独占スクープ「映画『デスノート』の最終ページ」 5時間4万字の記録 (1) 10年前にも連ドラを企画!? 映像化権取得と2部作連続公開が決まるまで
最近では当たり前になりましたが、邦画史上初の試みだったと思います。ドラマは多くの人に見てもらえる反面、制作予算の問題からするとクオリティが下がってしまうかもしれない。結果論になりますが、実写の『デスノート』がここまで受け入れてもらえるようになったのは、「映画が先」だったからなのかもしれません。
――ドラマ化が見送りになり、2部作公開で集英社さんの了解を得た後は、どのような流れだったのでしょうか。
ドラマ化から映画化にシフトしたこともあり、制作準備が整えられず、遅れていました。そんな中、集英社さんから「2006年5月に連載が終わるので、直後のタイミングで公開してほしい」と。そのように決まった時点で、すでに公開まで一年を切っていました。それでも何とか2006年6月と11月に連続で公開されることが決定できました。
当時、邦画の勢いがかなりあった頃で、劇場を空けてくれる配給会社さんがなかなか見つからず……。ほとんどの配給会社さんが2006年秋と2007年春であれば大きな興行チェーンを出せるという状況の中、自らの洋画作品を調整することで、2006年の6月と11月を空けてくれたのがワーナーさんでした。