俳優の田中圭とお笑いコンビ・ガンバレルーヤのよしことまひるが22日、東京・虎ノ門ヒルズで行われた「アフラックの健康応援カフェ」オープニングイベントに登場。田中がガンバレルーヤの健康測定を行い、体重結果に「けっこう衝撃だった」と驚いた。10月22日~24日の期間限定で虎ノ門ヒルズにオープンする同カフェでは、「アフラックの健康応援医療保険」のキャラクターである“応援ダック”をモチーフにした「応援ダック薬膳カレー」など、健康を応援するオリジナルメニューを提供。健康測定ブースではBMI(身長・体重)と血圧の計測を無料で実施し、測定結果が基準値を満たした場合は飲食代の半額をキャッシュバックする。オープニングイベントには、WebCMに出演している田中圭に加え、カフェの客第1号としてガンバレルーヤが登場。よしこもまひるも間近で見る田中に「すっごいイケメン」「かっこいい」と大興奮し、田中が「ずっと腰が低いお二人で素敵だなと」と話すと、「そんなことないです」と照れた。そして、田中が2人の健康測定を実施。体重測定の際にまひるが「えー恥ずかしい」と恥ずかしがると、数値を発表する際に田中は「んーー6キロです」と数字を隠す優しさを見せつつ、「言ったほうがいいですか? 67.6キロ」と発表した。そして、よしこの体重測定では、数字を見て田中が爆笑し、「縁起いい数字なんですけど…77キロです」と発表。よしこは「うそーやだ! 昨日浴びるほど酒を飲んだから、それですね」と動揺し、田中も「あんまり女性の体重って知らないからけっこう僕、衝撃だった」と驚いていた。健康測定の結果が基準値をクリアしていたら、カフェメニュー「応援ダック米粉パンケーキ」を、クリアしていなかった場合は激苦健康卵豆腐を、田中から“あーん”してもらえることに。結果は2人ともクリアならなかったが、メニューが1つずつしか用意されていなかったため、より数値が悪かったよしこが激苦メニューを食べることになり、田中の“あ~ん”に喜ぶも「苦~い!」と顔をゆがめた。一方、パンケーキを“あ~ん”してもらったまひるは「おいしい! 圭さんの味がする」と大満足だった。
2018年10月22日篠田麻里子が主演を務める舞台『アンフェアな月』が2月22日(木)に開幕する。本番を一週間後に控えた稽古場で、染谷俊之、中村優一、和田琢磨、野崎弁当に話を聞いた。舞台『アンフェアな月』チケット情報本作は、検挙率トップ、バツイチ、男勝り、酒豪で「無駄に美人」と揶揄されるワーカホリックな女性刑事・雪平夏見を描き、テレビドラマや映画で人気を博した『アンフェア』シリーズの初舞台化。秦建日子による小説シリーズ2作目を原作とし、脚本・演出は菅野臣太朗が務める。ドラマの印象も色濃い作品だが、和田が「小説のページをめくるような感覚が味わえたらいいなと演出の臣太朗さんもおっしゃっていましたが、原作をすごく大事にした舞台です」と話す通り、ドラマや映画、そして小説のファンである野崎も「ドラマのイメージを持って入ったのですが、いつの間にかそれはなくなっていました」という本作。あくまで小説『アンフェアな月』の舞台化だが「『アンフェア』ファンとしても、好きな舞台になっています」(野崎)。実はほとんど共演するシーンがない4人だが、それぞれの役について聞いてみると、雪平の相棒・安藤刑事を演じる染谷は「雪平は事件を追いかけるのでずっとピリピリしてるんですけど、その中で僕は雪平が上司に見せない顔も引き出せる役なので。人間らしい部分を出せたらと思っています」、雪平の元旦那・佐藤和夫を演じる中村は「娘・美央とのシーンは1シーンしかないんですけど、そこにいろんなものがギュッと詰まっているので。やってて楽しいし、個人的に一番大事なところだと感じていますね」、事件の鍵を握る隣人・日野雅紀を演じる和田は「雪平とのアクションシーンがあるんですけど、僕は人のために戦うんですね。その動きの一つひとつに彼の愛の重さを込めて演じています」、誘拐された女児の父親・藤田由人を演じる野崎は「僕の役って全く愛のない人間なんですよ。雪平は愛がある人なので、その雪平と僕の役の対比を見てくださると面白いと思います」とそれぞれのシーンにかける想いは強く、作品の奥行きを感じさせる。主演の篠田について染谷は「最初の顔合わせのときから台本にすごい書き込みがされているのを見ていますし、圧倒的な台詞量なんですけど台本を持ってるのも見たことがない。背中で引っ張るタイプです」と言い、「雪平の魅力を楽しんでいただきたい。僕らがスパイスとして引き立たせることができたら」と語る。中村が「舞台装置も面白いことになってますよ。舞台としての『アンフェアな月』の見所がたくさんあります」と紹介する本作は、2月22日(木)から3月4(日)まで東京・天王洲・銀河劇場にて。チケットは発売中。撮影・取材・文中川實穗
2018年02月20日田中マヤ愛用のオーガニック美容オイル2018年2月14日、美容モデルの田中マヤが、自身のオフィシャルブログの中で愛用しているオイルを公開。オーガニック美容オイル「ピュール セラムM /マカセラム」は、女性にとって嬉しい効果がたくさん期待できるとしている。田中マヤは、化粧水で肌を整えた後に使用。香りの良さも気に入っているという。「ピュール セラムM /マカセラム」の特長オイルベースの「ピュール セラムM /マカセラム」のセラムMは、マカ美容液を意味する。敏感になっている肌のターンオーバーを整え、潤いを与えながら、血色の良い肌へと導く。肌のハリ、シミ、シワ、肌荒れ、ニキビ跡の改善などの効果も期待される。販売価格は11,000円(税抜き)。1ヶ月集中トリートメントとして、夜、クリームの前に使うことが推奨される。Fun and Naturalにて、購入可能。Fun and Naturalでは、ピュールシリーズが手軽に試せる「ピュール・スターターキット」を販売中。レ アルパージュ(クレンジング)200ml、オー デルブ メリス(化粧水)200ml、クレーム ED ナンバー1(美容保湿クリーム)20mlのセットで、通常価格14,300円(税抜き)のところ、9,800円(税抜き)で提供している。(画像は田中マヤ オフィシャルブログより)【参考】※田中マヤ オフィシャルブログ※Fun and Natural
2018年02月18日ミュージカル「刀剣乱舞」などで人気を博す佐藤流司や、映画『逃げた魚はおよいでる。』の染谷俊之らが出演し、バンドに挑戦する若者たちを描く「御茶ノ水ロック」。このたび、メインキャスト10名のソロビジュアルが解禁、TVドラマの放送スタートが1月10日(水)に決定した。「男水!」のポリゴンマジック企画・制作によるTVドラマ&舞台連動企画の第2弾となる本作。メインキャストは TVドラマと舞台両方に出演し、キャストが吹き替えなしでバンド演奏に挑戦!舞台でも、当て振りなしの生バンド演奏に挑むことでも話題を呼んでいる。今回解禁されたビジュアルは、佐藤さんに、崎山つばさ、前山剛久、松本岳、宮城紘大、砂原健佑、Chiyu、夛留見啓助、谷水力といった、バンド「ダイダラボッチ」やライバルバンドのメンバー、染谷さんの音楽プロデューサーの姿をとらえたもの。力強い眼差しでこちらを見ながら歌う佐藤さん演じる始や、若手プロデューサーらしい佇まいの染谷さん演じる亮の姿が収められており、それぞれのバンドメンバーもライブシーンを切り取ったかのような躍動感ある仕上がりに。バンドマンたちの熱い青春ストーリーを感じさせるビジュアルが完成した。あらすじ「いつか武道館に立ちたい」――。子どもの頃、片山始(佐藤流司)と片山亮(染谷俊之)の兄弟は同じ夢を掲げるも、母親の死をきっかけに別々の道へ。数年後、始の作ったバンド「ダイダラボッチ」のメンバー5人は、待望のライブが決まる。しかし、彼らのライブはガラガラで散々な結果に。ライブの大トリは、話題の実力派プロデューサー・片山亮がプロデュースする「ヘブンズドア」。彼らが登場すると、さっきまでガラガラだったライブハウスが観客でいっぱいに。そんな中、「ダイダラボッチ」のボーカルが突然辞めることに。翌週にはライブが控えている。不在のボーカルの代わりにギターの始が歌うことになるが…。兄貴にまた認めてもらいたい。始はその想いを胸に自分のバンド「ダイダラボッチ」で武道館ライブを目指す――。「御茶ノ水ロック」ドラマは2018年1月10日(水)深夜2時35分より放送開始。配信サイト「あにてれ」にて配信。舞台は2018年3月末より上演。漫画は12月15日(水)より「月刊コミックジーン」1月号にて連載開始。(text:cinemacafe.net)
