3月中旬の夜、東京都内の葬儀場で行われていた通夜には、200人を超える関係者が参列していた。そのなかに喪服姿で、ともに駆け付けた俳優2人が――。3月15日に最終回を迎える『相棒 season21』(テレビ朝日系)に主演する水谷豊(70)と寺脇康文(61)だ。亡くなったのは彼らが出演中の『相棒』のチーフプロデューサー・Aさん(享年66)だった。「Aさんは79年にテレビ朝日に入社後、ドラマ制作畑を歩み、『遺留捜査』や『臨場』など、同局を代表するヒットドラマを数多く手がけたことで知られる大人気メーカーでした。『相棒』にはこの10年、携わってきました。3月上旬、駐車場での転倒事故で亡くなられたそうです。いつも現場の声を優先し、役者さんとスタッフに分け隔てなく接してくれる温和な方で、人望の厚い方でした。本当に残念でなりません」(制作関係者)じつは水谷と寺脇は『相棒 season21』クランクアップ直後も、4月1日から始まる舞台『帰ってきたマイ・ブラザー』にそろって出演する。「ちょうどその舞台の稽古のときにAさんの悲報が入ったそうです。あまりに突然なことに、寺脇さんも水谷さんも涙していたと聞いています」(演劇関係者)前出の制作関係者は言う。「今回の『相棒season21』は水谷さんが“最後の相棒”として寺脇さんを再指名し、まさに『相棒』シリーズの集大成として始動しました。今年1月1日に放送された元日スペシャルは、記念すべき『相棒』第1回の脚本家の方が久しぶりに手がけました。そして最終回スペシャルには4年ぶりに及川光博さんが復活。寺脇さんと及川さんは意外にも初共演となります。水谷さんが今シリーズで、懐かしの『相棒』メンバーたちと再会するのを、Aさんがうれしそうに眺めていたのが印象的でした。彼らとの“再会の思い出”は、『相棒』を愛してやまなかったAさんの置き土産となってしまいました」テレビ朝日は、Aさんの逝去に際し、こんなコメントを本誌に寄せた。《「相棒」をはじめ数々の名作ドラマを手がけてきた社員の突然の訃報に接し、深い悲しみを覚えております。大変優秀なプロデューサーでしたので残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます》『相棒』をともに作り上げている“相棒”の突然死。通夜に参列した水谷は憔悴していたという。
2023年03月13日アニメ『ドラゴンボール』シリーズで、孫悟空、孫悟飯、孫悟天などの声を演じる、声優の野沢雅子さん。野沢さんは実は、スポーツが大好きなのだそうです。2023年3月9日、野沢さんのスポーツ愛が分かる動画をTwitterに投稿したのは、同じく声優の山寺宏一さんです。この日、野沢さんは、同月3日に国民栄誉賞を受賞することが決定した、元プロ車いすテニス選手である国枝慎吾さんについて、熱く語っていました。その姿がこちらです。国民栄誉賞決定の国枝選手について熱く語るスポーツ大好き野沢雅子さん pic.twitter.com/JS6R3p1CDV — 山寺宏一 (@yamachanoha) March 9, 2023 『カッカッカッカッ!カン!カーッ!』ですよ!こうですよ!本当に!ぐるんと回っといて…。回ったかなと思ったら『ビヤァーン!』だもん!@yamachanohaーより引用野沢さんは、国枝さんのプレイを身振り手振り、そして独自の擬音語で懸命に説明しています!国枝さんが車いすを駆使してコートを駆け回り、ボールを打ち返す姿が目に浮かぶようです。野沢さんがいかに、国枝さんのプレイに熱くさせられたかが伝わってきますね。この動画には、さまざまな声が寄せられました。・野沢さんの熱量がハンパじゃない!・悟空が国枝さんについて熱く語っているように聞こえて面白い。・めちゃくちゃ元気をもらいました!私は野沢さんに国民栄誉賞を贈りたい!・「オラ、ワクワクすっぞ!」っていう感じが伝わってきて最高!国枝さんの国民栄誉賞授賞式は、同月17日に首相官邸で行われます。野沢さんはもちろん、多くの国民が授賞式を楽しみにしていることでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年03月10日習慣化したい、ペタンコお腹のキープ法とは?生活の中で行える3つの方法を美容家・南雅子さんが教えてくれました。足指エクササイズ立っても座ってもできる、足指を使ったエクササイズ。美姿勢をキープするのに必須な脚の裏側の筋肉を刺激。首が伸びて肩の力が抜け、前かがみグセを直すのにも最適。足指上げ下げ(各5秒×10回)親指以外の4本の指を特に意識して、ゆっくりと上げ下げする。上げた状態を5秒キープ、下げて指で床を押すようにして5秒。10回ほど繰り返す。指で床押し(5秒×10回)かかとを上げ、親指以外の4本の指裏で床を押す。ゆっくり床を押して5秒キープ、かかとを戻す、を10回ほど繰り返す。片足ずつ行ってもいい。肩掛けバッグの持ち方肩掛けバッグの持ち方が、前首、前肩、猫背を誘発。ストラップの位置を調整すると首が伸び、姿勢が整い、いつもよりバッグが軽く感じられるメリットもあり。肩に掛けたストラップを手で背面に送り込む。鎖骨が開き、ストラップと一緒に肩が後ろに送られるイメージ。【NG】前に抱え込むようにして持つと、首や肩が前に出て背骨が丸まる。首を伸ばし、腋を締め、片手でバッグを下から支える。腰を反らさないよう注意。バッグが軽く感じられる。お尻歩き椅子の上でお尻を左右交互に後ろに進むイメージで行う。股関節への負担が軽減し、垂れ尻予防にも効果が。座っている時間が長い人ほど仕事中に何度も行って。椅子に浅く座り、背筋を伸ばしお腹を凹ます。左かかとを上げ、親指以外の4本の指で床を押しながら、左肘を後ろに引き、左手で太もも裏から左尻の筋肉を引き上げるようにしてお尻を後ろにずらす。このとき、肩甲骨を中央に寄せるように意識。呼吸は自然に。手を熊手のようにして、垂れ尻をグーッと持ち上げるイメージで。手を使う時は肩甲骨を寄せながら行うと、背面の筋肉が使いやすい。同様に、右かかとを上げ、右肘を後ろに引き、肩甲骨を中央に寄せるようにしながら右手で右尻を持ち上げ後ろに進み、左右交互に続ける。常にお腹は引っ込めて。両尻が背もたれに近づいたら終了。坐骨が立ち、骨盤に正しく上半身が乗った座り姿勢ができる。南 雅子さん美容家。整体エステ『ガイア』主宰。人間本来が持つ、機能的で美しい体づくりを提案。これまで、約12万人の施術を行った実績がある。近著は『たった1回でお腹が凹む 奇跡の股関節ほぐし』(SBクリエイティブ)。トップス¥12,100レギンス¥13,200(共にジュリエ ヨガ アンド リラックス TEL:03・5720・8256)バッグ¥9,240(ナージー/ジュンカスタマーセンター TEL:0120・298・133)※『anan』2023年2月1日号より。写真・内田紘倫(The VOICE)スタイリスト・仮屋薗寛子ヘア&メイク・浜田あゆみモデル・岩田絵莉佳(セントラルジャパン)取材、文・板倉ミキコ(by anan編集部)
2023年01月27日「水谷さんは『14年前と変わらず、いい芝居だね』と言い、寺脇さんのことをほめていました。4代目まで経験したうえでの初代相棒は、水谷さんにとって『逆に新鮮な気持ち』だそうで、演技に熱が入るみたいです」(テレビ局関係者)大人気ドラマ『相棒』(テレビ朝日系)で、杉下右京役を務める主演の水谷豊(70)。シーズン21を数える今作では、復帰した初代相棒・亀山薫役の寺脇康文(60)とあうんの呼吸を見せ、視聴率は初回から1月18日放送の第13話まで、2桁台をキープしている。「撮影の進行について、水谷さんから寺脇さんに意見を聞くことなどもあり、信頼しているみたいですよ」(前出・テレビ局関係者)一方では、『相棒』終了説が流れている。「寺脇さんの復帰に際して、水谷さんは『週刊新潮』のインタビューで『最後の相棒』と明言していました。こうしたことから、SNS上では、寺脇さんが復帰したシーズン21で最後なのではと、ささやかれていました」(芸能関係者)『相棒』を制作・放送するテレビ朝日局内の見方はーー。「昨年7月に水谷さんは70歳になりました。節目を迎えた一つの線引きとして当初は、“今シーズンが最後になるのではないか”という考えも聞こえてきました。『相棒』は2クール放送されるため、撮影がハードですからね。テレ朝としては、できるだけ続けていきたい意向で、健康を最優先としつつ、続けるかどうかは水谷さん本人の意思次第といったところです」(前出・テレビ局関係者)そんななか『相棒』の続編について、ある決定がなされたと前出の芸能関係者は明かす。「『相棒』の今年10月から来年3月までの来クール、つまりシーズン22が決まったと聞いています。水谷さんと、テレ朝の上層部が今後について改めて話し合い、水谷さんの『この作品を突き詰めていきたい』という思いを伝えられ、シリーズをさらに継続していくことになったそうです。’04年のシーズン3で視聴率9.5%を記録して以降、『相棒』はずっと2桁台を維持し続けています。苦楽を共にしてきた寺脇さんとなら、視聴率が1桁に戻らない限り続けるつもりなのではないでしょうか」“『相棒』を終わらせない”という決断を下した水谷。’22年10月に配信された「Drama&Movie」のインタビューで、今後についてこう語っている。《人生よりは先にドラマが終わるはずですけど、まだいつ終わるかは分からないんです(笑)》水谷は“生涯相棒”を貫く覚悟なのかもしれない。
2023年01月24日2022年12月9日、皇后・雅子さまが59歳の誕生日を迎えられました。雅子さまは、50代最後の誕生日を迎えるに当たり、心境を明かされています。皇后・雅子さまは9日、59歳の誕生日を迎え、これまで「たくさんの喜びの時とともに、時には悲しみの時も経ながら歩んできた」と振り返られた。誕生日に寄せた文書の中で、皇后さまは「いつの間にか人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに、感慨を覚えております」、「たくさんの喜びの時とともに、時には悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます」と心境を明かされた。FNNプライムオンラインーより引用また、『FIFAワールドカップカタール2022』についても触れられた、雅子さま。「困難に立ち向かう勇気を与え、日本の人々が心を1つにする機会になった」と日本代表の健闘をたたえられています。【ネットの声】・テレビのニュース番組で、雅子さまのお元気そうな姿を拝見できて嬉しくなりました!・おめでとうございます。これからも、お身体を第一に過ごされてほしいです。・雅子さまも日本代表の試合をご覧になったのかと思うと、なんだか嬉しいな。多くの国民が雅子さまのお誕生日を祝福しました。[文・構成/grape編集部]
2022年12月09日「水谷さんの負担を軽減するために、『NGを出さないように』と共演者たちへ伝えられているそうです。水谷さんは70歳にして、7カ月続く撮影に臨んでいますからね。できる限りロケ時間は短くしたいわけです。ですから本番前は共演者たちの間に緊張感が漂っていますよ」(映像制作関係者)主演を水谷豊(70)が務め、寺脇康文(60)演じる初代相棒・亀山薫が復帰した『相棒season21』(テレビ朝日系)。初回視聴率が17.3%を記録し、11月2日に放送された第4話も13.7%と、好調を維持している。’00年にスタートし、視聴者から熱い支持を集め続ける『相棒』。22年前と現在である変化がーー。「ドラマ開始当初、水谷さんは47歳でした。まだまだ体も動き、全力疾走や相手を投げ飛ばすといったアクションシーンなどを運動神経抜群の水谷さんは、苦もなくこなしていましたね」(芸能関係者)1月10日に配信された「デイリー新潮」のインタビューで水谷は体育会系な一面をのぞかせている。《僕は中学のときに陸上をやっていたんですよ。全日本クラスの学校で。先輩が400メートルリレーの日本新記録を持っていた。僕も国立競技場で走っているんですよ》そんな水谷も年齢を重ね、今では“別の禁止令”も出されていると前出の映像制作関係者は明かす。「近年は、制作サイドが水谷さんの健康を最優先にして、脚本段階からアクションシーンをできるだけ“相棒”に任せる演出にしています。走るシーンもほとんど入れず、全力疾走などありえません。雨の日のロケや足場の悪い撮影現場では入念なリハーサルをし、周囲のスタッフは水谷さんが転ばないように細心の注意を払って見守っていますよ」水谷本人はこうした制作サイドの“配慮”をどう思っているのか。「ご自宅で筋トレやストレッチなどを欠かさない水谷さんご自身は、“まだまだいける!”とおっしゃっているといいます。70代に突入して体力が落ちてきた面はあるそうですが、今でも踏面が長い階段を2段飛ばしで上ったりしていますしね。木梨憲武さん(60)は水谷さんといるとき『俺のほうが体力ないんじゃないか』と、漏らしていたそうです」(テレビ局関係者)『相棒』の今シーズンが始まる直前、水谷は週刊誌のインタビューでこんな発言をしている。《最近は『相棒』でもアクションシーンが少なくなってきた。僕の体調を気遣ってのことでしょうが、台本に書かれていたら、やる気満々なのにね》(『週刊新潮』’22年9月15日号)70歳になった右京を守る“闇ルール”。水谷にはまだまだ不要かも!?
