「ダサい服は着たくない」障がいのある人のファッションに光をあてる理由
——そうしたファッション業界の変化を、加藤さんはどのように捉えていたのでしょうか?
職人の技術によってつくられるファッションに憧れを持って飛び込んだからこそ、20代は本当に苦悩の日々でした。
業界に対しても、自分の会社に対しても、世の中に対しても、とにかく不満だらけ。怒りを原動力にしてデザインを描いていました。特に疑問に感じていたのは、「技術はないけれど価格が安い」という理由で縫製がどんどん海外へ発注され、日本の職人さんたちがことごとく食べていけなくなったこと。
今日履いているこのブーツ、何度も修理し直しているんですが、20代の頃お世話になった職人さんに作ってもらった当時のブランドのサンプルなんです。
加藤さんが職人さんに作ってもらったブーツ。20代の頃からメンテナンスをしながら履き続けている。
——素敵ですね。
とても味があるというか。
当時、私が任されていたブランドの靴を作っていた方の作品です。小さなブランドでしたけど、親身になってどんなお願いにも答えてくれて、アドバイスもしてくれて……。
でもある日その方から電話がかかってきて。「加藤さん、来年の展示会の分、作れなくなった。