ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも12年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。何が起きた…!? 夫は?子どもたちは…? 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、次女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。私たち夫婦の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。誰もが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月04日■前回のあらすじ電話の向こうから聞こえてきた夫の面倒くさそうなため息。それを聞いた妻は心が折れてしまったのか、体に力が入らなくなり倒れそうに…。仕事だから、急に定時で上がれないなんてこともある。それを理解していても、連絡すらないなんて…。帰りを期待して待っていた身からすれば、それはあまりに悲しい出来事でした。次回に続く 「いいから黙って食え!!」(全39話)連載は21時更新!
2022年01月16日大人気マンガシリーズ、今回はcandle(@candle.jp00)さんの投稿をご紹介! 「彼が好きなのは私の姉だった」第話です。 ゆかに会ってから、頻繁に家に来たがるようになったS。美人なゆかに、一目惚れしてしまったのでしょうか…?帰る時間も…出典:instagramトイレも遅くて…?出典:instagramそんなSの行動に…?出典:instagram家に居座り、姉と話すことも多くなったS。Sは、姉に会いたがっているとしか思えませんね…!毎日1日1話更新中♪次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@candle.jp00)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2022年01月14日生きづらいのがデフォルト。そんな不器用な魂の成長記録。少年アヤさんによる、『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』をご紹介します。「昔は人からひどいことをされても傷つきませんでした。隠したり、繕ったりしてばかりで、つねに自分を抑圧していたので、心が動かなくなっていたんです。けど20代半ばで、はじめて痛めつけられた時に怒りが湧いて。自分は自分のために怒れるんだと発見したのが、ターニングポイントでした」と語る少年アヤさん。そんな彼は20代最後の日々をどう過ごしたのか。新作『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』は、毎日つけている日記をまとめた一冊だ。「忘れてしまうこと、流れ去っていくことがもったいなくて、日記は毎日細かくつけているのですが、20代最後の1年は本当に色々なことがあったので、改めて外に向けても書いてみたくなりました」すべて実体験だが、これがまるで小説のよう。人間関係の再構築の記録、精神的な成長記として胸を熱くさせる内容になっている。1年の間にいくつも大きな出来事がある。ひとつは、疎遠だった中学時代からの女友達との再会だ(そのうちの一人、まゆちんの言動が最高)。「ゲイであることも、助けが欲しかったことも言えず、卒業してからはずっと連絡を絶っていたんです。でも10年ぶりに再会したら、あっさり受け入れてくれて。正直もう、人生このままエンディングかと思いました(笑)」恋にも落ちた。だが、デートの直前に「無理」となってドタキャンするなど、アヤさん、かなり情緒不安定。なぜここまで幸せから遠ざかろうとするのか、もどかしくなる。「幸せという実感から、ほど遠いところで生きてきたので、どうしても恐れを抱いてしまう。マイノリティにとっては、わりとありふれた心の動きかもしれません」そんな状態からどのように関係を築いていくかも読ませる。そこには、周囲の偏見や、相手のカミングアウトの問題も含まれている。アヤさんはすでに家族にゲイだと伝えているが、彼らとの関係も変わっていく。「家族は多分、ぼくがゲイであることを、わかっているけどわかっていない、という感じで。いざ恋人ができた時に、改めて動揺したようです。特に父とはここ数年でやっと関係を作り直したところだったので、社会の模範によって引き裂かれるのが悔しくて」終盤、母親がアヤさんにむき出しの言葉をぶつけてくる。そのなかの「もっと好きに生きろ」という言葉はきっと、迷いを抱えた読者の心にも突き刺さるはずだ。また、自身の内面と向き合ってきた著者が、弱い立場の他者へも目を向けていく様子が印象的。「友人たちと赤ちゃんを連れて出かけると、本当におじさんに舌打ちされたり、いやな絡み方をされたりする。改めてそばで経験して、とてもショックでした。そんな友人たちが、“私たちの代わりに書いて”と言ってくれたことも、本書を書こうと思った理由のひとつです」やがて、まゆちんが職場で、あるルール変更を勝ち取るなど、希望をもたせる展開も待っている。「自分について書くということは、すごく狭いようで、実は社会の姿や、時代の空気も炙り出せる。それを、この本で改めて示すことができたと思っています。これからも愛すべき他者たちと関わり合いながら、健やかに生きていきたい。それが自分の使命だとも思います」健やかでいてほしい。本書を読めば、誰もが思うはずだ。しょうねんあやエッセイスト。平成元年生まれ。ブログが人気を博し、それを書籍化した『尼のような子』でデビュー。著書に『焦心日記』『ぼくは本当にいるのさ』『なまものを生きる』『ぼくの宝ばこ』など。『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』ずっと会えずにいた友達、本気で好きになった相手、そして家族…。人との関わり合いのなかであがき、自分と他者を見つめ直した胸熱な1年の記録。双葉社1760円※『anan』2021年5月19日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年05月16日私が産前・産後から続けていたいくつかの記録で、今になって本当に記録しておいてよかったと思うものがあります。記録しておいてよかったと思うことベスト3を紹介させていただきます。 妊娠がわかったらすぐ! 健診ごとのマタニティフォトパラパラマンガみたいになっておもしろいかもと思い、妊娠初期から始めた健診ごとのマタニティフォト。決してインスタ映えするようなきれいなものではなく、ただ同じ場所で同じ姿勢で立って横向きの姿を撮るというもの。おなかがどんなふうに大きくなっていったかがわかります。毎月同じ日に撮影するのでもいいのですが、私は忘れそうだったので健診から帰ってきたら撮影するようにしていました。生まれる前は、「こんなに大きくなったのかー」と自分で眺めていただけでしたが、こんな利用法もあるのか!と思ったのは娘が4歳になった最近のことです。 “赤ちゃんが生まれる前はお母さんのおなかが大きくなる”ということをなんとなく絵本やYouTubeなどから学んできて、「ママもおなかが大きくなったの?」と聞いてきたとき、撮影した写真を見せてみました。まだよくわからないながらも大興奮! もう少し娘が大きくなったとき、自分の生まれる前の状態をさらに興味を持ってみてくれる、と実感しました。 生まれたら始めたい、育児日記日々の生活に追われているうちに、子どもが大きくなるのは本当にあっという間。いつ立てるようになったのか、いつ歩けるようになったのか、いつ話し始めたのか……。1〜2年の前のことでさえ、すでに遠い記憶に……。5年日記や10年日記なら、毎日少しずつ書けばいいうえに、去年の同じ日に子どもがどんな状況だったのかをすぐに確認できます。同じ時期に風邪をひいていた……なんてこともわかるので、気をつけるきっかけにもなりました。 子どもと一緒に楽しめる! ムービー撮影今の時代、写真もムービーもデータで簡単に取っておけるので、「こんなものを撮影しても……」と思わずに、とにかくなんでも撮影しておきました。 写真ももちろんですが、特にムービーは「こんなときもあったなあ」と、見返すといつまでも見ていたくなります。1本が長いムービーよりもスマートフォンで撮影したような30秒から1分ほどのムービーのほうが子どもも飽きずに見てくれました。 そのときの記録はそのときにしかできないので、まさに後悔先に立たず、です。やろうかしら?と迷ったら、とりあえずやってみるようにして正解でした。 著者:ヒロコ ラメッシェ4歳女児の母。旅行雑誌編集デスク、アルバイト情報サイト編集長を経て、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。現在、モロッコ在住。自身の経験からママたちと共有したい情報を発信中。