2022年11月10日天皇陛下と雅子さまは、10月22日と23日に沖縄を訪問された。陛下はご即位後初めてのご訪問だったが、雅子さまにとっては1997年以来、25年ぶりとなった。久しぶりに宿泊をともなう地方でのご公務であったものの、雅子さまのご体調には変化もなく、両陛下は無事に行幸啓を終えられて安堵されているご様子だという。「東京から沖縄まで飛行機で移動するにも2時間半前後かかりますし、ご到着されても行事が立て続けに入っていて、両陛下がゆっくり休まれる暇はありません。同行した職員によれば、帰京後の両陛下からもお疲れのご様子が見受けられたそうです。しかし、1カ月以上前から体調を整えられるなど準備を重ねてこられたほど、雅子さまは今回の沖縄ご訪問に熱意を注がれてこられました。無事に全日程を終えられ、両陛下も安堵されていると聞いております」(宮内庁関係者)両陛下は、那覇空港にご到着されてすぐに、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念公園へと向かわれた。太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込む凄惨な地上戦が繰り広げられ、多くの民間人が犠牲となった。なかでも同地は、日本軍が降伏するまで抵抗を続けた激戦の地として知られている。「戦後、地上戦で多くの犠牲者を出し、長くアメリカの占領下におかれた沖縄県民に向き合い続けてきた皇室は、沖縄訪問のたびに、空港からすぐに平和祈念公園に向かうことが慣例となっています。両陛下も、空港から公園内にある国立沖縄戦没者墓苑に向かわれ、納骨堂の前で供花されて深々と拝礼されました」(皇室担当記者)ご拝礼の後、両陛下は戦没者の遺族にお声がけをなさった。20人あまりが並び、両陛下は一人一人にお声がけされていた。このお声がけの間に、周囲が慌てる事態が起きていたのだ。「集まった遺族の平均年齢は約80歳と高齢でしたが、両陛下がお話されているとき、ずっと立って待っていました。両陛下は『どうぞ椅子にお座りください』と声をかけられていたのですが、それでもまだ順番が来ていない人は、立ったままだったのです。一通り遺族とのご交流が終わろうとする直前に、両陛下とのお話しが終わった男性が、椅子に座ろうとして後方によろめいたのです。その時、雅子さまがとっさに男性の体を支えようと、お手を差し伸べられつつ、身を乗り出されたのです。幸いにも、すぐ側にいた人が男性の体を支えて何事もありませんでしたが、とっさの心配りは、いかにも雅子さまらしい気遣いだったと思いました」(取材した皇室担当記者)この日、同地の気温は30度近くあり、両陛下が遺族とお話しされていた時間帯には、強い日差しが降り注いでいた。「それだけに、両陛下のご到着前から待っていた高齢の遺族たちは、暑さで疲れていたことでしょう。両陛下が戦没者墓苑を後にされるときにも、先によろめいた男性が立ち上がって見送ろうとしましたが、両陛下はすぐ足を止められて、『どうぞお座りになってください』と優しくおっしゃっていました。慈愛に満ちた現地での細やかなお心配りは、雅子さまが皇后としてのお気持ちをしっかりと国民に示された場面だったと思いました」(前出・皇室ジャーナリスト)11月には、「全国豊かな海づくり大会」へ出席するために兵庫県明石市を訪問される雅子さま。コロナ禍でご公務の自粛を余儀なくされ、一時期は遠ざかった国民との距離を、一歩ずつ縮められているーー。
2022年10月29日「番組ファンに受け入れてもらえるのか、視聴率はとれるのか……。不安がっていた寺脇康文さん(60)を、“ソリ(反町隆史・48)と自分を比べなくていいからね”と、水谷さんは電話で励ましたそうです」(テレビ局関係者)放送前から“初代相棒”寺脇の返り咲きが話題になっていた水谷豊(70)主演のドラマ『相棒』(テレビ朝日系)の新シーズン。「寺脇さんの心配は杞憂に終わり、10月12日の初回視聴率は17.3%。その後の視聴率も好調です」(前出・テレビ局関係者)そんななか、水谷にはこの10月、もう一つのうれしいニュースが。一人娘の趣里(32)が’23年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』のヒロインに選ばれたのだ。「趣里さんが朝ドラヒロインのオーディションに挑戦するのは4度目。今回はヒロイン役の年齢制限が32歳までだったので“最後のチャンス”と思い受けたそうです。オーディションを経て決まったヒロインのなかでは過去最年長です」(スポーツ紙記者)趣里は4歳からバレエを習いプロのバレリーナを目指していたが、高校時代にけがで断念。その後、20歳で女優デビュー。父は水谷、母は伊藤蘭(67)という大物2世だけに、“十四光りと言われたくない”と下積みを重ねてきた。「話題作の脇を固める個性派俳優として存在感を発揮しています。全裸シーンに挑戦した主演映画『生きてるだけで、愛。』(’18年)も高く評価されました。水谷さんは趣里さんを溺愛しており女優業には心配もあったようですが、“趣里の人生だから”と見守るようにしてきたそうです。今回のヒロイン決定は感慨深いでしょう」(前出・スポーツ紙記者)『ブギウギ』は戦後のスター歌手の笠置シヅ子がモデル。オーディションでは代表曲『東京ブギウギ』を歌う審査もあり、その歌唱力も合格の要因だったようだ。「彼女は歌がうまいです。ハスキーな声で、カラオケで洋楽をかっこよく歌っていたこともあります」そう話す趣里の役者仲間は、水谷家の“家族カラオケ”の話も聞いたことがあるという。「コロナ前は、たまにご両親とカラオケを楽しむことがあったそうですよ。水谷さんも蘭さんもプロの歌手ですから、豪華ですよね。水谷さんは家でも歌を口ずさんでいることが多いそうなんですが、カラオケに行くとさらにノリノリで自分の曲を歌うそう(笑)。水谷さんのリクエストで、蘭さんと趣里さんが一緒にキャンディーズの曲を歌うこともあるとか。趣里さんがキャンディーズの曲を好きだと話しているのも聞いたことがありますよ。昭和の歌謡曲になじみがあったことも、今回の朝ドラヒロイン決定の役に立ったのかもしれませんね」愛娘との楽しい時間が奇跡的に“教育”になっていたとはーー。水谷も予想外だったに違いない。
2022年10月27日濃紺のスーツをお召しの雅子さまは国立沖縄戦没者墓苑で、天皇陛下とともに供花し、黙祷を捧げられた。参拝のために墓苑のある平和祈念公園を訪れていた74歳の男性は、こう語った。「戦争では祖父母と従軍看護婦だったおばが亡くなりました。今日、天皇皇后両陛下がこの地に来てくださってとてもうれしいです。沖縄での慰霊は、上皇ご夫妻から両陛下が受け継がれましたが、これからもずっと引き継いでいっていただきたいと願っています」10月22日・23日、天皇陛下と雅子さまが沖縄を訪問された。皇室担当記者によれば、「両陛下の沖縄ご訪問は令和になって初めてのことです。お二方でのご訪問は、’97年7月以来、25年ぶりのことになります」コロナ禍のため、両陛下は地方ご公務も自粛されていた。「宿泊をともなう地方でのご公務は約3年ぶりです。沖縄県が両陛下の本格再始動の地となったことは感慨深いですね。雅子さまは長期ご療養中ですが、沖縄ご訪問のために、1カ月以上前から体調を整えられていたそうです。皇族の方々はこの地を訪れると、激戦地の一つである糸満市へ真っ先に向かわれます。10月22日に那覇空港に到着された天皇陛下と雅子さまも、糸満市にある沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎、沖縄県平和祈念資料館を巡られたのです」太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込む凄惨な地上戦が行われ、多くの人々が犠牲となった。平和の礎には、沖縄戦などで亡くなった軍人や民間人、24万人以上の名前が刻まれている。「太平洋戦争は“昭和天皇の名前”によって行われました。そのため多くの民間人が犠牲となった沖縄県には、皇室に対して複雑な思いを抱く人々もいるのです。そんな思いに対して、皇室も向き合い続けてきました。’75年には上皇さま(当時・皇太子さま)と美智子さまが皇族として戦後初めて沖縄の地を踏まれたのです。ひめゆりの塔で拝礼された際には、ご夫妻のそばに火炎瓶が投げ込まれるという事件が発生しています」(前出・皇室担当記者)いわゆる「ひめゆりの塔事件」だが、その夜、上皇さまは次のような談話を発表された。「多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」それから47年、上皇さまの“犠牲者を悼み続け、沖縄に心を寄せ続ける”という誓いを、天皇陛下と雅子さまが継承されている。両陛下は今年5月15日、「沖縄復帰50周年記念式典」にオンラインでご臨席。天皇陛下は次のようなお言葉を述べられた。「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんが、この式典での陛下のお言葉について解説してくれた。「上皇ご夫妻が戦争を体験した世代であるのに対して、天皇皇后両陛下は戦後世代です。そのため慰霊を継承するにあたっても、意味合いは変わってくると思います。式典のお言葉のなかには『一方で、沖縄には、今なお様々な課題が残されています』という踏み込んだ表現がありました。米軍基地問題を含め、政府・自民党の政策には沖縄県民の感情に寄り添っているとはいえない面があります。原則的に天皇陛下は政治的なメッセージを表明することはできませんが、ギリギリの範囲で問題を提起され、沖縄の人々に寄り添っているという姿勢を示されたのではないでしょうか。それが戦後世代の天皇としての新しい沖縄への向き合い方なのかもしれません」■両陛下と上皇ご夫妻が沖縄の豆記者との思い出話をご訪問4日前の10月18日、天皇陛下と雅子さまは御所で高良倉吉琉球大学名誉教授から沖縄の歴史などについて説明を受けられた。「1時間以上にわたり、メモをとりながら、熱心に高良名誉教授の説明を聞かれたそうです。もともと、このご進講は陛下お一人の予定として発表されていたのですが、雅子さまもご体調がよかったため参加できたそうです。“もっと沖縄の人々の心を知りたい”という、雅子さまのご熱意が伝わってきます」(宮内庁関係者)さらに、その翌々日には美智子さまが米寿を迎えられ、両陛下も仙洞御所を訪問された。「上皇ご夫妻と両陛下は、“沖縄豆記者”との交流の思い出話をされたそうです。豆記者は、沖縄から本土へ取材を通じて親睦を深めるために派遣された小中学生たちで、かつて上皇ご夫妻が東宮御所に招かれており、その後、彼らとの交流は天皇ご一家、さらに秋篠宮ご一家に受け継がれました。お誕生日のお祝いのご挨拶の後、天皇陛下と雅子さまが沖縄ご訪問へのご意欲を明かされたことから、豆記者も話題にのぼったようです」(前出・宮内庁関係者)雅子さまは初めてのご訪問から1年半後の歌会始で、平和の礎などがある糸満市摩文仁の光景を詠まれている。摩文仁なる礎の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海雅子さまは今回の25年ぶりのご訪問の後に、どのような歌を詠まれるのだろうかーー。
