世代を超えて愛されるダンス&ボーカルグループDA PUMP。圧倒的なパフォーマンスを支える、6人のカラダ論とは。リーダーのISSAさんが各メンバーの魅力についても教えてくれました。YORI指先まで意識したウェーブを見て。ポップというジャンルを踊っていて、得意なのは腕で波の形を描くウェーブ。指先まで意識を行き渡らせ、繊細に動かすことを大事にしています。DA PUMPに入り、ダンスの見せ方が変わりました。ショーで踊る時はポップの奥深さを見せる繊細な動きをしていたけど、今は全ジャンルを踊る必要があるし、会場も広いので、パッションの出し方が違います。DA PUMPでは、より外に向けて踊るイメージですね。最初はその切り替えが難しかったけど、何年かやるうちにかみ合うようになりました。両方とも続けていきたいですね。From ISSAポップという筋肉をはじくダンスが上手で、しなやかな、ほどよい筋肉がついています。手が長く、緩急のついた動きが、彼の魅力のひとつですね。ヨリ1980年2月9日生まれ。広島県出身。昨年、地元である広島県三次市の観光大使に就任し街の魅力を伝えるなど幅広く活動する。チェックガウン¥44,000(the BLUE/アドナストTEL:03・5456・5821)シャツ¥11,500(PAZZO/パッゾTEL:03・5371・1480)その他はスタイリスト私物DAICHI0を1にする瞬間の爆発力が強みです。今日は僕、脱がなくていいんですか?ananの撮影と聞いて、てっきり裸になるんだと思ってました…!服を着ているとわかりづらいですが、脱ぐとけっこうイイ体してますよ、僕(笑)。普段から特に意識して鍛えているのは、二の腕や胸の筋肉と、それからインナーマッスルですね。体のコアがしっかりしていると、ポーズを決める時にフラつかずにピタッと静止することができるし、逆に“0”から“1”の動きに持っていく時に、100%の力を出すこともできる。その瞬間のキレと爆発力が自分の最大の強みだと思っています。From ISSA身長が低いことを逆によく見せる術を持っていて、そこに彼のダンスのポイントがあります。個性のある動きも作れるし、いい笑顔も魅力です。ダイチ1988年12月4日生まれ。栃木県出身。10代の頃から全米のダンスコンペティションで数々の賞を受賞する実力の持ち主。衣装はすべてスタイリスト私物TOMOライブの前は体重をコントロール!大事にしているのは体重調整。普段は62kgくらいなんですが、ベスト体重の60kgでライブに臨むと一番ラクに乗り切れるということに気がついて。そのためにライブの前は炭水化物を抜いたりして、体重を調整します。体力作りのために2年前から筋トレも始めたんですけど、メンバーも不思議がるほど筋肉がまったくつかない(笑)。逆にメンバーから褒められるのは怪我をしないこと。体が故障したらストレスになるので、どんなにアドレナリンが出ても100%は超えないように、自分の中で無意識に調整しているんだと思います。From ISSAブラックミュージックのカルチャーが好きで、ヒップホップやカポエイラをやってました。踊りだけじゃなく文化的なものを表現できる強みがある。トモ1981年2月2日生まれ。愛知県出身。ダンサー。KRUMPダンスを得意とする。DA PUMPの楽曲では振り付けも担当。ロングパーカ¥7,900(Request/パッゾ)靴¥18,000(G-Star RAW/ジースター インターナショナルTEL:03・6890・5620)その他はスタイリスト私物KENZO鍛えるより、回復の時間に重点を。これまで様々なジャンルのダンスをやってきたおかげで、筋肉は全身にバランスよくついているほう。頭で回ったりもするので、首回りは平均より5cmも太いんです。でも世界一を取るためには、常に自分のポテンシャルを最大限に発揮できる状態に体を維持することが大切。そのためにスポーツ学から精神医学、睡眠やリラクセーション方法まで勉強して、体を鍛えることよりも、回復の時間に重点を置くようになりました。体を動かした後に必ず柔軟をしたり、良質な睡眠をとるために選び抜いたベッドでゆっくり体を休ませています。From ISSAダンスに関する豊富な知識を持っているし、常にアンテナを張っている。最新のジャンルからオールドスクールまで、オールマイティに踊れます。ケンゾー1985年1月21日生まれ。福岡県出身。ダンスの世界大会で8年連続優勝。DVD『MY NAME IS KENZO』が好評発売中。シャツ¥12,500(CUSTOM CULTURE/パッゾ)パンツ(セットアップ)¥10,000(417 EDIFICE/EDIFICE 渋谷TEL:03・5456・6971)その他はスタイリスト私物KIMI“魅せる”ことへの執着を追求したい。僕はDA PUMPのメンバーの中ではISSAさん以外で唯一、“踊りながら歌う”という役割を持っているので、その時のパフォーマンスには注目してほしいですね。日々のトレーニングとしては、全身の筋肉を鍛えると同時に、ランニングやウォーキングをして体力をつけること。それから、曲によって表情を変えて感情豊かに表現することも、海外での経験から学びました。人は表情ひとつで場を和ませたり、空気を変えたりすることができると思うので、自分の“魅せ方”への執着は、これからもとことん追求したいと思っています。From ISSAパワーがあり力強い動きができるので、パッションを表に出すことに長けている。瞬発的な力を思い切り出せるのは、ラップをする上でも大事です。キミ1983年4月14日生まれ。神奈川県出身。15歳の時にダンスを始め、21歳でLAにダンス留学。DA PUMPのラップ担当。ジャケット¥9,200パンツ¥7,400(共にJOURNAL STANDARD relume/BAYCREW’STEL:03・5457・1873)その他はスタイリスト私物U-YEAH“いいねダンス”で体が鍛えられた。20代前半の頃は大きな体に憧れて、100kgのベンチプレスを上げたり、ジムでガシガシ鍛えていたんです。でも、大きい筋肉ばかりつけると動きが硬くなってしまうので、今は家で空いた時間に自重トレーニングをする程度。スーツが好きで、それをきれいに着こなせるシュッとした体でありたいというのもあります。自信のあるパーツは特にないけど、強いて言うなら「U.S.A.」の“いいねダンス”で鍛えられたふくらはぎ。とにかく跳びまくったので(笑)。インベーダーフォーメーションのおかげで太ももにも筋肉がつきました!From ISSAニュージャックスウィングみたいな動きに長けていて、独特の振りの作り方をグループに持ってくる。足腰が強く、ステップ系が得意な人です。ユーヤ1983年9月17日生まれ。東京都出身。ダンサー。アートの才能にも定評があり、DA PUMPのグッズ制作なども担当。ジャケット¥16,500パンツ¥14,000(共にCUSTOM CULTURE)シャツ¥12,500靴¥26,500(共にPAZZO)以上パッゾその他はスタイリスト私物ダ・パンプメンバー7人からなるダンス&ボーカルグループ。1997年6月、m.c.A・Tの音楽プロデュースによりメジャーデビュー。現在はチームや個人としてのパフォーマンスのみならず、各メンバーが振付師やダンスのインストラクターなど、様々な方面で活躍している。INFORMATIONニューシングル『桜』が3/6発売。日本の四季をテーマにDA PUMPの新たな魅力を描き出す表題曲を含む、新曲2曲とそのインスト版を収録。ステッカー入りの初回生産限定盤や、ミュージックビデオ収録のDVD付きなど、全4種をラインナップ。(avex)※『anan』2019年2月20日号より。写真・五十嵐隆裕(SIGNO)スタイリスト・あべひろみヘア&メイク・外山龍助(KIDMAN)加藤 康取材、文・菅野綾子重信 綾瀬尾麻美(by anan編集部)
2019年02月15日結婚してもうまくいくカップルとはどんなカップル?というのが、ネットにたくさん載っています。相手を尊敬・尊重するカップルとか、ほどよい性生活があるカップルとか、干渉しすぎない、感謝すること、思いやり、など、ちょっとネットを見ただけでもこれだけのことが確認できます。がしかし、こういうのって、ある程度の倫理観というか常識が通用する範囲において、という但し書きがついてまわることじゃないかなあ。ホントの夫婦の危機を知らない人が書いたんじゃないのかなあ。夫婦の本当の危機的状況とは?ホントの夫婦の危機って、たとえば生きている心地がしない状況だったりします。たとえば、さほど広くない家で夫婦喧嘩した時、夫も生きている心地がしなければ、妻も生きている心地がしない。夫は夫で、喧嘩の最中に自分が言ったことの正当性を信じ込みつつ、妻を泣かせてしまった罪悪感にさいなまれます。がしかし、泣いている妻をどうすることもできない。だから余計、自分に腹が立つ。かといって壁を蹴るわけにもいかない(穴が開いてしまった壁の後処理の面倒くささくらいは計算できる冷静さをまだ持っている)。妻は妻で、怒り狂う旦那に対して「怖い」なんて言って泣き続けていて、旦那が妻の肩を抱き寄せようものなら、さらに「怖い」と言って泣く。もうどうすることもできないのが、夫婦の危機ですよ。そのような時に、倫理とかある程度の常識があることを前提としたハウツーなんて通用すると思いますか?思わないですよね。あそぼーこのような本当の危機が訪れる前に、どうにか手を打つことで、夫婦生活がうまくいくようにもっていく――一般的にはこうするはずです。では、本当の危機が訪れる前に、どうすべきなのか?ひとつは、夫婦で遊ぶことじゃないかなと思います。夫婦生活って、なにかと忙しいけど遊ぶ。夫も妻も残業があったり、残業して帰宅したら洗濯をしたり夕飯を作ったり、お風呂の掃除をしたり、なにかと忙しいのはわかっているけれど、でも夫婦で遊ぶ時間を持つこと。平日に遊べないのなら、休日にふたりで遊ぶこと。遊ぶというのは、ふたりで無目的なことを無心になってやることを言います。「**のために」という目的のない行為を心の底から楽しむことを遊びと呼びます。それは例えば、夫婦そろってお酒が好きなのであれば、近所の居酒屋にでも行って、翌日の心配抜きに心ゆくまでお酒を飲む、でもいいんです。ふたりでカラダを動かすことが好きなのであれば、翌日の筋肉痛など気にせず、汗を流すことです。人って、そんなに単純な生き物じゃないはずなんですよね相手に対して思いやりを持つとか、感謝の気持ちをちゃんと伝えるなどのことを心がけることでうまくいくのなら、それに越したことはないと思います。結婚前からそう心がけて、結婚してからもその心がけを大切に暮らすとそれでよろしい。でも人って、そんなに単純な生き物じゃないはずなんですよね。たとえば「感謝しましょう」という、いわばタテマエだけで結婚生活がうまくいくなら、日本の離婚率なんてもっと低く止まっていますって。そう思わないですか?今の時代の良くないところって、カップルにおける大切なことに、とかく「意識」を持ち込んで説教を垂れるところです。「意識すれば」感謝できるよね、「意識すれば」相手に対してつねに思いやりの気持ちを持てるよね――こういう考えのもとで夫婦円満の秘訣を述べる人が多すぎるんですよね。夫婦の危機って「意識」していても訪れるにもかかわらず。感覚優位な夫婦円満のコツだから、無意識的なこと、つまり言語化できないこと、つまり感覚優位な「夫婦円満のコツ」を知っておいたほうがいいんですよ。意識、つまり言葉にし尽せることをいくら意識しても、人の意志ってそんなに強いものじゃないから、無理な時は無理なんですよね。感覚優位な夫婦円満のコツ、それが、夫婦で遊ぶことです。そういえば、みなさん、最近、遊んでますか?無心になって遊びましたか?わたしたちは毎日忙しいから、つい「**のため」という目的を伴ったことばかりしていますよね。そういう生活を、意識優位の生活と呼びます。結婚してもうまくいくカップルとは?極端に言えば、たとえば、不妊治療のしんどさに耐えれない夫婦っていて、そういう夫婦は、意志が弱いから耐えられないわけではないんですよね。生活のすべてが妊娠の「ため」になっているから、どこかでお互いに息が詰まって、その必然として爆発してしまうんですよね。不妊治療をしていない夫婦だって、似たようなものです。生活のため、貯金のため、子どもため……すべての「**のため」は、それが行き過ぎると家庭不和の原因になります。どんなに立派な精神の持ち主であっても、人は意思の世界だけでは生きられないからです。どこかに感覚的行為(たとえば遊ぶこと)を織り交ぜてあげないと息が詰まるように、人の身体はできているのですよ。結婚してもうまくいくカップルとは、ほどよく遊んでいるカップルです。(ひとみしょう/作家)
2019年01月26日「彼氏との相性があんまりよくないのかも」「時々、一緒にいても距離を感じることがある」。このように、不安な気持ちがあって彼氏といまいちラブラブになれない人って、「これはこうすべき」みたいな「べき論」を持っているんですよね。「べき論」って、女子の方が男子に押し付けているイメージが多いかもしれない。でもじつは、男子のほうがたくさん持っているんです。たとえば「仕事が忙しいから」という理由でデートしてくれない彼氏というのは、「べき論」をたくさん持っている人です。じゃあこの「べき論」から解放されるカップルになるにはどうしたらいいのでしょうか。わかりやすく解説していきます。■■彼の「べき論」、彼女の「べき論」は自分をがんじがらめにする仕事が忙しくても、デートする時間をちゃんと作ってくれる彼氏は「べき論」なんて、ほとんど持っていません。仕事もプライベートも一所懸命やるべき、という考えくらいは持っているはずだけど、「男たるもの、つねに仕事を優先すべき」とか「仕事に集中しないといけない時は彼女と会うべきではない」とか、そういうカタい考えは持っていないんですよね。だから忙しい仕事の合間にちょこっと時間を見つけて、器用にデートできるんです。女子の中にだって、たとえば「男とはこうあるべき」とか「仕事と恋愛の両立のためにこうすべき」というような考え方をしている人っているでしょ?とくにマジメな人に多いのが「強い女ってこういうイメージだから、わたしはこうすべきだと思う」みたいな、女性の強さとか自立などを基準に、自分の振る舞い方を決定する女子。彼女にそんなことをされたら、彼がどれほど嘆き哀しむことか!■■「べき論」の対極にある「うまく説明できない気持ち」が大切「べき論」の対極にある考え方って、たとえば「今日は天気がいいから、お弁当を持って公園に行こうかな」です。つまり、生きていることとか、恋することって、「理由はないけど、なんかこういうことをしてみたい」という「理由のない気持ち」に集約されるんですよね。すべてのことを意識的にやるとか、やることすべてに言葉で説明できる理由が必要とか、そういうカタい世界にとらわれないものが、生きることであり、恋すること。この考え方は、ものすごく極端化すると、「今日はなぜか海を見たい気分だから仕事を休むわ」ということに繋がる話だし、そういう人が増えると世の中が無茶苦茶になるから、おそらく多くの人が「べき論」を自分に言い聞かせつつ暮らしているはずなんです。今日は海を見たいけど定時に会社に行くべき、とか、今日は彼とベッドの中でいちゃいちゃしたいけど午後から家族の用事があるから実家に帰るべき、とか、みんな「べき論」のもとで暮らしているはずなんですよね。■■「べき論」から離れることが、ラブラブをキープする秘訣でも、ときには思いっきり「べき論」から離れて、彼とふたりでやりたいことをやらないと、ラブラブな状態をキープできないんです。なぜなら恋愛って100%自由な生き物だから。100%自由なものを「べき論」を押さえつけようと思っても、それは無理です。自由なものは自由のもとに還してあげないと!男女平等だと言ったところで、今の時代はまだまだ男のおじさんたちが上のほうを牛耳っているから、必然的に若い男子たちがそういうおじさん的な思考を押し付けられがち。だからどうしても彼は「上司の評価を気にすれば、彼女とのデートをドタキャンしてでも仕事をするべきだ」と考えてしまって、彼女が哀しい思いをすることになります。もっと時代が進化して、ホントに男女が平等になれば、男子だって女子のように、時間の使い方が上手になるのかもしれないけど、今はまだ男子はおじさん的な思考の影響をモロに受けざるを得ない状況です。■■まずは彼女が「べき論」から卒業し、事実を受け止めてみてだから、彼のことはさておき、まずは彼女が「べき論」から卒業してみるといいです。「これはこうすべきだ」と固定化して考えるのではなくて、いろんな考え方をありのままに受け止めてあげるといいです。彼が「仕事が忙しくてデートできない」と言えば、「仕事が忙しいことを理由にデートを断る男子もいるんだ」と、少々客観的に思って、彼の言葉を受け止めてあげる。反対に、彼が急にデートしようと言ってきたら、急にデートに誘う男子もいるんだ、と、少々客観的に思って受け止めてあげる。こういうのって、彼の意見にただ振り回されているように見えるかもしれないけど、でもそうじゃないんですよね。自分の「べき論」なんか捨てて、相手の変化に適当に(=ちょうどいい感じで)付き合ってあげることこそが、ホントは誰にとっても心地いいはずなんですよ。彼氏との関係に限らず、私たちを取り巻く環境も、わたしたち自身も絶えず変化しているのだから。さまざまな変化に、ちょうどいい感じで付き合っていける人は、昔から「心が豊かな人」とか、「器の大きな人」と言われています。言うまでもなく、心が豊かな人とは「よく生きる」人であり、その必然として、いい恋をする人のことです。(ひとみしょう/作家)『今夜はちょっと、恋の話をしよう』(ハウコレ編集部)
