2021年3月11日 06:00
3.11から10年。生島ヒロシ振り返る母の遺骨と妹を津波に奪われた日
と、いとこの佐藤健一さん(67)だ。
彼らが1カ月も帰宅できなかったのは重責を担っていたから。廣野さんは会計課、佐藤さんは危機管理課、それぞれの責任者だった。
震災後、行方不明の妹夫妻の情報を得るため、生島さんが頼ったのが佐藤さんだった。
「警察から入る亡くなった人、行方不明者の名簿、それに、避難所に寝泊まりしている人たちの名簿を夜中、手が空いたところでくまなくチェックしたんですが……。当時、パソコンも通信機器も使えないなかで、本当に残念ですが喜代美ちゃんの情報を見つけることはできませんでした」
一方、混乱のただ中にあった市役所で、お金の管理を任されていたのが廣野さんだ。被災し稼働できなくなった金融機関の再開にも奔走した。また、支援金や義援金の窓口も。
後日、生島さんが東京で集めた義援金の管理も任された。
「私は会計課にいたので、生島も『あいつなら金のことも大丈夫だろう』と思ったんでしょうね」
2人には、震災直後に脳裏に刻まれた、生々しい記憶がある。廣野さんのそれは、ある音だった。
「潰れ、水につかった車のクラクションが、あちこちで突然鳴るんです。市役所が静まり返った夜中になると、よく聞こえてきて。