2022年10月26日9~10月はご公務ラッシュ!天皇陛下のネクタイと雅子さまのスーツの色味を合わせたリンクコーデが多い両陛下。ご多忙ななかでも、仲睦まじさが伝わってきます。そんな、夫婦愛コーデを振り返ります。【9月5日】学制150年記念式典お好きなターンナップ・カフスで、小さめの襟がおしゃれなオレンジベージュのスーツ。バッグ、手袋、靴はプレーンなベージュを。【10月1日】国民体育大会総合開会式雅子さま定番の、ブルーに白いトリミングの施されたスーツと同配色のお帽子、バッグの装い。青空の下で爽やかな色合いをお選びに。【10月6日】鉄道開業150周年記念式典柔らかな雰囲気のベージュのジャケットのスーツをお召しに。陛下のネクタイの白いドットが雅子さまのパールにリンクした印象。【10月13日】調停制度施行100周年・日本調停協会連合会創立70周年記念式典帽子のリボンの上部、ジャケットの襟、裾、ポケットに縁取りのある淡いクリーム色のセットアップ。上質な素材で全身の色を統一した、皇后陛下にふさわしい気品ある装い。
2022年10月21日天皇陛下と雅子さまは10月13日に、皇居近くの国立劇場を訪問された。トラブルを裁判所で話し合って解決する「調停制度」ができて100年を記念する式典に出席されるためだ。「先日のとちぎ国体総合開会式へのご出席と同じように、雅子さまはこの日も陛下のネクタイのお色と合わせた装いでした。式典関係者らとお話しされる雅子さまのご表情は明るく、式典の出席者たちは、両陛下おそろいでのご訪問を喜んでおりました。10月22日からは、25年ぶりにお二人で沖縄県を訪問されるご予定です。雅子さまも泊まりがけでのご公務を控え、ご体調を整えられていると聞いております」(皇室ジャーナリスト)秋になり多忙な日々を送られている両陛下。しかし、雅子さまが明るくほほ笑む一方で、陛下のご体調を心配されていてーー。「とちぎ国体の2日後、陛下の前立腺に関する数値に“やや懸念すべき傾向が見られる”と宮内庁が明らかにしたのです。2003年に上皇さまが前立腺がんの手術を受けられています。それだけに、久しぶりに地方でのご公務をされながらも、雅子さまは心中穏やかではいられなかったと思います」(前出・皇室ジャーナリスト)宮内庁の発表によれば、陛下は11月上旬に病院で日帰りのMRI検査を受けられる予定だ。しかし、陛下のご健康に生じた懸念は、先月の時点ですでに明らかになっていたという。「じつは、数値の異常は9月初めに判明していて、天皇陛下は東大病院に入院して検査を受けられる予定でした。しかし、エリザベス女王の逝去で急きょ訪英されることになり、検査の延期を決断されたのです。10月以降は、両陛下で臨まれる沖縄でのご公務など、多くのお務めが予定されています。それらの日程を優先した結果、精密検査を2カ月ほど先に延期することになったのです。このご決断には、コロナ禍で中断を余儀なくされていた、国内各地の人々と対面で交流される機会を大切にしたいというお気持ちがあったからだと拝察しています」(宮内庁関係者)■受け継がれる「命のスープ」ご体調よりもご公務を優先された陛下に、雅子さまも“私がお守りする”というご覚悟をお持ちなのだという。「時折、雅子さまは御所にあるキッチンに立って、スープなど簡単なものをお作りになります。雅子さまは、美智子さまからレシピを引き継がれた秘伝のコンソメスープを、陛下や愛子さまに振る舞われているそうです。お体に不調が見つかった陛下も、このスープで励まされるお気持ちになっていることでしょう。また天皇ご一家のお食事は、宮内庁の“料理番”である大膳課がお作りしますが、最終的に雅子さまが1週間のメニューを決められています」(前出・宮内庁関係者)陛下に捧げられたこのコンソメスープは、関係者の間では「命のスープ」として知られている。美智子さまが、入院したご友人などにお見舞いとして差し入れられていたからだ。2012年に心臓手術を受けられた直後の上皇さまも、美智子さまがお作りになったそのスープを召し上がっていたという。ある学習院関係者は、「体力や食欲がないときでも滋養をとれるよう、具材はなく調味料を少なめに味付けした澄み切ったスープと聞いています。東日本大震災のときに、帰れずに学習院初等科で夜を過ごす生徒たちへ、雅子さまがスープを差し入れられたこともありました」陛下のご健康維持のために、雅子さまがある提案をされたこともある。陛下の知人はこう話す。「50代後半にさしかかった陛下に、雅子さまが“日本酒を控えて焼酎や泡盛などに切り替える”ことを提案されたそうです。もともと陛下は、お酒をよく飲まれます。日本酒がたいへんお好きでしたが、いまではあまり飲まれないとのことです。日本酒と比べて、焼酎などの蒸留酒は低カロリーとされています。陛下は雅子さまとも相談されて、焼酎を水やソーダで割ってお飲みになるようになったと伺っています」検査を控えているものの、現在陛下には自覚症状もなく、ふだんどおり過ごされているという。「上皇さまのご前例もありましたので、陛下も欠かさず検査を受けられてきました。主治医も一刻を争うような状況ではないと判断していると聞いております」(前出・宮内庁関係者)泌尿器科の専門医である飯田橋中村クリニックの中村剛院長は、こう解説する。「男性は50歳を過ぎると老化に伴って前立腺の機能低下が起こり、前立腺肥大症やがんといった病気を発症しやすくなります。前立腺がんは予防こそ難しいのですが、定期的な検査が大切とされています。早期に発見できれば、手術だけで完治する場合が多いからです」雅子さまが長期療養に入られたときも、陛下が十二指腸のポリープ摘出手術のために入院された際も、お二人は支え合われてきた。陛下のご体調に浮上している新たな懸念も、きっと夫婦愛で乗り越えられていくだろう――。
2022年10月19日天皇陛下と雅子さまは、心待ちにされていた「とちぎ国体」総合開会式に出席されるため、10月1日、栃木県宇都宮市を訪問された。雅子さまはスタジアムの貴賓席でも終始笑顔をお見せになり、ときおり陛下とお顔を寄せ合ってほほ笑みながらお話しされていた。2年8カ月ぶりに、地方で生活する国民とふれ合うことができた喜びが、雅子さまのご表情にはっきりと表われていた―ーー。そして雅子さまの晴れやかなご表情には、「たしかな自信がにじんでいるようにお見受けした」という宮内庁関係者は、こう語った。「強行日程でしたが、無事にエリザベス女王の国葬へ参列できたことに、強い手ごたえをお感じになっておられるからでしょう。慣例では天皇は葬儀に参列されませんので、きわめて異例のことでした。先日の訪英で、両陛下が国際親善における“慣習の壁”を超えることもいとわないというご姿勢を、はっきりとお示しになったとも感じています。早ければ来春に執り行われるチャールズ新国王の戴冠式においても、王室や国民に祝意をしっかりとお伝えになりたいというお気持ちがあると拝察しております」1953年に行われたエリザベス女王の戴冠式には、昭和天皇のご名代として皇太子時代の上皇さまがご参列。世界各国の王族や元首が集結する盛大な祝賀行事だった。それから70年、両陛下が模索される“新しい国際親善”の柱として、愛子さまにご期待を寄せられているというーー。「チャールズ新国王の戴冠式に、天皇陛下のご名代として愛子さまに参列していただきたいという声も宮内庁内から聞こえてきます。愛子さまは“絶対に両陛下へ感染させてはならない”というご覚悟で、コロナ禍以降は外出を自粛されています。そのため成年を迎えられても、国内での行事はおろか、対外的な国際親善の場でのご公務デビューもできない状況が続いています。いっぽうで、愛子さまにも“皇族として活躍する場を設けてあげたい”という雅子さまのお気持ちは、両陛下が本格的にご活動を再開されている昨今、より強まっているように拝察しております」(皇室ジャーナリスト)■王女が参列した例も…変化する皇室の慣例世界の王室に詳しい関東学院大学国際文化学部教授の君塚直隆さんはこう話す。「慣例にならえば、皇嗣である秋篠宮さまと紀子さまが名代として出席される可能性が高いとされます。しかし歴史を振り返ると、王女が名代として戴冠式などの即位を祝う式典に参列した例があります。1948年にオランダのユリアナ女王の即位式が執り行われた際に、エリザベス女王の妹であるマーガレット王女が、英国を代表し父王ジョージ6世の名代として参列しているのです。また当時のマーガレット王女は18歳で、現在の愛子さまよりも年齢は2つも下だったのです」前出の皇室ジャーナリストによれば、「愛子を英国新国王の戴冠式へ」と、雅子さまがお考えになったのは、“各国の同世代の女性王族たちと交流を持つためのよい機会にもなれば”という願いをお持ちだからだという。君塚さんが続ける。「愛子さまと同世代には、将来君主となることが決まっているプリンセスたちがいます。ベルギーの王太子であるエリザベート王女は、愛子さまと同じ20歳で、将来同国初の女王として即位することになります。両陛下と親交が深いオランダのウィレム=アレクサンダー国王の第1子であるカタリナ=アマリア王女(18)も、王位を継承することが決まっています。戴冠式というお祝いの場に愛子さまや各国王室の王女が一堂に会することになれば、とても華やかな式典となることでしょう」皇室で“天皇のご名代”を務めたのは、必ずしも皇太子だけではない。1937年の英国王ジョージ6世の戴冠式では昭和天皇の弟宮であった秩父宮雍仁さまが、1980年のオランダ・ベアトリクス女王の即位式には、同じく弟宮の三笠宮崇仁さまが参列されている。「長年各国の王家は慣例として、“戴冠式などには君主は参列せずに名代を遣わす”ことになっていました。しかし、必ずしも近年はそうならないケースも増えてきました。上皇さまや天皇陛下の即位の礼には、欧州のみならず各国の国王夫妻が参列しているからです」(前出・皇室ジャーナリスト)陛下は、“時代に即した皇室に”と折に触れて語られてきた。安倍晋三元首相の国葬に参列するために来日した各国元首と、陛下は9月28日に相次いで会見されている。じつは、この会見の形も皇室に前例がなかったという。「陛下は7カ国の元首と10分刻みで相次いでお会いになられたのですが、ここまでタイトな会見はとても珍しいです。陛下と雅子さまは今後も、前例にとらわれずに“令和流”の国際親善のあり方を模索されることでしょう」(前出・宮内庁関係者)未来の女王たちとの友情が深まることが、愛子さまと日本の将来にとって、揺るぎない礎となっていくことはまちがいないーー。