2018年12月26日この部屋には現在進行系のものしかないby Studio 7042今の住まいに越してから、半年が経とうとしている。引っ越した当初は、「寂しくなったらどうすればいいんだろう」「掃除が苦手だから、部屋がどうしようもなく汚くなってしまうんじゃないか」というような不安を覚えていたけれど、どちらも杞憂に終わっている。毎日が慌ただしく過ぎていくから寂しくなることもそれほど多くはないし、私は自分が責任者となるようなところでは苦手なことでも最低限のことはきちんとする性格のようだった。今のところ、部屋もきれいだ。部屋をきれいに保てているのにはもうひとつ理由があって、ほとんどものがないからだった。もともと住んでいた部屋は、CDと漫画と服で溢れかえっていた。けれど、整理をしてみるとほとんど必要のないもので、恐らく所有物の2、3割程度しか今の住まいには持ち込んでいない。ものが多いのに捨てられないから、私は掃除が苦手だったのかもしれない。それから、今の住まいのなかで一番古いものは、中学1年生の頃に買ったジョージ朝倉の『恋文日和』だった。大好きな漫画だ。色紙や写真など、思い出みたいなものを残しておくことが苦手で、それらしいものは何もない。本当にすべて捨ててしまった。今私がいるこの部屋は、現在進行形で私を構成するものでできている。新しい場所に移るとき、昔の思い出を持ち越さないのは人間関係でもそうだった。私には、「地元の友達」という存在がひとりもいないし、中高の友達すら、誰とも連絡を取っていない。それだけならまだよくて、最近は大学の友達ともなんだか疎遠になりそうな気がしている。彼女たちから連絡がくると、中学高校の同級生から連絡を立て続けに断っていたときのような、同窓会のLINEグループに突然加入させられて焦って退会したときのような気持ちになる。少し離れたところに住んでいるとか、忙しくてなかなか時間が合わないとか、そういうことも関係しているのかもしれない。長く会わないうちに、自分が何を話したいのか、それから彼女たちのどんなところに興味を持てばいいのか、よくわからなくなってくるのだった。「久しぶりに会いたいな」とか「今どんなことしているのかな」とか、そんなことすら思わない。それどころか、数年前はどんな風に毎日話をしていたのか、何が楽しくて彼女たちと私が一緒にいたのかも、よく思い出せなくなってきている。たとえ久しぶりに会っても、それなりに楽しく過ごすことはできるだろう。近況報告や恋愛の話、それから仕事の愚痴と学生時代の思い出話を2時間も3時間もぶっ通しで話して、駅のホームで「またね」と言いながら終わる。きっとそうだ。でも、そういう時間が、久々に会った高揚感やアルコールのおかげで笑いのツボが浅くなっていることを抜きにして、本当に楽しいのかどうか、私にはわからない。きっと、それはお互い様だ。みんな人の生活には興味なんてないし、どんなことが起ころうと関係ない。どんなに仲がよくても。ついでに言うと、人の話が面白いことなんて滅多にない。大人がお酒を必要とするのは、自分の退屈さを紛らわすためかもしれないし、だから私はずっとお酒が手放せないのかもしれない。この人間関係をどうやって維持すればいいのか私はこれからの人生において、「地元の友達」「10年来の親友」「腐れ縁の仲間」みたいなものが一切登場しなくなるんだ、ということについこの間気が付いた。その選択がいいとか悪いとかではなくて、私の人生のうちでずっと重要な登場人物だった人は誰もいないし、遠い過去から現在にかけての私を知っている人もいないということになる。もしかしたら、昔からお互いのことを知っている人というのが、私にとってかけがえのない存在かもしれないのに、私にはそれを確かめる術がない。なんだか気づかないうちにとてつもなく大きな財産のようなものを、どこかに置いてきてしまったような気がした。以前にも、大学時代の友達に対して「ああ、疎遠になるかもしれないな」と思ったことがあって、そのことを共通の友達に話すと、「あんた、あんなに優しい子に愛想つかされて疎遠になったら人として終わりだよ!」と言われたことがある。そうだ、そうなんだ。いい人たちで、恐らく今後も大切にしたほうがよさそうで、たとえば私が多額の借金を抱えたとか何かの拍子に事件に巻き込まれてしまったとか、そういうときに一番に助けてくれる人たちだってこともわかっている。けれど、どうやって興味を持ち続ければいいのか、どんな風にひとつの人間関係を大切にし続けたらいいのか、私にはよくわからなかった。聞きたい話も思い浮かばないし、私がしたい話もない。そういう人と、私はどうやって接していったらいいんだろう。もう本当に人間として終わりなのかもしれない。大切な人をきちんと大切にできない私は一体なんなんだろう。もっと大人になっても、周りの人を大切にする方法がわからないまま大切な存在をものみたいにどんどん捨てていって、人生でとてつもなく大きな財産を見逃してしまうのかもしれない。Text/あたそ<何もない私はこのままで大丈夫なの?その答えは、身近にあったりする>もチェック!軸とか、芯とか、何もないと思える。でも自分だけで決めるものではないのかもしれない。
2018年05月22日今すぐ結婚したいわけじゃない。けど、リミットが…by Neil Fedorowycz ある日Twitterを眺めていたら、「いつかは結婚したいと思っているんだけど、別に今は今で楽しいし、正直今すぐにっていうほど切望してるわけじゃない。でも諸々のリミットもあるし、やっぱり早く結婚したいな……」という主旨の、なかなか悩ましいツイートが流れてきました。30歳前後の独身女性であれば決して珍しくない、共感を呼ぶお悩みだと思います。同じく、30歳前後の独身女性である私自身はというと……脳がアフリカ人なので、未来のことを考える思考回路があまり発達していません。別にアフリカ人を侮辱しているわけではなく、これはこれで美徳だと思っているんですけど。「今」したくないことはしないし、リミットとかもあまり考えないです。将来後悔するかどうかなんてそのときになってみないとわからないし、とにかく「今」したいことを「今」やる! という精神で生きています。だから、上のようなお悩みは実のところ抱えたことがありません。でも、やっぱり女性にとって「リミット」の話は重いなーとは感じます。これが「いつか結婚したい」ではなく「いつか起業したい」とかだったら、「いつかじゃなくて、今、すぐにやりなよ!」と自分のことは棚に上げまくって無責任に煽れるんですが……起業はいつでもできるけど、出産はリミットを過ぎると本当に二度とできなくなってしまうから、「今」したくなくても将来後悔したら悲しいなあと、やっぱり考えてしまうと思います。「後悔」はしても、「納得」ができればいいんじゃないかすごくデリケートな問題を含むとわかった上で、それでも私は、「今」する気が起きないことは、しなくてもいいと考えています。今は、今やりたいことをやる。アラサーだろうが遊びたいなら遊びまくるべきだし、留学したいなら結婚なんかどうでもいいから行くべきだし、仕事したいなら仕事しまくるべき。眠いなら寝るべき、お腹すいたなら食べるべき。「ちゃんと考えないとダメだよ」と言ってくる人もいるかもしれないけど、その人たちが私たちの人生に責任を持ってくれるわけでもないので。未来は「今」の積み重ねだから、「今」を精一杯やっていたら、必ず納得のいくものになると思うんです。「納得のいく」は、「後悔しない」とは少し違います。後悔は、するかも。というか、私は「後悔のない人生」なんてあり得ないし、あり得たとしてもそんな色気のない人生はいらないと思っておりまして。私の大好きな小説に、カズオ・イシグロの『日の名残り』があります。この小説の主人公であるスティーブンスは英国の執事なのですが、仕事に全身全霊を捧げてきたこれまでの生き方を、晩年になって「本当にこれで正しかったのだろうか?」と旅をしながら振り返ります。正しくはなかったかもしれない。あのときの選択は間違っていたかもしれない。でも、最終的にスティーブンスは、間違っていたかもしれないことも含めて、「納得」するんです。人によっていろいろ解釈はあるだろうけど、私はそういう小説だと思ってこれを読んでいます。無意識のうちに囚われてしまう制約を、解除する機会を設けてみてほしいリミットとか、将来についてきちんと考えることを、全否定するわけではありません。でも、あまりにもそれに囚われすぎてしまっているとしたら、一度頭をリセットして「余命3年と宣告されたとしたら今、何がしたいだろう?」と考えてみるのも有りだと思います。ちなみに私はこの手の妄想を半年に一度は時間をとって意識的にやっていて、「4億円手に入ったら今、何がしたいだろう?」とかもよく考えます。普通に生活していると無意識のうちに制約の枠の中に思考がはまっていってしまうから、意識的にそれを解除する機会を設けているわけです。こんな偉そうなことを言っているけれど、私は決してお金持ちじゃないし、仕事で成功しているとも言い難いし、未婚だし、他人に自慢できるようなものは持っていません。でも、「今」やりたいと思うことを毎日やっているから、まあ将来痛い目を見る可能性はあるけど、そうなったらそうなったでいーや、と考えています。後悔するかもしれないけど、納得はできると思うから。意識的にアフリカ人になること。人それぞれ考え方はあるだろうけど、参考意見の1つとしてカウントしてもらえたら私は嬉しいです。あと、『日の名残り』を読んでほしい!Text/チェコ好き前回記事<人にたくさん迷惑をかけたほうが「善く生きる」を目指せるのでは、という仮説。>もチェック!「人に迷惑をかけるな」と言われて育った私たち。でもそれは、「人から何も受け取るな」と同意義だったのです。
2018年05月16日私は何者なんだろうか?by Lisa Fotiosときどき、私は何者なのだろうと思うことがある。自分の置かれている環境から少しでも離れてみると、自分を支える軸みたいなものが、根っこみたい部分が、少しずつブレていく。それから、不安になる。このままで、大丈夫なのだろうかと。今までも、大丈夫だったのだろうかと。なんだか、自分が何も持っていないような、誰の記憶にも残らない、小さくてつまらない人間であるように思えて、焦りに似た感覚が胸の奥の方から襲ってくる。GWはロシアに行っていた。イルクーツクという、世界遺産のバイカル湖のふもとの街。そこで知り合った人は、ロシア人の両親を持つ、オーストラリア人だという。8歳くらいまでロシアで過ごし、それから大人になるまで、オーストラリアで生活をしていたらしい。オーストラリアとロシア、2つの国籍を持っているからこそ、ときどき自分がどちらの国の人間なのかわからなくなることがあって、何かがわかるかもしれないと思い立った彼女は、自分のルーツとなるロシアを何カ月かかけて、旅をしているようだった。同じくして、ブリヤート共和国(バイカル湖の南東部に位置する)というところから家族旅行できたという13歳の女の子と出会った。彼女は日本のアニメが好きで、私よりもずっと日本のアニメに詳しくて、なんだかとてもいたたまれない気持ちになり、簡単な質問にすら答えられない日本人の自分を少し恥じた。ロシア人の彼女より、ずっとアニメに近いところにいて、その気になれば色々なものを見ることができるのに。言葉も、おそらく感性みたいなものも同じだから、理解もしやすいはずなのに。オーストラリア人の彼女のように、自分の国籍や人種に疑問を持ったことはないけれど、日本に関する簡単な質問に答えられない私は、ときどき「自分は、本当に日本人として大丈夫なのだろうか?」と自信をなくす。そして、人間関係を1からスタートさせなければならない環境に身を置いたとき、「私は、一体どんな人間なんだろう?」と不安に思うことがある。私は、きっと日本のことを何も知らない。日本だけではなくて、世界のどんなことも。何も知らない私は、どこにも所属できないで、何もない空間に宙ぶらりんになっているような、そんな感覚になっていた。日本人の両親から生まれて、名前を付けられて、ずっと日本で育ち、日本語を話す。だからきっと、日本人なのだろう。でも、日本で生活をしている間は、そんなこと疑問に思ったこともない。どういう条件が揃っていれば、私は自分のことを日本人として認めてもいいのだろか。周囲の人間は、鏡の存在だ平日は仕事をし、たまに友達とお酒を飲んだり、映画や小説を読んだりして、長期休みが取れるとどこか遠くの国へと向かう。ときどき死にたくなったり、何もかもが嫌になったりして、でも大丈夫になったりして、そういうのを含めて「私なんだ」と思っている。そんな私が、私だと認識できるのは、きっと周りの環境があり、自分の好きなものや好きな人に囲まれながら生活しているからだ。毎日同じ生活を積み重ねていって、私のことを名前で呼んでくれ、役割を与えてくれるから居場所が増えていき、どんな性格をして、何が好きなのかを知っている人がいるから、たぶん私は自分が今ここにいてもいいのだろうと思えるし、自分がどんな風な人間で、どんな価値を周囲に与えられているのかがわかるのだと思う。時間や経験を重ねていって、評価してくれる人がいるからこそ、自分の自信にもつながっていくのかもしれない。GWが明けてまたいつもの生活がはじまると、他にたくさん考えなくてはいけないことに埋もれて、きっとこんな風に思っていたことも忘れてしまう気がする。だけど、仕事や人との関係のなかで自分の役割を見つけて、見合った行動を取っていけばいい。そうすれば、自分の国籍や人格、どんな人間なのかを不安に思うこともずっと少なくなると思う。1人でいたいとか、1人が好きだとか、そう思えるのも、周りの人が何かしらの価値を与えてくれるからで、どう思われているのかばかりを気にしていたら、きっとこんな風になっていなかった。私が人間関係を手放せず、いつでも手の届くところに置いているのは、自分に対しての自信のなさからなんだろう。「周囲の人間は、鏡の存在だ」という言葉があって、似たもの同士が集まるという意味らしい。自分が一体どんな人間なのかを教えてくれるのも、周囲の人とか、環境や生活とか、きっとそういう自分の手の届く範囲にあるものなのだと思う。Text/あたそ<「一緒にいてほしい」と言えない…わたしに恋する権利があるのか>もチェック!ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。
