『SMAP×SMAP』終了で消える「音楽×笑い」の灯 - クレイジーキャッツ、ドリフから受け継いだ歴史のバトン
ドリフはクレイジーの弟分という印象が強く、実際にそうなのだが、実はリーダーのいかりや長介はクレイジーのメンバーと同世代になる。上京時期のタイムラグによりデビューは後になったが、いかりやもやはり米軍キャンプのステージを体験しているバンドマンの一人だ。
いかりやは前座の演奏を終えてソデから覗き見た、アメリカのプロのエンターテイナーが行う”笑いの絶えない本場のショー”にかなり影響を受けていたという。そしてそれと前後するように、音楽畑のハナ肇とクレイジー・キャッツが、テレビから国民的人気グループへと駆け上がっていった。
いかりやがリーダーを引き継いだ時、ザ・ドリフターズはすでに「ショーアップ」を大きく意識していたバンドだった。ポスト・クレイジーに据えられた彼らは1969年、満を持してコントと歌を柱にした自身のメイン番組『8時だョ!全員集合』(TBS 1969年~1985年)をスタート。以降番組は最高視聴率50.5%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)の記録と共に、日本のテレビに大きく影響を与えることになる。
ここでSMAPに話を戻そう。
ハナ肇とクレイジー・キャッツが築いた歴史をザ・ドリフターズが大きく花開かせていた1970年代、第二次ベビーブームの中で生まれたのがいわゆる”団塊ジュニア”だ。