医療法人アメミヲヤ 江坂まつおか眼科(院長:松岡 俊行、所在地:大阪府吹田市)は、緑内障手術と白内障手術の併用手術であるiStent(アイステント)手術を行う患者様が前年比2倍に増えていることをお知らせします。40歳以上の日本人のうち20人に1人が緑内障になると言われています。緑内障は中途失明原因1位の進行性の眼疾患であり、現在の医療では完治する治療法がありません。しかし、早期に発見し適切な治療を続ければ失明を回避できる可能性が高いため、当院では早期発見・早期治療に力を入れています。【日本人の中途失明原因第1位の緑内障 年齢とともに有病率が増加傾向】日本人の中途失明原因第1位の緑内障※「日本緑内障学会多治見緑内障疫学調査」報告から引用平成12~13年実施の「日本緑内障学会多治見緑内障疫学調査」によると、緑内障患者が40歳台では約2%、70歳台になると10.5%になるという報告がなされています。緑内障の症状は主に見える範囲が狭くなる視野障害です。個人差はありますが、症状は10~15年という長い年月で少しずつ進行していきます。中心の見える範囲は最後まで残存する為、自覚症状が無いまま症状が進行していくケースが多くございます。【自覚症状の乏しい緑内障 白内障と同時に見つかるケースも】緑内障は自覚症状が乏しい為、定期的な検査を受けることが大切です。当院では眼底検査の検診で緑内障疑いの為来院し、精密検査をした結果早くから治療を始められた患者様が多くいらっしゃいます。また、白内障が気になると来院した結果、白内障と緑内障の2つの疾患が見つかるケースも多々見られます。白内障は症状が霧視や見えにくさ等自覚症状に出やすく、周りで白内障手術を受けたと耳にすることも多い為だと思われます。白内障の一番の原因は加齢の為、白内障と緑内障を併発している方は多くいらっしゃいます。当院でもiStent手術を受ける患者様の年代は60~70代が多いです。【初期緑内障患者に適用されるiStent手術治療の詳細】数ある治療法の中で、iStent手術は初期から中期の緑内障に有用です。iStent手術は、iStentという器具を用いて白内障手術(水晶体再建術)と同時に行う、眼圧を下げる緑内障の手術です。iStentは医療用チタンでできた、長さ360μmの非常に小さなインプラントです。これを眼の中の線維柱帯に埋め込むことで、眼内の液体の排出を促し、眼圧を下げます。手術時間が10~15分と短く、手術の傷口が小さく回復も早い為、患者様の負担が少ない手術です。緑内障治療用の点眼薬の種類を減らせることが期待できます。白内障手術(水晶体再建術)と同時に行うことで、健康保険が適用されます。【今後の展開】超高齢社会の日本ではこれからも緑内障患者は増え続ける事が予想されます。白内障手術を早期にされる患者様も増えている為、今後も白内障手術と同時に行えるiStent手術の需要は高まると予想されます。QOV(視覚の質)の向上の為には、緑内障と白内障を早期に発見し、適切な治療を行うことが必要不可欠です。iStent手術件数は増加傾向ですが、まだまだ認知度が低い為、今後も力を入れていく所存です。【会社概要】名称 : 医療法人アメミヲヤ 江坂まつおか眼科所在地: 〒564-0051 吹田市豊津町9-44 ハートランド江坂3FURL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年03月17日手術の約1カ月前、長男・はるくんの現状や手術の説明を聞き、入院時には個室を希望した咲花さん。検査後から手術や入院に関することを毎晩説明し、入院中はパパやばあばに会えないことを伝えると「いいよ」と返事をしたはるくん。そしてついに入院の日を迎えたのですが……。 いざ案内された病室は? コロナ禍ということもあり、親の付き添いはひとりで交代は不可。親は日中に帰宅はできるものの、夜はNGだったそう。 いろいろな準備をしていざ到着した病室は……なんと大部屋! なぜか個室希望が伝わっておらず、空きが出るのは2日後……。しかし、結論としては2日間大部屋でも問題なし! その理由は、カーテン越しに子どもの様子を聞くことで自分たちの術後のイメージができたこと。TVなどの音はイヤホンなしでOK、さらに病院のおもちゃを貸し出ししてくれたので、大部屋でも問題はありませんでした。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2023年03月17日「2歳児の手術入院」第8話。総合病院で長男・はるくんの手術をすることが決まり、手術前の検査の説明を受けた咲花さん。PCR検査で唾液を出すためにトイレで2時間頑張った子どももいる、と聞いて圧倒され……そして手術の約1カ月前、入院前の検査と入院&手術の説明を受けに病院へやってきました。検査では心配する咲花さんたちをよそに、はるくんはきれいなお姉さんに余裕の笑顔を見せたのですが……。 手術の説明を聞いたはるくんの反応は…? 執刀予定の医師からはるくんの現状や手術の説明を聞き、不安が少し解消された咲花さん。入院に関する説明で大部屋と個室のどちらにするかを聞かれ、個室を希望。 そして検査を受けたあとから、咲花さんは毎晩はるくんへ手術の説明、入院することでパパやばあばに会えないことを伝え続けました。はるくんはどちらも「いいよ」と軽い返事をしていたのですが……。 ついに入院当日を迎えます。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2023年03月16日これまでずっと生理不順や不正出血に悩まされ、中用量ピルでの治療を続けてきたひぽぽさん。しかし、時には大量に出血してしまうことも。2018年6月某日、夜から明朝にかけて大きな血の塊が次々と出て止まらなくなってしまい、貧血になり床に倒れてしまいます。その後、気づいた夫によって病院に担ぎ込まれたのですが……!? 過去のフラッシュバック自宅で大量出血を起こし、貧血と出血性ショックで床に倒れてしまったひぽぽさん。病院に駆け込んで検査を受けたところ、「子宮内に3〜4cmほどの筋腫があるのですが、それが子宮外に飛び出してしまっていますね」とのこと。 検査翌日、腟から器具を挿入して子宮筋腫を摘出する手術がおこなわれました。大量出血による貧血を起こしていたひぽぽさんは、すぐには退院できずしばらく入院生活が続きます。そんなある日、『子宮全摘』というワードが病院内で聞こえてきて、過去のつらい出来事がフラッシュバックしたひぽぽさんは……。 ※看護士→看護師 ひぽぽさんは、抗生物質を飲むと下痢になったり全身がだるくなったり、気持ち悪くなったりしてしまうのだそうです。看護師さんに整腸剤を飲んでもいいか尋ねると、「抗生剤の副作用の下痢は想定内なので」と言われてしまい、気合いで耐えることに。 4人部屋はカーテンで仕切られているだけなので、ほかの患者さんの話は筒抜けになっていて、症状や手術内容まですべて聞こえてきてしまいます。 ひぽぽさんの手術翌日、ひぽぽさんを残して3人が一気に退院したそうなのですが、その翌日にまた新しい患者さんが入院してきて……。 もう何年も不正出血に悩まされているひぽぽさんは、子宮全摘をするという同室の患者さんの話が聞こえてきて過去のつらい出来事がフラッシュバックし、今後のことが不安になってしまい、 ーー私も今回の手術で不正出血を根治できたわけじゃない。いつか私も子宮全摘をすることになるんだろうか……。怖い……!! と、恐怖で胸がいっぱいになってしまいます。 ーー子宮全摘したあとの患者さんの様子を同室で見ていかなきゃいけないなんて、怖すぎる。もう退院して早く家に帰りたい……。 いろいろ考えた結果、退院後はしばらく実家を頼ることにしたひぽぽさん。 しかし…… 母からは「実家に住むのはいいんだけど、まだ体調が悪いならしばらく病院に入院させてもらったほうが安心感はあるよね」との返事。 ーーこんな体だから、どこにいても迷惑をかけるだけだ……! と、ひぽぽさんは自分を追い込んでしまったのでした。 『子宮全摘』という言葉を聞いて過去のつらい出来事がフラッシュバックしたことで、自分を追い込んでしまったひぽぽさん。ひぽぽさん本人も書かれているとおり、貧血や腸内環境の悪化がうつの引き金かもしれませんし、手術後はどうしても心身が弱ってしまいますよね。環境を変えてみると気分がラクになることもあるので、体調が落ち着いて医師から退院許可がもらえ次第、心休まる実家に戻ってゆっくり療養してほしいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ひぽぽコミックエッセイで体験談を描いてます。SLE(全身性エリテマトーデス)とリウマチの持病がある私が、妊娠とその後にまつわる婦人科系疾患の治療の日々を漫画で綴っています。*2018年10月MEA手術後、子宮線筋症と診断されました。
2023年03月14日【子宮から巨大腫瘍が飛び出した話 第3話】これまでずっと生理不順や不正出血に悩まされ、中用量ピルでの治療を続けてきたひぽぽさん。しかし、時には大量に出血してしまうことも。2018年6月某日、夜から明朝にかけて大きな血の塊が次々と出て止まらなくなってしまい、貧血になり床に倒れてしまいます。その後、気づいた夫によって病院に担ぎ込まれたのですが……!? 手術中、隣の分娩室から聞こえてきたのは…自宅で大量出血を起こし、貧血と出血性ショックで床に倒れてしまったひぽぽさん。夫に協力してもらい病院に駆け込んで検査を受けたところ、医師いわく「子宮内に3〜4cmほどの筋腫があるのですが、それが子宮外に飛び出してしまっていますね」とのこと。検査の翌日、分娩室で子宮筋腫摘出手術を受けていると、途中で麻酔が切れてしまい……。 6年前に流産をしたひぽぽさん。隣の分娩室からは「ああ〜〜!」と叫んでいるママの声が聞こえてきます。その後、点滴が針から漏れてしまうアクシデントがありながらも、静脈麻酔によってすぐに意識が遠のいていき……。 麻酔の効果が切れて意識を取り戻すと、まだ手術中のよう。カチャカチャと器具を触る音が聞こえ、子宮口を拡げて何か処置しているような感触もはっきりとわかります。 傷口のところにガーゼを詰められて「いたたたたっ……」となっていたときのことです。隣の分娩室から「ほぎゃっ! ほぎゃあっ!」と、かすかに産声が聞こえてきました。 ーーたぶん、さっきの人だ! 無事に産まれたんだ!! 思わず感動して泣いてしまう、ひぽぽさん。「痛いですよね? もうすぐ終わりますからね〜頑張ってくださいね〜」と、勘違いした医師や看護師さんから励まされてしまったそうです。 ※看護士→看護師 無事に手術が終わり、4人部屋のベッドに戻ったひぽぽさんは、今回の手術内容が書かれた説明用紙を眺めていました。病名は『筋腫分娩』、手術名は『分娩筋腫核出術』となっていたそうです。 ちなみに、内診で「3〜4cmくらいですね」と言われていた子宮筋腫は、いざ手術で摘出してみると6cmほどあったのだとか。 通常は1泊2日で帰れる手術なのですが、ひぽぽさんの場合は大量出血もあって貧血状態が続いていたため、このまま様子を見てしばらく入院することになりました。 「今日はさすがに夫も来ないだろう」と思っていたひぽぽさんですが、カーテンの隙間から見覚えのある足が覗くのを発見! ひぽぽさんが手術当日の夜にひとりきりなのは心細いと思って、駆けつけてくれたのかもしれませんね。 そして、手術から一夜が明けた翌日のことです。突然、廊下から「ひいーっ! ひっひっ」という女性の叫び声が聞こえてきて……。 どうやら、「ひいーっ」は笑い声で「ひっひっ」は痛みに耐える悲鳴だったようです。 ーーくしゃみとか大笑いをすると、おなかの傷が痛くなるのわかる……! 叫び声をあげる女性に同情しながら、術後の回復を待つひぽぽさんでした。 今回の子宮筋腫摘出手術は開腹手術ではなく、腟から器具を挿入する方法でおこなわれました。手術時に切り取った筋腫は病理検査(顕微鏡で細胞を調べる検査)に回され、後日に詳しい結果がわかるようです。 そのため、手術を終えたひぽぽさんは退院できるよう体を回復させつつ、病理検査の結果を待っている状況。病理検査で違う病気だと判明することもあるらしいので、悪い病気ではないことを祈りながら、今は体調の回復に専念してほしいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ひぽぽコミックエッセイで体験談を描いてます。SLE(全身性エリテマトーデス)とリウマチの持病がある私が、妊娠とその後にまつわる婦人科系疾患の治療の日々を漫画で綴っています。*2018年10月MEA手術後、子宮線筋症と診断されました。