2017年12月06日ドラマ「男水!」を企画・制作したポリゴンマジックによる、TVドラマ&舞台連動企画第2弾として「御茶ノ水ロック」の始動が決定。キャストには佐藤流司や染谷俊之ら、超人気舞台俳優たちの出演が明らかになった。■あらすじ「いつか武道館に立ちたい」――。子どもの頃、片山始(佐藤流司)と片山亮(染谷俊之)の兄弟は同じ夢を掲げるも、母親の死をきっかけに別々の道へ。数年後、始の作ったバンド「ダイダラボッチ」のメンバー5人は、待望のライブが決まる。しかし、「ダイダラボッチ」のライブはガラガラで散々な結果に。ライブの大トリは、話題の実力派プロデューサー・片山亮がプロデュースする「ヘブンズドア」。彼らが登場すると、さっきまでガラガラだったライブハウスが観客でいっぱいに。そんな中、「ダイダラボッチ」のボーカルが突然辞めることに。翌週にはライブが控えている。不在のボーカルの代わりにギターの始が歌うことになるが…。兄貴にまた認めてもらいたい。始はその想いを胸に自分のバンド「ダイダラボッチ」で武道館ライブを目指す――。■豪華キャスト&スタッフが集結!本作は、すれ違ってしまった兄弟の絆を中心に、バンドにかける男たちの青春を描くオリジナル企画。今回TVドラマ化、舞台化、そして漫画化が決定。メインキャストはTVドラマと舞台の両方に出演し、またキャストたちが吹き替えなしでバンド演奏に挑戦。舞台でももちろん、当て振り無しの生バンド演奏に挑むという。脚本は「みんな!エスパーだよ」の田中眞一。「ぼくは麻里のなか」の横尾初喜、「嵐」の「Happiness」、「GReeeeN」の「キセキ」のPVを手掛ける直が監督を務める。主人公・片山始を演じるのは、今秋、銀河劇場で16公演が即完売で話題となったソロライブ「ミュージカル『刀剣乱舞』加州清光 単騎出陣2017」などに出演する佐藤流司。始の兄・片山亮を、舞台「剣豪将軍義輝」で主演を務めたほか、ミュージカル「テニスの王子様」平古場凛役や舞台」弱虫ペダル」石垣光太郎役で知られ、ドラマや映画など幅広く活動する染谷俊之が演じる。そして主人公のバンドメンバー、ギタリスト・奈良悠介を音楽劇「金色のコルダ」主演の前山剛久。ベーシスト・新田誠を、舞台「デジモン」や「手裏剣戦隊ニンニンジャー」の松本岳。ドラマー・乾慎吾を、ミュージカル「テニスの王子様」や舞台「メサイア」の宮城紘大。そのほか、主人公と対峙するライバルバンドのボーカル・逢坂翔太を崎山つばさ、ギタリスト・五十嵐隼人(ARASHI)を砂原健佑、ベーシスト・吉原公太(KO-TA)をChiyu、ドラマー・橘蓮(REN)を夛留見啓助が演じる。また、途中話から藤瀬和也役として「あんさんぶるスターズ!オン・ステージ」の谷水力も参加が決定した。なお漫画版を担当するのは、シリーズ累計50万部突破の「あかやあかしやあやかしの」の七生が手掛け、2017年12月から「月刊コミックジーン」にて連載スタートする。「御茶ノ水ロック」ドラマは2018年1月より放送、舞台は2018年3月末より上演、漫画は2017年12月より連載。(cinemacafe.net)
2017年11月15日お笑いコンビ・ココリコの田中直樹(46)が2日、女優・小日向しえ(37)との離婚を発表。田中の所属事務所の発表によると、すでに離婚届を提出し、長男と次男の親権は田中が持つという。 田中は、報道各社へ送ったファックスで「私田中直樹は、このたび、小日向しえさんと離婚することになりました。話し合いを重ね、このような結論に至りました」と離婚を報告し、「これからは夫婦という形ではなくなりますが、子供たちの父親、母親としてしっかり責任を果たしていきたいと考えております」とコメントした。 田中と小日向は’03年6月に結婚。翌年6月に長男、’08年4月が誕生。田中は2013年度に『ベストファザー賞 in 関西』を授賞するなど、“理想のパパ”というイメージもあるだけに、ネットでは「田中さんの離婚はショック」「仲良さそうだったのに」「かわいそう」と残念がる声があがっている。
2017年05月02日お笑いコンビ・ココリコの田中直樹(46)が2日、所属事務所を通じて、女優の小日向しえ(37)と離婚したことを発表した。田中は「私ごとで大変恐縮ですが、私田中直樹は、この度、小日向しえさんと離婚することになりました。話し合いを重ね、このような結論に至りました」と報告。「これからは夫婦という形ではなくなりますが、子どもたちの父親、母親としてしっかりと責任を果たしていきたいと考えております」とし、「お世話になっております皆様、関係者の皆様には、ご迷惑とご心配をお掛けして大変申し訳ございません」とお詫びした。2人は2003年6月に結婚し、2004年6月に長男、2008年4月に次男が誕生。すでに離婚届は提出済で、長男・次男の親権はいずれも田中が持つ。
2017年05月02日気づけば年下男性を魅力的に感じている自分がいる…そんな経験はありませんか?社会学の観点からみると、年下男性に心惹かれることで、女性としての魅力も高まっていくのだといいます。社会学者の田中俊之先生に詳しくお話を伺いました。■今の20代男子はグルーミングされていて美しい。大学教員の田中俊之先生がゼミで行ったリサーチによると、今どき男子は外見への意識が高いという結果が!「男子でも眉毛の手入れや化粧水の使用はマストで、ダイエットをしてスリムな子も多いです。しかも、みんなおしゃれに敏感で、ファッションも小ぎれい。若さの輝きに加えて外見のレベルも高いから、余計にキラキラして見えるのかもしれません」(田中先生)■若さに釣り合おうという気持ちが、女性を美しくさせる。恋愛に安心感よりドキドキ感を求める人には、年下男性はぴったり。自分自身の若さと美を保つ秘訣にもなる。「自分より若い恋人は、離れていく可能性も高いわけです。でもそのドキドキ感も恋愛の醍醐味ですし、いい緊張感が生まれて、自分を磨こうという心理が働く。その結果、女性はいきいき輝き、社会でさらに活躍するといういい循環にも」■年下くんは話題が新鮮で刺激的。年齢差があれば、興味の対象や価値観は違って当然。世代ギャップがあるからこそ、思いもよらない世界や考え方と出合えるメリットも。「知性とは違うベクトルでも、自分の知らないことを知っている人は魅力的です。若い世代のカルチャーや話題には、驚きと新鮮さがあり、話しているだけでエネルギーをもらえるから惹かれていく人も多いのでは」■価値観の多様化で、恋愛の自由度が増した。女性が経済力を持ち、男性に依存しなくなったことで、“愛でる”対象として年下の男性に目を向けるように。「女性が自立したこと、そして世間の風潮として、女性が上の年の差カップルが違和感なく容認されていることも大きいと思います。20代男子に聞いても、30代や40代の女性は若くてきれいだから、ごく自然に恋愛対象として認識しているんです」■成長していく時期なので、変わりゆく姿にときめく。人は年齢を重ねるほど、良い変化はしづらいもの。その点、20代は“化ける”伸びしろが無限大!成長を見守る楽しさは、年下くんならでは。「学生を見ていても、1年で外見も性格もびっくりするほど変わって大人になります。その成長は、きっと女性にもまぶしく映るだろうし、自分好みの男にしていく育成の楽しみもあると思います」◇個人と社会の相互関係に視点をおき、人間の行動に作用する社会現象のしくみや現代社会の課題を研究するのが社会学。女性が年下の男性に心惹かれる背景には、20代男性の質や女性を取り巻く社会状況など、時代の変化が密接に関わっていた。◇たなか・としゆき社会学者、武蔵大学助教。男性学の研究者としても知られ、『男が働かない、いいじゃないか!』(講談社+α新書)などの著書がある。※『anan』2016年8月10日号より。イラスト・micca取材、文・熊坂麻美
