“カリスマ司会者”オプラ・ウィンフリーはなぜそこまで人気なのか
“最年少かつ最初のアフリカ系アメリカ人司会者”といわれています」(前出・ジャーナリスト)
大学卒業後は、メリーランド州ボルチモアのローカルニュース番組の司会に。
アメリカは日本と違って、テレビ局がアナウンサーを新卒で雇ったりはしません。地方局で下積みをして、徐々に人口の多い都市の放送局へのし上がっていく。エモーショナルな語りをする彼女の番組テープは関係者に出回り、’84年、異例の早さでイリノイ州シカゴのトーク番組に抜擢されました」(デーブさん)
彼女が引き継いだそのトーク番組は、当時かなりの低視聴率。しかもライバル番組は、全国区の知名度があるタレントが司会を務めていた。
「オプラはニュースを伝える際、女性目線の考え方を投げかけ、怒りや喜びの感情をあらわにしました。コアな視聴者層は、昼間に家庭にいる女性。そこでニュースの話題も、それまでセレブのゴシップに重点をおいていたのを、家族や恋人との関係、体重の悩みなど多くの人が抱える問題を多く扱うように。
時には自分自身がレイプされたことを告白するうそのない彼女に、多くの視聴者が感情移入したのです」