「今の状況は戦時下とよく似ています」……夏に行ったインタビューでも、そう語っていた美輪明宏さん(85)。第3波が猛威を振るい、相変わらず収束が見えないコロナ禍のなか迎える新年を、私たちはどう生きればいいのだろう?美輪さんからの新しい1年に歩み出す希望の提言ーー。’20年は、世界中が新型コロナウイルスに翻弄され続ける1年となりました。ここにきて国内では東京、大阪、北海道、兵庫など各地で、一日での新規感染者数が過去最多を記録するなど、第3波の猛威は、すでに第1波、第2波を超える危険な状態だと感じております。政府は第3波の感染拡大を受け、「Go To トラベル」や「Go To イート」などの一部停止に踏み切りましたが、相変わらず決断を下してから実行に移すまでのスピード感はないですね。観光業界や飲食業界は、自民党の大事な票田です。そういう業界から嘆願書が来ると、嫌でも次の選挙に関わってくるので、菅首相も簡単に中止するわけにはいかない。規制するにしても、緩くしかできなかったのでしょう。ただ、政府を責めてばかりもいられません。大手航空会社が、グループ全体の社員を3,500人も削減するという報道もありました。コロナの影響で、仕事を失った方々が多くいらっしゃることも事実です。そして、さまざまな業界で給与削減、ボーナス、退職金が払えないといった話なども耳にします。ボーナスや退職金が出る会社は、まだいいほうかもしれません。東京、神奈川、大阪など感染者数が多い地域では、お酒を提供する飲食店に対して、再び時短営業の要請が出されました。店舗を借りて飲食店を経営するオーナーたちには、家賃、従業員の給与、光熱費などの支払いが重くのしかかっています。貯金がいっぱいあれば別ですが、毎月カツカツで商売をやっているお店だと、いくら国や自治体からの給付金や協力金をもらっても、それだけでは食べていけない。第1波以降、閉店に追い込まれたお店も少なくありません。国民はそういう飲食店の苦しい経営事情をよく理解していると思います。お店側もお客さんに安心して来てもらうために、衛生面での気配りをはじめ、入店の際は検温、手の消毒、そして人数や座席の制限を設けるなど、クラスターが起きないように、皆さん我慢と努力を続けながら、必死に経営をなさっています。私たちのエンタテインメント業界も、大打撃を受けています。コンサートやお芝居などは、すべてキャンセル。観客数を大幅に減らして、やっているところもありますが、結果的には赤字になってしまう。だから、赤字になるぐらいなら、いっそのことやらないほうがいい、と。そしてプロダクションのタレントやアーティストたちも仕事がなくなって困っています。死活問題ですが、まだ今の段階では、ブレーキとアクセルをうまく使いながら、感染者をできるだけ増やさないように、経済を動かしていくしか方法はありません。経済が回らなくなってしまったら、各家庭が食べていけなくなる。そうなれば、国全体が食べていけなくなってしまいますから。「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月31日「今の状況は戦時下とよく似ています」……夏に行ったインタビューでも、そう語っていた美輪明宏さん(85)。第3波が猛威を振るい、相変わらず収束が見えないコロナ禍のなか迎える新年を、私たちはどう生きればいいのだろう?美輪さんからの新しい1年に歩み出す希望の提言ーー。’20年は、世界中が新型コロナウイルスに翻弄され続ける1年となりました。ここにきて国内では東京、大阪、北海道、兵庫など各地で、一日での新規感染者数が過去最多を記録するなど、第3波の猛威は、すでに第1波、第2波を超える危険な状態だと感じております。この状況で、多くの命を守るためには、まず“自分が感染しないようにする”ことが大事。そして“自らが感染を広げないように行動する”ことーー。私はこれを徹底しながら、不要不急の外出は控えています。やはりクラスターが怖いですからね。テレビの収録などのお仕事以外は家の中で過ごす。もちろん、ただじっとしているわけではありません。読書を中心に、歴史や文学、芸術など、家で学べるさまざまな勉強や情報収集は欠かさずやっております。同時に、外出しないことで、体力や筋力が落ちることのないように、体操やトレーニング、ウオーキングなどを毎日続けながら、コロナ収束後の生活に備えています。幸いなことに、日本は陸続きのEU諸国、あるいは広大な面積を持つアメリカ、ロシアといった国々と違い、国土が狭いので、世界の中でも、感染者数はまだまだ少ないほうです。コロナ禍を収束させる救いの神は、効果的なワクチンと特効薬が開発されること。今はそれを頼りに、じっと耐えるしかないと思っております。「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月30日「今の状況は戦時下とよく似ています」……夏に行ったインタビューでも、そう語っていた美輪明宏さん(85)。第3波が猛威を振るい、相変わらず収束が見えないコロナ禍のなか迎える新年を、私たちはどう生きればいいのだろう?美輪さんからの新しい1年に歩み出す希望の提言ーー。’20年は、世界中が新型コロナウイルスに翻弄され続ける1年となりました。ここにきて国内では東京、大阪、北海道、兵庫など各地で、一日での新規感染者数が過去最多を記録するなど、第3波の猛威は、すでに第1波、第2波を超える危険な状態だと感じております。それは第2波以降、政府が規制を緩め、街には多くの人があふれるようになったから。おそらく、長期にわたるコロナ禍の生活に慣れてしまい、“自分が死ぬことはない”と考える人が増えてきたからでしょう。とくに若い世代の人たちは、高齢者の方々と比べて、重症化するリスク、死亡率も低い。“自分たちは大丈夫”だと、楽観的な人たちの多いことが、感染拡大に歯止めがかからない要因の1つになっていると思います。私はコロナの収束が見えない今の状況は、戦時下と同じだと思っています。この状況ではとても怖くて出歩く気にはなれません。きっと戦争体験のある人なら、そう感じているはずです。戦時中は、爆弾よけの防空壕を一軒一軒が造ったり、山の陰に横穴式に掘ったりして、いざというときに備えていました。都会の場合はそういう場所がないから、家の床を剥がして防空壕を床下に造っていたのです。そして敵機来襲のサイレンが鳴ると、みんな防空壕に逃げ込んで、外には一切出ない。警戒警報の解除を知らせるサイレンが鳴るまでは、じっと息を殺して、その時を待つ。私たちはそういう体験をしてきたのです。敵がいつ襲ってくるかわからない……。今は、そのときと同じようなことが起きている、そう実感しております。「女性自身」2021年1月5日・12日合併号 掲載
2020年12月29日お笑いコンビ・ココリコの遠藤章造が11日、自身の公式YouTubeチャンネル「ココリコ遠藤のヘンなカタチ」に公開した動画で、2011年に芸能界を引退した島田紳助さんと連絡を取り合ったことを明かした。「【ご報告】遠藤の動画を見て島田紳助さんから連絡がきました【上地雄輔コラボ】」と題して公開した動画で、遠藤はゲストとして招いた上地雄輔と対談。遠藤は10月16日に公開したYouTube動画の中で、紳助さんの著書『島田紳助100の言葉』(ヨシモトブックス)を愛読していると明かしており、「東野(幸治)さんから急にLINEが来て、『紳助さんが遠藤のYouTubeを見て喜んでたで。連絡してみたら?』ってきて。紳助さんの連絡先知らないから教えていただいて。ドキドキしながら紳助さんに連絡させていただいたんですよ」と振り返った。そして「紳助さんからすぐ返信いただいて。『元気でやってるか。頑張れよ。時間がもし合えば、飯でも行こうか』って。めっちゃありがたいやん」と感謝した。遠藤が「雄輔はいまだに紳助さんと会う?」と聞くと、上地は「はい。会いますよ。ほんとにたまにですけど、連絡もしてるし。いまだに面白い。すごい楽しい」と明かした。そして遠藤は「YouTubeやっててよかったなと。10年ぶりぐらいに紳助さんとコンタクト取れたことがYouTubeってすごいなって。本当にやってて良かった」としみじみと述べ、「来年は紳助さんと、もちろん公の場じゃなくて、プライベートで1回、雄輔交えてお食事したい」と願望を口にした。
