はじめまして。6歳女子にこさん、2歳男子いっつん、0歳男子かいちゃんの母、いとよです。普段はインスタグラムで育児絵日記を描いています。パパの存在感を出すためにわが家の夫は職業柄、単身赴任であったり出張が多い仕事で、どうしてもママと一緒にいる時間の方が多かった娘。そんな娘に4歳頃から「パパのいいところ」を随時伝えてきました。ある日のこと。…………そのまま刷り込まれた感 がすごい。●そのお陰か、2人の関係は…今現在は一緒に暮らしていますが、パパと2人で女児向け映画を観に行ったり一緒にネックレスを作ったりする仲良しな2人です。●ライター/いとよ(@itoyoillust)
2018年11月12日「45年前、東京女子医科大学を卒業するとき、女子大なのに教授は男性医師ばかりで、少数の女性教授は、大部分が独身でした。出産や育児を我慢して働かなければ、教授などトップを目指すことはできないという雰囲気は、現在も変わっていないと思います」日本女医会の副会長を務める、スワミチコこどもクリニック院長の諏訪美智子さんが語る。東京医科大学で女子受験生の入試点数が意図的に操作され、不合格にされたのは、出産・育児で男性医師と同じように働けない女性医師を、医療現場が敬遠しているためだとみられている。最近では「女性医師の手術」に言及した男性週刊誌の記事も注目された。「だから私は、女性医師の割合も高く、育児環境が整った海外に出ようと決意しました」(諏訪さん)だが、現在は、諏訪さんのように、旧態依然とした男性社会で自分なりの活路を見いだし、第一線で活躍するママ医師が少なからずいる。そんな、若い女性医師が“お手本にしたい”と思うようなスーパードクターに話を聞いた。■小内友紀子さん(48)・福島県「常磐病院」「月~木曜まで、福島県の病院の泌尿器科で外来や手術に携わっています。木曜の診察が終わってから、家族のいる東京の自宅に帰宅。金曜日は埼玉の病院で外来をして、日曜日の夜に、再び福島へ戻る生活です。高2の長女からは“母親が単身赴任なんて珍しい”とときどきイヤミを言われますが」朗らかな笑顔が印象的なのは常磐病院に勤める医師、小内友紀子さん。東京女子医科大学卒業後に、泌尿器科に進んだ。「外科系なのに、他科に比べて結婚して子どもがいる女性医師が多かったので、女性も働きやすいのだろうと思ったんです」(小内さん・以下同)大学病院では、子育てをしながら外来や手術に奮闘。女性専門の排尿障害外来の立ち上げにも携わった。当初は大学病院で働き続けるつもりだったが、3年ほど前に心境の変化が――。「大学なのに、論文を書くことも後輩を指導することもない中途半端な立場でした。排尿障害専門、がん専門と専門性が強い大学病院では、広い分野の手術は経験できません。それで閉塞感を感じ始めていました」そんなとき、福島県いわき市にある常磐病院にいた先輩から「うちなら好きなように働けます」と誘われた。当初は、家族が東京にいるのだからと諦めていたが、次女が中高一貫校に入学したことが大きな転機となった。「高校受験のサポートも必要がなくなって、単身赴任も可能になったと一大決心しました。でも、長女には猛反対されて……」ただ、最後には「50歳を目前にして、医師として最後の挑戦をしたい」という母の思いを受け止めてくれた。「諦めたのかもしれません(笑)。そして今は、しっかり家事のサポートをしてくれています。平日の朝は、長女がご飯を炊いて、私が作り置きしておいたおかずを2つのお弁当箱に詰めて学校へ。毎日電話で“ガールズトーク”しているので、距離は離れていても心は近くにあると感じますね」そんな家族のバックアップに感謝しながら、改めて医師という仕事にやりがいを実感している。「排尿障害に悩む女性患者のニーズが高い女性医師は、いわき市ではまだ少数。患者さんに心から喜ばれるという瞬間は、本当に医師冥利に尽きますね」多くの患者に必要とされ、経験を積み重ねることで技術も磨ける。小内さんの目は輝いていた。小内さん以外にも、医療現場の“変革”に前向きに取り組んでいる女性医師たちは大勢いる。これからますます「女性が働きやすい病院」が増えていくことに期待したい。
2018年10月10日「実家の両親と離れて暮らしている家庭は多いですよね。いっしょに暮らしていないから、扶養家族と見なされないと思い込んでいませんか?じつは、別居している親でも、生活費の面倒をみていれば、『扶養控除』の対象になるんです」こう話すのは経済評論家の加谷珪一さんだ。’19年10月には消費税が10%に引き上げられる予定のため、「税金額は上がるのに、受け取れる年金額は下がるかも」という、家計の圧迫感が“半端ない”時代に突入することに。「所得から徴収される税金額を少しでも減らすことは、自分と家族の家計を守るために必要な手段といえます。その節税のために知っておくべきなのが『所得控除』。所得控除とは、医療費や保険料をはじめ、社会生活を送るために負担した額を、課税対象となる所得から差し引くことです。差し引いた額に税率をかけることで所得税が決定されますから、控除額が多いほど所得税は低くなるわけです。冒頭に挙げた扶養控除のほかにも、さまざまな控除がありますよ」(加谷さん・以下同)所得にまつわる主な控除には次のようなものがある。【1】基礎控除所得のあるすべての人が対象。控除額は年額一律38万円。【2】社会保険料控除社会保険料を納めた人が対象。控除額は1年間に納めた社会保険料の全額。【3】生命保険料控除生命保険の保険料を納めた人が対象。控除額は、保険の種類ごとに年額最大4万円(生命、医療、年金それぞれで最大12万円)。【4】地震保険料控除地震保険の保険料を納めた人が対象。控除額は年額最大5万円。【5】DC(確定拠出年金)の控除掛金を払った人が対象。控除額は年間掛金の全額。【6】扶養控除所得が一定金額以下の満16歳以上の親族を扶養している人が対象。控除額は扶養親族の年齢によって諸規定あり。【7】配偶者控除年収103万円以下の配偶者がいる人が対象。控除額は70歳未満であれば最大38万円。【8】配偶者特別控除年収103万円超の配偶者がいる人が対象。控除額は最大38万円。年収150万円を超えると控除額は減額。【9】医療費控除年間10万円以上の医療費を支払った人が対象。10万円を超えた部分が控除対象額。【10】雑損控除災害・盗難で損害を受けた人、保険でカバーできなかった分が対象。控除額は所得に応じて諸規定あり。【11】寄付金控除特定の寄付をした人が対象。控除額は「寄付金額−2,000円」(所得に応じた上限あり)。加谷さんによれば、ほかにもユニークな控除があるという。「医療薬から転用された一般医薬品を1万2,000円以上購入した人が、最大8万8,000円まで控除を受けることができる『セルフメディケーション税制』が導入されています。ドラッグストアで指定の医薬品を買うことが多い人は、使ってもいいかもしれません」この控除、デメリットは、前述した「医療費控除」と併用できないということだ。さらに——。「会社員には『特定支出控除』があり、交通費や引越し代、資格取得費、単身赴任の旅費、図書費、制服費などが該当します。ただ、会社に申請の計らいをしてもらう必要がありますので、単身赴任や転居費など以外は、なかなか会社に『控除のために書類を整えてくれ』と言いづらいかもしれませんね」
2018年07月25日単身赴任で夫がそばにいない、家事・育児・仕事をすべてひとりでこなしている…。一度は、「ワンオペ育児」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?そもそも、「ワンオペ育児」とはどういう状態のことを指すのか、「ワンオペ育児」になりやすい夫婦の傾向など、これまでママテナでは、さまざまな側面から「ワンオペ育児」というものを掘り下げてきました。そこで今回は、なかでも反響のあった「ワンオペ育児」関連記事を6つピックアップ。「ワンオペ育児」と聞いて心当たりがあるなら、ぜひ読んでみてください。その1●「ワンオペ育児」が増えている理由は?そもそも「ワンオペ」とは、「ワンオペレーション」のこと。もともとは、飲食店などの店舗をひとりでまわしている状態などを指して使われていた言葉です。「男性の育児参加時間は増えている」というデータもありながら、「ワンオペ育児」が増えている理由は?どうやら「共働き」が関係していそうです。▼続きはこちら▼その2●「ワンオペ育児」にならないための3つのコツ夫の単身赴任や病気などの特別な事情で、ママがひとりで育児をしなければいけないことを「ワンオペ育児」といいますが、夫婦共働きであることが理由になることもあるそう。共働きでも、「ワンオペ育児」にならないようにするコツはないもの?心理カウンセラーの霜丘麻依さんが、3つのコツを伝授!▼続きはこちら▼その3●夫婦で「ワンオペ育児」のつらさを共有する方法おもに、母親が育児や家事を一手に引き受けざるを得ない状況を意味する「ワンオペ育児」。問題のひとつに挙げられているのが、「パートナーにつらさを理解してもらえないこと」だそう。「どうせわかってもらえない」と諦めるのは、早合点。夫婦で「ワンオペ育児」のつらさを共有するための2つのポイントを紹介します。▼続きはこちら▼その4●完璧主義なママは危険!?「パラレル家事」で「ワンオペ」を回避完璧主義なママほど、夫や子どもに頼らず、ひとりで何でもしようとする傾向があるといいますが、それでは「ワンオペ家事」や「ワンオペ育児」になりかねません。もし、ママが病気になったら…?そんな状況を作らないためには、「パラレル家事」がおすすめとのこと。「パラレル家事」の特徴をまとめています。▼続きはこちら▼その5●専業主婦とワーママでは「ワンオペ育児」のつらさが違う?おもに、ママが家事や育児、そして仕事をひとりでこなす状況のことを「ワンオペ」と言いますが、専業主婦と働くママでは、そのつらさが異なるそう。それぞれの「つらさ」について、解説しています。▼続きはこちら▼その6●「ワンオペ育児」になりがちな夫婦の性格「ワンオペ育児」になってしまう原因はさまざま考えられますが、“イクメン”の理想と現実のギャップもそのひとつなのだとか。また、夫婦の性格も影響しているケースも…。「ワンオペ育児」になりがちなママ・パパの性格は?▼続きはこちら▼
2018年05月26日春は変化の多い季節。家族間の変化でいうと、夫の単身赴任などで家族が離れ離れになってしまうという人もいるかもしれませんね。夫との間に物理的な距離があいてしまう時、心の距離まで開いてしまわないようにするためにはどうしたらいいのでしょう。今回は、夫と分かれて暮らす際の距離の埋め方、また同居中でも気持ちが離れてしまった時の対処についてお話していきましょう。■夫が単身赴任! 物理的な距離に負けない心の距離の縮め方期間限定の単身赴任はそれほど心配いりませんが、特に期限が決まっておらず夫と物理的な距離が空いてしまう場合は、「気持ちが離れる可能性がとても高い」という危機感を持っておくようにしましょう。もし、お互いが不在の生活に慣れてしまい、何もアクションを起こさないままというのは、浮気などの危険性がとても高くなります。そうした状態を回避するには「メールではなく、1日1回電話する」といった、互いの存在を認識し合うコミュニケーションが非常に有効です。家族と離れた生活は、どんな男性でもさみしくなることはあります。それを埋めてくれる家族以外の存在を作りたくなってしまうこともあるでしょう。けれど、妻と密なコミュニケーションが日常的に行われていれば、夫はほったらかしにされているさみしさを感じにくくなります。また、子どもを電話口に出させたり、手紙のやりとりをさせたりするのも効果的。「俺には家族がいる」「子どものために頑張ろう!」といった責任感を芽生えさせ、家族のつながりをあらためて感じさせることができるはずです。一方、“亭主元気で留守がいい”とよく言われますが、妻は「いないほうが何かと楽である」ことを夫自身に悟られないようにすることも大事です。「俺がいないほうがいいんだな」という気持ちを抱かせてしまうと「頑張ろう」「早く一緒に暮らしたい」という気持ちがなくなってしまうのでくれぐれも注意しましょうね。■夫のことは嫌いではないけれど…同居中でも心が離れてしまったら?「同居していても夫と気持ちが離れてしまう…」という場合は、どうすればいいのでしょうか。気持ちが離れてしまうには、その理由が必ず存在します。まずは、どうして気持ちが離れてしまったのか、自分の心に問いかけてみたり夫と話すなどして、その理由を探してみましょう。自分の主張、夫の主張が見えてきたら、どれだけ相手に歩み寄れるかを考えてみます。自分の主張を曲げてまで、夫と心の距離を縮めたいと思えるかどうかも重要です。「夫のことは嫌いではないけれど、わざわざ結婚している意味が分からない」という場合は、将来に向け、夫婦共通の目標を持ってみるのもひとつの方法です。「子どもたちが自立したら世界一周でもしよう」「小さくても良いからお店を持ってみたいね」といった夫婦2人の夢を持つことで、「自分1人だけ」の未来のビジョンが「夫婦2人」のものとなり、すでに開いてしまった心の距離を埋めるキッカケとなるかもしれません。 ■「妻から離れがちな夫」「夫を離さない妻」のタイプとは?世の男性のなかには「奥さんがいないと何もできない」タイプもいることでしょう。料理などしたことがない。家事も人任せ。これまで自分ひとりで生活してきたことがなく、結婚してからも妻にすべてを依存している夫の場合、単身赴任で「浮気に走りやすい」傾向があります。その理由は、できないことだらけの自分ひとりの生活に嫌気がさし「妻の代わりになってくれる存在」を探してしまうからです。夫の身の回りや家のことすべてを切り盛りする“できた妻”は要注意! 「家のこと、何もできないから心配…」と送り出した単身赴任の夫が、わずか数カ月で“妻の代わり”を見つけてしまうケースは少なくありません。一方、物理的な距離が開いても夫の心を離さないタイプの妻も存在します。それが“夫に(表面上だけでも)頼りきっている妻”です。妻に頼り切っている夫は単身赴任中、他の人に目がいきやすいと前述しましたが、その逆の場合、妻が夫に頼り切っている場合は離れていてもうまくいくケースが多いです。というのも、“夫頼り妻”は意識せずとも夫と密なコミュニケーションをとろうとするため、夫は妻の存在を常に意識しています。どんな男性もさみしくなることはあります。そのことを意識して、お互いの存在を意識させる時間を持つようにしましょう。そうすれば、例え距離が離れていても、いつも夫を近くに感じることができるかもしれませんね。