2016年08月03日男性が抱える問題や悩みを研究する「男性学」。この学問の第一人者である武蔵大学社会学部の田中俊之助教が、著書『男が働かない、いいじゃないか! 』を出版した。「定時に帰ってもいいですか」「育児休業を取ってもいいですか」などの目次が並び、子育てに取り組む共働き夫婦にも響きそうな内容だ。ブックファースト新宿店はこのほど、本の出版に合わせたトークイベントを開催。著者である田中さんと、コラムニストやラジオパーソナリティーなど多様な分野で活躍するジェーン・スーさんが対談した。○「働く」との距離が近すぎる田中さん(以下敬省略): 今回「男が働かなくてもいいじゃないか」と書いて、どういう意味なのかと思う人がいると思いますが、「男性の仕事中心の生き方を見直しましょうよ」ということです。ジェーン・スーさん(以下敬省略): 「女が家に入らなくてもいいじゃないか」ということはだいぶ言われてきていますが、確かに「男が働かなくてもいいじゃないか」ということにいまだにドキッとする人が8割だと思うのですよね。この考えを履き違えると、じゃぁ労働しないでどうやって食べていくのかという話になると思いますが、そういう話ではないですよね。田中: 日本の男性は「働く」ということと距離が近すぎるという問題意識があります。「近すぎて何が悪いの」という点については、組織で働いている人にとって会社との距離、会社と自分が一体化しすぎてしまって客観視できないということがあげられると思います。例えば東芝の不正会計問題をみても、社長が「不正会計をしろ」といっても「おかしい」と思う社員がいてもよかったですよね。きっと社員も会社のためになると思い、やってしまったと思うのですが、会社との距離があればもう少し異論を唱えたり反論したりできるはずです。社員と会社の距離が近すぎることは、会社にとってもデメリットがあるんですよ。○男性にとってのラスボスは「会社にいつづけること」ジェーン・スー: 私は新卒で入った会社に8~9年ほどいたのですが、とにかく仕事をしない男性がいっぱいいました。明らかに仕事をしない人って、女性と比べて男性が多い。なぜかと考えたところ、働かない女性は辞めていたんですね。女性には、仕事を中断する選択肢があるのだということに、その時私は気づいていませんでした。結婚して夫の転勤についていって、仕事を休んでのんびりしますっていうのが女性は許されますが、男性はそれが言えません。会社で昇進することももちろんゴールの1つですが、彼らにとっての最終的なゴール、ラスボスは「どこまでゲーム場にい続けられるか」、つまり会社にいつづけることができるかになっている。男性は充実感を持ってよりよい仕事をしていくことを求めるより、その場でこぼれないことを最優先にしながら、誤解を恐れずに言うと、「仕事に夢中になっているふりをしなければいけない」のだと思いましたね。田中: 今の男性には「降りる」という選択肢がないです。男性だということで、学校を卒業したら「40年間フルタイムで働いてください」となってしまっていること自体が「僕らの人生何なんだろう」ということになってきますよね。ジェーン・スー: 一回働き始めたら途中で辞められないプレッシャーや、誰かを食べさせて1人前っていうプレッシャーは、私自身、感じたことがありません。「こんな会社辞めてやる」と言って、会社を辞めることもできたし、キャリアを重ねていくということを考えずに全く違う仕事に転職できたのは、ある種、私が女性だったからというのもあるのだろうなと思います。田中: 一生懸命働くことを否定はしていないんですよ。でも、趣味はありません、友達はいませんというのは定年になったら何もなくなってしまう。そこから20年間生きていくのに。そこに備えてくださいということだけではなくて、会社以外の人生があってもいいと思うんですよ。せっかく生きているんだから、楽しめればいいですよね。男性の仕事中心の生き方を見直そうというのは、ここ最近通るようになった話です。それまでは大きな話をしなければならなかった。政治経済、社会の動きを新聞でチェックしながら追っていく。そういうのが男性にとって大事なことになっていて、「生活」というのがごっそり抜け落ちているということなんだろうなって思います。ジェーン・スー: 残念ながら悪い意味で、明日はどうなるかわからない時代ですよね。前みたいに終身雇用制が固定されていたような会社だったら、辞めずにとどまり続けるのは手だよ、という考えが通用したと思いますが、今は全然そんなことない。今は稼ぐ会社ほど人を切るので、そういう意味では保証なんか何もなくなったのだから、好きなことをやったらいいと思います。田中: 状況が悪いことが、男性にとってはチャンスかもしれない。○男性と女性の問題は裏表田中: スーさんと私で認識が共通しているのは、男性の問題と女性の問題は裏表だということですよね。ジェーン・スー: 今の社会は「男社会」というよりは、「一部の男性にとってことごとく有利な社会」でしかない。実は、(男は稼いで養うべきという)今のシステムからこぼれ落ちてしまう男性たちと、私たちは仲良くしていかないと、社会システムは絶対に変わらない。田中: 「男は稼いで養う」というのが上の句で、下の句は「女は早く家庭に入り専業主婦として子どもを育てたほうが幸せになれる」となってしまっている。女性がそれを男性に期待することが、本当は自分の生き方もワンパターンにはめてしまうということなんですよね。男性にしても、女性は家庭に入って子どもをうんだほうがいいんじゃないのと言い放った途端に、40年間フルタイムで働くということになってしまう。ジェーン・スー: 多様性を認めるということが今一番大事で、働きまくってもOK、そんなに働かなくてもOK、それは性別ではなくて「私」が決めるということですよね。○「男は働き、女は家を守る」という概念にとらわれてはいないかトークセッションの最後に投げかけられた参加者からの「育児」の質問に、田中さんは以下のように答えた。田中: 僕は去年結婚して、生後2カ月の子どもがいます。今は大学が春休みなので、3食全部作って、子どもをお風呂に入れて、ほぼ何でも家事をやりながら働いています。自分がほぼ2カ月、育休状態にいて思うことは、子どもは育つが、妻の方はかなりケアが必要だということです。女性は産後2カ月くらいまで、体力的にも元の体に戻らないし、メンタル的にも不安定です。そんな中で男性が育休をとらずに、さらにそんな状態の女性が赤ちゃんの面倒を見ながら夫にもご飯を作るなんて、怖いなと思いました。女性の我慢によって成り立っていることが多いなと。このことについて、育休を認めないとか言っている会社の上司はどう考えているのかなと思います。「夫も妻も働きながら共に子育てをする」という考えが定着しつつある一方で、「男は外で働き、女は家庭を守る」といった思想が、実は自分の中に根付いていないだろうか。男性も女性もそんな考えから解放されたら、少し楽になれるのかもしれない。
