『SMAP×SMAP』終了で消える「音楽×笑い」の灯 - クレイジーキャッツ、ドリフから受け継いだ歴史のバトン
への出演だが、その彼らの武器こそ、まさに「音楽×笑い」だった。
終戦後に空前絶後のブームを起こした日本のジャズが大衆の手から離れようとしていた1955年頃、ハナ肇はコミックバンドを構想する。「深刻な顔をしてやっているよりは、人を笑わせて楽しませるバンドがいい」。それはまだバンドマンの多くが米軍キャンプを回っていた時代、奏者の彼らが音楽の仕事を続けるためには、広く伝わるステージングを常に模索しなければならなかった事も、深く関係していた。
そして結成から4年後の1959年に始まった『おとなの漫画』、さらに2年後に始まった『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ 1961年~1972年)で、彼らは持ち前のセンスとリズム感をいかんなく発揮し、テレビバラエティの礎を築く。主婦や子供の格好でコントをやる時も、本業の楽器を手に持った時も、プロミュージシャンである彼らにとって、それは同じ”万国共通のエンターテインメント”だった。だからこそ、視聴者は夢中になり、彼らを一躍スターダムへと押し上げていったのだ。
○SMAPという”ドリフの子供たち”
さらにクレイジーが次にそのバトンを渡したのも、やはり専業コメディアンではない、ミュージシャン出身のザ・ドリフターズだった。