2022年10月10日9月8日に崩御したエリザベス女王の国葬に参列するため、天皇陛下と雅子さまは17日、政府専用機で英国へおたちになられた。今回の訪英は即位後初めての海外ご訪問。2泊4日の弾丸ご訪問を振り返ります。【愛子さまがお見送り】17日、皇居・御所をたたれる際には、黒いセットアップ姿の愛子さまが玄関でお見送り。報道陣の前に愛子さまがお姿を見せられたのは、今年3月の会見以来。陛下は「じゃあ、行ってきます」とおっしゃってお車に乗られた。【イギリスへご出発】羽田空港から政府専用機でご出発。グレーの喪装の雅子さまは、白いマスクをして機内に向かわれた。【ホテルご到着時は黒マスクで】マスクとお召し物を黒に替えられて、ロンドンのホテルにご到着。玄関前では、集まった日本人をはじめとする大勢の人に手をお振りに。外務省時代、英国で学ばれた雅子さまだが、ご成婚後初の英国ご訪問となった。【ロンドンで弔問記帳】チャーチハウスで19日、天皇陛下と弔問のご記帳を。ご体調のことも心配される雅子さまは大事をとられ、前日のチャールズ新国王主催のレセプションと弔問は欠席されている。【ウェストミンスター寺院で】同19日、「ウィズ・コロナ」の英国に合わせるように、ノーマスクで国葬へと向かわれる両陛下。後方にはブータンのワンチュク国王ご夫妻が。【前から6列目にご参列】ウェストミンスター寺院の国葬にご列席。お席は前から6列目、多くの王族方と並んでお座りに。黒いロングドレスにジャケットをお召しの雅子さまは、緊張された面持ちだった。【世界が見守った国葬】エリザベス女王の国葬には、世界各国からの王族・首脳500人を含む約2000人が参列。【2泊4日でご帰国】20日夜、羽田空港に到着された両陛下。貴賓室では秋篠宮ご夫妻が出迎えられた。雅子さまは濃紺のセットアップに白いマスクを。英国滞在時、雅子さまの首元に輝く漆黒。それは英ヴィクトリア女王が服喪の際に身に着けた宝石・ジェットのネックレスだった。短い弔問にも、お心遣いが光っていたーー。
2022年10月01日9月19日夜のロンドン。エリザベス女王の国葬に参列した天皇陛下と雅子さまは、帰国の途に就くべく、宿泊したホテルから出発されようとしていた。「両陛下を見送ろうと、現地の日本人や近隣の市民たちが大勢集まっていました。エントランスから出てこられた陛下が車に乗り込もうとすると、雅子さまが呼び止められたのです。陛下は振り返って現地のスタッフに挨拶をされていました。さらに雅子さまは挨拶をされながら、周囲から上がる声にも目を配りつつ手を振られていて……。実にこまやかな気配りをなさっているのだなと感動いたしました」こう話すのは、ロンドン在住の日本人だ。両陛下にとっては、今回の訪英は即位後初めての海外ご訪問。エリザベス女王から直々に招待をお受けになり、2020年春に訪問される予定だったが、コロナ禍で実現できずにいた。慣例では、天皇が葬儀に参列することはない。例外として、1993年に上皇ご夫妻がベルギーのボードワン国王の国葬に参列されたことがあるだけなのだ。宮内庁関係者は両陛下の胸中をこう拝察する。「両陛下は生前に女王と対面を果たせなかったことに、非常に心を痛められていたと伺いました。“異例”の参列となりましたが、両陛下が直々に、英王室や英国民へ弔意をお示しになるために英国へ赴かれることができて、本当によかったと思います」2泊4日の弾丸ご訪問は、雅子さまのお体にも相当な負担をかけていたはずだ。国葬前日にロンドンに到着、雅子さまはチャールズ新国王が主催するレセプションや、女王の棺が安置された国会議事堂への弔問を欠席されている。「現在も適応障害の療養をされている雅子さまが到着後の行事を欠席されたのは、体調を万全に整えられるためだと聞いております。ウェストミンスター寺院での国葬への参列を最優先されたからなのでしょう。無事に参列を終えられた雅子さまは、非常に安堵されたご様子だったと聞いております。国葬後に開かれた英外相主催のレセプションには雅子さまも出席され、トンガ国王をはじめ各国の王族や元首と歓談されていたそうです」(前出・宮内庁関係者)■皇室への関心が意外と高い英国民20年近く心身の不調と闘われ続けている雅子さまーー。病身でありながら弔問のため英国に駆けつけられたことを、英王室から市民までが絶賛しているという。英王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんはこう話す。「英国民は日本の皇室への関心が高く、雅子さまが長年にわたって療養中であることは日本人が意外に思うほど広く知られています。国葬に先立つ行事への出席を見送られたことにも、主要な英メディアは同情的な視点で報じています。さらに、コロナ禍のために海外訪問もままならないなかで参列したことに、日英の絆の強さを深く感じた英国民も多かったのではないでしょうか」国葬が開かれたウェストミンスター寺院への移動方法も好感を集めた。皇室ジャーナリストは、「両陛下は、英国側に負担をかけたくないとの理由で専用車での移動を固辞され、各国の王族や元首たちとバスに相乗りすることを望まれたのです。世界中から集まった要人への対応に忙殺されている訪問国の事情に配慮したご姿勢も、英国民は好意的に受け止めています。英王室だけではなく、オランダのマキシマ王妃やブータンのペマ王妃はじめ、居並ぶ各国のお后たちと旧交を温められたそうです。知的で柔らかな気品にあふれた雅子さまのお姿が、世界中から注目を集めたことは、“お后親善”という点から見ても素晴らしい結果であったと思います」名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「両陛下がそろって国際的な儀礼の場に出席されたことで、今後も同様にお務めを果たされることができると国内外に示した形になったと思います。この訪英で、ウィズコロナにおける国際親善のあり方を明確に示したとも言えるのではないでしょうか」そして10月1日には、両陛下はとちぎ国体に臨席される。地方でのご公務は3年ぶりとなる。「ご訪英が発表された翌日に宮内庁は、今後の地方訪問の指針として『両陛下そろってのご出席を前提とする』と公表しました。地方ご公務再開に先んじて訪英すれば、批判を受けることも予想されていました。そこで、もちろん海外訪問だけを重視しているわけではなく、国内も“お二人で”訪問されるという雅子さまの強いご覚悟を示されたのでしょう。今秋は沖縄県や兵庫県と、宿泊も必要となるご訪問が続きます。訪英の成功体験は、これからのご予定にもプラスに作用していくことでしょう」(前出・宮内庁関係者)覚悟と自信を強められた雅子さまが飛躍される秋が来たーー。
2022年09月28日俳優の木村拓哉が26日、都内で行われた「日本初1試合予想くじ『WINNER』発表会」に出席した。日本スポーツ振興センター(JSC)は、9月26日8時より新スポーツくじ「WINNER」の販売を開始。「WINNER」は、J.LEAGUEやB.LEAGUEなどの試合の中から好きな1試合を選んで試合結果を予想する日本初の1試合予想くじで、「WINNER」をきっかけにこれまでスポーツくじと縁遠かった人たちにも気軽にスポーツくじを体験してほしいという思いから、スポーツを愛する人物として知られる木村がアンバサダーに起用された。木村は「自分自身がスポーツのジャンルは問わず、スポーツ全般本当に大ファンなので、何かしらの形で自分にできることとしてスポーツに携わることができるんだったらこれはぜひやらせていただきいたいと、直観的に面白そうだなと思って引き受けました」と語った。会見には、2020年東京オリンピック男子卓球混合ダブルス金メダリストの水谷隼、2022年北京パラリンピックアルペンスキー女子金メダリストの村岡桃佳も登壇。「未来のスポーツ界に必要なことは?」についてトークを繰り広げた。水谷は「さまざまなスポーツを知り、多くのスポーツに触れあう機会を作ること」が大事だと言い、「自分自身は子供の頃にソフトボールやサッカー、ミニバス、卓球をやっていて、その中で卓球が一番楽しくて好きだなということでずっとやっていて、結果的にオリンピックで金メダルを獲得することができました。若いうちにさまざまなスポーツに触れて世界を体験してほしい。若い選手が切磋琢磨できる環境づくりが大切なのかなと感じています」と語った。木村は、水谷が「金メダルを獲得した」と話したときに「おぉ!」という表情を見せ、「金メダルを獲った人しか言えないコメントですからね。すごいなと。こういう場でさらっと言えるのが素晴らしいなと思いました。カッコいいですね」とリスペクトすると、水谷は「ありがとうございます」と恐縮していた。なお、木村が出演する新テレビCM『WINNER 新体験篇』が、9月26日夕方より全国で放送される。同CMでは、試合観戦をしながら応援が熱くなっていく、「WINNER」を始めた木村の姿が見られる。
2022年09月26日お年寄りを見守られる雅子さまのまなざしはいつも優しく柔らかい。それはご自身がおばあさん子だったからだろうか。9月19日は敬老の日。雅子さまの温かな“敬老”ご交流を振り返ります。【’93年】栃木県新婚間もない時期に訪れた、宇都宮市の特別養護老人ホーム「敬祥苑」。このころからおふれあいを大切にされていた。【’93年】愛知県愛西市の特別養護老人ホーム「佐屋苑」で。おばあさんの手に、少しためらわれつつも手を重ねられた初々しい場面。【’97年】秋田県真冬に訪問された、鹿角市の特別養護老人ホーム「東恵園」。かがまれて、100歳近いおばあさんの膝の間の手を握り「いかがですか、お大事に」と優しく話しかけられた。【’00年】鹿児島県世界自然遺産会議出席のため屋久島ご訪問。特別養護老人ホーム「竜天園」の生け花クラブを見学された際には、お年寄りから青紫の小花を贈られ、雅子さまは笑顔をお見せに。【’03年】群馬県冬季国体のため群馬県へ。前橋老人ホームと特別養護老人ホーム「恵風園」を訪問され、子どもたちと一緒に折り紙を折るおばあさんの手元を熱心にご覧になった。【’16年】東京都杉並区の特別養護老人ホーム「第三南陽園」で、作業療法を受けていたおばあさんの話をお聞きになりながら優しく寄り添われた。【’18年】東京都墨田区の高齢者複合施設「東京清風園」へ。手作りの毛糸の作品を贈られ「よろしいんですか。大事にします」と笑顔を。【’18年】福岡県九州北部豪雨で被災した、朝倉市をご視察。自宅が全壊した97歳のおばあさんの手を包み「長生きしてくださいね」と声をかけられた。【’19年】東京都恒例の敬老の日にちなんだ訪問で、目黒区の高齢者福祉センター「田道ふれあい館」へ。裁縫仕事の様子をご覧になり「速いですね」と和やかにお声がけを。
