年08月12日7月9日、ジャニーズ事務所の代表取締役社長でありプロデューサーのジャニー喜多川さん(享年87)が亡くなってから1年を迎えた。当日はTwitterで「ジャニーさん」がトレンド入りを果たし、改めてその死を悼む声が上がっている。プロデューサーとして多くのアイドルを手がけてきたジャニーさん。28年前、本誌にアイドル育成の極意についてこう語っていた。「僕はひと山いくらで売り出すためにグループをつくっているんじゃない。個々のキャラクターを生かすために組ませているんです。“18歳までに基礎を教えれば育つ”というのが僕の信念。才能を磨いて輝かせるのがわれわれの仕事です」本誌では、そんなジャニーさんのプロデュース力を伝える数々の証言を紹介してきた。例えば19年10月、あおい輝彦(72)は「ジャニーさんは命名の天才だよね。光GENJIとか嵐とかさ。全部おもしろい!」と命名センスに一目置いていると語った。“あおい”を平仮名表記にしたのもジャニーさんの意向だと明かし、「今は選挙ポスターとかでよく見るけどさ(笑)。当時は画期的なことだった」とも述べた。さらにあおいがジャニーさんについて「昔から演出力がすごかった」と明かすと、対談相手であるA.B.C-Zの河合郁人(32)はあるエピソードを明かした。それは彼がレッスン生の時に下に着るTシャツを忘れたため、裸にパーカーを着て前を閉めて踊っていると「それ前開けて、はだけてやりなよ。そのほうがカッコいいよ!」とジャニーさんに声をかけられたというものだった。そして「それも一種の演出ですよね」と感心した。また堂本光一(41)主演の舞台「SHOCK」に携わっている作曲家の船山基紀氏(69)は同年10月、ジャニーさんの“音楽へのこだわり”についてこう明かしている。「ジャニー喜多川さんが好きなサウンドは“派手”。でも、ただ派手なだけじゃダメで、そこにこれまで聴いたことのない、『えっ?』という“驚き”が必要なんです。それこそ、車が宙を舞うような、ラスベガスの手品師みたいなことを、求められてきたわけですよ」さらに「タレントだけじゃなく、スタッフの才能を見抜く力も抜群だった。一生懸命、作ってきたものを鼻先で突き返すようなことは絶対にしない」とその審美眼を讃えた。稀代のプロデューサーであるジャニーさん。その仕事ぶりは多くの人々の胸に刻まれている。
2020年07月10日どこにいても明るい暮らし「家中のどこにも、暗く、じめじめしたスペースがないんです。明るく開放的に暮らせるのが、何より家を建ててよかったと思うところですね」。そう語るのは、整理収納コンサルタントとして活動している須藤昌子さん。9年程前、家族3人で暮らす2階建の一戸建てを設けた。「3分割されて売っていた土地を見つけ、ネットで探した一級建築士事務所に相談しました。隣家に接した土地なので、ここにどんな家が建てられるのかと思いましたね」。須藤さんの希望は、光の入る細かい仕切りのない家、そして収納にも配慮した家にしたいということだった。「それ以外はあまりリクエストしませんでした。プロの先生にお任せしたほうが、いいものになるのではないかと思って」。光に満たされた家は、優秀建築物として「第20回千葉県建築文化賞」を受賞。リビングの吹き抜けを取り囲むように、仕切りをできるだけ排した空間がつながり、“ガラスのブリッジ”と名付けた2階のガラス床を通って、トップライトからの光が1階へと抜けている。2階の廊下から1階リビングを見下ろす。“ガラスのブリッジ”は、まるで空を渡るような感じからネーミング。トップライトやバルコニーからの光が1階まで届けられる。螺旋階段を採用して、階段を抜けのある空間に。開口の代わりにプロフィリットガラスで外からの視線を避けつつ、光を通している。ガラス張りの吹き抜けテラスでは、いずれガーデニングも行う予定。廊下突き当たりの扉の奥は、玄関からもつながっているシューズクローゼット。ガラスのブリッジを通って居室に。右手にバルコニーに上がる階段がある。吹き抜けを介して光が回遊。隣家から見える左手の一角にはルーバーを設置した。