2016年03月31日画家の田中千智の個展「田中千智展」が、16年1月29日から2月7日まで東京・渋谷にあるBunkamura1階のギャラリーにて開催される。田中千智は、国内外での多数の展覧会を行う他、小説の表紙や挿絵、舞台や映画のイメージビジュアルなどを手掛ける、近年目覚ましい活躍を見せる画家。果てのない夜や燐光の森、淡くゆらぐ雪の丘、置き去りにされた情景など、黒と白の鮮烈なコントラストによって独自の死生観が描き出された作品は、見る者にセンチメンタルな物語を想起させる。Bunkamuraで開催する2回目の個展となる同展では、未発表の新作を中心に多数の油彩原画を展示・販売。今最も注目される画家のうちのひとりである田中が持つ引力をたっぷりと体感出来る個展となっている。【イベント情報】「田中千智展」会場:Bunkamura Box Gallery住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura 1F メインロビーフロア会期:16年1月29日~2月7日時間:10:00~19:30(最終日は17:00まで)入場無料
2016年01月06日-------------------------------------------大学1年生のみなさん! 「大学デビューのホントのところ」、知りたくないですか? 本連載は、かつて大学デビューに半分成功・半分失敗したトミヤマユキコ(ライター・大学講師)と清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)が、過去の失敗を踏まえ、時に己の黒歴史を披露しながら、辛く苦しい学生生活を送らないためのちょっとした知恵をお授けする。そんな連載です。-------------------------------------------○幸福の最大の敵は嫉妬さて、10月です。後期が始まりましたね。2か月の夏休みを経て戻ってきたキャンパス。あまりに日が暮れるのが早くなっていて、私は毎年その時間感覚のズレに戸惑いを覚えていました。油断してると一年が終わるよ!「嫉妬が卑屈を呼ぶ」というトミヤマさんのお言葉、心に刺さりましたね……。当時の私は完全にそんな感じでした。嫉妬というのは、自分と他人を「比較」することによって生じる心の動きです。そして、世界の"幸福度"を研究した『世界しあわせ紀行』(エリック・ワイナー/早川書房)という本によれば、「幸福の最大の敵は嫉妬」なのです。当時の私は、まさに周囲の学生との"比較地獄"とも言うべき苦境に陥っていました。それは「勝ちも負けもできない」という地獄で、「二度とあの頃には戻りたくない!」と強く思う理由のひとつです。そこで今回は、同じような苦しみを味わっている大学1年生がいるかもしれないと思い、何かの参考になればと、当時の生活を振り返ってみたいと思います。○上には上が、下には下が……私は早稲田大学の第一文学部(今はもうありません……寂!)というところに入学しました。高校は東京のパッとしない中堅校で、現役時代は受験に全滅。当時の成績からはとても早稲田なんて想像できるものではなかっただけに、我ながら浪人時代はがんばったなと思います。しかし、「憧れの早稲田だワーイ\(^o^)/」となったのも束の間。待ち構えていたのは、マジで授業についていけない日々でした。特にフランス語の授業では、予習しても復習してもチンプンカンプンで、単位を取るのに4年かかりました。なのに、クラスメイトたちはホント平然と100点を取っていく。デキの違いを痛感しました。勉強がダメなら今度は……と、私は別の何かを探しました。自分の強みは何か。人と違うところはどこか。己の個性とは何か。そういうオリジナルなものを求め、いろいろともがきました。が、しかし。スポーツをやろうと、カルチャーに走ろうと、必ず上には上がいる。何か特定の分野に詳しくなろうとしても、一歩分け入ればどんなものにもマニアがいるし、「文章なら書けるかも」なんて思ってライティングの授業を選択しても、すでに詩や小説を書いてる人がバンバンいて、追いつける気がしない。ついには「チキショー、もう何もねえ!」とヤケになり、飲んだくれたり授業をサボったりと自堕落な生活に突入しかけましたが……ここもすでに激戦区で、飲み方のすごい人、サボり方がハンパじゃない人が、うじゃうじゃいる。完全に八方塞がりでした。○「自分は普通」という屈辱の自己認識「男性学」の研究者である田中俊之さんによれば、男性が自身の「男らしさ」を証明しようとするとき、そこには「達成」と「逸脱」という2つの方法があるそうです。意訳すると「エリートかアウトローになることで"俺アピール"を試みる」ということになると思いますが、勝つことも負けることもできなかった私は、そのどちらにも失敗した感覚がありました。そして待っていたのは……「俺、めっちゃ"普通"じゃね?」という自己認識の受容です。喉から手が出るほど個性が欲しかった人間にとって、これは屈辱以外の何ものでもありませんでした。でも、納得感がハンパなかった。自分に特別なところなんて何もない。100点を取る能力はないけど、0点を取るほどの極端さもない。そこそこ器用で、小心者で、バランスを気にし、すぐに眠くなる……。当時の私は、そういう"普通"な自分とまわりの人間を比べまくり、嫉妬心にかられ、卑屈になっていました。○雑多な自分を認めてあげよう!こうして当時を振り返ってみると、何てバカなことで悩んでいたんだろうと思います。こういう"比較思考"に囚われてしまうと、たとえ学校で一番足が速かったとしても、極端に言えば「でもどうせウサイン・ボルトには勝てない」という発想になってしまい、どこまで行っても自分を認めてあげることができない。それは自分に酷なことだと思います。そんな状態では恋愛だってうまく行くはずはなく、自信がないからアプローチできないし、せっかく仲良くなってくれそうな女子がいても、「自分はいかにモテない男か」を必死にアピールして敬遠されるという謎のサイクルを繰り返していました。確かに、劣等感や競争心はときに強いエネルギーを生みますが、それが自己の幸福につながるかというと、はなはだ疑問です。そして、まず自分で自分を幸せにしてやれないと、まわりの人々と良好な関係を築くのも難しい。トミヤマさんは「天才からバカまで、いろんな学生がいる雑多さを楽しんで欲しい」と書いていますが、これはそのまま自分自身にも当てはまることだと思います。「自分は天才か!」と思える瞬間もあれば、「何て自分はバカなんだ」と死にたくなる瞬間もあるでしょう。でも、そういう雑多さを認めることが、「自分の一部分だけを取り出して人と比べてしまう」という極めて一元的な発想から脱却する契機になるような気がしています。自分は自分が簡単に説明できるほど簡単な存在ではない! ということで、ひとつよろしくお願いいたします。清田隆之/桃山商事1980年、東京生まれ。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける"恋バナ収集ユニット"「桃山商事」代表。男女のすれ違いを考えるPodcast番組『二軍ラジオ』を更新中。雑誌『精神看護』やウェブメディア「日経ウーマンオンライン」「messy」などでコラムを連載。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)がある。Twitter @momoyama_radioトミヤマユキコライター・大学講師。「週刊朝日」「文學界」でブックレビュー、「ESSE」「タバブックス」でコミックレビューの連載を持つライター。早稲田大学などでサブカルチャー関連講義を担当する研究者としての顔も持っている。「パンケーキは肉だ」を合い言葉に、年間200食を食べ歩き『パンケーキ・ノート』(リトルモア)にまとめた。Twitter @tomicatomica