2023年03月13日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ高度治療室へ面会に訪れると、娘のところに大きな人が! その人は今度手術をしてくれる先生で、「さくちゃんには苦しい思いをさせてしまって申し訳ない」と言うのだった。数日後、病院から明日手術すると連絡があり…。■手術の内容もリスクも怖い…■生きて帰ってきて…!手術直前の思いを描きました。術前説明は「最悪のケースを想定して」お医者さんは話してくれるのですが、それが怖くて怖くて。同じ病室のママからいろいろな話を聞いていたのでしっかり覚悟を決めて聞きに行きましたが、こやまは夫婦でビビりまくっていました。次回に続く「娘と心疾患のお話」(全18話)は12時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2023年03月13日私は長年の生理痛解消のために、50歳で子宮全摘出手術を受けました。子宮を取ったことがきっかけで便秘に悩むように。入院中にお世話になった担当医から、便秘には気を付けるようにと指示もあり、腸活を始めるようになった体験談を紹介します。★関連記事:アラフォーで便秘が悪化、疲労感も…食生活に発酵食品を取り入れて快便&体がラクに!【体験談】手術をきっかけに便秘体質に今まで便秘とは無縁の生活をしていました。毎日便通はありましたし、テレビの便秘解消のための薬や食品のCMを見ても、他人事でさらっと流していました。私の便通に変化が表れたのは50歳のときです。もうすぐ51歳になろうという誕生月の前に子宮全摘出手術を受けました。子宮を取ったことで便秘体質になってしまったのです。腸の精密検査を受けていないので、原因は明らかではありませんが、手術の担当医いわく子宮全摘出手術後によく見られる症状だそうです。事実、全摘出手術時の大学病院での8日間の入院生活では、整腸剤の酸化マグネシウムを処方され、便秘解消と筋力低下予防のために歩くように言われ、院内をウロウロしていました。また、水分をこまめに飲むなどして過ごし、無事退院してからは自宅療養で便秘対策をすることになりました。健康茶を飲んだらお通じに変化が退院後しばらくは処方された酸化マグネシウムを朝・昼・夕食後に服用し、野菜をたくさん食べるなどして過ごしていました。便秘といっても「おなかが張ってつらい!」というほどではなく……とはいえ、手術前なら毎日スッキリ感のある便通だったのが、手術後は便通のない日があったり、あっても少量だったりと、明らかに便通に変化がありました。そんな日々を送っていましたが、そんなものだと思って過ごしていました。酸化マグネシウムの量は医師に相談したところ、補助的に飲んでいるものなので毎食後飲まなくても良いと言われていました。自分判断で徐々に減らしていたものの、服用開始から半年後、ふと思いました。「私ってずっとこのまま酸化マグネシウムを飲む生活?」と。そんなことを考えながら過ごしていると、たまたまネットサーフィンをしているときに、2カ月間のごぼう茶モニター試飲の募集を発見! ごぼう茶は飲んだことがなかったので、興味本位でモニターに応募して、ごぼう茶を1日1回飲むことにしました。飲み始めて1週間ほどたったころでしょうか? なんと! 便通に変化が表れました。スッキリ感のあるどっさり便通があったのです。「これはもしかすると酸化マグネシウムを飲まなくても過ごせるかも?」と思い、酸化マグネシウムはやめてごぼう茶で様子を見ることにしました。2カ月間のごぼう茶のモニターが終了し、私はそのまま定期購入をして半年間飲み続けました。ごぼう茶を飲んだ翌朝の便通は良いような感じがしました。ごぼう茶をきっかけに薬に頼らない腸活をするようにしたのです。今は食生活と運動習慣で便秘対策その後、半年間飲んでいたごぼう茶の定期購入が、発売元の都合によりなくなってしまったため、今は食生活と運動習慣で便秘対策をしています。食生活では、子宮全摘手術時の入院生活で食べた食事を通じて、思ったよりも野菜を食べてなかったことに気付きました。意識して野菜で食物繊維をとることに加え、「イージーファイバー」を1日1本コーヒーに入れて飲んでいます。これはドラッグストアでたまたま見つけたのですが「お通じの改善に役立つ」というフレーズにひかれて飲み始めました。「イージーファイバー」に含まれる食物繊維は4.2g。これは1日に摂取したい食物繊維の約1/4に相当します。これで不足しがちな食物繊維を補っています。腸内環境を整えることが期待できるビフィズス菌を多く含むヨーグルトも毎日欠かせません。あとは水分を多くとることも。食生活での腸活を続けた結果、今では便通のリズムが整いました。また、便秘対策に良いと実感できたのは、日ごろの運動習慣です。気軽にできるウォーキングを腸活として継続するようにしています。仕事で疲れた日、忙しくてなかなかウォーキングができない日が続くと、便通が悪くなってしまいます。そのため、時間がある限り、ウォーキングの回数を多くおこなうようにしています。さらに趣味で続けているキックボクシングができないときは、ストレッチを多めにしたり、股関節周りの筋肉を動かす筋トレをおこなったりしてこまめに体を動かすことも。朝起きる前の布団の上でのストレッチは特に入念におこなっています。中でも体をねじるストレッチは、腸を刺激してくれるのでじわ~っとおこなうようにしています。そんな感じで、運動をして腸に近い骨盤周りを動かすようにすると、腸の働きが良くなるような気がしたので、腸内環境を整える食生活と合わせて、体を動かすことでも腸活をしています。まとめ子宮全摘手術の影響で自分が便秘体質になるとは思っていませんでした。今まで便秘で悩む人は、野菜を食べる量が少ない、運動不足の人だと他人事として思っていました。これからも自分の体の変化に向き合いながら、野菜をたくさん食べ、適度な運動習慣で腸活生活を続けていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/わみ(52歳)管理栄養士・健康運動指導士としてフリーランスで活動中のアラフィフ女子。 40代前半から不調に悩まされあらゆることを試行中。
2023年03月13日47歳のときに体調不良により病院で検査をしたところ、子宮筋腫が見つかり、手術かホルモン治療のどちらかを選ぶことに。医師と相談の末に決めたホルモン治療は、思ったよりきつい副作用がありましたが手術を免れることができ、今は病気と仲良く付き合っているという体験談を紹介します。★関連記事:「嫌な予感」人間ドックで子宮筋腫の相談をしようと思ったら… #人間ドックで指摘された子宮筋腫 1検査結果を聞くだけで倒れそうに40歳を過ぎたころから生理中の腹痛や大量の経血など不調を感じるようになりましたが、ついに47歳のときに生理前後以外の下腹部の痛みや不正出血、下半身の異常なむくみなどが起こるように。病院嫌いの私でしたがとうとう不安になり婦人科を訪れました。医師から子宮がんの可能性も考えて検査をしましょうと言われ、子宮がんという言葉に異常に反応した私は立ちくらみを起こしそうに。その日のうちに超音波検査や内視鏡検査、血液検査などの検査をしましたが、実際はその日にどんな検査をしたかも覚えていないほど、私の精神は落ち込みと疲れでヘロヘロになっていました。夫には心配をかけるので、結果が出るまでは何も伝えていませんでした。そして1週間後、検査結果を聞くために来院したときの待合室での私は、子宮がんだったらどうしようというあまりの不安で心臓が高鳴るばかり。結局、検査結果は子宮がんではなく子宮筋腫だったと伝えられ、ホッとして力が抜ける思いでした。しかし、今度はあまりの安堵感にその後の話は上の空でしたが、実はこのとき医師に話された今後の治療についての話こそ、私にとってとても重要なことだったのです。ホッとしたのもつかの間不調の原因が子宮筋腫と判明し、現在直径2cm程度の大きさになっているとのこと。そして、今後も放っておけばまだまだ大きくなる可能性が高く子宮摘出ということにもなるので、今のうちに治療をすることが必要だと言われました。医師の意見は閉経の年齢も遠くないのでホルモン治療で筋腫を小さくし、なんとか時間稼ぎをしてみてはどうかということでした。私は言われるがままにホルモン治療をすることを決めました。ホルモン治療は1カ月に1回のホルモン注射を半年間続けて終了するとのこと。料金的にもそれほど負担の大きなものではありませんでした。副作用について医師に聞きはしましたが、更年期の症状が出るもののそんなに心配することはありませんと簡単な説明がありました。もう少し詳しく聞きたいと思いましたが、大きな病院だったこともあり患者さんがとても多く、医師はあまり診察時間をかけたくないという雰囲気。私も迷惑をかけてはいけないとあまり深く聞かずに決めてしまいましたが、このときはこのあと想像以上にきつい副作用に苦しむとは思ってもいませんでした。つらい日々から今は感謝の日々に月1回のホルモン注射がスタートしてからは、いわゆるホットフラッシュのひどい状態が1日に何度も起こるようになりました。さらに、どうしていいかわからないような体の中から起こるムズムズ感やだるさ。また、イライラしたり落ち込んだりと精神面もボロボロになるなど、想像もしなかったような副作用を乗り越える必要がありました。そんなつらい副作用でしたが、6回の注射を打ち終わってから2カ月程度たつと副作用も消えていき、生理痛、下半身のむくみ、経血異常なども正常に。それでも小さくなった筋腫の状態をチェックするため、今でも1年に1回病院に訪れていますが特に異常はありません。また薬は処方されていませんがストレスと冷えには注意するようにと医師に言われたので、疲れをためないように睡眠を十分とり、体を冷やさないために冷たい飲食を避けるなど心がけています。しかし、手術もせずに体調が改善されたことは感謝の気持ちでいっぱいです。これからも筋腫とじょうずに付き合いながら閉経を待ちたいと思っています。まとめ今回の治療を受けて考えたことは、不調があれば早めに病院に相談することが大切だということです。治療方法の説明を受けたときに、このまま放っておくと子宮がんになることも十分考えられると医師に言われましたが、やはり早期発見、早期治療はとても大切だと感じました。子宮がんになることなく治療することができましたが、もう少し放っておけば悪い状況になっていたかもしれないと考えるとちゃんと受診してよかったと思います。今まで病院嫌いだった私ですが、年齢的にもそろそろそんなことを言っていてはダメだと強く反省。そして、せっかく治療して小さくなった筋腫を少しでも維持するように医師の指導に従っていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/Sakura(49歳)子どもは独立し今は夫と2人暮らし。大好きなアクセサリー作りを仕事に。収入は少ないけど好きなことなので意外と気に入っている。
