美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う
本音って大体グロテスクで、エゴイスティックで、自分ですら向き合うのを避けたくなるようなものだ。
だけど、一度わかってしまえば、案外、なんだ、そんなことだったのか、と理性や論理で片が付くことはよくある。
もし生理前でもないのにただ無性にさみしいと感じるとき。本当は、その言葉のもっと奥にある何かが、“ここをケアしてほしい”と、しきりにSOSのサインを出している。
一見綺麗なベールの内側にある本音と覚悟を持って向き合うことで、そのときの自分に必要なものが、見えてくるのだろうと思うのだ。
Text/柴原明子
特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!
・さみしさは“人とのつながり”では満たされない/小池龍之介さんインタビュー