2020年12月14日東京の新しい結界を形作るといわれる5つの神社。反時計回りにお参りすることで、悪運を除けて良縁を結ぶという、島田秀平さん流「逆さ詣で」のやり方とは?都内のパワースポットを結ぶことで円=縁が強まる!?「原宿の母」に才能を見出され「代々木の甥」の名を与えられた手相芸人の島田さんは、東京の神社の新しい巡り方を提唱している。「陰陽五行説に基づいて選ばれた『新東京五社』といわれる、東京大神宮・神田明神・水天宮・金刀比羅宮・日枝神社。この5社を地図上で繋ぐとできる円が、皇居、そして東京の新たな結界を形作っているといわれています。どこも近年パワースポットとして人気の場所ですが、よりパワーを強めるためにおすすめしたいのが、島田流・新東京五社逆さ詣で。時間に逆行するように反時計回りにお参りすることで“永遠・若返り”などの効果が。縁結びの神社である東京大神宮を拠点にスタートするのがいいでしょう。人が集う寺社にはパワーが集まり、その場所に行き人の流れを作ることで結界の力を強化するので、コロナ禍の日本を守るのに繋がることも期待できます」逆さ詣でを強化するポイントは?「午前中に寄り道せず一気に回ること。公共交通機関を使ってOK。天赦日、一粒万倍日などの吉日を選ぶのも。来年の初詣なら、そのふたつが重なる1月16日にさらなるご利益が」島田流・新東京五社逆さ詣で「スタート&ゴール地点のおすすめは、恋愛のパワースポットとして有名な東京大神宮。恋愛以外の縁結びにも強力なご利益が。ここの恋みくじは出会う相手の干支や星座まで細かく書いてあるので、恋に迷ったときの強い味方。日枝神社は江戸城の裏鬼門を守るため、江戸時代に現在の場所に移転。恋愛で相手との仲を深めたいときや、家庭円満などのご利益に霊験あらたかな神様です。金刀比羅宮は香川県にある金刀比羅宮の分社ですが、高層ビルと一体化している都会的な神社。夜はゴールドにライトアップされるなど“金”の気を強く感じるパワースポットです。水天宮は安産&子宝の神様。ここの子宝いぬを撫でると安産や子授け、成長のご利益が。人気アニメの聖地でもある神田明神は、商売繁盛や仕事運向上を願う参拝者が多く、大企業の重役などの初詣スポットとして賑わいます」木:東京大神宮東京都千代田区富士見2‐4‐1土:日枝神社東京都千代田区永田町2‐10‐5金:金刀比羅宮東京都港区虎ノ門1‐2‐7水:水天宮東京都中央区日本橋蛎殻町2‐4‐1火:神田明神東京都千代田区外神田2‐16‐2しまだ・しゅうへい2002年に「原宿の母」に弟子入りし、芸人の傍ら手相を学ぶ。現在は手相芸人としても活躍。新東京五社に触れた近著に『島田秀平のニッポン開運ライン』(神宮館)。※『anan』2020年12月16日号より。取材、文・さかいもゆる(by anan編集部)
2020年12月13日スターバックス(Starbucks)は、御所人形の老舗として知られる島田耕園人形工房とコラボレーションした招き猫など7種の商品を、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京にて2020年12月14日(月)から数量限定発売する。京都の地で日本の人形の伝統を創りつづけてきた島田耕園人形工房。中でも御所人形は、江戸時代に作られ、参勤交代の大名に返礼品として贈られたものだ。スターバックスとのコラボレーションでは、「日ごろより健康でいることの大切さ」や「大切な人と一緒に過ごすことが出来ることのへ幸せ」への願いを込めた御所人形や招き猫などを用意する。御所人形の瓢箪持「六瓢息災」は“無病”とかけて六つの瓢箪を装飾。招き猫は、京都東山地区の店舗で販売されている JIMOTO made Series「縁起物チャーム」にもある招き猫三毛をモチーフにして制作された。いずれもよく見ると、スターモチーフや茶色のエプロンなど、ロースタリー 東京らしいディテールがあしらわれている。その他、2021年の干支である“丑(うし)”を象った土鈴も販売。“魔除け”や“縁起物”として作られてきた土鈴に、幸せを象徴するとも言われる黒い牛のモチーフを採用。さらに、“浄化”を意味する麻の緒の持ち手を加え、縁起の良いアイテムに仕上げた。土鈴の他、白丑、赤丑の置物も登場する。【詳細】スターバックス リザーブ ロースタリー 東京×島田耕園人形工房発売日:2020年12月14日(月)~ ※なくなり次第終了場所:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京住所:東京都目黒区青葉台2-19-23※購入数制限あり。販売開始初日は、1人1商品につき1点まで。翌日以降は、1人1商品につき10点まで。・島田耕園人形工房 瓢箪持「六瓢息災」 70,000円+税・島田耕園人形工房 「三福」 60,000円+税・島田耕園人形工房 招き猫「三毛」 30,000円+税・島田耕園人形工房 干支(丑)土鈴 4,000円+税・島田耕園人形工房 小御所人形「瓢箪持 三拍子」 3,500円+税・島田耕園人形工房 干支(丑)置物 白丑/赤丑 各3,000円+税【問い合わせ先】TEL:0120-336-388(10:00~18:00 年中無休、国際電話、IP 電話からは 03-5745-5890)
2020年12月10日スターバックスは、1859年(安政6年)創業「島田耕園人形工房」とのコラボレーションを昨年に続き今年も発表。12月14日より、スターバックス リザーブ® ロースタリー東京にて、7種のコラボアイテムが発売される。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京×島田耕園人形工房未来への想いが重なるコラボレーションスターバックスと島田耕園人形工房との縁は、京都二寧坂の“畳のあるスタバ”でも知られる、「スターバックスコーヒー京都二寧坂ヤサカ茶屋店」の向かいに工房があることから始まった。このスターバックスコーヒー京都二寧坂ヤサカ茶屋店には、五世島田耕園氏作のグリーンエプロンをした招き猫が飾られている。御所人形の老舗として知られる島田耕園人形工房は、京都の地で日本の人形の伝統を創りつづけてきた工房。この“御所人形”というのは、ぽっちゃりした肉付き、真白な肌、小さな手足に大きな顔、ちんまりとした目鼻立ちのかわいらしい幼児の姿そのままに作られている人形で、江戸時代に創作され、大名が参勤交代のおりに京都の御所や公卿達に贈り物をした返礼に贈られたもの。御所人形そのものがおめでたいものであり、吉祥感を感じるつくりを大切にしているが、今回の人形は、特に、“日ごろより健康でいることの大切さ”や、“大切な人と一緒に過ごすことが出来ることのへ幸せ”への願いを込めて制作されている。コラボ商品7種のラインアップ新たな年も健康で、幸せの多い年となることを願い制作されたコラボアイテム。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京らしいスターモチーフや茶色のエプロンを付けた招き猫などを含む7種のラインアップをご紹介。島田耕園人形工房 招き猫「三毛」(3万円)昨年に続き登場した“招き猫”は京都東山地区の店舗で販売されているJIMOTO made Series『縁起物チャーム』にもある招き猫三毛をモチーフとして制作された。商売繁盛の縁起物として有名な「招き猫」。右手を挙げると金運を、左手を挙げると人を招き「千客万来」の御利益があるとされている。島田耕園人形工房 瓢箪持「六瓢息災」(7万円)「御所人形」を象徴するぽっちゃりした肉付き、真っ白い肌、小さな手足に大きな顔の人形は、瓢箪をもっている。2020年未曾有の病が流行し、今まで以上に健康であることを強く意識した年。六つの瓢箪=無病とかけて、人々が健康に過ごすことのできる日常を願い、御所人形に想いが込められている。島田耕園人形工房「干支(丑)土鈴」(4,000円)2021年の干支である“丑(うし)”のかたちをしたコロコロという心地よい音色の土鈴。土鈴は古より“魔除け”や“縁起物”として作られていたもの。黒い牛は天神様の使いとされており、幸せの象徴とも言われている。また、持ち手の麻の緒は古来より“浄化”を意味しており、家庭の安全と幸せな時間を願うアイテムとなっている。島田耕園人形工房「三福」(6万円)桐の台座に並んだ3体の御所人形をセットに。左:笠を被った笠童子は病や怪我から身を守ることを願う人形。中央:頭に金色の牛を乗せた人形は牛頭(ごず)天王で、牛頭天王は、疫病退散を願う人形。右:福の前掛けをかけた福童子は、人々の家庭に多くの幸せがもたらされることを願う人形。島田耕園人形工房 小御所人形「瓢箪持 三拍子」(3,500円)3つの瓢箪を下げた小さな御所人形。古来は水や薬を入れて使っていた瓢箪は末広がりの形をしていることからも健康を守り、縁起のよいものとして考えられている。「三拍子そろった」という言葉は、かつて、おめでたいときや神事に演奏される小づつみ、大づつみ、太鼓の三つの楽器拍子を指しており、三拍子と同じ響きであることから瓢箪を三つそろえると縁起がよいものとされている。島田耕園人形工房 干支(丑)置物「赤丑」(3,000円)島田耕園人形工房 干支(丑)置物「白丑」(3,000円) 2021年の干支・丑(うし)の置物。幸せな一年になるように願いをこめ、人形が制作されたた。白い丑は富の象徴とされ、ご家庭へ多くの福がもたらされるよう願いが込められています。赤い丑は魔を払う色とされ、疫病退散と健康への願いが込められています。その年の干支を家やオフィスなどいつも自分が過ごす場所に置くと一年が幸せになるといわれているので、ぜひ、インテリアの一つして取り入れてみては。販売開始初日は、1人1商品につき1点までの販売制限が設けられる。翌日以降、1人1商品につき10点まで購入可能に。スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京のコーヒーとともに、愛くるしい人形をめでる豊かなひとときを。【店舗情報】スターバックス リザーブ® ロースタリー 東京住所:東京都目黒区青葉台2-19-23営業時間:7:00〜23:00定休日なし>>その他のスターバックスの記事はこちらから
