50歳東大主婦が卒業、進路決意の陰にあった「毒母」の存在
でも、子どものころの私は、いつも母に怒られていました。靴の脱ぎ方が悪い、飲み物をこぼしたなどのささいな理由で、母は瞬間的に沸騰し、烈火のごとく怒鳴るんです。いつしか、つねに人の顔色を見る子になっていましたね」(安政さん・以下同)
中学生になると、ひそかにある決心をする。
「『母に逆らわない人生』を送ると決めたんです。都合のいいことに、私は勉強ができた。従順で成績がよければ、母はいつもニコニコしている。怒ったときの恐ろしい顔を見ずにすむなら、そのほうがラクだと思ったんです」
服装も、食べ物も全部、母の好みに合わせた。母は「私とあの子は、おんなじ趣味なのよ」と、会う人ごとにうれしそうに自慢したという。
地元の名門県立高校を卒業後、東大を受験するが不合格。2浪の末に、早稲田大学第一文学部へ進学した。卒業後は故郷で学習塾に就職後、見合い結婚。結婚の翌年に長男(27)、3年後に次男(24)が誕生する。
次男が幼稚園に入った35歳のとき、ママ友になったAさんが、安政さんの母にそっくりだった。最初はふつうに仲よくしていたが、次第に何をするにも安政さんに命令し、支配しようとするようになった。