2018年05月08日「一人が楽しい」と「一人では生きていけない」「寂しい」という言葉を聞くと、ちょっとだけ胸がキュッとなります。というのも、恋人がいる・いないに関係なく、「一人は寂しいから誰かにそばにいて欲しい」と思ったことが、私はほぼありません。「一人で食べるご飯よりも、誰かと食べるご飯のほうが美味しい」とも、あまり思いません。美味しいものは一人で食べても美味しいし、不味いものは大好きな人と食べても不味いです。たまに悲しく思うのは、隣に愛しい人がいないことではなくて、そんな自分の感性を「人でなし」だとか「人生の豊かさを知らない」だとか言われてしまうこと。もしくは、自分で自分の感性を責めてしまうこと。しかし、私は人でなしではない……! これについては、何度も訴えながら世間の理解が変わるのを待つしかないと思っています。私は人でなしではないが、確かに少数派の感性の持ち主ではあると思うから。そんなわけで、「愛しい人に隣にいてほしい」みたいなことはあまり思わない私ですが、「自分は一人でも生きていける」とは考えていなくて、むしろ「人間は一人では生きていけない」と、最近よく実感するようになりました。なぜか凡ミスをしまくった南イタリア旅行この春、お休みをいただいてまたまた一人旅をしてきたんです。行き先は南イタリア。しかし、この旅行でなぜかワタクシ、予約した宿にたどり着けなかったり、空港付近で道に迷って飛行機に乗り損ねそうになったり、バスや鉄道の時刻を間違えたり、数え切れないくらいアホなミスをしまくったのです。でもそのたびに、まわりのイタリア人が一緒に宿を探してくれたり(歩いている方向が全然違ったらしく島のおばあちゃんが車まで出してくれた)、空港までタクシーを呼んでくれたり、コーヒーをごちそうしてくれたり、すごく助けてくれたんです。私たちはずっと「人に迷惑をかけるな」と教わってきたし、私も普段の生活ではそこまで他人をアテにしていません。仕事等で必要ならばもちろん頼るけど、それは仕事だし、悩み事を人に相談するのもちょっと苦手です。人に頼るのはダメなことだし、カッコ悪いことだと思っていました。でも今回の旅行、変な言い方ですけど、たくさんの人に迷惑をかけるのがちょっと気持ち良かったんですよね。「助けて」って言ったら意外とみんな、普通に助けてくれます。「困ったことがあってもけっこう何とかなるもんだ」と思いました。イタリアは発展途上国ではないし、このくらいは当たり前でしょうか? まあ考えようによってはそうだけど、「いざとなったら誰かが助けてくれる」という世界観に確信を持つことによって、私の自己肯定感は爆上がりしてしまいました。いざというときの『助けて』が言いやすいように徳を積む=善く生きる!最近の私は人類学の本をよく読むのですが、おそらく人間の根本には「贈与」があります。与え、与えられるという関係があります。私たちは「人に迷惑をかけるな」と教わってきたけれど、それは別の言い方をすると「人から何も受け取るな」と同義です。当然ながら、とにかく周囲に迷惑をかけまくればいいという話ではないです。だけど大切なのは、「人から何も受け取らない」ことではなく、「与えられたぶんを少し多めにして返す」ことなのではないかな……と、ちょっと大人になった(31歳になりました)私は考えます。イタリアでたくさんの人にお世話になったぶん、私は東京にいる外国人観光客に親切にしないと罰が当たるでしょう。もちろん身近な人にも、自分の持っているものを必要なシーンで与えられなかったら、私のほうが報われません。旅先で散々人に迷惑をかけたことで、「困ったときはしょうがないので『助けて』って言おう」と、「いざというときの『助けて』が言いやすいように、普段からgiveの精神を発揮して徳を積んどこう」を、同時に思うようになりました。もしかしたら「人に迷惑をかけない」よりも、「いざとなったら世話になる」という心構えでいたほうが、「善く生きる」をきちんとまっとうできるのかもしれません。人に親切にしないと死ぬって、私は今、マジで思っておりますので……。「一人が楽しい」と、「人は一人では生きていけない」は、両立できます。もっと胸を張って「一人が楽しい」と言えるように、自分の感性を責めないために。独り身だからこそ周囲ときちんと関わっていきたいと、最近の私は決意を新たにして、ガンバっています。Text/チェコ好き前回記事<隣の芝生はいつだって青いけど、都合よく羨ましがるだけの人はずるい>もチェック!私たちは、他人の見えない部分を勝手に想像して、羨んだり嫉妬したりしていないでしょうか。
2018年05月02日第39回「『生活力』はいつからだって」(c)つめをぬるひと今回は「一人暮らしの友人との生活力の差を感じて、一人暮らししたいけど、親からの仕送りはもらえなさそう。どうにかならんものかと、作戦を練っているところです」という読者投稿(要約しています)。私の親はあまり家事をやらない人だったので、高校生の時くらいから洗濯などの家事を親の分もやっていた。よく「一人暮らしをすると親の大変さが身にしみて分かる」というが、大学進学と同時に上京して一人暮らしを始めた私は、家事が一人分になったことで「一人暮らしってこんなに楽なのか」と感動してしまった。自分の裁量で動ける楽しさ、失敗から学べる経験など、一人暮らしならではの良いところも知り、社会人になって一人で生計を立てるようになってからは、もっと楽しくなった。そんな一人暮らし推しが強い私だが、だからといって早い時期から始めたほうが良いのかというと、そうでもない。私は、一人暮らし歴が5年の人と10年の人に「生活力」の差はさほど無いと思っている。今回の読者投稿に書かれていた「一人暮らしの友人との生活力の差」とは、経済面というよりもどちらかというと、いかにタフであるか、という意味で仰っているような印象を受けた。一人暮らしを学生時代から始めた人と、社会人になってから始めた人の間にあるギャップなんて、長い目で見ればたいしたことはない。何が言いたいのかというと、「親からの仕送りを頼るな」とか「甘えるな」とか説教じみたことを書くのはなんか違うと思っていて、たしかに仕送りがもらえなさそうであれば社会人になってから一人暮らしをするしかないんだけど、「周りの友人との差を意識しないようにする」という考え方にシフトするのもありだよ、という話だ。今回の爪はそんな、周囲との差が実はたいしたことではないということを意識して制作した。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<はじまるために、その恋を終わらせる>もチェック!不倫をやめて新しい恋を。「変化を応援する爪」がテーマです。
2018年04月30日将来どうなりたいかを描けないby Pixabay「あなたは将来、この会社でどうなりたいんですか?」と聞かれたとき、私はいつも正しい答えを見い出せないでいる。転職活動をしているときもそうだった。志望動機や転職理由は、頭で何も考えなくても口からするすると出てくる。しかし「5年後のビジョンを教えてください」「10年後は、どのような働き方をしたいですか?」と尋ねられると、どうしても会話が止まる。そして、この質問をされた企業には見事にすべて落ちている。現在私の勤めている会社には、3カ月に1度くらいのペースで部長と面接をしなければならない制度がある。なんだか学校みたいだな、といつも思う。このときも「将来、どうなりたいの?」と同じことを聞かれ、言葉を詰まらせる。管理職に就きたいのか、それとも専門職に就きたいのか、という質問だということはわかっている。わかってはいるけれど、どちらかになっている自分なんてイメージができない。自分の技術を極められるような気もしないし、人をまとめるような性格でもない気がする。現在は、上のポストが空いていて、私のような低学歴で大した職歴のないような人間でも条件を満たせば昇格できるんだそう。給与が倍以上になる、とも教えてもらった。しかし、それでも私は人の上に立っている自分が想像できない。このままでもいいかな、と思ってしまう。可能であれば、適度に忙しい環境で、人から怒られずに働きたい。それから、生活に不便がなくて、たまに贅沢できるくらいのお金があれば、私にはそれで十分だ。仕事だけではなく、プライベートの面でもそうだった。私には、将来の夢というものがずっとない。「こんなことしたい!」「あれが欲しい!」という直近で実現できそうな目標はあっても、漠然とした夢みたいなものがずっとなかった。年を取ってしまった私も、それほど悪くない高校生の頃は、5年後、10年後、大人になっている自分を想像することがただひたすら怖かった。このまま、何も大きな目的のない生活が続くのと思うと、恐ろしかった。けれど、それからの私は本当に年を取ってしまって、大人になることがそれほど悪くないということを知った。今も同じだ。5年後、10年後、もっと大人になっている自分を想像するのが怖い。このまま何も変わらず年を取ってしまうのもなんだか恐ろしいし、とは言え、結婚している自分も子どもがいる自分も、なんだかイメージがわかない。バリバリキャリアを積んで「仕事が生きがいです!」とか言っている自分も、きっと未来に存在しないだろう。もしかしたら、高校生の頃に想像していた大人のような不安を覚えているだけで、きっとこれからも楽しく過ごせていけるのかもしれない。けど、そんな保障はどこにもないから、ほんの少しだけ怖いと思う。結局のところ、仕事だってプライベートだって、目の前のことをただひたすらやっていくしかないのだ。目の前のことをひたすらやって、いろいろなことに慣れてきて、そうして進んでいった景色はきっと昔とは違ったものに見えているはずで、そこから自分のできることをできないことを選んだり捨てたりして、自分の人生とか将来を見定めていくしかないのだと思う。管理職にも専門職にも向いていない。きっと、結婚も出産も向いていない。けれど、このままでい続けることのほうがずっと怖くて、何かしらの形で前に進まなければいけないのだと思う。5年後、10年後の私は、今の私みたいに「年を取ってしまった私も、それほど悪くないないのかもしれない」と、ちゃんと肯定できるのだろうか。Text/あたそ<「一緒にいてほしい」と言えない…わたしに恋する権利があるのか>もチェック!ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。
2018年04月24日はじめての書籍で紹介した思い出の純喫茶つぼみだった桜がいつの間にか満開を迎えて、花が散っていくのを見ては、まだ少し遠くの夏を想うこの頃です。皆さまはお花見などされましたか? 私は大切な友人たちと早朝に眺めた桜と、純喫茶へ寄った帰り道に見上げたライトアップされた夜桜が、今年の思い出となりそうです。さて、咲いたと思ったらすぐに散ってしまう花のように、人生というものも振り返ってみるとあっという間なのかもしれません。押上にある「伽羅」という純喫茶は、私にとって初めての著書『純喫茶コレクション』で紹介させて頂いた思い出深い店です。書体の素敵な看板、入口前の季節を感じさせてくれるプランター、扉を開けると真っ先に飛び込んでくる大きな水槽の中で泳ぎ回る熱帯魚、少しカーブした窓際の席、ずらりと並んだサイフォンたち、ずっと眺めていられそうな壁紙、そして笑顔が素敵で美しいマダム…。自分の行動範囲とは反対方面のため、数回しか訪れることが出来なかったにも関わらず、記憶に鮮明な空間でした。そんな「伽羅」が、店の前の道路拡張を理由に3/31でその歴史に幕を閉じることとなりました。せめて書籍でお世話になったご挨拶だけでも、と勤務終わりの夕方、急いで押上まで。「私の分身みたいなものだったの」スカイツリーを振り返る暇もないほど店の前まで急ぐと、灯りが点いていて店内には変わらず美しいマダムが。看板は仕舞われていたのでノックをしてから扉を開けると、笑顔で迎え入れて下さいました。少しの雑談の後、閉店について切り出してみたところ、思わず涙がこぼれてしまうような言葉がマダムからいくつも。「こんな形で店を閉じるとは思っていなかったから、気が抜けてしまったわ。ここはね、単に空間というよりも私の分身みたいなものだったの。大切だから床や壁に汚れを見つけるとすぐに綺麗にしてね。開店してから今日まで、店に立つのが嫌だと思ったことが一度もなかったの。向いていたのかしらね。幸せなことよね。私、店に立つ時は必ず大好きなタイトロングスカートで、近くの知り合いの店で仕立ててもらっていたのだけど、閉めることが決まってからは履く気になれなくて」寂しそうに笑うマダムは桜色のセーターと黒地に白い水玉のパンツをお召しになっていて、そちらもとても似合っていたのですが、その言葉からはご自分の気持ちをどうにか整理しようとしている気丈なところが見え隠れして切なくなります。「閉めるってなってから、何十年も使えていた製氷機も壊れちゃってね。ああ、分かるのかなあと思ったわ」とまた胸が苦しくなるようなエピソードを。少しの滞在のつもりでしたが、「でもこうやってね、たくさんの人たちが遠くからも来て下さって、嬉しい言葉を掛けてくれるから。誰かと話していると気持ちも上がるからありがたいの」と背筋を伸ばし、凛とした表情で語るマダムの美しい横顔に、長い間見惚れていたのです。営業は明後日、31日の土曜日まで。気になった方はこの機会に足を運んでみるのはいかがでしょうか?この春一番と言えるほど切なくも、素敵な時間を過ごすことができると思います。Text/難波里奈前回記事<今はない純喫茶に思いを馳せる…訪れることができるチャンスを大切に>もチェック!出会えた純喫茶の灯りはすでに…。かつての時間を空想して思うことは。