2020年12月07日2020年10月13日、華道家として活躍する假屋崎省吾さんがブログを更新。歌手の美輪明宏さんから告げられた言葉を明かしました。假屋崎省吾が感激した、美輪明宏の『言葉』個展の準備をするために、栃木県にある日光東照宮を訪れていた假屋崎さん。日光東照宮にある「見ざるいわざる聞かざる」を意味する『三猿』の彫刻を見て、美輪さんとのある会話を思い出したといいます。余計なことは見たり、いったり聞いたりしないほうがよいという意味の「見ざるいわざる聞かざる」について、美輪さんが語ったことは…。ある時、あの美輪明宏様が、私に見猿、言わ猿、聞か猿にもうひとつプラスして、関わらざる人生、上手く行きていくために、必要ですよといただいた言葉に感激したことをあらためて、今日、日光東照宮で久しぶりにこの彫刻を拝見して思い出しました假屋崎省吾オフィシャルブログーより引用美輪さんは、假屋崎さんに対して「見ざるいわざる聞かざるにプラスして、関わらざるが人生をうまく生きていくために必要」だと教えたのです。その言葉に感激した假屋崎さんは、ブログで「みなさんもぜひ生活の中で実践してみてくださいね」と呼びかけています。【ネットの声】・とても深いお言葉ですね。・『関わらざる』って、本当にその通りだと思います。・さすが美輪様。その言葉をしっかり心に刻んで過ごしたいです!生きていく中で、どうしても考え方や価値観の異なる相手と接する機会はあるものです。人間関係でストレスをためこまないようにするために、時にはあえて『関わらない』というスタンスをとることが、プラスに動くことはあるでしょう。自分の心が苦しくなった時は、立ち止まって一度深呼吸して、相手との距離を保つのもいいかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月13日お笑いコンビ・次長課長の河本準一が23日、オフィシャルブログを更新し、2011年に芸能界を引退した島田紳助さんと8年ぶりに再会したことを明かした。河本は「紳助さんと8年ぶりに会いました」と報告し、「会う前までドキドキしましたが、紳助さんお店入って来たらおう、河本!って」「あれ? 昨日会ったかなぁ? と思うぐらいニコニコして入って来ました」と当時の状況を振り返った。8年間会わなかったのは、「何か報告する事がないと自分が恥ずかしい」から。「他の芸人さんは紳助さんと会って来た!! と言う話聞いてましたがそれは何か報告出来る事があるから良いなぁと羨ましい気持ちで聞いてました。ゴールデンのMCを取れました!! とか、言いたかったから。ずーっとお世話になってる人に嬉しい報告がしたいじゃないですか?」と内心複雑だったようだが、ある日紳助さんから知り合いにかかってきた電話をかわった時に「おう、河本ー。たまには会いに来いよ」と言われたことから、再会を決意する。そして、「6時間ノンストップで喋ってました!! もう、ずーっとみんなで笑ってました!! しかも、紳助さん僕との思い出ぜーんぶ覚えてました!! 仕事の事もプライベートの事もぜーんぶ覚えてました!! プライベートでドッキリかけた話なんかほんとに、昨日なぁ!こんな事あってなぁ!と言ってもなんら不思議ではないくらい10年前のお話鮮明に覚えてましたっ!!」と興奮を伝える一方、「あのお方!! 戻る気はサラサラございません!! 断言出来ます」「今が最高に楽しいと言われてましたしあんなにずーっと笑ってる紳助さん初めて見ました」「底から笑ってました」と紳助さんの復帰説は否定した。「みんなお酒が入ってそれぞれが話してる時に紳助さんが僕に最近どうや? と聞いてくれました」「僕は少しずつですが番組に呼ばれるようになりましたと報告したらニコッとして良かったなぁと言うてくれました」と思い返す河本。その言葉に胸を打たれたようで、「こんなみんないる所で泣いたらあかん!! と思いながらもグッと来るものがありトイレに逃げました」と赤裸々につづった。8年ぶりの再会でツーショット写真を撮ったが、「この写真は2人だけの写真にさせてください」とブログにはアップせず。最後に紳助さんに向けて、「僕はもう少し東京で頑張ってみます」と決意のメッセージを送っている。
2020年02月23日歌手の美輪明宏(84)が2月11日、「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した。19年9月に脳梗塞を患った美輪。その元気な姿にファンも胸を撫で下ろしたようだ。番組で脳梗塞に気づくまでの経緯を明かした美輪。ファンから「ゆっくり休んでください。私たちはそれまで待ってます」との手紙を受け取り感動したというエピソードも話した。ネットでは《美輪さん徹子の部屋出てる!元気だよかった!涙》《美輪さん病み上がりなのに、観ていたこちらが癒された》《また舞台に立つ姿が見たいと心から思うのです》と美輪の回復を喜ぶ声が上がっている。番組で「一番辛かったのは脳梗塞によってツアーが中止になったこと」とも明かしていた美輪。大病を患いながらも、ステージに立つ情熱を忘れなかった。そんな美輪にとって入院生活は退屈だったようで昨年12月、本誌の取材に対しこう明かしている。「私の病室は、ほかの病室より広くて景色もよかったのですが、やはり四角四面で、白とグレーだけの無彩色の中にいたものですから、入院初日から早く自宅に帰りたかったですね」続けて美輪は「もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから」と笑みを浮かべて話し、今年の目標について「私自身の希望は、毎年やってきましたお芝居やコンサートを続けながら、本を書いたりテレビのお仕事をしていきたい」と明かした。しかし「ゆっくりと焦らず、自然の流れのままに参りたいと思います」とあくまで自然体でありたいとも語っていた。18年、ラジオで「自分はまだまだ青春時代の延長」と語っていた美輪。これからも晴れやかな“青春の日々”を謳歌できるよう願っている――。
2020年02月12日1月13日、島田紳助(63)がmisono(35)のYouTubeチャンネルに動画出演した。’11年に芸能界を引退してから8年半での再登場とあって、話題を集めている。メディア露出の理由は、misonoの夫・Nosuke(30)が精巣がんで闘病していることだった。紳助は「misonoは自分の体調のこともあるのに夫の高額の治療費もかかるし、大変そうなんだ。そんな話を聞いたら、自分も何かできることはないかってなるじゃない」と語っていたという。だが、理由はほかにもあるようだ。紳助は63歳になった今、“ある心変わり”が芽生えてきているという。知人がこう続ける。「最近、紳助さんはあまり海外旅行にも出かけなくなってきたそうです。以前は奥さまとハワイなどにもよく行っていたんですけど、飛行機の長時間移動がたいへんだと思うようになったみたいで。『もう、現地のコンドミニアムを売ってしまおうかな』とも話していました。遠くまで旅行するよりも、近場の友達との付き合いを大事にしているようですね」さらには、この8年で“老いへの恐怖”も出てきたようだ。「昨夏には友達の前でシャツを脱いで、『俺、鍛えてんねんで!』と引き締まった体を見せたりしていました。というのも最近、紳助さんは『周囲から健康的で若く見られたい』という思いが日に日に強くなっているみたいです。同級生は髪が薄くなってきたり、おなかが出てきたりしていますからね……。今回の動画出演も、健康的なルックスに自信があったからこそできたことだと思いますよ」(前出・紳助の知人)misono動画の反響で、さらなるオファーが舞い込むかも!?「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月24日歌手・misono(35)のYouTubeチャンネルに1月13日、元タレントの島田紳助さん(63)が出演した。11年8月に芸能界を引退した島田さん。久しぶりに元気な姿を見せたため、動画は大反響。だが、misonoの選択は波紋も呼んでいる。12日、自身のブログで「ヘキサゴンが終わってから 初めて紳助さんと会えました!」と明かしたmisono。さらに紳助さんが「YouTube撮ろうぜ」と声をかけてくれたと明かし、「自分は、何回も止めたのですが(笑)misonoチャンネルで 40分間も語って下さいました!」と報告した。また紳助さんが「ノーカットでアップして良いから」「誰かに何かを言われたとしても大丈夫」と話してくれたともつづったmisono。「変わらない愛に感動しました!相変わらず皆の事を考え下さってました…」と感激の様子だった。そして13日、ついに動画は公開された。その中で紳助さんは「釣りしたり、ゴルフしたり、筋トレしたり、健全な日々を過ごしています」と述べ、動画出演のキッカケについて「来る者は拒まずで『会いたいです』と言ってくれる人は拒否しない」と語っている。動画は2時間で4万近い再生回数を記録しただけでなく、Twitterでは《ヘキサゴン大好きだったし紳助さんも大好き!久しぶりに元気な姿見れてよかった~》《待って!紳助さんやん!めっちゃ感動した トークを聞いてると、9年前に引退したとは思えない!》と紳助さんの出演を喜ぶ声が寄せられていた。しかし、いっぽうでは否定的な意見も。島田さんは11年8月に暴力団関係者との付き合いを認め、引退を発表していたからだ。そのため、misonoを心配の声が上がっている。「misonoさんに対しては一部で『再生回数を増やしたいのが見え見え』と勘ぐる意見や、『反社と関わって引退した人を出演させるとは……』という厳しい声も上がっています。島田さんは批判を覚悟して出演しているはずですし、彼女も島田さんを慕っているのはわかります。今回の選択がmisonoさんにとって悪影響にならなければいいのですが……」(テレビ局スタッフ)昨年12月、本誌の取材に対し「去年の10月末にエイベックスを円満退社して、11月以降は施設や小学校で歌ったり」「ボランティアやチャリティーだけでなく災害の復興支援活動などを主にやってきました」と奔走ぶりを明かしていたmisono。「ゆくゆくは私の個人事務所をキャスティング会社にもしていきたい」とも語っていたが、その夢の道のりは果たして――。
