2015年8月6日 07:00
今、男に求められるのは"普通"にしがみつく手を放す勇気 - 『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』
○現代において“普通”はもはや有害な思考停止ワード?
2002年に放映された傑作ドラマ『木更津キャッツアイ』で、余命わずかと宣告された主人公・ぶっさんは、"普通"と書かれた野球ボールを心のお守りにしていた。
何か特別なことを成し遂げようとしたり、ここではない非日常を渇望したりしなくても、私たちの生きる日常はすでに"普通に"充足と豊穣に満ちあふれているのだ、という素晴らしいメッセージが、そこには込められていた。
しかし今、世間の男性を苦しめているのは、むしろその"普通"にすらなれないコンプレックスではないだろうか。普通に会社に勤め、普通に恋愛・結婚をして、普通に嫁と子どもを食わせて定年まで働くことは、もはや贅沢な特権になりつつある。もちろん、正社員だけが働き方ではないし、恋愛・結婚に興味がない人だっているのに、彼らは肩身の狭い思いや、不利な立場を強いられてしまう。
その結果、"自分は普通である"というプライドを満たせなくなった男性の中には、必死で"自分より普通でない"人たちを見つけては、見下したり差別したりといった有害な言動をとる者も出てきてしまった。
そんな男性たちに、「まずは落ち着いてください」