2018年03月30日空想は儚くロマンチックでも、灯りの点る店たちに思いを難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2018年03月16日厳しい寒さの中にも、時折ひだまりのようなあたたかさを見つけて、春の訪れを少しずつ感じるこの頃です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?雪の多い地域にお住まいの方は、まだしばらくの間大変だと察します。あたたかい珈琲でひと休みしながら、次の季節を待ちたいですね。ところで、皆さまは「思い入れのある純喫茶は?」と聞かれたら、どちらの店を思い浮かべるでしょうか? 好きな店はたくさんあって順位などはつけられないと思いますが、何かの折につけてはっと思い出す特別な店はどなたにもあるのではないでしょうか?私にもずっと忘れないと確信できる純喫茶があります。今回はその店を紹介します。明るい笑顔で迎えてくれるママの存在「エイト」場所は、東京メトロ丸の内線 新中野駅から坂道を下ること10分ほどのところにある「エイト」。営業時間が平日・日曜15時まで(14:30ラストオーダー)と、会社勤めの身としてはなかなか難しい条件ですが、どうにか時間を作って訪れたいと思うポイントがいくつかあります。まずは、貝殻で出来た繊細なランプが照らす鮮やかな緑色の壁に、目を奪われるその内装。次に手頃な価格で食べられる豊富な食事メニュー。さらには、飾られている『ゴルゴ13』作者のさいとうたかを先生のサインイラスト色紙に加えて、当時さいとう先生のアシスタントをされていた小池一夫先生がデザインされたという豪華なマッチ。そして最大の魅力は、穏やかな雰囲気と明るい笑顔で出迎えて下さるママの存在。昼食を目的にやってくる近隣の人たち、遠くからこちらを目指してやってくる初めての人たち。誰に対しても適切な距離感で、居心地の良さを提供して下さるのです。純喫茶ではあまり長居をしない私もここではクリームソーダを前にうとうとしてしまいたくなるほどでした。訪れた全ての純喫茶には思い入れがあるこの店が私にとって生涯忘れられなくなった理由というのは、2016年秋に発売した雑誌『CREA」(11月号)の「喫茶店とコーヒーがそこにある幸せ」で、さいとう先生とクリープハイプ・尾崎世界観さんとの鼎談の場所だったからです。さいとう先生もお気に入りというこの空間で、大好きなお二人を前に緊張やら焦りやらであふれそうだった私を、ママはにこやかにそっと見守って下さり、無事楽しいひと時を終えることが出来たのです。訪れた全ての純喫茶には思い入れがあって大好きですが、特に印象的な時間を過ごした「エイト」をこれからも思い出しては幸せな気持ちになるのでしょう。「エイト」の落ち着いた空間で、仲の良い誰かととっておきの純喫茶についての話に花を咲かせるのはいかがでしょうか?Text/難波里奈前回記事<意外な出会いが嬉しくて。四谷「騎士道」で芽生えた新たな決意>もチェック!新宿駅と四谷駅のちょうど真ん中にある「騎士道」に、想像を超える新たな発見がありました。
2018年02月16日15年一緒にいた愛犬の死先週、ずっと飼っていた犬が死んでしまった。大型犬にしては15年も生きてくれたから頑張ってくれたと思うし、もうここ何年かはずっと元気もなくて、着実に死に近づいているようだった。2日前に、母から「歩けなくなって、ずって寝ているよ」という連絡があり、きっともう、生きているうちには会えないのだろうと考えていて、そしてそれは現実になった。猫は自分の死に際を見せないというけれど、私の飼っている犬たちは違って、キッチン横の餌をあげているところで寝そべっている。いつもはそんな場所にいることもないのに、1匹目も2匹目も、死ぬ直前は不思議とそこでずっと時間が経つのを待っているようだった。リビングにも、お風呂場にも行ける人の通りが多かった場所だったからかもしれない。自分より先に死が訪れるであろうことは、飼い始める前から知っていた。それに、もうきっと長くないことだってわかっていた。ある程度の覚悟はできていたはずなのに、仕事中に死の知らせが入ると、しばらく何も考えられない状態になって、今この場で何をしていいのかわからなくなり、でも何か別のことを考えていないとぼろっと涙が出てきてしまいそうで、気を紛らわすように今日やっても明日やっても変わらないような仕事を必死になってしていた。その日たまたま連絡を取っていた友人から食事をしようと誘われ、人に会って気をもっと紛らわせて、悲しい気持ちをどこか遠くのところに追いやった方がいい気もしたけど、でもやっぱり誰かに会う気分にはなれなくて、断りの連絡を入れ、そして家に帰った。無条件で一緒にいてくれた犬、生まれてから一緒にいるはずの母私の実家には今2匹のラブラドールがいて、その子のお父さんとお母さんはもう死んでしまっている。10歳の頃から飼いはじめたので、もう人生の半分以上を犬と過ごしていることになる。毎日最初に「行ってきます」「ただいま」と話しかける相手が、4匹の犬だった。私が人生のうちで一番抱きしめた相手も犬だ。167センチくらいある私が座ると、犬は真正面にやってきて、抱きしめるとちょうど肩のあたりに犬の頭が乗る。暖かくて、毛並みがつるつるしていて、その時間がすごく好きだった。一緒に寝た時間が一番多いのもたぶん犬だ。20キロ近くあるのに、ひざや私の体の上にどうしても乗りたがる。大きいからだをわざわざ小さく丸めて器用に乗る。何を勘違いしているのか「重いからどいて」といっても、尻尾を振って絶対にどこうとしない。結局私が、重さに耐えるしかなかった。テレビを見ながら笑っていると、隣まで歩いてきて一緒になって喜んでくれたし、悲しいときや落ち込んでいるときは、必ず慰めてくれた。人目を盗んでトイレットペーパーの芯をかじるのが好きで、その度にゲージがぐしゃぐしゃになるけれど、なんだか馬鹿らしくなって、いつもちょっとむかつきながら掃除をしていた。インスタグラムで人気の犬ほどかわいくはないかもしれないし、頭もよかったわけじゃない。犬が家にいることで、散歩に時間がかかるとか服が毛だらけになるとか、制限がかかってしまうこともあったかもしれない。でも私にとってはとても大切な存在で、今もそれは変わらなかった。私のことを肯定も否定もしない。どんな仕事に就いているとか、どんな容姿をしているのかとか、どれくらい頭がよくてお金を持っているのかとか、そんなことを一切関係なく、無条件でずっとそばにいてくれたのは、私の人生のうちで4匹の犬だけだった。犬が死んでしまってどうしていいのかわからくなったとき、一瞬「ああ、これで本当に親子の会話がなくなってしまったんだな」という思いが頭をよぎった。というのも、私が実家を出てから母から連絡がきたのは3回ほどで、それは毎回死んでしまった犬のことだったからだ。いつも返事のしにくい文章で、私にどんな返答を求めているのか全く読めない。返さないまま終わってしまうこともあった。「家を出ても、たまには帰ってきてよ」と言った母。でも私たちの間で気軽にできる会話は実はあまりなくて、じっくり話をした記憶はもう何年も前の話になる。一緒に食事をしたのも、買い物に行ったのも、もう何年も前の話だ。きっと家に帰っても、それほど会話ができず、お互いへのかみ合わなさを感じるんだろうとも思う。犬が死んでしまった今、私は私が生まれてからずっと人生を一緒に過ごしているはずの人と、疎遠になってしまうのだろうか。Text/あたそ<「余り者同士で付き合っちゃえ」にいいともいやとも言えなかった私>もチェック!「余り物同士で付き合えば?」恋人がいることが普通で、いないと疑問に思われる。そんな風潮に対してあたそさんが抱く思いとは。
2018年02月14日2018年も始まって1ヶ月が過ぎました。東京では降雪もあって慣れない街の風景がますます「冬」という季節を実感させるこの頃です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?私事ですが、2017年は343軒の純喫茶へ足を運びました。2018年も1月末現在で24軒とほぼ毎日のように巡って楽しんでいます。人々が足繁く通う、「騎士道」の魅力さて、今回はかねてから訪れたかった純喫茶を紹介します。場所は、新宿駅と四谷駅のちょうど真ん中くらいにある「騎士道」。四谷の名店「ロン」のマスターから常々話は伺っていたので、気に掛けていたものの、営業時間と所在地の関係でなかなか行く機会が作れずにいたのです。ある日のこと。午前中の用事を済ませ、午後は夕方まで予定がなくぽっかりと時間があいたのを良いことに、5軒の純喫茶を巡ってきました。新宿/らんぶる → 新宿御苑前/騎士道 → 四谷三丁目/フルーツパーラー フクナガ → 新中野/エイト → 荻窪/珈里亜。騎士道以外の4店舗はすでに何度も訪れていますが、改めて素晴らしさを実感した一日となりました。「騎士道」は大きな通りに面していて、扉には鎧をつけた男性のイラストが。中へ入ると手前の席は光が燦々と差し込んで明るく、奥の席は壁面に貼られた古城の写真が妖艶な雰囲気を醸し出し、どちらも座ってみたくなります。しゃきっとした接客で出迎えて下さった美しいマダムに注文したのは、ミートソーススパゲティと珈琲。メニュー表には目移りするほど豊富なメニューが並んでいました。昼時だったこともあり、近隣で働く人たちが途切れることなく訪れ、あっという間に満席に。厨房の奥にちらりと姿が見えたマスターはひっきりなしに鍋を振り、盛付けをするなどとても忙しそうです。しかし、待たされることはほとんどなく、まもなくして運ばれてきたミートソースの上には細かく刻まれたキュウリが。今までに色々な店でミートソースを食べてきましたが、この斬新なトッピングに驚くと同時に、型にはまらない個性あふれるメニューに嬉しくなってしまいました。どれだけ純喫茶に通ってもいまだに飽きが来ないのは、想像と違うものに出会える楽しみが多々あるからかもしれません。よく煮込まれたソースには、茄子とマッシュルームがたくさん入っていて美味でした。気になった店の扉はすぐに、たくさん開けよう今は開放されていないと思われる、2階席へ繋がる階段や壁の模様、アーチを描くカウンター席の上にある照明。こんな素晴らしい店をこの日まで訪れていなかったことを後悔すると同時に、知る事の出来た喜びを噛み締めるのでした。純喫茶にまつわる今年の目標は「今まで以上に、気になった店の扉はなるべくすぐに、たくさん開ける」と決めました。日常の中で当たり前のように存在していた風景が、ある日突然消えてしまうことも少なくないことを今まで目の当たりにしてきました。再開発がますます活発になってそんな機会が増えてしまうかもしれません。後悔しないためにも気になった店の扉は、すぐにでも開けてみませんか?Text/難波里奈前回記事<純喫茶巡りを楽しめる街・高円寺にある、「ごん」の9種類のオムライス>もチェック!ボリュームたっぷりのオムライスが名物。レトロな店内が魅力的なおいしい純喫茶です。
2018年02月02日しがらみや人付き合いにストレスを感じているなら和久井は今まで、ビジネスセミナーや心理学セミナー、自己啓発セミナーから魔女の講座まで、いろんな集会に顔を出してきました。そこでどの場所に行っても、同じようなことを言われることに気がつきました。みんな「ここで学ぶと、イヤな人とは自然と縁が切れるようになりますよ」って言うんです。選ぶ手法は違っても、望むことはひとつなんですね。誰でも、自分らしく伸び伸びと生きたいんです。いかに普段、人付き合いにストレスがあって、迷いがあって、人生の指針となるものを欲しているか。みんな自分に自信を持ちたいんですね。ネットで話題の『凪のお暇』を読みました。とっても心地のいい物語です。主人公凪の心の口癖は「空気、読んでこ」。会社の同僚になにか聞かれれば、どんな答えを求められているのかを先回りして、場の空気を乱さない返答をします。そしていつも笑顔。が、なんだか痛々しい。『凪のお暇』(コナリミサト/秋田書店)1巻それもそのはず。同僚からも、密かに付き合っていた営業部エースの慎二からも、実は影でこき下ろされていたという事実に、とうとう彼女の心の糸は切れてしまいます。そしてすべてを……会社も、携帯番号も、慎二も……捨てて、新しい生活を始めます。無職になってお金はないし、贅沢もできないけど、彼女は趣味である節約に邁進しつつ、清貧生活を堪能し始めるんです。すごく今風の漫画だなと思うのは、友達作りやコンプレックスにまみれた悩める女子が主人公なところ。ひと言で言えば、暗い。70年代の少女マンガの主人公なんて「あたしは男に負けないわ!」「見てよ、木だって登っちゃう!」みたいな元気一発少女ばかりなんですよ。『キャンディ・キャンディ』のキャンディとか、少しくらい気にしてもいいんじゃないかってくらい自分がブスなことなんかぜんぜんお構いなし、自己顕示欲のカタマリみたいな人間です。『生徒諸君!』のナッキーだって、暴力的とも言える正義を振りかざして周囲を圧倒していく少女です。もう少し他人の事情を鑑みてあげましょうよ。彼女たちは『謙虚ってなに?』って勢いで我が道を行きます。あまりに強すぎ、空気読まなすぎ。彼女たちは今の時代で共感を得られるんでしょうか。人の目を気にしていたら、上っ面なことしか見えないでもね、思うんですよ。空気なんか読まなくっていいんです。自分の言いたいことを言わなくちゃ、いつまで経っても心地のいい人付き合いはできないですよ。和久井は昔から「自分を理解できない人とは付き合わなくていい」と思っていたので、空気とか読んだことないです。もちろん、友達は少ないです。いないに等しい時期もありました。それで悩んだこともあります。今はもうちょっと器用になったので人とぶつからなくなったけど、そのときそのときで、最高に楽しくて尊敬できて、気持ちのいいお友達しか周りにいませんでした。文句をつけようがないお友達しかいないから、悪口なんか言ったことがないです。それによく思うんです。人に迷惑をかけていなければ、どう生きようが、どんな趣味だろうが、どうでもいいじゃないですか。アラフィフがフリフリブリッコな格好をしようが、めっちゃヲタクだろうが、「自分の考えとは違う」でいいはずです。それなのに、多くの人が「見て見て、あの人、あんなことして!」なんて悪口言ってるなって思うんです。人を責めれば責めるほど、自分も道を外せなくなって息苦しくなりますよ。自分がそうでした。自分の意志でものごとを決めず、自分の好きなことをしていないと、他人を責めたくなるんです。でも好きなように生きていたら、他人のことなんてどうでもよくなります。悪口や文句を言うだけ、自分が不幸になっちゃいますしね。『凪のお暇』は、そうしたしがらみを全部捨てて新しい人生を踏み出した凪の、トライアルの物語です。自分を変えようと、勇気を出してなりたい自分になっていきます。すると、今まで見えなかったことが見えてくる。近所で悪口を言われている未婚の初老の女性が実はめちゃくちゃ人生を楽しんでいたり、自分のコンプレックスである癖毛が、実は誰かの癒しになったり。人の目を気にしていたら、人のことも上っ面しか見えません。それはもったいないじゃないですか。もしかしたらそこに、めちゃくちゃステキな宝物が隠れているかもしれないのに。そんな気づきを与えてくれる作品です。Text/和久井香菜子前回記事<「家族は素晴らしいものだ」の呪縛から逃げたい人へ『酔うと化け物になる父がつらい』>もチェック!『酔うと化け物になる父がつらい』は、逃れられない「家族」との向き合い方をおしえてくれる作品です。
