佐伯チズ「破産危機の過去」告白、“裏切り”で2億円損失も
「電話対応は慣れたもの。雑誌関係の人脈も持っているし、取材などの手配も早く、スケジュール調整も見事でした」
さらに、経理の経験があると聞いて金庫番もまかせる。’06年には、コットンなどを販売するために作った物販会社の副社長にAさんを据える。
「私は、Aのことを本当の娘のように思っていたんです」
佐伯さんは42歳のときに、夫・有教さん(享年52)を肺がんで亡くしている。子どもに恵まれなかった佐伯さんにとって、いつも傍らにいて遠慮なく語り合えるAさんは“家族”そのものだった。
周囲からオリジナル化粧品の開発をすすめられ、悩んでいた佐伯さんの背中を力強く押したのもAさんである。そして「チズビー」と名づけた化粧品が完成し、美容家としての知名度がますます上がった佐伯さんは、人生の総仕上げのような挑戦に出た。
「銀座にサロンをもつことが、私の夢でした」
’08年、銀座8丁目という一等地のビルの2フロアを借り、5つのエステルームを5階にオープン。
4階には、佐伯式美容理論と技術を教えるプロのエステティシャン養成学校を作ったのである。