奥田瑛二語る心がラクになった孫育て“じいじ、幸せでいいんだよ”
運動会の徒競走の指導も、じいじの役目だ。
「僕が指導した年は1着。今年は指導に行けずに3着だった。ほんとうに、孫はかわいい。桃子とサクラの前で、『いや~孫がかわいい。君たちの10倍かわいい』と、つい言葉が出てしまって、『何言ってるの』って、真剣に怒られました(笑)」
コロナ禍の非常事態宣言が出たときには約70日間、高知で家族4人で過ごした。
「僕と和津さんと、桃子と孫とずっと毎日一緒。もう孫・孫・孫のかけがえのない時間でした(笑)。
週末に『じいじと自転車ドライブしないか?明日10時におにぎりとお水と卵焼きを持っていこう』『おやつは?』『内緒でコンビニで買おう』って話し合ってね」
和津さんがおにぎり4つをにぎり、卵焼きを焼いてくれた。
「2人でリュックを背負って、桃子の電動自転車のうしろに孫を乗せて出発!2つのトンネルを抜けて山を越えて車で30分もかかる海岸へ。誰もいない浜辺、カニがいる磯で遊んでね。孫と2人で海を見ながらおにぎりを食べて。帰りは行きと違う海沿いの道を通りました。じいじと孫の大冒険だよ」
孫と触れ合う中で奥田さんの中には、大きな変化が生まれていた。
「僕は、好きなことを仕事にして命をかけて生きているからこそ『幸せ』という言葉を封印し意識して言ってこなかった。