2018年04月16日ウーマンエキサイトで人気連載中のちゅいママさんの記事 「転勤族妻のリアルな悩み! 子どもの転校、夢の持ち家…いつまで夫に付いていく?」 で「転勤」についてのアンケートを実施しました。子ども時代に親の転勤での引っ越しを経験した人、現在親となって実際に転勤を経験した人などから、転勤エピソードがたくさん届きました。家族全員の一大事である「転勤」。パートナーや子どもに対してどのような影響をもたらすのでしょうか。■パートナーの転勤にいつまでついていく?パートナーが転勤になった場合、みなさんの家庭では家族一緒に転勤地で暮らしますか? その場合、いつまでというような期限を設けているでしょうか?Q.転勤族、いつまでついていく?子どもが小学生まで 44.9% 子どもが未就学まで 23.8% 子どもが中学生まで 13.8% ついていかない! 10.0% ずっとついていく!4.2% その他 3.3% アンケートの結果では「ついていかない!」と答えたのは10%と低かったのですが、「ずっとついていく!」というのはさらに低く4.2%でした。大多数の方は「パートナーについていく」けれども、それは期限付きという結果でした。自分自身が子どもの立場で転勤を経験したことがある人、またはわが子に転勤を経験させた人などから転勤による引っ越しや、引っ越し後の生活についてのエピソードを教えていただきました。■引っ越し経験があるママが一番つらかったこと今回、「転勤による家族の引っ越し、引っ越し後の生活について、エピソードがあれば教えてください」で集まったなかには、ママ自身が親の転勤で引っ越し、転校を経験したという人からの意見が多く寄せられました。ママ自身が小さかったころであれば、親の転勤辞令はほぼ命令に近い状況だったでしょう。また共働き世帯が多くない時代でしたので、いまより「転勤=引っ越し」が多かったかもしれません。1度目の小1のときの転勤ではイジメにあい、いまでもあのときのことを覚えています。その後、楽しく学校に行くようになり、みんなで中学生になることを楽しみにしていたときにまた転勤。大号泣でした。一番楽しい時期に親の都合で引き離されるのは本当につらいものです。新学年になったばっかりなのに転校には苦労しました。とくに6年生のときは神奈川から大阪に引っ越しで、文化の違い、言葉の壁、思春期真っただなかで、つらくてしょうがなかったです。高学年での転校はつらかったです。女の子の友だちの輪に入って行くのは大変です。ちょっとしたことでいじめられました。でもそんなことよりも転勤のせいで行きたい高校に行けなかったことが一番つらかったです。女の子は親元離れてまで良い高校に行かなくて良いという親の方針で、転勤先の高校を受験しました。だから、子どもたちには行きたい学校にだけは行かせてあげたいと思っています。そのために単身赴任になるならしょうがないかなと。転校による友だちとの別れ、そして新しい場所で最初から作り直すことへの苦労を経験したという人が多くいました。またおそらくママとして子どもを転校させる上での最大の悩み「いじめ」もやはりあるようです。しかしなかには、引っ越しや転校をポジティブにとらえた人、また当時はイヤだったけれども、大人になって役立ったと答えている人もいます。幼稚園2つ、小学校3つ、中学校3つ行きました。定期的に引越すので時期が来れば「そろそろ♪」とワクワク。小さいうちはたいしたいじめもなく興味を持って接してくれるので友だちもその日のうちにできました。家族が何よりの支えで、三姉妹で年子だったのも不安がなかった原因かもしれません。小学校の当時は嫌でした(笑)。泣いて「行かない!」って言いました。でもちゅいママさんのおっしゃるとおり、コミュ力かなり高めに育ったと思います。なにより大学生以降出身の話になると「そこ住んでたことあります」と共通の話題ができました。引っ越した経験が活きる人、嫌な思い出となってしまった人と、両方の意見があり、一概に引っ越し経験が良い、悪いとはいえないようです。■忘れがちなママの大変さとはそれではいま現在、転勤に伴う引っ越しを経験している人はどういった心境でいるのでしょうか。「土地によって人柄が大きく異なってびっくりした」「『大変なときほど離れん方がええ』という義母の言葉に納得した」など、いろいろな環境でがんばっている声が聞かれました。しかし転勤に伴う引っ越し問題で忘れがちなのがママの大変さ。子どものメンタルに気を取られがちですが、ママには自身のメンタル問題に加えて、引っ越しに伴う作業が襲い掛かってきます。まず引っ越しによる手続き、作業が大変。ゴミの出し方、病院、習い事などをまた覚えたり、探したりするのが大変。子どもが精神的に不安定になり、荒れたりするので大変。決まっていた幼稚園も決めなおし、実際幼稚園に入るまではほんっとうに知り合いも友だちもゼロで、子どもを連れて行く場所もわからないし、話し相手もいなくてストレスもたまり何度も泣きました。子どもと夫がインフルエンザにかかったときは、『このままだと家族がつぶれる』と危機を感じ、何かあったとき用のライフライン(預かり保育など)を調べましたがうまくいきませんでした夫の転勤に伴う引っ越しだった場合、家のことはママ中心になりがち。役所関連、保育園、学校関連から始まり、近所づきあいや荷物づくりまで作業範囲は多岐にわたります。また引っ越し先で仕事を見つけようとする場合、目の回るような忙しさとなるでしょう。これまで仕事をもっていたママが夫の転勤をきっかけに退職した場合には、家計への圧迫も緊急課題となってきます。環境変化によるココロへの影響とともに、まさに転勤は家族の一大事件といえそうです。■単身赴任を決意するきっかけは何?アンケートでも「期限を決めてついていく」としている人が、82.5%もいました。転勤妻であるちゅいママさんも「子どもたちが大きくなっていくにつれて、いつまでも夫の転勤に付いていくわけにもいかないでしょう。」と言っています。また同じような転勤妻である友人が住居を固定して、子どもを転校させないようにしたという年賀状がきたことを明かしています。では単身赴任を決意するきっかけはどういったものなのでしょうか?わが家も転勤族でちゅいママさんと同じこの春4年生の長男がいます。性格は消極的で控えめ、はじめての環境には自分から飛び込んでいけず、回りを見て慎重に行動するタイプです。うちの子のタイプは先生もクラスメイトもだれも知らない環境ってものすごくストレスなんじゃないかと思い、小3で家を持ちました。この春また転勤が決まり単身赴任中です。上の子が高校に入ったのを機に夫には『次は単身赴任で』とお願いしました。自分で選んで受験もがんばった高校を転校させるのはしのびない。しかもうちの場合普通科ではなく本人の強い希望で特色のある学科に入ったので、どこでもそれが学べるわけではない、というのも大きな理由です。子どもの小学生のタイミングで単身赴任を選択した人、子どもの高校進学時に単身赴任を選択した人など、その時期は家庭によってさまざまですが、アンケートでもっとも多かったのは、「子どもが小学生までついていく」でした。このことから中学生以降は単身赴任を検討する家庭が多いといえそうです。子どもにとって転居、転校は良くも悪くもアイデンティティについて考える大きなきっかけにもなります。個人の性格、学校の雰囲気を含む転居先の環境などさまざまな要因はありますが、それがどういう方向に転ぶかは経験してみないことにはわからないところに不安があります。とくに自身が転校を経験しているママの場合、子どもが思春期に差し掛かる前の小学校までを区切りと考える傾向が強いように感じました。たとえ家族が離れて単身赴任となったとしても、子どもの環境はしっかりとした根を張れる場所を作りたいと考えるのかもしれません。また、中学、高校にもなると、受験をした学校に通う子どもも多くなり、学校を変えることも難しくなります。こういった学業面の理由で、このタイミングから単身赴任をスタートさせるという方も多数いました。■単身赴任すると、家族はどうなるのか「パートナーどちらかが単身赴任となり、家族がわかれての生活について、エピソードがあれば教えてください」で集まった意見の多くが、「夫がいないとご飯が手抜きできて楽!」という意外な結果に。リズムをつかむまでは苦労を感じることも多いようですが、「慣れれば楽」のコメントは言い得て妙なのではないでしょうか。さびしがりやの主人なので、かなり遠方なのに毎週帰ってきてました。予想してたけど、主人がいないと何と家事の楽なこと! 夜遅くに食事を用意しなくていいし、簡単なものでも子どもたちは大喜び。洗濯物も少なく、散らかってない!はっきり言って快適でした。ただ、子どもが保育園に行っていること、週末は主人が遊び相手してくれてたのでそう思えたのかもしれないです。子どもが小さいときに、主人の海外転勤が何度かありましたが単身赴任をしてもらいました。いまは無料でテレビ電話できますし、毎日必ずパパとその日あったことを話してたので、一緒に暮らしてるいまより夫婦の絆も深かった気がします。何よりご飯手抜きしてぶっちゃけ楽でした~(笑)。一緒にいるいまのほうが部屋が散らかったり大変だなーなんて思っちゃいます。夫がいると、掃除に食事にとがんばっていたことが、手抜きでもだれも文句を言わないとなると、ついついだらけてしまう。だからこそたまに会ったときには「ご飯をがんばりました!」という人もいれば、「 ときどき帰ってくる旦那のご飯が面倒でたまらなくなる」という人も。夫には少しかわいそうな妻の本音でもありますが、なかには深刻な状況となった家庭もありました。子ども中心になり子どもの行事に合わせたりしていると、夫の単身赴任先に行かなくなる。夫の意識として「帰るのが面倒だな」と思い始めると、家族が顔を合わす機会がグッと減ってしまう。会わなくなれば、子どもは懐かなくなり、夫の子どもへの愛着も薄くなりがちで家族の危機を迎えてしまう。半年ほど夫が単身赴任になりましたが、お金が本当にかかり大変でした。いろいろな支出が倍近くになります。そして夫のいない生活が快適すぎて、再び一緒の生活に戻ったときがキツかったです。一時的にでも家族が離れて暮らすのは良くないと強く思いました。家族に会えない寂しさからか、または何もすることがない休日のせいかギャンブルにはまってしまい、貯蓄が底をつき借金生活となったという方も…。引っ越しにはまとまったお金が出ていくことが想像できますが、拠点が二つあるところで、知らないうちに日々の出費がかさんでしまうというのは単身赴任の見落としがちなデメリットのようです。■転勤辞令が出たら家族はどうすればいいのかこれまでは転勤があるのは男性が圧倒的で、女性は「ついていく」「ついていかない」の決断を迫れられてきました。しかし多くの女性が仕事を持つ現代で、その二択だけしか方法はないのでしょうか。「転勤を断ったら出世に響く」はまだまだ現存するかもしれませんが、「働き方改革」が進められるなか、今後はますますワークライフバランスを守りたいという気持ちが高まってくることも考えられます。「そんなに転勤ばかりさせることが本当に必要なんですか? いまどき、長期の出張や電話会議で何とかなるのでは?」という意見も寄せられました。夫の夢も大切、子どもも大切。でも自分の夢も大事。「仕事も家族もあきらめたくない!」は、けっしてワガママな意見ではないと思います。また子どもが独り立ちする年齢になった転勤族の方は「私は夫と2人で全国移動をするつもりです」と、まるで旅行でもするかのように答えてくれた人も。家族移転か単身赴任か、それを決定するために子どもの年齢が大きく関わってくることは事実でしょう。そしてどちらに決めたとしても、思いどおりにいかないこともたくさん出てくるだろうと思います。けれど、家族で考えて出したその想いと経験が家族の絆になるといいですね。もし一度決めたことでも、子どもの問題や生活における不満が出てきたら、その都度家族で話して、軌道修正していければ、きっとその家族にとって一番落ち着く場所にたどり着けるのではないかと思います。Q1.転勤族、いつまでついていく?回答数:428件Q2.転勤による家族の引っ越し、引っ越し後の生活について、エピソードがあれば教えてください 回答数:89件Q3.パートナーどちらかが単身赴任となり、家族がわかれての生活について、エピソードがあれば教えてください回答数:46件(アンケート集計期間:2018/4/5~4/9)
