しかし、その数ヵ月後に東京の文化服装学院が男子学生を募集するという広告を発見した。
そして、両親の反対を押し切って上京。同学院への入学を果たし、コシノ・ジュンコ氏(81)など、のちにファッションシーンをリードする顔ぶれと共に学ぶこととなった。
卒業後はアパレルメーカーに勤めていたが、そんななか25歳の時に転機が訪れる。住んでいたアパートが建て直しとなり、住民に多額の立退料が支払われたのだ。そこで「フランスのファッションを自分の目で見てみたい」と渡仏を決意する。
「フランスで仕事ができるなんて、出発前には想像もしていませんでした。パリで太刀打ちできるわけない、と」
しかし、オートクチュールの名門「ルイ・フェロー」にデザイン画を持ち込んだところ大評判に。
雑誌「ELLE」でも高い評価を受け、仕事先まで紹介された。
すると渡仏から4年後、コシノ氏らが東京で店を持ち始めたというニュースが。同級生の活躍に刺激されたことで、70年に「ジャングル・ジャップ(KENZOの前身)」をオープンした。
“和”のエッセンスを取り入れたセンスはファッション界を席巻し、大成功を収めることに。いっぽうで、賢三さんはこう話す。