影絵作家・藤城清治さん「作品は美智子さまの部屋に飾られて」
その無骨な指先に、藤城さんが影絵作家として積み重ねてきた歳月が年輪のように刻まれているのだった。
1924(大正13)年4月、藤城さんは東京・品川に生まれた。小学校での転居後はずっと現在の地で暮らしている。慶應大学附属中学の普通部に通っていた12歳から油絵を始め、日本社会全体に戦時色が濃くなるなか、慶應の予科(高校)へ。
学園祭で上演された人形劇を見たことで、「大人も楽しめる人形劇をやろう」と決心するが、徐々に授業はなくなり、勤労動員に駆り出されていく。その後、海軍予備学生に志願して海軍航空隊に入隊。少尉となった弱冠20歳で、10代半ばの少年兵を率いて、千葉の九十九里海岸で訓練を行った。
慶應大学経済学部の2年に復学し、人形劇団「ジュヌ・パントル」を結成したのが終戦の翌年。
続いて文学部の講師だった小澤愛圀先生を通じて影絵と出合う。
「先生のお宅で、アジアの影絵芝居の写真を見せてもらって、妖しい魅力に、これぞ人形劇の原点だと、いっぺんでまいっちゃった。物資も乏しい時代でしたが、影絵なら、ロウソクや裸電球があればできるんじゃないかと思って」
大学卒業後は、父のツテで銀行に内定していたというが。