2021年04月20日東日本大震災が起こったのは、私が都内の保育園に就職し1年が経とうとしていたとき。保育園で泊まりがけで子どもたちのお世話をし、帰宅困難になった保護者を待っていた時間は、子どもを持った今の私には大きな糧となっています。地震発生から無事に子どもたちを保護者に引き渡すまでの体験と、私の今の生活に生かされている教訓を紹介します。 普段より少し大きい地震…のはずが地震が起こったとき、保育園で勤務していた私は、お昼寝明けの子どもたちの保育中。いつもと変わらずおやつの準備を始めようと思っていたとき、感じるか感じないかくらいの揺れがあり、先輩保育士の指示で保育室内の窓を開けました。 しかしその後揺れがどんどん大きくなり、寝ていた子どもたちを急いで起こし、皆で一か所に集まりました。普段より少し大きい地震がきたな……くらいにしか思っていなかった私は、その後夜通しの保育になるとは想像もしていなかったのです。 不安のなかでの保育揺れが大きく余震も長く続くので、ただ事ではないと、保育士一同テレビで情報を確認しました。すると衝撃の被害状況が明らかになり、胸がざわついたことを覚えています。 子どもがいる職員は帰宅し、私も遠方に住む両親に連絡をしたのですが通信が混み合っていて繋がらず、不安が続くなかでの保育となりました。交通も止まり、保護者のなかには帰宅困難となる人もいて、同様に帰宅困難になった職員で保育を継続し、ついに夜通しとなりました。 大事な子どもと再会できた喜び夜になると次第に通信が安定してきて家族の安否を確認でき、やっと安心して保育に身が入ったというのが正直なところ。私たち保育士は子どもたちと一緒に夕飯を食べ、眠くなった子から寝かしつけをして保護者の帰宅を待ちました。 帰宅困難になった保護者が続々と子どもを迎えにきたのは22時ごろ。10km以上も離れた職場から歩いてきた人もおり、やっと迎えにくることができた安堵感がにじみ出ていました。最後に迎えにきた保護者は翌朝の8時ころ。疲れ果てた表情でわが子を抱きしめていた姿が印象的でした。 災害時保育から生かしたこと当時私には子どもがいませんでしたが、家族と連絡が取れない状況はとても不安でした。子どもを必死の思いで迎えにきた保護者も同じような気持ちだったことと思います。今は娘を育てている身として、日ごろから災害時の安否確認方法を確保しておくべきだと感じました。 そこで、NTTの災害伝言ダイヤルや携帯キャリアの災害時伝言板の使い方を確認し家族にメッセージをテスト送信するなど、いざというときにすぐに使えるようにしています。また、大事な子どもを守るために、自分も子どもも安全に避難できるような準備もしっかりと。家の中の安全な場所の確認、地域の避難場所の確認、出口付近に避難用具の設置をし、定期的に見直しをしています。 東日本大震災当時、都内では交通機関が停止し大勢の人が歩いて帰宅したようですが、今は二次災害の防止のために災害発生直後の移動は控えるように言われていることと思います。そのため、なおさら家族との連絡手段の確保をしっかりおこない、災害時に離れていたとしても、お互い安心安全に避難できるようにしたいと思っています。 監修/助産師REIKO著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。
2021年03月30日●『未来のカケラ』は「できること」を与えてくれた2011年3月11日に発生した未曾有の災害・東日本大震災から10年。マイナビニュースでは、この震災に様々な形で向き合ってきた人々や番組のキーパーソンにインタビューし、この10年、そしてこれからを考えていく。震災から5年後の2016年に制作されたショートフィルム『未来のカケラ / Pieces of the Future』(国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル&アジア制作)。政府広報室が実施した東北支援キャンペーン「東北を元気にする作文 短編映画化プロジェクト」の最優秀作品に選ばれた、岩手県在住・岩間壮太さん(当時小学5年生)の作文「震災から4年と半年(感謝を忘れない)」を原作に、施工依頼のあった「物置」と見習い大工が向き合う姿を描いている。この見習い大工・壮太を演じた須賀健太(26)は今年3月11日、Twitterに「震災から5年のタイミングで出演させて頂いた『未来のカケラ』そこからまた5年…あの時も岩手の皆さんは『忘れて欲しくない』と仰っていました。自分なんかが言うのはおこがましいけど、この先も忘れないように考え続けたいです。一緒に」と投稿した。これまでも度々同作を取り上げていたが、そこにはどのような思いがあったのか。本人を取材すると「僕は何もできなかった」と切り出し、当時から今でも抱え続けている葛藤、そして“未来のカケラ”について胸の内を明かしてくれた。○■あのとき何かできていれば――『未来のカケラ / Pieces of the Future』のオファーを受けて、率直にどう思われましたか?東日本大震災が発生した直後、僕は何もできなかった。そういうとちょっと大げさに聞こえるかもしれないんですけど、やったのはニュースを見ることぐらいで、ボランティアとかそういう具体的な行動に移すことはできませんでした。毎年3月11日が近づくと、「あのとき何かできていれば、今の自分はちょっと違っていたかもしれない」と後悔する日々。『未来のカケラ』はそんな自分にとって、「できること」を与えてくれた貴重な機会でした。覚悟は必要でしたが、お話を頂いてすぐに返事をさせていただきました。原作となった岩間壮太さんの作文を読ませて頂いて、「建築」に対する意味合いや印象が大きく変わりました。それまでの自分は、建物に対して何も考えていなかった。同じ国に住んで同じように過ごしているはずなのに、1つの経験によってここまで違いが出てしまうものなのかと。当時小学5年生で書かれていた作文ということもあって、ハッとさせられました。お芝居の上ではあるんですけど、そういうこともしっかりと届けないといけない。当時、そう思った記憶があります。――「建築」について改めて考えることは、日常の中でそこまでないですよね。岩間さんは改めて作品を観て、「物が壊れたとしても残り続ける『思い』の強さを感じました。ただ、記憶という物は時間と共に薄れていくものでもあり、それを止めておく『物』の大切さも同時に感じることができました。そのような面でも、長い間そこに有り続ける建築物は重要」と実感したそうです。身の回りにある多くの建物。そこに建っていることは、よくよく考えると「普通」ではないんです。東日本大震災から10年を迎え、壮太さんがおっしゃっているように、自分も建物に対する意識が変わったなと感じました。5年前、電車に乗って東京から撮影地の岩手県大槌町が近づくにつれて、地面に散らばったままの破片や木材とか、地震の影響と思われる痕跡がどんどん増えていって。更地になってきれいに整備された場所を見ても、「とてつもないことが起きたんだ」ということは、震災から5年経っても十分伝わりました。ニュースで取り上げられる現地の様子を見ても、どこか自分にとっては「映像の先のもの」だったことが分かったというか。『未来のカケラ』に出演させて頂くにあたって、大槌町のロケを通じてそこを肌で感じることができたのは大きかったです。●本当の意味での「忘れない」とは――須賀さんのTwitter投稿によると、現地の人は「忘れてほしくない」とおっしゃっていたそうですね。どのようなタイミングで聞いたか覚えていますか?撮影期間中、町を挙げて応援してくださっていて。空き時間は現地の方々とお話しする機会も多かったですし、夜はおいしい海鮮料理を用意してくださいました。本当に温かい方ばかりで、「来てくれてありがとう。作品を通して人々の目に触れることがうれしい」とおっしゃっていて、「忘れてほしくない」というのも交流の場で聞いた言葉だったと思います。人間、誰でも忘れていく。毎年、この時期になるとニュースでは特集が組まれているし、目に留まる機会は増えますが、「またこの時期が来たんだ」と感じることも、忘れているに等しいんじゃないかと身をもって感じます。だからといって、僕含めて何ができるんだといったら、それはまた難しい話でもあるんですけど……現在進行系でその土地で生活している人たちがいる。撮影から5年が経ちましたが、そういうことを強く感じます。本当の意味で、「忘れない」とはどういうことなのか。この作品を通して、自分も考え続けていきたい。今生まれた子たちは、当たり前ですけど震災を知らない世代です。そういう子たちにも届いたらいいなと、5年前は漠然とそんなことを思っていました。何もできずに悶々としていた自分にとっては、自己満足なのかもしれないですけど、震災に関わるお仕事を役者という自分のフィールドでできたことが何よりもありがたかった。伝えることが仕事で、演じることも仕事。でも、キャスターさんや記者さんとは違う伝え方です。なかなかそんな機会は頂けないと思いますので、僕を選んで頂いて……でもこれは僕の感覚での「良かった」でしかないので難しいんですけど……。僕としては、関わることができて良かったです。○■「当事者ではない僕」の向き合い方――俳優でしか関われない仕事ですね。現地に行って撮影していた時期、振り返ってみると町全体で盛り上げてくださって、「来てくれてありがとう」と感謝までしてもらえた。「芝居するの照れちゃうなぁ」とか言いながら(笑)、エキストラでも参加して頂き、朝から晩までの撮影にも協力してくださいました。そして、夜はみんなで宴会。あの時間はすごく……輝かしい時間だったというか。その時に、「強さ」をすごく感じたんです。実は……僕自身も現地に行くまでは、言い方が悪く聞こえてしまうかもしれませんが、まずは「気を使うこと」を意識していました。