2018年04月12日わが家は全国転勤族です。転勤妻たちの間では、「いつまで夫の転勤に付いていくか?」という議題がよくあがります。いつ、どこに転勤になるかわからない私たちにとって先は読めません。辞令が出たら雪国だろうが南国だろうがそこに赴くしかないので、「住む場所を選ぶ自由」はあまりありません。住む場所を固定すれば家族がバラバラになるし(単身赴任)、家族が一緒に暮らすとなれば住む場所は選べない…。何かを得るためには何かを諦めなければいけない生活を続けていかざるを得ません。結婚した友人たちが次々とマイホームを建てていく様子を「いいなぁ…」と憧れもしますが、子どもが小さいうちは家族一緒に暮らすことが私たち夫婦の優先事項なので、現状はマイホームを建てるという選択肢がわが家にはありません。何かを諦めなければいけないのは子どもたちにとっても同じです。■転勤妻の苦悩転校や転園をしていかないといけないのですから、「(生まれ育った)地元」や「幼馴染」というものはわが家の息子たちにはほぼありません。ですが、いずれこの生活にも区切りをつけなくちゃいけない時が来るとは思っています。子どもたちが大きくなっていくにつれて、いつまでも夫の転勤に付いていくわけにもいかないでしょう。特に中学や高校となると、転校もさまざまな理由で難しそうなイメージです(あくまでイメージです。経験してみないとわからないこともいっぱいあると思います)。転勤族の夫を持つ友人たちの中では「どこのタイミングで夫に単身赴任をしてもらうか」についてよく話題になるのですが、特に今年の年賀状では変化が見られました。長男と同級生(小学3年生)の子どもを持つ転勤族の友人の多くが、子どもと一緒に地元(妻側の生まれ育った地)に戻っていたのでした。第1子が小学校3年生。おそらく、第1子が多感な時期(小学校高学年)に入るまでにどこか1か所に住居を固定して、これ以上転校しなくて済むようにしようと考えたのではないでしょうか。これは私もよく理解できます。わが家の場合、そのタイミングをいつにするのか夫婦で話し合ったりもするのですが、今のところまだ答えは出ていません。私の考えとしては、いずれわが家もどこかに住む場所を固定して夫に単身赴任してもらうしかないのかな? と思うのですが、思春期まっただ中の息子たち3人を私1人で束ねられる自信がありません。今でさえ夫がいないと息子たちが全然言うことを聞かないのに、反抗期の男子3人を私1人で見られる気がしないのです。夫は自分の仕事のせいで子どもたちが転校をすることを申し訳なく思っているようですが、かといってずっとここにいるわけにもいかないといったジレンマを抱えています。そして、子どもたちもそれぞれ性格が違いますので、意見が割れています。■長男の「2度と引っ越したくない」の理由幼稚園を転園した経験のある幼稚園組の下2人は「また引っ越してもいい~!」というスタンスですが、小学校の転校を経験した長男は断固反対。「もう2度と引っ越したくない!」と拒否反応を示しています。次男三男はまだよくわかっていないところもあるのでしょう。引っ越しを楽しみにしている様子すらあります。しかし、長男にとってはおととしの転校が堪えたようです。転校したくない理由を聞いてみると…第1は、「また最初っからやり直さなくてはいけない」ことだそうです。まぁ…たしかにそうですよね。新しい学校に慣れるまでにはいろいろと大変なことがあるのでしょうが、長男の場合は、授業の内容や生活の流れという事に関してはさほど苦労せずになじめたようです。しかし、登校初日に全校生徒の前で紹介されたことが緊張したこと。教室に入って行ったときにみんなが取り囲んで盛り上がるので、どうしていいのかわからず引いてしまったこと。みんながうわさをするのが「自分の悪口を言ってるんじゃないか?」と不安になってしまったこと。そして何より、新しい友達を作る事を1から始めなくちゃいけなこと…。これらが辛かったようです。思い返してみれば、最初のころはずっとあてもなく校庭をフラフラ歩いていたり、1人でずっと図書室に行っていたりしていました。本人はそれを「楽しい」と言っていたのですが、きっと彼なりに新しい環境に適応するための術だったのだろうな…と思います。これも経験してみたからこそわかることですね。転校することになったと告げた時には特にショックを受ける様子もなかった長男ですが、いざ転校してみてはじめて気づいたことがいっぱいあったんだと思います。その後、1年ぐらいはずっと前に住んでいた山口に戻りたい、山口の小学校に戻りたいと言っていました。今でも「山口に戻りたい」という事があります。残念ながら山口に戻る予定は今のところいっさいないので、高校を卒業したら山口に戻ってそこで暮らせばいいと長男には伝えています。しかし、慣れ親しんだ土地でずっと育っていけることが本人にとっては1番幸せだったんだと思うと、叶えてあげられないことが心苦しくもあります。私の身近で転勤族家庭で育った人は社交性が高い人が多いので、子どもたちにもいろんな場所にたくさんの友達がいることを誇りに思って、たくましく育ってほしいと願っていますが…。親の都合で振り回されざるを得ない子どもたちからしたら、複雑だと思います。さぁ~~…次に転勤辞令が出たらいったいどうなるでしょうか。長男が心配です。わが家がいつ、どこに住みかを固定するのか。流れに任せて進んでいくうちにどうにかなるかなと思っていますが、果たしてその先やいかに。
2018年04月05日夫の海外での単身赴任の生活が4年目に突入した我が家。これまで住んでいた東京から、娘3人と私の実家のある山口県の小さな町にUターンすることに決めました。田舎暮らしに憧れて?流行っているから?いいえ、いろいろな理由が重なったのです。人生のターニングポイントは、こういう偶然が重なって進んでいくものなのかもしれません。最大の理由は母親の闘病一番大きかったのは、母の病気でした。Uターンを決めた2017年秋。その約1年前に母は体調不良から病院を受診。すぐにガンが見つかります。「冷静に聞いてね…」と電話してきた母の声は、とてもしっかりしたものでした。電話を切った後にかなり動揺した私、そのとき初めて、親と一緒に過ごせる時間が有限であることを意識します。幸い、半年の治療後に、体に2カ所あった大きなしこりが消えていました。「残りの人生を楽しみながら、笑って生きたい!」と、前向きに生きることを決心した母。その年の夏休みの帰省では、大笑いする母の声、うれしそうな父の表情、また娘たちが私の両親に甘える姿が、これまでとは違って見えました。実家が自営業なので、いざという時に娘の私がサポートできることはもちろんですが、両親には孫たちと一緒に過ごした思い出を、娘たちには祖父母との記憶を残してあげたいという思いが強くなっていきました。ワンオペ育児の限界も…夫が単身赴任になる=マンパワーが減少するということは、単身赴任が決まったときから分かっていたことです。しかし実際にやってみると、ワンオペ育児はかなりハード。特に最初の年は、小学2年生と幼稚園の年長、保育園の2歳児。3人が通う場所がバラバラで、離れた場所にある幼、保の送迎だけでもグッタリ。習い事がある日は午後もあっちへこっちへと自転車で走り続け、週末は食事の準備も含め完全に子どもに付き合う日々。私はフリーランスで仕事をしているので、家での作業も多くあります。子どもをそっちのけで仕事をしたり、また違う日には子どものことに追われて仕事ができない日も…。バランスがとれないときは、気持ちがモヤモヤ。そのうちこのルーティンにも慣れてくるのですが、3年目に突入したころから、違う意味でワンオペの限界を感じ始めます。子どもたちへの精神的なサポートです。反抗期に突入した小学校高学年女子への対応は少しずつ難しくなり、また日々行われる姉妹の言い合いやケンカ、これも女である私が冷静に聞いておられず、仕事に追われている日はイライラが爆発ということも。彼女たちの相手は私1人では限界、「この日常に私以外の大人がいてくれたらなぁ…」と思うように。冷静に考えても、娘たちには「逃げ場」が必要、私には「話を聞いてくれる身近な大人の存在」が必要でした。田舎育ちの私が感じた、子どもが育つ環境の違い「田舎育ちの私が東京で子育て…。できないかも…」東京に戻る前の生活が、ゆったり大らかなオーストラリアだったこともあり、最初は東京の人の多さやスピード感、また情報量の多さに戸惑いながらの育児。これには徐々に慣れて順応していくのですが、長女が小学校に入ると、今度は自分が育った環境と、娘が育つ環境との違いを感じ始めます。教室やグラウンドの空間に対しての生徒数の多さ、立ち見で入れ替え制の運動会。マラソン大会は娘の学校では開催されず、5年間1度も長い距離を走ることがないことにも違和感。時代と地域性であることは理解できますが、勉強以外に大切なことや、子ども時代だからこその経験が不足しているのでは…と思うように。チャンスがあれば子どもたちに、今と違う世界も見てほしい、体感してほしいという思いも、私の中にあったのは確かです。帰る気が全くなかったのに…タイミングがきたこれら以外に小学校の建て替えや社宅の建て替え、さまざまな要因が重なったことでUターンを決意。ずっと帰る気がなかったのに、なぜか「タイミングがきた!」と感じたのが不思議です。年明けから人口2850人の小さな町で生活を始めた私たち。小学生の長女と次女は全校生徒65人の小学校にあっという間に馴染み、また保育園に通う三女は「毎日楽しいー!」と、新しい友だちとの生活を楽しんでいます。コンビニが1軒もない、スーパーもないので不便でないと言ったらウソになりますけどね。でも、なければないで何とかなるものです。最後に、現在単身赴任中の夫との関係ですが、夫婦関係の悪化での引越しではありませんし、夫との家族生活を忘れたわけでもありません。この数年の単身赴任の経験から、「あまり先を考えても仕方ないから、今、私たちにベストな選択をしよう。夫に合わせられるときがくればまたそのときに動けばいい」という考えに至りました。娘たちの表情を見る限り、Uターンして良かったと思っています。これからどんな経験をして、どんなことを感じるのでしょうか。新しい生活はまだ始まったばかりです。
2018年03月27日3月、年度末のこの時期は、異動発表にそわそわしている……という夫婦も多いのでは。共働きであったり子どもの転校が難しかったりと、転居を伴う異動になれば単身赴任になってしまうケースも。家族みんなで引っ越す選択をしても、妻の仕事などの問題があります。そんな、夫が転勤になったときに知っておきたいことをまとめました。 1. 「単身赴任」で心配なこと夫が単身赴任するにあたって、多くの妻が気になっていること、気がかりなことを挙げてみました。(1)費用はどれくらいかかる?引っ越し費用まずかかるのは引っ越し費用。会社側からの補助の有無によって家計への負担は異なりますが、アート引越センターの調査によると、単身者の引っ越し費用でもっとも多いのは10~15万円。平均は20万3000円でした。内訳でもっとも多くを占めていたのは家具や電化製品の購入額。引っ越し自体の割合は少なく、3万7000円という結果が出ています。期間が定められている短期間の単身赴任であれば、家具家電付きの物件を選ぶ方法もありますね。ほか、初期費用の抑えかたは以下の記事にもありますので、ご覧になってみてください。> 初めての単身赴任!最低限揃えるものと初期費用の抑えかた生活費一緒に暮らしていたころよりも、単身赴任のほうが生活費も上乗せされます。先ほどと同じアート引っ越しセンターが行った調査では、単身者の1ヶ月の生活費は「12~14万円」。平均額は16万7000円です。> メオトーク記事「単身赴任の生活費はいくらかかる?モデルケースで検証してみた」こちらの記事では不動産・住宅情報サイト「ホームズ」のデータより、生活費のモデル例をご紹介しています。合計金額は12~15万円。調査結果と大差ないことからも、多くの単身赴任夫が15万前後で生活していることがわかりますね。(2)浮気が心配単身赴任の寂しさや、一人暮らしを送る中で独身時代に戻ったような気持ちになるなどして、浮気をしてしまう夫も。妻としては夫の不倫が心配になりますよね。これまで以上に日々の夫婦、家族のコミュニケーションを大切にしたいところ。幸い現代では、気軽に連絡を取れる手段がたくさんあります。お互いにとって1番使いやすいものを選びましょう。ただし、不安なあまり過干渉になるのは返って夫にストレスを与えてしまい、不倫リスクを高めてしまう可能性も。メオトークでは、単身赴任を乗り切った妻たちの体験談も掲載しています。ぜひご一読ください。> 夫の単身赴任を乗り越えるための方法3つ> 単身赴任で離婚の危機!? 単身赴任中も良い関係でいるための3つのポイント(3)妻ひとりで子どもを育てられるのか子育てに関して不安を抱える妻も多いです。家事や育児の負担はもちろんのこと、子どものしつけ問題も。両親が揃っていれば厳しさと甘さをふたりで分担できますが、夫が不在中は妻がひとりでバランスを取らなくてはいけません。「怒ってばかりになってしまうかも」「子どもの寂しさを気にするあまり、甘くしすぎてしまうかも」と不安を感じてしまうことは無理もないこと。こちらも、実体験に基づいた「うちはこうしていたよ!」を参考にしてみてくださいね。> 夫が単身赴任中のママに聞いてみた!子どものしつけはどうしてる?> パパが不在だと甘えっ子になる?夫の単身赴任が子どもに与える影響 2. 「家族で引っ越す」上で心配なこと単身赴任についていくという選択肢を選ぶなら……。家族は揃って暮らせるけれど、心配になることはやっぱりありますよね。(1)自分の仕事はどうなる?リモートワークが可能かどうかを探ってみる保育園の待機児童問題や介護問題もあり、業務内容によってリモートワークを取り入れている企業も増えてきています。前例がなくても考えてもらえる可能性はゼロではありません。辞めずについていける道はないか、会社側に打診して模索してみましょう。現職に戻ってこられる制度の有無を確認する仕事をしている妻であれば、「仕事を辞めたくないからついていけない」と考えるかたも多いでしょう。実際に、ついていくか辞めるかの2択しか選択肢がないケースも多いです。公務員や一部企業では、「配偶者に同行するための休職制度」を導入しているところも。何年か後に今住んでいる場所に戻ってこられる転勤の場合、こうした制度があるかどうかはチェックしておきたいですね。休職制度がない企業でも、再雇用制度を整えていることがあります。資格を活かして転勤先で転職する資格を持って働く専門職の場合、転勤先で新たに仕事を探すという選択肢もあります。こちらは転勤先で長く住める場合に選びやすくなる選択肢ですね。フリーランスの道を模索する職種によりますが、会社を辞めてフリーランスとして仕事を続けても良いでしょう。現在増えてきているフリーランス人口。Web関係やデザイナー・イラストレーターといった仕事をしているかたは、こうした働きかたも考えてみてはいかがでしょうか。(2)子どもの転校で知っておきたいこと幼稚園・小学校以降は、夫の転勤についていく際、子どもの生活にも影響が出ます。幼稚園では入園金が再度転園先で必要になることも。制服や体操服の用意が新たに必要な場合もあります。また、子どもが成長しているほど、子どもにも子どもの社会があるもの。小学校高学年以上の転校は、本人が嫌がることも多いです。親主導で決定せず、子どもにも意思を確認しましょう。どうしてもついていかなければならない事情がある場合は、小さいお子さんであっても「こういう理由で引っ越しをするから、幼稚園や小学校が変わるよ」と話をすることが大切です。転校後はあまり過度に心配する必要はありません。しかし子どもの様子をよく見て、話をしっかり聞く時間は確保したいところです。ついていくのも、単身赴任を選ぶのも、どちらであっても大変さはつきもの。何年続くかわからない転勤の場合、先が見えない不安もありますよね。不安な点・気になる点は、夫婦で協力してひとつひとつ整理していきましょう。少しでも「転勤」に対するモヤモヤを減らせますように。 参考:アート引っ越しセンター:単身赴任家族の意識調査東洋経済オンライン:妻の働く意欲を奪う!いつか来る「夫の転勤」ベネッセ:親の引っ越しで転校、子どもの心のケアはどうすればいいの?
