拒食症で体重が半分に…かつて食を恐れた少女が「みんなでおむすびを握る」ワークショップ主催へ
がウソのようで」
学業でも最終的に民俗学を専攻し、いずれ民俗学的視点で食を研究したいと考えるようになっていた。そんな慌ただしい日々を送るなかで、自分の過去についても自然に話せていたという。
「卒業後は食に関わる仕事をしたいと思っていましたが、明確に絞り込むことができなくて」
そんな彼女が選んだ就職先が、横浜の不動産会社の営業職というのは、少し意外な気もするが。
「まず、自分に足りない伝える力をつけようと思いました。マンション営業では、駅前のチラシ配りから飛込み営業までやって、新人賞も取ったんですよ(笑)。生きてるだけで大丈夫なんだ、と吹っ切れたんです。ただ、やっぱり、どうせやるなら好きなことを仕事にしたいと考えていたとき、熊本の知人から『一緒に事業をやらないか』と誘われました」
熊本へ戻った彼女が始めたのが情報誌『食べる通信』の熊本版の発行で、その創刊メンバーとして副編集長も務めた。
「熊本県内の農業や漁業の生産者さんのもとへ取材に行くようになり、その出会いのなかで、土地そのものが命なんだ、自分はその命に支えられて生きているんだということに気づくんです。
私は、孤独じゃないんだ、と」