2015年10月21日イースト・プレスはこのほど、『<40男>はなぜ嫌われるか』(田中俊之 著/税込930円)を発売した。同書では、2015年時点で30代後半から40代前半までの男性を「40男(よんじゅうおとこ)」と呼んでいる。「『アラフォー』などと生易しい呼び方は採用しない」という。「僕ら40男の内面に目を向ければ、男は家庭を顧みずに仕事だけをしていればいいという『昭和的男らしさ』と、ワークとライフのバランスに気を使い、家事や育児も頑張ろうとする『平成的男らしさ』の狭間に生きている。『働いてさえいればいい』と開き直ることは難しいけれど、若い世代のようにさらりと家事・育児をこなせるわけではない」(同書より抜粋)内容は、「僕らは何を着ればいいのか」「友だちはどこにいった」「なぜ若い女の子が好きなのか」「男女の友情--若き日のあの問い、いま僕らは答えを出そう」「40男の歪んだ世界」「40男は夢をつかめるのか」「40男よ、そろそろ政治を語れ」「どうしてこんなことになってしまったのか」「これからの40年をどう生きるか」。読み進めていくと、以下のような厳しい現実も突きつけられる。・「40男がまず確認するべきなのは、他人に不快感を与えるような外見をしていないかどうかだ」・「好きこのんで40男と恋愛する若い女の子など存在しない」・「昔も今も、中高年の男は、若い女の子が自分を受け入れてくれれば、人生が一発逆転できると考えている。あまりに短絡的な思考に言葉を失う」・「ほとんどすべての40男の夢は実現しなかった」こうした現実を受け入れた上でどうするべきか。40男に寄り添うような(著者も40男)、40男を応援してくれるような解説がなされている。著者の田中俊之さんは、社会学、男性学、キャリア教育論を主な研究分野とする武蔵大学社会学部助教。男性学の視点から男性の生き方の見直しをすすめる論客として、メディアでも活躍する。著作に『男性学の新展開』『男がつらいよ』がある。
2015年09月12日「カバチタレ!」「極悪がんぼ」などで知られる、田島隆による司法書士漫画の新シリーズを田中圭主演で映画化する『劇場版 びったれ!!!』。このほど、田中さん始め、ライバル弁護士役の山本耕史や黒幕の実父役・竹中直人らも登場する、待望の予告編映像が公開となった。本作は、「お人好しで頼りないシングルファーザー」「切れ者の司法書士」「元・極道」という3つの顔を持つ伊武努(田中圭)が、理不尽な目にあう庶民を助けるべく奮闘する痛快・裏リーガルドラマの劇場版。かつては暴力団組織の金バッヂ、狂犬と恐れられた伊武は、いまでは極道から足を洗い、司法書士となって亡き姉の娘・かりん(岩崎未来)を男手一つで育てている。ドラマ最終話で無事に娘を取り戻し、平和な生活に戻ったかのように思えたが、幼稚園のパパ友はまたも不当解雇に怯え、大事な補助者・杉山(森カンナ)の実家は不正な取引で立ち退きを迫られ、かりんまで人質にとられてしまう…。テレビドラマ放送時にも好評を博し、満を持して映画化となった本作。「カバチタレ!」「極悪がんぼ」などを手がけてきた田島隆による同名漫画が原作となるだけに、1つ1つのエピソードがとにかくリアル。今回の劇場版も、田島さん自身初のオリジナル脚本を共同執筆し、全面監修した。予告編映像では、さまざまな困難に直面する伊武(田中さん) 、それを支える杉山(森さん)が登場。田中さんは、元・極道の姿からメガネ男子のシングルファーザー、そして司法書士と見事に演じ分けている。さらに、法律家でありながら「法は人間を救ってなんかくれない」と宣戦布告をするライバル弁護士・霧浦(山本さん)、そして裏から操る伊武の実の父・制覇 (竹中さん)が、伊武の前に立ちはだかる。かりんや杉山、善良な市井の人々を守るため、義理と人情の“たんかを切る”田中さん演じる伊武の姿を、まずは予告編から確かめてみて。『劇場版 びったれ!!!』は11月7日(土)よりバルト11ほか広島にて先行上映、11月28日(土)より角川シネマ新宿ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2015年09月07日2番目ではなく、彼の“本命彼女”になるべく、あれこれ努力を重ねている人も多いのでは?もし、あまり成果が上がっていないのなら、その頑張りが“正しい”ものか一度疑ってみる必要がありそうです。武蔵大学社会学部助教で、男性学・キャリア教育論を担当する田中俊之さんに詳しく教えていただきました。「女性は本命彼女になるため、“彼に告白をさせるようにお膳立てをしなきゃ”とかモテるために頑張ってしまいがちなのですが、実は、ここに落とし穴があるんですね。気持ちを惹くために都合のいい女になってしまうと、なめられるだけ。一度、上下関係ができて彼がリードすることが当然になると、女性の意見は通りづらくなる。たとえ付き合えたとしても、ちょっと文句を言えば“面倒くさい”などと別れ話に発展したりと、大切にされない可能性が高くなります。それよりも男性にとって少しくらい都合が悪い女性のほうが、最終的には愛されるんですね。迎合するのではなく、厳しい意見を言ったり自由な振る舞いをして、支配下に入らないことが大事」“セフレになりやすい…”という悩みを抱える女性にも同じことが言える、と田中さん。「彼の機嫌をうかがって、セックスを受け入れてしまうからダメなんです。“思い通りになる女性”として認定され、本命から、どんどん遠ざかりますから。男は努力なく手に入るものを大事にしません。簡単にやらせなければ、男性にとって、最初は下に見ていた女性の格が上がることもありますよ」また、男性=リードすべきという考えが、相手にとって大きなプレッシャーとなってしまっていることもあるという。「以前と比べると不景気のため、男性も給料が減っています。それにもかかわらず彼らの頭の中や社会には、“家庭の経済は男が支えるもの”という考えが根強く残っている。そのせいで、自分の給料では家庭を持つことが難しいと悩んだり、なかなか結婚に踏み切れないという状況があるんですね。だから女性が経済的に自立をしていたり、お金のことを男性任せにせずサポートしてあげるなど理解を示してあげるだけで、男性は相当救われると思います。そういう、意識も経済事情もきちんと自立している女性こそが、現代の男性に求められているのではないでしょうか」◇たなか・としゆき武蔵大学社会学部助教。男性学・キャリア教育論を担当。著書に『〈40男〉はなぜ嫌われるか』(イースト・プレス)、『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)などがある。※『anan』2015年9月2日号より。写真・岡本あゆみ(人物)Paolo Cipriani(猫)文・重信 綾