2017年12月29日インターネットの住人に言われてしまったことby josealbafotosもう数年前のことなので言いますが、私がまだ芸術や文学などの硬めの話題以外には、あまりインターネット上で触れないようにしていた頃。たまにはいいかと思い、珍しく大々的に、自分の恋愛観をブログに書いてみたことがありました。突っ込みどころが多い内容ではあったので、方々からいろいろなご意見をいただいてしまったところまでは良かったのですが、その中に少々、気になるコメントが混ざっていまして。私が普段は言及しない恋愛の話に手を出した理由をその人なりに解釈したのか、「こいつは人生で初めて彼氏ができたもんだから浮かれてるんだ」と、見ず知らずのインターネットの住人に言われてしまったのです。当時も今も、私の恋愛に対する考え方には未熟な面があるとは思います。が、少なくともその数年前の時点では、私にはお付き合いして5年以上経つパートナーがいたので、決して「人生で初めて彼氏ができた」わけではありませんでした。なのでそのときは、「人は見えていない部分を自分が嚙み砕きやすいように補って解釈するんだなあ」と、妙な感慨にふけってしまいました。私自身も、ずっと男性だと思い込んでいたTwitterアカウントが実は女性だった……なんてことはザラにあります。「こういう発言をする人は、こういうタイプにちがいない」という早合点は多かれ少なかれ誰でもやってしまうことですが、それがどんな対象であれ、24時間365日付き添っているわけではないのだから、見えていない部分があるのは当たり前。「自分には見えていない部分がある」ということに、常に自覚的でありたいなあとそのとき思いました(なかなか難しいけれど)。隣の芝生はいつだって青い……という私の話は脇に置いておいて、「(主に好きな人の前で)素直になれない」という声を、女性の間でよく聞きます。本当は好きな人に甘えてみたいけどガラじゃないからできないとか、上手く本音が言えないとか、めんどくさい女だと思われるのが嫌だから不満を吐き出せないとか。そして、好きな人の前で屈託なく笑うことができて、素直に甘えられて、相手を手のひらで転がしながら自分のペースに巻きこんでいく力を持っている隣の女性を、「私も、あの子みたいにできたらいいのになあ」っていつも羨ましく思っている。「女性の間で」と他人事のように言いましたが、もちろん私自身も、そうやって羨ましがることはあります。だけど、そんなふうに思ってしまったとき、私はいつもあの数年前の出来事を思い出すんです。私たちには、見えない部分を勝手に脳内で補ってしまうどうしようもない癖がある。「あの子はいつも上手くいっている」と決めつけて、都合よく羨ましがって、落ち込んでいる。だけど、実際に近くにいる知人友人と話してみたり、いろいろな女性が書くエッセイやブログなんかを読んでみると、いつも素直で明るくて、好きな人に上手に甘えられて、常に屈託のない笑顔を振りまくことができている女性なんて、この世に絶対に1人もいないです。「かわいげがなくて素直になれない」のは、たぶんみんな一緒みんな多かれ少なかれ、「私はかわいげがないなあ」って思っているし、「素直になれないなあ」って思っている。相田みつをみたいになってしまいますが、だって、人間だもの! いつも本音を言うことができて、素直で可愛くいられる女性なんて、幻想の中にしかいないんじゃないでしょうか。常にかわいくて屈託のないように見えるあの子だって、それを24時間365日やれているはずがない。私たちに見えているのは、彼女の薄っぺらい表面だけです。世の中は、素敵な女性や才能を持った人であふれ返っています。彼ら/彼女らを羨ましく思うことも、嫉妬してしまうことも、減らすことは可能でも、完全になくすことはできないのでしょう。だけど、彼ら/彼女らが陰でどんな努力をしているか、どんな涙を流しているかを知りもしないで、「いいなあ、私にはできない」と指を咥えたままでいるのは、実はすごくずるいことなのかもしれない。「あの人の中には、今の私には見えていない部分がある」。難しいけど、仕事や恋愛で誰かを羨ましく思ってしまったとき、これだけは覚えておきたいと私は思うのです。Text/チェコ好き前回記事<目覚めよ本能。「自意識過剰」を手放せば、心の重荷がちょっと減る>もチェック!究極のミニマリスト・稲垣えみ子著『寂しい生活』を読んで感じた、「自分を手放す」ことの必要性。
2017年11月30日目覚めよ、本能『寂しい生活』/稲垣 えみ子(著) /東洋経済新報社稲垣さんは、東日本大震災の原発事故をきっかけに、徹底した節電生活を始めたという方。「断捨離」などというレベルではなく、冷蔵庫も洗濯機も手放し電気代は月数百円以下、さらにガス契約までやめてしまったというから驚きます。そしてそんな生活を一人で続けているうちに、稲垣さんは「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」らしいのですが……。動物的本能を取り戻すと、自分のことはどうでもよくなる「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」というのはもちろん、部屋が汚くなったとか、身なりが清潔でなくなったとかの、セルフネグレクトのことではありません。「自分が」幸せになりたい、「自分が」成功したい、「自分が」人に認められたいなどの欲望が薄まり、他の人がどうしているか、きちんと幸せでいるか、そっちのほうばかり気にかかるようになったといいます。稲垣さんによると、電気代を月数百円にまで抑えるというのはやはり小手先の技術では上手くいかなかったようで、常に電力を消費している冷蔵庫を捨てるとか、仕事が終わって家に帰ってきても部屋の照明を一切つけないとか、根本的なところから生活を変える必要があったみたいなんです。すると、たとえば照明を一切つけないとなると、帰ってきて鍵を開けたとき部屋が真っ暗なので、目が慣れるまでしばらく玄関にたたずんでいなければなりません。でも逆にいうと、しばらくたたずんでいれば暗闇でも目が慣れてくるので、お風呂に入るとか着替えるとかの日常的なことは、照明がなくても普通にできるらしいのです。このエピソードで私が思い出したのは、昨年バリ島を旅したとき、ウブドで田んぼのど真ん中にある宿に泊まったときのこと。田んぼのど真ん中なので、電灯も周囲の店の明かりも一切なく、夜は暗い畦道の中を一人で歩いて戻らなくてはならなかったんです。iPhoneの懐中電灯で道を照らしていたとはいえ、ねばり付くような暗闇は本当に怖くて、周囲で動物や虫の鳴き声がするたびにビビっていました。でもそのときの、自分の五感がフルで動く感じや、危機意識のあまり動物の本能が少し戻ってくる感じは、ちょっと楽しかったんですよね。なぜ生活の中で様々なものを手放すと「自分が」という意識が薄まるのか、その原理の詳しいところはよくわかりません。でも、「パートナーがいない」「友達が少ない」というだけで「私は孤独だ……」と思うのはもしかしたら早合点で、私たちは実は、本当にいろいろな命に囲まれて生きています。暗闇の中を歩いたり、冷蔵庫や暖房器具を捨ててみたりすると、動物的本能が目覚めるせいかそのことに気付きやすくなるのでしょう。「自分」を手放せたら、心がちょっと軽くなる久々に会った人に対して、「あれ、この人、前より明るくなったな?」と感じたことってありますか? そういうとき詳しく事情を聞いてみると、状況はさまざまだけれど、総合すると、稲垣さんが言うように「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」となっているケースが多い気がします。出産したとか、不毛な関係が続いていた恋人とお別れしたとか。「自分が」という意識を捨てられたとき、私たちはもしかしたら、今までより少し自由に生きられるのかもしれません。かくいう私はまだまだ「自分が」ばかりの人間なので偉そうなことは言えないですが、まわりの人の幸福を願うって、心が安定していないとできないことです。矛盾した言い方だけど、一人で生きているからこそ、一人で生きているわけじゃないことを、忘れないようにしたほうがいいのかもしれません。Text/チェコ好き前回記事<すぐアウトプット、すぐ評価されたい。現代人の「思いついたらすぐ言っちゃう病」>もチェック!つぶやけばすぐ反応が返ってくる現代だからこそ、一人で温め続ける思いがあれば尊い。
2017年11月25日朝起きて布団から出たくないと感じるようになり、本格的な冬がやってきたと実感するこの頃です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?外出の途中に、ふらりと立ち寄った純喫茶で飲むあたたかい珈琲が、ますます美味しい季節ですね。さて、純喫茶ととても縁があるものでありながら、苦手な方も多く、悩ましい存在である「煙草」。純喫茶をテーマとしたイベント時の質疑応答でも「禁煙席がある店を教えてください」と多く聞かれます。これだけ純喫茶に夢中な生活をしておりながら、私も煙草は吸わず、近距離で嗅ぐその匂いはとても苦手です。純喫茶以外の飲食店では必ず禁煙席を選ぶほどなのですが、それが純喫茶のこととなるとまた話は別で、恋をしているゆえの弱みのようなもので、その風景込みで愛してきたという背景もあり、自分の中で折り合いをつけられています。とはいえ、身体の事情がある方やお子さん連れの方には切実な問題であるのも確かです。そんな皆さまに、今夏より全席禁煙となった御茶ノ水の純喫茶を紹介したいと思います。全席禁煙に踏み切った、山好きマスターの「穂高」JR中央線と総武線が並走する御茶ノ水駅の聖橋口改札を出て、右手にわずか30秒ほど歩くと見えてくる「穂高」。店名が示す通り、山好きのマスターと奥様、お嬢さまにアルバイトの方々というアットホームな雰囲気がこちらの特色です。昭和30年創業、長い間どちらの席からも煙草の煙がぷかぷかと浮かんでいましたが、マスターの体調不良がきっかけで、また働く人たちの受動喫煙を防ぐため、2017年8月より全席禁煙となりました。純喫茶へ行きたくとも煙草が苦手な方たちからは喜びの声はあるものの、喫煙される常連客の中には足が遠のいてしまった方も多いそうで「前より静かになってしまいました」と二代目のお嬢さんはさみしそうに笑って話して下さいました。煙草のある風景もまた、純喫茶の醍醐味でもある今までにいくつかの純喫茶の店主たちからも、それぞれの事情をきっかけに禁煙に踏み切った話を伺いました。確固たる決断ではあったものの、しばらくの間は客足が減ってしまったり、毎日のように姿を見せてくれていた常連客たちに会えないことを寂しく思うとのこと。ただ、今まで出会えなかったような人たちがきてくれるようになったと、嬉しい側面もあるそうです。「純喫茶がとても好きで色々と行きたいのですが、煙草が苦手な場合はどうしたら良いですか?」と聞かれた時、わたしは「お店が認めているということは、その環境も込みで、そちらの純喫茶の醍醐味かもしれません。なるべく煙の少ない時間帯を見極めるなどして、自分の中で納得できる時にお邪魔しましょう」とお答えしています。「穂高」は季節を感じられる窓際の席がとてもおすすめです。店員さんたちもてきぱきと働かれていてとても居心地の良い素敵な空間ですので、煙草が苦手な方々も、吸われる方もこの時ばかりはしばし煙草を忘れて、居心地の良い「穂高」にてお好きな一杯をゆっくりと味わうのはいかがでしょうか?Text/難波里奈前回記事<焼きサンドウィッチと珈琲が絶品!マスターと楽しくおしゃべりできる純喫茶「TOM」>もチェック!映画のようなエピソードを聞きながら美味しい珈琲を楽しめる、代々木駅前の純喫茶。
2017年11月24日おひとり旅なら自分次第でいくらでも変えられるby Stokpicふらりとセブに行ってきました。池袋の東口にある西武じゃなくて、フィリピンのセブです。8日間ほどあったのだけど、初セブだったので宿は前半しか取らず、残りの3泊は現地の様子を見てから決めることにしました。日本から予約していったのは、シキホールという“黒魔術”の島。まあ、黒魔術と言ってもたぶん観光用の文句だと思います。ラブポーション(惚れ薬)を売っていたり、ヒーリングなんかをやってくれる場所がいくつかあります。その島のコテージを借りて、海を眺めつつ4日ほどだらだらしてました。さて、次にどこへ行こうか考えていたところでした。宿で一緒になった韓国人の男性が、これからドゥマゲッティという港町に行くというんです。「いいところですよ」と。彼にオススメのホテルを聞き、会う約束をして荷物をまとめ、ドゥマゲッティへ向かいました。今は、ネットさえあればどこからでも宿が予約できるところが本当に便利ですね。ホテルドットコムやagoda、Booking.comといった予約サイトを使って、好きな場所で、好きな条件の宿を探せます。サイトによって得意な地域や、登録されている宿が若干異なったりするので、気に入ったところが見つからない場合は、サイトを変えてみるとよいと思います。昔は、着いた場所の駅や空港から宿に電話をして予約したものです。求められる英語力と緊張感がとてつもなかったので、本当に便利になりました。というわけで、気軽に宿が取れるおかげで、旅行中でも行き先を自由に決められるようになりました。観光ってお天気によってやりたいことも異なってくるので、現地の情報次第で行き先を変えられると取れ高もいいですよね。その場で出会った素敵な人や物によって、旅の内容はいかように変えられます。これも、ひとり旅ならではの気軽さかもしれないですね。海外でバスは乗客を待ってくれないこうして和久井の初セブは、前半は離島でバケーション、後半は都市部の観光と決まりました。セブは比較的治安がいいと言われていること、夜の出歩きは韓国人の彼と一緒だったことで、危険な目に遭わずに過ごしました。……ただひとつのトラブルを除いて。ドゥマゲッティからバスでセブの中心部に戻ろうとしたときのことです。途中、バスごとフェリーに乗って小一時間ほど海を渡るところがありました。バスがフェリーに乗り込むと、乗客たちはバスから降りてフェリーの客室へ移動しました。ベンチに座っていると、「フェリー代を払え」ときっぷを持った男性がやって来ます。え、バス代の他にフェリー代も個人で払うの?だったらバスから降りなければフェリー代はなし?もうまったくシステムがわかりません。下船間近になり、お手洗いを済ませてからバスに乗ろうかな、と思ってトイレに入ったんです。で、出てきたら、バスがすでに発車してるじゃないですか!ちょっと待て! なぜ置いていく?慌ててバスの進路を遮り、乗り込みました。運転手やスタッフ、乗客たちが和久井に向かって何か茶化して笑っています。そんなん知るかー! ああびっくりした。出発の際に人数確認とかしないんですかね。もうまったくシステムがわかりません。どうやら和久井は、海外でバスに置いていかれるという運命みたいなんです。これは、トルコに行ったときのお話。バスで12時間という長時間の移動をしていたら、途中で体調を崩してしまったんです。深夜のパーキングエリアにバスが止まったので、急いで降りて、汚物の処理をしました。で、ヨロヨロとトイレから出たら、なんと勢いよく自分の乗っていたバスが走り始めているじゃないですか。トルコの、深夜の、山奥のパーキングエリアですよ。置いて行かれたら、どんな目に遭うかわかったもんじゃありません。吐いた直後に、バスを追いかけて全力疾走です。サザエさんの数倍辛い。しばらくすると運転手が気づいたようで、バスを止めてくれました。こっちはもう半べそです。そのバスには運転手の他にスタッフが1人いましたが、どうやら彼が人数確認を怠ったようで、運転手に叱られてました。恨み言を言おうにも、なんとそのバスには英語が通じる人が一人もいませんでした…。あの経験を思い出すと、たいていの旅のトラブルは平気な気がしてきます。海外では、バスは乗客を待ってくれません。これからはバスを降りる際に、「俺は降りるぜ、覚えてろよフーゥ!」みたいに主張することにします。Text/和久井香菜子前回記事<即ご利益あり?振られた彼から連絡がきた…高知県・鳴無神社の縁結び>もチェック!縁結びのパワースポット、高知県・鳴無神社へ。そのご利益のほどは……。!?