「震災のことで傷つけてしまうようなことを言わないように」とか、「どこまで聞いていいんだろう」とか考えながら行ったんですけど、現地の方々と交流すると、みなさんすごく強くてたくましくて前向きで。そして何より、僕たち以上にその作品が出来上がることを楽しみにしてくれて、そこの良い意味でのギャップが、僕はうれしかった。現地に行くことの大切さを改めて感じた瞬間でもありました。それからすごく覚えているのが、撮影の待ち時間があって現地の方が津波の映像を見せてくださったんです。それは町が飲み込まれていく瞬間を撮った、編集されていない映像でした。うまく表現できないんですけど……あの映像は忘れられません。でも、ここから目をそらしちゃダメだなとその時すごく思って。それをみんなに見てほしいというわけではなくて、それを見た「当事者ではない僕」の、作品を通して伝えられることの質が変わったと思います。それも貴重な体験でした。――当時の須賀さんは21歳頃ですよね。俳優としてどのような時期だったんですか?役者として、今後の自分はどうなっていくのかなという不安を抱えた時期だったような気がします。その頃は頻繁に舞台に出させてもらっていて、仕事の幅を広げていきたいと思っていた時期でもあったので、何よりも映像の仕事を頂けたことがうれしかったです。――2016年2月22日に投稿されたブログでは、「大槌お宝マップ」の文面を紹介し、「この想いこそが未来のカケラだろうと僕は思い、演じさせて頂きました」と書かれていました。須賀さんにとっての“未来のカケラ”とは?「本当の意味で忘れないでいること」が、僕たちができる“未来のカケラ”なのかなと思っています。冷たく聞こえてしまうかもしれないんですけど、僕は「当事者」ではないし、そこを変えることはできない。100%理解することはできないと思うんです。でも、そこに寄り添って考え続けることはできる。僕の世代は、震災発生当時に「何もできなかった」と実感した人も多かったと思います。そんな僕ら世代が忘れないでいることが、次の世代に対して繋げていけること。そういう意味でも、すごく大事な世代だと思います。実は、現地のコーディネーターさんと個人的に今でも連絡を取り合っていて。舞台も観に来てくださって、海鮮を送ってくださったこともありました。僕は本当に良い思いしかさせてもらってないんですけど、その繋がりも大切というか。僕がこの作品に出ていなかったら、その方とも繋がれていなかった。人対人として連絡を取り合っている瞬間が、僕はすごく好きです。頻繁に連絡を取っているわけでもないんですけど、年に数回のそういう瞬間は人と人との繋がりを感じることができるので、僕にとってはこれも、大切な“未来のカケラ”なのかなと思います。東日本大震災から5年というタイミングでこの作品と出会って、今年は震災から10年という節目。震災に触れてもらえる機会の1つであり続けるように、僕はこの先もずっとこの作品を話題にして、考え続けていきたいと思います。■プロフィール須賀健太1994年10月19日生まれ。東京都出身。ドラマ『人にやさしく』(02)で注目を浴び、2006年には映画初主演作『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』で第30回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。主な出演作に、『ALWAYS 三丁目の夕日』全シリーズ(05~12)、『スイートプールサイド』(14)、『学校のカイダン』(15)、『獣道』(17)、『江戸前の旬』(18)(19)、『凛-りん-』(19)、『遮那王 -お江戸のキャンディー3-』(19)。2021年1月期のドラマ『青のSP ―学校内警察・嶋田隆平―』(カンテレ・フジテレビ系)に出演した。
2021年03月26日東日本大震災の実録第8話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。東日本大震災の実録第8話 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月12日昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎のためこの世を去った志村けんさん(享年70)。その銅像が故郷の東京都東村山市に設置されることが3月9日に発表された。各メディアによると銅像は「アイーン」のポーズをしており、7月上旬にはお披露目される予定だという。志村さんが亡くなって早1年。ネットでは《いろんな世代から愛され、みんなに笑いを届けてくれた志村さんが大好きです。銅像出来たら見に行きたいと思います》《まさか銅像になるとまでは本人も思わなかっただろう。それほどに偉大な存在となったということ》と改めて、生前の功績が讃えられている。そして、このニュースの2日後に迎えたのが3月11日。東日本大震災の発生した「3.11」から10年目という節目の年を迎えた。志村さんのブログをひもとくと、11年3月13日の記事に震災当日のことがつづられている。志村さんは「高速道路走ってて地震あいまして」「こんな怖い思いは人生で初めて本当に怖かったよ」といい、さらにこう続けている。「それよりテレビで映像見て私なんかより想像絶する言葉がありません津波の怖さ」「何も出来ない涙が出ます」同年3月27日のブログには、福島県いわき市にロケで行った思い出が記されている。「海岸の店でおばちゃん達にしらす丼食べさせてもらい楽しく会話したのを覚えてます」と回想したものの、「その店は流されて無いそうです辛いです」と無念さを滲ませている。「志村さんはその年の4月、募金活動を行いました。1日で213万円もの大金を集め、被災地に寄付。『自分には何もできない』と思っていた志村さんは、募金してくれた人たちにしきりに感謝していました」(スポーツ紙記者)■「少しでも震災を忘れてくれたらいいな」震災後、ブログで何度も「合言葉はだいじょぶだぁ」「明日はだいじょぶだぁ」とのメッセージを送っていた志村さん。13年4月に放送された番組「志村けんと行く!勝手にドッキリ感動旅!」(テレビ東京系)で三陸鉄道の旅に出ている。そして当時、三陸鉄道・吉浜駅の非常勤駅長に任命され話題となった。「なぜ“非常勤”なのかというと、『そのほうがタイミング次第でいつでも現地に行けるから』と志村さんが考えたためだそうです。また志村さんは等身大パネルや、志村さんへの意見箱『志村箱』を吉浜駅に設置することを提案。そんな『少しでも被災地に寄り添いたい』という気持ちを街の人たちは嬉しく思い、『元気付けられた』と語る人もいました」(全国紙記者)また志村さんが愛されたのは、誰にでも気さくで優しかったからだという。「『バカ殿』で震災を特集した際、現地の曲芸師に『じっくり芸を見せてくださいね』と紳士的に挨拶。その姿に感激する声が上がっていました。さらに志村さんは、被災地の子供たちをたびたび楽しませては笑顔に。子供が大好きな志村さんは『少しでも震災を忘れてくれたらいいな』と話していました」(前出・スポーツ紙記者)この次の10年、そしてその先もーー。志村さんは、被災地のことを天国から見守っていることだろう。
2021年03月12日東日本大震災の実録第7話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。食料がなくて冷凍庫にある物で何とか耐えている母、水をもらうために何時間も並んでいる妊婦の友だち、私の大切な人たちが食料や水に困りながらも、黙々と頑張っていました。 原発事故の収束の見通しは立たず、いつ何があってもおかしくない状態。自分で助けに行くことはできない。「助けて」と言いたいけど、誰に言えばいいのかわからない。そんな追い詰められた気持ちが続いていました。 東日本大震災の実録第7話 私の故郷は海が近いので津波の被害がありました。実家は海から少し離れているものの、ほんの数百離れたところまで海水が押し寄せたそうです。 住めなくなった家や施設があったり、景観が変わってしまったり。見慣れたはずの場所が、まったく違う場所のようになって、テレビに映っていました。 このころSNSには心ない中傷やデマ、憶測もたくさんあふれていて、誰かを傷つけたりパニックを引き起こしたりすることもよくありました。でももしツイッターなどのSNSがなかったら、そしてたくさんの人が拡散してくれなかったら、福島県、茨城県の困っている人たちの声は届かなかったかもしれない、と個人的には感じていました。 原発事故収束のため日夜必死で頑張ってくれていた方々、まだ高速道路はあちこちガタガタで、鉄道も復旧しないなか、物資の輸送を再開してくれた物流関係の方々、本当にたくさんの人の並々ならぬ努力のおかげで、一番深刻な局面を乗り切ることができたんだと、今改めて思います。 自分にできることを探して動き始めた和田さん。前に向かって和田さんが感じ、決意したこととは…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月11日東日本大震災の実録第6話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 東日本大震災の実録第6話 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あの時必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月10日2021年3月11日で、東日本大震災から10年が経ちます。