2022年09月19日英国から悲しい知らせがもたらされた9月9日、天皇陛下と雅子さまは、来日していたパラオのウィップス大統領夫妻と皇居・御所で会見された。第二次世界大戦中に日本の統治下にあったパラオでは、ペリリューの戦いなど、日米両軍に多数の犠牲者を出す激戦が繰り広げられた。戦火に倒れた人々への“慰霊の旅”を続けてこられた上皇ご夫妻が2015年に訪れたこともある。そんなパラオの大統領夫妻とお会いになられた雅子さまのご表情には、美智子さまから引き継がれた平和への願いのみならず、国民に愛される皇室を目指す“令和流”を再スタートさせる決意に満ちていたーー。「宮内庁が、来年度予算の概算要求のなかに、SNS担当の参事官ポストの新設と職員2名の増員を盛り込みました。これは、雅子さまの改革へのご意欲が大きく表れているものだと感じています」こう話すのは、ある宮内庁関係者だ。雅子さまが進められる改革の柱と目されているのが、SNSを用いた情報発信なのだという。「陛下と雅子さまは、即位される前から、SNSの導入について前向きなご姿勢でした。陛下も、海外の訪問先で外国首脳や一般人からのセルフィー(自撮り)の申し出に応じられたりと、新しい情報発信への関心はかねてお持ちになられていました」(前出・宮内庁関係者)欧州王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、以前からSNSを情報発信に積極的に活用してきた英国王室のスタイルが参考になってくると指摘する。「ウィリアム皇太子とキャサリン皇太子妃は、お子さんの誕生日に写真を自身のインスタグラムで公開することを恒例としています。ご一家の屈託のない自然な表情を、英国民は楽しみにしていて、王室への親しみを広げるうえでSNSを大いに役立てています。天皇ご一家がそろってご養蚕の作業をなさっているお写真を7月に宮内庁が発表し、話題を集めたばかりです。そうしたご家族の仲のよさを発信するうえで、SNSを活用すれば、国内外に素早く伝えることが可能になるでしょう」愛子さまはスマートフォンやSNSを使いこなす世代。“国民に愛される皇室改革”を推進するうえでは、愛子さまの存在も重要になってくる。皇室担当記者は、「愛子さまは“オンライン通学”を続けておられますが、LINEなどを用いてご友人たちと交流されています。雅子さまも愛子さまのアドバイスを得て、インスタグラムなどのSNSで私生活の一幕を公開するような発信もお考えになっていると聞きます。ご養蚕などの宮中のお仕事、テニスやスキーを楽しまれるお姿、さらには大学卒業後に計画されているという愛子さまの海外留学のご様子などを投稿していくことで、皇室に対する国民の親しみを広げることができるでしょう。SNSを用いれば、より幅広い世代の人々へ発信が可能になります。また、大災害が起きたときに、いち早く被災者に励ましのお気持ちを示すことができるはずです。“より国民に愛される皇室を”という雅子さまのお気持ちを形にするうえでも、今後皇室がSNSを利用することは大きく役立っていくと思います」■コロナ禍で進化した“令和流”スタイル天皇陛下がご即位された翌年から、雅子さまが思い描かれていた国民との触れ合いは、コロナ禍という大きな壁にぶつかった。全国を移動されるご訪問を控え、両陛下はオンラインでの行幸啓という形を取らざるをえなかったのだ。一方でメリットもあったと、前出の宮内庁関係者は指摘する。「実際に現地へお出かけになる行幸啓では、交通の便や日程上の都合でご訪問が難しい遠隔地や離島地域などがありました。しかしオンライン行幸啓では、そうした地域に住む人々と交流することが可能になった側面もあります」元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こうした“令和流”のご公務のあり方についてこう語る。「平成の時代に、天皇皇后両陛下のご公務の数は限界といえるほど増えました。その数を増やしていくことは難しいでしょう。陛下は2月の記者会見でオンラインの活用に言及されていますので、今後は直接訪問される行幸啓とオンラインを併用する“ハイブリッド型”のご活動で、国民との交流の幅を広げていくお考えだと思います」10月から、とちぎ国体を皮切りに、地方ご公務の再開を予定されている両陛下。国民と直接対面される意義を、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。「地方での行幸啓は、行事へのご出席に伴って、多くの場所を両陛下がご訪問され、直接人々と時間を共有されます。そして集まった人々とお話しされるなかで、国民の実情を両陛下がお知りになる。そうした場面が報じられることに大きな意義があるのです」宮内庁内では両陛下の地方ご公務再開と同時に、愛子さまの大学ご通学も始まるとみられている。雅子さまと愛子さまが決断された「10月再スタート」。ご一家のはつらつとしたお姿を拝見できることを国民は心待ちにしている。
2022年09月16日「小和田恆氏の発言が、韓国メディアによって大きく取り上げられていることに、宮内庁内でも憂慮する声が上がっています」そう語るのは宮内庁関係者。雅子さまの実父・小和田恆氏は超エリート外交官としても知られている。外務省では事務次官にまで上り詰め、その後も国連大使や国際司法裁判所所長と要職を歴任した。「小和田氏は’93年に日本と韓国の民間交流のためにスタートした『日韓フォーラム』の、日本側の初代議長も務めました。そして今年8月25日に『第7回日韓フォーラム賞』を受賞。授賞式会場の演壇で演説を行ったのですが……」(全国紙政治部記者)受賞や演説については日本メディアが全く報じていないにもかかわらず、『ハンギョレ新聞』『朝鮮日報』『中央日報』などの韓国メディアは大々的に報じたのだ。たとえばハンギョレ新聞電子版の見出しは《「天皇の義父」元国際司法裁判所長「『慰安婦』、法的整理以上のことすべき」》となっている。各メディアは小和田氏が“天皇の義父”であることを強調し、演説の一部を紹介している。《「1965年の請求権協定ですべて済んだ問題だというのが日本の公式立場だった。しかし人間としてそれでよいのかという考えが離れなかった。人間と民族の関係は法律で整理されない」》(『中央日報電子版』9月1日付)韓国メディアは“天皇の義父”が、慰安婦問題や徴用工問題について“日本が誠意をもって対応することが重要”という考えを持っている、と喧伝したのだ。日韓問題に詳しい『コリア・レポート』編集長の辺真一さんは次のように語る。「韓国には“日本のトップは天皇”とみなす人が少なくありません。小和田氏は、国際司法問題の専門家であり、それ以上に天皇陛下のお后である雅子さまのご尊父です。韓国メディアからすれば、“天皇の義父が慰安婦問題について踏み込んだ発言をした”ということは極めてニュースバリューの高い出来事なのです。『ハンギョレ新聞』と『朝鮮日報』は政治的スタンスが180度異なるメディアですが、その両紙が同じような扱いをしているのも珍しいことです。“鬼の首を取った”という言い方が適切かはわかりませんが、韓国メディアが小和田氏の発言を“政治利用”したと解釈して間違いないでしょう」■84歳の母・小和田優美子さんは外出も減って日韓フォーラムの日本側議長を務めている小此木政夫さんは、韓国メディアによる記事を読んで驚いたという。「本来、フォーラムでは、活発で自由な議論ができるように、発言者を特定できないような取り決めがあります。しかし今回は30周年という節目の授賞式ということもあり、報道についての取り決めを明確に定めていなかったのです。韓国メディアが紹介している小和田さんの発言は事実です。しかし、その前段階で国際法学者でもある小和田さんが、“慰安婦問題について国家間では法的に解決している”と明言していることについては十分に報じられていません」また前出の宮内庁関係者は、「天皇皇后両陛下は、ご自身の発言が“政治的”にならないよう、常にお言葉を吟味されています。小和田さんの受賞自体は喜びつつも、その発言が今後も政治的に利用されることを懸念されているようです。さらに言えば、雅子さまはお父さまの“異変”について心配されていると伺っています。両陛下がコロナ感染を防ぐために外出や面会を自粛されるようになって、3年になろうとしています。雅子さまのご両親も89歳と84歳とご高齢で、やはり感染は体調に重大な影響を及ぼしますから、この3年間はまったくといっていいほど面会されていないそうです。そういった状況ですから、なおご両親の健康状態について気にされているのでしょう」雅子さまにとって、小和田氏は幼少期から“憧れの父”であり、その背中を追って外交官への道を志された。雅子さまが天皇陛下とご成婚されたことを機に外務省を退官した後も、小和田氏は国連大使などとして公職での活動を四半世紀も続けてきたが、いわゆる“政治的発言”はなかったという見方が多い。「外務省時代は“カミソリ小和田”として畏敬される存在でした。授賞式については、これまでの功績が認められたことも感無量でしょうし、久々の晴れがましい場ということで気持ちの高揚もあったのでしょうが、自身の発言が利用されることについて警戒が薄れていたようにも思えます。89歳で、往年のキレ味に衰えが生じたのかもしれませんが……」(外務省関係者)雅子さまが心配されているのは小和田氏の発言のことのみではなく、ご両親の日々に関してだ。「この夏も軽井沢で過ごされ、ご夫妻ともお元気です。年齢を考えるとご主人の恆さんは若々しく、歩く姿もしっかりとしています。しかし奥さんの優美子さんは、以前にくらべると外出も減っているようです。歩くと足に痛みを感じるそうで、恆さんが買い物をすることもあるようです」(小和田家の知人)コロナ禍が収束し、“異変”が生じ始めたご両親ともお会いできるようになることで、雅子さまのご心配が和らぐ日が早く訪れるよう祈りたい。
2022年09月07日天皇ご一家が赤坂御用地から皇居に引っ越されたのは、昨年の9月6日。引越し作業の間は宮殿で15日間お過ごしになり、御所に入られた。御所ではご一家で団欒の時間を過ごされるとともに、海外からの賓客をもてなされたり、リモートで地方のご公務に出席されたりしている。そんな皇居でのこの一年を振り返るーー。【9月6日】お引っ越し当日、御所の玄関にご到着。皇位の証しである三種の神器の剣璽(けんじ)とともに赤坂御所から移られた。【10月3日】宮城県石巻市で開催された全国豊かな海づくり大会にリモートでご参加。机の上には、伊達政宗の兜(かぶと)をかぶったゆるキャラ・むすび丸を置かれて。【12月1日】20歳のお誕生日に公開された愛子さまのお写真。愛犬の由莉と御所の内庭をご散策。【12月9日】雅子さま58歳のお誕生日写真。日本各地の伝統工芸品を机に並べられて陛下とお話を。【3月17日】成年皇族となられてから3カ月半後、愛子さま初の記者会見。大広間に集まった宮内記者たちからの質問に、落ち着いて答えられた。【6月1日】皇居内の紅葉山御養蚕所にご一家でお出かけに。天皇陛下と愛子さまが雅子さまのご養蚕を手伝われるのは、今年が初めて。【6月5日】滋賀県甲賀市で開催された全国植樹祭に、御所の玄関に設けられたお席からリモートで参加。苗木のお手植えも玄関前から行われた。【7月27日】来日していたインドネシアのジョコ大統領夫妻を御所に招かれご会見。雅子さまは和服姿で御所の玄関に夫妻を出迎えられた。