2023年03月09日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんの診断を受け、右胸の全摘と左太ももの自家組織を用いた乳房再建手術をおこなったこほこさん。乳房の再建をおこなっただけで、まだ乳頭は再建していませんでした。約1年越しに自分の胸に乳頭があるのを見たこほこさんは……。★前の話1年前の人間ドックで乳がんが見つかり、そこから手術や治療を続けているこほこさん。1年ぶりの人間ドックを受け、子宮体がんや子宮頸がんなどの検査も受けました。人間ドックから約40日後、こほこさんは乳頭の再建手術を受けることになりました。右胸の全摘に対して複雑な思いがあったこほこさんが、乳頭の再建を経て思ったこととは。右胸全摘と自家組織での乳房再建から11カ月たったころに、乳頭の再建手術をおこないました。本当は乳房の再建後、半年もたてば手術できたそうなのですが私がのんびりしていたのでこのタイミングで手術することに。1カ月くらい前に血液検査を済ませ、乳頭再建の術式も決めていました。乳頭再建もいろいろな方法があるのですが、私が受けたのは局所麻酔の日帰り手術で、手術の後もさほど安静にしなくて大丈夫な術式でした。上だけ手術着に着替え、手術台に腰掛けて乳頭の位置決めをしました。形成外科の先生がペンで乳頭の展開図のような何かを私の右胸に描き描き。看護師さんが鏡で私にもデザインを見せてくれようとしたのですが、もうおまかせしました(笑)。乳頭再建の手術はトータル1時間くらいで終わり、その後は夫とランチと買い物をして、お茶の稽古にも行けるくらい痛みは気にならず、痛み止めも不要でした。手術前の検査に約5,000円、手術自体に約25,000円かかったので、全部で3万円近い費用になりました。乳頭再建の手術当日からシャワー可だったのですが、傷が気になるので当日はシャワーせず、翌日シャワーを浴びることにしました。乳頭を保護していたガーゼを外してみると、まだ少し出血してるようだったのですが……ドキドキしながら患部を見ました!まだ黒い手術糸がサボテンのとげみたいに出ていて、傷もハッキリ見えてて、手術をしていない左側よりちょっと大きめで、色も着いていませんでした。実は、乳頭がないことにも慣れていた上にその状態に愛着も湧いてたから、このままでいいかも……なんて思っていたりもしました。しかし、久々に丸いぽっちが自分の右胸にあるのを見たとき、表現しがたいぽわぽわ温かい気持ちになりました。乳がんの告知直後に全摘と聞いて、部分切除で済まないのかな? せめて乳頭を残せないのかな? とMRIの撮り直しもお願いした1年前の私。でもいざ乳頭がなくなって脇まで傷があっても、だんだんと自分の姿として受け入れられるようになっていました。温泉で気になるなら入浴着や入浴タオルもあるし、乳頭も再建できるなんて医療の進歩もなかなかのものだと思いました。感じ方や状況は人それぞれだと思いますが、もし条件が合って乳房や乳頭の再建をやりたいと思ったときに、誰もが堂々とできたらいいなとこの経験を通じて思いました。--------------乳頭の再建をおこない、なんとも言い難い温かな気持ちになったというこほこさん。右胸の全摘について聞いたとき、初めはなかなか受け入れられず違う方法がないかを模索していたこほこさんにとって、乳頭の再建は特別なものだったのかもしれませんね。こほこさんは自身の経験を通じ、再建は恥ずべきことではないと思ったのだとか。誰もが自分の受けたい治療を堂々と受けられるようになるといいですよね。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年03月02日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんの診断を受け、右胸の全摘と左太ももの自家組織を用いた乳房再建手術をおこなったこほこさん。手術から半年が経過し、現在の状態を確認するための検査を受けることになりました。検査の結果は……。★前の話こほこさんは右胸の乳房再建時、左太ももの自家組織を使って再建をしようとしましたが、採取した組織が足らず脂肪注入をして胸の形を整えました。他にも瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)という右脇にできた傷の引きつれを治す手術も受けました。脂肪注入から約1カ月たったころ、右胸の手術から半年が経過していたので検査を受けることになりました。術後から半年たち、こほこさんの体に起こった変化とは。私は右胸の全摘と再建手術を受けた後、傷の治りを良くするために極力右腕を使わないように生活していました。その後、右胸と鎖骨の間にできてしまった段差を埋めるために脂肪注入をしたのですが、脂肪の定着させるために右腕を動かさないように制限していました。結果、半年間は右腕をあまり動かすことができず……右肩の関節が硬くなってしまい、腕を真上に上げたり後ろに回しにくくなってしまいました。右脇の中央に太くて固い筋があり、モンドール病︎(胸部から上腹部にかけて表側にある静脈に血栓が出てきて、それが筋状に見えるもの)かと思ったのですが、医師から指摘されることもなく術後4カ月ごろには消えていました。ただ引きつられている感覚があり、腕を上げると胸ごと引っ張られているような感じがして万全とは言えない状態でした。術後経過を見るための検査では、採血をした後に乳腺外科で診察とエコー検査を受けました。ホルモン療法の影響でホットフラッシュによる不眠に悩まされていたのですが、それは漢方を飲むことで解消されました。それ以外に疲れやすく、頭がシャッキリしないので何か漢方を処方して欲しいとお願いしたところ、「既に服用している漢方と成分が合わさると肝機能に良くない」ということで追加の処方はできないとのことでした……。エコーで右胸を見てもらったところ、鎖骨辺りに注入した脂肪が見えるらしく「ボコボコしているのが見えます」と言われました。しかし、私にはどうボコボコしているのかわかりませんでした(笑)。手術をしていない左側の脇のリンパが腫れているとのことで、1月以上前に接種した新型コロナウイルスのワクチンの副反応がまだ残っているようでした。血液検査の結果は問題なく、ホルモン療法の一つであるリュープリンの注射をおなかに打ってもらって帰宅しました。ー--------------手術から半年が経過し、こほこさんは右肩が以前より硬くなったように感じているのだとか。その理由は術後、傷に響かないよう右腕を使わない生活を意識していたからなのだそうです。こほこさんは無理のない範囲でストレッチをするようにして、元の肩を取り戻そうとしているようです。肩が硬くなると腕を動かしにくくなるので大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年02月16日閉経を迎え、やっと生理のわずらわしさから解放されました。ところが思いがけず、不正出血が起きました。そこで子宮がん検診をしたところ擬陽性と診断され、子宮内膜全面掻爬術(しきゅうないまくぜんめんそうはじゅつ)をおこなってもっと詳しく調べることに。急にがんと隣り合わせになり、不安な日々を送る私に伝えられた検査の結果は……。★関連記事:生理ではないときに出る微量の不正出血…その原因は「子宮内膜ポリープ」だった!がんの可能性が高いって…閉経後、突然の不正出血49歳で閉経し、生理のない生活を快適に思っていました。閉経後3年くらいたった2019年3月27日、朝トイレで親指ほどの大きさの薄い赤色のものがトイレットペーパーについていることに気付きました。血かどうか確認のために、もう一度ペーパーを腟の入り口に押し当ててみると、また赤色が付きました。それは不正出血でした。慌てて、SNSで不正出血の原因を検索。閉経後の出血は、危険な場合が多いので病院に行くようにと、多くのサイトで書いてあったのですぐに会社に電話をして午前中の有給休暇を取りました。毎年子宮がん検診をしてもらっている近所の病院へ。いつもと同じように、経腟エコーと細胞を採取する検診をおこないました。結果はまさかの擬陽性検査を受けた10日後、結果を聞きに病院へ向かいました。いつもテンション高めで明るい女医さんから「今回、擬陽性って出ちゃったのよね~」と告げられました。初めて聞く「擬陽性」という言葉にショックを受け、顔がひきつる私に先生は「擬陽性だからってがんって決まったわけじゃないのよ。少しのサンプルじゃわからないから、もっとたくさんの細胞を採取することになると思うわ。はっきりしたほうが安心でしょ? 紹介状書くからね、行ってきて」と励ますような口調で言いました。不正出血があった日から約1カ月後、私は紹介された大学病院へと行きました。産婦人科の待合室には多くの人がいましたが、半分は定期健診を受ける妊婦さんでした。小さい子ども連れの方もいて、幸せそうにおなかに手を当てていました。がんかもしれなくて不安でたまらない私は、子どもの声も妊婦さんの姿も疎ましく感じました。予約時間を大幅に過ぎたころ、名前を呼ばれて医師の元へ。医師からは「採取した細胞を見直しましたが、私も擬陽性だと思います。閉経後の不正出血はがんである可能性が極めて高いので、子宮内膜全面掻爬という手術で検査しましょう」と言われました。そして「これからすぐ入院の手続きはできますか?」と聞かれ、入院の手続きをすることになりました。子宮内膜全面掻爬術とは、子宮内膜の全面をかき出して組織を採取し、顕微鏡で検査する手術です。この手術はがんか内膜増殖症という子宮内膜が厚くなってしまう病気か診断が確定できなかった場合におこなうのだそう。その場で、同年5月16日〜5月18日にかけて2泊3日の入院と手術が決定。引き続き入院手続きのオリエンテーションがあり、さらに血液検査や心電図、胸部X線など手術に向けた検査が次々とおこなわれました。不正出血からすでに1カ月たっており、その間にインターネットでさまざまな情報を読みあさっていたので不安は日に日に募ります。がんを前提とした悪い未来ばかりが頭に浮かんでいました。子宮内膜全面掻爬術の検査結果は5月16日、午前中に入院予定通り5月16日に入院し、まず内診とエコー検査を受けました。午後からは、子宮の入り口を広げる処置をしました。これが大変痛いと、ネットの情報を読んでいたので、痛みに弱い私は恐ろしくてたまりませんでした。「ちょっと痛いよ。すぐ済むからね」と声をかけられ、カーテンの向こうから何か大きめの器具が挿入されました。本当に痛くて、「うっ!」と大きな声が出ました。この器具は手術まで入れっぱなしにしておくとのこと。「ガーゼなどが出てきたら教えてね」と看護婦さんに言われたので、器具以外にガーゼも入っていたようです。