震災当時は未熟な獣医師だったという、セントラルド熊(@4RewJJOmWiLzR7L)さんは、『動物を飼っている方へ』と題した漫画を、Twitterに投稿。すると、「胸が張り裂けそう」などの声が上がりました。『動物を飼っている方へ』避難の途中で置いていかれた動物たち。救いの手が入るも、死を迎えてしまった動物もいました。動物を飼っている人が、実際に避難する時に、考えておかなければならないこととは…。東日本大震災の時にとってしまった誤った行動5/5 @4RewJJOmWiLzR7L pic.twitter.com/q5z6RX4iSW — セントラルド熊 (@4RewJJOmWiLzR7L) March 8, 2021 「ペットを飼うことは人間の余裕があってこそのぜいたく。人間の明日すら定かではないのに、この仕事を安穏と続けていること自体が申し訳ない」そんな風に、自分の無力さを感じていた投稿者さん。ある日、投稿者さんが大きな避難所に動物の薬とフードを持って行くと、車の中や廊下に動物がいたのです。その光景を見て「家族や人生をえぐり取られて、せめて動物くらいそばにいてもいいじゃないか」とこれまでの考えが一新されたといいます。投稿者さんは「可能の範囲を決めて諦める判断もする。しかし、それが最後の別れになる覚悟が必要」と訴えました。自分の命を救うためにも、動物の避難準備を整えておくことは必要でしょう。【ネットの声】・読んでいて悲しくなりました。動物を飼っているものとして考えさせられます。・涙が流れました。私は災害が多い日本だからこそ、いまだにペットを飼う決断ができていません。・本当に大事なこと。これから動物を飼う人や、すでに飼っている人にも読んでもらいたい。・何が正しいのか分からなくなってきた。避難所には動物アレルギーの人もいるだろうし…。難しい。環境省によると、東日本大震災で亡くなった犬は、少なくとも青森県で31頭、岩手県で602頭、福島県では約2500頭だったといいます。犬は、狂犬病予防法に基づく登録が義務付けられていたために、おおよその数が分かりましたが、猫やほかのペットは不明のため、具体的な数字は出ていません。きっと、多くのペットたちが亡くなったと考えられます。まずは人命が第一ですが、避難をする時にペットたちをどうするのか、改めて考えておく必要があるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月09日東日本大震災の実録第5話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 東日本大震災の実録第5話出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 無事に夫の実家にたどり着いた和田さん一家ですが、避難先で和田さんの心は重くなってしまいます……。次回へ続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月09日東日本大震災の実録第4話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。おふろの残り湯、友だちからもらった井戸水、かろうじて買うことができたペットボトルの水……。水道が復旧する気配はなく、あちこちからかき集めたわずかな水でやりくりするなか、ふいに夫が重大なことに気がつきました。 東日本大震災の実録第4話 食料の確保はすぐに難しくなりました。一日中自転車であちこちかけまわっても、手に入るのは子どもが食べられないような激辛ラーメンや甘いジュースなど。たまたま炊き出しをやっているところを見つけて、列に並んだこともありましたが、並んでいる人数分しかもらえず、また紙皿なので、家族全員分の食事を持ち帰ることはできませんでした。 そんななか、予想外の物資がわが家に到着しました。 食料と水の問題が一応、解決した途端、新たな問題が発生。「一難去ってまた一難」がエンドレスに続いている感じでした……。いつも優柔不断な私ですが、このときはすぐに避難することを決断しました。というのも、前日にある情報を入手していたのです。 いよいよ避難をすることに決めた和田さん。避難先での生活はどうだったのでしょうか?次回に続きます。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月08日東日本大震災の実録第3話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 東日本大震災の実録第3話 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 なかなか復旧しないライフライン、次回はついに和田さんがある決意をします。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月07日東日本大震災の実録第2話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。東日本大震災が発生し、私の住むエリアでは電気と水の供給がストップ。翌朝手に入れた号外で、想像以上に深刻な規模の地震と津波が発生したことはわかったものの、家族4人で1日1日をなんとか乗り切るしかありませんでした。 東日本大震災の実録第2話 ※断水、停電など非常時に、トイレのタンクに水を入れると製品によっては水が流れなくなる可能性がありますので、ご注意ください。 トイレは大きな問題でした。臭いがひどいだけでなく、電気がつかないので夜は子どもたちが怖がって入れず、おむつをつけて寝かせるようにしていました。せっかくはずれた長女のおむつが復活。おむつもたくさんストックしているわけではなかったので、いつまでもつか不安でした。 電気がついて、やっと情報収集できるように。状況はますます深刻になっていましたが、私と夫の実家と連絡が取れ、ひとまずみんな無事なことがわかりました。地震とそのあとの原発事故の影響で、宅配便や郵便などの物流が止まってしまい、ほかの地域から必要なものを送ってもらうことができなくなりました。電気は復旧したものの、水道は使えないまま。食料と飲料水の確保が最優先事項になり、「次の食事に子どもたちに何を食べさせるか」に頭を悩ませる日々が続きました。 食べ物にも困り、途方に暮れる和田さん一家ですが、次回さらに驚くことが起こります。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月06日東日本大震災の実録第1話。ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。2011年に起きた東日本大震災から、早くも11年が経とうとしています。あの震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。また、被害にあわれた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。 震災当時、私は茨城県に住んでいました。家がなくなったわけでも、家族を失ったわけでもありません。被害の程度は軽いものだと言えます。これは、そんなわが家から見た東日本大震災の記録です。 東日本大震災の実録第1話 自宅にいた夫と再会し、保育園に子どもたちを迎えに行きました。当時、長女は4歳、二女は1歳5カ月。保育園の園庭に避難している子どもたちを見たときは、本当にホッとしました。このとき、携帯電話は通話できず、メールやネットもつながったりつながらなかったり。かろうじて「岩手・宮城・茨城で次々に地震が起きたこと」「余震が多いので建物の中では寝ないほうがいい(という意見)」をネットで見ることができました。離れて暮らす親兄弟や友だちとは連絡が取れず、安否の確認はできませんでした。夫の携帯電話も私の携帯電話も電池が切れ、電気も水道も復旧しないまま。私たちは自宅の倒壊を恐れて、車で眠ることにしました。そして、最初の夜がやってきました。 震災発生当初の感覚をまだ覚えています。それまでにも、突然の不幸などで日常が急に崩れてしまったように感じた経験はありました。でも、周囲の人たちも皆同じように「非日常」に入り込んでしまうというのは初めての経験でした。だれもが不安な顔をしていたし、何かしら困っていたと思います。それでも私は心のどこかで、こんなことは長く続かないだろう、きっとなんとかなるだろう、と思っていました。このときはまだ、この非日常が何日も続くとは思っていなかったのです。 ライフラインがたたれた和田さんですが、さらに困った状況に……。次回に続きます。 ※本記事は2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2021年03月05日東日本大震災から10年という節目の年となる2021年。震災の教訓を未来へ伝えるために、“震災の記憶”、“その後の人々が生んだ絆”、 “未来への課題”の3つをテーマに掲げた特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』が日本科学未来館にて開催される。展示は3つのゾーンによって構成。まず「ZONE1」では、地震発生から72時間のNHKニュース映像を時間を追って公開。