琉球畳を敷いた和室からリビング方向を見る。すっきりと暮らせる工夫を「正面にはアパートが建っているので、そちら側には窓など一切ないんです。左右に建つ隣家からの視線も避けながら、うまく開口を設けて、明かりをとっています」。玄関を入るとガラスに囲まれたウッドデッキのテラス。その向こうに大きな吹き抜けのあるリビングがある。「海外からお客さんがくることも多いし、いずれ両親を迎えることになるかもしれないので、畳の和室を設けました。今は引き戸を常に開放して、リビングの延長として使っています」。開放的な上にすっきりと美しいのは、「モノを出しっ放しにしない」という須藤さんのルールが生きているから。「家を建てる前に住んでいたところは、押し入れが狭くて。戸建てを建てたら何とかしたい、というのがありました。庭があって物置を置けるわけでもないので、掃除道具や工具、生活必需品などすべてを収められる“シューズクローゼット”をリクエストしました」。玄関からもリビングにつながった廊下からも入れるよう動線を考えたストレージが、特に役立っているそうだ。床材はサクラの無垢を採用。エアコンも見えないように目隠しされている。白い空間にインテリアでアクセントを。塗り壁に見えるよう極力薄い壁紙を選び、職人の技で施工。開口の位置に工夫が凝らされた和室。黒い壁紙が印象的。「モノを置かない」ことに徹したダイニング。テーブル上は常に最低限のモノのみ。外からの視線を遮りながら、明るさで包んでくれるリビング。キッチン奥に家事ルームを希望「お料理をしながら、家族とコミュニケーションがとれるので、キッチンは対面式を希望しました」。キッチン台の前にはカウンターを造作。毎日帰宅の遅い夫が夕飯をとるのに、サーブしやすくて便利なのだそう。また、キッチンまわりでの作業が多い須藤さんにとって、大事なのがキッチンの奥にある“家事ルーム”。「パントリーでもあるのですが、私の仕事部屋でもあるんです。棚だけでなく机も造作してもらって、ここで毎朝ブログを書くなど、仕事をしています」。仕切りの引き戸はツインカーボを使っていて、戸を閉めて中に籠っても、やはり光が抜けるようになっている。「お風呂はいろんなパターンを考える中で、ホテルっぽくすることに決めました。ガラス張りの真っ白な空間だけに、きれいにしておかないと汚れが目立ってしまいます。お掃除の手は抜けませんが、常に清潔に保てるので良かったと思っています」。対面式のキッチン。収納などは使いやすさを考えて造作した。掃除のしやすいステンレスのキッチン台。大きなシンクに付いているトレーの上では、パンをこねたりもでき、さらにそのまま洗えて便利。こだわりの家事ルーム。食材だけでなく、仕事や日常に必要な書類を保管。造り付けの机では執筆活動も行っている。清潔感いっぱいのバスルーム。床にはLIXILのサーモタイルを。築9年とは思えない美しさ。空とつながるトップライト2階の居室は、天空を渡るような“ガラスのブリッジ”がつなぐ。「娘の部屋は、真ん中に可動式のクローゼットを置いてシンメトリーに仕切っています。しっかり勉強してもらわないといけない時期なので(笑)、勉強するスペースと遊ぶスペースを分けているんです」。どちらのスペースも、上にはそれぞれロフトがつき、いずれはどちらかをベッドルームにする予定だそう。大きな開口の向こうには、青い空が抜けるように広がっている。「夜は星空が見られてきれいですよ。住宅地にあって明るく、自然も感じられる、開放感のある暮らしを楽しんでいます」。中央に可動式クローゼットを置くことで、シンメトリーになった子ども部屋。左右の階段からロフトにあがることができる。無駄なもののない主寝室。衣類などはウォークインクローゼットに一括に。子ども部屋のロフトの床にもガラスを採用。空からの光が降りてくる。ファサードに開口のない、白い箱のような潔い外観。ブログ「ROOM COZY」が大人気。整理収納コンサルタントの須藤昌子さん。著書に「死んでも床にモノを置かない」(すばる舎)なども。
2020年05月04日