日比谷野音ライブまであと数週間――。結成35周年を迎えるガールズパンクバンド・ロリータ18号の35年の変遷を辿る
ただ、インディーズブームのおかげでいろんなメディアに出させてもらって。その辺りから忌野清志郎さんと出会い、よく遊んでもらうことができたのはうれしかったですけどね。
ロリータ18号の名はさらに広まり続け、アメリカでのレコーディングやライブも敢行(1994年頃)
1997年にはメジャーデビューを果たしますが、ただし、同時に苦悩を抱えることも(1996年頃)
◆ロリータ18号・飛躍期(1997〜2000)
ライブや作品をきっかけに日本クラウンよりメジャーデビュー。ライブハウスシーンだけでなく、お茶の間にも認知され始め大きく飛躍を遂げた時代。一方、北海道から東京に戻り、名古屋のラジオレギュラーの生放送に出演し、また次の地方都市に戻るような生活を送り、当時の口癖は「家賃がもったいない」だった。このような慌ただしい日々の中でも、ジョーイ・ラモーン(ラモーンズ)、オルガ(トイ・ドールズ)といったアメリカ、イギリスの大物パンクミュージシャンのプロデュースを受けた作品を発表し、国内外のファンから大きな支持を受けた時代。
たこちロリータ18号のメジャー時代は「本当にすごいな」と思って見ていました。ずっと仲の良い関係ではあったけど、身近な友達が普通にテレビの音楽番組とかに出ていて。