さらに、震災で失われた街や集落を全国の建築学生の協力により1/500サイズの模型で復元するプロジェクトの紹介や、東京電力福島第一原子力発電所の事故の記録とその影響を、避難者の証言などを交えて紹介するコーナーなどで、震災発生当時の状況を追体験し、あのとき、何が、どのように起こったのかを見つめ直す。地震発生から72時間©NHK東日本大震災復興支援「失われた街」模型復元プロジェクト「ZONE2」では、NHK復興支援ソング「花は咲く」や「SEIMEI」の演技で着用した羽生結弦選手の衣装や、復興支援チャリティーの一環としてネットオークションに出品されたレディー・ガガの直筆サインとメッセージが記されたティーカップといった復興にまつわるストーリーをもった品々や、復興のあゆみを社会の出来事を交えたニュース映像で東北の10年におよぶ復興のあゆみを振り返る。羽生結弦選手©NHKレディー・ガガさんのティーカップ最後の「ZONE3」では、毎年のように国内各地で頻発する自然災害や、それに伴う複合災害時に迫られる様々な選択を仮想空間で体験できるコーナーや、新たな避難所の形など、これからの防災について考えていく。防災クロスロード(イメージ)監修:矢守克也(京都大学防災研究所) ※「クロスロード」はチーム・クロスロードの著作物で登録商標です。飛沫感染防止用テント提供:流山市大きな自然災害が頻発し、首都直下地震などの発生も懸念され、さらにコロナ禍により避難行動の変容も迫られている昨今。東日本大震災の記憶と改めて向き合い、今、私たちに必要な防災や減災について考え直す好機となるだろう。【開催概要】特別企画『「震災と未来」展 ー東日本大震災10年ー』会期:3月6日(土)~3月28日(日)※3月9日(火)、3月16日(火)は休館時間:10:00~17:00(入場は閉館30分前まで) ※入場無料・事前予約制会場:日本科学未来館 1階 企画展示ゾーン公式HP: www.nhk.or.jp/event/art2020/
2021年02月18日2021年3月11日、東日本大震災は丸10年の節目を迎えます。震災によって、1万5千人以上の尊い命が犠牲となり、多くの人たちが家や故郷を失いました。直接被災をしていない人たちにとっては、東日本大震災は『過去に起きたこと』になりつつあるかもしれません。しかし、被災者や大切な人を失った遺族たちにとって、震災は今もこの先も続く、現実なのです。『震災がもたらした悲しみ』被災地の写真スタジオで働いていた、あいしま(@setup_setup)さんは、震災後に遺影写真を作成する仕事をしていました。これまで当時の経験を自分の胸にしまっていましたが、震災から10年を機に、漫画に描くことを決めたといいます。あいしまさんが、決して忘れることができない光景とは…。(4/4) pic.twitter.com/OGod9BoCTX — あいしま@原稿中 (@setup_setup) February 11, 2021 父親の遺影とともに入学の記念写真を撮った女の子、親子の遺影写真、七五三の写真を撮った後震災で亡くなった女の子…。亡くなった人や残された遺族、つらい想いをしている子供たちの顔を思い出すたび、あいしまさんは涙をこらえることができないといいます。何年経ったとしても、被災者の人たちが抱える悲しみが風化することはないのでしょう。読者からは、たくさんの反響が寄せられました。・つらくて泣いてしまった。生きている姿を写せるって、とても幸せなことなんだと思う。・こんなに悲しい写真はない。子供たちの表情が、少しでも戻っていることを願うばかり。・こうやって個人のエピソードを読むと、報道で見た映像以上に悲しい出来事だったんだなと感じる。・大切な人が次の日も生きている保証なんてない。どうかみんなが、大事な人にその気持ちを伝えられますように。あいしまさんは、被災地に住んでいた当事者として「3月11日は、家族やパートナーと防災について考え、話してほしい」と最後につづっています。災害はいつどこで起こるか、誰にも分かりません。万一の時に生き延びて、大切な人と再会できるように、普段から防災意識を高めておくことが大切でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年02月12日2月20日(土)より水戸芸術館にて、2011年3月に起きた東日本大震災が露わにした課題のひとつ「想像力の喚起」に焦点を当てた展覧会『3.11とアーティスト:10年目の想像』が開催される。同館では2012年に、震災を受けてアーティストが行った様々な活動を、芸術であるか否かを問わず、時間軸に沿って紹介した展覧会『3.11とアー ティスト:進行形の記録』を開催。大規模な災害を経験したばかりでアートの意味や役割が問い直されるさなか、アーティストらがとった行動の大半は、支援と記録を主眼に置いたものだった。あれから10年。「想像力の喚起」という芸術の本質に改めて着目し、7組のアーティストが「作品」を通してあの厄災に応答する。現代社会に潜む問題を自身の個人的体験や身体的感覚に引きつけて、パフォーマンス、映像、インスタレーション等様々な媒体で浮かび上がらせる高嶺格は、原子力発電所の事故を受け、人々が巷で交わした会話を再現した映像作品を展示。また、様々な国や地域の文化や歴史を検証し、現在の社会課題に応答する作品を制作する藤井光は、3.11以降の福島の人たちの 「心の問題」(いじめ、差別)を、黒人差別の問題と重ね合わせた作品を制作。キング牧師の暗殺事件を受けて白人の差別意識を嘆いたあるアメリカ人教師が行った1960年代の伝説の授業を3.11後版に書き換え、日本の小学生とともに再演し、新作として発表する。会場には、東日本大震災から10年目にあたり、展覧会鑑賞者が自ら語り手となり、手記やコメントを残す場所も設置。ものごとを想像する/させるという芸術の重要な役割を改めて提示する。【プレゼント】『3.11とアーティスト:10年目の想像』の招待券を5組10名様にプレゼント!◆応募方法ぴあアート編集部Twitterをフォロー&本記事ツイートをRTしていただいた方の中から抽選でプレゼントいたします。当選者の方には、ぴあアート編集部アカウントよりDMをお送りします。ぴあアート編集部Twitter対象ツイート※当選後、お届け先ご住所のご連絡ができる方のみご応募ください。個人情報につきましては、プレゼントの発送以外には使用いたしません。※当選発表は、賞品の発送をもって代えさせていただきます。【応募締め切り】2021年2月5日(金) 23:59まで【『3.11とアーティスト:10年目の想像』開催概要】会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー会期:2月20日(土)~5月9日(日)開場時間:10:00~18:00(入場は17:30まで)休館日:月曜日※ただし5月3日(月・祝)は開館出品作家:加茂昂/小森はるか+瀬尾夏美/佐竹真紀子/高嶺格/ニシコ/藤井光/Don’t Follow the Wind【関連リンク】水戸芸術館( )加茂昂《福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ》2019撮影:加藤健佐竹真紀子《日和山の再会》2020高嶺格《ジャパン・シンドローム水戸編》2012ニシコ《地震を直すプロジェクト第7段階(メッセージ)オブジェクト#2012_3 (取り皿)》2020 撮影:ニコラ・コーカルディ藤井光タイトル未定2020-2021グランギニョル未来《グランギニョル未来2020》からの画像キャプチャ2020Courtesy of Don’t Follow the Wind
2021年01月22日万歩計、スマホ、ストップウォッチ、体組成計、さらにはジムにあるランニングマシーンでの運動や心拍の記録、そして睡眠記録まですべて手元で一元管理できたら? そんな夢のようなウェアラブルウォッチを、アラフィフの私は使いこなすことができるでしょうか? 今 「Fitbit Charge 3」を使って、毎日の活動量、生理周期、睡眠時間などをトラッキングし、体調を管理している私のこれまでの体験をご紹介します。運動量や体調を毎日管理する必要性47歳のときに更年期症状とストレス性の心身症(睡眠障害、不安症の身体症状、パニック障害など)の合併症状が出て病院に行ったとき、過去2週間〜1カ月の気分、運動量、睡眠、飲酒などの生活習慣、生理の周期や変化、体重の増減など多くの質問に答えなければならないことがありました。でも、睡眠時間についても生理周期についてもかなり大雑把にしか把握していなかったため、それらの質問について答えられないことも多くありました。そこで、医師のアドバイスもあり、できるだけ自分の健康、気分、体調をモニタリングして記録するようになりました。最初の2週間ほどは、できる限りノートに記録していたのですが、忙しい生活のなかで書き忘れが多くありました。また、睡眠に関しては実際に眠ったのが何時かは自分では把握できず、睡眠の時間の把握も定かではなかったことから、睡眠を計測することのできるデバイスはないかと探し始めて出合ったのがFitbitでした。Fitbitで体調を管理するデバイスを選ぶ際「24時間、腕につけて違和感がない」、「バッテリーの持ちが良い」、「睡眠の質と時間が測れる」という3点にこだわり、私は「Fitbit Charge 3」を選びました。