2020年01月13日衝撃的だった“美輪明宏さん入院”の報。しかし、やはり美輪さん。本誌に「不死鳥のように蘇ります」と語った言葉どおり、よりパワーアップして戻ってきました。9月の脳梗塞入院から3カ月ーー美輪さんが2020年の抱負を語ってくれました。■’20年はゆっくりと焦らず、自然の流れのままにこのたびは多くの方々から心配のお手紙やお電話をいただき、心より感謝申し上げます。でも、もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから(笑)。’20年をどんな年にしたいか。私自身の希望は、毎年やってきましたお芝居やコンサートを続けながら、本を書いたりテレビのお仕事をしていきたい。でも、今の心境は、“水の世は、波のまにまに風のまに、ゆらりゆるりと参りましょう”ーーです。高望みをして、うんと期待していると裏切られるし、そうかといって絶望的になる必要もない。ひょっとしたらすべて希望どおりにうまくいくかもしれない……。考えてみれば、今売り出したいと思うような、タレント志望のいい男やいい女は全国にたくさんいます。いっぽうで、そうは思っていても、売れないまま消えていく人たちもたくさんいます。私の場合、デビューから70年近くかかりましたが、髪の毛を見せただけで、“あっ美輪さんだ!”と言われるくらいまで、“有名になる”というプラスを手に入れることができました。これはすごく奇跡的なことで、ありがたいこと。普通だったらなかなか手に入らない恩恵を受けているわけですからね。だから希望どおりにいかなくても、泣き言を言って、ぶつぶつ文句を言う筋合いではない、そう思っているのです。’20年のテーマは“水の世は、波のまにまに風のまに、ゆらりゆるりと参りましょう”。ゆっくりと焦らず、自然の流れのままに参りたいと思います。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月31日衝撃的だった“美輪明宏さん入院”の報。しかし、やはり美輪さん。本誌に「不死鳥のように蘇ります」と語った言葉どおり、よりパワーアップして戻ってきました。9月の脳梗塞入院から3カ月ーー美輪さんがプラス思考になる発想の転換法を語ってくれました。■今年は世界と戦える日本の若いアスリートが増えたこのたびは多くの方々から心配のお手紙やお電話をいただき、心より感謝申し上げます。でも、もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから(笑)。今年はラグビーが大変盛り上がりました。私はオリンピックやW杯のようなスポーツの祭典のときだけは、国粋主義に戻ります(笑)。日本が外国と対戦するときは、負けてほしくないですからね。昔は体格的にも体力的にも日本選手は明らかに劣っていましたが、今は堂々とした背丈や体格で、見劣りしない。実力も世界レベル。みんな応援したくなりますよ。どこのスタジアムも超満員で、若い女性たちもたくさん応援に来ていました。もうずいぶん前の話ですが、若い女性に“好きなタイプの男性は?”と聞いて、“ガッチリ体形で、ひげの生えた毛深い人が好き”なんて答えると、“エッチな女”だと思われる偏見の時代があったんです。いっぽうで、宝塚の男役のような中性的で“王子様みたいな人が好き”と答えると、“清楚な女”だと言われていました。だからラグビー会場に応援に行くと、そういう女だと思われるのが嫌で、“行かない”という方も結構いたんです。ところが時代は大きく変わりました。最近はガッチリ体形で毛深い男性が好きだと言っても、誰も驚かない。“男性の色気に反応して何が悪いの?”って、あからさまに言える社会風潮になったことは、結構なことだと思っています。“笑わない男”稲垣啓太選手(29)や堀江翔太選手(33)など、テレビに引っ張りだこの人気でした。ラグビー以外でも、今年は世界と戦える日本の若いアスリートが増えました。バスケットボール界では、NBAに入った八村塁くん(21)。技術も素晴らしいのですが、インタビューの受け答えがしっかりしていて論理的。おまけに低音で太い響きのあるいい声をしています。とても期待しています。それからゴルフ界に彗星のごとく現れた女性アスリート。全英女子オープンで快挙を達成した、渋野日向子さん(21)。とくに中年のおじさんたちが、“シブコ”に夢中ですね(笑)。彼女は日本のおじさんたちが好きなグラマーなスタイル。体全体に肉付きがあって、骨盤がパーンと張っている。そしてくびれてるところはくびれていて、なおかつ笑顔がとてもかわいい。私はそんな視線のファンも多いのではないかと邪推しましたけど……(笑)。それにしてもゴルフ発祥の地で行われたメジャー大会で、いきなり優勝したのですからすごいです。実力もさることながら、人を引き付ける力も備わっている。これから、さらに楽しみな選手です。まだまだ日本も捨てたものじゃないですね。次から次へと世界で活躍する、若くて有望なアスリートが出てくるのですから。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月30日衝撃的だった“美輪明宏さん入院”の報。しかし、やはり美輪さん。本誌に「不死鳥のように蘇ります」と語った言葉どおり、よりパワーアップして戻ってきました。9月の脳梗塞入院から3カ月ーー美輪さんがプラス思考になる発想の転換法を語ってくれました。■首が前に垂れると、冷静な判断ができなくなるこのたびは多くの方々から心配のお手紙やお電話をいただき、心より感謝申し上げます。でも、もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから(笑)。高齢になると誰しも筋肉が衰え、足腰が弱ってきます。そして背骨が曲がったり、姿勢も猫背になって首が前に垂れるようになる。こうなると、だんだん物事を冷静に判断できなくなっていくんです。背骨が支えて居る首の後ろのほうを、できるだけまっすぐ上に持ち上げるように姿勢を正せばイライラが減ります。無意識のうちに首が前に垂れて、肩が前肩、巻き肩になっていることもあります。そういうときは、両肩を開き、おなかを引っ込める。そして左右の肩甲骨を後ろでくっつけるようにして顎を引く。そうすると呼吸が整い、感情的になっていても、ス~ッと理性が戻り気力も湧いてきます。マイナス志向になっているときというのは、ふと気づくと猫背になっている、そういうケースが実は多いんです。最近は年配の方だけでなく、若い人たちも首が前に垂れて猫背気味の人が多いですね。その原因はスマホです。長時間スマホを使用していると、どうしても首が前に垂れて、猫背になる状態も長くなる。そして視線が斜め下に向いている時間も長くなって、知らず知らずのうちに日常的に視線が下向きになってしまう。そして思考まで下向きになってしまうわけです。習慣的に視線を自分の目の位置と同じ高さ、あるいはそれ以上の高さで見ようとしなくなっている人が多いと思います。街を歩いている人たちを見ていても、だいたい斜め下か下を向いていますよ。本来は、背筋と首を伸ばして姿勢を正し、視線は自分の目の位置よりやや上を見るようにするのが理想的です。真っすぐ前を見るよりも、日常的にやや上を見るようになれば、理性的で知性的な生活が送れると思います。呼吸も整い、血圧もスーッと下がってきます(笑)。人生にはよいことと悪いことがある。プラスとマイナスを数えていくと半分半分ですーー。今は悪いことばかりを考えるネガティブ志向に陥りがちな世の中だけに、マイナスからプラス志向になる発想の転換が、必要とされているのです。そういうときに、会話の中に“ルンルン”を入れてみる。フッと雰囲気が変わりますから、怒っているときに、“ふざけるんじゃない!ルンルン”と言うと、怒っていることにならないでしょ(笑)。とにかく感情的にならないことが大事です。そのために姿勢を正して理性を保つ。目線を上げて前向きに。これが、健康と希望を生み出す秘訣になります。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月29日衝撃的だった“美輪明宏さん入院”の報。しかし、やはり美輪さん。本誌に「不死鳥のように蘇ります」と語った言葉どおり、よりパワーアップして戻ってきました。9月の脳梗塞入院から3カ月ーー美輪さんが病気との向き合い方を語ってくれました。■“ルンルン”は救いの言葉。不思議と楽になり理性が戻るこのたびは多くの方々から心配のお手紙やお電話をいただき、心より感謝申し上げます。でも、もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから(笑)。おかげさまで今は、私の公式携帯サイト(麗人だより)の仕事をはじめ、徐々にではありますが、ラジオやテレビなどの仕事にも復帰しております。どんな病気でも治るまでに時間はかかりますが、その機会をうまく活用すれば無駄にはならない。私はいつもそう考えています。今回もそうですが、私はさまざまな情報を吸収するために時間を使います。新しいことを知り、勉強することで、これからの人生の糧になる。そういう前向きな発想がどんどん湧いてくるんです。今、人生の岐路に立っている人などは、時間をうまく使いながら、これまで知らなかった新しい情報を吸収してみてはどうですか。最近、私がずっとおすすめしてきたので、みなさん、もうご存じの方もいるかもしれませんが、会話の途中に“ルンルン”って入れると、笑いが生まれ、深刻な問題も深刻じゃなくなって気が楽になるんです。これは救いの言葉。本心をぶつけ合っても、ソフトな印象を受けるから、気分が上がる。私のように病気になると、人間は悲観的になったり、感情的になったりするものです。ただ“感情的になるな”と言われても、冷静な思考回路に戻すことは容易ではありません。体自体がマイナスの気にすっぽり包まれていますから。