2015年08月30日○現代において“普通”はもはや有害な思考停止ワード?2002年に放映された傑作ドラマ『木更津キャッツアイ』で、余命わずかと宣告された主人公・ぶっさんは、"普通"と書かれた野球ボールを心のお守りにしていた。何か特別なことを成し遂げようとしたり、ここではない非日常を渇望したりしなくても、私たちの生きる日常はすでに"普通に"充足と豊穣に満ちあふれているのだ、という素晴らしいメッセージが、そこには込められていた。しかし今、世間の男性を苦しめているのは、むしろその"普通"にすらなれないコンプレックスではないだろうか。普通に会社に勤め、普通に恋愛・結婚をして、普通に嫁と子どもを食わせて定年まで働くことは、もはや贅沢な特権になりつつある。もちろん、正社員だけが働き方ではないし、恋愛・結婚に興味がない人だっているのに、彼らは肩身の狭い思いや、不利な立場を強いられてしまう。その結果、"自分は普通である"というプライドを満たせなくなった男性の中には、必死で"自分より普通でない"人たちを見つけては、見下したり差別したりといった有害な言動をとる者も出てきてしまった。そんな男性たちに、「まずは落ち着いてください」と呼びかけ、「立ち止まる勇気」を訴える本が登場した。昨年、『AERA』の「男がつらい」特集で一躍注目を集めた男性学の旗手・田中俊之氏による『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)である。本書で繰り返し述べられているのは、"普通"にとらわれ、しがみつくことの危うさと弊害だ。その"普通"の最たる例が、旧来の「男らしさ」とされてきた規範だろう。男は競争に打ち勝って何事かを達成するのが"普通"、男は少々乱暴で不真面目で大雑把なくらいが"普通"、男は論理的で感情に流されないのが"普通"、男は正社員としてフルタイムで40年間勤め上げるのが“普通”、男は女をリードして口説き落とすのが"普通"、などなど……。これらの「男らしさ」は、もはや古臭い時代遅れの規範であり、男性はそれを手放さない限り、多様に生きる人々を踏みつけ、自分自身の首をも絞めているのだということを、著者はひとつひとつ丁寧に諭していく。この本はまさに、男性のための新しい道徳の教科書、人生の副読本として全男子に必読を課したい、男性視点でのジェンダー入門書と言えるだろう。男だって弱音を吐いて泣いてもいい、男は女性を性的魅力だけで評価しすぎている、男が若い女好きなのは"生物学的な"本能ではない、不妊は女性だけでなく男性が原因の場合もある、"草食系男子"はもともと揶揄ではなく褒め言葉だった……など、本書が男性読者に言い聞かせる内容は、聞く人が聞けば"今さら"であり、「いちからか? いちからせつめいしないとだめか?」と言いたくなることも多い。しかし、男性の"思考停止する力"をなめてはいけない。著者は、都心部の満員電車の過密度が奴隷船並みであるにもかかわらず、アンケート調査で「通勤時間が苦痛だ」と答えた人が35%しかいなかったことを例に挙げ、どんなに理不尽なルールも、当たり前で仕方のないこととして受け入れなければ生きていけない、と思わされている男性の抑圧を指摘する。この社会は、男性の感情を鈍感にさせておかないと機能しないようにできているのだ。○「男」ではない「自分」の感情に素直になろうこの原稿を書いている私自身も、「男らしくない」自分に引け目と負い目を感じながら、劣等感と焦燥感と孤立感の三角食べで卑屈さをこじらせ、ちんけなプライドを守る逃げ口上ばかり上手になって、ここまで生き延びてしまった自覚がある。小さい頃からひとり遊びが好きでスポーツが苦手だったせいで、同年代のやんちゃな男子の輪に入って競い合ったり自己主張したりすることができない子どもだった。その代わり、先生に言われた通りにしていれば評価される「優等生」キャラになることで自尊心を守っていた。思春期には、盛り上がるとすぐ脱いで裸を誇示するような、下品で粗野な体育会系のノリが心底嫌いだったが、その嫌悪感の正体が自分の貧相なエヴァンゲリオン体型へのコンプレックスと、たくましい男子が女子からモテていたというルサンチマンだったことは間違いない。恥ずかしくていまだに人に言えないことも多い。数年前、激務に追われて教習所に行けなかったとき以来、車の免許を失効して持っていないのだが、実を言うともともと車の運転が苦手で、失効してホッとしたのも本音だった。「男なら、女の子を乗せてドライブくらいできなければ」と無理して免許を取ったが、本当は車に人を乗せて走るのが怖くてプレッシャーだったのだ。さらには、20代後半まで交際経験がなく童貞だったことを、親しい友人にすら嘘をついてごまかしていたし、風俗に一度も行ったことがないのがなんか恥ずかしくて、聞かれてもあいまいに行ったことがあるようなフリをしていたことも、今ここに初めて告白したい。そもそも、フリーランスのライターという不安定な職を選んだのも、一般的な企業社会の勝負や競争からわざと降りることで、「"普通"の収入や地位を得られない自分」を見ないようにしていたのかもしれない。"普通"になれない自分、男らしくない自分と向き合わずに、傷付かないで済むためなら、なんだってする。男……いや、主語を大きくするのはよくないから正確に言おう、「私」のアイデンティティやプライドは、そういう歪んだグラグラな自尊心の上に成り立ってしまっている。土台が腐っているから建て直せと言われても、すでに30年建て増しに建て増しを重ねたそれなりに立派な家がそびえてしまっているから、やっかいでタチが悪いのだ。だからといって、もちろん「男のほうがつらい」などと思ってはいけない。男女に関して、どちらがつらい、どちらが悪いという二元論は、泥沼の水掛け論にしかならないと本書も警告している。大切なのは、「男だから」「女だから」という思考停止に逃げ込まず、「自分」はどう感じるのかという感情と向き合い、外から「そう思わされている」だけの規範に縛られていないか、常に内省することだ。「多様性を認める」とは、全ての人を愛することではなく、価値観の違う人にも敬意を持って、適切に距離を取ることだと著者は説く。結局、それは“普通”と違う他人を許すと同時に、"普通"なれない自分自身を許し、受け入れ、愛することにもつながるだろう。ぶっさんと違い、2015年を死なずに生き延びてしまった私たちは、心の野球ボールの文字を"普通"ではなく、一刻も早く"多様"と書き換えるべきなのだ。<著者プロフィール>福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年08月06日○「ボクがキミを守る」は男が支配欲に酔っているだけ?フィクションの世界では、しばしば愛する女性に対して「ボクがキミを守る」的なことをバシッと宣言するのが、ヒロイックでかっこいい男性の振る舞いだとされている。現実でもそういうことを言いたがる男性(言ってもらいたがる女性)はいるようだが、実際のところ通り魔や強盗に襲われたり、船の沈没や異星人の襲来に見舞われたりしたときに、海猿でもアイアンマンでもない一般男性が、果たして適切に「キミを守る」ことができるのかは、甚だ疑問である。結局、このセリフを現実で言っちゃうような男性は、「ボクの"守ってあげたい欲"を満たしてくれる程度に、キミには弱い存在でいてほしい(経済的・社会的な立場を大いに含む)」という歪んだ支配欲に酔っている可能性が高いのではないか。経済的にも社会的にも、お互い自立していたほうが何かとセーフティなこのご時世、対等なパートナーであれば、「危険な目に遭ったら、手を取りあって一緒に逃げようね」で十分なはずだ。だがしかし、どんなに自分はリベラルで、男女は対等だと思っているつもりでも、表面上は「ボクが守るよ」と言っておかないと、「男のくせに頼りない」と言われてしまうのではないか、という強迫観念が捨てられないから、男の自意識はやっかいなのである。「男らしくない」ことを、自分で認められない(許せていない)せいで、自己肯定できないまま卑屈になったり、「どうせ女は強くてリードしてくれる男が好きなんだろ」とやっかんだりしてしまう。真綿で自分の首を絞めていく負の思考スパイラルに、男性は陥りがちなのだ。そして、まさにそんな男性にこそ見てもらいたいのが、7月4日から公開中の映画『フレンチアルプスで起きたこと』である。○「男らしくない自分」を受け入れられない父親の苦悩この映画は、そこそこエグゼクティブな中流階級のスウェーデン人一家が、フレンチアルプスに5日間のスキー旅行にやってきたところから始まる。