そのため、賢三さんは当時「無職なんです」と笑っていた。
夢へと突き進みながらも、苦境に立たされることも決して少なくはなかった賢三さん。「今まで難しい決断を幾度も迫られてきました」と述べつつも、こう続けている。
「でも、大きな冒険をしている時の決断はうまくっているような気がするんです。夢に向かって下した決断はうまくいっている。夢を諦めなくてよかった、手放さなくてよかった、と若いころを振り返って思います」
その後、02年にその名も「YUME」というブランドを発表。近年では16年にセブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武及びイトーヨーカドーのプライベートブランド「SEPT PREMIERES」を展開し、今年1月にも「K3」を立ち上げていた。
「賢三さんは晩年も『若い人との仕事をもっとしたい!』と意欲的で、空間デザインへの興味もありました。
また『自分が着たいと思えるメンズ服をデザインしたい』とさらなる夢も語っていました」(ファッション関係者)
夢を追い続けた賢三さん。81年の生涯を通して、多くのものを生みだした。
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