2018年03月18日元衆議院議員でタレントの杉村太蔵(38)が単身で平昌五輪レポートを決行。2月25日放送の「サンデー・ジャポン」(TBS 系)にてその模様が放送された。 杉村の目的は、藤澤五月(26)率いるカーリング女子日本代表チームの観戦。同チームを生で観戦したいと数日前に思い立った杉村は、数日前に韓国へ向かったという。 午前9時半頃、韓国・ソウルに到着した杉村だが、平昌行きの特急列車が午後2時まで満席という事態に。タクシーに乗るも大変な渋滞に見舞われ、通常なら1時間の移動に5時間も費やすこととなった。 会場でチケットを買い求めようとするも、長蛇の列。日本チームが出場するカーリングの試合は完売していたため、代わりにノルウェー対スロバキア戦を観戦したという。 これらを体験した杉村は「総括しますと、オリンピックは計画を立ててくるべきところだなということがわかりました」と反省の弁を述べた。 そのいっぽうで杉村は、現地ボランティアの対応を絶賛。「何が感動したかというと、何のツアーにも申し込まずに行った私が、会場までたどりつけたのはボランティアのおかげ」と感謝の言葉を口にした。 加えて、現地のセキュリティ対策にも感心。「強烈なセキュリティ対策。ものすごく厳しい」と評し、自身も荷物チェックを受けたと話した。 荷物のなかで、思わぬものが疑いの目を向けられることに。「サンジャポ特製マイク。ただのおもちゃなんですよ」と実物を見せて説明し、「これが怪しいっていうわけ。こんなのでやるのか、YouTuberか」と問われたという。「ノー、スポーツジャーナリストだ」と杉村が主張するも、「マイクが(コードに)つながっていない」と言われるなど、現地スタッフとの生々しいやり取りを明かしていた。 ちなみに杉村のレポートを見た爆笑問題の太田光(52)は「YouTubeでやってもらえますか?」とツッコミを入れ、田中裕二(53)も「わりと優秀なYouTuber」と評していた。
2018年02月25日我が家は、実家が遠方で、夫が単身赴任なので、何かの時に子どもを預ける先がありません。ですので、基本的に幼稚園行事などは3歳の息子も同伴させてもらって参加しています。先日も、幼稚園で娘のはじめての音楽会がありましたので、息子連れで参加したのですが…。暑くて暗くて人のたくさんいる会場で、息子が大人のようにまじめに音楽鑑賞なんてできるはずもありませんでした。いったん会場を後にし、次の娘の出番(3時間後)まで、園庭で遊んで待つことにしました。本来は親の事は気にせず行事に集中するべきですが、娘にとってははじめての音楽会だったので、しっかりやっている姿を見せたくてはりきっていたのでしょう。最後まで私の姿を見つけられなかった娘は、もぬけの殻のような顔をして演奏していました。なんだか、娘にも息子にもかわいそうなことをしてしまったなと思いました。これまでは一緒に連れていくしか選択肢がないように思っていましたが、場合によっては一時預かりなどを利用した方が、・娘のためにも(こちらの姿を確認して、演奏に集中できる)・息子のためにも(静にじっとしていなくてもいいし、会場でもみくちゃにならずにも済む)・夫のためにも(しっかりビデオに記録でき、離れていても子どもの成長を感じられる)・自分のためにも(娘の行事に集中できる)よかったのかぁと思いました。ただ、まだ一度も預かり保育を経験したことのない息子なので、またいつか来るであろう「預けた方がいい状況」になる前に、何度かお試しお預けをやっておこうと思いました。また、最後になりましたが、スペースがあるならば三脚があるとすごく重宝しますので、これから発表の場に行かれる方にはぜひとも持って行っていただきたいアイテムです(もちろん、禁止されていない場合は、です)!私は初めての音楽会だったので持っていきませんでしたが、みんな当然のように持参していました。三脚があれば、ビデオの画面揺れのストレスからも開放されるし、下の子にも構えるので、一緒に発表会に集中できますよ。
2018年01月05日夢のマイホームを手に入れた矢先に転勤……というのは珍しいことではありません。しかし、転勤の期間や同じ職場に戻る可能性、子どもの進路などにもよりますが、単身赴任でない限り、不動産は貸し出すか売却するかを選択しなければ、コストだけがかかり損してしまいます。ケースバイケースではありますが、売却を選択されている方も多いようです。そこで今回は、マンションを売却する際に気をつけるべきことをご紹介します。ここだけは気をつけて!マンションを売却する際の注意点マンションを売却すると決意したら、まずは次のことに注意しましょう。【住宅ローンの残債を確認】まず確認すべきは、未払いの住宅ローンです。転勤でマンションを売却する方の多くは、売却時にローンの残債があるケースがほとんど。その場合、売却するためには残りのローンを返済する必要があります。ローンの残債が貯金額でまかなえる場合は、一括で支払いましょう。あるいは、マンションの売却によって得たお金を返済に充てることも可能です。その際、売却価格が残債に満たなかった場合は、差額を貯金や借り入れなどで補う必要があります。マンションを貸し出して家賃収入をローン返済に充てる方もいますが、実際は修繕費や税金などの出費も多く、赤字になるケースもあるようです。ローンの残債があるときほど、売却を選ぶメリットが大きくなります。【信頼できる業者を選択】最も大切で、かつ難しいのが、マンションの売却を依頼する不動産会社を選ぶことです。すでに譲ってほしいという方がいる場合でも、さまざまな手続きや専門的な処理を行う必要があるので、不動産会社を通して売却するのがおすすめです。信頼できる不動産会社を選ぶには、信頼できる担当者を見つけるのが近道です。いい担当者にはいくつかの条件があります。1つ目に、わかるまで説明してくれること。マンションの売却というと、何もかもが初めてでわからないことばかりです。必然的に質問も多くなりますが、いい担当者はすべての質問に真摯に答えてくれます。また、専門用語を使わず、誰にでもわかる言葉で説明してくれるかどうかも、信頼できる担当者かどうかを見極めるポイントです。2つ目に、情報をオープンにしてくれること。売却価格決定においては、その価格になった理由や、現在の地価の情報なども説明してほしいものです。また、売却にかかる費用や手数料なども、事前にしっかり説明してもらわなければなりません。後で「聞いてない!」ということがないように、疑問点はその都度解決していきましょう。マンションの価格を無料査定してみるマンションを転勤前に売却するメリット・デメリットマンションの売却を依頼する不動産会社が決まったら、売却のタイミングを伝える必要があります。転勤時をタイムリミットとして転勤前までに売却する一番のメリットは、金銭的な負担が小さくなることです。現在もマイホームのローンを支払っている場合、転勤時までにマンションを売却することで、転勤先での家賃とローンの残債の二重支払いを避けることができます。一方、マンション売却による収入を考えると、転勤前までの売却にはデメリットが生じます。差し迫った期日を指定すると、不動産会社によっては値引きを要求してくるケースもあるからです。十分な時間が取れないために情報も集めることができず、納得した条件での契約が難しくなることもしばしば。相場より安い価格設定になる可能性もあるので、注意が必要です。マンションを転勤後に売却するメリット・デメリットもちろん、転勤後に引っ越し先からマンションの売却活動を継続することも可能です。転勤後の売却も見据えた売却活動のメリットとしては、検討や契約を、余裕を持って行える点が挙げられます。信頼できる不動産会社を比較検討しながら選んだり、納得した条件で売却するために交渉を重ねたりすることが可能です。そのため、情報不足の状態で、不動産会社に買い叩かれるという心配はほとんどなくなるでしょう。一方、デメリットはやはり、金銭面での負担が大きいことです。転勤後の売却を視野に入れている方は、家賃と住宅ローンの二重払いが可能か試算してみるといいでしょう。また、転勤先が遠く離れている場合は、不動産会社と実際に会って話す機会が減ってしまいます。交渉や契約という場において、電話やメールでは不安が大きいと考える方は少なくないでしょう。加えて、転勤後の売却では、時間に余裕があるからと、売却活動がつい後回しになってしまいがち。時間が経つにつれてマンションの価値は落ちる傾向にあり、売却価格が下がる可能性があります。マンションは、売ると決めたらできるだけ早めに処分するよう心がけましょう。まとめ所有している資産を手放すのは勇気がいることですよね。マンションとなると、その金額も決して小さくありません。転勤時の慌ただしい中であっても、慎重に検討する必要があります。まずは、売却したいマンションを取り巻く状況をしっかり把握することからはじめ、ぜひ納得のいく処分方法を見つけてください。まずはマンションの価格を無料査定してみる
2017年11月12日ウーマンエキサイトをご覧の皆様、こんにちは、ぺぷりです。おませな5歳娘と、イヤイヤ期真っ最中の2歳息子、単身赴任中の夫との、なんてことない日常漫画を描かせていただいています。この夏から夫の単身赴任が始まったのですが、内示をもらって実際に始まるまでの間、不安で押しつぶされそうでした。やっぱり家族でひとつの単位だと思っているので、そこが別々に生活することに違和感もありましたし、実家が遠方なので何かあった時(私が病気で倒れた時、災害時)に頼れる人がいないというのもすごく心配でした。そして何よりも、今の子どもたちのいちばん可愛い時期を夫婦一緒に見守れないのが心残りでなりませんでした。そんな不安を、完全ではないにしろぬぐってくれたのは、「ビデオ電話」の存在でした。メールや手紙ではすぐにレスポンスがこないので一方通行に感じてしまうこともあるし、時間的なラグがあって話がスムーズに進まなかったりということもありました。そんな中、リアルタイムで実際に目の前にいて話しているように感じられるビデオ電話は画期的でした。最近では、勤務後や土日に、ビデオ電話でゆっくりお話しすることが、日課になりつつあります。会えない分、画面上のパパに近づいて前のめりな子どもたちなのでした。そして、お仕事で海外出張に行くパパが真剣に話をしようとすると…?相手との限られた時間を大切にしようとするからか、単身赴任以前と比べるとお互いに自分のことをたくさん話すようになったし、相手の話も真剣にきくようになりました。(子どもたちは興奮して何が何だかわからなくなることも多いですが…)距離は離れているけれど、心は昔と変わらず家族皆ぴったりくっついているように感じます。単身赴任によって薄くなるかなと心配した絆が、今もしっかりと結ばれているな、と。本当に、文明の利器には感謝の言葉しかありません。現在単身赴任中の方にも、これから単身赴任をされる予定の方にも、ビデオ電話はぜひともご活用いただきたい便利ツールです。マイナスイメージの強い単身赴任ですが、悪いことばかりではないですよ。離れてみて初めて実感する相手の大切さも身にしみますし、普段会えない分、実際に会った時のうれしさもひとしお…。まだまだ始まったばかりの単身赴任ですが、任期が終わるまでいろいろなツールに助けられながら、なんとか走り抜けていきたいです。
2017年10月06日ダウン症の娘との海外生活、紆余曲折の2年半Upload By Masami「障害のある子と一緒に海外で生活すること」について、考えたことはありますか?私は、現在16歳になるダウン症の娘と15歳の息子を育てている、40代後半のパート主婦です。娘がダウン症だとわかった時、将来、旅行ぐらい行けたらいいな…とは思いましたが、まさか家族で海外に暮らすことになるなんて夢にも思いませんでした。それどころか、夫には「もし転勤(もちろん国内)の話があっても、絶対に断ってね!!」と言っていたほどでした。ところが、娘が中学に入った夏、突然持ち上がった夫のタイ・バンコクへの転勤話。紆余曲折ありながら、2年半現地の生活を楽しんで帰ってきました。海外で障害のある子と暮らした体験談をつづりたいと思います。タイに行きタイ!なんて話していたら…Upload By Masamiダウン症の娘は、地域の保育園、小学校支援級、中学校の支援級へと進みました。中学校では、まさかの陸上部に所属し、私はそのサポートでバタバタとしていました。そんな時、夫に突然のタイ・バンコクへの転勤話が持ち上がったのです。娘が小さなころは定期的な病院通いや療育のこともあり、引っ越しなんてとんでもない!!と思っていましたが、中学に入るころには、いろいろと落ち着き、「今なら行ってもいいかも?」と思えるようになっていました。また、結婚した頃は海外赴任に憧れていた時期もあったので、夫婦で「タイに行きタイ!」と盛り上がりました。とはいえ、学校や生活はどうなるんだ??ということで、タイの情報収集を始めました。まずは学校。タイのバンコクには「泰日協会学校」(通称:バンコク日本人学校)という、世界で一番古い、しかも世界で一番生徒数の多い日本人学校があります。ホームページを見ると、小・中学校があり、支援級もあるとのこと。また、「Group With」という海外で暮らす家族をサポートしているサイトの、「海外日本人学校における特別支援教育―心身の発達に障害があり、特別な教育的支援を必要とする児童生徒の受け入れについて」というアンケートをみたところ、中学生の受け入れもあるような体裁で書かれていました(今ははっきりと小学校6年生までと書いてあります)。学校のホームページに「支援学校のお子さんは入学できません」とは書いてあったものの、我が娘は支援級在籍だし、何も問題ないだろうと思っていました。夫とも、「家族で行く方向で考えよう!」ということになり、数カ月後、夫は一足早くタイへ旅立っていきました。 With日本人学校編入希望が、まさかの「門前払い」に!?Upload By Masami秋から、次年度の入学・編入受付が始まることで、申し込み日に子ども二人分の申し込みをしました。ところが、まさかの「中学校には支援級がないので編入できません」とのお返事が…メールを読みながら、サーっと血の気が引きキーボードを打つ手がわなわな震えるのを感じました。しかし、伊達に障害児の母を15年もやっていません!(笑)わなわなしながらも、頭の中ではクルクルと相談先をサーチしていました。まずは日本人学校編入学担当者へ「なんとか受け入れてもらえないか」というメールを出しつつ、現地の情報を集めることにしました。偶然、以前勤めていた会社の同期がバンコクに駐在家族として住んでいたので、お友達経由で日本人学校中学部の障害のあるお子さんの状況を聞いてもらいました。また、日ごろお世話になっている元支援学校の先生に、お知り合い経由で情報を聞いてもらうことにしました。すると、このネット時代、海外の情報なのに、その日の夜には情報が入り始めました!どうやら中学校にも障害のあるお子さんがいるらしいけれども、支援級は設置されていない様子。そして、今後も障害のある生徒の中学部の受け入れは難しい状況のようだということがわかってきました。それでもやっぱり「家族でいたい」決意の先に見えてきた道Upload By Masami当時、下の息子は小学校5年生。