そういうとき、私は“それがどうしたの、ルンルン”と言いながら、常にプラスの発想に転換するようにしています。自分自身を振り返っても“お医者様に診てもらって、お薬を飲んで治せばいい。今まで治らなかったことはないでしょ?”“終戦後、余命4カ月と言われたけど、4カ月で治ったでしょ?”“これまでいろんな病気になったけど、この年まで生きているじゃないか”と。そんなことがこれまでの人生の中で何十回もありました。そのたびに“あれも治った、これも治った、じゃあ今度も治るはず、ルンルン”と言って、常にプラス思考になるように心がけています。とくに悲観的なことを考えているときに“ルンルン”と言えば、不思議と楽になる。“なんでこんなことで悩んでいるんだろう?”って。その隙に理性が戻り、感情的にならずに、物事を冷静に捉えることができるようになる。大病や大きなケガをすると、変に絶望的になったりする人もいますが、それは自分自身にとっていちばんよくないことです。理性で感情をコントロールすることは、生きるうえでとても大事なことですから。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月28日衝撃的だった“美輪明宏さん入院”の報。しかし、やはり美輪さん。本誌に「不死鳥のように蘇ります」と語った言葉どおり、よりパワーアップして戻ってきました。9月の脳梗塞入院から3カ月ーー入院生活から現在の生活までを語ってくれました。■狭いところが苦手なので、初日から早く自宅に帰りたかったこのたびは多くの方々から心配のお手紙やお電話をいただき、心より感謝申し上げます。でも、もう大丈夫。安心してください。私は不死鳥ですから(笑)。9月11日、仕事が終わって自宅で話している最中に、うまく言葉が出なくなったんです。“あっ、これは何かおかしい”と、私が言ったら、すぐにスタッフが“病院に行きましょう”と。自宅から車で病院に行き、生まれて初めてMRI検査を受けました。検査後、脳の画像を見たら、血管の一番先のほうにある細い血管の脇に、ほんの数ミリぐらいの白い点がぽつんと1個あって、“犯人はこいつだ!”と。結果は軽い脳梗塞で、大事に至らずよかったと思っております。それよりもMRI検査の、あの不快な大きな音は何ですか?耳栓をしていましたが、ガ~ンガ~ン、キ~ンキ~ン、ガチャガチャとか。次から次へといろんな音が切れ目なくずっと頭の中で響くので、“もうここから出してください!”って、言いそうになりました(笑)。入院したのは1週間。入院中はときどきテレビを見たり、あとは瞑想したりしていました。じつは私、閉所恐怖症で、MRI検査も嫌でした。それと病室とか会社のオフィスなど、室内が四角四面の密室も苦手なんです。その密室の中でエアコンや換気扇の微妙な風の音が聞こえる状態もダメで……。音が商売ですので、そういう音はとくに敏感になるんです。私の病室は、ほかの病室より広くて景色もよかったのですが、やはり四角四面で、白とグレーだけの無彩色の中にいたものですから、入院初日から早く自宅に帰りたかったですね。それに病院は、朝からざわざわしていて、看護師さんが体温計を持ってきたりするでしょ?ほんの1週間の入院でしたが、私の体内時計が病院のタイムスケジュールにセットされてしまい……。退院してからも6時起きが今もずっと続いています。だから夜9時ごろになると、もう最高に眠いんです(笑)。今、自宅で毎日欠かさずやっているのは、お医者様から指導されたリハビリです。筋力を鍛える運動と言葉のトレーニング。体の筋を伸ばす体操が結構ハードで。リハビリというよりもストレッチのような感じで、そういう運動を1日に2~3回繰り返しています。言葉のトレーニングは、たとえば、“あいうえお”を早く言ったり、遅く言ったりするプログラムがあって、これも毎日続けています。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月27日アイドルグループ・嵐の松本潤と歌手・俳優の美輪明宏が17日、都内で行われた「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙2019」結果発表&新CM発表会に登場した。約40年にもわたる「きのこの山」と「たけのこの里」の戦いに終止符を打つべく行われた、過去2回の「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙」で敗北した「きのこ党」。3月には「新きのこ党」と名を改め松本が党首に就任した。さらにたけのこ党も「新たけのこ党」党首に美輪を迎え、再戦を行っていた。今年の9月には、軽い脳梗塞のため、2週間程度の入院が必要となり、上演中の『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと』が公演中止となっていた美輪。復帰後初となる公の場に、松本が「まず、お元気になられて良かったです。心配してたので」と声をかけると、「私はどんなことがあってもフェニックスのように、不死鳥のように蘇るんです。でも、ご心配くださってありがとう」と応えた。選挙では、新きのこ党は6,021,986票、新たけのこ党は4,565,799票を集め、145万6,000票もの差で新きのこ党の勝利に。松本は「商品をリニューアルしたのが大きかったんじゃないかと思います」と勝因を分析し、美輪にもリニューアルした「きのこの山」を勧める。「死なないかしら」とブラックジョークを飛ばした美輪に、松本は「死なないです。絶対に死なないです!」と保証。美輪は「さすがのリニューアルですね。残念ながら、たけのこの里にも負けませんね」とそのおいしさを認め、「松本さん、今日は本当にありがとうございます。これからもたけのこの里、きのこの山、そして松本さんを愛することにいたします。では皆様そういうことでございますので、ありがとうございました。ごきげんよう、ルンルン!」とその場を後にした。
2019年12月17日軽い脳梗塞で療養中だった歌手の美輪明宏(84)が、11月17日に放送されたTBSラジオ『美輪明宏の薔薇色の日曜日』に出演し元気な様子を見せた。9月11日に入院が報じられてから約2カ月ぶりの出来事だ。9月11日放送の『ごごナマ』(NHK総合)に生出演した後、体調の違和感を訴えたという美輪。病院で検査を受けたところ軽い脳梗塞が発覚し、入院していた。さらに療養のため、10月から11月にかけて全国公演を予定していた『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと』は中止に。12月23日に開催予定の『クリスマスディナーショー&トークショー』は美輪の体調を考慮し、トークショーのみ開催されることとなった。ラジオ冒頭で「ごきげんよう、美輪明宏です」と挨拶した美輪は、「リスナーの方にも心配おかけしまして申し訳ございませんでした」とお詫びした。リスナーから届いたお見舞いのメッセージを読み、「人の心の温かさが今の時代にこんなにも溢れているのかと思ったら少し涙が出ました。ありがたいことです」と感動を露わにした。続けて現在の体調については、「言葉のもつれは残っているが痛みなどはなく、言葉や運動のリハビリをして過ごしている」と明かした美輪。そして、「私は不死身です。不死鳥のように蘇ります。乞うご期待。ルンルン」とキッパリ。最後にリスナーへのメッセージとして、「私は死にましぇーん!あれです。そっくりそのまま使わせていただきたいと思います。ルンルン」とお茶目に締めくくった。そんな元気そうな美輪の様子に安堵した声が広がっている。《もう復帰なさったなんて大丈夫なのかな。お元気そうでよかったけど無理はなさらないで》《よかったよかった。まだ現世での美輪明宏さんの言葉を聞きたいですから》9月12日に美輪の容体を所属事務所に確認した本誌記者宛にも、ラジオと同じように美輪本人からメッセージがこう届いていた。「ご心配をお掛けしました。申し訳ございません。ですが私は不死身です。不死鳥のように蘇ります。こうご期待。ルンルン」18年5月に放送された同ラジオで「いつまでも元気でいるためには、年齢といった数字に振り回されないことが大事」と語った。その上で、「自分はまだまだ青春時代の延長で、その時代の人間がここにいると常に思い込むようにすると若くしていられる」と若さの秘訣を明かしていた。不死鳥のごとく見事に帰り咲いた美輪。いつまでも元気で活躍することを願うばかりだ。
2019年11月18日9月11日夜、衝撃的ニュースが日本中を駆け巡った。『歌手で俳優の美輪明宏が、脳梗塞で入院―――』美輪さんは同日の昼に、NHK総合『ごごナマ』に生出演し、元気な姿を見せていた。その数時間後の出来事に、番組を見ていた人たちは、さぞや驚いたことだろう。じつは本誌記者も、入院前日の10日、東京・池袋の東京芸術劇場プレイハウスで上演中のコンサート『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~』の上演後に、ご本人と話をしたばかりだった。楽屋を訪ねると「コンサートは今年で最後になるかも……」と、これまでの取材時には見たことがない疲れた様子で、心配していた矢先の入院報道だった。さっそく状況を確認するため、12日、所属事務所に連絡を取ってみた。担当マネージャーによると、『ごごナマ』に生出演した後、体調の違和感を訴えたという。「病院で検査を受けたところ、軽い脳梗塞と診断されました。意識もはっきりしているし、会話もふだんと変わりません。でも大事を取って2週間ほど入院することになりました」入院により、23日まで予定されていた東京公演は中止に。美輪さんは、「コンサートを楽しみにされていたファンの方々に申し訳ない」と話していたという。担当マネージャーと話し終えた30分後、突然記者の携帯メールの受信音が鳴った。なんと美輪さんからのメッセージが届いたのだ!「ご心配をお掛けしました。申し訳ございません。ですが私は不死身です。不死鳥のように蘇ります。こうご期待。ルンルン」2日前に会った時とは違い、気丈でユーモアたっぷりのいつもの美輪さん節。何だかひと安心だ。ちなみにメッセージの最後にある“ルンルン”は、美輪さんが再び脚光を浴びさせたい言葉である。「会話の途中にルンルンって入れると、深刻な問題も深刻じゃなくなって気が楽になるんです。これは救いの言葉。本心をぶつけ合っても、ソフトな印象を受けるから、気分が上がる。皆さんで、はやらせていただきたい」と、入院前日のステージの上でも話していた。年齢をまったく感じさせない圧倒的な声量で、観客を魅了していた美輪さん。アンコールで歌った『愛の讃歌』で、涙するファンも。不死身の美輪さんだけに、元気な姿で復帰する日も近いだろう。