2017年10月23日褒められたら嬉しい。でも必ずしも評価される訳じゃないby Kyle Broad突然なんだという話ですが、人に褒められると嬉しいですか? もちろん嬉しいですよね。私もすごく嬉しいです。程度の差こそあるものの、人に褒められて嬉しくない人はなかなかいないと思います。人間が仕事をする主な理由は生活費を稼ぐためだけれど、社会やまわりの人と関わる中で承認を得たいからというのもある。一生働かなくてもいいほどの大金を手に入れたとしても、2~3年ふらふら遊んだらだんだん飽きて退屈になってきて、猛烈に何かがやりたくなったりするんだと思います。褒められたら嬉しいし、やる気も出る。それは誰だってそうだし、悪いことではないです。でも、自分の行いが常に他人に評価されるかといったら、残念ながらそうとは限りません。評価してほしいところで評価してもらえなかったり、逆に「え、そこ?」という部分で褒めてもらったり。他人のことは自分でコントロールできないから、「他の人からの承認」に自分のモチベーションをすべて依存してしまうと、浮き沈みが激しくて情緒不安定になってしまいます。現代に生きる私たちの「思いついたことすぐ言っちゃう病」先日、クリストファー・ノーラン監督の新作『ダンケルク』を映画館で観てきたんです。第二次世界大戦中のダンケルク海岸における、英仏連合軍の撤退作戦を描いた作品です。いろいろなインタビューによると、『ダンケルク』の構想のきっかけとなった体験は25年も前。友人と、小さな船に乗ってドーバー海峡を19時間かけて渡ったそうなんですが、その体験がものすごくキツくて印象に残っていたらしい。いつか映画にしたいとは思っていたものの、25年前のその時点では、自分の映画監督としての技術に自信がなかった。だから、今回になってやっとそれが実現したわけですが、25年もの間、ノーラン監督は他の作品を製作しつつ、構想を温め続けてきたということですね。ノーラン監督は、ゴシップや興味のないニュースに時間を奪われるのが嫌なので、スマホをあまり使わないんだそうです。ということはおそらく、SNSも積極的には見ていないのでしょう。でも、もしノーラン監督がドーバー海峡を渡ったのが今で、しかも彼がTwitterをやっていたら……「ドーバー海峡めっちゃ荒れててワロタ」「まじでキツい」「最高にキツいので映画化しようと思う」とか、すぐ言っちゃうと思うんですよね。そして、それがたくさん「いいね!」されるなりリツイートされるなりして、すぐに実現しちゃう。もしくは、あまり反応がなくて、「あ……もしかして、ドーバー海峡がキツい話、つまんない?」と思って、その時点で諦めちゃう。これって、どちらもすごくもったいないと思うんです。前者のように、話が早くていいという考えもあるかもしれない。だけど、「自分の中で期が熟すのを待つ」「技術がそこまで到達するのを待つ」ということを、現代の私たちはなかなかできなくなっていると感じるんです。「思いついたことすぐ言っちゃう病」です。すぐにアウトプットしたい、すぐに評価されたい。そしてそれこそが最善であるという風潮ができています。だけど、出来上がった『ダンケルク』を観ると、ノーラン監督があまりスマホを使わない人で良かった、25年前にTwitterがなくてよかったと、きっと多くの人が思うはず。『ダンケルク』は、ノーラン監督が今の技術で、今のタイミングで製作したからこその作品であると、私は思ったんです。たった一人で「温め続ける」思いがあってもいいまわりの人から褒められたい、承認されたいという思いは誰もが持っているし、もちろんノーラン監督だって例外ではないでしょう。映画がヒットしたら嬉しいし、興行成績が振るわなかったら落ち込むと思います。人間が社会的動物である以上、モチベーションを完全に自活するのは難しいけれど、他者からの承認にモチベーションを依存するのは、簡単な代わりにとても不安定です。せっかくのアイディアを失ってしまう危険だってある。「まだ誰にも言ってないんだけど、私はこれをすごく面白いと思ってる!」という事柄を、1つや2つ抱えていてもいい。期が熟すのを一人で静かに待っていてもいい。なかなか出来なくなっているからこそ、一人で「温め続ける」ことはとても尊いのではないかと、『ダンケルク』を観て思いました。そんな「ドーバー海峡がキツい話」、もとい英仏連合軍の撤退作戦を描いた本作、ぜひ観に行ってみてください。IMAXは迫力満点だけど、酔います(私だけ……?)。Text/チェコ好き前回記事<「孤独死」ってそんなに怖い?私はむしろ理想の最期です>もチェック!孤独死って、考えようによっては案外悪くないものかもしれません。
2017年09月30日矛盾を抱えていても放棄できない「家族」世の中には、自己啓発や心理、癒しなど、いろんな講座やサービスがありますね。和久井はいろいろ顔を出していて、モロ自己啓発のセミナーに行ったこともあるし、占い系の講座やビジネスセミナーにも顔を出したことがあります。これらはまったく方向性の異なるセミナーですが、意外なことに言っていることはすべて同じでした。それは「自分の心の声を聴き素直に生きること。そうすれば自然に自分と合わない人は距離ができて疎遠になる」です。ビジネスでもプライベートでも、どれほど世間体や周りの意見に流されてしまう人が多いのでしょうか。そしてそれで多くの人が悩んでいるようです。無理して誰かとつき合う必要も、自分を押し殺す必要もないんだということを、あらゆる手段で教えられないと、実行できないようなのです。自分に合わなかったり、不快な思いをさせられる人とは、距離を置けばいい。他人ならやりやすいですね。でもそれが家族だったら……? ハードルはもっとグッと高くなります。私たちは子どもの頃から「親に感謝しなさい」「親を尊敬しなさい」と教えられてきます。高校受験の模擬面接で「尊敬する人は両親」と答えるのが模範的回答でした。今はそれほど強制されないとは思いますが、それでも「家族という見返りのいらない相互労働関係」に社会はずいぶんと依存しています。子育ても介護も、家族内で完結していれば、社会保障はいりません。私たちは「家族は素晴らしいものだ」と教えられ、家族がどんなに矛盾を抱えていても、そこを放棄することは許されないプレッシャーを植え付けられています。『酔うと化け物になる父がつらい』は、毎晩のように泥酔する父親と、宗教にはまっている母親に育てられた女性のノンフィクションです。ストーリーは、幼少期、クソ男とつき合っていた青年期と、父の介護という大まかに3つのパートに分かれています。(c)︎菊池真理子(秋田書店)2017私にも将来、親を介護する時が来るかもしれません。事実、自分の子どもには自分と同じように結婚をして子どもを産んで、企業に勤めるべきだという親の期待は、今度は「自分を介護して欲しい」に変わったようです。それにはハッキリ「あなたたちの世話はしたくない」と告げました。親の飲酒に悩むわけでも、経済的に負担がかかっているわけでもありません。冷たいでしょうか。でも私はこれ以上、親の都合に振り回されたくないのです。それでも、いざというときになってすべてを否定できるかはわかりません。親を拒否しても心は晴れません。だからといって、したくない約束をする気にもなれません。どういう選択をしても、恐らく気持ちが晴れることはないのでしょう。この面倒くささこそが「家族」だと思うのです。その、家族から与えられた孤独感を埋めてくれる誰かを、私はずっと探しているんです。以前、親しかった女性から聞いた言葉を思い出します。「人間は、どうしようもなく孤独なんです。それがわからないうちは、幸せにはなれませんよ」家庭環境に関わらず、多くの人が孤独を感じているのかもしれません。過干渉でも、不干渉でも、どちらも人は満たされません。そのどうしようもないさみしさを、お酒で埋めようとする人もいれば、セックスで埋めようとする人もいる。宗教や占いに頼る人もいれば、何かのセミナーに夢中になる人もいる。「酔うと化け物になる父がつらい」に登場する人たち……父親、母親、DVの彼氏、主人公、妹と、誰もが孤独や自己肯定感と戦っています。家族がいても、ひとりでいても、孤独なのは同じかもしれません。家族に対するモヤモヤとした気持ちは親から子へ受け継がれて、輪廻のようにグルグルとめぐっているのでしょう。だから『酔うと化け物になる父がつらい』のテーマである「親の飲酒」が自分に当てはまらなくても、描かれている多くのことが胸に刺さり、共感を呼ぶのだと思います。とても、辛い作品です。家族を許しても、許さなくてもいいのだと思います。自分ができるようにしかできないのだから。Text/和久井香菜子前回記事<連載40年、既刊62巻。少女マンガの名作『王家の紋章』で自宅にいながら大冒険へ>もチェック!時間がたくさんある大型連休だからこそ、超長編の少女マンガをゆったり楽しむチャンス!