2022年09月03日8月11日、日本のファッションデザイナーの草分け的存在で、世界的に活躍した森英恵さんがこの世を去った。享年96。’05年、ニューヨークコレクションで蝶をモチーフにしたデザインが評価を受け、「マダム・バタフライ」と呼ばれるように。’77年には東洋人として初めてパリのオートクチュール組合の会員となり、顧客にはモナコ公妃のグレース・ケリーや、女優のソフィア・ローレンなども名を連ねた。「いつも美しく歩いてほしい」という思いをのせ、女性らしい気品を感じさせるデザインを世に送り出してきた森さん。華々しく艶やかな作品を振り返りますーー。【’60年】石原裕次郎夫人のウエディングドレス石原裕次郎さんの妻・北原三枝さんのウエディングドレスを制作。肩の大きなリボンがかわいらしい。【’67~’87年】日本航空の客室乗務員制服4~6代目の制服を担当。5代目では、今では定番のスカーフが初めてつけられた。【’88年】美空ひばりさんのステージ衣装「不死鳥コンサート」にふさわしいきらびやかなドレス。病いと闘いながら歌うひばりさんの体力を考慮して、重さを抑えて制作された。【’92年】バルセロナ五輪日本選手団ユニホーム白と赤で、背中に日の丸が入った日本らしいユニホーム。写真は、当時シンクロ選手だった小谷実可子らと。【’93年】雅子さまのローブ・デコルテ雅子さまがご成婚時にお召しになったローブ・デコルテのジャケットは、襟に花びらがあしらわれたデザイン。森さんは「雅子さまはバラの花のような方だと感じた」ことから着想を得たそう。そして、ご成婚を祝う宮中饗宴の儀でのローブ・モンタントも手掛けた。■親友・黒柳徹子と本誌で対談本誌では、熱烈な「ハナエモリ」ファンであり親友の黒柳徹子との対談を複数回掲載。徹子が司会を務めていた『ザ・ベストテン』の衣装はほとんど森さんのデザインだったという。また、『徹子の部屋』では、森英恵さんデザインのウエディングドレスを着たことも。
2022年08月27日ファッションデザイナーの森英恵さんが8月11日に亡くなった。96歳だった。自身の名前を冠したブランド“ハナエモリ”は65年に初めてニューヨークで個展を開催。77年には日本人として初めてフランス・パリのオートクチュール組合に加入するなど、名実ともに日本を代表するファッションデザイナーとして活躍した。さらに美空ひばりさんのコンサート衣装や、バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームなど、数々の作品を残した森さん。93年には、雅子さまがご成婚当日にお召しになったローブ・デコルテも手掛けた。森さんは同年、本誌のインタビューにローブ・デコルテの制作秘話を明かしている。「雅子さまは以前から私のブティックにもときどきいらしていたそうですが、私自身は面識はございませんでした。もっとも、お父さまとは会合やパーティでお目にかかっていましたし、お母さまもお店のお客さまとして存じ上げていました。それで、『ご両親もとても素敵な方だから、さぞかし雅子さまも……』と想像していたんです。実際にお目にかかると、ほんとうに素敵な方でしたね」(以下、カッコ内は当時の森さんの発言)ローブ・デコルテ用の生地を受け取ったのは、納采の儀の翌日。美智子さまから、わからないことは三笠宮妃の百合子さまに伺うよう伝えられ、日本でのローブ・デコルテの細かい決まりについて教わった。1週間ほど生地を机の上に置いて眺め、アイディアを膨らませていき、最終的に3点くらいのスケッチを用意したという。そうしてデザインされたローブ・デコルテは、襟に花びらがあしらわれたジャケットが印象的だった。「襟に花びらをつけましたのは、雅子さまはバラの花のような方だと感じました。華やかで匂い立つような白いバラはほかの色のバラよりも匂いがさわやかです。それで、あれを思いつきましたの」製作中は、社内でも極秘だったそう。6人くらいのチームで、アトリエに鍵をかけて作業にあたった。「ご成婚が近づくにつれ、雅子さまは、お体がだんだんほっそりとされて。仮縫いでいらっしゃるたびに寸法をお詰めしました。雅子さまは洋服がお似合いになるプロポーションです。背も高いし、歩き方も自然だし、ウエストラインはキュッと締まっていらっしゃる。特に、肩が安定していらっしゃったので、肩パッドで加減する必要はありませんでした。シルエットがきれいにきまっているんです。理想的な体形ですね」歴史に残る作品を手がけた森英恵さん。これからもその美しいデザインは人々の記憶に残り続ける――。
2022年08月20日7月27日、インドネシア共和国のジョコ大統領夫妻を御所に招かれた天皇陛下と雅子さま。ヒジャブをかぶった民族衣装のイリアナ夫人を、雅子さまは淡い色合いのお着物で迎えられた。陛下のご即位以来、皇后として海外からの賓客をもてなす雅子さまは、令和初の国賓として来日したトランプ元大統領夫妻をお迎えしたときから、相手国の伝統や夫人のスタイルによって和洋の装いを上手に選ばれている。そんな、雅子さまの“国際親善”のお姿を振り返るーー。【アメリカ】’19年5月国賓として来日したトランプ元大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会。雅子さまは通訳を介さず英語で会話。友好を深められた。【フランス】’19年6月マクロン大統領と来日したブリジット夫人を昼食会にご招待。フランス語でもてなされた。【トルコ】’19年7月今日のウクライナ・ロシア問題打開のカギを握るエルドアン大統領とエミネ夫人をお迎えに。【ニジェール】’19年8月第7回アフリカ開発会議に出席したイスフ大統領夫妻ら32カ国の首脳を茶会に招かれて。【スウェーデン】’19年10月即位礼正殿の儀の後、饗宴の儀でヴィクトリア皇太子のカーテシーをお受けに。【オランダ】’19年10月饗宴の儀で、仲のいいオランダのマキシマ王妃との再会では親しみを込めてチークキスを。【ウズベキスタン】’19年12月サマルカンドブルーの装いのミルジヨーエヴァ大統領夫人を和服でお迎えに。【インドネシア】’22年7月27日流水に花をあしらった和服をお召しに。雅子さまが海外の賓客と会見されるのは2年7カ月ぶりとなった。雅子さまのこまやかなお気遣いが友好関係を育み、世界平和にもつながっていく。両陛下は8月15日の終戦記念日にも全国戦没者追悼式に出席し、国内外の平和を願われる。
2022年08月18日女優の石田ゆり子と声優の野沢雅子が出演する、日本スポーツ振興センター(JSC)・MEGA BIGの新CM「非公式キャラクター」編が、20日より放送される。新CMは、BIG売り場の店長に扮する石田のもとに、様々な客が訪れるCMシリーズの最新作。石田店長の前に「メガビッグの魅力を伝える非公式キャラクター」と名乗る怪しいキャラクター・メガビッくんが現れる。「12億を手に入れて公式キャラクターになり、憧れの野沢雅子さんにアテレコしてもらうこと」とメガビッくんが夢を語っていると、そこに野沢本人が登場し、「公式キャラクターになるんだぞ!」と声をかける。■野沢雅子インタビュー――本日の撮影の感想は?私、このシリーズを見ているんです、テレビの中で。だから、初めてという気はしないし、常に一緒にいたという感じがしたので、すごく楽しかったし、やりやすかったし、一番楽しいというのが良かったかな、うん。楽しめるっていいことじゃないですか。――石田さんとの共演の感想は?いいですね、いい感じの方ですよね。私、(石田さんが)好きなんですよ。柔らかいじゃないですか、感じがとっても。それで親しみやすいし、入りやすいですよね。なんかぽっと声をかけても、すぐに返事がぱーっと返ってくるような気がする。――メガビッくんのこの風貌はどうですか?かわいいじゃないですか。いいですよ。とっても。――もし12億円あったら何かやりたいことはありますか?私、舞台が好きなもんですから、(舞台)小屋をつくりたいですね。12億でできるような小屋を。電源とかいろんなものを、セットもできちゃってというのがやりたいですね、私。舞台が大好きなもんですからね。――よく舞台を観に行かれるんですか?最近はこうなった(コロナ禍)じゃないですか。だから行かないですけどね。前はよく(舞台を観に)行っていました。――野沢さんがかつて抱いていた夢はありますか?私の夢というのは、小さい時から役者一筋です。これからも変わることはないと思いますよ。ちょっと気軽な気持ちでこんなものやってみたいなというのはあるかもしれないですけど、一生変わらないと思います。役者でいくというのは。――役者になろうと思ったきっかけは?私の叔母が松竹蒲田時代に大スターだったんですって。叔母は自分の跡を継がせたかったらしいんですよ、姪っ子に。それで叔母が、自分が(野沢さんの)マネージャー代わりみたいな感じでやったもので、私、赤ちゃんのときから(役者を)やっているんですよ。小さい時から、舞台はかなりやっていましたし、(舞台が)大好きだったです。舞台やったらお客さんの反応が肌で感じ取れるというのが一番いいわけですよね、舞台はね。拍手なんかくると、もうたまらなかったですよね。小さいながらにね、うわーなんて思って。――このお写真はだいたいおいくつぐらいの時ですか?それはね、18歳ぐらいじゃないかなと思うんです。もう劇団にいました。稽古場に毎日のように、暇さえあったら劇団に行ってて、何かやっていましたね。1つだけすごい思い出があるんですけどね、真冬で寒いときストーブに薪を焚いて、やるわけです。ストーブに焚く薪がなかったものですからね、だから、先輩のスリッパがいっぱいあるんですよ、まだ来てないから。私は先輩のスリッパを全部持ってきて(薪の代わりに燃やして)、よく燃えるんです、ゴムはね、臭いもしないし。(後から)みんな先輩が来たとき、「あれ、俺の、私の上履きがない」なんて、「すいません、燃しました。だって寒くていられないんですよ」と言ったら「あ、そうだったの」と怒られなかったですね。――最後に視聴者の方にむけてメッセージをお願いします。私、いつでも見どころと言って必ず答えているのが、私が最初の出るところだったら、ぱっと私が映りますよね。まずそこから最後に消えるまで、目を皿のようにして見てくださいとお願いをするのが、いつもの私のパターンなんです。よろしくお願いします、今回も。
2022年08月18日強烈な日差しが照りつける7月下旬。都心の庭園で撮影スタッフに囲まれていたのは寺脇康文(60)。10月開始の『相棒season21』(テレビ朝日系)の撮影現場だ。初代の“相棒”亀山薫を演じる寺脇の14年ぶりの復帰が話題になっている本作。主演の水谷豊(70)も“亀山”との再会を心待ちにしていたようだ。「7月後半にクランクインしました。初日の現場に入った寺脇さんを、水谷さんが『亀山くん!』とにこやかに迎え入れ、スタッフからも拍手が起こっていましたね。亀山の妻役の鈴木砂羽さん(49)の復帰も発表され、ファンも盛り上がっています」(ドラマ関係者)古巣の温かな歓迎の一方で、撮影に臨む寺脇の様子からは緊張感が垣間見えるという。本誌が目撃した冒頭の日も、休憩後、撮影場所に戻るにつれて険しい表情に変わっていったーー。「4代目相棒を務めた反町隆史さんと水谷さんは家族ぐるみの付き合いもあり、相性は歴代最高ともいわれていました。視聴率も取れて評判もよかったので、それをわかっている寺脇さんは『気にしないわけにはいかない』と苦笑を浮かべていたそうです」(制作関係者)そんな寺脇の緊張をほぐすべく、気遣っているのが水谷だ。撮影合間には、なんと水谷が渾身のギャグを繰り出していた!「劇中で、水谷さん演じる杉下右京が紅茶を注ぐおなじみの場面がありますよね。ティーポットを高い位置に構えてカップに注ぐ、あのシーンです。それを休憩中に水谷さんがやっていたそうなんですが、劇中では肩ぐらいの高さなのに、大げさに頭の上ぐらいの高さから入れてみせたんです(笑)。初期からやっている注ぎ方ということもあり、寺脇さんも笑っていて、おかげで場が和んだといいます」(テレビ局関係者)ちなみにこれは、水谷が私生活でも披露する“裏技”だそう。「仲のいい木梨憲武さん(60)からも『やって!』と言われて、やってあげたことがあるとか。あの“紅茶注ぎ”を目の当たりにすると『すごい、右京さんだ!』とみんな喜ぶそうなんですよ」(前出・テレビ局関係者)“鉄板ネタ”のみならず、水谷は寺脇に直接的なアドバイスの言葉もかけている。「寺脇さんのプレッシャーを減らそうと『無理に昔を意識しなくていいからね』と助言していました。ですから、新シリーズでは14年前とは少し違う“新しい亀山”が見られるかもしれません」(前出・制作関係者)水谷は『週刊新潮』8月11・18日合併号のインタビューで、『相棒』がいつ終わるかわからないが、寺脇が《最後の相棒になるのは間違いありません》と宣言している。水谷&寺脇の最後のタッグが見られる日まであと2カ月。アイスティーを飲みながら待とうーー。