2019年09月17日歌手・俳優の美輪明宏が11日、軽い脳梗塞のため、2週間程度の入院が必要と診断された。これに伴い、東京芸術劇場 プレイハウスにて上演中の『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと』が12日から公演中止になることを、主催のパルコが発表した。『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと』は12日から23日までの公演が中止となる。中止となった公演は払い戻しとなる。また、東京以外の公演の開催については、現在未定とのことだ。
2019年09月11日恒例となった美輪明宏の秋のコンサート。今年は『美輪明宏の世界~愛の話とシャンソンと~』と題して開催される。シャンソンの名曲の数々に、そしておしゃべりに、何を込めるのか。美輪の思いをたっぷり聞いた。【チケット情報はこちら】「私のコンサートに来られたお客様は、よく、“映画を何本も観たような気持ちになる”とおっしゃいます。なかでもシャンソンは、いろんな人生のドラマが歌われていますから、そこから生きることを楽しむ方法を学べたりもするんです。たとえば恋愛に関しても、尽くして尽くして裏切られるという歌が多いのですが、そんな歌を聴けば、失恋してつらい思いをしてらっしゃる方も、きっと歌のヒロインのようにいい女になったつもりで生きていけるでしょうし(笑)、お仲間がいるとホッとして、ひとりでひがんだり妬んだり嫉んだりしなくてすむと思うんです」。そんなふうにシャンソンが描く世界は私たちの人生に励ましや安らぎを与えるのだと、詞の魅力を語る美輪。さらには、そのドラマチックで詩的な詞を乗せるメロディの美しさも格別だと言う。「デジタル化が進んだ今の人工的な音と違って、メロディに色彩があるんです。歌い手たちも豊潤な声で歌っていました。そういった美しい叙情にぜひ触れてほしいんです」。そこには、「芸術こそが今の荒れた世の中を落ち着かせてくれると思うんです」という美輪の強い信念がある。かつてシャンソン歌手として「銀巴里」で歌っていた頃には、文化人が集い芸術を語り合う時間があった。「フランス映画やドイツ映画も人気で、日本映画も小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督の叙情的な素敵な作品がたくさんありました。もしかしたら今の若い方には、却ってレトロなものが新しく感じられるかもしれませんし、スマホやゲームから離れてそうした芸術に触れることで豊かな情操が育まれると思います。ですから、シャンソンもそんな芸術のひとつとして復活させたいと思い、今回のコンサートはオールシャンソンでいくことにしたんです」。朝ドラ『花子とアン』や紅白歌合戦で話題になった美輪の訳詞による『愛の讃歌』も歌われる。『バラ色の人生』『枯葉』といった珠玉の名曲は原曲のままフランス語で。曲の合間の語りには、歌にまつわる話はもちろん、少しでも幸せな世の中になるようにという美輪の愛があふれることだろう。美輪明宏が届けてくれるものは、やはり特別である。公演は9月7日 (土)から東京・東京芸術劇場 プレイハウスにて。チケット好評発売中。取材・文:大内弓子
2019年08月09日アイドルグループ・嵐の松本潤と、歌手・俳優の美輪明宏が、7日より放送される「きのこの山」「たけのこの里」の新TV-CM 「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙 2019 開幕」編に出演する。2018年、約38年にもわたる「きのこの山」と「たけのこの里」の戦いに終止符を打つべく行われた「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙 2018」で敗北した「きのこ党」。3月には「新きのこ党」と名を改め、 松本が党首となり、再選挙を訴える「応援#募集活動」を実施した。その結果、「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙 2019」の開催が決定し、特設サイトなどで投票の受付を開始する。新CMでは松本に加え、「新たけのこ党」党首となった美輪が登場。選挙演説中の松本のもとへ、美輪が乱入する。リニューアルしたことで自信ありげに勝利宣言しようとする松本を「お黙りなさい!」と一喝する美輪は、「たけのこの里」もリニューアルしたことを宣言し、とまらないおいしさを伝える。松本と三輪は今回が初共演となり、松本は「まさか美輪さんが“たけのこ”カラーのグリーンヘアにしてくるとは……」、美輪は「簡単に歴史は動かせないわよ!」とコメントを寄せた。撮影ではスーツ姿で監督と談笑しながら、リラックスした雰囲気でスタジオ入りした松本。 監督と軽く打ち合わせをした後「どんなテンションでやろうかな」と悩んでいたものの、本番に入ると自ら台詞の言い回しを提案しながら、1発 OKを連発する。パッケージを顔の横に掲げるシーンでは、監督の指示する絶妙な位置に苦戦しながらも応え、かなめとなるセリフ「unstoppable(アンストッパブル)」も難なくクリアし大絶賛を受けた。また、両党党首が初対面をする場面では、松本を見かけた美輪が「お手柔らかにどうぞ」と 声をかけ、松本さんも「こちらこそお手柔らかによろしくお願いします」と返答する。白熱した会談の終わりの握手写真では「その写真は後で僕にもください」という松本に対し、「やめた方がいいと思います」との美輪のコメントにスタジオから笑いが。別れ際には、美輪から松本へ「愛してるよ〜ん」とラブコールもあり、最後は和やかな雰囲気で終了した。
2019年08月05日4月2日(火)に開幕を控えた美輪明宏の『毛皮のマリー』。寺山修司が美輪のために書き、美輪自身が演出、美術、主演を務めてきた作品だ。美輪がこの舞台に込めるものは何なのか。そして、今なおこの舞台が求められるのはなぜなのか。熱い稽古のあと、美輪が語った。【チケット情報はこちら】稽古も大詰めを迎えたこの日、まさにクライマックスのシーンが繰り広げられていた。男娼として生きる毛皮のマリー(美輪)とその息子・欣也(藤堂日向)の奇妙で哀しい因果関係が、長い長い台詞で、マリーの口から語られる。「長台詞にはやはり、大変なエネルギーと技術が必要で、音程、速度、強弱、リズムといったものを、言葉で表現しなければならないんです」と自身でも語るように、表現者としての凄みを、このシーンだけでも改めて感じさせてくれる美輪。その力に魅了されたからこそ、寺山修司も自身の思いのすべてを、美輪に仮託したに違いない。寺山が『毛皮のマリー』で描いたのは、自身の母子関係にも重なる、母の“無償の愛”である。「『愛の讃歌』でも歌われているように、愛とは与えっぱなしで見返りなど要求しないものなんです。それを『毛皮のマリー』では、いろんな人間を出して、母子ばかりか、男同士でも、無償の愛は尊いものだということを描いているのだと思います」。“醜女のマリー”と呼ばれるマリーの下男(麿赤兒)、美少女・紋白(深沢敦)をはじめ、見世物小屋かのように様々な人間が登場するのも、「そこには、“見世物の復権”というテーマを掲げていた寺山のメッセージがあるんです」と美輪は言う。「どんな人間であっても、下手物扱いしたり蔑視したり差別したりするのは間違っているということです。さらに、人前で話してはいけないとされている性的なことも、本来は命のもとなんだから、下品でいやらしい言葉だとするのはおかしいということを寺山は言っていました。ですから、この作品の魅力は、反社会的で背徳的とされていることを美しく描くところにあると思うんです。そして、そんな芸術性あふれる作品が少なくなりつつある今こそ、寺山修司という天才が作り出した作品が必要だと思っています」。そんな美輪の思いを受け止めてか、欣也役の藤堂、マドロス役の三宅克幸といったオーディションに合格して初参加している面々も、真摯な演技が光る。「芸術は人の心のお薬のようなものです」と言う美輪。今という時代に危機感を抱きながら懸命に、愛と美しさを伝えてくれる。公演は、4月2日(火)から東京・新国立劇場 中劇場にて上演後、福岡、愛知、大阪を巡演予定。チケット好評発売中。取材・文:大内弓子
