【『インビジブル』感想 最終話】濁った霧の晴れるとき
そして、最後に自らの信念をかけ、キリコを挟んで対峙する志村と猿渡に決着をつけたのは、それまでずっと封じられてきた志村の射撃だった。
これまでは志村の射撃は下手で危険だから所持が許されていないと噂されていたものが、実は上手すぎて躊躇がない分、激高しやすい志村の性格では危険だという理由で禁じられていたということが、オセロの白黒のように明らかになる。
それは善悪、そして見えているものと見えていないものの鮮やかな逆転であり、『インビジブル』というタイトルにふさわしい仕掛けだった。
端正な射撃シーンも素晴らしいが、個人的に高橋一生はこれまでの銃を使わない体当たりのアクションも非常に見応えがあったと思う。
それは格闘として華やかな、形で目を惹くアクションシーンではなかったけれども、ストーリーの中で切れ目なく動きに入っていく独特のスピード感があった。
昭和から刑事ドラマを見続けている知人は、その高橋一生のアクションを「古き良き時代の刑事ドラマのような、いい泥臭さのあるアクション」と称した。なるほどと思ったものである。
きれいはきたない。きたないは、きれい。
志村貴文という男の実直さが、サイコパスの連続殺人鬼を惹きつけ、同じように縋ってでも家族を救いたいと願った裏社会で生きる女を引き寄せ、幾つもの事件を巻き込んだ果てに、濁った霧の夜は晴れて一旦は終焉を迎える。