2022年08月12日「お出迎えの前、雅子さまは陛下に『こういうご会見は久しぶりですね』とお話しになっていました。久々に海外の賓客とお会いになるということ以上に、今回の会見にかけるご熱意を感じました」雅子さまのご様子をこう振り返ったのは、ある宮内庁関係者だ。7月27日、天皇陛下と雅子さまは、来日したインドネシアのジョコ大統領夫妻と会見された。2019年12月にウズベキスタン大統領夫妻と会見されて以来、雅子さまは2年半ぶりに国際親善のご活動を再始動させた。同い年のイリアナ夫人との会話も、終始弾まれていたという。「イリアナ夫人が出身地ゆかりの歌を口ずさむと、雅子さまが『知っています』と応じられる場面もありました。また、夫人が子どもたちへの感染症対策を普及する活動に取り組んでいるといったことなどが話題となったそうです。お見送りの際には、イリアナ夫人のしぐさに合わせて、雅子さまは手を合わせるインドネシア風の挨拶をなさっていました。非常に和やかで打ち解けた雰囲気でのご交流だったと伺っています」(前出・宮内庁関係者)この日、流水に花が描かれた淡いピンクの着物をお召しになっていた雅子さま。今回の会見から、皇后としてのご自覚の強さが感じられたと話すのは、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんだ。「和服は洋服よりも心身ともに負担が大きいとされています。インドネシア大統領夫人の民族衣装に合わせて対応されたということは、日本を代表して会見の場に出られるということを強く意識されているからなのでしょう。また、相手方の情報を積極的にリサーチして会見に臨まれているという印象を持ちました。雅子さまの他文化への深い理解や知識は、幼少期からの海外生活や外務省に勤務されたご経験によって培われたところも大きいと思います。しかしそれ以上に、皇后となられた今も常に学びを欠かさずに続けていらっしゃるのだと、今回の会見で感じました」■制約が多くとも歩みを止めずに…コロナ禍もあり、雅子さまは2年半にわたり国際親善にまつわる行事にご参加できずにいた。じつは、今回の会見に関する発表は異例のものだったという。「ジョコ大統領夫妻の来日にあたって、両陛下がそろって会見なさるということを、外務省は来日の1週間前に発表しています。ご体調のこともあって、最近の雅子さまの行事日程については、当日まで出席が明確にされないことが多く、これほど早い事前発表は異例のことだったのです。それだけ雅子さまは、“何としてもジョコ大統領に会う”という決意を固めていらっしゃったのでしょう」(皇室ジャーナリスト)なぜ雅子さまはご臨席を強く望まれたのかーー。インドネシアは、今年のG20サミット議長国。ジョコ大統領は、11月のサミットにロシアのプーチン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の参加を呼び掛けているのだ。『インサイドライン』編集長でジャーナリストの歳川隆雄さんはこう解説する。「ジョコ大統領は、ウクライナでの戦争を停戦に導くキーパーソンであることは間違いありません。プーチン氏とゼレンスキー氏を招いて停戦に向けた対話を進展させることで、国際社会におけるインドネシアの存在感を高めたいという狙いがジョコ大統領にはあるのでしょう」サミットへの参加にプーチン氏は前向きとされる一方で、西側諸国は強く反発しており、実現の可能性については不透明な状況が続いている。しかし、ジョコ大統領が停戦のキーパーソンであることを十分に理解されているからこそ、雅子さまは会見に並々ならぬ熱意を持たれていたに違いないーー。「2月にロシアがウクライナへ侵攻して5カ月あまり、戦火にさらされる人々の苦痛に、雅子さまは心を痛めていらっしゃると拝察しています。こうした停戦への動きに対しては、雅子さまもひそかに期待されていると思います」(前出・宮内庁関係者)ウクライナばかりでなく、内戦や紛争によって苦しむ人々に対して、雅子さまは常に心を寄せてこられた。2016年12月の誕生日の文書回答では、こう綴られている。《人々が、広い心を持ってお互いの違いを乗り越え、共に手を携えて英知を結集し、様々な問題の解決に向け一致して取り組むことが、今の世の中で大切になっていると感じます》コロナ禍のために海外訪問を阻まれ、国内でのお出かけすら制限があるなかでも、雅子さまは情報の収集を欠かすことはなかった。前出の皇室ジャーナリストはこう語る。「雅子さまは一貫して、“私も平和の使者に”というお気持ちで、陛下とともに国際親善のお務めに臨まれていると思います。ウクライナとの国境近くにロシア軍が展開し始めた昨秋より、両陛下は外務省幹部から情勢について説明を受けられてきました。雅子さまのお気持ちは揺れることなく、再始動に向けて研鑽を積まれてきたのです」雅子さまが平和の担い手になられることに、世界が期待を寄せる日も近いーー。
2022年08月03日7月21日、110年前の7月30日に崩御した明治天皇の百十年祭に際して、雅子さまは天皇陛下に続いて、明治天皇と明憲皇太后がまつられる明治神宮の本殿を参拝された。この日は午前中から蒸し暑く、最高気温は30度を超えたが、雅子さまは肌の露出を抑えたオフホワイトのロングドレス姿でも、終始涼やかなご表情をお見せに。明治神宮の権宮司の挨拶に、落ち着いた笑顔でお応えになった雅子さま。玉串を捧げられたのちも、境内にいる人々に、にこやかに会釈をなさりながらお帰りになった。両陛下に続いて、秋篠宮ご夫妻も同日の午後に参拝されている。
2022年07月30日4月から、お出かけになるご公務も増えてきた雅子さま。今年の上半期の装いを、ファッション評論家の石原裕子さんに解説してもらいました。「皇后になられ、プリントや柄のものをあまりお召しにならなくなりました。そして襟や袖口などのデザイン、素材やボタンなど細かなところへのこだわりを、以前より追求されているように思います。日本芸術院賞授賞式でのスーツは、’19年のトランプ前米大統領夫妻来日の際にもお召しになっていましたが、ジャケットを少しリフォームすることでゆったりと優しい印象で着回しされています。また、アクセサリーも主にパールをお使いになるなど、シンプルでも皇后らしい気品と華やかさが感じられる装いをされています」シンプル+αに宿る品格。そんな、雅子さまの2022上半期ファッション振り返ります。■〈+α1〉異素材で豪華さを演出【5月15日】沖縄復帰50周年記念式典純白のシルク地で清潔感を感じるスーツ。襟、袖、裾にレースのモチーフを縫い付けアクセントに。【5月19日】全国赤十字大会シンプルなテーラードスーツに、上襟、ポケット、袖口に透け感のあるオーガンジーを用いて、爽やかで華やかな印象に。白と紺の靴でバイカラーを徹底された素敵な装い。【6月27日】日本学士院賞授賞式薄いシルクを和服のように膨れ織りにしたアンサンブル。一見ショールカラーのようなテーラードの襟のデザインにこだわりが感じられる。お帽子のリボンも同じ生地をお使いに。■〈+α2〉ショールカラーで柔らかく【1月1日】新年ビデオメッセージ生成り色とショールカラーで優しい印象に。襟のブレードが華やかさを加えている。【1月1日】新年用ご一家写真新年のビデオメッセージの装いと同じデザインのスーツ。クラシックなシルエットだが襟のパイピング、ウエストのチャイナボタンなど細部に気配りが。■〈+α3〉国際的ご公務は和テイストで【4月13日】日本国際賞授賞式雅子さまがお好きな色である、ロイヤルブルーのドレスアンサンブル。細めのショールカラーから左へドレープでまとめたデザインが着物の合わせのようで、和のテイストを感じさせる。【7月1日】日米フルブライト交流計画70周年記念式典シボを施した、和服の楊柳を思わせる生地が涼しげなスーツ。4月13日のアンサンブルと同じく、着物の襟のように左に寄せられたドレープが、洋装の中にも和の印象を与える。■〈+α4〉ボタンにもこだわりが【6月5日】全国植樹祭水色が美しい、全体的に細身のダブルブレストスーツ。中心がシルバーで小さめの水色のボタンを2列に並べ、シャープな印象に。【6月20日】日本芸術院賞授賞式ウエストにピンタックの入ったシンプルなスーツに、楕円形の凝ったデザインのボタンをお使いになり、さりげなく上質なオシャレを。■〈+α5〉お心を寄せられる色使い【4月18日】みどりの式典着物の紬のような粗い目に織り上げた布地の、若葉色のスーツ。同色の少し光沢のある生地を使った上着のトリミングがアクセントになっている。ブローチも葉っぱの形を選ばれ、みどりの式典にふさわしい装い。【4月23日】アジア・太平洋水サミット開会式大洋を思わせるブルーのゆったりしたスーツは、カーブがかかった襟が女性的で優しい。光沢のある丸襟のインナーに気品が感じられる。■〈+α6〉ローブ・モンタントは胸元の飾りで華やかに【1月18日】歌会始の儀上質のベルベットが歩かれるときの揺れに合わせ美しく光る、チャイナカラーのローブ・モンタント。華やかで優雅な宮中儀式の装い。【2月23日】天皇誕生日「祝賀の儀」濃紺のベルベットがミンクのような光沢を持つローブ・モンタント。襟の周りと袖口の小さなビーズの輝きがまるで星のよう。■愛子さまとリンクコーデを!【1月1日】上皇ご夫妻へご挨拶ドレスの丸襟に沿ったパールのネックレス、イヤリング、ブローチ。そしてセーラーハットもおそろいの母娘コーデで新春のご挨拶に。