2019年03月27日「テレビで言いたいことを言っても嫌われないのがすごい」と、カンニング竹山(47)を以前から高く評価していた美輪明宏さん(83)。その竹山と異色の対談が実現。幅広く活躍する才能を持つ大先輩が、竹山に授けたアドバイスとは?美輪「私と対談するなんて、不思議だと、そうお思いにならなかった?」竹山「はい。最初マネージャーから話を聞いたときは驚きました。でも、“美輪さんと対談するんだ”と妻に話したら、“美輪さんって、あの美輪さん?なんで?間違ってるんじゃないの!”って。いちばん驚いていました」美輪「“惚れられてるらしい”って言えばよかったのに(笑)」竹山「いやいや(笑)。初めてお話しさせていただいたのは、美輪さんがレギュラー出演されている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)にお邪魔したときです」美輪「もう7~8年ぐらい前になりますね。ところで、竹山さんをはじめ、最近はいろんなお笑いの人たちが、学者さんたちと同じようにコメンテーターとしての扱いも受けていますね。コメントもロジカルで、ふさわしい発言をなさっています。その中でいちばん目立つのがあなたですよ」竹山「ありがとうございます」美輪「政治、経済に関連する読み物を注意して読んだりされていらっしゃる?」竹山「本も読みますし、新聞もインターネットで6紙ぐらい買って、ザッと見ています。世の中で何が起こっているか。新聞によって書き方も違う。そういうのを見比べて読むのも面白い」美輪「右寄りや左寄りとか」竹山「テレビでいろいろ言うときって、いろんな方が見ていらっしゃるわけですから、あまり偏りすぎないように常に中道でいなければいけないと心掛けているところはあります。その中で、右や左じゃなくて、おかしいものはおかしいと言うようにしています」美輪「奥様は何ておっしゃってる?」竹山「妻は意外と反対してますね。コメンテーターとかをやらずに、お笑いだけをやってほしいと思ってるんだと思います」美輪「やはり、できれば波風を立てないでいてほしいのでしょう」竹山「そうですね。僕はまったくその気はないですけど、もし立候補したら妻は離婚するって言ってます(笑)」美輪「政界からそういう要請があるのですか?」竹山「要請はちょこちょこ。話が遠回りで来たりはするんですけど、ぜんぜん興味がないですから」美輪「政治家になったらお終いですよ」竹山「好きなことも言えなくなりますから。ところで美輪さん!僕はこのままのスタンスでやってていいんでしょうか(笑)」美輪「お笑い芸人だからとか、コメンテーターだからとか、別にジャンル分けしないほうがいい。まったく自由でいいと思います」竹山「世間の流れがジャンル分けするようになっている気がする半面、僕は僕だから、分けられるのが嫌だと思ったりして……」美輪「ジャンル分けなんて、全然無視したほうがいいです。そういうことを言いだしたら、私なんかジャンルはめちゃくちゃですから」竹山「(笑)。歌手だし役者だし」美輪「演出家でしょ、舞台美術をやって、衣装も音楽も担当して、作詞・作曲もやる。歌い手としてシャンソンを歌い、クラシックの曲も歌う。役者としてチャンバラもやるし、女形もやる。そうかと思ったら、身の上相談もやる。もうめちゃくちゃでしょ?(笑)」竹山「美輪さんにもおっしゃっていただいたので、これからもいろんなことに自信を持って、やる人になります」美輪「それをおやりになれるのだから、存分に羽を伸ばしておやりになったほうがいいんじゃないですか」竹山「仲間から“おまえは自由に何でもやれていいな”ってたまに言われるんです。それはそれで言われるとうれしいんですけど、自分自身でそれが見えていないことがあって、“俺はこのままでいいんだろうか?”と思うことがあるんです。でも、今日美輪さんとお話しして、このままでいいんだなと確信しました!」美輪「根本的に人柄がよくないと続かない。人柄の悪い人は見透かされます。あなたは人柄がいい。だから、キレ芸で怒りの竹山というのは、結局営業用でしかなかったのよ(笑)」竹山「そんなはっきりと言われても……。自分ではわからないところがありますけど、あと20年ぐらいはまともに頑張りたいと思っていますから」美輪「自然体で“望まれればやれますよ”というスタンスで、これからもおやりになればよろしいと思いますよ」
2019年03月17日「テレビで言いたいことを言っても嫌われないのがすごい」と、カンニング竹山(47)を以前から高く評価していた美輪明宏さん(83)。その竹山と異色の対談が実現!美輪「私と対談するなんて、不思議だと、そうお思いにならなかった?」竹山「はい。最初マネージャーから話を聞いたときは驚きました。でも、“美輪さんと対談するんだ”と妻に話したら、“美輪さんって、あの美輪さん?なんで?間違ってるんじゃないの!”って。いちばん驚いていました」美輪「“惚れられてるらしい”って言えばよかったのに(笑)」竹山「いやいや(笑)。初めてお話しさせていただいたのは、美輪さんがレギュラー出演されている『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)にお邪魔したときです」美輪「もう7~8年ぐらい前になりますね。ところで、竹山さんをはじめ、最近はいろんなお笑いの人たちが、学者さんたちと同じようにコメンテーターとしての扱いも受けていますね。コメントもロジカルで、ふさわしい発言をなさっています。その中でいちばん目立つのがあなたですよ」竹山「ありがとうございます」美輪「じつは竹山さんの履歴を全然存じあげなくて。私は面白いと思った方の人生に興味があって、その方の過去の歴史を詮索するのが趣味なんです。どういう方なんですか?」竹山「どういう方って……。どこから説明すればよろしいですか?」美輪「お生まれはどちらですか?」竹山「生まれは福岡です」美輪「え~、九州人?」竹山「はい、うちの父親の実家は筑豊、炭鉱ですね」美輪「素敵」竹山「僕は福岡市生まれで、3人きょうだい(兄、姉)の末っ子で育ちました」美輪「私は『ボタ山の星』という筑豊の子どもたちの歌を作っているので、“筑豊”って聞くとなんだかとても親しい感じがします」竹山「僕が小学校4年生ぐらいになるときまでは、父が貿易とか金貸しみたいな商売をやっていて、けっこう裕福でしたね。手広くやっていたみたいですけど」美輪「その当時は、そうでないと生きていけなかった時代ですからね。お父さんも何でもやらないといけない時代だったんですよ」竹山「だから、小学校ぐらいまでは結構お坊ちゃんで育ちましたね。父がもともと貧乏だったのもあると思うんですけど、無理やりバイオリンをやらされたり(笑)」美輪「バイオリンをお弾きになるの?」竹山「もうだいぶ忘れましたけど」美輪「今も持ってらっしゃる?」竹山「最近新しいのを買いました」美輪「ストラディバリウス?」竹山「そんなの買えないですよ。割と普通に売っている数十万円ぐらいのやつを買いました」美輪「裕福な家庭でお育ちになられたのですね」竹山「ところが、父の会社が倒産。生活は一変し、借金生活になりました。当時、まだ小学生でしたけど、いろんなものを見ましたね。“人間って金で変わるんだ”と」美輪「いちばん大事なところを勉強なさったのね」竹山「貧しくなった途端、父と仲がよかった友達たちの態度が豹変しましたからね。親戚連中も態度が変わり……父もどこかに行って家からいなくなりました」美輪「“この人は大丈夫な人間だ”と信じ込んでいた人ほど、豹変するんですよ」竹山「それが高校生になると世はバブルを迎えて、倒産後、どこかに行ってた父が、土地転がしで儲かって家に帰ってきたんです。僕は東京で芸人になろうと思って19歳で上京。そこで小学校の同級生(故・中島忠幸さん)と『カンニング』というコンビを組むんですけど、21歳ぐらいのときにバブルが弾けました。その後父は、何十億円という借金ができるとわかって、商談中の事務所で脳出血で倒れて急死したんです。52歳でした」美輪「ショックだったでしょうね」竹山「そうですね。でも、亡くなって蓋を開けてみると莫大な借金だけが残ってました。父は僕と兄の名前を使い、会社の常務とかにしてたり、僕らの名前で勝手に土地を転がしていたり……。めちゃくちゃしてたな親父!って(笑)」美輪「責任を取られた?」竹山「いえ、遺産放棄という手続きをしたので負債は免れました。でも、何もかもなくなりましたね。唯一残ったのは実家の家だけ。父がだいぶ前に母の名義に変えていたんです。だから、家以外はすべてなくなりました。家だけは母が住めるようになりました」美輪「竹山さんはいろんな経験をされてこられたのですね」竹山「それから10年ぐらい売れないまま、東京でやっていたんですけど、30歳ぐらいから、漫才ネタで怒ったりすることがウケ出して、なんとなく仕事が上向きになってきたんです。でも、34歳のとき、相方が白血病になって……。36歳で亡くなりました。そこからはずっと1人でやってますね」美輪「その方は今でもずっとあなたを守ってらっしゃるわね」
