「サブカル少女が、お笑い猛獣の檻に放り込まれた」清水ミチコ 挫折と転機の『夢で逢えたら』
それでお笑いが好きで、ラジオにも投稿していると言うと、『素晴らしいことじゃない』と、ラジオのディレクターだった親戚の方を紹介してくれたんです」
バイト先の店長が、自分ですら気づかなかったお笑いへの情熱を掘り起こしたことで、“趣味”としてではなく“仕事”として捉えるようになった。
「隣の住人に聞こえないように、布団にもぐりながら桃井かおりさんのモノマネをしたりして、25分にまとめたテープをディレクターさんに送りました。すると、気に入ってもらえたみたいで、ラジオでクニ河内さんのアシスタントを務めることに。東京で録音するものの、放送されるのは福岡や宮崎などローカルなんですが、私にとっては大事件でした」
こうした経験を積み、渋谷の老舗ライブハウス「ジァン・ジァン」でワンマンライブのチャンスを得た。そのときに来客したのが永六輔さんだ。
「遅刻したうえに、大柄な体にダウンジャケットを着込んでいたものだから、ものすごく目立って。次の日に、ライブハウスの人から『永さんがお会いしたいと言っています』と連絡があったときは、なんて褒められるのかなって期待していたんですが、めちゃくちゃ叱られた(笑)。『芸はプロだけど、生き方はアマチュア。