思春期の入り口で、とてもこれからの数年間を父親なしに私だけで育てる自信はありませんでした。また、中学生になったとたんに、娘の進路に就労のことがちらつき始め、なんとなく閉塞感もあったことから「とにかく家族でタイに行く!!」という方針は変えず、最悪の場合はホームエデュケーションでもいい!!というつもりで方法を探ることにしました。日本人学校の小学校部支援級にいたお子さんが中学部に上がる時はどうしているのかと聞いたところ、ほとんどが日本に帰るか、現地校に行くとのお返事でした。でも、具体的な行き先は教えてもらえませんでした。次にあたったのは、「海外子女教育振興財団」です。ここにメールで相談したところ、インターナショナルスクールで障害児を受け入れているところをいくつか紹介してくれました。しかし、どこも軽度の発達障害のお子さんが対象のようでした。その次に、前出のGroup withのページでバンコクにある親の会「OZの会」の存在を知り、そちらにもメールを出しました。すると、財団では紹介されなかった学校情報をいただくことができました。そのうちの一つが、娘を受け入れてくれた、イギリス式インターナショナルスクールの養護学校、「The Village International Education Center 」でした。夫が「14歳の日本人のダウン症の女の子で、全く英語がわからないけれど受け入れてもらえるか?」とメールを出したところ、「大歓迎です!あなたのお嬢さんのよりよい教育環境を一緒に考えるために、日本からでは大変だと思うけれども、できたら、一度見学に来ませんか?」とすぐにお返事をもらいました。このお返事にどれほど救われたかわかりません。ちなみに、この他にも、タイの非営利団体が運営している「サタバン サエン サワン ファンデーション」という、障害児・者の通園施設に通っている日本人のお友達もいました。海外子女教育振興財団 Village International Education Centerサタバン サエン サワン ファンデーションここはプロ集団だ!やっていけそう!Upload By Masamiそんなわけで、12月のクリスマス休暇前に母子3人でバンコクへ下見に行きました。バンコクは思ったよりも都会で、日本語対応の病院も近くにあることがわかりました。街の治安も悪くなく、「ここならばやっていけそう」だと感じたのを覚えています。そして、家族でインターナショナルスクールの養護学校へ見学に行きました。ヘッドティーチャーと少し話したのち、実際のクラスに1時間ほど入らせてもらうことに。7.8人の子どもに先生が2人。丁寧に子どもたちを見ながら指導していました。いきなりの訪問にもかかわらず、娘をすんなりと受け入れ、工作をしたり読み聞かせをしたりしてくれました。娘も嫌がることなく、授業を受けている様子。その間、先生はじーっと子どものことを観察し、何ができて何ができないのかよく見ていました。日本だったら、すぐに「これはできますか?あれはどうですか?」と聞かれるようなところも、全て子どもとのやり取りの中で理解してくれたのです。できあがった作品に名前を書くとき、最後の最後で「彼女はアルファベットが書けるか?」と初めて私の顔を見て確認する様子を見て、「この人たちはプロ集団だ!やっていけそう!」と強く思うことが出来ました。背中を押してくれたのは、「専門家」ではなくて「私たちをよく知る人たち」Upload By Masami日本の特別支援教育を離れるにあたり、どこかサポートしてくれる機関はないかと、とある公的な相談機関にメールをしたところ「せっかくこれまで日本の教育で育ったのに、英語の環境になってしまうのはもったいない。たった2,3年の事ならば、お父さんに時々日本に帰ってきてもらうなどして親子の関係を保ちながら、日本で暮らすことを考えてもいいのではないか」というお答えもいただいたりもしました。でも、娘が小さなときから私たち親子をよく知る地域の主任児童委員さんや、保育園、学童の先生、友達も「家族一緒が一番、久保さんちなら大丈夫よ!!私達ここで待っているからいってらっしゃい!!」と笑顔で背中を押してくれました。そんなわけで、私達は無事2014年の4月からバンコク生活を始めたのでした。イギリス式の養護学校での2年間で学んだものUpload By Masami娘と同時期に日本人学校小学部を卒業したダウン症の男の子も一緒に入学しました。学校の中で唯一日本語が通じる相手で、最初は二人ともお互いを心のよりどころにしていたようです。彼と彼のお母さんがいてくれたおかげで、私達親子は頑張れたなぁと今でも出会いに感謝しています。最初の一年間は、学校の中には誰も日本語がわかる先生がいない状態でしたが、先生方はあたたかく私たちを受入れ、そして時には厳しく指導してくださいました。学校の大まかな流れ自体は日本とよく似ているので、娘たちは学校生活にすぐになじんでいきました。学校ではマカトンサインも取り入れていたため視覚支援も多く、困ることはなかったようです。2年目からは週の半分ほど日本人の先生がサポートで入ってくださるようになり、そこから英語の理解も進んだように感じました。娘たちは英語が全く分からないので、小学校高学年相当のクラスに入りました。授業は、算数、英語、理科、社会、家庭科、体育がありました。算数に関しては、日本の小学校のほうが難しいことをしているので、娘にとっては簡単に感じたようです。目標は「将来の自立」という点では日本と変わりはありませんが、そのアプローチは日本とはちょっと違うように感じました。どの教科も、体験を通して学んでいくスタイルで、ビデオやiPadも活用しながらすすめていました。学校で宇宙のことを学んだことで、バンコクで行われていたNASA展に興味を示したり、家庭科でバランスの良い食事について学んだことで食べるものを意識するようになったりと、学ぶことにより、娘の視野が広がっていくのを感じました。日本の中学校では、高校卒業後の就労を見据えて、洋服の畳み方だったり、挨拶の仕方だったりといった生活に関する体力作りが多くなり、教科学習が小学校に比べてぐんと減った感じがするのが、親としてはちょっと寂しかったのです。イギリス式養護学校での学びにより、生活や人生に幅が出るという体験はとても新鮮に映り、嬉しく感じました。また、先生方は娘に可能な限り英語も教えようとしてくださり、2年目に入るころにはヒアリングはかなりできている状態だったように感じます。日本で英語を教えたことのある先生が取り出しで教えてくれるようになったこともあり、結果として在タイ中に英検5級と4級に合格することが出来ました。これは、娘にとっても大変自信になりました。在学中に、学校のスタッフから感じたことは「障害があっても学ぶことを諦めない姿勢」だったように思います。学校にST・OTが常駐しており、学期の終わりには関わる先生と一緒に評価と次の学期の目標設定をします。生徒数50名程度の小さな学校なので、スタッフも先生も子どもたちの様子をよく見てくれているという印象でした。毎年全校で、リゾートホテルに泊まりに行く宿泊学習があったり、クリスマス前には全生徒が出演する劇もありました。劇が終わると学校の庭で先生や保護者と一緒にパーティーが催されるところが「インターナショナルスクールだなぁ!」と感じたところでした。1年目の担任はインド人のシルビア先生。長年特別支援教育に携わってきた大ベテランの先生です。娘たちのことを大変かわいがってくださいました。また、子どもだけではなく英語が全然できなかった私のこともフォローしてくれました。1年弱お世話になったところで故郷のインドに帰られたのですが、その時は涙の別れ。いつかインドに遊びに来てねとお誘いも受けました。また一人恩師が増えました。2年目以降は、イギリス人のエイミー先生。若くて年の近い先生で日本のアニメも知っていて、娘は先生と話したい!という気持ちが強くなって英語が上達したようにも思います。最後は娘お得意の「聞こえないふり」を見抜くほど娘のこともよく理解してくださいました。日本に帰国後半年ほどたったときに、バンコクに残る父親を訪ねながら、また学校で1日交流させてもらったのですが、どこの部屋へ行っても子どもたちやスタッフの歓迎を受けて、確かにここは娘の居場所だったのだなぁと、あらためてジーンとしました。制度がないだけに助け合うコミュニティUpload By Masamiタイには、首都バンコクを中心に約7万人の日本人が住み、バンコクの日本人学校は2017年5月現在は小・中学校合わせて約2600人の生徒が在籍しています。毎日約150台のバスが運行され、子どもたちを運んでくれています。日本人の多くが、企業のオフィスの多い街の中心地から、電車で30分くらいの範囲に集まって住んでいます。世界でも比較的治安のいいバンコクではありますが、やはり日本と同じようにはいきません。海外で暮らす人同士であること、また駐在家族は日本のように気軽にアルバイトに出たりできないため、時間に余裕のある人も多く、友達、近隣とのおつきあいは日本よりも多い印象です。日本のように、福祉の制度も整っていない反面、「何かできることがあったら言ってね」と言われることが多かった気がします。タイの特別支援教育・療育Upload By Masami前出の日本人学校には小学部に特別支援級があり、日本から特別支援教育のスキルを持った教員が赴任し、手厚く専門的な指導をしているとのことです。また普通級在籍の生徒にも必要があれば個別の支援が行われ、日本人学校においては日本と同じ程度の特別支援教育が受けられると思われます。しかし、義務教育期間ではありますが、私立なので障害のある児童や母国語が日本語でない生徒など特別な支援を要する児童については、学校と相談となるようです。詳しくはホームページなどに詳しく掲載されますので、ご確認ください。療育に関しては、日本のような療育施設はありません。その代わり病院にPT・OT・ST・心理職がおり、療育を受けることが出来ます。ただし、言語はタイか英語なので通訳を手配する必要があります。また、日本のように健康保険がないので、治療代については各企業で加入する駐在向けの海外旅行保険などで賄われます。また、療育センターに当たるものがありませんので、親子でのグループ療育や、保健福祉センターのように気軽に相談できる公的機関はありません。タイに在住の発達に心配のあるメンバーは、日本人会の相談会を利用したり、サークルで情報交換や日本で療育関係にお勤めされていたボランティアさんに相談をしたりしながら、各自の判断で病院での療育を受けながら子育てしています。子どもに寛容なタイUpload By Masamiタイは仏教が国教で、子どもたちを大事にするお国柄なので、子どもがどこで何をしても、タイの人たちは笑顔でそれを見守っています。日本人からしたら、「お行儀が悪いなぁ」と思えるようなことをしていても、誰も怒る大人はいません。それどころか「元気ねぇ」とでもいうようなまなざしで見てくれています。だから、ちょっと動きの多いタイプのお子さんをお持ちのママさんたちは、「タイは本当に育てやすい!」と話していました。また、困っていたらすぐに手も差し伸べてくれます。娘も身長がとても小さく子どもに見られるので、電車に乗るとすぐに席を譲ってくれます。障害者に対する差別がないわけではありませんが、「タンブン」という、来世のために現世で徳を積むという仏教上よいとされている行いが生活の中に根付いており、障害のある人に対しても大変親切です。車いすを利用している友人は、タクシーから降りるとすぐに人がワーッと集まってきて階段をあげてくれると言っていました。設備的には全くバリアフリーではありませんが、人の心にはバリアが少ないように感じます。世界各地からいろいろな人種、民族、宗教の人が集まる観光都市なので「多様性」には大変寛容なのだと思います。私もバンコクにいる間は、「日本人」つまり「マイノリティー」で娘と立場は同じでした。ですから、娘が「ダウン症」であることを意識する機会がすごく減ったのが大変印象的でした。海外赴任前に確認したほうがいいことUpload By Masami海外で暮らすときに、母親として気になるのは「教育」と「医療」です。現地の病院にかかる時は、会社が加入している「海外駐在保険」を利用してかかることが多いです。保険の種類によって、療育は保障の範囲外だったり、会社からも療育の費用は自費扱いとなったりする場合があるので、お子さんがたくさん療育が必要な年齢の場合は、費用負担がどうなるのかを確認しておくとよいでしょう。駐在で赴任する場合はたいてい日本の会社の健康保険はそのまま日本で使えるので、基礎疾患による経過観察が必要な受診や、詳しい発達検査などは一時帰国の時にまとめて受診する人が多いです。ただし、現地採用になってしまうとそのあたりがなくなってしまうので、注意が必要です。赴任する土地にもよりますが、たくさんの予防接種が必要な場所もあります。また、現地の医療のレベルには国によってかなり差があるので、よく情報を集めたほうがよいでしょう。小学校、中学校での日本への帰国は、住民票を入れた時点で問題なく転校できますが、養護学校高等部の編・入学については、自治体によっては自治体内の中学を卒業していることが要件となる場合もあるようです。お子さんの年齢によっては、そのあたりも各自治体の教育委員会に確認してから渡航することをお勧めします。また、海外へ引っ越しする際は、住民票は抜いていくので、「愛の手帳」などの障害者手帳は返還する自治体が多いと思います。よって一時帰国の際は手帳が使えません。ご注意ください。タイが教えてくれたことUpload By Masamiバブル世代なので、海外旅行は何度かいったことがありますが、住んだことはなかったので、今回改めて、「日本のあたりまえが当たり前じゃない」ということを強く感じました。これは、きょうだい児である弟も強く感じたようです。日本以外の多様な価値観を体で感じる機会に恵まれたことは、大変貴重な体験でした。また、タイ人の社員と仕事をしているお父さんたちの話を聞くと、その様子は、とても「障害者雇用」に似ているなぁと感じました。言葉がうまく通じない人たちといかにコミュニケーションミスを減らすか。相手の文化を尊重していかに心を通わせて、いいチームを作って企業としての成果を出していくか。障害のある人達もある意味「違う文化を持った人」と言えるのではないでしょうか。そういう意味では、障害のある子とない子が一緒に学ぶことも「インクルーシブ教育」と言わずに「グローバル教育」だと謳った方が受け入れてもらいやすいのではないかとも思うようになりました。タイは貧富の差が激しく、また、社会福祉の整備は先進国に比べて遅れています。しかし、だからこそ、人々の助け合いで成り立っている部分も多く、日本が失ってしまったものがたくさん残っているなぁと感じました。また制度がないからこそ柔軟に対応できることも多いのだと思いました。日本はこの10年、いや私たちが日本を離れている2年半の間にも、かなりいろいろな制度ができたり、児童デイなどの新しい施設が急激に増えたりと制度的には整ってきました。しかし、新たな問題も生まれており、制度や施設ができればそれでいいというものでもないのだなと、半世紀くらい遅れたタイの福祉の状況を見て思いました。最初から「無理」とあきらめないでUpload By Masamiタイで出会った、障害のある子を連れてまで海外に来たご家族は、みな明るく家族を大事にする人たちばかりでした。数年後に子どものライフサイクルに合わせて母子だけで帰国する場合も多いですが、「行けるところまでは家族一緒に!」という思いで来ているのは同じでした。障害のある子がいると、いろんなことを諦めなければならないような気がしてしまいがちです。しかし、「『やる!』と決めたら、道は開けてくるもんだよね!!」と、仲間たちとよく話していました。子どもが小さいうちはあまり実感がないと思うのですが、日本にいても、家族がみんな一緒に時間を共有できる期間は、実はそう長くはありません。一時の間、家族の時間を優先するというのも悪くないと自分や周りのお友達の様子を見ていて思います。しかし、海外は日本のように何でも整っている環境ではないし、治安やその他不安要素もあり、いい面ばかりでないのも事実。また、国や法律が守ってくれることも少ないので、すべてが「自己責任」となります。働くお母さんが増えてきている今、お父さんだけではなくお母さんにも海外赴任の話が持ち上がることもあるかもしれません。100人の話をきいたら、100通りの答えがきっとあり、どれが正しく、どれが間違っているとは言えないと思います。ただ、もしも、ご両親のどちらかに海外赴任の話が持ち上がった時は、最初から「ああ、うちは無理無理!」とあきらめるのではなく、ご家族の優先順位をよく話し合い、現地の情報を集め、あらゆる方法を考えたうえで決められるとよいのではないでしょうか。あきらめさえしなければ、親も子も「可能性は無限大!」2年間半のタイ生活を経て、実感しています。