夫のトマスと妻のエバは、一見、友達のように対等で仲睦まじい理想の夫婦だ。ところが2日目、スキー場が人工的に発生させた雪崩が、予想外に大きくなってしまいテラスを襲ったことから、家族に亀裂が走る。雪崩自体は事故未満のちょっとしたハプニング程度で済むのだが、このとき身の危険を感じたトマスは、とっさにエバと2人の子供を置いて、さっさとひとりだけ逃げてしまうのである。そのせいで残りの4日間、地獄のような気まずさと不和を味わう一家の様子を、この映画はシュールで残酷なコメディとして描く。トマスは最初、妻子を置いて逃げた事実を、すっとぼけて「なかったこと」にしようとする。「ああ、君の解釈では、僕が逃げたってことになってるんだね。うん、そこは見解の違いだな、アハン?」みたいなクールな態度を気取り、やりすごそうとするのだ。それが、ますますエバの怒りを買って、関係をこじらせていく羽目になる。おそらく彼は、嘘をついて妻を論破してやろうなどとは決して思っていない。誰よりもトマス自身が、「父親たるもの、いざというときは家族を命がけで守るものだ」という「男らしさ」を内面化し、自分に課していたのだろう。だから、その「いざというとき」に、自分だけ助かろうと本能的に逃げてしまった「男らしくない俺」を、自分で受け入れ、許すことができないのである。とはいえ、トマスが最初から潔く「ごめん、逃げちゃった!」と素直に謝っていればエバが許してくれたかというと、それも雲行きが怪しい。彼女もまた、夫に対して無意識に「男らしさ」「父親らしさ」を期待していたのに裏切られたという被害者意識があるし、「私はその場にとどまって子供たちを守った"母親らしい"女である(あんたと違ってね!)」という自負や優越感も見え隠れする。男女平等先進国スウェーデンの、一見リベラルで対等に見える夫婦の心の奥にも、「男(父親)たるもの」「女(母親)たるもの」という見えない性役割規範がしぶとく巣食っていることを、この映画は意地悪くあぶり出していくのだ。○湯山玲子と田中俊之が語る"日本のフレンチアルプス"問題ところで、映画の公開に先立って6月29日に開かれた本作の試写会では、著述家の湯山玲子氏と、武蔵大学助教の田中俊之氏によるトークイベントが行われている。湯山氏は、『男をこじらせる前に男がリアルにツラい時代の処方箋』(KADOKAWA)の著者。一方、男性学の第一人者である田中氏もまた、『男がつらいよ絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)を上梓したばかりとあって、男性特有の抑圧や生きづらさを語るには、まさにうってつけの2人だ。湯山氏はまず、トマスが自分だけ逃げたのを最初「なかったこと」にしようとする態度について、「男性によく見られる思考停止」と指摘。田中氏も、「満員電車のつらさや残業する意味を、いちいち疑問に感じていたら企業で働けなくなってしまう。これまで男性は、自分の本当の感情を麻痺させられてきた」と語る。田中氏が定年退職した男性に聞き取り取材をしたところ、40年間ひたすら企業に身を捧げてきた結果、自分に何も残っていないことに気付き「残念です」と答えた人が多かった、というエピソードには愕然とさせられた。また、旧来の男性が「金・権力・女」を原動力に生きてきたのに対して、最近の学生はそこに頓着や執着がないと田中氏は言う。湯山氏は、それ自体はいい傾向であるとしながらも、「金・権力・女」に代わるモチベーションとして、「家族」が再び理想化されていることに危惧を示した。男性を仕事の奴隷にしてきた戦後社会は、一方で母と子の癒着状態を生み出し、子供を管理/監視したいという「母性の暴走」を許してきたという。その結果、「お母さんに心配かけたくない」という発想が蔓延し、若者が自分の責任で自立や挑戦をすることを阻害しているのではないかというのだ。たしかに、自分も含めた「いまどき」の男性の傾向として、マッチョな「男らしさ」を手放す代わりに、自分の行動に対する「責任」も取りたくないという甘えを感じることがある。ひょっとすると男性は、「男らしさ」で縛り付けられていないと、責任や主体性を引き受けられないのではないか……そんな暗澹たる考えも頭をよぎる。自己保身から一転して自己反省の深みにはまり、ダメな自分を受け入れられずに壊れていくトマスの姿を見ていると、そんな男性の本質的な脆弱性を突きつけられているようで、実に居心地が悪い。しかし、「男(父親)たるもの」「女(母親)たるもの」という性役割規範の暴走は、どちらかがやめれば済むというものではなく、社会の構造や制度が変わらない限り、表裏一体で切り離せない。本作は、ラストで観客の解釈を試すような「ある事件」が起きて、モヤモヤした不穏な印象を与えたまま幕を閉じる。それは、「トマスが反省して夫婦と家族の絆が修復できれば、それでめでたしなのか?」という疑念を暗示しているように、私には思えた。ちなみにこの映画、ヒューマントラストシネマ有楽町では、男女ペアなら2,000円で見られる「カップルチャレンジ割引」が実施されているので、勇気ある猛者カップルはぜひ一緒に見てみてほしい。『フレンチアルプスで起きたこと』(7月4日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー)公式サイト 公式ツイッター 公式フェイスブック(C)Fredrik Wenzel<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年07月15日●語られはじめた、男の生きづらさこれまで、女性の生きづらさについては、数々の本や言説によって取り上げられ、その啓蒙や救済が語られてきた。一方、男の生き方となると、「もっとビジネスで成功するには」「より女性からモテるには」といったハウツーやノウハウばかりで、その"苦しさの正体"にはほとんど触れられてこなかったように思う。いや、"苦しい"と感じること自体を許さないような空気すら、そこにはあった。しかし、「俺だってつらいんだよ!」と男性がようやく言えるようになったのか、はたまた「"女の呪い"を解くには、表裏一体で存在する"男の呪い"をセットで解決しないと、どうにもならねえ」ということに女性が気付いたのか、最近にわかに"男のしんどさ問題"がクローズアップされはじめている。○"男らしさの呪い"がようやく語られはじめたたとえば、モテを男性の自意識の問題として捉え直した『すべてはモテるためである』(二村ヒトシ・著、文庫ぎんが堂)や、男性の性欲を社会構造の視点から説いた『男子の貞操――僕らの性は、僕らが語る』(坂爪真吾・著、ちくま新書)はその代表例。プライドの高さとコミュニケーション不全が"弱者男性"を生んでいる現状を描いた『ルポ中年童貞』(中村淳彦・著、幻冬舎新書)、ミドルクライシスに陥った男性を長期取材した『男性漂流 男たちは何におびえているか』(奥田祥子・著、講談社+α新書)、男性の性欲が過剰に肯定・保証されている社会の空気をあぶり出した『男しか行けない場所に女が行ってきました』(田房永子・著、イースト・プレス)なども、注目すべき本だ。他にも、武蔵大学で男性学を研究する田中俊之氏、ネットコラムで男性心理の問題点を丹念に因数分解する「桃山商事」など、同様の動きは同時多発的に発生している。そして、これらの問題をほぼダイジェストで解説した、入門編とも決定版ともいえる本がついに登場した。それが、『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(湯山玲子・著、角川書店)だ。著者の湯山氏は、これまで『四十路越え!』