浪江町避難解除も豊かな生活戻らず…環境省“デタラメ除染”後編
門馬さんの介護のかいもなく、夫の洋さんは避難してから3年後に、風邪から肺炎をこじらせ帰らぬ人となってしまった。70歳だった。門馬さん夫妻は、共に高校の教師だった。夫の洋さんは数学を、昌子さんは英語を教えていた。若いころから、ともに地域で脱原発活動も続けてきたという。
「毎月、東電との交渉に参加してね。夫はチェルノブイリ原発事故のあと、現地に視察にも行ったんですよ。だから、よけい悔しかったんだと思います。
原発事故を止められなかったことと、原発事故によって、みずからも故郷を奪われてしまったことが……」
門馬さんは、そういって悔しさをにじませる。本誌取材班は2月下旬、そんな門馬さんとともに、最新の放射線量を測定するために浪江町の自宅を訪れた。自宅2階の書斎には、きれいに整理された亡き夫の机や本棚が。
「去年の秋に測ったときより、少しは下がったかな……」
門馬さんは、そう言いながら、みずから測定器を持ち、室内の放射線量を確かめていく。
「室内は除染してくれないから、自分で業者に依頼して、壁紙の張り替えなど、すべて張り替えてもらったんです」