その後の痛みはありませんでしたが、器具が入っている違和感がずっと続きました。子宮の入り口を広げる処置の後は静かにベットで過ごし、食事の制限もありませんでした。5月17日、手術当日翌日の手術は、午後1時に開始予定でした。起床時より絶食で何も食べることができませんでした。というのも全身麻酔をかけるので、麻酔中の誤嚥(嘔吐したものが気管や肺に入ること)を防ぐためなのだそう。午前9時から点滴開始。手術30分前に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打ちました。10分前に手術室に移動し、心電図と血圧計、鼻に酸素が流れるチューブがつけられました。手術室のベッドに横たわると、鼻のチューブを抜く代わりに酸素マスクがつけられて、静脈麻酔が点滴の横から投与されました。大学病院なので研修生が何人かいて、恥ずかしいなあと思っているうちに記憶がなくなりました。目が覚めると元の病室のベッドの上にいました。その後は術後観察で、体温測定や抗生物質の内服のために看護婦さんがたびたび病室に来てくれました。術後の痛みはあまり感じなかったです。経過に問題はなかったので、晩ご飯は食べることができました。5月18日、朝に退院翌朝、午前9時には退院して電車に乗って帰宅しました。術後の出血も痛みもほとんどなく、退院した翌日からいつものように出勤できました。退院してからも医師の「閉経後の不正出血はがんである可能性が極めて高い」という言葉が、何度も思い出され、その都度泣きたくなりました。しかし、仮にがんであったとしても、子宮を摘出すれば命を落とすことはないだろうと、自分に繰り返し言い聞かせていました。5月31日、結果は…手術から約2週間後、結果を聞くために病院を訪れました。結果がどうなのか緊張する中、いよいよ名前が呼ばれました。こぶしをぎゅっと握って医師の前に座ると、「明らかな悪性所見は認められませんでした」との言葉が。それからエコーで内膜肥厚(ないまくひこう)なし、掻爬した細胞に異型は見つからなかったと説明がありました。その瞬間、「よかった、がんではなかった!」と一気に体の硬直が解けました。診察室を出てからすぐ、夫と子どもたちと会社の上司に電話をかけ、喜びの報告をしました。帰りの電車の中では安心感で頬が緩み、外の景色も前回とは別のもののように見えました。手術にかかった費用は、3割負担で39,796円でした。医療保険に加入していたので、手術の保険金が支払われました。半年後に経過確認のために大学病院の産婦人科の再診を受けました。その後の不正出血の有無を聞かれ、内診とエコーの診察がありました。異常がないようでしたので、これで一連の検査が完結しました。そして最初の病院に検査報告を持って行ってくださいと書類を渡され、やっと病院を後にすることができたのです。最初の女医さんは結果を聞いて、「狂い咲きしちゃったかしらね〜」と冗談っぽく言っていました。その後は毎年自分の誕生月に、必ず子宮がん検診を受けることにしています。実は手術を受けた2年後、また少しですが出血がありました。悪夢の再来かと、会社を途中で抜けて慌てて病院へ。幸いそのときも異常なしでことなきを得ています。なぜ出血するか明確な理由はわかっていません。なのでトイレに行くたびにパンツに血がついていないかチェックしています。まとめ子宮内膜全面掻爬術とは本当におどろおどろしい言葉です。擬陽性と聞いてから、急にがんが身近なものとなり不安な暗い毎日を送っていました。年を取ると病気にかかることが多くなります。実は夫も健康診断で、前立腺がんに関わる数値が高く出て、検査入院することになりました。長生きができてしまう世の中になった今、病気の早期発見で少しでも軽症で済ませ、残りの人生を明るく送りたいものです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。著者/中村聖子自宅で学研教室を開校していた。海外で働いていたこともある。趣味はゴルフ。
2023年01月11日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは右胸の全摘と同時に再建手術を受けていました。そのとき、鎖骨下の脂肪が足りなかったので脂肪注入をすることになったのですが……。★前の話私は右胸を全摘したとき、左太ももの組織を使って乳房の再建もおこないました。ただ、そのときに脂肪が足りず、鎖骨の下の辺りには段差ができてしまっていました。その段差を埋めるべく、脂肪注入の手術を受けることになりました。胸に脂肪を入れられるということで、私はとあることを医師に聞いたのですが、とても驚かれてしまいました。手術から5カ月たち、経過も良好だったので脂肪が足りていない部分に脂肪注入をすることになりました。私の場合、右胸に浸潤性小葉がん以外にも浸潤性乳管がんや非浸潤性小葉がん、線維腺腫の腫瘍があったため、想定よりも広く摘出したことが脂肪不足の原因でした。再建は胸の下側のラインを合わせてもらっていたので、上側である鎖骨付近の脂肪が足りなくなっているという状態。脂肪注入の手術は保険適用外なので、9万円ほどしました。ちなみに金額は病院によってかなり違うようです。脂肪注入は日帰りで受けられる手術なので、気持ちもラクでした。それでも夫は手術だから、と病院まで付き添ってくれて、手術中は受付付近で本を読んで待っていました。私だけ手術室のほうへ向かい、手術用の服に着替えました。手術の確認をしているとき、何げなく「手術をしていない左胸にも脂肪を入れて大きくできたりするんですか?」と聞きました。私は小胸なので、本当にただの好奇心で聞いただけだったのですが……。胸を大きくできるか聞く人はいないのか、目力の強い先生が目を見開いて「え、やりたいんですか……?」としばし絶句するくらい戸惑っていました(笑)。両方の胸のバランスを整えるために手術をしていないほうの胸にも脂肪を入れることはあるそうですが、乳腺外科の先生と連携をして確認する必要があるとのことでした。手術は静脈麻酔を打って受けます。静脈麻酔を打つ理由は興奮や不安を抑えるためなのだとか。その後、先生が胸に黒いマジックでお絵描き……ではなく、胸の形を整えるための目印をつけてくれました。ちょうど夏場だったので、手術室の中は冷房でキンキンに冷えていて逆に寒かったです!手術台に横になると、看護師さんがタオルや暖かい布のようなものをかけてくれたので、寒さは少しましになりました。ー--------------こほこさんが好奇心で聞いたことは先生をとても驚かせてしまったのだとか。皆さんは純粋な疑問で誰右胸の再建時に脂肪が足りず、鎖骨の下に段差ができてしまっていたこほこさんは、日帰りで脂肪注入の手術を受けることになりました。こほこさんは自分の胸が小さいので、好奇心で「手術をしていない左胸にも脂肪を入れて大きくできたりするんですか?」と聞きました。すると先生はとても驚いてしまったのだとか。皆さんは純粋な疑問で誰かを驚かせてしまったことはありますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年01月11日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と再建手術をおこなったこほこさん。術後、ホルモン療法を始めたところ、こほこさんにある悩みが出てきて……。★前の話私は2021年2月に乳がんだと告知され、4月に右胸の全摘と左太ももの組織を使った乳房の再建手術を受けました。その後、病理組織診断の結果を踏まえてホルモン療法をおこなうことになりました。このホルモン療法は女性ホルモンであるエストロゲンを抑えるものなので、生理が止まったり、更年期症状のようなものが出たりするなど私の体にはさまざまな変化が出ていました。私はリュープリンという注射とタモキシフェンという飲み薬を使用してホルモン療法をおこなっています。ホルモン療法ではエストロゲンの生成を抑えるので、生理も来なくなりますし、更年期症状のようなものも起こるようになります。このとき、ホルモン療法を始めて2カ月以上がたっており、私が感じているほてりもホットフラッシュだろうということでした。季節も夏に近づいていたところにホットフラッシュが重なって、私は暑さで夜中に目が覚めてしまうように……。熟睡できなくなり、少し困っていました。そこで、更年期におすすめだという大豆イソフラボン由来のエクオールというサプリを飲んでもいいかと主治医に聞いてみたところ、それを試してみてもいいけど、ひとまず漢方を処方してもらえることになりました。処方してもらったのは加味逍遙散(かみしょうようさん)というもので、1日3回飲むように言われました。この漢方は私の体に合っていたようで、ホットフラッシュは少し落ち着いて、夜も眠れるようになりました。ホットフラッシュ以外にも頭がぼんやりしたり体のだるさも感じていたので、それに効くものはないか相談してみました。すると漢方も飲み合わせで肝臓に影響が出たりする可能性があるので、一緒に処方することはできないのだとか。一番の悩みだったホットフラッシュについて改善できたので、ひとまず様子を見ることにしました。手術から4カ月後にコロナワクチンの接種をしました。その1カ月後に2回目の接種をして、腕の痛みや熱などの副反応も出ました。その後、手術をした右胸や自家組織を採った左太ももへの影響は特にありませんでした。2回目のワクチン接種から44日後、乳腺外科で定期検査を受けていると主治医が何やら左の脇を入念にチェックしていました。どうやら、ワクチンを打った手術をしていないほうである左側のリンパが腫れているとのことでした。これは後から調べてわかったことなのですが、マンモグラフィーや乳房超音波検査はワクチンの接種前か接種後6〜10週空けてから受けるのが望ましいのだそう。私は接種から6週間空いていたのですが、もう少し早く打っておけばよかったと後悔しました。ー--------------こほこさんはリュープリンという注射とタモキシフェンという飲み薬によるホルモン療法を受けているのだそう。ホットフラッシュを抑える漢方を処方してもらったものの、飲み合わせの都合で追加の漢方の処方をしてもらえなかったこほこさん。何か新しい薬やサプリを飲みたいときはしっかりと医師に相談することが大切ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「わからない!」父の書類の転送について聞いたらたらい回しに #預金資産ゼロの父が倒れた話 28★関連記事:毎月痛風の症状がある夫が気になる妻。待ちに待った健康診断の結果は #夫とともに四半世紀 17★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年01月07日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と再建手術から約3カ月、こほこさんは久々に湯船に浸かったそう。今まで湯船に入らなかったのにはとある理由があって……。★前の話私は2021年2月に乳がんだと告知されました。4月に右胸の全摘と左太ももの組織を使った乳房の再建手術を受け、今はホルモン療法を受けています。温泉やスーパー銭湯に行くことが趣味なくらい入湯好きな私。手術前は、しばらく入れないから! と毎週末温泉や銭湯に行っていました(笑)。