津川雅彦さん 急逝直前に長女結婚!反対し続けるも許した理由
真由子は『文藝春秋』18年7月号で、こう綴っている。
《母が大好きな仕事をもうできなくなるかもしれない、と思ったら、胸が締め付けられました。もう一度だけ舞台に立たせてあげたいと思ったのです》
朝丘は認知症の症状が出ながらも最後まで舞台を務めあげた。
「その舞台が無事、千秋楽を迎えられるよう誰よりも朝丘さんと真由子さんを支えていたのが友山さんでした。津川さんは朝丘さんの介護のため新たな一軒家を借りますが、津川さんも心臓に持病がある。日に日に症状が進行していく朝丘さんを、自宅マンションから通いで看に来る真由子さんの心労は尋常ではありませんでした。友山さんは心が折れそうな真由子さんを励まし、家事や介護のサポートをしていたんです」(舞台関係者)
朝丘の面倒を協力して最期まで見続けた2人を見て、津川の心も次第に氷解していった。
「朝丘さんが亡くなった後、津川さんも“もし自分に何かあれば、娘が一人取り残される。
彼には娘の傍にいてほしい”と、ついに結婚を許したそうです。ただ、役者一家に生まれた津川さんとしては、このまま本名の加藤姓がなくなってしまうことを無念に思っていた。そこで“結婚するなら加藤の家を守ってほしい”と話し合い、最終的に友山さんが婿入りする結論になったようです」