2017年09月25日もし、あなたの夫が「他県に異動になる」と言ってきたら、どうしますか? 夫についていく? 単身赴任をしてもらう? 周りにも、仕事の都合で他県へ異動になる男性も少なくありません。そのために妻は「転勤についていく」か「単身赴任で頑張ってもらう」かの選択を迫られます。ある女性は、夫に単身赴任をお願いしたのですが、その理由は「子どもが新しい環境で馴染める気がしない。それに私自身、復職したばかりだから。」このように、子どもや自分の仕事によって残る妻も多いのではないでしょうか。しかし、会えない時間が家族の、そして何よりも夫婦関係にプラスになればよいのですが、実際はそうとは限りません。私のもとにも「単身赴任中の夫が不倫をしている」と言う相談も受けることがあるほど、単身赴任中の不倫は多いと聞きます。単身赴任中に夫婦仲に溝ができてしまう夫婦には下記の共通点があるようです。いない方が楽に感じてしまう実は、夫が単身赴任をしている妻から話を聞いていると、多くの女性が「夫がいないと楽だ」と回答します。「とにかく食事! 作っても帰りが遅いと食べないことも多いし、お弁当だって作っても時間がなかったとかで食べてくれないことも…単身赴任になってから、そんなストレスがなくなった!」(36歳/保育士)毎日いると、それはそれでイライラすることも多いですが、会わない時間がある分、会ったときに相変わらずの夫に対するストレスが一気に膨れ上がってしまうようです。コミュニケーションが不足する何と言っても、毎日一緒にいることでコミュニケーションをとっていた夫婦にとって、離れることでコミュニケーション不足になることは避けられません。そのため、今まで当たり前のようにしていた相談事も「この程度なら自分で判断しようかな」となって行きます。「夫婦の会話がとにかく減った。今まではテレビを見ながら等、何気ない時間もコミュニケーションをとっていたのに、必要最低限の報告のみで…そうなると戻ってきたとき会話が続かない」(40歳/介護士)■単身赴任で離婚がよぎる…妻の本音単身赴任が長くなると、妻もふと離婚が頭をよぎることがあるかもしれませんね。どんな瞬間に妻たちは、離婚を本気で考えてしまうのでしょうか?▼ワンオペ育児が大変夫が単身赴任でいないとなると、子どものお世話は基本的に妻が一人で担うことになります。近所に頼れる祖父母などが住んでいれば助けを求めることもできますが、そうでない場合は、妻は一人で抱え込み、夫への不満がどんどん募ってしまいます。特に子どもの年齢が低ければ低いほど、お世話の負担も大きいため、「どうせ一緒に暮らせないなら、離婚しても同じ」などと、離婚を考えてしまうケースが多いようです。▼浮気を疑ってしまう離れて暮らす夫の浮気を心配するのは、愛があるゆえの焼きもちや嫉妬ではありますが、常に浮気を疑い、神経をとがらせていては妻も疲れてしまいます。ついしつこく詮索したり、不安から夫を責め立ててしまったりすることで、もちろん夫も良い気はしませんが、妻自身もそんな醜い自分に対して嫌気がさして、精神的に追い詰められてしまうことも多々あります。すると浮気を疑ってしまうような今の環境から解放されたくなり、離婚を選択してしまうこともあるのです。■単身赴任中の夫が感じている本音では単身赴任をしている夫側の気持ちはどのようなものなのでしょうか?▼一人でさみしい家族と離れて一人で暮らす生活にさみしさを感じる夫たちは多いでしょう。そのさみしさが原因で、つい浮気に走ってしまった…なんていうケースも決して少なくありません。単身赴任中であっても、家族とのコミュニケーションをしっかりとることで、夫の浮気防止につながると言えるでしょう。▼子どもの顔が見たい愛するわが子となかなか会うこともできず、成長を間近でみられないさみしさは、もしかしたら妻に対する愛情以上になるかもしれませんね。単身赴任中に妻への愛が冷めてしまったとしても、子どもへの愛情から離婚はしない…と決断する男性も少なくないでしょう。▼自由な生活が快適で楽しい単身赴任で家族と離れるさみしさを感じる夫もいる反面、誰にも干渉されない自由な環境に居心地のよさを感じる夫も何割かはいるでしょう。自分のペースで暮らせる単身赴任の生活に快適さを感じていたとしたら、再び家族と暮らすようになってからが、夫婦の関係を試されるときなのかもしれませんね。■単身赴任が離婚危機に陥りやすい理由一般的に単身赴任は離婚につながりやすいと言われていますが、その理由はどのようなものがあるのでしょうか?▼浮気のリスクが高まるお互いに離れていることから、相手の存在が薄くなり、身近に頼れたり、魅力的に感じたりする相手が現れてしまうと、つい心が傾いてしまう確率も高くなるでしょう物理的に距離があり、「いてほしい時にいない」という状況が長く続くことで、気持ちがすれちがい、さみしさから違う相手を求めてしまうというリスクが生じてしまうのです。▼いない方が楽だと気づいてしまう夫婦二人ならまだしも、子どもがいる場合は、妻も毎日子育てに追われ、余裕のない生活を送ることになります。単身赴任でいない夫に「そばにいて手伝ってほしい」とはじめのうちは不満を感じるものの、夫がいない子どもとの暮らしに次第に慣れてしまいます。すると久しぶりに帰宅した夫に対して煩わしさを感じて、「いない方が楽」という事実に気づいてしまう…なんてこともあるようです。▼離れて暮らすうちに気持ちが冷める恋は三年で冷める…なんて言われますが、毎日の生活のなかで、愛を育めないとなれば、状況によっては愛が冷める速度も加速してしまうでしょう。近くにいて、コミュニケーションがしっかりとれていれば防げたすれ違いも、お互いに離れて暮らしていることで、ちょっとしたボタンのかけ違いであっという間に気持ちが離れ、関係が破綻してしまうこともあるようです。単身赴任の夫婦円満の秘訣は暗示にあり? 不安の乗り越え方単身赴任によって、どちらか(もしくはお互い)の気持ちが離れてしまうことがあります。大切なもののために、頑張っているのにそんな悲しいことはできるだけ避けたいですよね。昔と違い、今は気軽にリアルタイムで会話ができます。例えば、Skypeやテレビ電話などを利用すれば、家族みんなで会話を楽しむことができます。このように直接、家族がコミュニケーションをとることはとても大切です。しかし、子どもが成長すれば習い事や部活などで、会話する時間も減ってしまいます。そんな時に大切なキーワードは「暗示」です。暗示と言っても、あまり深く考えないでくださいね(笑)。そのポイントをご紹介します。夫婦円満への暗示その1:子どもに「お父さんの頑張り」を伝える単身赴任でも、いつまでも仲の良い夫婦は、必ずと言っていいほど、妻が子どもに夫の頑張りをしっかり話しています。「お父さんは、あなたたちのために、寂しくてもお仕事頑張ってるんだよ」「こんなにも大切に思ってくれるパパ、帰ったら美味しいもの作ってあげようね!」子どもたちと、こんな話をできるだけ毎日交わしてください。そうすることで、子どもたちもお父さんの大切さをしっかり忘れずに残すことができますし、何よりも、子どもたちに話すことで、夫の頑張りを自分の耳にも聞かせることができるためです。自分で口にすることで、感謝の気持ちを自分自身が実感できるため、帰ってきたとき心から喜ぶことができるようになります。夫婦円満への暗示その2:時にはアナログを駆使電話やメール等、気軽にコミュニケーションをとることができる今昨今。しかし気軽な分、軽い気持ちで終わってしまいがちです。離れている時だからこそ、月に一度、手紙を送ってみるのも良いでしょう。子どもたちと一緒にでも構いません、手紙でちょっとした気持ちを伝えるだけでも、相手にもしっかり伝えることができます。そして、手紙を書くことで、自分の気持ちを客観的に見つめなおすこともできます。「こんなに私、寂しかったんだな」「なんだかんだ言っても、頼っちゃうよな」なんて、今まで忘れていた気持ちを思い出すきっかけになります。単身赴任によって、夫婦の関係に変化が出てしまうのは、仕方がありません。そして、今まで頑張っていた気持ちを少し休めることがあっても大丈夫です。しかし、それと夫婦仲が悪くなることは関係ありません。そんなときは、自分ができる方法で「夫婦円満」を見つけてみてください。きっと、今までより今のほうが良い関係を気づくことができるでしょう。そして、夫が戻ってきたとき、笑顔で迎えることができるようになるのではないでしょうか。
2017年04月30日転勤族の妻につきまとうのが“単身赴任”の問題。「亭主元気で留守がいい…」よく耳にするこのフレーズ、夫が単身赴任になるまではピンとこなかった私ですが、実際になってみると…(笑)。今回は単身赴任経験者のママ66人のアンケートを元に、単身赴任の悩み、夫婦の問題を乗り切るポイントをまとめてみました。単身赴任期間とその理由今まさに単身赴任中25人、過去に経験がある35人、近い将来に予定がある6人。赴任期間で一番多かったのは、半年~1年が30%、次いで2~3年は26%。4年以上も離れているが12%も。単身赴任になった理由として一番多かったのは、「帯同できない地域だった」「子どもの学校を配慮した」で同率20%ずつ。次いで「勤務期間が短い」18%、「家・マンションを購入した」14%。自分がついて行きたくない、子どもがついて行きたくないというケースも。その他、共働きなので自分の仕事がある、ちょうど妊娠していた、親の介護などの理由がみられました。では離れている間、どのくらいの頻度で家族一緒に過ごせているのでしょうか?単身赴任の夫とどのくらいの頻度で会っていますか?毎週末会えているのが14%、月に2~3回、月に1回がそれぞれ31%と、ひと月の中で会える頻度が比較的高い人が“76%”という結果。週末に移動できる距離なら、無理をしてでも帰る努力をして家族で過ごしている様子がうかがえます。逆に2~3カ月に1回は6%、半年に1回が12%、ほとんど会えていないのが6%も。パパの仕事もハードでしょうが、待っているママと子どもたちも寂しく大変だろうなと想像しました。次に、家を守っているママの心配事や悩みについて聞いてみました。夫が単身赴任中の、妻の心配事や悩みは?「子どもが病気になったとき、人手が欲しいときにない」(ななせぶんさん)、「小さい子ども2人を一人で見るのは大変、自分のストレス発散がなかなかできない」(そらみさん)、「子どもが父親の存在を忘れないか、家族の気持ちがバラバラにならないか心配」(ぺこりのさん)、私もその気持ちがよくわかります。パパではなくママが単身赴任しているケースもみられ、「毎週末、片道5~6時間かけて移動するので経済的・身体的負担が大きい。平日の父子家庭の子どもへの影響も心配」(ATマチさん)という悩みもありました。二重家計などの経済的な問題、海外の赴任地によっては治安や医療面もとても気になるところ。そして男性の一人暮らしは食生活や健康管理も大変ですし、加えて女性問題…と心配事が尽きません。…そろそろ本題に(笑)。では実際にどのくらいの人が“夫婦関係に危機感”を感じているのでしょう?単身赴任で夫婦の関係に危機感を感じたことはありますか?離れている夫との関係に危機感を感じたのは29%、感じなかったのが71%という結果。危機感を抱いている人が、私の予想をはるかに下回ったのには驚きました。私は現在進行形で単身赴任を経験中ですが、夫のいない生活に慣れてきた頃から忙しさを理由に連絡が激減、ちょっとしたすれ違いがはじまり「このままではまずいな」と感じました。「久しぶりに会ったときにぎこちない感じ」(ぴっころりんさん)、「夫が家族の輪に入りにくくなり、何を話せばよいのかわからなくなる」(リスさん)、「会わないといなくてもいいかなと、必要性を感じなくなる」(くまおさん)など、思わずうなずいてしまいます…。「気づけば、子育ての考え方が異なっていた」(とどさん)と、コミュニケーション不足によって、二人の向かう方向がズレてしまうことも。驚きの回答、50%は単身赴任で夫婦関係が良くなった!しかしそんな中、これまた予想を反する回答が得られたのが、「単身赴任によって夫婦の関係は良くなりましたか?」の質問。“良くなった”と答えたのが、半数を占めたのです!「家事や育児の手伝いをしてくれないことへのイライラがなくなった」(のんきちさん)、いない人には期待もしませんしね、それもよーく分かります(笑)。「一緒に過ごせる時間が限られるので、以前よりも互いを大切に思えるように」(えままさん)、「お互いの存在が精神的な支えだと気づいた」(ありさりさん)など、パートナーのありがたさを改めて見直すきっかけになることも。他には「毎月必ず会って、新婚当時のような心になっています」(リンリンちゃん)、「会えない時間が愛を育て、相手を思う気持ちが強くなりました」(cervejaさん)とラブラブな夫婦の様子も聞けました。すばらしい!単身赴任中、夫婦間でどのような工夫をしていますか?最後に、“夫婦の関係を良好に保つための工夫”についても教えてもらいました。「なんでも相談すること。報連相(ほうれんそう)です」(たかさん)、「1日おきでもメールや電話で連絡をとる」(すぎ888さん)、「おはよう、おやすみの連絡は必ずしていました」(しーちゃん)と、頻繁な連絡を心がけることが基本。「子どもの行事や予定はGoogleカレンダーを使って共有し、夫の生存確認のためにLINEをしている」のは、そらみさん。カオリアさんのように「予定は相手に確実に伝えておく」ことも大切です。「一緒にいるときは全力で楽しむ」(ぺこりのさん)、「夜の生活は定期的に行う!」