私は、術後全摘をした右胸と再建のために自家組織を採取した左太ももにドレーンという、体液を排出するためのチューブを付けていました。退院日にドレーンを抜いて、シャワーは毎日浴びてもいいようになりました。ただ、右胸の皮膚の一部が壊死していたので退院してすぐのころは湯船に浸かることは禁止されていました。術後40日目くらいになって湯船に浸かることもOKになったのですが、皮膚から違う病気に感染したら怖いと思ってしまい湯船に入る勇気が出ませんでした。ですが、この日我慢しきれず湯船にドボン!壊死していた部分も新しい皮膚に変わっていっていたので、もう怖がる必要もないのかなと思いました。湯船に入ると、血流が巡って気持ちいい〜! まるで天国にいるような気分になりました(笑)。マッサージも隔週で通うくらい私には必要なものでした。仕事でパソコンを使うことが多いので、全身をほぐしてもらうことは大切なことでした。しかし、手術をしてからは行くことができず……もう肩はカチコチに固くなっていました! 首筋も鉄棒だと思うくらいに固く張っていて、どうにかしたいという気持ちでいっぱいでした。とはいえ、うつ伏せになると右胸にかかる圧がすごくて、とてもマッサージを受けられる状態ではありませんでした。スタッフさんに事情を話すと、抱き枕を用意してくれて横向きで施術してもらえることに!背中をぐいぐい押してもらえて、カチコチだった部分もいい感じにほぐれて体がラクになりました。ー--------------退院後、こほこさんは自分の体の調子と相談しながら、湯船に浸かったりやマッサージなど心身のリフレッシュをおこなっていたのだそう。マッサージ店でうつ伏せになれなかったところ、抱き枕を用意して横向きで施術をしてくれるというすてきな対応を受けたこほこさん。お店の人からの気づかいはとてもうれしいしありがたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:ついに再発行できた保険証! もうこれで安心だと思ったのに #預金資産ゼロの父が倒れた話 27★関連記事:「大盛り食べなければ大丈夫」4回痛風を発症したのに楽観的な夫に妻は #夫とともに四半世紀 16★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年01月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と再建の手術から2カ月。職場復帰したこほこさんはホットフラッシュのような症状に悩まされていて……。★前の話手術から2カ月ちょっとがたち、復職したと同時に趣味も再開することにしました。ウォーキングや登山、バイオリンや茶道など趣味の幅が広い私にとってまた趣味が楽しめることはとてもうれしいことでした。茶道が趣味の私にとって、正座ができるかどうかは大きな問題でした。私は右胸の再建をした際に左太ももの自家組織を使いました。その影響で術後は正座どころか階段を上り下りすることすら困難でした。手術について説明を受けているとき、どのくらいの期間で正座ができるようになるのか医師に聞いたら、一瞬黙って目を見開かれてしまいました(笑)。回復の度合いは人それぞれなので、即答はできないとのことでしたが私は2カ月程度で正座ができるようになりました。茶道のお点前するとき、下半身の筋力をかなり使用するので稽古の後は太ももやおしりが筋肉痛になることもありました。術後の筋力に不安がありましたが、特に問題はありませんでした!しかし、長時間正座すると左太ももの傷全体の引きつれを感じたり、おしりの付け根あたりにある傷にかかとが食い込んでしまったりして正座は1時間くらいが限界でした。私は術後、女性ホルモンであるエストロゲンの生成を抑えるホルモン療法をおこなっていました。そのせいなのか疲れやすく、すぐにバテてしまう状態……。リモートワークと組み合わせて働き方を調整しても、出社するとめまいがしたり立ち上がることがしんどいと思うことがありました。職場にいるとカーッと背中から首の辺りが熱くなって体に熱がこもる感覚が! このころは6月で気温もグッと上がってきていた時期だったので、暑さのせいかと思っていました。しかし、同僚は長袖のシャツにネクタイをしていても暑くなさそうな様子。対する私は半袖のカットソーを着ているのに汗をかいていました。元々寒がりだった私がこんなにも暑がりになってしまうなんて……もしかしてホルモン療法が影響しているのかな? と思いました。ー--------------趣味を楽しめるまでに回復したこほこさん。趣味があると日々が豊かになっていいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「やばい…」家事や仕事に加え、父の面倒まで…頼みの綱は #預金資産ゼロの父が倒れた話 25★関連記事:「角膜内皮細胞の数値が…」思わず絶叫! 再検査することになり #アラフィフ主婦ちゃんねる 47★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月31日43歳になる誕生日当日。レバーのような血の塊と大量出血に見舞われ、思わず「ギャー!」と叫び声を上げた、はなうたねこさん。婦人科を受診したところ、子宮体がんだと宣告され…!?【前回のあらすじ】子宮体がんになってしまい、約6時間におよぶ大手術を受けた、はなうたねこさん。子宮と卵巣を全摘し、周囲のリンパ節も44個切除しました。手術時には細胞を切り取り、医師が病理検査(細胞を顕微鏡で調べる検査)に出したそうです。その結果、がん細胞がリンパ節にも転移していて、子宮体がんのステージはⅢCだと判明。これから抗がん剤治療を始めることになりました。その後、一旦退院してしばらく自宅療養となった、はなうたねこさん。2週間の自宅療養を終え、いよいよ職場復帰となったのですが……。 2週間の自宅療養を終えてようやく仕事に復帰! 翌日に職場復帰を控えた、はなうたねこさん。手術後から続いていた排尿痛はだいぶマシになったものの、リンパ節を切除したせいか足の付け根にしびれを感じ、手術で切ったおなか周辺からは膿のような汁が滲み出ていました。病院からは「手術した傷跡のところは経過を見ましょう」と言われていたのですが、翌日に出社を控えていたため、今回は一時的におなかにガーゼを当てて応急処置することに。 ※創部(手術でできた傷の部位)から出血や膿のようなものが出る場合は病院に相談しましょう。 加えて、手術後からずっとおなかがポッコリと膨らんだままで、ズボンのチャックも閉まらない状況……。自宅療養中に少しずつ歩く距離を伸ばして歩く練習もしましたが、こんな状態で仕事に行けるのでしょうか。 翌朝、目覚めたはなうたねこさんは「気力で乗り切るしかない!」と自分に喝を入れ、自宅をあとにしました。しかし、「駅ってこんなに遠かったっけ?」「鞄ってこんなに重かったっけ?」と、会社に着くまでの道のりがとにかく長く、つらく感じたそうです。 ちなみに、どれくらいつらかったかというと、駅のエスカレーターで誰かがはなうたねこさんの横を追い越していくたびに、歩く振動で、手術痕がズキズキと痛むほど。 それでも、ゆっくりと時間をかけてなんとか職場にたどり着きました。 これまで、会社の人たちには病気のことを何も話していなかった、はなうたねこさん。 今後は抗がん剤治療も始まることから、会社に迷惑をかけないためにも、上司と人事の人たちには「子宮体がんになってしまって」と、事情を説明したそうです。 その際、会社の人たちには「前向きでよかった」と言われたそうですが……。 はなうたねこさん自身は、「前を向いているというか……他に向く方向がないだけで、今自分が向いている方向が前なのかよくわからない」と考えていました。 これは、病院からもらった、抗がん剤治療に関するしおりです。 そこには、一般的によく知られている抗がん剤の副作用(吐き気・しびれ・脱毛など)が書かれていたほか…… 「免疫力が下がるので、他にもいろいろ気をつけましょうね」と、細かい注意事項も書かれていました。 抗がん剤治療開始が目前に迫ってきたころ。 自分が置かれた状況を把握しようと、ネットで子宮体がんについて検索してみた、はなうたねこさん。すると、そこには「子宮体がんのステージⅢCの5年生存率は……」と、かなりショッキングな情報が。 しかし、「暗い情報なんていちいち気にしてられるか! 今は目の前の生活や治療のことだけ考えよう」 と、あくまで前向きの姿勢を貫くことにした、はなうたねこさんでした。 監修/助産師 松田玲子 はなうたねこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター はなうたねこ40代で子宮がんが判明。子宮全摘出、抗がん剤治療、2度の腸閉塞を経て、現在がんサバイバー12年目。そのほかいろいろInstagramにて投稿しています。
2022年12月26日東京オリンピックが開催された2021年の5月、私は子宮頸がんであることが判明しました。誕生日前だったので、私は43歳でした。がんが判明したきっかけは、同年4月に生理の血が止まらなかったことでした。病院に行くと「がんじゃないけど、また来月も来て」という話でひと安心していたのですが、5月に行くと「大きい病院を紹介するからそこで検査をしてみて」とのこと。検査をした結果、子宮頸がんだと告知されました。さらに大学病院を紹介されて、私の闘病生活が始まりました。★関連記事:「がんかも」えっ!? 下腹部の膨らみは子宮筋腫だろうと思っていたのに #子宮頸がんゆる闘病記 143歳、子宮頸がんが判明がんは子宮だけじゃなかった!4月に受診した婦人科で受けた検査の結果を元に、先生からがんの進み具合と治療計画の説明がありました。がんの大きさは5cm、ステージⅠBという進行具合で、放射線治療を約2カ月おこなうということでした。そこまで深刻な状態ではないとのことで、不安な気持ちはあったもののひと安心していました。ところが、大学病院でも検査をするように言われて検査をしてみると、肺に転移していることが判明! 転移について判明が遅れたのは、前の病院でなぜか肺から下しかCT撮影していなかったからだそうです。さらに詳しく見てみるとリンパにも転移していることが判明しました。抗ガン剤治療で髪が抜け…がんが転移している箇所の治療もするため、放射線治療から抗がん剤治療に変更になりました。3週間から4週間に一度、2泊3日の入院をして治療しました。髪の毛が抜けるとのことで嫌で仕方がなかったのですが、先生の「長い人生の中でたった2年間ほどなので、我慢して頑張りましょう」という言葉が支えになり、治療を受けました。2021年7月1日から治療を開始して、それから2週間後にはだんだんと髪の毛が抜けてきてきました。数カ月して気が付くと、全身のありとあらゆる毛が抜けてつるっぱげになっていました。髪の毛が抜けていることが周りにバレないよう、私は10万円以上するウィッグを購入しました。子宮のがんへの放射線治療を開始10カ月後の2022年5月、肺とリンパに転移していたがんが消えたので抗がん剤治療は終了しました。同年6月から、子宮のがんを治すため放射線治療を始めました。28日間、子宮の外側から放射線を当てるために土日以外は毎日通院しました。週に1回は入院して子宮の中から放射線を当てる治療を4回おこなっていました。子宮の中の治療の際は麻酔をしますが、それでも痛くて地獄でした。治療の4回目が終わったときは、担当してくださった看護師さんたちに「よく頑張りましたね」と声をかけられて涙が出ました。治療の効果は3カ月後ぐらいに出るとのことで、同年10月の検査でがん細胞がなくなったという報告を受けました。これからは数カ月に1度病院で検査をして、がんが再発しないように様子を見ることになりました。まとめ病院で診察を受けてから治療を始めるまで、すべての先生の話が二転三転してかなり戸惑いました。最初から大きめの病院に行くべきだったかな、と思ってます。治療期間は私の場合ちょうど1年間で、3カ月後にがん細胞がなくなったという結果を聞きました。髪の毛は抗ガン剤治療が終わってからだいぶ生えてきてますが、まだまだウイッグは必需品です。もう少し髪が伸びておしゃれなショートヘアになるまでウィッグは手放せません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。著者/井上 あき慣れ親しんだ環境で平凡に生きていたが、病気をきっかけにこれまでの人生をリセット。病気が治ってからは、第2の人生を自分らしく自由に生きていくためにライター業にチャレンジ中。
