石川さゆり『天城越え』支え続けた母と娘の女3人暮らし
そんな生活がすごく楽しかった。だって、子どものころから、私はずっと家にいたことなんてなかったんですから」
子どもを持ったことで、母の偉大さも改めて感じた。
「母にはかなわないなあと思うことだらけでした。子育てって、もう一度、生き直しができることなんだなあと思いましたね。この季節には、こんな花が咲いて、こんな虫がいて、って公園で娘にひとつずつ教える。自分が子どものときには、聞き飛ばしていたことを、子どもを持ったことで、もう一度、体験して生き直しているんですね」
’89年に離婚してからは、地方でコンサートがあっても、スタッフだけを現地に残して、日帰りで東京まで往復する日々が続いた。
「子どもが朝起きると、第一声で『おかあさ~ん』と、親を捜しますから、朝起きたときだけは絶対にいてあげたいと思いました。離婚したとき、娘は4歳。
私がいない間は、シッターさんをお願いしましたが、やっぱりかわいそうだなという思いが残って。両親が家の裏に引っ越してきてくれたんですね。その後は2世帯住宅で、一緒に暮らすようになりました」
父(智さん)