「Fitbit Charge3」は細身でスタイリッシュなウェアラブルウォッチで、手持ちの iPhoneにFitbitアプリを入れてデータを同期すると睡眠の質、生理周期と体調、活動量などのデータを継続してiphoneに記録できます。価格は約18,000円でした。睡眠の質に関しては睡眠中の睡眠ステージの遷移や睡眠の状態が分析でき、活動量の計測では激しい運動だけでなく、日常生活での歩行、家事などで体を動かした時間・距離・歩数・階段使用数・心拍数などがすべて把握できます。バッテリーの持ちも最大で7日間とほかのモデルよりも長くなっており、私のこだわりをすべてクリアしていました。睡眠データから自分のパターンを把握するFitbitで最も重宝しているのは、睡眠の質と量の記録です。この機能により、完全に寝付くまでの時間、入眠直後のノンレム睡眠の時間、睡眠中の覚醒回数などその日の自分の睡眠パターンを翌朝には把握できるようになりました。私はこのデータを定期的な医師への報告に活用したり、よく眠れなかった日はその前日の行動を振り返ったりするために活用しています。そして、日常の活動量が把握できるので「走りに行かなければならない」という義務感から解放され、日々の生活のなかで、いつもよりちょっと多く「歩く」「座らない」「階段を使う」など工夫しながら、日平均で1万歩は体を動かすようになりました。さらに、生理周期の記録を使って婦人科の医師に生理不順の程度を説明したり、にきび治療で皮膚科に行く際にFitbit上のにきび記録を見せて説明したりしたこともあります。気軽に、できることをコツコツと最初のころは結果に一喜一憂していましたが、次第に1週間、1カ月ごとの平均値で改善を目指すようになりました。例えば、週のうち2日うまく眠れなくても残りの5日で回復すれば良い、外食やカロリーの高いおやつが続いた週はカロリー消費量を増やすための運動を多めにおこなうようにするなどです。データを見て、自分に改善できることを少しだけでもおこなってみるという、気楽な気持ちで使用していることが現在もFitbit習慣が続いている理由だと考えます。まとめFitbitを使用することによって、生活習慣の重要な項目である睡眠と活動量を把握し、自発的に体調を管理できるようになりました。その結果、睡眠行動が改善し、同時に服用している抗不安薬の効果も相まって、不安症の身体的症状がかなり改善しました。しかし、私にとって最大の難関である、Fitbitを使っての食事の摂取量及び体重の管理はまだできていません。最初のうちは毎日摂取した食品と量をFitbitアプリに手動で記録しようとしましたが、だんだん面倒になり途中で挫折。また、手持ちの体重計とFitbitアプリを同期することができないので、手動で体重の記録をおこなわなければならず、こちらもあまり使っていません。これは今後の課題です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2021年01月12日今思えば、数分であっても子どもだけを家に残して外出するということはよくないことだと深く反省しているのですが、娘が2歳になったころ「数分なら大丈夫だろう」と娘を部屋に残してゴミ出しに行っていた私。そんななか、遠方に住むママ友が震災被害にあってしまい……。当時の様子についてママ友から教えてもらい、わが身を振り返った体験談をご紹介します。 周りもしているから大丈夫!?私の家族は、夫と娘の3人暮らし。家事は主に私がしていますが、夫はゴミ出し担当です。夫は残業が多いため、疲れているのにゴミ出しをお願いして申し訳ない……という思いが私にはありました。あるとき友人との会話の中で、本当はいけないことだとわかっていても、ゴミ捨てなどの用事のときは一瞬、子どもを部屋に残して近所で用事を済ませている人がいるが少なくないことを知ったのです。 その現実を知り、自分が神経質過ぎたのかと思い、2歳を過ぎたころの娘に「お母さん、すぐ戻るからテレビを見ていてね」と伝えたうえでゴミ出しをするように。徒歩1分の距離ですが、私は駆け足でゴミ出しをするようになりました。 ヒヤリ…ママ友の震災体験そんなある日、日本で大きな地震が発生。わが家に影響はなかったものの、友人が住む地域のため心がざわつきました……。ひとまず私は友人の無事を確認し、ひと安心。被災地が落ち着いたころ、友人が地震当日の様子を教えてくれたのです。当時、友人は1歳の娘さんと自宅で過ごしていました。 カウンターキッチンで作業をしながら、リビングで遊ぶ娘さんを見守る友人。そのとき、地震が発生。娘さんの上に棚が倒れかかり、友人は「〇〇ちゃん!」と叫びながら慌てて娘さんを抱きかかえ、事なきを得た……ということでした。 一番大切なものは私は友人家族が無事でよかったと思うと同時に、自分の身にも起こりうるリアルな体験談にゾッとしたのを覚えています。週に数回、数分だけのゴミ出し。いざというときに私は娘を守れるのだろうか?と自分に問いかけました。私は「子どもと暮らすとはどういうことか」について、改めて考えさせられたのです。 一番大切な命を守るために、安全が確証できないことをしないこと。その考えのうえで、部屋に娘をひとりにしないことを夫婦間で決めました。また、寝室に懐中電灯や予備のメガネ、スリッパなどを置き、防災対策をとるように。避難先や緊急連絡先など、いざというときのことについて家族で話し合うきっかけになりました。 少しでも夫の負担を減らしたいという思いから始めたゴミ出し。数分なら大丈夫と思い、娘をひとりにしていましたが、友人の震災体験を聞き、本当に大切なものは何かに改めて気づかされました。また、日ごろの防災意識を高める機会も与えてくれました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO 著者:坂本ひろ子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月13日お子さんの成長記録をつけ忘れていたことで、いざ健康診査票に記入するときあたふたしてしまったママ。初めて歩いた日など、子どもの成長をきちんと記録しておかなくては……と実感したというお話です。 長男と次男を同じように育てているつもりでも、忙しさにかまけて次男に関してのうっかりが多い私……。意外なものに助けられてなんとか事なきを得ましたが、成長の記録をちゃんとメモしておけばよかった!と感じた体験談です。 大雑把な性格の私…子どものころから「よく言えば大らか、悪く言えば大雑把」と言われていた私。日記を書き続けられたこともなければ、手帳を使い切れた試しもありませんでした。それでも長男を出産してからは、初めての育児ということもあり、こまめに記録をとっていました。 ミルクの時間や量、排せつの回数、身長に体重など、今見返してみても気を張っていたんだなあと思います。歩き出すのが遅かった長男が初めて歩いた日の日記には、うれしすぎて文字がぐちゃくちゃになっているのも、今となってはいい思い出です。 次男誕生! 手が2本じゃ足りない!長男が1歳10カ月のとき次男が生まれると、もう毎日がてんやわんや! 動きたい盛りの長男との散歩と次男のお世話と家事でアッという間に1日が終わってしまう日が続きました。そんななかでも、長男がお友だちとうまく遊べるようになったり、なかなか増えなかった次男の体重がようやく増え始めたりと、子どもの成長に幸せを感じてホッコリ。 毎日2人の写真を撮っては夫や祖父母に送ったりはしていましたが、長男のときのように紙に記録する体力と気力は残っていませんでした。 健康診査票を書きながら、あれ…?次男も自分で歩くことができるようになり、両手が空くようになったある日。次男の1歳児健診でのこと……。新生児の時期は頻繁にあった健診も、半年を超えると頻度が減ってきます。自宅で久しぶりに健診票を書いていると、「ひとりで歩き始めた時期はいつですか?」という項目がありました。えっと……あれ? 思い出せない!? 次男は歩き始めたのが早く、1歳ではすでに走れるほどでした。「長男より早いね」と家族で次男の成長を喜びながら、長男のときのことを振り返ったのは憶えているのですが、それがいつだったのかまったく思い出せません。結局、スマホのカメラロールを見て、いつから次男が歩いているかを割り出す始末でした。 自分の大雑把さを悔いるとともに、次男に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。それからも、1歳半健診や、3歳児健診、幼稚園の未就園児教室の申込書にも同じ項目があり、そのたびに「思い出や成長はきちんと記録しよう」と感じています。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月28日2016年4月に発生した熊本地震。最大震度7の地震により、熊本県のシンボルである熊本城は甚大な被害を受けました。熊本城は復旧・復元に向けて寄付を募り、2020年6月末までに総額44億円が集まっています。同年11月2日には、『熊本城災害復旧支援金』に個人として最高額の寄付があり、人々の注目を集めました。熊本城のため1億円の寄付!『熊本城復元整備基金』に寄付をしたのは、熊本市在住の女性。なんと個人で1億円を寄付したとして、熊本県熊本市の大西一史市長が感謝の言葉をTwitterに投稿しました。昨日熊本市在住の浅野敦子さんが熊本城復元整備基金に個人としては最高額の1億円を寄付して頂きました。本当に有難いことです。熊本市を代表して御礼を申し上げるととともに感謝状を贈呈させていただきました。