2022年12月26日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんの診断を受け、右胸の全摘と左太ももの組織を使って乳房の再建手術をおこなったこほこさん。術後の経過も良く、いよいよ職場復帰することになり……!?★前の話手術から2カ月。再建した右胸の傷口が壊死したりとトラブルはあったものの、体は順調に回復していました。術後すぐのころは右胸の感覚がなく、テープで胸のようなものをくっ付けられているような感じがしていました。しかしそれも時間がたつにつれて、体になじんできていました。左右の胸を比べたとき、左よりも右のほうがハリがあってやや固めなのですが、これは胸と太ももの脂肪の違いなのかな? と思っています。今は理想の胸の形をしているのですが、そのうち下垂してしまうのだそう。仕方ないとは思いつつも少し悲しい気持ちになりました。右腕は傷口が引きつる感覚があるものの、ほぼ垂直に腕を上げられるようになり包丁もしっかりと使えるようになっていました。日常生活にほぼ支障はなく、仕事も問題なくできそうでした。私は乳がんの告知を受けてから、手術で入院する直前まで仕事をしていました。約2カ月間休職していたのですが、退院後にメールをチェックしたりオンラインミーティングの様子を見たりと完全に仕事から離れることはしていませんでした。しかし、休み始めて1カ月くらいたったころから仕事の感覚が抜けてきてしまい、早く復帰しないと! と焦ってしまう気持ちもありました。焦る気持ちの半面、もう少し休みたいな〜と思うことがあったのですが、日中に1人で過ごしていると社会とのつながりがなくなってしまうのではないかと不安になったりもしました。ちょうど年度末から休職したので、上司の異動や新しい人が入ってきているとのことでした。知らない人に会うので、復職前日はドキドキしていました(笑)。復職の日は体調も良く、足取り軽く職場へと向かいました!おかし外交と称して、イラストを描いたシールを貼ったラスクを配り歩きました(笑)。年度が変わったということもあり、人の入れ替えや仕事の進め方も変わっていました。いろいろと追いつく前に会議の時間になってしまったのですが、ちょっと仕事をすると休職前にワープしたような感覚になっていました。ただ、体力が落ちたからなのか疲れはかなり感じやすかったです。めまいがすることもあり、1日おきに休みを取ったり、リモートワークにするなど焦らずに復帰すればよかったと思いました。復職から半年がたっても倦怠感を感じたり集中できない日があったりするのですが、調子良く働ける日が増えていっています。ー--------------こほこさんはもっとゆっくりと復職していけばよかったと思ったのだそう。何事も焦りは禁物ということですね。★関連記事:「全線開通ー!」黒目の縁が白く濁る? 老人環とは一体 #アラフィフ主婦ちゃんねる 44★関連記事:「こ、これは私!?」術後に痩せたと喜んでいたら思いも寄らぬ惨状が… #43歳で腎がんになった話 19★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月24日東京外科クリニック(所在地:東京・御茶ノ水、院長:大橋 直樹)は、日帰り腹腔鏡手術を専門としたクリニックと合同で「東京外科グループ」を発足したと同時に、グループ全体として3,885例(対象期間:2015年11月~2022年12月)の日帰り手術の症例を達成したことを報告させていただきます。1■そけいヘルニア日帰り手術の歴史東京外科クリニックは、「脱腸(そけいヘルニア)」(※1)を腹腔鏡でかつ日帰りで治療する専門クリニックとして日本で初めて(※2)開院いたしました。腹腔鏡は従来の切開法よりもはるかにキズが小さく済むためメリットがありますが、入院が当たり前とされており、日帰りでの手術は普及しておりませんでした。当院は2015年の開院以来、腹腔鏡によるそけいヘルニア日帰り手術を日本に広める事を使命と心得、普及活動・開院支援を行って参りました。徐々に取り組む医療機関が増えてきましたが、それと同時に課題も見えてきました。※1:脱腸は太腿の付け根が膨れる病気です。一般的には「脱腸」と呼ばれていますが、医学的な病名は「鼠径ヘルニア」です。(本稿ではひらがなで表記。)手術以外の治療法はなく、下腹部を補強するメッシュを入れる術式が普及していますが、これを腹腔鏡による小さいキズで行う方法が最近注目されています。発症しただけでは、生命にかかわることはありませんが、「かんとん」という緊急事態に陥ると激しい痛みを訴え、時として緊急手術を要すこともあるため早めの治療が勧められます。※2:当法人調べ。保険診療機関として届出されている診療所で、日帰りの腹腔鏡下そけいヘルニア修復術(TAPP)を主たる術式として行う施設は日本初となります。■普及とともに見えてきた課題腹腔鏡によるそけいヘルニア日帰り手術を安全に行うためには、外科医、麻酔科医、看護師の一定水準以上の技術が必要であり、安全に患者様を日常にお返しするために、妥協は許されません。しかしながら、この手術を行う医院が増えていく中で、質の担保という課題が見えてきました。我々の責務は自院のみならず、日本全体の医療レベルの向上です。この課題に対し、我々だけで出来ることは限られています。そのため、同じ想いで日帰り手術を行っているクリニックに協力を要請し共にグループを発足いたしました。■東京外科グループのミッションより安全で精度の高い日帰り手術を広く普及することがグループの目標です。そのため、今回のグループ化は分院展開やフランチャイズ展開とは異なり、同じ志をもった医院が合同でグループを立ち上げております。今後、同じ志を持つ仲間をさらに増やして、発信力を強めていければと思っています。■東京外科グループの概要東京外科グループは、関東圏の日帰り手術を行うクリニックである、東京外科クリニック( )、埼玉外科クリニック( )、茨城ヘルニアクリニック・太田医院( )の3院で構成されています。グループ全体の症例としては、2015年11月~2022年12月で3,885例、また日帰り手術の成功率は99.9%となっています。3■グループ化による連携強化グループ化によるメリットとして、そけいヘルニア、虫垂切除、胆嚢摘出、乳腺、小児外科等の症例に対し、技術連携・情報共有をすることで、患者様により高品質な医療を提供できるようになります。研究活動としても、2020年には当グループにおける手術実績をもとに、腹腔鏡による日帰り手術について1,000例以上の大規模データで示した日本語文献初の報告(腹腔鏡下鼠径ヘルニア修復術(TAPP法)による日帰り手術の短期成績, 日本臨床外科学会雑誌, 2020, 81巻, 9号)を執筆するなど、提供する医療の質向上、ならびに日本全体の技術発展のために貢献していきます。さらに、日帰り手術研究会での情報発信、開院支援なども行っております。■東京外科グループ 代表 大橋 直樹のコメントそけいヘルニア等の疾患は人生でそう何度も罹患する病気ではありません。一度きりの手術だからこそ、患者様には後悔のない選択をしていただきたいと考えています。そして、そのために最も大切なのは医療の質、外科医・麻酔科医・看護師の力であると考えます。そけいヘルニアをはじめとした疾患でお悩みの方を一人でも多く救えるよう、グループとしてたゆまぬ努力を重ねてまいります。■運営サイト・論文のリンク東京外科グループ グループサイト 東京外科クリニック公式サイト 医療法人社団博施会公式サイト 論文のリンク 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年12月20日2012年に子宮頸がんが判明した、はたの有咲さんの闘病後の夫婦生活を描いたマンガを紹介します。夫であるケンジさんに支えられて子宮頸がんの治療を乗り越えたはたの有咲さん。治療を終え、ケンジさんから夫婦生活の再開を望まれ……。★前の話私とケンジは結婚後、3人の娘に恵まれました。子育ては大変でしたが、子どもたちが大きくなったら、ケンジと2人でゆっくりと過ごせるようになると思っていました。しかし、私が子宮頸がんになったことにより事態は一変。私は子宮の全摘手術を受け、そのときにもらった退院後のしおりに「性生活は退院から2カ月以降」と書いてありました。ケンジにそれを伝えると「わかった!」と理解を示してくれました。その後、放射線治療が終わるころには退院から2カ月たっていました。ケンジからは「そろそろどうかな?」と夫婦生活を望む声が……。当時の私は放射線治療の影響で体調はあまり良くありませんでした。ただ、子宮頸がんの治療前からケンジとの夫婦生活はなかったので、ケンジの要望に応えることにしました。子宮の全摘手術を受けたときに膣の一部も切り取っており、腟が以前よりも短くなっていたので少し恐怖心もありました。しかし、治療は無事に終わっていたので問題なく夫婦生活ができるはず! そう思っていました。ー--------------病気によって関係が変わってしまったはたの有咲さん夫婦。治療が終わってからのことも話し合っておく必要がありますよね。■コミックス情報「子宮頸がんとセックスレス」著者:はたの有咲定価:150円(税抜)出版社:秋水社ORIGINAL★関連リンク:「子宮頸がんとセックスレス(1)」(WEB)秋水社公式ページ(外部サイト)©︎はたの有咲/秋水社著者/はたの 有咲(52歳)マンガ家で3姉妹の母。子宮頸が(IB1期)の治療から11年が経過。治療経験を描いたマンガを描いている。「mini SUGAR」にて4コママンガを連載中。