2017年09月29日第23回「プレッシャーで自炊する」(c)つめをぬるひと今回は「日々の忙しさにかまけて外食ばかりになってしまう」という投稿。一人暮らしをしている人の自炊事情は様々。もう10年一人暮らしをしている私も、自炊についてはかなり波がある。まずは学生時代。昼は学食、夜はサークルの先輩達とご飯に行くこともあったので、朝に自炊することが多かった。学校に行かない日の夜ご飯は極力作るようにしていた。社会人になってからは、勤めていた仕事がかなり激務だったため、ほぼ外食ばかり。1人でラーメン屋や牛丼屋に入ったり、行ったことのない飲食店に1人で入ってみることに慣れたのもこの時期。私が上京してから知った店の情報はだいたいこの時期に得た。そして、転職して4年ほど経った現在。以前よりは時間に余裕が出来て、自炊をすることも増えた。最近になって気付いたことがある。一人暮らしだとスーパーで野菜を大量に買うことを渋る傾向があるけど、逆にたくさん(量というよりも種類)買っておいたほうが「腐らせてはいけない」というプレッシャーが生まれ、自炊しよう(というかしなければならない)気持ちになれる、ということだ。そんな自分のメンタルをうまく利用して自炊が増えたのかもしれない。とはいえ、朝が弱いので弁当は全く作らない。夜に外食を全くしないわけではない。自分にとって無理なく、程よくプレッシャーを与えながら自炊をするスタイルがちょうど良い。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<各々がクリエイティブ>もチェック!幸せそうなSNSの投稿が、その人自身を表しているわけではないのです。
2017年09月18日晩年をだれと過ごし、死にたいか?by Arieth「年をとったら、かわいいおばあちゃんになりたい」って、一時期みんな言ってた気がするけれど、あなたはどうですか?私はというと、「かわいいおばあちゃん」にはなれなくてもいいけど、頼むから料理ができない若者をバカにするテレビ番組を見て喜ぶ老人にだけはなりたくないと、強く思いながら日々を過ごしています。それはいいとして、20代や30代くらいだと、まだまだ自分の「死」や「最期」をリアルには想像できません。だけどぼんやりとなら、「晩年をだれとどんなふうに過ごして、そして死にたいか」なんて問題を、考えたことがある人も少なくないはずです。「孤独死」、むしろ理想の最期では?東京都写真美術館にて9月18日まで、『コミュニケーションと孤独』という展覧会がやっています。平成になってから普及したインターネット、SNS、そして孤独死の問題などを、現代の写真家たちがどのように捉えてきたかを知ることができる展示です。今回私が注目したのは、その中でも郡山総一郎氏の「Apartments in Tokyo」というシリーズ。これは、アパートで孤独死を遂げた人々の、生前に遺した部屋を撮影した作品群でした。「Apartments in Tokyo」に登場する部屋は、いかにも「孤独死を遂げた人の部屋」という感じで、見ていてあまり気持ちのいいものではありません。洗濯物が室内干しにしてあったり、炊飯器の中にごはんが残っていたり、醤油の瓶が机の上に置いたままになったりしています。布団にはシミがあって、干していないのかぺたんこに潰れていたりして。ですが、「気持ちのいいものではない」とはいえ、なぜか私は「Apartments in Tokyo」の部屋に、嫌な感じはあまり抱きませんでした。これを見て、「こんなふうに一人で晩年を過ごして、最期をむかえるなんて嫌だなあ」と思う人も中にはいるでしょう。だけど私はどちらかというと、「まあ人間だもの、しょうがないよね」という印象だけが残ったのです。「孤独死」というと、一般的には独身者の問題として連想されがちです。しかし、たとえ結婚していたとしても、妻や夫と同時に旅立つということは無理心中でもしない限りほとんどありえないわけで、つまりパートナーがいる人であっても、最期には必ずどちらかが一人で残る。子供がいる人であっても、昨今は老後に子供と同居するのはレアケースだといいます。本質的には、孤独死のリスクから逃れられる人はだれもいません。感想を強要はしないですが、「こんなふうになるなんて嫌だ」と思うより、「こうなったらまあこれはこれで」と思っておいたほうが、自分にも他人にも優しい気はします。そして今つい「リスク」という言葉を使ってしまいましたが、一人大好きの私は最近、「よく考えたらむしろ、孤独死って理想の最期では……?」と考えるようになってしまいました。以下はそんなわけで、私が考えた「ここが最高!」な孤独死のポイントです。ここが最高!孤独死のハッピーなポイントまず、孤独死の最大のハッピーポイントは、「慣れ親しんだ自宅で死ねる」ということではないでしょうか。病院でたくさんのチューブに繋がれ、家族や友人に手を握られて……なんて最期も悪くはないですが、たとえ一人であっても、思い出がたくさん詰まった自宅で最期の瞬間を迎えられるというのは、考えようによっては悪くない気がします。それから「死」を考えるときによく出てくる命題として、「あなたは愛する人よりも先に死にたいですか? 後に死にたいですか?」というものがあります。前者派の人にとってはやはり自分の最期として孤独死は望ましくないでしょうが、後者派の私にとっては、「孤独死=大切な人の最期を見届けることができた(後に大切な人を残さない)」ということで、こちらもやはり考えようによっては悪くない。もちろん、自宅で一人亡くなってから何日も見つからないままでいると、後に発見する人や清掃業者に面倒をかけるので、自分の身に異変があったらなるべく早くまわりに気付いてもらえるよう、日頃のコミュニケーションや手配は怠りたくないところですが。孤独死は現在、貧困など社会的弱者の問題と絡むので、なかなか諸手を上げて「理想の死に方だ」とは言えない部分もあります。でも、社会の高齢化が進むにつれて、孤独死が珍しい死に方ではなくなることはほぼ確実です。「死後に発見しやすいしくみ」さえ作れたら、一人で死ぬこと自体はそんなに怖くないと私は思うのですが、どうでしょうか。理想の晩年と死に方の話、ぜひ考えてみて下さい。Text/チェコ好き前回記事<「ひとり」も「ふたり」も、どの関係が尊いかなんて他人にはわからない>もチェック!二人でいるのに孤独を感じることのほうが寂しいかもしれない。
2017年08月29日「ひとり」か「ふたり」かなんて、本当は外からはわからない西川美和さんの『永い言い訳』を、映画でも原作小説でも、ご覧になった方はいますか? 妻を交通事故で亡くした主人公が、同じ事故で妻の友人を亡くした遺族と、交流を深めていく過程を描いた作品です(私は原作小説で読みました)。そんな『永い言い訳』の特筆すべき点はやはり、「愛する妻を失った夫の物語」ではない、というところにあると思います。「愛する妻を失った夫の物語」であれば、映画や小説の主題として考えた場合、取り立てて珍しいテーマではありません。『永い言い訳』は、「もう結婚してからずいぶんと期間が経っている、愛しているかどうかよくわからない妻」を失った夫の物語なのです。「愛のない夫婦」は本当に冷たいか主人公の幸夫は妻が亡くなったという知らせを聞いても、茫然自失としているだけでまったく悲しみを表しません。一方亡くなった妻の夏子も、幸夫に対する愛情はとうの昔に薄れていたことが、死後になって発覚します。だけど、もう愛してなんていなくても、長く同じ時間を過ごしてきた相手には、愛と見分けがつかない情があります。『永い言い訳』はその、「男女や夫婦の愛ではない、だけど大切な人に対する思い」というのが描かれていた作品だったと思うのです。もう一つ似たような夫婦の情を描いた作品で、池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』で、私がすごく気に入っているシーンがあります。フランス革命によって夫婦そろって追い詰められ、最終的にアントワネットの夫・ルイ16世が死刑台にのぼることになってしまった際のエピソードです。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」のセリフで悪名高いアントワネットはそれまで、豪華な服やギャンブルで浪費し放題、さらにスウェーデンの伯爵フェルゼンとの不倫の恋に溺れていた、とんでもない妻でした。そんな彼女が、死に際に冴えなかった夫・ルイ16世への思いを独白しているシーンがあります。いわく、不倫相手であるフェルゼンに抱いたような熱い思いを、夫に向けたことはなかった。だけど、長年連れ添ってきた夫には淡い情のような感情があって、これだって愛に違いはなかったのではないかというのです。そうして、心の内で自分の思いを噛み締めながら、死刑台にのぼる夫を見送ります。「夫婦」と一言でいっても、愛し合っている夫婦もいれば憎み合っている夫婦もおり、またほとんど何の感情も抱かず、お互いを空気のように思っている夫婦もいます。そしてそれぞれの関係において、二人の間にあるのが「愛」なのか「打算」なのか「情」なのかというのは簡単には見分けがつきません。多くの人が憧れるのはそりゃ「愛し合っている夫婦」だろうけど、どの関係が尊くて、どの関係が尊くないか、なんて一言ではなかなかいえないのではないでしょうか。『永い言い訳』や『ベルサイユのばら』を読むと、私はそんなことを考えるのです。だれがどんな思いで、だれといるかはわからないとなると、ひるがえって我々「おひとりさま」だって、夫婦以上に多様な存在のはず。「おひとりさま」は一般的に、独身者のことを指すのでしょう。さらにいうと、恋人がいないとか、友達が少ないとか、大勢といるよりも一人で過ごすのが好きだとか、いろいろな要素を連想させる言葉です。だけどそんな「おひとりさま」であっても、家族や友人、あるいはそれ以外の関係の人で、大切に思う人、情や因縁で離れられない人がいるということもあるわけで。外から見たら「ひとり」だけど本当はひとりじゃないということもあるし、外から見たら「ふたり」だけど実際はひとり以上にひとりだった、というケースもある。だれがどんな思いで、だれと関係を結んでいるか・いないかは、外からは絶対にわからないものです。「ひとりでいるのって寂しいでしょう?」と人に言われても、その人に私たちの真の姿が見えているわけではありません。本当に寂しいのは、実は「ふたり」でいるその人のほうかもしれない。だからやっぱり、他人の視線に傷付く必要なんてないんだと思います。外からは、私たちの実態は見えないのだから。だれがどんな思いを抱えているかはわからない。「ひとり」とか「夫婦」とか「子持ち」とか、そういう外からわかる枠組みだけで境界線を作りたくないなあと、最近の私はよく思います。Text/チェコ好き前回記事<「好きな絵は?」親しいあの人に不意打ちでぶつけてみたい質問>もチェック!どうせなら「えっ、考えたこともない」という質問を親しい人にぶつけてみてはいかがでしょう?
2017年08月25日女性が一人旅できるのは日本だけ?by Fabrizio Verrecchia一週間ほど前に、オーストラリアのゴールドコーストに行った。今回も、もちろん一人旅。普段は会社員なので、5日間のお盆休みを利用した3泊5日の滞在。普段よく訪れる、あまり観光地化していないところと比較すると、オーストラリアは治安もいいし交通の便もいい。テーマパークやショッピングモールなどがたくさんあって、観光だってお買い物だって楽しめる。物価も高いけれど、かなり旅行のしやすいところだなあ、なんて思っていた。今回のオーストラリア旅行はさておき。一人で色んなところに行っていると、色んな人と話をし、知り合う機会がある。そこでしみじみ思ったのは、「女性の一人旅ができるのって、日本人だけなのではないか?」ということだった。もしかしたら、女性一人で食事をしたり映画を観たりできるのも、日本人だけかもしれない。イスラム教・ヒンドゥー教の女性、特に未婚の若い女性であれば一人旅なんてありえない。そもそも、一人で行動することすらない。アジア人は、相当なお金持ちでもない限り、家族旅行や新婚旅行以外でどこか外国に行くことはない気がしている。お隣の中国・韓国も、日本人と文化や考え方が一番似ている気もするけれど、一人で旅行をしている姿をみたことがない。大体、同性と旅行をする傾向にあると思う。最も自由そうな欧米はどうかなのかというと、おおむねカップルで行動している。欧米であれば、LGBTに対する差別も日本ほどないのだけれど、とりあえずペアを作らなければいけないというか、パートナーと一緒になって行動するのが当然なんだ。高校卒業時にも、男女のペアで踊らなければならない「プロム」と呼ばれるパーティーだってあるし。欧米人から見ると、私のように長年恋人もおらず、恋愛の始め方すら忘れてしまったような女はあり得ない存在だったりする。私もここまでモテないのはあり得ないと思っているけど。日本人よりもずっと恋人を作るというハードルが低い(気がする)ため、「なんで君には恋人ができないんだ! 信じられないよ!」「この国に住めば、すぐに恋人ができるよ!」とも言われたことがある。なんでできないのかは、私だって知りたい(笑)。≫【番外編】あたそさんが外資系コンサルとランチデート!?一人行動に制限がない日本の心地よさ様々な宗教や価値観があり、常識とかその国の当たり前のことが、時に人の行動を制限したりしている。でも、幸か不幸か日本人は無宗教である人が多く、高校卒業時に男女ペアで踊るパーティーだってない。「ひとりで可哀想」と思われることも時にはあるけれど、「一人で行動するなんて、あり得ない!」みたいな考え方の人なんて、そう多くないはず。日本人女性が一人行動を制限しているのは宗教観や価値観ではなく、ただ「寂しいから」とか「言葉が通じなくて、怖いから」とか、自分の中で解決できる問題ばかりだ。「寂しいから」「怖いから」という不安は思い込みみたいなもので、一度決心し、なんとなく行動してみれば案外簡単に乗り越えたりする。旅行を好きになって、色々な国を周るまでは「なんて日本は一人で行動することに冷たいのだろう」なんて思っていたりもしたけれど、今なら真逆だということが分かる。日本ほど、女性が一人で行動しやすい国は他にないんじゃないかと思う。一人向けのサービスもあるし、牛丼屋やラーメン屋など、一人で入るべき飲食店もたくさんある。こんなこと、色んな国に行って、様々な文化に触れなければわからなかったことで。周りからの制限もないし、幸い、私の単独行動に文句や不安を申し出て来る人もいない。元々、一人でいることも好きだったけど、理解を示してくれる人も多く、かなり過ごしやすい環境が整っているんだろうな、と思う。居心地が悪いと感じていた日本が、ちょっとだけ好きになれたような気がする。Text/あたそ前回記事<集団で目標達成が苦手なわたしが「ひとり遊びの天才」になった理由>もチェック!自分の好きなことを知っている。そしてそれは、人と楽しむ趣味である必要はない。