(ピコックさん)、「たまにデートをする」(ずっきさん)と、夫婦の時間を最大限に楽しむ努力も必要。「感謝を忘れないように心がける」(くみっきーさん)、「“ありがとう”を必ず言う」(のんきちさん)と、離れた場所で一人がんばるパパを思い、感謝の気持ちを言葉で表すこともステキだと思いました。決してマイナスだけではない単身赴任、この逆境が良い経験になったと言えるよう、夫婦・家族の絆を強めるチャンスにできるといいですね。私も今度の夫の一時帰国の時に、久しぶりにデートでもしてみようかな。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2017年01月10日つらいと思っていた早朝の移動、実はこれがこの旅を有意義なものにしてくれた。早朝に動くと午前中には目的地に到着でき、時間がムダにならない。リオ・デ・ジャネイロには9時過ぎに到着し、昼前から街を散策することができた。[行きの飛行機編はこちら][マカパ・イグアス編はこちら](どこでも眠れる三女)“Tバック”“カイピリーニャ”パラダイス!?リオを代表する観光スポットのひとつ、コパカバーナビーチ。朝からツーリストと地元の家族連れ、物売りの人々が混在している。忘れてはいけない“観光地=窃盗に注意”、気を引き締めなければ…。そしてこのビーチ、右を見ても左を見てもT、T、T、Tバック!(Tバック天国?)。「私も着なきゃおかしいでしょ!」と思えたくらい、子どもから大人まで、表面積の小さな水着。見たくもないのに大きなお尻が目に入り、慣れるまで目のやり場に困った。そしてこのビーチでひときわ目立っていたのが“スクール水着”の長女と次女。逆に見つけやすくて助かったのだが、リゾートビーチで妙に浮いていて笑えた。青い空のもと海を眺めながら飲む“カイピリーニャ”(さとうきびの蒸留酒カサーシャとライムのお酒)がおいしすぎる。(子どもたちにはココナッツジュースを)調子にのって飲み過ぎてしまった私、その日の夕方“カメラの存在”がすっかり記憶から消えていることに気付く。気付いたのはスーパーでお土産の買い物中。「カメラをビーチに置いてきてしまったかも!?お昼を食べたあそこかも!?」めちゃくちゃ焦り、表情が急変…。“盗まれたんじゃなくて、酔っぱらってどこかに置いてきたなんて絶対に言えなーい!!”もう買い物どころではなくなり、お土産をほったらかして急いでホテルに帰った。結局カメラはホテルの部屋のバッグの中にあったのだが、ブラジルでもこんなことをやらかしてしまう母、そしてそれに振り回される家族であった…。(いつも通り。笑)国際色豊かな現地ツアーリオでは市内の観光スポットを回る1日ツアーに参加。コロンビア、アルゼンチン、カナダ、オーストラリアの人々と私たち日本人。多国籍ツアーを率いるのは、めちゃくちゃ明るいブラジル人のおじさん。ポルトガル語とスペイン語、英語の3か国語を操る。このグループに入ると、日本は世界のほんの一部だと気付かされる。言語はもちろん、肌の色や目の色が違うのは普通。体の大きさや背の高さ…人と違って当たり前。他人との違いなんてどうでもいい!その感覚がとても心地よい。(シュガーローフマウンテンから、コパカバーナビーチを眺める)(外観だけ見られた、マラカナンスタジアム)“私たちの住む日本は小さな島国だけど、世界はこんなに広いんだよ”、子どもたちにそんなことが伝わっていればいいなと、ツアー仲間と1日を共にしてそう思った。(コルコバードのキリスト像、すごい人!!)必ず目に入ってくるファベーラ(貧民街)ガイドのおじさんが「あそこは高級住宅地、その上はファベーラだ」と指をさす。ビーチ前に立ち並ぶリゾートホテルからも、山側にファベーラが見えた。その背後の山頂にはキリスト像。どこを見ても“富と貧”が同時に目に入り、いやおうなしに考えさせられる。まるで世界の縮図を見ているようだった。(手前は教会、奥の山にはファベーラ)涙のお別れ旅の最終地はサンパウロ。リベルダージ(日系人街)のど真ん中のホテルに滞在し、ブラジル日系移民資料館やラーメン店を訪れ、新旧の日系文化にどっぷりつかった。ここでは地下鉄に乗るという冒険もしてみた。切符を窓口で買うなんて、ものすごく久しぶりで新鮮だ。(薄暗い地下鉄、ドキドキしながら乗った)親子水入らずの時間はあっと言う間、お別れのときが近づいている。長女と次女は数日前からカウントダウン、こっそり泣いていた。それをちゃかしていた三女。しかし別れのときは「とうさ~~~ん」と号泣。まだ5歳、父と一緒にいたい甘えたい時期だから無理もない。「元気で。また会おう」夫は初日に空港で出迎えてくれた時のように、笑顔で手をふっていた。この旅で見えたもの今回の旅の最大のテーマは“父の住んでいる国、町、仕事と生活”を見に行くこと。それは妻の私にとっても重要なことだった。夫のいない生活と、仕事と家庭の両立に必死だったこの2年間。忙しさゆえに夫との連絡が激減、「亭主元気で留守がいい…」あのフレーズが何度かよみがえった。実はすれ違っていたんじゃないか?と思える時期もあった。(この危機感を感じていたのは私だけらしいのだが…)彼の住んでいる家や町、職場、お世話になっている方々に会うことで、“今の夫”を知ることができたこと、小さなことのようだが私にとっては一番大きかった。不思議と私の心が落ち着き、これからは互いのギャップをもう少し上手に埋めていけるんじゃないか、そう思えた。「自分だけががんばっているんじゃない。夫がこうして働いてくれているからこそ、私たちも日本で安心して生活することができる」、当たり前のことだが改めて感謝した。そしてこの旅の間、文句ひとつ言わず、ケンカひとつせずに冒険に付き合ってくれた勇敢な娘たち、彼女たちの底知れない“順応力と潜在力”を見ることができ、母は心からうれしかった。そんな子どもたちを、もっともっと大きな気持ちで信じていこうと思った。旅の終わりに、海外コンプレックスだった長女が「外国は思っていたのと全然違ったよ!すごく楽しかった!!」と、生き生きとした表情で言った。“実際に自分の目で見て、肌で感じるとはこのことなのか!”、“娘3人を連れて来たことは間違いではなかった!”と一人感動、帰りの機内で旅の余韻にひたる母であった。…羽田空港到着後に、まさかのロストバゲージに気付くまでは…。(笑)そして3日後に手元に届いたスーツケース、お土産のチョコレートは何度も溶けて見事に変形していた…。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2016年10月10日マカパ空港、ターミナルで父に駆け寄り抱きつく3人娘。[行きの飛行機編]はこちらから。「よく来たね!!がんばったね!」その言葉とハグだけですべてが報われる。子どもと夫の嬉しそうな表情を見てまた涙が…。(涙腺ゆるみっぱなしの私。笑)「よかった、ここまで子どもたちを無事に連れて来ることができた」、夫の顔を見て私もホッとした。赤道直下のアマゾン、マカパブラジル北部のアマゾン川河口域にあるマカパは、ブラジルの中でも一番貧しいと言われるアマパ州の州都。家や建物、町を走る車やバイク、道路や露店、上半身裸で家の前でくつろぎおしゃべりする人々。茶色い水のアマゾン川。日本とはまったく違う風景に、子どもたちにはちょっとしたカルチャーショック。(大河アマゾン川を眺める)(赤道モニュメント:赤道を飛び越えて南半球から北半球へ)(寝るときはハンモック)アマゾン川沿いにあるローカルレストランで、はじめての本場の“シュハスコ”を食べた。(吹き抜けの店内、川からの風がきもちいい。暑いが日陰ならなんとか大丈夫)ビュッフェ形式で副菜をお皿に取り、焼きたてのブラジル風バーベキューをスライスしてのせてもらう。お皿ごと計りに載せて計量し、重さで料金を支払う仕組み。でもこれって野菜少なめで肉が多くても同じ値段?そのへんの価値がよくわからない(笑)しかし異国の食事は新しい発見がありワクワクする。肉は岩塩だけの味付けでうまみが引き立ちいい感じ。そして暑い中のブラジルビールがまた最高なのだ!あれだけ注意した野良犬に…マカパの町には野良犬が多いと聞いていたが、本当だった。やせ細った犬たちが道の端に座っていたり、歩いていたり。びびって走ると追いかけられもする。もしかまれて狂犬病にかかったりしたら命とりだ。だから「野良犬がにらんでも吠えても走っちゃだめだよ!」と、口をすっぱくして言ってきた。なのに走ってしまった…、一番心配していた三女ではなく長女が!!吠えた犬に一瞬反応した長女→それを見て犬が吠えながらこっちへ向かってくる→その瞬間、長女が小走りになった!恐怖の“野良犬スパイラル!!”反射的に「こら!!!走るなーーーっ!!」と、ドスのきいた声で娘に怒鳴ってしまった。幸い同行していた男性が犬を追い払ってくれ事なきを得たのだが、本当に怖かったのだろう、しくしく泣いてしまった長女…。(もしかして私の声にびびった?)どちらにしても無事でよかった。時差ぼけと暑さと闘いながらアマゾンを体感マカパでの2回目の朝を迎える。太陽は朝からギラギラまぶしいのに、体はすっきりしない…。昼間に眠くなり夜中や早朝に目が覚めるという、これがまさに“時差ぼけ”。日本とブラジルの時差は12時間、慣れるのを待つしかない。(アマゾン川から昇る太陽)体中にべっとりとした空気が張り付いてくる熱帯雨林気候、これも想像以上にしんどい。「意識して水をたくさん飲むように」と夫。背中のリュックには常に5人分の水を抱えている。子どもたちが喜んだのは、アマゾン川での“釣り”だった。「アマゾン川で釣りができるなんて夢みたい!」。風を切りながら進むボート、最高に気持ちいい!!しかし、ひとたびボートが止まると、ライフベストを着ている私たちは汗だく、熱中症へまっしぐら。「ひ~~、もう耐えられない…」そんな時に絶妙のタイミングで、長女がピラニアをゲットした!親は1匹釣れて内心ホッ、子どもたちが「釣れるまで帰らない!」と言い出したらどうしようかと思っていたから(笑)釣った魚ではないがアマゾンの魚やエビを食べる機会もあった。想像していた臭みはなく、淡泊でなかなかおいしい。子ども連れはFIXなしで、臨機応変な旅をブラジルに行くなら絶対に訪れたかったのが“イグアスの滝”。雄大な景色に憧れ、誰もが一度は訪れたいと思う場所だ。イグアス初日はブラジル側を攻め、翌日はアルゼンチン側を予定していた。ブラジル側を楽しんだ日の夕食時、三女が食べる前に眠ってしまった。疲れだろうと思っていたら、夜中に腹痛と嘔吐…。飲み物の氷か、生野菜か?トイレに駆け込むこと約10回、何も胃に入っていなかったのが幸いし、ひどく汚すことはなかったが、とにかくつらそう。しかし翌朝にはケロッ、さすが三女!彼女のたくましさに感心する母であった。(吐き疲れて眠る…)ブラジル国内の旅行の日程は、夫が大まかな予定を立てていた。飛行機とホテル以外は子どもたちの体調次第でいつでも変更できるようにと、かなりアバウトな内容で。ツアーも現地ホテルでチェックして申し込むなど、臨機応変に動けたのでとても気が楽、ストレスも少ない。これが自由旅行のいいところ。結局アルゼンチン側は次の日に延期して、午前中はホテルでゆっくりと過ごし、昼からパラグアイに足をのばしてみることにした。家族旅行でも楽しめた大冒険!陸路の国境越えイグアスはアルゼンチンとパラグアイの国境が近い。「島国に住んでいる子どもたちに陸路国境越えを経験させてみたい」と夫。彼のオリジナルツアーにのってみた。(ブラジル―パラグアイ往復、待ち時間も含めてタクシーの料金交渉成立)(パラグアイ:国境近くは外国人向けのショッピングモールと露店が連なる。ドキドキしながらの散策)どちらの国もタクシーで国境を越えたのだが、パラグアイは入国審査、スタンプらしきものは無し!アルゼンチンはしっかりと出入国をチェックされスタンプも押してくれた。この違いは何だったのだろう?謎だ…。(ブラジル―アルゼンチンの国境、壁の色がブラジルカラーからアルゼンチンカラーに)その後ブラジル旅行では、タクシーの運転手にはほとんど英語が通じず、ポルトガル語で交渉する夫に頼りっきりとなる。ポルトガル語が通じなかったら、どれだけぼったくられるんだろう…?そんなことも頭をよぎった。イグアスの滝では、次女が滝の水しぶきを浴びて大喜びしている。片や三女はここぞという見どころでいつも泣いていた。どうやら足元の網目から見える滝が怖いらしい。怖いので父に抱っこしてもらうが、こちらも滝に落ちそうで怖い。「もう帰りたいよ~~~」、水の勢いと音、体に感じる地響きのような感覚を恐れて泣く三女。そんな姿がかわいいやら、おかしいやら、かわいそうやら。(図太いと思っていたあなたにも、怖いものがあったのね。笑)滝の近くまで行けるボートは年齢制限があって乗れなかったが、支流の川でゆったりとした流れを楽しめる“エコボートツアー”に参加し、イグアスを満喫することができた。ブラジルに着いて6日目、時差ぼけも解消されみんな調子がでてきた感じ!次はリオ・デ・ジャネイロだ!早朝5時の便での移動となる。が、深夜2時に起きられる自信はまったくなーし(笑)(つづく…)<文・写真:フリーランス記者林未香>
