くらし情報『抱きしめてヴィーナス - 探査機「あかつき」、金星への帰還 (3) 中村正人プロマネに聞く(1) - 日本はなぜ金星探査をやろうとしたのか』

2015年12月9日 08:00

抱きしめてヴィーナス - 探査機「あかつき」、金星への帰還 (3) 中村正人プロマネに聞く(1) - 日本はなぜ金星探査をやろうとしたのか

の夜明け

--まず最初に、「あかつき」の計画がどのようにして立ち上がり、そして中村先生はどのような経緯でそれに関わられたのかについてお聞かせください。

中村: 20世紀の終わりに、当時僕は東京大学の助教授だったんですが、指導教官だった宇宙研の鶴田先生[*1]に呼びつけられまして、「金星に行きたいんだが、赤外線のカメラを造ってほしい」と言われたんですね。そのころ僕の研究課題は極端紫外線といって、X線と紫外線の間の光を使って、宇宙空間に広がっているプラズマの様子を調べるという仕事をしていたんです。なので「僕には極端紫外線の仕事がありますから」と言ったら、鶴田先生からは「いや中村君、極端紫外線はもう古いから学生に任せなさい」と言われたんです。

その当時の学生が今ではもう東大教授ですよ。「ひさき」[*2]に関わっているのは、当時の学生や、さらにその学生です。

でも私はその成果を見ずに赤外線のほうに行って、そのうちに「中村君、衛星本体のほうも頼むね」と言われて、1年で提案書をまとめあげました。そして、2000年12月に宇宙科学研究所の理学委員会に対して提案書を提出しました。


そのあと、2001年1月に「宇宙科学シンポジウム」

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