2017年08月22日第21回:「転職の行先」(c)つめをぬるひと今回の作品は、「現状に満足はしているけれど、ライフステージを考えると迷ってしまう」と、転職に悩む女性からの投稿に寄せて。さて、私が今の「つめをぬるひと」という活動を始めたのは転職がきっかけだった。前職が食品を扱う職業だったため、ネイルは禁止されていた。というかそれ以前に、私は昔からネイルには全く興味がなかった。2年勤めた前職はかなり激務だったため、退職後の開放感といったら凄まじいものだった。とにかく行きたい場所に行ったり、やりたかったことをやってみたり、当時の行動力はインドアな自分でも引くほどだ。その中でなんとなく、本当になんとなく始めたのが「爪に色を塗ってみる」ということ。モデルのkanocoさんが、爪先にちょこんと色を乗せるその爪が可愛くて、なんとなく始めてみたのだ(「kanocoネイル」で画像検索すると出てくる)。そこから自分の好きな柄を描いているうちに、現在の職場の人から「つけ爪にして売ったらどうか」と言ってもらったり、他にもいろいろなことが重なって、今の活動に至る(ここはかなり端折っている。)ちなみに、その職場の人にこの話をすると「そうでしたっけ?」と言われるのだが、おそらくふんわりした感じでぽろっと仰って、それを私が真に受けてしまっただけなのかもしれない。でもその一言がなかったら、私は「つめをぬるひと」じゃなかったかもしれない。転職は仕事以外のことでも、面白い方向に進むきっかけになることがある。下手に転職をゴリ押しするような無責任なことは言えないけれど、私はやってみても良いんじゃないかと思う。今回はそんな、思いもよらない方向に進んでいく様子を描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<出会い方は千差万別>もチェック!「多様な出会いの中での人との関わり」がテーマの爪です。
2017年08月21日1ヶ月3万円。京都で短期移住してみた。(c)kentaro Ohno今年の1月、1ヶ月間だけ京都に住んでいました。新規のシェアハウスが格安の家賃で住人を募集していたので、「えいや!」と行ってみたんです。月額30,000円でした。シェアハウスのいいところは、家具がすべて揃っているので、すぐに生活ができることですね。格安だったとはいえ、東京の部屋は借りたまま。京都の部屋とダブルで借りた状態だったので、赤字にならないか心配でした。だけどかなり慎ましく生活をしていたので、むしろ普段よりもお金がかからなかったかも。なにしろ近所に友達がいないから、飲み会とかがないんですよ。ずっと自炊してたのでエンゲル係数低い上に、和食ばっかり作っていたので痩せました。予想外の効用です。新規のシェアハウスなどはオープニング価格で破格の値段で住めることが多いので、気軽にチャレンジできますよ。1度、京都には長期で滞在したいなと思っていたんです。普段の旅行だと、時間がないので観光地らしいところばかりに足を運んでしまいます。だけど1カ月もあると、気分的に余裕が生まれるので、普段しないことをいっぱいしてました。そのひとつが「大学の授業に参加する」です。京都造形芸術大学の本間正人先生に「先生の授業に参加したいなー」などと言って、大学生たちの授業風景を覗かせてもらいました。ディスカッションをたくさんやる授業だったんですが、その決まりが「人の意見を否定しない」なんです。それがどんなに大切なことか。たいていの人は、親や周囲からダメダメ言われて育つんです。若いうちはとにかく生きづらい。自分もこんな先生に教えてもらいたかったなあ、なんてウルウルしてしまった。幼稚園や小学校、大学など、同世代が集合するところに行くと、たいてい1人、キラリと光る子がいるんですよね、目の付け所が違ったり、努力の幅が周囲に比べて圧倒的に大きかったり。「これは将来楽しみだ!」っていうか。大学なんて東京にいっぱいあるから、わざわざ地方に行ってすることでもないような気もしてたけど、とても刺激になる数日間でした。新しいことのチャレンジや自分の生活を見直す機会に長期滞在だったので、移動にも時間がかけられました。青春18きっぷを買って、東京から京都まで9時間かけて移動してみたりもしました。いつ着くのかわからないほど遠かったけど、やってみると意外に発見がたくさんありました。新幹線ができる前は、みんなどうやって移動していたのかしら? なんて疑問に思って周りの大人に聞いてみたり。ミニマムな荷物しか持たずに移住してみたのだけど、意外と不便さも感じませんでした。暮らしているうちに荷物ってどんどん増えてしまうけれど、実は必要なモノってほとんどないんですよね。断捨離の準備にいいですよ。いるものといらないものが明確にわかります。下着類もほとんど持っていかなかったので、こまめに洗濯をしてローテーションをしていく規則正しい生活も楽しかったです。そうそう、家計簿もつけてみました。普段はすぐにやらなくなっちゃうんだけど、1カ月限定ならやり通せます。どんなことに自分がお金を使うのかがよくわかりました。「食費を2万円に抑えよう」なんて自炊をがんばったりして、すごく健康的な生活をしていたかも。それもこれも、短期間だからやる気になるわけで!基本的に窓から緑の見える風通しのいい部屋が好きなので、住む部屋は田舎が多いです。そのため都心部に住んだことはあまりないのですが、京都の部は市役所そばの、中心部でした。な、何でも買える……! なんて、今さらながら利便性の高い場所っていいななんて思ったり。田舎好きとか言ってるけど、実は超高級マンションなら都心に住んでもいいのかも……スノッブすぎか?なにも考えずにトライした短期移住だったけど、普段やらないことにチャレンジする機会にもなったし、自分の生活を見直す機会にもなりました。なのでこれ、めちゃくちゃオススメです。別に遠くの町に引っ越す必要はないと思うんです。住んでみたかった場所や、引っ越し予定の街、自宅よりちょっと田舎、会社のそば……1カ月なら何でもトライできちゃいます。やってみたら意外と平気だったとか、予想外に辛かった、なんてこともあるかも。知らない街で一人過ごしていたら、なんだかすごく淋しくなっちゃって出会い系アプリをはじめてしまいました。普段は知らない人に会う元気ってあまりないんだけど、何人かとやり取りして実際に会うことになりました。そのうちの何人かとは、未だにやり取りしています。彼らと知り合うきっかけを溯ると、京都への短期移住なんですよ。わらしべ長者みたいですね。おひとりさまだからこそできる短期移住。何か行き詰まってるとか、恋人と別れて淋しいなんて人には特に心機一転、自分を見つめ直すのにぴったりです。Text by 和久井香菜子前回記事<おひとり旅で体調不良に!?そんな私を助けてくれた壱岐島の人たち>もチェック!お一人旅中に、体調不良になってしまった和久井さん。突然のトラブルに島の人々は優しく対応してくれたそう。
2017年08月02日第19回:「一人暮らしはタフになれる楽園」(c)誰に見せるでもない爪今回は、一人暮らしを始める女性からの「何かアドバイスをください」という投稿。私は上京して10年になる。それまでは訳あって高校3年間、家事は親の分もほぼ一人でやっていたため、一人暮らしを始めた時の「一人分がこんなに楽だとは」という感覚は、端から見れば奇妙かもしれない。社会人になってからは、より一層肩の荷が下りたような気がして、いろいろ楽しめることも増えた。近所のラーメン屋に通う。スーパーで買ったことのない食材を調理してみる。午前中には掃除洗濯を終わらせて、午後はがっつり制作に充てる日もあれば、朝までドラマを一気見して、ベランダに出て、朝帰りする人々を眺めてから寝る日もある。食糧はどれくらい買うのが適量か。お風呂で歌う声は外まで聞こえるのか。次は何の石鹸にしようか。毎週日曜の昼になると、街宣車並みにB’zを流して走る車がいて、その度にテンションが上がる。平日23時頃になると現れる「頑張って聞いても何の曲か分からない熱唱」で通る自転車の人が、星野源を歌っていると分かった瞬間はスッキリした。人はそれを騒音と言うかもしれない。しかし住めば都というか、慣れというか。「お、今日も来たな」と手を止めて聞き入ってしまう。毎日聞こえるわけじゃないから、できることかもしれないけど。早いうちから家事をやっていれば、一人暮らしも苦労せずに楽しめるのか? と聞かれると迷う。本当は一人暮らしに苦労したほうが、親のありがたみを感じることができるし、そのほうが気持ちとしては健康的だったかもしれない。私から言わせれば、一人暮らしは「タフになれる楽園」だ。いずれそこから脱する時が来るのだとしたら、一人暮らしの醍醐味を早く見つけて楽しんだほうが勝ち。今回はそんな一人暮らしの、内に秘めた楽しさを描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<意外と人は他人に興味がない。ならブレずに自分を出していけ>もチェック!「人の目は気にしつつ&気にせず」がテーマの爪です。
2017年07月24日第18回:「人の目は気にしつつ&気にせず」(c)誰に見せるでもない爪今回は「人の目が気になってしまい、思うように行動できない時があります」という読者投稿。私もTwitterで何かをツイートする時、いろんな人が見ていると思うと、言葉を選ぶことはある。昔からの友人も見ている。会社の人も、なんなら実は父親も見ている。でも個人的に思うのは、自分が思ってる以上に、人は他人に関心がないということだ。人の行動についてとやかく言ってくるような人は、「暇でやることがなくてただ攻撃したい」あるいは、「その人のことが大事で言わずにはいられない」のどちらかで、そう思えば身軽だ。今回の投稿にある「人の目が気になって」というのはSNSに多い気がする。たとえば、Twitterで時々目にする「SNSに政治的意見を書くか否か問題」。個人の自由、と言ってしまえばそれまでだけど、政治的意見やリツイートによってその人本来の活動内容が埋もれてしまい、「ところでこの人は一体何をやってる人なんだ?」と思う人はたまにいる。そもそもSNSを表現目的で利用していない人は該当しないだろうけど、その人の素晴らしいものが他で埋もれるのは、確かにちょっともったいないと思う。もちろん主張したい時だってある。でも、ちょっと政治的意見をツイートしようものなら、フォロワーがごっそり減ることだってある。ただ、それを含めて見ていてくれる人と、そういうものは求めていないという人。どちらも間違っていないと思っている。要は程度の問題だし、こういうことも含めてSNSは面白い。友人も、会社の人も、父親も見ているんだから、いや見ているけども、気にしつつ&気にせず。あくまでも伝えたいことは、自分のやりたいことからブレることなく伝えたい。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<現状には満足できない。でも、自分を誇れる自信はある>もチェック!「成長を求めることと無いものねだり」がテーマの爪です。?
2017年07月10日誰かと思い出を作るためじゃない私の趣味は、ほぼ100%と言っていいほど、ひとり遊びで形成されている。「ひとりでいることが好き」というと、「寂しくないの?」「誰かとやった方が楽しいんじゃないの?」と聞かれることがよくある。じゃあ、誰かと一緒にいることだけが正解で、他者と共通項を見つけることだけが趣味を見つける理由なんだとか、ひとりでいることに否定的な意見を言われる度に、ふと立ち止まって考え込んでしまう。小さい頃から、趣味と言えば、ひとりでできることばかりだった。読書とか、工作とか、ゲームとか。学校に通うようになって、友達がたくさんできるようになった。女子特有のグループでいるようになったとしても、同じような趣味を見つけることができても、同じ趣味をしている人を見つけられることはなかった。今でも変わらず、ひとりの趣味は続いている。予定のない日ができる度に、時間も気にせず朝から無計画にふらっと出かけ、まだ明るい時間のうちに帰ってくる。というのが私は今でも好きで、とても大切な時間だったりする。趣味の内容は変わってしまったとしても、相も変わらず大体ひとりで行動してしまうし、たぶんこれからも私の中でのひとりの趣味が、誰かと思い出を作るための趣味より重要になることはないんだと思う。「誰か」を待っていたら、一生の後悔になるかもしれない「ひとりで寂しくないの?」と聞かれることもあるし、「誰かと行った方が楽しいんじゃないの?」とも言われたこともある。たぶん寂しいし、きっと誰かと行った方が楽しいんだろうと思う。そんなこと、私はとうの昔から知っている。旅行だって、映画だって、ライブだって、観劇だって、美術館だって、なんだっていい。誰かと一緒に行って、意見を交換したり新しい共通の話題を見つけるのは、人と関係を築いていく上でとても重要なんだろう。誰か特定の人と思い出を作るために、どこかに出かけて同じものを見て、同じ経験を共有するのはいい。でも、目的が何か先にあって、「誰か」が現れるまで待っていたとしたら、たぶん私は何もできない人生だったんじゃないか? そう考えると、少しゾッとする。私にとって、他人の目を気にせず、ひとりでできることであればなんだって挑戦するのは、自分にとって大きな財産のひとつだと思っている。人生のうちで、自由に使える時間って本当に少ない。社会人になると特に。でも時間が少ない割に、若いうちにできることやしておいた方がいいことは多すぎる。学生時代ほど人間関係も形成しづらくなるから知り合いもそう簡単に増えないし、年齢を重ねていくごとに周囲の女友達はどんどん家庭を持つようになる。さらに、収入面もバラバラになってくるので、同じような金銭感覚を持ち、同じ趣味に同じくらいお金を使う人を見つけるのはなかなか不可能に近いでしょう。「あれがしたい」「これがしたい」なんて妄想を働かせることは簡単だけど、一緒に行動してくれる誰かが現れるまで待っていたら、時間なんてすぐ経過してしまう。最近は、一生の後悔に繋がってしまうんじゃないかなぁ、なんて思う。ほんのわずかなマイナスな記憶がこびり付いているだけ私はたまたま、幼い頃から自分ひとりでも大丈夫なことは知っていた。「ひとりでどこにでも行けるなんてすごいね」と言われることもあったけど、普段からあまり深く物事を考えない性格なのと、とりあえず何をしていてもなんとかなることを知っているってだけなんですよね。だって、危ない国への旅行も航空券取っちゃったなら行くしかないし。自分の好きなものが相手にとって面白いものかなんて分からないから、終わった後になって否定されても嫌だし。というか、何かやりたいことがあって、同じ趣味の人を見つけて、「断られないかなぁ」なんて思いながら誘って、いつがいいかやり取りをして、時間やスケジュールとか合わせて、色々準備して……みたいなやり取りが本当に面倒臭いし、人を遊びに誘うのが本当に苦手で。だったら私は大丈夫だから、ひとりでいいかな? って思っちゃうんだよね。他人からの目を気にせず好き勝手生きてきたから、文句を言う人や見下してくる人にはたくさん会ってきた。そんな人はどこにいたっているし、何をしたって文句を言ってくる。他人からどう思われるのか怖い人は、自分のマイナス要素を指摘した、ほんのわずかな人の意見が記憶に残り過ぎているだけの話だと思っている。ひとりでできることは、自分の度量を推し量れるひとりで好き勝手やっていると、自分に賛同してくれる人がどんどん増えてくるし、何かしていなくても私の趣味だけではなく、私自身に興味を持ってくれる人が現れる。ひとりで行動すること、ひとりの趣味を作ること。それは、自分を知るきっかけになり、自分の揺るがない軸を作るための材料にもなるんだと思う。できる範囲内で自分のやりたいことを全部試しながら年齢を重ねていくと、自分の度量みたいなものが見えてくるから。ひとりの趣味なんて限られているし、これからの人生で飽きずに続けられるなんて思ってない。だから、飽きるまではずっとひとりでふらふらと興味のあることに首を突っ込んでいきたいなあ、いつまで続くかわからないけれど。自分で好き勝手生きて、楽しみをどんどん増やして、生活をしていく上での活力にしていきたいなぁ。Text /あたそ前回記事<私だけが知っている。それだけで気持ちが高揚する「ひとり映画」という小旅行>もチェック!誰かと観るのもいいけど、ひとりだとひと味違う映画。感じたもの、考えたことを自分の中でかみ締めてみよう。
2017年06月27日