くらし情報『3.11から10年。生島ヒロシ振り返る母の遺骨と妹を津波に奪われた日』

3.11から10年。生島ヒロシ振り返る母の遺骨と妹を津波に奪われた日

サンプルが多ければ照合の精度が上がるということでした」

「二三六」という番号が割り振られていたその遺体は、理恵さんの実家から数百メートル離れた、大川で発見されたものだった。

約2週間後。理恵さんのもとに、ふたたび県警から連絡が入る。

「鑑定の結果、遺体番号二三六は母で間違いない、とのことでした。まさに葬儀のタイミングで、親族が集まるなかで判明するなんて。今度は母が、私たちにメッセージを送ったのかな、そう思いました」

震災から10年。理恵さんは少しずつ心の整理がついてきたという。

「それでも毎年、3月11日は巡ってきますし、悲しみが消えることはないです。
でも、母はしょっちゅう、夢に出てきてくれます。当初は悲しい夢が多かったですが、いまは幸せな、なんてことない日常のワンシーンが多い。今年の初夢もそんな、ありふれた家族だんらんの夢でした」

■妹が夢枕に立ったなら「皆、もう大丈夫、安心してね」と言いたい

妹・喜代美さんの遺体が見つかって、生島さんは「ある意味、ホッとしました」と話す。

「でもね、その後、発見された現場まで足を運びましたが、勝手に涙があふれてきましたね。『あんまり苦しまなかったかな、でもきっと、寒かったろうな』って」

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.