2023年9月27日 11:00
蛭子さん“最後の展覧会”制作現場の挨拶は「毎回『初めまして』」
読書が趣味だったが集中力がなくなり、本を手にすることもなくなった。母と接するとき、わたしの顔つきは、いつも怒りをあらわにするか無表情だった。
蛭子さんに母の姿を重ね、絵を描くことは難しいと考えていた。
それでも展覧会の計画は、蛭子さんの友人で特殊漫画家の根本敬さん(65)のサポートもあり実現に向けて動き始めた。
根本さんが語る。
「認知症を公表したあとに蛭子さんから“絵を描きたい”と電話があったんです。蛭子さんの作品に衝撃を受けて漫画家になった僕は蛭子さんに絵の世界に戻ってきてほしかった。だから『協力するよ』と返したら『持つべきものは友やね』と。
それまで蛭子さんは人に僕を紹介するとき“オレのことをおもしろおかしく書いて食っている人”と平気で言う人。蛭子さんから友という言葉が出てビックリ。
蛭子さんは絵を描くスピードがものすごく速いから、展覧会はできるなと思っていました」
根本さんが知り合いの画廊と話をつけて展覧会場と開催日が確定した。あとは蛭子さんが“やる気”を出すだけだが……、それこそが最大の問題だった。
■高校時代は美術クラブの人気者。’80年代サブカルチャーを席巻した鬼才の原点
’47年10月21日に熊本県天草市で生まれ、すぐに長崎市に移り住んだ蛭子さん。