2022年12月20日2012年に子宮頸がんが判明した、はたの有咲さんの闘病後の夫婦生活を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんの原因は性行為にあるのだそう。しかし、はたの有咲さんは夫としか性行為をおこなったことがないそうで……。★前の話私はときどき不正出血が起こることがありました。ちょうどそのとき、子宮頸がん検査の無料クーポンを持っていたこともあり、ふらっと婦人科へ行ったことで子宮頸がんが判明しました。子宮頸がんは発がん性のヒトパピローマウイルスの感染によって発症するものなのだそう。このヒトパピローマウイルスというのは、一度でも性行為の経験がある女性であれば誰もが感染する可能性があります。「性行為で感染する」というせいで複数の男性と関係を持っているように誤解されることもあるみたいで、病気についてカミングアウトできない女性もいるのだとか。私は夫としか性行為をしたことがないのに子宮頸がんになりました!1人の男性としか性行為をしていなくても、ヒトパピローマウイルスに感染してしまうことはめずらしくありません。病気になってしまった女性が誤った知識のせいで苦しむことがなくなればいいな、と思います。ー--------------間違った知識で苦しむ女性が減ってほしいと願うはたの有咲さん。病気について何が正しくて、何が間違っているのかきちんとした知識を身に付けることは大切ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。■コミックス情報「子宮頸がんとセックスレス」著者:はたの有咲定価:150円(税抜)出版社:秋水社ORIGINAL★関連リンク:「子宮頸がんとセックスレス(1)」(WEB)秋水社公式ページ(外部サイト)©︎はたの有咲/秋水社著者/はたの 有咲(52歳)マンガ家で3姉妹の母。子宮頸が(IB1期)の治療から11年が経過。治療経験を描いたマンガを描いている。「mini SUGAR」にて4コママンガを連載中。
2022年12月16日43歳になる誕生日当日。レバーのような血の塊と大量出血に見舞われ、思わず「ギャー!」と叫び声を上げた、はなうたねこさん。婦人科を受診したところ、子宮体がんだと宣告され…!?【前回のあらすじ】43歳の誕生日に、子宮からレバーのような血の塊とともに大量の出血があり、「もしかして……病気かも?」と怖くなった、はなうたねこさん。後日、総合病院の婦人科を訪れ、内診で子宮内細胞を採取し、血液検査を受け、MRIを撮影。その結果、医師から「残念ですが、子宮体がんです。発症してから10年くらい経っているかもしれません」と、衝撃の事実を告げられたのです! そして急きょ、宣告から17日後に手術をおこなうことになったのですが……。 約6時間におよぶ大手術、そして入院生活の記録 「子宮体がんです、発症から10年くらい経っているかもしれません」と医師に宣告されてから16日、はなうたねこさんは、手術前日に入院しました。手術前日はヨーグルトに塩を加えたような味の下剤を飲まされ、カミソリで下の毛を剃られ、へそのゴマをぐりぐりと掃除されて、手術の下準備が完了。 翌日におこなわれる手術への緊張と、断食による空腹で眠れないかと思いきや、病院から処方された睡眠薬のおかげで、手術前日はぐっすりと眠ることができました。 手術室へ! 手術台に乗せられたあとは全身麻酔をかけられ、4秒ほどでスーッと意識がなくなったそうです。 手術が終わったのは、約6時間後。手術当日は、はなうたねこさんのお姉さんと、友人が付き添ってくれたそうです。 今回の手術で、子宮・卵巣は全摘出。さらに周囲のリンパ節も計44個切除しました。 術後、全身麻酔が切れて目を覚ましたはなうたねこさんは、あまりの痛みに悶絶……。声を発することはおろか、呼吸をするのもつらかったそうです。なんとかジェスチャーで痛みがひどいことをお姉さんに伝えると、お姉さんが看護師さんに「声も出せない状況ですが、痛みがひどいって言ってるんです! 痛み止めを打ってあげてください!」と慌ててお願いしてくれました。 その後、痛み止めの点滴を打ってもらい、翌日には痛みが落ち着いたそうです。 それからの入院生活で、はなうたねこさんが「これは欠かせなかった」と語るのが、「腹帯(ふくたい)」と呼ばれるアイテム(いわゆる腹巻き)。腹帯は、開腹手術をおこなったあとの患部の保護や、手術で切った腹筋の代わりの役割をしてくれるのだとか。 腹帯を着けていないときは、おなかにまったく力が入らないのですが、腹帯を着けるだけで、いつものように歩くことができるそうです。 ちなみに、入院生活の中ではなうたねこさんが最も大変だったと感じたのは、トイレでした。術後にずっと寝たきりだと臓器が癒着してしまうおそれがあるため、定期的に体を起こしてトイレに行かなくてはいけないらしいのですが、トイレに行くまでがとても大変なのです! 具体的には…… 1.心電図のコンセントを抜く2.両下腹部のドレーン(※1)とつながっている、浸出液(※2)を溜めておく2つのバッグを点滴スタンドのフックにかける3.点滴が刺さっていないほうの手で点滴スタンドを押してトイレに行く という手順を踏まなくてはならず、これが想像以上に重労働なのです。 ※1=ドレーンとは、体内に溜まった水分や血液、浸出液、膿などを体外に出すための管のこと。※2=浸出液とは、傷の表面から滲み出てくる液体。 そして、トイレに行ったら尿の量を計測しなければいけないのですが、ここでもドレーンが体に絡まって邪魔をします。しかも、トイレから帰ってきたら逆の順番で、浸出液のバッグやコンセントを元の状態に戻さなければなりません。 おなかにうまく力が入らない状態のはなうたねこさんにとっては、これだけでもかなりの重労働でした。 入院中のはなうたねこさんは、毎日、尿量とお通じの回数も記録。全摘した子宮の周りには排泄機能をもつ臓器があるため、手術後にきちんと排泄ができているか記録することは、術後の経過を見るにあたって、とても重要です。 ちなみに、ガス(おなら)が出れば、腸がきちんと動いている証拠になります。そのため、排泄があるかどうかだけでなく、ガスが出るかどうかも、術後の回復具合を確認するための重要ポイントなのだとか。ガスとお通じが出るようになれば、点滴と水だけで栄養をとる日々から抜け出すことができ、食事ができるようになります。 そうして、手術から数日後。ガスもお通じも出るようになったはなうたねこさんのもとに、ようやく食事が運ばれてきました! 手術後初めて出された病院食の献立は、りんごジュースに具なしのやさいスープ、そしてヨーグルト。どれも具材がまったくなく、食べた気にならないような献立ではありましたが、「口から物を食べられるって、こんなに素晴らしいことなんだ……」と、今まで当たり前だと思っていたことに心から感動した、はなうたねこさんでした。 監修/助産師 REIKO はなうたねこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター はなうたねこ40代で子宮がんが判明。子宮全摘出、抗がん剤治療、2度の腸閉塞を経て、現在がんサバイバー12年目。そのほかいろいろInstagramにて投稿しています。
2022年12月15日2012年に子宮頸がんが判明した、はたの有咲さんの闘病後の夫婦生活を描いたマンガを紹介します。子宮頸がんが判明して、子宮の全摘手術を受けたはたの有咲さん。その後、放射線治療をおこない、がんは治ったものの……。※2021年のお話です。★関連記事:「がんかも」えっ!? 下腹部の膨らみは子宮筋腫だろうと思っていたのに #子宮頸がんゆる闘病記 1私は2011年の10月に受けた子宮頸がんの検査に引っかかり、再検査をしたところ手術を勧められました。衝撃を受けつつも、子宮頸部円錐切除の手術をしてもらいました。手術の10日後には病理検査の結果が出て、子宮頸がんであることが判明! 悲しむ間もなく子宮の全摘手術を受けることになりました。その後、放射線治療を受けて一時期は心身ともにつらい状態に……。体調は年々少しずつ回復し、自分でも驚くほどに元気になりました。がんが再発することなく無事に5年がたち、今では3カ月に1度婦人科で女性ホルモンの薬を処方してもらうだけになりました。ただ、私は治療だけではなくもう1つ大きな問題を抱えていました。それは夫との夫婦生活について! 子宮頸がんの治療が終わってからの6年間、私は夫婦生活のせいでとても悩むことになりました……。ー--------------夫婦にとって夫婦生活はとても大きな問題ですよね。皆さんは夫婦生活で悩んでいることはありますか?■コミックス情報「子宮頸がんとセックスレス」著者:はたの有咲定価:150円(税抜)出版社:秋水社ORIGINAL★関連リンク:「子宮頸がんとセックスレス(1)」(WEB)秋水社公式ページ(外部サイト)©︎はたの有咲/秋水社著者/はたの 有咲(52歳)マンガ家で3姉妹の母。子宮頸が(IB1期)の治療から11年が経過。治療経験を描いたマンガを描いている。「mini SUGAR」にて4コママンガを連載中。
2022年12月15日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ息子なつくんの手術が早速、明日に決定! すぐにドクターカーに乗車して転院することに。大学病院に着くと、再度検査や執刀医からの説明を受け、一気に現実味が帯びてきて、私は不安でたまらなくなるのでした。■翌朝、沐浴してもらうはずが…■今すぐ手術室へ行ける準備を!?転院先が遠方のため頼れる人もおらず孤立無援状態になるけど、何とかなるだろう(変にポジティブ)とか思っていたんですが、蓋を開けてみればコロナでの行動規制も相まって、「買い物行けない&支援も頼めないけど、どうすりゃいいの?」状態だったので、夫が自己判断で休みを取って、即行で駆けつけてくれたことが本当に、ものっすごくありがたかったです…!新生児用オムツなんて、病院内売店に10枚入りとかしか売ってなくて(しかも在庫少ない)、「アホなの? こんなんで持つと思ってんの?」てなっていたので、本当に神様でした。まぁそのせいで夫は手術に間に合わなかったんですけども…。間に合わなくて落ち込む夫に申し訳なさがすごかったです…。急遽入った手術だと、手術室の空きってあんな直前までわからないものなんですね。次回に続く「生後3週間で手術しました」(全9話)は12時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年12月14日1人目妊活中のかこさん。結婚前の健康診断で婦人科検診を受けたところ、なんと卵巣嚢腫があることが発覚!医師から「手術が必要かもしれない」と精密検査を受けたところ……。【あらすじ】6cm・10cmとサイズの大きな卵巣嚢腫が見つかったかこさん。医師から放っておくと危険と言われ手術することになりました。不安な状態でついに手術当日を迎え……。 術後、目を開けるとそこには ついに手術の時間となり、看護師さんと共に手術室へ向かったかこさん。頭のなかは「こわいこわいこわいこわい」と緊張と不安でいっぱいです。 手術室に到着すると、麻酔科医がお待ちかね。いよいよ麻酔が打たれると……目覚めたときには手術が終わっていました。目を開けると、そこには母の顔が。「無事に手術が終わったんだ」と安堵するかこさんでした。 医療監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック 院長) ※この漫画は実話に基づいた体験談であり、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 かこさんのマンガは、このほかにもInstagramで読むことができます。ぜひチェックしてみてくださいね! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター かこ1人目妊活中のイラストレーター。稽留流産をきっかけに転職→転職に失敗→結果退職。卵巣嚢腫(両側)、子宮内膜ポリープ手術経験有。インスタグラムで妊活の様子や過去の手術体験談などを発信しています!