2016年10月06日「父さんのいるブラジルに行ってみようかな…」ある日、長女がつぶやいた。夫が単身赴任となり、丸2年。機会があれば一度は夫の住むブラジル、アマゾンに行ってみたいと思い続けてきた私。唯一、拒み続けたのが人一倍慎重派、3人娘の長女。日々テレビから流れるテロや爆撃のニュースで、「海外=怖い」⇒「日本から出て生きて帰れるわけがない!」そう考えていた小学4年生。その彼女がついに!よし、娘たち全員が行く気になったのならブラジル、アマゾン行き決行だ!!実は気が重かった、ブラジル行きと、はりきったものの、実は母の私が一番気が重かった。小4、小2、年中の3人を連れて、夫の赴任先アマゾンまでは遠すぎる…。行程は、成田→フランクフルト(ドイツ)→サンパウロ(ブラジル南部)→ベレン(ブラジル北部)→赤道直下のマカパ(ブラジル北部)、フライトの合計は28.5時間!トランジットも含めると約2日がかりの旅となる。この長旅、子どもたちに耐えられるのか?!それに付き合う私は大丈夫?子どもたちから「まだ?」「今どこ?」「あとどのくらい?」と聞かれ続け機内でイライラ…、想像しただけもゾッとする。その他にも心配事は尽きない。狂犬病や黄熱病などの蚊を媒体とする病気、窃盗や殺人など…(リオ五輪開催中、テレビで窃盗シーンが頻繁に放送され、かなり恐怖感をあおられた)。心配すればキリがなかった。我が家には冒頭に紹介した長女の下に、おとなしいが芯の強い次女、とにかく明るい三女がいる。一番の心配は三女、5歳児だ。彼女は、時々予想もつかないことをやらかしてくれる自由人。そんな彼女の行動も心配だった。「一番危ないのは下の子ですね。小さい子は突然走りだしたり、動物に近づいたりするから…野良犬に噛まれないように注意だね」と予防接種を相談したドクターにもクギを刺される。「あと、蚊には刺されないように!」もしかしたら三女は現地の病院にお世話になることになるかも…、頭をよぎる不安。万が一のために海外旅行保険にはしっかり加入しておいた(保険は大切!)。いざ出発!そんな心配事を抱えたままバタバタと準備に追われ、ついに出発の日。成田空港、諸々の手続きを済ませ出国手続きも完了。「よっしゃー!行くでー!」、元気がわいてきた!(笑)あれだけの心配事が吹っ切れているのが自分でも不思議なくらい。背中のバックパックが妙に軽く感じる。「この旅を楽しむしかない!きっと私たちの人生で一番の思い出になる旅だから!!」と、成田を発った。問題は機内と長いトランジット時間子ども連れの旅で一番の課題は、長い機内とトランジットの時間をどうやって過ごすか。機内は4列続きの席(母としてはそれだけでも気が楽に)、子どもたちは各席のモニターのおかげで、映画やゲームでそれぞれの時間を過ごしハッピー。取り合いにもならず、音も気にならない、誰一人として「まだ?」と聞いてくることなく、今思えばとても平和な時間だった。今回はフランクフルトでトランジット、ここで登場したのが“ミニオセロ”と“ドラえもんの都道府県すごろく”のミニゲーム。目新しいぬりえと子どもの雑誌も、このときのために買っておいたアイテムだ。そして子どもたちが飽きる前に転々と場所を変えながら過ごしたのは、なかなかよい作戦だった。ブラジル到着!!最初に覚えたのは“SAIDA”フランクフルトから約12時間で、ブラジル、サンパウロに到着。朝5時。ここで国内線に乗り換えとなる。スーツケースを受け取りドメスティック(国内線)へ行くつもりが、あれ、どっち?早朝でスタッフが少ない中、制服姿の人を発見!すかさず「どっちに行けばいいですか?」と英語で尋ねた。返ってきたのは流暢なポルトガル語。うっ、全然わからない…。チケットを見せると、「・・〇#$%#□+・・・SAIDA(サイーダ)・・・#□$+」、指さす方向を見ると“SAIDA=EXIT(出口)”。「なるほど、いったん出口を出ろってことね」と、出口に向かう(この旅で私が最初に覚えた記念すべきポルトガル語が“SAIDA=出口”となる。笑)。入国審査、ここも人が少ない。しかも職員は楽しそうにぺちゃくちゃお喋り。本当にここで大丈夫?と目を疑う。が、お喋りしながらも仕事はできるようで、入国スタンプ、ペタン!無事にブラジルに入国でき、ひとまずホッとした。アマゾンにやってきた!これから先、アマゾンに向け少しずつハードルが高くなる。空港内で6時間を過ごし、そろそろだと搭乗口近くに座って待つことに。1時間前に様子を見に来たときより、人が減っている気がする…。そしてこの瞬間に夫の言葉を思い出す、「空港では、チケットを見せて何度も確認した方がいい」。念のため確認、スタッフにチケットを見せたところ「搭乗口変更、233だよ」。うっそー!このタイミングでまさかの搭乗口変更?!「子どもたち、急いで!ここじゃないんだって!」、4人で焦って移動。飛行機には何とか間に合ったが、搭乗するまで本当に合っているのか、とても不安だった。ポルトガル語を知らない=アナウンスもまったく耳に入らないということか…。そういえばブラジルに着いてから、カフェでの支払い金額も聞き取れなければ、説明される内容もまったく理解できない。“言葉が通じないことがこんなに不便で大変だったとは!”、ある意味新鮮なショックを受けた。(ジェスチャーで買った、パンジケイジョとコーヒー)3時間半でアマゾン北部、ベレン空港に到着。飛行機を降りた途端ム~ン、暑い!空港周辺はヤシの木が生い茂り、突然のスコールありで、これまでの景色とまったく違う。熱帯雨林だ!暑さに耐えられず上着もTシャツも脱いだ。治安がよくないと聞いているので、緊張感も徐々に高まる。実は出発前に夫から“一眼レフはNG”と禁止令が出ていた。「コンデジ(コンパクトデジカメ)も気軽に出して撮ったらダメだぞ」、“狙ってください”と言っているようなものだから。空港内はなんとなく大丈夫そうに見えるが、子ども3人連れだから警戒するに越したことはない。「マカパまであと少し。あと1便飛行機に乗ったら父さんに会えるよ!」と、子どもたちを励ましながら、隅の方で目立たないように過ごす。ベレンを飛び発ち、窓の下には深い緑の中に茶褐色の川。アマゾン川だ!とうとうここまでやってきた!子どもたちも父に会える喜びを抑えられない。マカパ空港、タラップを降りて父の待つターミナルに向かう3人。たくましいこのうしろ姿!この姿を見られただけでも、連れてきてよかった!!涙)本当にここまでよくがんばった!「あ、父さんだ!!」「父さーーん!!」子どもたちが父に駆け寄った。(つづく!)<文・写真:フリーランス記者林未香>
2016年10月03日【R30=オトナ女子の恋愛事情第7回】~海外へ単身赴任した夫の留守中に年下の社員と不倫中~K(38歳・会社役員)「30歳で起業し、ある程度、仕事が軌道に乗った35歳の頃、共同経営者の彼と結婚。社内をはじめ関係各社からの盛大な祝福を受けて、順風満帆な人生を送ってきました。業績も右肩上がりの中、海外展開は急務と考え、彼がひとまずシンガポールへ移住することに。以前からお互いに多忙だったため、離れて暮らす状況がつらいとは思ってなかったのですが、やっぱりどこかさびしかったみたいで…。ある日、部下の男性と飲みに行ったら、酔っ払いすぎた私はうっかりお持ち帰りされてしまったんです。普段からタイミングよくフォローしてくれたり、何かとデキる人なので、気に入ってはいたのですが、まさかこんなことになるとは。夫は唯一無二の存在だけど、部下の彼との関係も心地よくてやめられず。これがバレたらどうなるんだろう…。」●軽い気持ちで不倫して、深みにハマる女子が増殖中不倫に興味はありますか?ドキドキ感がたまらないという人もいますが、軽い気持ちで一度すると、麻薬患者のように深みにハマって、なかなか抜け出せなくなってしまうそうです。夫が一番大切と言いながら、部下との関係も楽しんでいるK。このままでは、いつか後悔することになりそうです。●「わかっていても止められない」不倫しやすい女子のタイプ4選・よくも悪くも欲張りな努力家人からうらやましがられるような生活をしていても、本人の理想がその遥か上を行っていると、いつまで経っても、何を手に入れても、私は誰からも認められていない、こんなに頑張っているのに!という苛立ちだけが続いてしまいます。そんなある種のヒステリーを鎮めるためには、刺激的で背徳感のある不倫という恋愛スタイルが実は最適なのかも。夫もいて愛人もいるという状況は、欲張り心を満たすには最高のシチュエーションなのでしょう。・パートナーとのSEXに不満がある夫より身体の相性がいい、と感じてしまうと、こういう状況に陥りやすくなるようです。どれだけ夫を愛していても、SEXの阿吽(あうん)の呼吸までかみ合っている完璧な相手ではないかもしれない、というのが哀しいところ。夫とのSEXに何らかの不満を持っていると、他の人に抱かれたとき、一気にヒートアップする可能性大。離れ離れで暮らしていて人肌恋しいのも、過ちを繰り返す大きな一因になります。・疲れていて癒されたい職場でも夫の前でも、しっかりした女を演じなければ、と思っている女子は誰かに癒してほしいと思いがち。その相手として愛人は最適なのでしょう。また、日々忙しく過ごしている人ほど、新鮮なトキメキや非日常的な刺激を求めがちです。お互いに自分の一番いい姿を演出することで、ハイライトシーンだけを都合よく共有している不倫の形では、相手の心底の素性まではわからないもの。そのスリルにハマってしまうと、簡単には抜け出せなくなります。・「私はいい女」だと思っている支えてくれている周りの人の協力や知恵のお陰で今の自分があるのに、それは当然だと思って感謝の心を忘れている、自信満々の女子。既婚女性に手を出す男なんて、ほとんど下心しかないのに、私が魅力的だから…なんて都合よく解釈していたら、痛い目を見るのは当然です。同性の友達が少ない人はこの素養が高いかも!勘違いもホドホドに。●「ひとこと処方箋」あれもこれも手にしようなんて、ちょっと欲張り過ぎですよ。今のステータスはすべて自分で手に入れたと勘違いしているかもしれないけれど、それをお膳立てしてくれたのはパートナーや周りの人たちです。手軽な不倫相手に没頭するのは楽しいと思いますが、そこから抜け出せなくなって大事なものを失くしたりしないようにね。もちろん独身の人も、「結婚してないんだからいいじゃん!」と、パートナー以外の人と遊びまくったりするのはNGです。夢から覚めたときに後悔しないように気をつけましょう。結婚・妊娠・出産など、女性として実にさまざまなターニングポイントを生きる“オトナ女子”のリアルな恋愛事情、次回もお楽しみに!(文=静野美穂)
2013年08月13日男の食卓にありがちなこととは?ひとり暮らしや単身赴任などで、自炊をしている人は多いと思います。好きなものを作れる楽しさもありつつ、後片付けなどの面倒なこともありますよね。自炊派の皆さんは、どのようなことを感じているのでしょうか。自炊しているとありがちなことについて、392名の男性に調査しました。>>女性編も見るQ.自炊しているとありがちなことを教えてください(複数回答)1位揚げ物はつくらない36.5%2位同じものばかりつくってしまう19.6%3位丼やワンプレートですます17.9%4位何日も同じものを食べ続ける15.8%5位賞味期限が切れる13.8%■揚げ物はつくらない・「買った方が楽だから」(29歳/生保・損保/事務系専門職)・「油の始末に困る」(31歳/金融・証券/営業職)・「油が飛んで掃除が大変」(30歳/金融・証券/専門職)・「揚げ物は揚げ終わったころにはニオイで食欲がなくなってしまう」(44歳/情報・IT/技術職)■同じものばかりつくってしまう・「レパートリーが少ないので、どうしてもそうなってしまう」(24歳/情報・IT/技術職)・「同じものしか作れない」(28歳/自動車関連/技術職)・「頑張ってみても、12~15種類を作りまわしていたなあ」(32歳/医薬品・化学/事務系専門職)■丼やワンプレートですます・「グルメ欲がないと、とにかく手短に済ませたくなります」(35歳/その他/クリエイティブ職)・「洗い物がきつい」(34歳/印刷・紙パルプ/クリエイティブ職)・「かつ丼、カレー丼、すき焼き丼、牛丼。そればっかりです」(33歳/機械・精密機器/営業職)■何日も同じものを食べ続ける・「1食分は効率が悪いから」(27歳/自動車関連/技術職)・「作りすぎというか、一人暮らしで自炊なら作り置きになってしまうものだと思う」(27歳/機械・精密/技術職)・「好きなメニューに偏る」(47歳/機械・精密/技術職)■賞味期限が切れる・「よく卵が切れるので、保存するために味玉にします」(26歳/団体・公益・官公庁)・「多少賞味期限が過ぎても問題ない」(53歳/情報・IT/技術職)・「賞味期限が迫っても、消費期限でなければ大丈夫です。たぶん」(27歳/運輸・倉庫/技術職)■番外編:自炊を続けるコツは楽しむこと・写真を撮る「うまくできたときに写真を撮り、家族に送ったりSNSにアップする」(23歳/学校・教育関連)・自画自賛「自炊だとついそうなってしまう」(47歳/その他/事務系専門職)・継続できない「面倒くさくてやる気が起きない」(28歳/運輸・倉庫/技術職)総評1位は「揚げ物はつくらない」です。準備や後片付けが大変という意見が多数寄せられました。なかには、火事が怖いというコメントも。たしかに、ニュースでも聞きますよね。2位は「同じものばかりつくってしまう」です。作れるものが限られているので、やむを得ずに……という理由を挙げた人が多数でした。3位は「丼やワンプレートですます」がランクイン。洗い物が簡単に済むから、という意見が圧倒的でした。4位は「何日も同じものを食べ続ける」。効率を考えて作りおきするからという意見が多数寄せられました。5位は「賞味期限が切れる」。意外と賞味期限が切れても気にしないという人が多く驚きました。自分のカンを信じるということでしょうか。圏外ではありましたが、「ご飯は冷凍しておく」にも多くのコメントが寄せられました。作り置きしておけるから便利ですよね。上手に作れたときには「写真を撮る」という意見もチラホラ。盛り付けにもこだわってみると、さらに自炊が楽しくなりそうですね。面倒だと感じる人は試してはいかがでしょうか?(文・OFFICE-SANGA澤井輝一)調査時期:2012年7月23日~2012年7月28日調査対象:マイナビニュース会員調査数:男性392名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【男性編】簡単に作れると思ってしまう家庭料理ランキング【男性編】食費を減らすために心掛けたいことランキング【男性編】実家に戻りたくなる瞬間ランキング完全版(画像などあり)を見る
2012年09月08日クラシエホールディングスは26日、全国の単身赴任中、もしくは単身赴任経験のあるビジネスマンを対象に実施したアンケート調査の結果を発表した。同調査は、4月13日~15日の期間にインターネット上で行われ、20歳以上の「単身赴任者」「単身赴任経験者」412名から有効回答を得た。まず、単身赴任が決まった時の気持ちを尋ねたところ、「どちらかというと嫌だった」(36.7%)、「とても嫌だった」(15.3%)の2つを合わせると過半数の52.0%を占めた。一方、「どちらでもない」は33.0%、「どちらかというと嬉しかった」は12.6%、「とてもうれしかった」は2.4%だった。「嬉しかった」人の理由としては、「自由な時間が増えそう」の53.2%、「仕事に関して満足できるものだった」の45.2%、「新たな土地、文化などに触れあえるから」の43.5%などが上位に入り、中には「昼から酒が飲めるから」との回答も見られた。実際、単身赴任生活に満足しているかと聞くと、「とても満足」(5.1%)、「満足」(37.6%)という人は42.7%に上った。一方、単身赴任で困ることとしては、「病気になった時」(55.8%)、「食事の心配」(54.9%)が半数以上となり、このほか「帰省に時間がかかり、何かあってもすぐに帰れない」「宅配便の受け取り」といった具体的なコメントもあった。「単身赴任の良い点は?」と尋ねると、圧倒的に多かった答えは「自由」で69.7%。次いで「家族に気を使わなくていい」が52.2%となった。反対に「悪い点」では、「お金がかかる」の67.0%、「寂しい」の52.4%、「不便」の36.9%が上位にランクイン。また、自分自身のことだけでなく、離れて暮らす家族を心配する声もみられたという。「単身赴任を早く終わりにしたいか?」との質問に対しては、単身生活が満足、不満に関わらず、「とてもそう思う」が27.2%、「そう思う」が34.2%と、6割以上の人が早く終わらせたいと感じていることが判明。その理由としては、「家族は一緒に暮らすべき」という意見が多数を占めたほか、「子どものことが気になる」「お金がかかる」「食事のバランスが崩れる」などの答えも目立った。単身赴任にかかる1カ月の生活費(家賃除く)は、「4万円未満」が20.9%、「4~5万円台」が20.1%と、約4割が5万円台までで生活をしていることが分かった。一方、「6~7万円台」は23.1%、「8~9万円台」は11.9%、「10万円以上」は11.2%だった。地域別で見た場合、「4万円未満」と回答した割合が多かったのが北海道・東北地区で、逆に「10万円以上」の割合が多かったのは関東地区となった。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年04月27日