(角川文庫)や『快楽上等! 3.11以降を生きる』(上野千鶴子との共著、幻冬舎)などで、従来の"女らしさ"から脱却した新しい女性の欲望のあり方について、繰り返し語ってきた論客である。そんな彼女が、分析の矛先を初めて"男の問題"に向けたのが本書だが、その舌鋒の鋭さはこれまで以上だ。男性の欲望が、結局は競争・プライド・モテの3つにしかないことを見抜いた彼女は、その3つが生きていく土台になってしまっているために、そこから抜け出そうとすると男性はアイデンティティが崩壊し、生きていけなくなってしまうことを喝破している。その上で、それが問題だと感じたことも考えたこともない男性に向けて、あえて寝た子を起こすような耳の痛い指摘を、ずばずばと展開していくのだ。●男にかけられてきた呪いとは○感情を殺し、組織に依存し、競争がやめられないたとえば、<わかっちゃいるけど止められない、「競争」>の章では、すべてを勝ち負けでしか捉えられない男性の行動原理を分析。"敗者になる"ことの恐怖から競争を抜け出せず、勝つことよりも、失敗を恐れて保身することが男性社会の目的となっていると言い放つ。女性の社会進出が阻まれてきたのは、敗者男性を敗者と感じさせないように、「それでも女よりは上」と思わせておく必要があったという背景にも斬り込んでいる。また、<歌舞伎と忠義から学ぶこと>では、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』『東海道四谷怪談』に描かれる"忠義"の精神を例にとり、男性が生きるために必要な個人の判断や選択を、所属する組織や周囲の空気にゆだねてしまう"組織依存"の性質を指摘。自由意志や自己責任を放棄してしまったほうが、ラクだしおトクである、という日本人の本音に踏み込んだ。さらに、<「モテ」は思想である>では、男性にとって恋愛やモテの動力源が、「ヤッた女の数、または質を競う」という競争原理にあり、セックスの動機が女性への征服欲にあるという問題を取り上げている。<男における感情問題>では、自分の感情に蓋をして"ないもの"としてきたために、感情への対処の仕方がわからず、突然キレるようになった暴走老人の例を紹介。プライドや恐怖が先行して、自分の感情をブロックしてしまう男性の脆弱性に目が向けられている。このように、最近になって問題化してきた"男にかけられた呪い"が、湯山氏の手でほとんど網羅されているのがすごい。彼女が周囲にヒアリングした実例や、文化的な背景にも豊富に言及されており、一種のカルチャー論としての強度も持ち合わせている。●自由に性を乗りこなす"心の両性具有者"であれ○マザコン社会が男性を"子ども化"させる本書では、最近の新しい男性の潮流として、マッチョな競争原理に依存せず、自分らしさや気分のよさを優先させて、無理をしない自然体の男性が増えている例も紹介している。一見、とても望ましいことのように思えるが、湯山氏はこれを手放しで賞賛しない。万能感を持ったまま自分の欲望を制御せず、ラクでおトクな道ばかりを選ぶ"子ども化"が進行しているのではないかと彼らを危惧している。その背景として重要なのが、"男性のマザコン化"だ。戦後の家父長制が母と子を家庭に押し込めた結果、日本男性は、性の目覚めをきっかけに母親から自立する機会を奪われてしまった。自分に全力の愛情を注いでくれる一番の理解者である母親と、自分の性欲をその通り満たしてくれるAVさえあれば、他者の女性と関わる必要がなくなり、そのことが男性の"子ども化"に拍車をかけているのではないかと、氏は推察するのだ。昨今、家庭も大切にして、育児にもきちんと参加する男性は理想的に語られるが、湯山氏には彼らの姿が、妻の言いつけに従順なだけの"聞き分けのいいお兄ちゃん"に見えるという。つまり、"母の息子"から、"妻の息子"に変わっただけだというのだ。この指摘には、男性の新たな生存戦略を見透かされたようで、正直、身震いがした。だからこそ、大人の男性としての性愛のコードや振る舞いを身に着けるべきだと、湯山氏は主張する。"男らしさ""女らしさ"に囚われる必要はないが、男女の性を"ないこと"にしてしまうのは"子ども化"であり、それもまた不自然な抑圧を生むというのが氏の考えだ。○自分の中に女性性を育てよう本書の中で、私がもっとも感銘を受けた場所がある。"女言葉"には、相手を威嚇する攻撃的なボキャブラリーがないため、女性は「やべえ」「うるせえ」「ふざけんな」といった"男言葉"を使うことで、初めてそういう気持ちを表現できるようになった、と解説する章だ。湯山氏はそこで、逆に男性も女言葉を使うことで、自分の中の女性性(優しさ、愛嬌、コケットリーなど)が表現でき、感情や意見を伝えやすくなるのではないか、と提案している。つまり、男女の性をどちらも"ないこと"にして押さえ込むのではなく、男の中にも女性性を、女の中にも男性性を、両方そなえることで性を超越しようと、本書は述べているのである。男性優位、女性蔑視の差別構造を糾弾しようとするあまり、性差そのものを過剰に否定するよりも、自由に性を乗りこなす"心の両性具有者"であれ。私は本書から、そんなメッセージを読み取った。ともあれ、当たり前だと思っている無意識の行動原理が、自分の首を絞めあげ、他者を踏みつけていることを確認するためにも、「別に俺は悩んでない」という男性ほど、本書は必読であろう。<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年03月03日(画像はプレスリリースより)田中道子!炭酸美容液のイメージキャラクターとして登場!銀座・イマージュ化粧品は「ミスワールド2013」で日本グランプリ受賞者『田中道子』さんを、炭酸美容液 D.スプラッシュ・ラベッラのイメージキャラクターに起用した。この美容液はアットコスメの口コミ ランキングで見事1位になった、新しい感覚の炭酸美容液。炭酸の濃厚な泡による血行の育成効果により、体内から輝く美しい素肌へと導いてくれるアイテムだ。近年アンチエイジングが人気の中で、炭酸コスメによるケアは、現在熱い視線をあびている美容方法の一つであるという。また『田中道子』さんが採用された理由の一つは、炭酸が持っている“炭酸と美肌の強さ”のイメージと、『田中道子』さんの健康的な美しい素肌と、世界クラスのすばらしいスタイルがピッタリとマッチしたからだという。田中道子さんについて1989年生まれで静岡県出身。「ミスワールド2013」で日本グランプリを受賞した。特技はスポーツやピアノ、ダンスなど。さらに小学館の「美的」および「GINGER」(出版社:幻冬舎)のレギュラーモデルや、「2011ミス ユニバース ジャパン」で第3位を受賞している。またタレントとして、今後を期待されている。【参考】・株式会社アーク プレスリリース (PR TIMES)・銀座・イマージュ化粧品・炭酸美容液 D.スプラッシュ・ラベッラ・田中道子オフィシャルブログ
2014年10月15日2月に離婚届提出。2012年3月7日、タレントの田中律子が2月始めに離婚したことを自身のブログで「報告」というタイトルで発表した。田中律子は1997年に結婚して現在中学生の長女が一人いる。離婚の原因はブログには書かれておらず、15年の結婚生活の終止符は色々悩んで考えた末の結論だとなっている。まだ中学生の長女とも昨年から相談したり、話し合ったとある。心配をかけましたが、新しくスタートします。「子どもには本当に申し訳ない形となった」といい、周りのお世話になった人たちにも心配をおかけしてすいませんと謝罪している。新しいスタートを踏み出す田中は、娘も多感な年頃ですので、どうぞ静かに見守っていただけるとうれしいです。と締めくくって報告を終わらせている。元の記事を読む
2012年03月09日