「ひとり」も「ふたり」も、どの関係が尊いかなんて他人にはわからない
「ひとり」か「ふたり」かなんて、
本当は外からはわからない
西川美和さんの『永い言い訳』を、映画でも原作小説でも、ご覧になった方はいますか? 妻を交通事故で亡くした主人公が、同じ事故で妻の友人を亡くした遺族と、交流を深めていく過程を描いた作品です(私は原作小説で読みました)。
そんな『永い言い訳』の特筆すべき点はやはり、「愛する妻を失った夫の物語」ではない、というところにあると思います。「愛する妻を失った夫の物語」であれば、映画や小説の主題として考えた場合、取り立てて珍しいテーマではありません。
『永い言い訳』は、「もう結婚してからずいぶんと期間が経っている、愛しているかどうかよくわからない妻」を失った夫の物語なのです。
「愛のない夫婦」は本当に冷たいか
主人公の幸夫は妻が亡くなったという知らせを聞いても、茫然自失としているだけでまったく悲しみを表しません。一方亡くなった妻の夏子も、幸夫に対する愛情はとうの昔に薄れていたことが、死後になって発覚します。だけど、もう愛してなんていなくても、長く同じ時間を過ごしてきた相手には、愛と見分けがつかない情があります。
『永い言い訳』はその、「男女や夫婦の愛ではない、だけど大切な人に対する思い」