2019年03月15日毎年恒例、年末年始の人気企画、麗人・美輪明宏さん(83)による愛のメッセージ。今回のテーマは「新時代を生き抜く知恵」。来年5月の改元で、日本は新時代へと突入する。「昭和」と「平成」という激動の時代を強く生き抜かれた美輪さんが語る、希望の持てる未来とは――。私が常々言っていることですが、ものにはプラスとマイナス、陰と陽、“正負の法則”というものがあります。古いものにも、新しいものにも両面があります。何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得られる。これは真理です。これからの時代で危惧しているのは、人間がデジタルの方向ばかりに突き進むことです。誰もが携帯やスマホを持つ時代の中で、知らず知らずのうちに多くの人たちが、SNSを中心とした生活になってきています。次から次へと新しい情報が飛び交い、自分の中で処理しきれない。でもつながっていないと不安になる……。今、そういう人たちが蔓延しているのではないでしょうか。そうなると、情緒不安定になる人たちが増える危険性がある。デジタルに使われる人じゃダメ。主従関係が、デジタルが王様で、人間のほうが従うようになってはいけない。あくまでも人間が主でなければいけないのです。今は力関係が逆転しかかっています。とくにAIの人工知能が人間の代わりにいろんなことをやるようになりました。これからもっとAIが進歩したら、力関係の逆転がもっと早く進むかもしれません。ただし、人間の皮膚、ため息、まなざし、そして手触りの感覚など、AIが人間に代わってできないものもあります。“介護にロボットを!” と、声高におっしゃる人もいますが、ロボットの声は機械で作った音。そんな声でずっとしゃべられてごらんなさい、優しさが伝わると思いますか。介護でそっと手と手が触れ合ったときに、温かな脈拍が伝わったり、何も言わなくても目と目が合ったら優しいまなざしを感じたりできるのは人間だけです。かすかにまばたきをしたとか、ふっと息がかかるとか、そういう皮膚感覚は、どれだけ科学が進んでもAIには無理です。人間の何げない動きから生まれるつながりこそが、生きている証しでもあるのです。恐ろしいのは、世の中がバーチャルとリアルでごちゃ混ぜになっていること。いずれ人間は、どこかで危険を感じ、本能的にデジタルと正反対のアナログに回避すると思っています。実際、最近はアナログレコードがどんどん売れるような動きもあります。人間はどこかでマズイと感じたら、再び正反対なものにまた戻ろうとする、そういう本能が働くと思います。“アナログの力”が必要になるんです。若い人にもそんな力を持っている人が、たくさんいます。体操の内村航平や白井健三とかね。あれこそアナログでしょ。それから藤井聡太七段。あれも機械じゃないんですよ。人間の頭脳と情緒とか人格とか、そういったものの集大成が人の心を動かしている。たどたどしい日本語で一生懸命コミュニケーションをとろうとする、女子テニスの大坂なおみにも人間的な魅力を感じます。クイズ番組で東大生たちがいろんな知識を披露しているじゃないですか。あれもアナログですよね。デジタルと対等に向かい合ってるわけだから。私は、進化を続けるデジタル時代を否定しているわけではありません。「温故知新」――古きを学びて新しきを知る。そういう知識をつけることで、今の自分の立ち位置、置かれている状況などが見えてくるのです。そうすると、自分がどれだけありがたい生活をしているか。ふだんは考えることのなかったいろんなことが学べて、新しい発見もいっぱい出てくるはずです。そして、“感謝すること”、“満足できること”が、自分の身近なところにあることに気づく。“あなたは毎日ご飯が食べられているでしょう?”“住む場所があるでしょう?”“今まで何が不満でぜいたくを言っていたのか……”。まずは自分自身を見つめ直すこと。そしてそれを次のステップへつなげる。ただ古きよき時代に浸るのではなく、昔のよかった部分を継続しながら、今のいい部分は活用する。そして自分に合う部分は新しい進化も取り入れる。それが新時代を生き抜くためのヒントです。
2019年01月03日毎年恒例、年末年始の人気企画、麗人・美輪明宏さん(83)による愛のメッセージ。今回のテーマは「新時代を生き抜く知恵」。来年5月の改元で、日本は新時代へと突入する。「昭和」と「平成」という激動の時代を強く生き抜かれた美輪さんが語る、希望の持てる未来とは--。最近は、“新しいからいい” 、“古いから悪い”といった風潮がありますよね。そもそも新しいとか、古いとかを、良しあしの判断基準にしていること自体がおかしい話です。じゃあ、ミロのヴィーナスやモナ・リザの絵は古いからよくないのですか?そんなことはないわけだし、もし、流行遅れだなんて言ったら笑われますよ。文明や文化がどんどん進化しても、いいものはいつまでもいいままで残り、色あせないのです。日本の古きよき時代には、素晴らしい文化がありました。ファッションにしても、そう。戦前までは自由で、長髪の男性もいたし、ラッパズボンをはいている人もいました。“モダンボーイ”“モダンガール”なんて言葉もはやりました。そのまま行けば日本は、世界有数の耽美的なおしゃれな国になっていたはずです。ところが、その後の戦争で軍人たちが、“文化は軟弱である。国策に反する”と、進化をストップさせたのです。女性がおしゃれなワンピースなどを着ていると、憲兵に連行されて、強制的にもんぺに着替えさせられたり……。音楽もクラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴ、流行歌、すべてダメ。戦時歌謡と軍歌以外は歌ってはならない。そういう状態が、敗戦まで5年間ぐらい続いたわけです。軍人たちが戦争さえ起こさなければ、日本はありとあらゆる分野で、世界的な文化国家になっていたでしょう。彼らの罪は本当に重いですよ。以前、あるフランス人のデザイナーに「日本の文化をどう思う?」と聞いたことがあります。すると、「フランスの文化が世界一だと思っていたけど、日本にはかなわないと思った」と。その理由を尋ねると、「平安時代の十二単の色の数の多さ」だと言いました。日本の十二単の色の数は、ざっと数えて約500種類もあります。たとえば、御納戸色、朱鷺色、そして水浅葱や浅葱色といった、とても詩的な名前が付けられています。そのデザイナーは、「日本人のデリカシー、その美意識の高さには、とても歯が立たない。このような国はほかにない」と言ったものでした。日本人の繊細さ、美意識の高さは誇れるものです。
2019年01月02日毎年恒例、年末年始の人気企画、麗人・美輪明宏さん(83)による愛のメッセージ。今回のテーマは「新時代を生き抜く知恵」。来年5月の改元で、日本は新時代へと突入する。「昭和」と「平成」という激動の時代を強く生き抜かれた美輪さんが語る、希望の持てる未来とは――。私は世の中をいつも俯瞰で見ています。便宜上、「明治」「大正」「昭和」「平成」という言葉を使いますが、“この時代だったからこうなった”と、特別に時代を区切って考えることはしない人間です。そもそも地球というのは、はるか大昔からずっと変わらず回り続けています。平成は「災害の時代」という向きもありますが、過去にも大地震や津波、そしてさまざまな天変地異が起きました。でも、時間はずっと同じように流れていきます。1時間は1時間。1日は1日……。昔も今も変わってない。平成から新元号になることで、何か大きく変わるみたいに錯覚を起こす方々もいるようですが、そんな時間の流れは変わりません。メディアが話題作りで、そう思わせたいだけ。惑わされないでください(笑)。元号に限らず、“師走です”、“夏至になりました”という言葉なども、人間が便宜上、勝手に付けただけのこと。ただ時間が淡々と流れている。その延長線上でさまざまなことが起き、変化を続けている、そう考えればいいのです。ただ言えることは、人間が生活していく中で、いろんなものが新しく生み出されてきました。デジタルの時代になり、情報通信の分野でとくにそれが顕著です。目の前で起きたことを、すぐに世界中に発信できる時代。つい数十年前までは、想像もできなかった進化がさまざまな分野であります。昭和26年、私が長崎から東京に来たころは、汽車で28時間もかかりました。しかも当時は、客車の椅子は木。座席はすべて向かい合わせで、もちろん冷暖房なんてありません。夏は窓を開けっぱなし。だから、目的の駅に着くと、顔を洗うための洗い場が、駅のホームにずらっと並んでいました。まるで学校にある共同の手洗い場のようでした。乗客たちはそこで顔を洗ってから、おのおの目的地へと向かう。今なら長崎から東京まで飛行機で2時間ちょっと。便利になりました。そして今では、当たり前のように使われている生活用品が普及し始めたのが、「神武景気」(昭和29年12月~32年6月)あたりからです。電気洗濯機、電気釜、冷蔵庫、そして電話……。そのころの通信手段は手紙、電報、電話だけ。まだ電話は、各家庭にあったわけではなく、電話のある家にご近所の人が借りに行くという時代でした。ご近所さん宛てにかかってきたときには、“○○さん、お電話ですよ!”と呼ばれて、“申し訳ありません。じゃあ、お借りします”と言って、使わせてもらっていたんです(笑)。「平成」の前には、そんな時代があったのです。こうしてみると、近年は、とくに変化のスピードが年々、早くなっているようです。そんなデジタルな時代だからこそ、「人のつながり」が大事なのです。
2019年01月01日「今でも月に1、2回はうちに来てくれます。ただ、今は淡路島での庭いじりが忙しいみたいで……」そう語るのは、島田紳助(62)の実母だ。11年に芸能界を引退。現在はたまに週刊誌で報じられる以外、ほとんど動向が伝わってこない紳助。そんな彼の現在について、親友の1人はこう語る。「引退後はヨーロッパやハワイなど、世界各地へ旅行に出かけていました。大好きな沖縄にも、何度も行っていました。しかしそんな生活にも飽きたみたいです。今は淡路島に別荘を買って、そこの庭を仲間たちとイチから作り直しています」芸能界引退から7年。悠々自適な放浪生活を送ってきていた紳助だが、ここへきて変化があったよう。“別宅建築”に精を出しているという。「真っ黒に日焼けしながら、買ってきた石やレンガを並べたりして……。それが、何より楽しいようです。どこに行くかより、誰といるかが大事だと気づいたのでしょう」(前出・親友の1人)世界放浪の末にたどり着いたのは、「仲間たちとすごす楽園」だった!
2018年12月08日