「サブカル少女が、お笑い猛獣の檻に放り込まれた」清水ミチコ 挫折と転機の『夢で逢えたら』
ライブが終わってお辞儀するとき、靴の先が楽屋に向いていたぞ』など、礼儀や常識を教えてくれました」
永さんとの出会いによって、テレビ局スタッフともつながり、ついには『笑っていいとも!』のレギュラー出演を射止めたのだった。
■子どもから届いた手紙に《やる気がありませんでしたね》ーー。挫折と転機の『夢で逢えたら』
まさに公私共に順調すぎるほど順調。’87年に『笑っていいとも!』のレギュラー出演を果たす直前には、ラジオ番組でディレクターを務めていた男性と結婚。
「私はわりと張り切ったり、落ち込んだり、すごく波がある性格なので、夫のように穏やかな人が合うんでしょうね。『デビューしたてなのに、もう結婚しているのか』って面白がられました」
実家に帰ってこいと電話してきた両親も、娘が結婚したうえ、『笑っていいとも!』に出演したことで、何も言わなくなった。
「幼いころから“女の子がお笑いなんて”という両親でしたが、手のひらを返したように応援してくれるようになりました(笑)」
まもなく妊娠したミチコは、おなかが大きくなっても番組への出演を続けていた。
「冗談でおなかを押さえて『うっ、生まれる!』って言うと、みんなびくって驚いて笑うんです。