2022年12月13日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ詳しく検査したところ、息子のなつくんは肥厚性幽門狭窄症であることが判明。今が一番育たないといけない時期ということを考えると、なるべく早く手術をした方がいいと言われ、大学病院での手術を決断するのでした。■手術日が決定!■手術の説明を受け不安に…転院の日はとにかくバタバタでした。朝からろくにご飯食べる余裕もなく、検査→退院手続き→転院→検査→入院手続き→手術説明~って感じで、いつの間にか夜!ネットでいろいろ調べまくって「再発はほぼない」という経験談をたくさん読んでいても、手術前の説明でいろんなリスクについての話をされるとやっぱり不安で堪らなくなりました。自分は目の前の先生を信じるしかない…という無力感と、でも手術が無事に終わればなつくんは必ず元気になるんだという期待と、複雑な心境でした。次回に続く「生後3週間で手術しました」(全9話)は12時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年12月13日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは全摘、再建手術をおこなった右胸の傷の経過を確認するために形成外科を訪れました。そのとき、手術の執刀医から再建についてのハンドブックを渡されたそうで……。★前の話手術から54日目。退院してから3回目の形成外科での経過観察の日でした。傷の経過は順調とのことで安心していると、医師から「再建についてのハンドブックを作っている」ということを聞きました。私は自分が乳がんになるまで治療のことなんてまったく知りませんでした。告知をされたときも衝撃で頭が回らず、医師が説明してくれたことなんて右から左に抜けている状態。そんなとき、このハンドブックがあれば気持ちが落ち着いてからきちんと治療について確認できていいよな、と思いました。当然、私は何も知識がなかったので全摘といっても中身だけを取って、乳輪や乳頭は残しておけるものだと思っていました。本当は乳房の再建と乳輪・乳頭の再建は別でおこなうし体形によっては自家組織での再建ができなかったりするのだそう。乳がんになって、胸を全摘して再建するとなったときどんな選択肢があるのか知れたら気持ちは少しラクになるような気がしました。がんの病理組織診断の結果を受けて、私はホルモン療法を始めていました。その内容は、女性ホルモンであるエストロゲンを抑えるために「タモキシフェン」という飲み薬を毎日服用することと24週ごとに「リュープリン」という皮下注射を打つこと。この日は血液検査をしたのですが、特に異常はないということでひと安心!タモキシフェンはこれから10年間飲み続けなければならない薬なのですが、手術をした病院では2カ月分しか処方できないとのことでした。しかし、告知を受けた病院では3カ月分処方できるということだったので、その病院に転院することにしました。乳腺外科の医師はどちらの病院でも勤務しているので、担当医が変わることはありませんでした。タモキシフェンの副作用に悩んでいたのですが、もうすぐ職場に復帰する予定になっていたので薬についても少し相談しました。ー--------------こほこさんは形成外科で制作中のハンドブックを見せてもらったそう。こうやって自分の経験が誰かの助けになることはすてきですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月12日2015年に結婚し、2017年に息子さんを出産したホニャララゆいさん。このお話は、ゆいさんにいつの間にかできていた「コブ」が旦那さまとの結婚のきっかけとなるという、なんとも不思議な馴れ初めストーリーです。いつの間にか首にコブいつの間にかできていた首のコブ。大きくなった自覚もあり、不安だったものの、忙しさで意識しなくなっていました。そんなある日、今まで痛くもかゆくもなかったコブにチクッと痛みを感じ、再び不安に襲われていたゆいさん。上司のホニャララさんにも促され、病院へ行くと、現れたのは国宝級イケメン医師! そして彼は、ゆいさんのコブの正体を「顎下腺腫瘍です。一般的には、半分は悪性の…」と告げ、治療法として摘出手術の説明を始めたのです。 「顎下腺を全摘する」と聞き、唾液をつくるなんてそんな大事なところを全部取っちゃっていいの!?と驚いたゆいさんでしたが、唾液をつくる組織はほかにもある、と医師はいいます。ホッとしたのもつかの間、顔面神経麻痺が残るリスクや全身麻酔によるリスクなどもあることが説明されました。 医療行為を受けるときには、インフォームドコンセントと言って、どんな医療行為をおこなうのかを医師などから説明を受けなければいけないことになっているのですが……。わかっていてもリスクを聞くのはどうしても怖いし、悪いほうにばかり考えてしまいがちですよね。 ホニャララゆいさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ホニャララゆい四国出身・関西在住の在宅ワーカー。2017年生まれの男の子を育てている多趣味なママです。子どもの日常マンガなどをInstagramで投稿しています。
2022年12月08日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。全摘と再建をした右胸の傷の経過を確認してもらうために形成外科を受診したこほこさん。そこでドッグイヤーという聞き慣れない言葉を耳にして……。★前の話手術の傷を確認してもらうために約20日ぶりに形成外科を受診しました。傷が治ってきたのか、皮膚の盛り上がり方も少し変わってきていました。退院した日に抜糸をしてもらっていたのですが、その糸が残っていたのでこのときに抜いてもらいました。右胸の傷は術後、一部が壊死しているとのことでどうなるかと思っていたのですが……きちんと新しい皮膚が壊死した部分を埋めてくれているようでした。私は全摘した右胸の再建に自家組織を使うことにしたので、左太ももから皮膚や脂肪、血管を移植しました。ただ、太ももの皮弁(血流のある皮膚や皮下組織)だけでは足りなかったようで、半年後くらいに脂肪注射をして胸の形を整えることになりました。私の右胸の傷は端がぽっこりと盛り上がっているのですが、そこはドッグイヤーという名称になっているのだそう! かわいい名前だな〜と思ったのもつかの間、ドッグイヤーを放置していると皮膚が引きつれてしまうとのこと。自分でも傷が引きつっている感覚があったので、いずれ治すことになりました。退院から1カ月。術後の経過も良く、体調も元に戻りつつあったので実家へ帰省しました。私が住んでいるところから実家は新幹線に乗らなければいけないほど離れており、両親とは術前にあったのが最後でした。母は何かと私のことを気にかけてくれており、電話をしてくれたり、クール便でおかずを送ってくれたりしていました。無事に手術も終わったし、両親の前では元気に振る舞おうと思っていたのですが……。「痩せたね」と母は私をかなり心配している様子。体重変わってないのに痩せたように見えるのか!? と少し驚きました(笑)。親だからこそわかる違いみたいなものがあるのかな〜と思いつつ、帰省中は子どものころのように両親に甘えました。実家には犬がいるのですが、その犬を散歩したとき犬が走り出したので私も連られて駆け出していました! 再建時に組織を取った左脚を引きずることや痛みを感じることはなく、回復しているとしみじみ思いました。ー--------------術後の帰省で両親に甘えたというこほこさん。親の存在って特別なものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月07日20代前半、初めて受診した婦人科で「子宮筋腫」があることを告げられたみりさん。子宮筋腫の発見から手術を受けるまでの体験記をご紹介します。子宮筋腫摘出手術の日、初めての手術を前に緊張と不安がみりさんを襲います。そして、手術が始まると……!? ついに初手術※子宮筋腫は、子宮にできる良性の腫瘍です。30~40代の女性に多く、生殖年齢にある女性の20~30%にみられると言われています。子宮筋腫は良性の腫瘍ですが、大きくなると過多月経、月経困難症、不妊、圧迫症状など、さまざまな症状が現れるため、早めに診断・治療を受けることが大切です。 みりさんは、手術部位の痛みをとるための硬膜外麻酔を打った後、全身麻酔をしました。 手術後、看護師さんの声で目を覚ましたみりさん。しかし、まだ麻酔で朦ろうとする意識の中、吐き気も感じて、手術直後の記憶はあいまいだったと言います。手術から時間が経っても続く吐き気に苦しめられながら、水すら飲めない手術当日の夜はみりさんにとってとてもつらく長い夜だったそうです。それでも、看護師さんのサポートを受けながら徐々に回復へと向かっていったみりさんは、予定より1日早い術後6日目で退院できることに! 実は、みりさんの子宮には、最初に見つかった筋腫以外に小さな筋腫なども隠れていたそうで……手術時にそれも一緒に摘出してもらい、長年みりさんを悩ませていた経血量は術後驚くほど落ち着き、みりさんは手術をしてよかった……と強く思ったそうです。子宮筋腫が見つかってから手術を終えるまで、恐怖や不安でいっぱいだったみりさん。不安な自分の気持ちを人に打ち明けられない時間はとてもつらかったことと思います。このマンガが、当時のみりさんと同じような不安を抱える方の励みや支えになることを願っています。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 みりさんは、このほかにもTwitterを更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター みり自分の経験で誰かの役に立てたならと思いエッセイ漫画を作成している。「イラスト・漫画で何か発信できたら…」と模索中のアラサーOL。漫画内に出てくるキャラクターのLINEスタンプ紗凪名義で「レッサーパンダのレッサーちゃん」をゆるく販売中。
2022年12月05日