貴重な浄財を熊本城の復旧のために大切に活用させていただきます。有難うございました。 pic.twitter.com/kKWG9HGMLi — 熊本市長 大西一史 (@K_Onishi) November 3, 2020 1億円の寄付は、並大抵のことではありません。大西市長は女性に感謝状を贈呈。ネット上では、女性の決断に称賛の声が相次いでいます。・ご厚意に感謝いたします!・熊本市民として御礼申し上げます。・とてもかっこいい!マネできないけど、私も熊本城を未来に残すためにできることをしていきたい。熊本城は『熊本城災害復旧支援金』のほかに、城主の証が発行されるなど特典が付く『復興城主』制度の寄付も受け付け中。多くの人の想いによって復旧・復元が進む熊本城の姿は、胸に迫るものがありますね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月05日2020年8月19日、18歳という若さで活躍している将棋の藤井聡太棋聖が、『王位戦』の第61期王位戦七番勝負第4局に挑みました。対局2日目である同月20日、藤井棋聖は木村一基王位を破り、七番勝負を4連勝。今回の勝利で28年ぶりに最年少で棋聖と王位の2冠を記録し、また八段の最年少も62年ぶりに記録更新という快挙です。藤井棋聖の活躍に、ネットからは「藤井くん、すごすぎる…」「将来がさらに楽しみ」といった声が上がっています。62年ぶりに『最年少記録』を破られた、加藤一二三のコメントが話題にこれまで、八段昇格の最年少記録保持者は『ひふみん』こと加藤一二三(かとう・ひふみ)さんでした。1958年に18歳3か月で八段になり、昇段の最年少だった加藤さん。62年ぶりに、18歳1か月の藤井棋聖がその記録を破ったのです。将棋は戦いの世界。また、将棋に限らずきっと誰もが自分の記録を塗り替えられたら、悔しさを感じることでしょう。しかし、加藤さんは今回の記録更新に対し、このように思いを明かしました。62年ぶりの記録更新に関して、記録は破られるために存在すること、そして今日まで陽の当たることのなかった将棋界に華やかな光を当てて戴けることの喜びが勝るので寂しさは感じないものの、寂しいと仰って下さったファンの皆様の温かくお優しいお気持ちは非常にありがたいものと深く感謝しております。— 加藤一二三@藤井聡太さん史上最年少二冠&八段昇段達成おめでとうございます㊗️ (@hifumikato) August 20, 2020 記録が塗り替えられたことを受け、加藤さんの元には多くの『ひふみんファン』から「藤井棋聖の記録更新は嬉しいけど、ちょっぴりさびしい」といった声も寄せられていたようです。そんな中、加藤さんは「記録は破られるために存在する」ととらえ、記録が破られたことを悲しむのではなく、むしろ藤井棋聖が今後の将棋界の希望として活躍することが嬉しいといいます。将棋界の厳しさは、長年、現役として活躍してきた加藤さんも知っているはず。だからこそ、藤井棋聖を応援すると同時に尊敬しているのでしょう。ひふみんも号外ほしかった— 加藤一二三@藤井聡太さん史上最年少二冠&八段昇段達成おめでとうございます㊗️ (@hifumikato) August 20, 2020 投稿に対し、「ひふみん、かっこよすぎる」「62年間も記録保持したことがすごい!」「規定が今とは異なっていたから、ひふみんもすごいですよ」といった声が寄せられました。加藤さんがいうように、記録は破られるために存在するもの。いつか、藤井棋聖の記録を更新する若き棋士が現れるかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2020年08月22日オーストラリア・クイーンズランドの公園を訪れていた二コラ・ブースさんは、珍しい光景を目にして思わずカメラを回し始めます。地面にあおむけに寝転んでいる1匹の犬。そばに立っている飼い主の男性が起こそうと手を引っ張っても、犬はまったく動こうとしません。どうやら男性が家に帰ろうとしているのですが、犬はまだ公園で散歩をしていたい様子。このような場合、たいていは飼い主がリードを引っ張ると犬も観念して帰ろうとするでしょう。しかしこの犬の意志はどうやら想像を超える強さだったようです。約3分45秒間にわたる飼い主と犬の攻防戦。結果は…!Next time you get irritated by your dog for being too slow on their walk spare a thought for this dog owner I met this morning . Watch till the end . Absolutely cryingPosted by Nicola Booth on Sunday, May 3, 2020まだ帰りたくなくて死んだフリをする犬と、犬を置いて1人で帰るフリを飼い主さん。飼い主さんがリードを持って歩き出すと死んだフリをする犬のやりとりはまるでコントのよう!周りの人たちも大笑いしています。おやつを見せても反応せず、犬もかなり粘りましたが、どうやら最後は飼い主さんに軍配があがったようですね。晴れた日に青空の下で散歩をするのはとても気持ちがいいものです。この犬もまだまだ外で遊んでいたかったのでしょう。でも散歩のたびに毎回死んだフリをされたら飼い主さんも困ってしまうので、ほどほどにしてね![文・構成/grape編集部]
2020年05月20日私が産前・産後から続けていたいくつかの記録で、今になって本当に記録しておいてよかったと思うものがあります。記録しておいてよかったと思うことベスト3を紹介させていただきます。 妊娠がわかったらすぐ! 健診ごとのマタニティフォトパラパラマンガみたいになっておもしろいかもと思い、妊娠初期から始めた健診ごとのマタニティフォト。決してインスタ映えするようなきれいなものではなく、ただ同じ場所で同じ姿勢で立って横向きの姿を撮るというもの。おなかがどんなふうに大きくなっていったかがわかります。毎月同じ日に撮影するのでもいいのですが、私は忘れそうだったので健診から帰ってきたら撮影するようにしていました。生まれる前は、「こんなに大きくなったのかー」と自分で眺めていただけでしたが、こんな利用法もあるのか! と思ったのは娘が4歳になった最近のことです。 “赤ちゃんが生まれる前はお母さんのおなかが大きくなる”ということをなんとなく絵本やYouTubeなどから学んできて、「ママもおなかが大きくなったの?」と聞いてきたとき、撮影した写真を見せてみました。まだよくわからないながらも大興奮! もう少し娘が大きくなったとき、自分の生まれる前の状態をさらに興味を持ってみてくれる、と実感しました。 生まれたら始めたい、育児日記5年日記や10年日記でつけることをおすすめしたい「育児日記」。日々の生活に追われているうちに、子どもが大きくなるのは本当にあっという間。いつ立てるようになったのか、いつ歩けるようになったのか、いつ話し始めたのか……。1〜2年の前のことでさえ、すでに遠い記憶に……。5年日記や10年日記なら、毎日少しずつ書けばいいうえに、去年の同じ日に子どもがどんな状況だったのかをすぐに確認できます。同じ時期に風邪をひいていた……なんてこともわかるので、気をつけるきっかけにもなりますよ。 子どもと一緒に楽しめる! ムービー撮影今の時代、写真もムービーもデータで簡単に取っておけるので、「こんなものを撮影しても……」と思わずに、とにかくなんでも撮影しておくと、後々子どもと一緒に楽しめると思います。 写真ももちろんですが、特にムービーは「こんなときもあったなあ」と、見返すといつまでも見ていたくなります。1本が長いムービーよりもスマートフォンで撮影したような30秒から1分ほどのムービーのほうが子どもも飽きずに見てくれますよ。 そのときの記録はそのときにしかできないので、まさに後悔先に立たず、です。やろうかしら? と迷ったら、とりあえずやってみることをおすすめします! 著者:ヒロコ ラメッシェ4歳女児の母。旅行雑誌編集デスク、アルバイト情報サイト編集長を経て、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。現在、モロッコ在住。自身の経験からママたちと共有したい情報を発信中。
2020年04月24日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回、いきなりの立ち姿を見せつけてきた長女N子。 まさかの出来事に心の準備をしてなくてうっかり決定的瞬間を見逃すところでした。ていうかもしかしたら、もうすでに、見逃してるかもしれないですよね。トイレのときとか、ご飯つくってるときとか……。 という訳でその日から、毎日のように、今か!今か!と2回目の立ち姿を待ち続けていました。すぐ手に取れる距離に携帯を準備して。充電完璧にして。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週2回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。HP:「やましたともこのホームペー痔」