2022年07月22日inochi Gakusei Innovators' Program KYUSHU(代表:水谷 愛)は、ヘルスケアに情熱を燃やす中高生が将来を考えるきっかけを作るため、2022年8月7日(日)9時からZoom上にてイベント「Global Future Day」を開催します。映画制作・AI技術・医療支援のそれぞれの分野で活躍する3人の先生をお呼びし、講演・対話を通して中高生の将来への志を定める機会を提供します。小田 実里さん/宮本 大輝さん/浜中 康晴さん【Global Future Dayとは】5ヶ月間に及ぶ本プログラムの中で、ヘルスケア課題である心不全パンデミックに懸命に取り組む中高生のキャリアを拡げるため、Global Future Dayを2022年8月7日(日)にZoomにてオンラインで開催します。Global Future Dayは各分野でイノベーターとして活躍している同世代の先生方の講演を聴き、対話を行うことで、多職種への理解を深めると共に多種多様なキャリア形成の可能性を中高生にもたらすことが期待されるプログラムです。【Global Future Day 概要】●イベント名Global Future Day●日時2022年8月7日(日) 8時50分から12時35分まで(入室は8時45分から)●開催形式ZoomURL: ※一般参加可能です。※終了後に代表インタビューを希望される場合はお問い合わせください。●一般参加お申込みフォームURL: ●タイムスケジュール08:50 オープニング09:00 小田 実里さん講演09:50 宮本 大輝さん講演10:40 浜中 康晴さん講演11:30 クロージング111:40 質疑応答・対談(小田 実里さん、浜中 康晴さん)12:15 クロージング2※小田 実里さん・浜中 康晴さんとの質疑応答・対談はZoomのブレイクアウトルーム機能を用いて行います。【講師紹介】●小田 実里さん起立性調節障害を描いた、高校生の自主製作映画「今日も明日も負け犬。」の原作・脚本を手掛けた脚本家。原作本は1日で即完売し、クラウドファンディングでは、350万円を集めることに成功。映画の撮影では、衣装・ロケ・メイク・録音照明など、すべて自力で行った。2021年には、MARK IS 福岡ももちのユナイテッド・シネマの1シアターを2日間貸し切って、オンラインを併せて、上映会を実施、2,000人以上に届けた。NPO法人映画甲子園主催「高校生のためのeiga worldcup2021」ではグランプリ、企画賞を含む10冠に輝き、国内外で多数の上映も決定している。・映画HP : ・テレビ特集: ・著書 : ●宮本 大輝さんディープテック企業のCTOで、現役の岡山大学院生。「すべての人に、AIを。」というビジョンを体現すべく、知識0・スキル0でも画像認識AIを作成でき、運用もワンクリックでできるプラットフォームを作っている。本企業は、日本経済新聞での特集や、NewsPicksのMakeMoneyにも出演している。●浜中 康晴さんLea Bio株式会社 代表取締役社長Lea Bioはベトナムで、医師が患者の状態や症状を診察前に詳しく把握することで、診察時の非効率な業務を削減し、医師の負担を軽減する医師業務サポートアプリ「MEQUY」のリリースに向けた準備を進めている。現在、ベトナムの主要な国立・国公立系病院、ベトナム最大の民間医療機関グループと共に協力開発やアプリの検証テストを行っており、既に今年中に導入予定の施設が複数ある。Lea Bioは、事前問診と健康チェックができる「MEQUY」の導入により、診断書やカルテ等の非効率な書類作業を効率化することで、ベトナムの小児科医が抱える勤務時間が非常に長いという課題の解決を図っている。公式HP: 【団体概要】私たちはinochi Gakusei Innovators' Program(i-GIP)というinochi WAKAZO Projectのもとで運営が行われている中高・高専生・大学生から成る学生プログラムの九州支部です。5ヶ月間にわたり、2~4名から成る中高・高専生のチームが大学生によるサポートのもとでヘルスケア課題解決のプランを創出・実行し競い合うプログラムとなっています。関西において2015年から毎年開催されている本プログラムは本年度初めて九州にも進出し、ヘルスケアの課題解決に向け九州周辺の中高生による活動が行われています。今年度の課題解決を目指すテーマは「心不全パンデミック」です。6月からスタートしたこの5ヶ月にわたるプログラムの中で、中高生は、医学部や工学系、商学部と言った様々な分野の大学生によるメンタリングを受けながら、心不全パンデミックについて考えてきました。この問題は心不全患者が毎年約一万人ずつ増加していることや2000年から2020年の間において心不全による死亡事例が2倍にも増加していることを背景に近年問題になっているヘルスケア課題であり、心不全パンデミックに伴って発生する医療費の莫大な増加や病床数不足が発生する可能性についても理解を深めました。6月前半に実施した中高生、大学生での初の教育プログラムとなるpre Kick Off Meeting以降、中高生は学校の先生や家族、友人、自分のクラスや学年への網羅的な聞き取り調査等も行い、心不全や心不全パンデミックの抱える問題などを分析、考察しました。また、6月中旬からは心不全パンデミックに対して自分たちができることを考え、すでに行われている取り組みなどと対照したり、文献調査を行ったりして、考案した解決策をより素晴らしいものへと向上させてきました。今回のGlobal Future Dayは、ヘルスケア解決のために様々なアウトプットを行ってきた中高生が、キャリア形成をするうえで重要な知識・知見を新たにインプットし、将来に向けて生かしていくための貴重な機会となります。過去のプログラムの様子 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年07月11日6月27日、天皇陛下と雅子さまは日本学士院賞授賞式にご出席。そして、7月1日にも日米フルブライト交流計画70周年記念式典にお二人で出席された。東京都心で35度以上の猛暑日が続いた酷暑ウイークに、コロナ禍以降、初めて週に2つのご公務で外出された雅子さま。日本学士院賞の授賞式後には、受賞者から研究について説明を聞き、雅子さまは「どういうことで、この分野に興味を持たれたんですか」と身を乗り出されて質問を。また、日米間で学生や研究者を奨学生として相互派遣する留学奨学金制度「日米フルブライト交流計画」の70周年記念式典では、留学経験がある陛下と雅子さまは、若い人たちの国際交流に大きな期待を寄せられているようだった。これまで暑い夏がどちらかといえば苦手といわれてきた雅子さまだが、この2つのご公務では終始明るい表情をお見せだった。連日の猛暑にも、皇后としてのお務めを大切にする姿勢を示されていた。
2022年07月09日《いやー!遂に、発表できました!皆さんからの、たくさんの嬉しいコメント!ほんとに感謝です!》自身のTwitterでこのようにつづったのは寺脇康文(60)。10月から放送される人気ドラマ『相棒』(テレビ朝日系)の新シーズンに、5代目相棒として寺脇が再登場することが発表された。今年3月には、歴代最多出演(138回・’15〜’22年)を記録した4代目相棒・反町隆史(48)が卒業。5代目を誰が演じるのか注目が集まっていたが、初代相棒が電撃復帰となった。「水谷豊さん(69)は近年、“2クールの撮影が体力的にきつい”とこぼすこともありました。 また、水谷さんが監督を務めた映画に、テレ朝は“3作まで”という約束で出資していましたが、その3作目が6月に公開され、テレ朝との関係も一区切り。寺脇さんを“最後の相棒”として、シリーズ終了の方向で話が進んでいます」(制作関係者)杉下右京の“終活”となりそうな新シーズン。寺脇の再登場は水谷の意向だったという。「最終章のタイミングで新キャストを相棒とすると“作品が中途半端になってしまう”と水谷さんは感じていたようです。そこで水谷さんが推したのが寺脇さん。自ら電話をかけ、ラブコールを送ったそうですよ」(テレビ朝日関係者)’00年に単発ドラマとしてスタートした『相棒』。寺脇はその初回から124回にわたって熱血漢・亀山薫役で出演し、水谷演じる右京と息ピッタリの掛け合いを見せていた。’08年に『相棒』を卒業した際には水谷との“不仲説”も噂されていたが……。「実際には不仲ということはなく、卒業は寺脇さんから申し出たんです」前出の制作関係者は、寺脇の卒業の真相について続ける。「当時寺脇さんは役者として成長するため、舞台中心の活動へ舵を切ろうとしていました。撮影に半年以上も拘束される『相棒』との両立が難しくなっていたのです」苦渋の決断で卒業を選択した寺脇。水谷は寺脇にエールを送っていたという。「水谷さんは“『相棒』にとどまらず、さまざまな役を演じるために羽ばたいてほしい”と寺脇さんに言葉をかけ、気持ちよく送り出したそうですよ」(前出・制作関係者)今回の寺脇の再起用の背景には22年前の“『相棒』誕生秘話”が関係しているのでは、と前出のテレビ朝日関係者は指摘する。「当時、寺脇さんはドラマに途切れることなく出演しており、バイプレーヤーとして活躍していました。ですが連ドラ主演経験はなかったんです。そこで、寺脇さんの演技力や芝居への熱意を評価していたプロデューサーが寺脇さんを主演にした“バディ作品”を考案。それが『相棒』の原点でした」近年の『相棒』は“水谷とその相棒の物語”というイメージが強いが、もともとは“寺脇主演”を想定していたというのだ。「同時期に水谷さん主演のドラマの企画があったことから、水谷さんが寺脇さんの相手役として『相棒』への出演が決まったのです。当時寺脇さんはオファーが相次いでいる時期でしたが、水谷さんのキャリアが考慮され、『相棒』はダブル主演となりました」(前出・テレビ朝日関係者)寺脇が主演の座を半分譲るようにしてスタートした『相棒』。実際に当初は水谷と寺脇が“同格扱い”だったと、テレビ誌ライターも言う。「初期の『相棒』には『警視庁ふたりだけの特命係』というサブタイトルが付いていました。最初は水谷さんと寺脇さん、どちらにもスポットを当てた作品だったのです」当時の水谷について、芸能関係者は次のように話す。「水谷さんは熱血教師役を演じた主演ドラマ『熱中時代』シリーズ(日本テレビ系、’78〜’81年)が大ヒットし、役者としての地位を不動のものにしました。ですが’90年代になると、連ドラ主演は『刑事貴族』シリーズ(日本テレビ系)のみ。作品になかなか恵まれない時期だったのです」ただ、撮影現場では寺脇が水谷を立てるようにしていたという。「寺脇さんが役者になったのは、水谷さんに憧れていたから。いわば師匠のような存在である水谷さんに対し、寺脇さんは常に敬意を持って接していました」(ドラマ関係者)結果的に水谷にとって久々の連ドラ主演となった『相棒』は好評を博し、シリーズは長期化した。「そもそも寺脇さんから始まった企画だったのだから、警視庁を退職し海外へ飛び立つという形で寺脇さんが作品から退場したときにドラマ自体が終了となってもおかしくなかったはず。それでもドラマは継続し、『相棒』のメインは完全に水谷さんへと譲られたのです」(前出・芸能関係者)『相棒』は、寺脇の存在があったからこそ水谷の代表作となったといえるだろう。「不遇の時代を過ごしていた水谷さんは、再びヒット作を出すきっかけを作ってくれた寺脇さんに感謝の思いがあるのでしょう。そういった恩返しの気持ちも込めて、寺脇さんを5代目として指名したのかもしれませんね」(前出・ドラマ関係者)14年ぶりの共演となるが、ツーカーの演技が期待できそうだ。「水谷さんが寺脇さんに5代目相棒の依頼で電話した後、2人で食事にも行ったそう。『相棒』の終結をどのように演じるか話し合ったようです」(前出・芸能関係者)再びタッグを組む右京&亀山。“22年前の原点”を礎に、どんな集大成を見せてくれるのだろうか。
2022年07月07日