2021年10月4日 11:00
元日本2位の女性サーファーは71歳。還暦で海に戻ってきた理由
やることなすこと、ダメ出しばかりで、最初の3カ月はずっと泣いてました」 猿若流の踊りは、これまで学んできたものと、まるで違っていた。
「猿若は動きも振りも大きく力強い。筋力も必要です。『そんなチマチマした踊り方じゃダメだ。うちの踊りに、そんな無駄足はいらないんだ!』とよく怒鳴られました」 さらに、容赦ない言葉も浴びた。
「あなたは体を壊し、つらい思いをしてきたと言うけれど、幼いときから正しく踊ってさえいれば、体のゆがみなんて出るわけないんだ!」
自分の半生がまるで無駄足だったと言われた気がした。毎回、稽古のあとには悔し涙があふれた。
「情けなくて。
40年近く何やってきたんだろうって。遊び半分で踊りをやってきた、これが報いだと」
それでも歯を食いしばって、サーフィンにも劣らないハードな稽古に励んだ。すると、およそ1年後には異例の早さで名取に。「猿若清紫惠」という名前をいただいた。そして’01年には師範にも。
「驚いたのはね、師範になったころだったかな、病院でレントゲンを撮ったの。そうしたら、側彎症がほとんど治ってた。大先生のハードな稽古と、教わった正しい踊り方で鍛えられた筋肉が、骨のゆがみを矯正してくれていたんです」