2019年09月25日お付き合いが長くなってくると、同棲を始めるカップルも多いのではないでしょうか。彼との同棲がうまく行けば、彼との結婚が近付く気がしますよね。逆に、同棲がうまく行かなければ、彼との結婚は難しいかもしれません。彼が仕事に行っても、飲みに行っても、いつでも早く帰りたくなる家を作ることができれば、結婚への近道となるうえ、浮気などの心配も減るかもしれません。今回は、「同棲中の彼が早く帰ってきたくなる家」はどんな家なのかをご紹介します。同棲中の彼が帰ってきたくなる家とは家というのは誰しもが安らぎを求める場所ですよね。まずは仕事から疲れて帰ってきた時に、彼が求めていることが何なのかご紹介します。(1) 笑顔で迎えてくれるなんと言っても一番は帰ってきた時に彼女が笑顔で迎えてくれることが、男性の最大の癒しになります。仕事で疲れて帰ってきたのに、彼女が怒っていたり疲れた様子でいたりすると、彼はさらに疲れた気分になるでしょう。笑顔で「おかえり」と言ってくれる相手がいるだけで、その場所があたたかい場所であると認識します。家が優しい空気で包まれた温かい場所だと意識をさせて、仕事で疲れた時こそ早く帰りたくなるような笑顔で彼の事を迎えてあげましょう。(2) ご飯がおいしい子どもの頃、「今日の晩ご飯は何かな」とウキウキしながら帰ったことはありませんか?家に帰る楽しみがあると、帰りの道のりがなんだか楽しく感じたりしますよね。男性は、いつまでも子供の感覚を持っている方が多いです。1人暮らしが長かった男性ほど、「家に帰ればご飯がある」ということに喜びを感じるでしょう。さらに、ご飯がおいしいと彼女との結婚生活を考えるきっかけになります。「結婚したらこういうご飯が毎日食べれるのかな」と想像を膨らませるので、男性の胃袋をつかむというのは効果てきめんです。料理が苦手だという方も、まずは何か1品彼の大好物を上手に作れるようになるだけでも、効果はあるでしょう。(3) 家が片付いている片付いていない部屋ってなんだか落ち着かないですよね。仕事から帰ってきて家が散らかっていると、せっかく休まるはずの家がまったく休まらなくなってしまいます。毎日毎日ピカピカに掃除をする必要はありませんが、ごみを溜めない、洗い物を溜めない、など不要なものを溜めこまない生活を心がけることは難しいことでもありません。仕事が忙しくてなかなか掃除まで手が回らないという人は、出入りが多い玄関と、休息をじゅうぶん取れるよう寝室だけでもきれいにしておきましょう。(4) 干渉しすぎない同棲するということは、1人の時間が減るということです。たとえ恋人同士でも、自分の時間は欲しいと考える人が多いでしょう。プライバシーを守るのは、同居するうえでの最低限のマナーです。彼とコミュニケーションを取ることはもちろん大切ですが、疲れている様子の時や忙しそうにしている時はタイミングを見て話しかけるようにしましょう。また、同棲中とはいえ、仕事の付き合いや友達との飲み会などの予定は入ります。あまり自分とのことばかりを優先させすぎたり、彼のプライベートを詮索したりして、彼に干渉しすぎないようにしましょう。同棲中の彼がまっすぐ帰りたくなる家にするには?同棲中の彼が「早く家に帰りたい!」と思うには、居心地の良い家にすることがポイントですが、なかなかの努力が必要そうですし、仕事をしながら家事をこなすことは難しいと思います。居心地の良い家にするために、あなたが無理をしすぎて、同棲が窮屈に思うようになってしまっては元も子もありません。しっかりポイントを押さえて、簡単に過ごしやすい環境づくりをしていきましょう。(1) 手があいたら家事を手伝うお互いに仕事をしていたら家事を彼と分担にしていることが多いと思います。お互いが無理のない範囲で家事ができるということが一番理想ですよね。ですが、その家事分担に縛られすぎるとケンカの原因になってしまうことがあります。家事は手の空いている方が気づいた時にできるのがベストです。もしかしたら彼の方は手が空いていても、あなたの分の家事を手伝ってくれないこともあるかもしれません。それでも、あなたが「お皿洗っておいたよ」「お風呂沸かしたよ」と伝えることで、彼も何かを感じるはずです。彼が手伝ってくれた時には目いっぱい感謝を伝え、彼の承認欲求を満たし今後も手伝ってくれる彼氏に育てていきましょう。(2) 食事は一緒に食事というのは、人間関係を深めるのにとても効果的です。一緒に食事をとることで、彼との会話する時間にもなりますし、2人の腹時計も合うようになります。一緒に生活する以上、生活パターンはある程度似ていた方が生活しやすいです。しかし、お互いの仕事の都合でなかなか食事のタイミングが合わない方も多いと思います。そんな場合は、週末だけでも2人一緒に食事をしたり、お茶をいれてゆっくりしたりして、ほっとするひとときを楽しみましょう。(3) 靴をそろえる先ほども述べましたが、『帰ってきたくなる家』には『片付いている家』であることが重要です。ですが、お互い仕事をしていたら毎日部屋をきれいに保つのも一苦労です。そんな時は、まずは玄関から見直します。使用しない靴は靴棚に片づけ、通勤などで使用している靴はきれいに並べるようにしましょう。玄関は疲れて家に帰ってきた時、今から元気よく出社するぞという時に、一番目につく場所であり家全体の印象を決めます。部屋の片づけはこまめにできないにしろ、玄関だけは整理整頓して家のイメージをきれいで明るいものにしましょう。(4) ルールを作りすぎない人それぞれに育ってきた環境があり、誰しも自分ルールが存在します。しかし、それはあくまでも自分のルールであり、自分がやりやすい、自分だけがすっきりするやり方です。それを彼に押し付けてしまっては、彼は家で生活するにも息苦しさを感じてしまうでしょう。彼と一緒に住む以上、そこはあなた1人の家ではなく2人の家です。相手に自分の価値観ややり方を押し付けることはやめましょう。また、家庭内でのルールを作りすぎるとルールが守られなかった時に、ケンカの一因となることがあります。無駄なケンカが発生しないように過剰なルール作りはせず、臨機応変に対応できるようにすることで、お互いがゆったりとした気持ちで過ごせるでしょう。(5) 求めすぎない一緒にいる時間が長くなってくると言わなくてもこれをしてくれるだろう、普通だったらここまでしてくれるだろうといった、相手への期待が大きくなります。ですが、やはり元々は別の環境で育った、全く別の人間です。1から10まで考えが一致するということは、ほとんどあり得ません。期待をされる側は疲れてしまいますし、期待をする側も相手が期待にそぐわなかった時にイライラしてしまいます。過剰に期待をしたり、相手からの見返りを求めたりせずにお互いがのびのびと過ごせる環境が2人にとっての居心地のよい家となるでしょう。まとめ彼にとっての居心地の良い家とは、あなたとの関係性にも密接につながってきます。とはいえ、彼への気遣いや家事などをあなたが無理してすることはありません。無理をして作られた環境は長く続くものではないからです。同棲は2人でするものです。1人で抱え込まずに彼と協力して居心地のよい家を作り上げていきましょう。
2019年08月28日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「震災への備え」です。熊本地震から3年。震災への備えはできていますか?4月14日で熊本地震から丸3年になります。政府の地震調査委員会によると、今後30年以内のM7~7.5規模の地震の発生率は、青森県東方沖・岩手県沖北部で90%以上、宮城県沖が90%、茨城県沖は80%。M7の地震が発生する確率が50%以上の海域には、房総半島沖や相模湾も含まれます。また、南海トラフではM8~9の地震が起きる確率が70~80%といわれています。日本全国北から南まで、大地震が起こる可能性が高いのですが、みなさん備えはできていますか?東京都は、直下型地震が起きた際は、会社にとどまるようにという「帰宅困難者対策条例」を出しています。交通インフラが止まり、多くの人が移動すると混乱が起き、二次災害が起きたり、緊急車両が通れなくなるのを防ぐためです。しかし、東京商工会議所が会員企業を対象に調査したところ、1127社から回答があり、この条例を認知している企業は62.9%、従業員数10~29人の会社では43.9%でした。会社にとどまるからには、全従業員分の3日以上の備蓄が必要になりますが、それを備えている企業は半分にも満たないことがわかりました。東日本大震災時の数から推定すると、約380万~490万人の帰宅困難者が発生するといわれています。現状では、帰宅はできず、会社にとどまっても備蓄がないケースがほとんどになるでしょう。自分の身は自分で守るしかありません。水や非常食、充電器などは通勤時にも常備しておいたほうが安心です。リサーチ会社によると、災害の備えについて、20代の女性の3割は何もしておらず、逆に60代女性では準備をしていないのは1割のみでした。とにかく、自宅には1週間分の食料と飲料水、電気(電池や電源)、トイレの確保が必須です。また、家族や大切な人との連絡手段、落ちあう場所を決めておきましょう。携帯はしばらく繋がらなくなると思っておいたほうがいいです。直接落ちあえる場所を必ず確認しておきましょう。また、自宅からだけではなく、職場からの避難場所も確認しましょう。普段使っている道が使えなくなる可能性もあるので、3つくらいのプランを考えておくことも大事です。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2019年4月17日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2019年04月16日